about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『吉祥天女』(3)-3(注・ネタバレしてます)

2008-10-28 00:28:36 | 吉祥天女

映画で弱体化しているのは男性性だけではない。小夜子のキャラクターにも原作とはかなりの違いが見られる。

それが一番顕著なのは涼が死んだ直後に病院の屋上で号泣する場面だろう。
男を惑わし叶家を脅かす者に死をもたらしてきた小夜子が無防備に泣きじゃくる様は、鬼女の面を外し年相応の少女の姿に返ったかのようだ。
対して原作では小夜子は静かにただ一筋の涙を流すだけ。好意を抱いていた相手の死に際しても乱れることのない―乱れることができない―無表情に近い表情も仕草も見事に大人の女のもの。
原作の小夜子は幼少期から男の欲望に晒され続ける中で年齢不相応な大人の女のメンタリティを持ってしまった少女だが、映画の小夜子は大人の女然と振る舞うことで自身を守っている少女なのだ。

それは小夜子が涼に「私を取り巻く全てのものに私は腹を立てているの」と話す場面にも表れていて、原作の小夜子が底冷えのするような微笑とともに口にする台詞を、映画の小夜子は今にも泣き出しそうな、感情を懸命に堪えている声で口にしている。
この設定だから杏ちゃんをキャスティングしたのか杏ちゃんをキャスティングしたからそうなったのかはわからないが、映画では涼たちの男性性を減退させる一方で小夜子の(大人の)女性性も同時に減退させている。
そうすることで、映画の彼らは原作ほどのヒーローでもスーパーヒロインでもなく、よりジェンダー的に幼い少年少女となっている(したがってマッチョイズムに根ざすホモソーシャル的描写は弱められている)。

象徴的なのは映画オリジナルの暁が警官隊に蜂の巣にされる場面である。
銃の暴発によって涼が瀕死になり暁が小夜子を撃とうとする緊迫したシーンが、いきなり回りを取り囲んだ警官隊視点で俯瞰的に捉え直される。
画面が引くことで緊迫感も一気に引いてしまい正直興ざめしてしまったのだが、これは意識的に観客を「興ざめ」させることを狙った演出ではないか。
旧家と新興成金のお家騒動という閉鎖的環境で起こった一連の事件―それも少年少女が中心になって引き起こされた―を一般社会の大人目線で見下ろし、圧倒的攻撃力で暁を葬って幕を引くことにより、ここまで描いてきた叶家と遠野家、小夜子と暁と涼の戦い(原作ではこの三人の間だけで決着がつく)を「所詮は箱庭の中の子供の争い」として片付け矮小化しているのだ。この矮小化によって彼らは原作より無力な存在となっている。
そして原作に比べ彼らを幼く、無力な存在として描くことで、映画版『吉祥天女』は、それゆえに独特の透明感、純粋な雰囲気を獲得した。

(つづく)


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『吉祥天女』(3)-2(注・ネタバレしてます)

2008-10-24 02:01:46 | 吉祥天女

男性性と女性性の相違、対立というのは原作の大テーマであり、「男の「防御(ディフェンス)」と女の「防御(ディフェンス)」は違うのよ 涼くん それから「攻撃(オフェンス)もね」という小夜子の台詞をはじめ、全編にわたって「男は~」「女は~」と男女を対比的に捉える表現が頻出している。
また「男尊女卑はお家芸」の遠野家の長男である暁を中心に、「たかが女」「女にコケにされるなんざ まっぴらごめんだからな」など男の目線から女を低く見る発言も多く登場する。

それに対して小夜子は男のしょうもなさを鼻で笑い、潔癖な由似子は男への嫌悪感を露にする。
(由似子は「きれいでやさしくて・・・女らしくて・・・なのに賢くて強くて・・・男の人にも負けてな」い小夜子に憧れていたと話しているが、この作品が連載された80年代前半、女性の社会進出が進みながらも現在より社会的立場が弱かった時期に、その女性性をフルに活用することで男たちに勝利し続ける小夜子のキャラクターは読者にとって胸のすくものだったと想像される。作中でも小夜子は男性以上にクラスの女子に圧倒的に人気がある)
異性に対する侮蔑交じりの嫌悪と同性間の連帯がこの作品には色濃い。

勝地くんが映画の涼と暁の関係について「ホモセクシュアルの空気が漂うほど」とインタビューで言っていたが、二人の、とくに暁→涼の感情はホモセクシュアルというよりむしろホモソーシャル的である(ホモソーシャルの定義についてはこちら参照)。
小夜子が暁の心情を代弁した「私のことより涼くんにだけは負けたくない」という感覚、女を欲望のはけ口ないし男同士の競争の道具と見なす考え方はまさにそれ。
(ただ小夜子に関しては途中から涼への対抗意識抜きで本気になってしまったためにそれが暁を破滅に追い込むことになってゆく)

このホモソーシャル傾向は原作の方がなお強い。
涼は遠野家の中では例外的に女をモノ扱いにしない。女たらしでありながら小夜子のさりげない誘惑に対して居心地悪げに顔を赤らめるだけで情欲に走らない涼は、小夜子に「まるで処女みたい」と評されたり、自分でも「男としては不良品かな・・・」と述懐したりする。
こうした女性的―というより男性にありがちな女性蔑視感情が薄い―一面ゆえに涼は小夜子にとって自分の手管が通用しないという意味で「苦手」な存在なのだが、その彼にして暁の遺志を無視することはできずに、小夜子に惹かれる気持ちより男同士の連帯を優先して暁のため、小夜子に死に追いやられた大沢のため、小夜子に銃を向けることになる。

しかし映画では涼は小夜子を守るために暁に銃を向けるのだ。デスペレートに罪を重ね自らを追いつめてゆく暁を救おうとする気持ちもあったに違いないが、このストーリーの改変の意味は大きいように思う。原作では結局涼は小夜子より暁を選び、映画では暁より小夜子を選んだわけであるから。
映画での涼と暁の関係がボディタッチの多さからセクシュアルな空気を醸し出すのも、涼の女たらし設定(彼が異性愛者であることの強調)が削られているのも、原作に比べて反同性愛・異性愛をともなうホモソーシャル要素を薄める結果となっている。

(つづく)

 


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『吉祥天女』(3)-1(注・ネタバレしてます)

2008-10-20 01:19:08 | 吉祥天女

 

2006年初夏に、勝地くんが『吉祥天女』に出演するという情報が聞こえてきたとき、嬉しいと同時に「なぜ今ごろこの作品を映画化?」という疑問が頭をよぎりました。
20年以上前の作品だし知名度もそこまで高いわけではない(それなりのヒット作品ではありますが、一般に少女マンガのヒット作は少年誌・青年誌のヒット作とは売れ行き・知名度のケタが全く違う)。30~40代になってるだろう当時の読者がメインターゲットだったのか。
格別の集客力を持つキャストがいるでもなく、よほど作品としての質が高くないかぎり、興業的には難しいだろうというのが最初の印象でした。

翌年映画が公開されましたが、やはりヒットには至らず・・・。観た方の感想も賛否両論、それも誉めているのはおおむね原作未読の人で、原作ファンからの評価は全体に芳しくなかったようです。
それはやはりメインキャラのイメージが違う―キャストの外見もさることながら、性格設定と作中での立ち位置が違っているのも大きかったように思います。

例えば(1)でも書いた遠野涼の場合、軟派なプレイボーイ然とした振る舞いとその裏に押し殺した気性の激しさ・純粋さのコントラストに多く彼の魅力があったのですが、軟派な描写が全然出てこなかったので魅力が半減してしまった感があります。
しかも原作では涼がたびたび陰ながら小夜子を助ける場面があるのに、これもオールカット。
暁に襲われかけた小夜子がガラスの破片を暁の首に突きつけて身を守ったのは涼の示唆によるものだとか、ライダーの格好で顔を隠して小夜子を救出するとか(あとでそれが知れてリンチされるとか)の格好いいエピソードが全然出てきません。
彼が唯一小夜子を守ろうと動くのは映画オリジナルの暁に猟銃を向ける場面だけで(原作では銃を向ける相手は小夜子)、それも銃の暴発によって自身が致命傷を負ってしまう。涼のヒーロー性はここぞとばかりに奪われてしまっている。

ここまで徹底してると、むしろ意味あってそうしているのだろうと周辺を見回してみると、他にも興味深い改変が行われているのに気づいた。
原作では、登場する男たちが皆小夜子の魔の手に導かれ卑小さもあらわに破滅していく中で、三人だけ例外が存在している。遠野涼、小夜子の守り役ともいうべき小川雪政、浅井由似子の兄・鷹志である。

雪政は小夜子の魔的魅力に(ある意味誰よりも深く)捉えられた人物であるには違いないのだが、小夜子に関わった多くの男たちが理性を見失い結果身を滅ぼすのに対して、雪政はあくまで理性的なままに小夜子と共にあることを選びとった。
涼は小夜子に惹かれながらも理性によってぎりぎりで彼女を拒絶し、鷹志は小夜子の異質さをいち早く見抜き、それゆえに関心を引かれながらも小夜子に惑わされることなくオブザーバー的な立場を貫いた。

その彼らの映画での扱いはどうかというと、涼は上述の通りヒーロー性を剥奪され、鷹志に至っては由似子の姉・鷹子=女性に変更されている。
ちなみに映画化にあたって設定が女性に代わったキャラといえばもう一人、小夜子の祖父の役割が、原作では早くに亡くなった祖母・(あき)に振り替えられているが、この祖父も小夜子にとっては唯一の頼りになる身内というべき人物で、病中であっても威厳を漂わせ周囲に睨みをきかせていた人格者だった。
つまり映画ではヒーロー的男性性、「格好良い男」というものがほぼ完全に消滅させられているのだ。
三人の中で原作通りの立ち位置にあるのは雪政一人で、原作の雪政が持つ荒っぽい雰囲気は大分和らげられているものの、小夜子のためなら人殺しも辞さない(のだろう)凄みがあるところは変わっていない。

(つづく)


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『吉祥天女』(2)-5(注・ネタバレしてます)

2008-10-15 01:37:06 | 吉祥天女
・池に浮かぶ浮子の遺体を雪政が痛々しそうに見つめる。
野心に生き悲惨な死を遂げた浮子への同情か、10代の少女でありながら祖母の復讐と家を守るために手を汚さねばならなかった小夜子を思ってか。
小夜子のためだけに生きてきた彼であってみれば後者でしょうか。

・黒いワンピース(喪服?)で遠野家を見上げる小夜子。
その静かな、悲しみと諦念が染み付いたような表情が、服とあいまって彼女をずっと年上に見せる。少女らしい華やぎや幸せは全て諦め去ったというような。
この若さで何十年分もの人生の苦味を味わってきた小夜子の姿が痛々しいです。

・暁の父親に付いて部屋に入る小夜子は、階段に立つ涼に嫣然と微笑んで見せる。
彼女の消えた扉を凝視しながら立ち尽くす涼。あの小夜子が男と二人きりでいることに、また何か起こるのではと警戒を覚えているのか、それとも嫉妬?

・猟銃を片付けようとする暁父の「やもめ暮らしが長いから~」発言は、この直後彼が小夜子に手を出そうとすることの伏線ですね。というか、まさにそこを(奥さんの死後本当に女っ気なしってわけじゃないんだろうけど)小夜子は突いたわけですよね。

・刃物(のようなもの)を見つめながら暁父の背後に立つ小夜子。てっきり後ろから刺すものかと思ってしまった。そういう実力行使は小夜子はやらないですよね。
小夜子の後ろではためくカーテンはたびたび繰り返される小夜子の天女性を強調する演出。

・暁父の死体は猟銃を正面に構えている。暁を撃とうとしたものだろうか。逆上して自分を刺したとはいえ実の息子を殺そうとしたのだろうか。
しかも小夜子は暁の婚約者なのだから彼の怒りには正当性があるのに。自分が殺されそうな時に親子の情や正当性など関係ないということでしょうか。
暁が手にしている刃物は先に小夜子が持っていたもの。この事件が小夜子の仕込みだったことがわかります。

・助け起こそうとする暁に抵抗して暴れる小夜子。男(しかも婚約者の父)に襲われかかり、さらに目の前で人が殺されるのを見た少女の反応としてはごく自然で、だから暁もこの時点で無理に小夜子を連れ出さなかったものか。
この時の小夜子の暴れ方が実にリアリティがあって、杏ちゃんの上手さを感じました。

・部屋に入ったきた使用人たちが悲鳴をあげる。
しかし暁父の身体は窓の外に倒れたはずなので、部屋に入った瞬間にぱっと見えるものは床につっ臥している小夜子と側に立つ暁(よく見れば返り血がついてる)だけだと思うのだが。よく状況を察することができたなあ。

・床に転がっていた小夜子が目をあける。逆さに映しているだけになお大きな目の強い光が強烈な印象を与える。
杏ちゃんを小夜子役にキャスティングしたのが生きています。

・現場検証にやってきた刑事が涼に「君の兄さん、何でこんなことしたのかな」と言う。つまり涼は警察に小夜子のことを話していないわけですね(暁父が暁の婚約者である小夜子に手を出そうとしたと話したなら「何で」という疑問はまず出てこない)。
これは小夜子を巻き込むまいと思ってかばったのか、小夜子のやったことについては自分(と暁)の手で決着をつけたいと思ったからなのか。

・遠野家?で寝ていた小夜子が物音に起きると、窓から飛び込んできた涼が小夜子を押し倒す。しかし唇が触れそうなほど顔を近づけながら、涼は小夜子の遠野家のっとりの手管を解説するだけで何ら性的なアプローチを仕掛けようとはしない。
暁にとって小夜子のような女が初めてだったように、男は皆自分に劣情を抱き誘いかければたちまち襲いかかってくるものと思っていた(実際そうなってきた)小夜子にとって、涼のような男はやはり初めてだったのではないか。
ところでこんな場面ではありますが、涼が小夜子を責める時の声の響きの良さに聞き惚れてしまいました。

・遠野家でさんざん辛い思いをし、家を出る覚悟までしていた涼が、遠野家の崩壊に本気でショックを受けている。元からの(引き取られる以前からの)血縁関係でもあり、暁が言うように涼も「遠野家の人間」ということだろう。
「遠野家にはもう俺と水絵しか残ってない」「でもちゃんともう一人いるからな」という言葉から、涼が自分を遠野家の一員と位置付けたうえで、遠野家をめちゃくちゃにした小夜子を敵とみなしているのが伝わってきます。
家の中で孤立しているがゆえに家のしがらみから一番自由に見えた涼も、結局暁や小夜子のように家に囚われてしまっているのですね。彼がこれまで遠野家の暮らしを我慢していたのは水絵のことばかりでなく、あの家こそが自分の居場所だと無意識に思っていたのかもしれません。

・涼は暁の命令で小夜子を呼び出しに来たことが明らかに。この状況でなお暁のパシリをやるのか。たぶん暁が由似子をさらったうえで彼女の身柄を盾に涼に協力を強制したんでしょうが。
その場合原作と違って涼と由似子のからみはこれまで皆無なので、涼が由似子を助けようとする理由は叶・遠野両家に無関係の人間を巻き込めないという正義感なんでしょうね。

・涼のバイクの後ろに乗り、不安そうな表情で頬を彼の背にすり寄せる小夜子。今や敵同士といってよいのに、恋人のように見えてしまいます。

・別荘のカーテンが一箇所だけ赤い色。これまで白いカーテンが頻出してきただけに、何か不吉な感じがあってはっとさせられる。
この赤い色はこれから小夜子のためにここで(涼と暁の)血が流されることを暗示しているように思えます。

・嵌められたと知って小夜子に対峙する暁は、「いつも俺の欲しいものを奪っていきやがる」と涼への嫉妬を剥き出しにする。
しかし涼が小夜子に近付くのを警戒するなら、彼を小夜子を呼び出す使者に立てたのはなぜか。
警察に追われる身で自ら動けなかったのかもしれないが、その気になれば涼は由似子を放っておいて小夜子を連れて逃げる、というか暁の要求を無視して小夜子ともども学生生活に戻ることも、警察に暁の居場所を通報して由似子を助けてもらうことも出来たはず。
結局暁は涼が自分を裏切らないという奇妙な確信を持っていて(原作では密かに暁の手から小夜子を守りその裏切りが発覚したりもしてるのですが、映画にそういう描写はない)、そのうえで涼に恨み言をぶつける、要は涼に甘えているように思えます。

・涼は暁に銃を向け「もうやめようぜ」と言う。その声の裏返り方に、小夜子を守るためだけでなく暁の身をも案じての行動とはいえ、初めてはっきり暁と対立する立場を取った涼の切々たる感情の高まりを感じました。
そしてこれまでは銃で脅されても内心は平静だった小夜子の方も、涼が銃を出すなり「その銃で撃っちゃダメ」と声に必死さを表す。
銃が暴発するように仕組んであるゆえに涼の身を案じているわけですが、これまで浮子も含めた遠野家の人間を次々死に追いやってきた小夜子が、涼のことは本気で失いたくないと思っている、その気持ちに打たれます。

・銃の暴発で血に染まり倒れる涼と動揺する暁。つまり二人銃を向け合いながら、いざという瞬間涼は撃ち、暁は撃たなかったということですね。相手への(こいつは自分を撃たないはずという)信頼と愛着では暁の方が上回ってたということでしょう。
とっさに涼の心配をしていますが、涼の銃が暴発した=自分を撃とうとした、という事態を彼は正しく推察してたでしょうか。

・これまで小夜子に執着してきた暁が「ぶっ殺してやる。疫病神め」と小夜子に銃を向ける。
涼まで目の前で倒れたことで、自ら手にかけた父親も含め小夜子が現れてから血が流れすぎることに戦慄したのでしょうが、小夜子への感情が一気に憎しみに転じた直接のきっかけが涼が傷を負ったせいだというのは、以前小夜子が言ったように、暁が真に執着しているのは小夜子以上に涼だからなんでしょうね。
女のことでもそれ以外でも涼には負けたくない、腹心(格下の存在)として自分の側に従えていたいという形の執着。この場で小夜子が涼を呼び捨てにしたのもそんな彼の感情をあおったかもしれません。

・暁が小夜子に狙いをつける緊迫した場面で、画面が遠景に切り替わり彼らを見下ろす位置に展開する警察の姿が描かれる。その後の警官隊による集中発砲シーンも含め、急に俗っぽく二時間ドラマのようになったと評されたシーン。
ちなみにここの場面は映画『俺たちに明日はない』の有名なラストを意識したものだとか。言われてみれば暁の撃たれっぷりが確かによく似ているかも。

・自力で縄抜けし、小夜子を助けに飛び込む由似子。原作よりはるかに行動力に富んでいます。
由似子を助けるために涼についていった小夜子が逆に由似子に助けられるというのもいささか皮肉な気がします。

・銃の仕掛けについて語る涼の声が、瀕死の割にはちょっとはっきりしすぎてるような。「台詞まわしが死にかけてるようには思えない」というのは2005年公開の映画『亡国のイージス』の時にも大分言われてましたね。
まあリアルに瀕死の人のような声を出したら、何を言ってるのかさっぱり聞き取れないでしょうけど。

・絶命した涼の頭を抱きしめたまま「どうして」とつぶやく小夜子。その心底ショックを受けている表情に、少なくとも表面は平然と他人を死に追いやってきた彼女の少女の顔が初めて覗いた気がしました。
この場面のとき、由似子はどうしてるんだろ。

・涼の遺体を安置した病室。小夜子と涼を囲む薄いカーテンをしばらく見せてから涼の傍らに腰かける小夜子を映す。
小夜子の白い服は涼の血で真っ赤に染まり、涼がかぶせられた白布の白さと対照をなしている。

・死んだ涼と小夜子のテレパシー会話。「俺、お前のこと好きだったんだぜ」。生前ついに語られなかった想いの告白に、小夜子は涼にそっと口付ける。
屈みこむとき長い髪を押さえる小夜子の仕草が優雅でとても美しい。そして涼の横顔の静謐な美しさに見とれてしまった。見返すたびに溜め息が出る名シーンだと思います。

・屋上で一人嗚咽する小夜子。これまで感情を露にすることのなかった小夜子だけに、先の口付けとあいまって涼への愛情が強く伝わってくる。
同時に彼女はただ涼の死を悲しんでいるだけでなく、自分と家を守るための戦いが惹かれあっていた相手をも死に追いやってしまう、幸福にしたい男にさえ不幸をもたらしてしまう自分の運命を嘆いているように思えました。
杏ちゃんの泣きの演技が実に見事で、この場面を作品のハイライトたらしめています。

・雪政の運転する車で出かける小夜子を母が強く抱きしめて見送る。その顔からはこれまでのおどおどした様子が消えている。
遠野家の財産を手に入れ、夫の愛人(浮子)は死に、ひょっとしたら叶家の実質的支配者だった母親(小夜子の祖母)が亡くなったことも解放感に繋がったのかもしれず・・・。もしかしてこの人にとっては全てが良い形に納まったのか?
小夜子が(なぜか)叶家を出て行く(親戚の家に戻る?)のも、ずっと離れて暮らしてきた娘など彼女にとっては今さらいない方がいい(と小夜子が考えた)からだったりするのかも。そのくらいの変貌ぶり。

・小夜子と一緒に車に乗っている水絵はすっかり元気そう。
以前小夜子に言われて自分で病気を治そうとして咳が止まったことからすると、水絵の病気は多分に精神面が影響してたように思えます。遠野家での肩身の狭い生活が水絵のストレスになりその結果の病弱だったとすると・・・。
水絵のために遠野家の生活を我慢してた涼が浮かばれないな。

・遠野家を滅ぼした後、雪政は小夜子のもとを去る決意を仄めかしている。
子供の頃から小夜子を傍らで守ってきた彼が今さらどこへ行くのか。これまでの小夜子最優先だった生活から自分自身のための人生設計に切り替えてゆくつもりなのか。
小夜子自身も金沢を離れてどこへ行くのか。水絵つきで親戚の家に戻る?少なくとも表向きには血なまぐさい事件(特に婚約者による義父殺し)の当事者となった心の傷を癒すためしばらく事件のあった土地を離れる、という形になってるのでしょうが。
原作では雪政が「田舎に戻ります」と言ってましたが・・・。

・小夜子と由似子の別れのシーン。一方が杏ちゃんのせいか、何だか『六番目の小夜子』の最終回を思い出しました。
5歳のとき自分が小夜子を置き去りにしてしまったことを由似子は泣いて詫びるが、あの幼女がやはり小夜子だったことの確信はどこから得たのだろう。姉から叶家の過去の事件について聞かされたのだろうか。
とすれば小夜子が5歳にして自分を汚した男を手にかけた事も知っているはずだが、由似子は小夜子を怖れる様子は全くなく、相変わらず友達として向き合い小夜子の痛みをともに嘆く。
優しいだけではない、おっとりした雰囲気からは意外なほどの精神的強さ・ブレなさを持った女の子ですね。

・涙をいっぱいに溜めた目で、それでも笑顔で由似子は小夜子を見つめる。透明感のある表情が実に美しいです。

・小夜子の手から桜の花びらがこぼれ、緑の庭や真理たちが稽古をする部屋の中にまで吹き込まれてゆく。非現実的ではありますが、とても美しい演出。エンディングテーマの「仰げば尊し」も透明感と幸福感をこの場面に添えています。
オープニングの禍々しさと対照的な、そしてこれまでのストーリーのどろどろを全て払拭するかのような穏やかなラストシーンが後味の良さを残します。

 


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『吉祥天女』(2)-4(注・ネタバレしてます)

2008-10-11 02:04:26 | 吉祥天女
・海辺の遠野家の別荘に小夜子を呼び寄せた暁。
立派なダイニングにサンドバッグが吊るしてあるアンバランスさが暁の不安定で凶暴な性格にリンクしているようにも見えます。

・小夜子を押し倒すも欠けた瓶を突きつけられ固まる暁。首から血を流しながらも暁は小夜子を魅了されたように見つめる。
ここで二人の力関係ができあがったのでは。

・「ミキさん」なる人物とともに叶家の蔵を調査する鷹子。ここで幼い小夜子がなぜ家を出されたのかの謎が語られたり、根津の死体が発見されたり一気にサスペンス色が強くなる。

・屋上で話す由似子と小夜子。「由似子は好きな人いないの?」というあまりに普通の少女らしい問いに、小夜子が高校生だったことを思い出す。
由似子がいる場面では小夜子も少女の顔をしていて、なんかほっとします。

・好きな男の子・将来の夢と、母や姉が心配していたのと同じことを小夜子に問われる由似子。
自分には何の取り得も将来性もないと由似子は言いますが、小夜子は「由似子みたいな女の子に生まれたかったなあ」と言う。
自分があまりに平凡であるということは普通人にはしばしばコンプレックスとなりますが、小夜子のように美貌と生まれと壮絶な過去によって平凡さから隔てられている人間にとっては、平凡こそが遠い憧れなのですね。

・禍々しいほどに赤い空を見せたあとで、小夜子の祖母の身体が弱っていること、祖母が小夜子に財産を譲る意思を持っていることが明かされる。
「どうするかは自分で決めなさい」「幸せになるのよ」。
小夜子に財産を譲れば財産がらみの争いに巻き込まれるのは目に見えてるのに、あえてそうしたのは財産を狙ってくる輩を退治して叶家を守ってほしかったから、そして過去は忘れて幸せになってほしかったからですね。

・5歳のときに幼女が殺されるのを見たという由似子の告白。回想の中の幼女の目が現在の小夜子と同じ強さをもっているのが何だか悲しいです。

・小夜子に上述の告白をする由似子は意外にも(小夜子が例の少女ではないかと疑っているわりには)済まなそうな顔をしない。
小夜子を試すような、挑むような感じさえある。由似子の意外な芯の強さが出ているシーン。

・図書館で鷹子の前に現れる雪政。効果音の不気味さから、叶家の秘密をほじくっている鷹子が消されるんじゃないかと思ってしまった。
毒薬の本の話をするのは鷹子を威嚇する意味もあったりして。

・祖母の死を知らされる小夜子。母が手を触れている着物もあたりに散らばっている着物も赤が基調なのに対して、祖母の部屋で揺れるカーテンの白が対照的。
強い風の音が主を失った部屋の寂寞とした感じと、これから起こる嵐を思わせる。

・通夜の席で兄(原作によると義兄ですが、映画では「兄さん」としか言わないのでとりあえず兄としときます。映画と原作で結構人物設定変わってたりするし)に向かい何か企んでいそうな笑顔を見せる浮子。
小夜子が突然の祖母の死に驚く場面を思い起こすと、叶家のっとりを企む彼らが(おそらく直接には浮子が)小夜子の祖母を密かに害したことが仄めかされているのがわかる。
通夜にやってきた涼が彼らの方に反感を篭めた眼差しを向けているのも、勘の鋭い彼だけに何かうさんくさいものを感じとっているからだろう。このシーンの直後にこれまでは一応暁に従っていた涼がきつい口調で暁を責めるのは、このシーンがきっかけになっているのでは。

・暁の左耳にガーゼがあててある。小夜子に切られた傷が治っていないので、別荘連れ込みからさほど時間が経ってないんですね。
思えば小夜子が転校してきてからここまでの展開の早いこと。

・「俺と水絵を追い出したければそうすればいいじゃないか」。
初めて?暁に逆らう涼の横顔は迷いなくじっと暁を見据えている。涼の正義感の強さと遠野家との決別の意思の固さが感じられます。
対する暁は「涼も思ってることちゃんと言えるようになったじゃないか」。
暁はこれまで居候の遠慮から一歩引いて自分たちに接していた涼に内心苛ついてた、対等でありたいと思ってたってことでしょうか。暁は涼に親友であるより腹心の部下であることを求めてるような気がするけど。

・「羽衣」(おそらく)の稽古をする由似子たち。由似子は華奢な撫で肩体型のせいか着物が似合いますね。凛と張り詰めた表情が美しいです。

・「あなたは私のことより涼くんにだけは負けたくないのよね」。
裸身に白い布を巻きつけただけ(羽衣を纏う天女のごとくに)の姿で後ろから暁の肩に手をかけ微笑む小夜子が、表情といい声といいすこぶる妖艶。
最初暁の身体越しにしどけなく投げ出した足だけを見せるアングルも色っぽく、かつ関係を結んだ後の男女の馴れ合った空気を上手く出している。

・暁の部屋から小夜子が出てくるのを見て涼ははっと立ちすくむ。そのこわばった顔に彼の受けたショック、悲しみが凝縮されていて、涼が小夜子を愛しかけていたことが一瞬で伝わる。
雨に濡れているせいもあり、涼がとても可哀想に見えて胸が痛む。勝地くんはこういう表情が本当に上手い。
「家を救うためだかなんだか知らないけど、ご苦労さんだな」という時の挑発的な口調や表情も、ショックを隠すための強がりのように思えます。

・継続して叶家の蔵を調査中の鷹子。先に死体が発見されたりしてるのに脅えるようでもなく調査を続けるのもすごければ、続けさせる叶家もすごい。

・鷹子は天女を陵辱した男の血筋が遠野家に繋がっていると言う。
しかし叶家が天女の末裔ならば、自動的に叶家も天女を陵辱した男の血をも引いているという事にならないか。要は叶家と遠野家は昔から親戚だったという話ですね。

・電話にも出ない小夜子をじれて追い回す暁。
これまでは根津にも別荘の時の暁にも挑発的でありつつ寸止めで痛い目を見せていた小夜子が、わりあいあっさり暁と寝たのが意外だったんですが、いったん肉体関係を持ってからじらすほうが暁を篭絡するには良いと判断したわけですね。
女は抱けば自分のものになると思ってきただろう暁にとって、小夜子のように寝たあとも以前と態度が変わらない―男の顔色を窺うところのない―女は初めてであり、どうやれば小夜子(の心)を落とせるかわからなくなっただけに、かえって小夜子の事が頭から離れなくなってしまったんでしょう。

・能舞台の上で天女の羽衣を腕に抱える小夜子を、赤みがかった光が点滅しながら照らしだす。
光の正体はわかりませんが(点滅するリズムは稲光っぽいがそれにしては赤すぎる)、禍々しさ、緊迫感を醸し出していて、これから本格的な遠野家潰しにかかろうとする小夜子の般若の一面を印象づけます。

・小夜子の父にしなだれかかって酒を飲む浮子。その密着度、馴れ馴れしさからやはり二人が不倫関係であることがここではっきり示される。
ところで小夜子父は小夜子の祖母(彼にとっては実母でなく義母にあたるのか?)殺しに加担しているのだろうか?単にたまたま彼女が死んでくれたおかげで目の上の瘤が取れて浮子とともに遠野家に与して豊かに暮らせるくらいの気持ちでいるだけなのか。
気弱そうな雰囲気からすると殺人には関係してない気がする。祖母殺しにじかに関わってたら実父といえど小夜子が見逃さなかっただろうし。

・小夜子父は酔いつぶれただけなのに浮子だけが毒に冒されたということは、浮子が一人で開けた二本目の酒に毒が入ってた(小夜子ないし雪政が入れた)ということですね(父親の方もあの騒ぎでも目を覚まさない潰れ方からすると睡眠薬を盛られてるようですが)。
二本目の酒は父が手をつけない確信があったんでしょうが、際どい計画ですね。

・呼吸困難に陥り、これまでにない口汚さで小夜子を罵り苦悶する浮子。
結い上げた髪をほどいたり、着物を肩肌脱ぎにはだけて襦袢を見せる動きが断末魔の人間の行動としておよそリアリティがないですが(自然に乱れるんでなく能動的な動きなので)、鬼気迫る美しさがあって画面に引き込まれるのは確か。
はだけた襦袢の赤も、小夜子のワンピースの赤も、ともに血のイメージですね。

(つづく)


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『吉祥天女』(2)-3(注・ネタバレしてます)

2008-10-08 03:02:16 | 吉祥天女
・「天女の衣に触れた女は幸せになるが、一方これに触れた男にはたたりがある」という言い伝えを雪政が語る。
小夜子のまわりに女子が集まり、由似子も小夜子との交流を通して過去の傷(幼い小夜子を見捨てた)を清算できたのは、この言い伝えとリンクしてるのでしょう。

・能楽クラブの稽古風景。由似子が部長なのは意外でしたが、原作ほどドン臭い設定じゃないのでそれもありかも。発表会の演目が「羽衣」というのはモロですね(笑)。

・大沢たちの暴行未遂事件をもみ消すべく小夜子に頭を下げる担任教師・根津を、彼が犯した過去の事件をほのめかして追いつめる小夜子。
どうも映画の根津は女生徒に手を出す悪癖がある様子。原作に登場しない(「叶家の死んだ長男」とだけ説明される)浮子の夫・泰之も小夜子以前にも「前科」があることになってたし。
普段は真面目な、少なくとも異常性癖のない人物が小夜子に対しては誘惑に抗しきれない、という設定の方が小夜子の魔性がより引き立ったんじゃ、とも思います。

・根津の胸ポケットにガラスの破片を入れ、衿に血をなすりつけて上目遣いに見上げる小夜子。目が大きいだけに迫力があり、妖艶な雰囲気を醸し出している。
キャスト発表当初、杏ちゃんはビジュアル的に小夜子のイメージじゃないなあと思ってたんですが、あの大きな目が原作とはまた違った雰囲気ながら十分に「男を破滅させる魔性の女」の空気を出している。何だかんだでナイスキャスティング。

・悲鳴をあげて逃げる小夜子に廊下で襲いかかって他の先生に引き剥がされる根津。
大沢事件も、かつて根津が女生徒を暴行したさいも、第三者のいない場だったためにうやむやにされた(されようとしている)。ゆえに人目につくところに根津を引っ張り出した小夜子の作戦勝ちですね。

・涼に助けを求め後ろに隠れる小夜子。涼の肩越しにのぞく小夜子の目は恐怖の色なく強く輝き、その眼光から涼は少し目をそらす。
この時点で小夜子が精神的に涼を呑んでしまってますね。

・一人下校途中の小夜子をバイクにもたれていた涼が追いかけ並んで歩く。
二人はしばらく無言のままですが、やがて小夜子が笑い涼も笑顔を見せる。二人の間に初めて好意的な空気が流れる場面。言葉がないぶんかえって心が通じ合っている印象を受けます。
しかこともあろうに教師に襲われかけたばかりの少女を一人で普通に帰らせるものだろうか。女の先生が送っていくとか家の人に迎えにきてもらうとかするもんだと思うのだけど。

・浮子の亭主は火事で亡くなった泰之だったと判明。
神社を継ぐための養子だった泰之がまわりの反対を押して浮子と結婚したというのだから相当なもの。おそらくは浮子が叶の財産を目当てにその美貌で泰之をたらしこんだものと推測されます。
そうでなければ泰之は小夜子の母と結婚してたんですかね?泰之が浮子と結婚しちゃったので小夜子母には別に婿を取ることになったとかそんな流れで。
しかしそれだけ浮子に打ち込んでいた泰之が小夜子はまだしも他にも幼女を食い物にしてたというのが不思議。浮子と上手くいかなくなって大人の女に嫌気がさしちゃったんだろうか。
このへんは映画オリジナルの設定で、原作より大分叶家の状況が複雑化しちゃってます。

・小夜子の着物を着付ける雪政。成人男子が女子高生の着替えを手伝うというシチュエーションが、小夜子も雪政も特に意識してる感じはないものの仄かなエロスを醸し出している。
幼い小夜子との出会いが雪政視点で回想されますが、無言ですっと手を差し出す女王然とした小夜子に一瞬で雪政が心を奪われたのがよくわかるようになっている。
短いシーンですが雪政が小夜子に献身的に尽くす理由がこれだけで納得いきます。

・お茶会の日。小夜子が涼と暁に茶をたてる。まわりに他の客がいないので妙に寂しい。
小夜子の着物と傘の赤い色が周囲の緑に映える。この場面に限らずこの映画は色のコントラストが秀逸。

・「羽衣」の舞台を長々と見せる。その間で小夜子の祖母が白い薄衣を手に持っているカットが挿入される。
薄衣は黒ずんだ赤い色が広範囲にわたって付いている。どうやら神社とともに燃えたはずの羽衣のようですが、なぜここに。

・能舞台を見ながら、由似子の脳裏に日本人形のような幼女(小夜子)が男に殺される光景がフラッシュバックする。
原作にはない二人の幼少期の一瞬の出会い。幻想的な見せ方が上手いです。

・図書館で叶家の過去の事件を調べる鷹子。
叶の家族写真に写っている幼女が由似子の回想?に出てきた幼女と同じ顔をしてるところから、由似子が出会ったのが幼い小夜子だと観客にわかるようになっている。

・水絵とあやとりをして遊ぶ小夜子のまわりを包み込むように白いカーテンがはためく。羽衣を纏った天女をイメージさせる演出が美しい。
小夜子も幼く無邪気な水絵の前では一切の計算なく澄んだ心のままいられるのでしょう。
涼ははからずも天女の水浴びに出会った男のポジションに立たされた感じですね。そばに「水」絵ちゃんもいるし。

・前に水絵の部屋が出てきたときは暗くて気づかなかったが、水絵のベッドはまるで病院のような白いパイプベッド。これだけでも水絵がこの家で冷遇されているのが知れる気がします。
もっとも後で出てくる暁の部屋のベッドも同じデザインのダブルベッドだったんだが・・・。

・小夜子が咳き込む水絵の喉元に手をやって「自分で治ろうと思わないと」と言い聞かせると咳が止まる。まるで魔術のような鮮やかさに、涼も奇蹟を見るような目になっています。
これまではもっぱら恐ろしい女だと感じていた小夜子がこの時にわかに女神のように見えたことでしょう。

・夕暮れ近い海辺を歩きながら語る小夜子と涼。
靴を脱ぎ捨て水に入る小夜子の所作は男を誘うような色香がありましたが、「私を取り巻く全てのものに私は腹を立てているの」と涼を振り返ったときの顔はいつもの艶麗さの代わりに、どこか泣き出しそうに見える可憐さを強く感じさせる。
小夜子が自分の弱い部分を垣間見せる唯一の男が涼なんですね(雪政にもそうかな)。美しく物悲しい夕陽の眩しさがこの場面をなお透明感に満ちたものにしています。

(つづく)


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『吉祥天女』(2)-2(注・ネタバレしてます)

2008-10-04 05:56:38 | 吉祥天女
・由似子の家。ダイニングのテーブルクロスや暖簾などの雰囲気が70年という時代設定を思い出させる。お母さんの服装なんかも。

・由似子が男の子に関心を示さないこと、卒業後の進路がはっきりしないことについて心配する母と姉。由似子が何年生かわかりませんが(春先に部長やってるんだから2年生か?)、この時代ならとりあえず短大に進学という感じに落ち着くのかな。
目を輝かせて小夜子の話をしたところで「男の子に興味はないのか」という流れになるのは由似子の小夜子への感情が女子校などでありがちな同性への擬似恋愛要素を持ってる(と家族は思った)ことを匂わせます。
原作ほどはっきり男嫌いじゃないかわり、男嫌いセンサーになぜか引っかからない涼とのからみもほとんど出てきませんね。

・部屋で制服のままお能の稽古をする由似子。後ろの窓が西日に染まり、舞台照明のように由似子の姿を浮かびあがらせる。
由似子が舞い出したときの空はすでに暗いので、まるで時間が逆行したかのような印象を受ける。こういう気象現象があるんだろうか。
時間の整合性は気になるものの、映像的にはこの映画中でも屈指の美しい場面。窓を開けて空を見つめる由似子の横顔もとても綺麗です。

・夜・遠野家。実家を訪ねるだけなのに浮子が着物姿なのが、いかにも旧家に嫁にいった女性という感じを出しています。
暁の父親が涼を呼びとめ、「毎日どこをほっつき歩いてるんだ」と問いただすが、それはこっちも知りたい(笑)。原作と違って女たらし設定がなく遊び仲間も出てこないし、涼の不良行為って煙草吸うのとバイクに乗る(当時バイクは結構不良っぽいイメージ持たれてたと記憶してます)くらいなもので。
まあこのおじ、おばの態度を見てると、涼が家にいたくないのも無理ない気はしますが。

・水絵の部屋に入る時、いちいちノックなどしないところに兄妹の隔てのなさが感じられます。
そして水絵に呼ばれて「ん?」と問い返す声、彼女の頭を撫でる仕草と微笑みに、この家での生活に涼が甘んじているのは水絵のためなのだという、それだけの愛情が伝わってきます。

・叶家初登場。遠野家が洋風なのに対しこちらは純和風と、成金と旧家の違いをわかりやすく見せている。さらに原作の祖父のポジションに祖母(原作では早くに亡くなっている)を持ってきたことで、叶家-女系の一族、遠野家-(ずるい)男たちの家系という対比構造が原作よりわかりやすくなっている。
親戚とはいえ外から引き取られた涼はこの図式からやや外れていて、それが遠野家と小夜子の間で揺れる彼の特殊な立場に繋がっていきます。

・母とともに色とりどりの着物を眺める小夜子。しかし母が小夜子に着せ掛けるのは色のない白い着物。
羽衣をイメージした着物を纏うのは小夜子を天女になぞらえたものでしょうが、その飾り気のなさがかえって小夜子の美を引き立てています。

・小夜子を抱きしめ、「お母さんがしっかりしてなかったから」と詫びる母。
彼女が「しっかりしてなかった」ことで小夜子に何が起こったのかは後々小夜子の口から明かされますが、泣きながら娘を抱きしめる母に対して小夜子の表情はいたって冷たい。小夜子が無力な母に軽蔑と憐れみを抱いているのがうかがえる。

・小夜子と浮子との会話。挑発的な口調に毒を含んだ二人の会話を聞くと、小夜子は母より血の繋がらないこのおばの方に性格が近いんじゃないかという気がします。目的意識が強く、そのために自分の魅力をフル稼働して男を操縦するあたりが。
しかしまだ高校生でありながら、ゆうに10歳は年上だろう浮子を相手に対等に渡り合っている小夜子はやはりすごい。

・小夜子の父と浮子がともに一つ部屋に消える。
それだけなら何ということもありませんが、陰から小夜子母が二人を意味ありげに(物思わしげに)見つめているのをあわせ考えると、小夜子父は体の弱い妻をよそに未亡人の浮子と不倫の関係にあるのが察せられます。

・神社へ向かって走る小夜子、由似子、真理の三人。はしゃいで騒ぐ少女たちの姿が、遠野家・叶家のどろどろを見たあとだけに清清しい。
目に鮮やかな境内の緑が彼女たちの健全さ・さわやかさを強調します。

・さん付けじゃ堅苦しいから名前で呼ぶ、と小夜子と由似子が互いに宣言するシーン。
いきなり背を向けたまま話の流れを無視して「小夜子!」と叫ぶように言う由似子と、こちらも少しタメてから「由似子、真理」と呼ぶ小夜子。なんか恥ずかしいほど気負った二人(とくに由似子)の様子が昔ながらの「青春」という感じで、その青臭さが心地よい。

・にわかに乱入して襲い掛かってくる不良たちを一人で次々倒す小夜子。杏ちゃんのアクションがめちゃ格好いい。
腕をへし折る容赦のなさ、「これでおしまい?」という声の可愛らしさのコントラストが怖いです。

・煙草をふかしながら小夜子の活躍を見つめる涼と暁。このシーンに限りませんが暁がやたらと涼にべたつくのは勝地くんいわくちょっと同性愛的な要素もあるんだとか。
まあ原作からしてホモセクシャルというかホモソーシャル要素は多分に感じさせる二人でしたが。

・折れた竹の尖った部分を大沢の喉下につきつけて「喉仏は男の急所なんでしょ」と脅す小夜子。
単に喉を狙うだけでなくわざわざ「男の急所」と言う言い方をするあたり、男ならではの弱点、ひいては男そのものの弱さを浮かびあがらせ、同時に女である小夜子の強さを際立たせる効果を出している。
全編にわたって女である小夜子が男たちを手玉に取る展開の伏線と言えます。

・正当防衛とはいえ圧倒的な強さと暴力性を見せ、さらに「ひどいケガさせちゃった」としれっと言い放つ小夜子に、真理は若干引き気味ですが由似子はくすくす笑い出す。
由似子が小夜子にとって真の親友になったのはここからだったのでは。

(つづく)

 


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