対照的にケレアは落ち着き払ってますが、疑いようのない証拠を手にしてがら自分を見逃した、そうする理由をもっているカリギュラが、今さら自分たちを処刑することはまずないと踏んでいるからでしょう。
一方老貴族はもともと自分から密告しようとしたくせに(そしてやはりカリギュラに見逃してもらったのに)「陰謀が露見した」と慌てている。
ケレアと違ってカリギュラが彼を処罰しなかった意図を理解していない、単なる気まぐれ程度に思っているから今度は気まぐれで自分たちを殺すことにしたのだと判断したんでしょうね。
・奴隷が武器を持って入ってきたのを見たケレアの声が(戯曲のト書きによると)少し変わる。
さすがに自分たちを処刑しようとしてる状況証拠が揃いすぎて、自分の判断(カリギュラはむしろ討たれることを望んでいるゆえに自分たちを処罰しない)への自信がぐらついているのがわかります。
ところでこのシーンの流れなんですが、ケレアは奴隷が入ってきたのに気づかず「あの男は否定しがたい影響を及ぼしている」うんぬんと語り続ける→先に気づいた老貴族らがおろおろとそちらを指差す→気づかずなおも語りつづける→老貴族に「見ろ」と言われて初めてそちらに目をやりケレア焦る、という運び。
何かケレアがちょっと間抜けっぽいです。才に溺れて自分の足元が見えてない感じで。「ケレアー、うしろうしろ!」みたいな(笑)。
カリギュラがまともに自分の身を守る気になってたら、完全に理論倒れで終わってたろうなこの人。
・踊り子の衣装でパフォーマンスするカリギュラ。ごく短いシーンだけにいかにも唐突でカリギュラの道化っぷり、彼の頽廃ぶりもいよいよ末期にきていることを際立たせている。
ミニスカートとカラフルな鬘、花飾りという服装で足を上げたりする動きは背景のネオンとあいまって場末のキャバレーのショーのような、いかにも安手で俗悪な感じを醸し出している。
この衣装やパフォーマンスがほとんど原作戯曲のままだというのに驚きます。
・第六場。エリコンとケレアの会話。「あれはほんとに偉大な芸術だったのか」と聞かれて「ある意味では、そうだ」と答えるケレアにエリコンは「(ケレアは)誠実さの面ではニセモノだ。だが、強さは本物だ。」と返す。
「ある意味では」という表現は便利なもので、まさかと思うような内容の発言にももっともらしい響きを与え、また「偉大な芸術だ」と断言せずに一歩引いておくことで逃げ道を残し、全面的に迎合していない点でプライドを保つこともできる。
ある意味では、ストレートに追従する貴族たちより狡いとも言える。
・いつも飄々とふざけた態度のエリコンが初めて真っ直ぐにケレアに感情をぶつける。
自分は他の貴族たちとは違うと強く自負しているケレアですが、エリコンにとってはそんなのどうでもいい程度の差異でしかない。貴族階級、カリギュラの敵ということで所詮貴族たちと同列の存在なのですよね(他の貴族よりは多少話し甲斐があると思っているようではありますが)。
彼の余裕のなさ(ラストの「長く夫婦を~」のくだりはいつものエリコンらしいですが)とケレアの余裕とが巧みなコントラストになっている。大人の男同士の会話という感じで、思わずひきつけられる場面です。
・上記の場面でエリコンは再び玉葱を齧っている。蜷川さんいわく「玉葱を生で齧るのは下層階級のやること。エリコンは玉葱を齧ることで自分を見下す貴族たちを逆に皮肉ってみせてる」(こちら参照)なので、ケレアに正面から宣戦布告するに等しいこの場面にはふさわしいアイテム。
ことさら目の前で玉葱臭い息を吹きかけてますし。ケレア役長谷川さんは相当目にツンと来たらしいです。
・ケレアの襟をつかんで乱暴に引き寄せ、顔を至近距離に近づけて話すエリコン。
戯曲のイメージよりはるかに乱暴なエリコンの行動には、ケレアにに「良い召使い」と言われたのに対する反発、身分は低かろうとそんなことに関わりなく(実際カリギュラの恐怖政治が吹き荒れる現在、身分差など何ほどのものでもない)、カリギュラを守るため真正面からケレアに戦いを挑むという意志が感じられます。
そして「これであんたは、敵の顔を見た」と、さらに顔を近づけ、何とケレアの頬(唇の斜め下くらい)にキスをする。これは戯曲には指定のない、舞台独自の演出。
年若いシピオンがあれこれスキンシップされるのは違和感ないんですが、大人の男なこの二人の、実に大人の男らしい会話の締めくくりがこれというのがすごい。
もちろん親愛の情などではなく、直前にわざわざ玉葱を齧っていることからしても、宣戦布告―手袋を投げつける代わりのキスと言ったところでしょう(エリコンが去ったあとにケレアが険しい、ちょっとうんざりしたような表情でキスされた後を手で拭っているので、彼はエリコンの意図を正確に理解したものと思われます)。
ただ睨みつけるだけでなく、指を突きつけるとかでもなく、キスという形を取ったことで、エリコンの皮肉っぽい人柄を表し、かつこの二人の関係に存するエロティックなニュアンス(敵意とは相手に強く関わろうとする意志なわけで、それ自体エロス的)を表面化させる効果をあげています。
・第一の貴族はカリギュラのダンスを美しいと言ったことについて、ここは「嘘の臭い」がすると「悲しげに」言う。
カリギュラが、つい少し前にはエリコンが、平気で嘘を並べ立てる貴族たちへの反感を露にしていますが、この台詞を聞くと皆が嘘に不感症というわけでもないらしい。
しかしそれを受けて老貴族は「ある意味、美しかった。」とあの発言は満更嘘ではなかったと主張する。これはケレアのような心にもないレトリックではなく結構本気でそう思っているんでは。
ダンスを美しいと思ったか訊かれたときも第一の貴族は答えるのを(嘘をつくのを)しばしためらったのに、彼は「感謝にあふれ」第一の貴族の発言を肯定していた。口に出す事で自己暗示をかけてしまい、嘘が本当になってしまうタイプの人間のように思えます。ケレア言うところの「嘘といわれても、そうと知らずについている」状態なのではなかろうか。
これだと嘘をついたことへの良心の咎めもないわけで、第一の貴族やケレアの態度と比較すると、年を取っているほどによりたちの悪い嘘吐きに、より狡猾になっていってるということなのでは。
・第三の貴族の処刑を命じたカリギュラは、「そなたが充分に人生を愛していたなら、これほど不用意にそれを賭けたりはしなかったであろうに」と言う。これはカリギュラが人生を愛していればこその台詞なんではないか。
この後まもなくカリギュラはケレアたちに討たれるので、第三の貴族は運が良ければ命拾いできたかも。
・セゾニアに自分が血を吐いたの死んだのと嘘を言わせて貴族たちの反応をうかがうカリギュラ。
第四幕に入ってからのカリギュラは、(ヴィーナスと比べても)安っぽいパフォーマンスといい、この貴族たちを試す態度といい、ささやかないたずらを仕掛けて喜ぶ子供のようです。「静かにしろ。ケレアが来た。」と言って姿を隠すあたりや「ふん!失敗だ!」という台詞などは特に。
論理の追求を目指したカリギュラの気力がここ最近で急激に崩れてきている。上でケレアを「理論倒れ」と書きましたが、カリギュラのやってる事も壮大な理論倒れですからねえ。
・「カリギュラが死んだわ!」とハンカチを顔にあて大げさに泣き崩れるセゾニア。
いかにもお芝居くさい仕草や声に逆に笑いを誘われてしまいます。いきなりすぎて説得力ないしなあ。
・カリギュラが死んだと聞いた第一の貴族は呆然と「あり得ない、さっきまで踊っていたのに」。それを受けたセゾニアが「そうなのよ。それが命取りだったの」。
踊りの内容がアレなだけに何だか笑ってしまいます。
・カリギュラが出て行ったあと、セゾニアはケレアや老貴族にカリギュラの苦しみを激しい口調で語る。さっきまでカリギュラに頼まれてしょうもない芝居を演じていただけに、この態度の変化は唐突に見える。
それは先に珍しく感情的にケレアに迫ったエリコン同様、カリギュラの死が着実に目の前に迫っていること、カリギュラ自身がケレアたちを煽ってその時期を早めているように見えることへの不安と苛立ちなんじゃないからくるものかと思います。
・「魂をこれっぱかりも持っていない連中はみんなそうだけど、あんたたちは、魂のありすぎる人に我慢できない。魂がありすぎる!それが厄介なのよ。」とセゾニアはケレアや貴族たちをなじる。
ここでいう「魂」とは傷つき悩み苦しみ続ける繊細さとその苦しみの源を憎み立ち向かおうとする情熱を合わせ持つ精神を意味している。
魂のある人間はその繊細さ純粋さのゆえにもろもろの不合理に「折り合いをつけ」ることができない。「折り合いをつける」とはよく言えば賢くなったということだが、悪く言うならそれだけ精神が鈍って不純になったということでもある。
貴族たちがカリギュラを抹殺しようとはかるのは、カリギュラが物理的に彼らの命を脅かすからばかりでなく、自分たちとは別の理に生きるカリギュラが異質であるゆえ―そして世の不条理に妥協した自分たちの卑小さを突きつけてくるがゆえ―である。
それがこのセゾニアの台詞から見て取れる。
(つづく)