もっとも平野は平野で自分も覗き見しようとして、貞四郎たちが来るとことさら痛がって見せてたあたり、単に同情を引きたくて怪我人ぶってるぽいので、どっちもどっちというか。
・皆の予想(期待)に反しておさえの目的は「盲木の浮木、優曇華の花」の意味を確認することだった。そもそも宗左があのメイクをしてる時点でロマンスを期待したのが間違っている気もするんだが。
しかし「早く押し倒しちまえよ」って、皆が二人をくっつけたがってるようなのが意外。
おさえさんあんな美人なんだから長屋中が狙ってそうなのに。みんな若いおのぶちゃん狙いなのか?
・「盲木の浮木、優曇華の花」の意味を知らない宗左。武家の出で手習い師匠もやってるわりに物を知らないな(笑)。
そしてやはり武士の平野はともかくあの芝居の台本を書いた人間(ノベライズによれば重八)の意外な教養に驚く。さすが代書屋。
・いざ仇討ち芝居の本番。おさえの「盲木の浮木~」の台詞まわしが、いかにも「意味わかってないんだな」という感じなのが上手い。
しかし助太刀にやってきたお侍たち、あのメイクの宗左を見てよくお芝居と気づかないもんだ。美人の後家さんにいい格好見せたさで頭がいっぱいだからか?
(←ノベライズを読むとこの侍たちは鈴田ら赤穂浪士の変装。仇討ちを茶化すような芝居をする彼らが気に入らず、邪魔に入ったのだそうです。全然気づかなかった・・・)
・脱兎のごとくに逃げまくる宗左。軽快なテーマ音楽とあいまって実にテンポの良い楽しい場面。
孫三郎の今さらな「ちょっと待ったー!」や、宗左が駆け抜けていった側でどこ吹く風といった面持ちで団子を食べてる貞四郎がいい味。
宗左の長屋の戸の張り紙に「にげあし」の文字(+足型)が書き加えられるというオチまでが実に無駄のない見事さ。
・貞四郎は、宗左が首尾よく仇を討てる方法をあれこれ提案してみせるが、一見たきつけるような言葉とは裏腹に、彼は宗左が内心に抱いている仇討ちへの逡巡をよりはっきり自覚させることで遠まわしに仇討ちを止めようとしてるように思えます(ノベライズだといろいろ内心の計算があるんだそうですが)。
直後に「おまえさてはあの美人の後家さんに惚れたな?」とからかってみせるのも、軽くふざけたふりで上手く相手の心を掴む彼なりの手管なのでは。勝手に「この後家殺しが~」と盛り上がり、あまつさえ「ごけごろし」と紙に書こうとするのが笑えます。
結果的に、以前に宗左が貞四郎に関連して「ふみたおし」と進之助に文字を書いてみせたことへの「復讐」になってるし。
・縁日で金沢の一家を見かけた宗左は、ひょっとこの面で顔を隠してそっとやり過ごす。
本来追う立場の宗左の方が顔を隠すという逆転。すぐ前の場面で貞四郎に突っ込まれた「仇討ちできない本当の理由」の解答がここで再び描かれる。
この前後のシーンで一緒にいるおさえ・進之助はやはり夫・父を失くしており、宗左自身も父を失った息子である。それだけに父の仇を憎みながらも残される妻子の気持ちを思わずにいられない。そんな複雑な心情をあえて剽げた面で包んでみせる。
宗左の正面で回る風車、後ろをスローモーションで行き過ぎる金沢一家の見せ方、面を外した後金沢を見送る宗左の表情などなど、切々とした日本的情感に満ちた、この映画で一番好きな場面です。
・宗左の叔父・庄三郎(石橋蓮司さん)が進之助を宗左の隠し子だと誤解する展開。
年齢の矛盾などものともしない思い込みっぷりが笑えますが、確かに宗左を甘えるように見上げる進之助といい、当然のようにお茶を入れてくれるおさえといい、どう見ても夫婦親子だものなあ。
・庄三郎の登場を機に宗左は久々に里帰りすることに。庄三郎の一種武家らしからぬさばけた人柄は、郷里の生真面目な人々(宗左の母親・弟)といいかげんな長屋の住人のちょうど中間といった感じで、江戸編と松本編の橋渡し役にふさわしい。
しかし「なか」(=吉原)という言葉は若い観客に通じたろうかとちょい心配。
・おさえが「筆」の意味を勘違いしたことからどんどん広がってゆく誤解(笑)。おのぶちゃんの話が出たあたりで宗左が小刻みに首を横に振ってるのが可笑しいです。
この一連のシーンは宗左の表情の変化(最後は肩を落として諦めモード)が楽しい。岡田くんの力量を感じた箇所。
・父親の法事のため松本へ。宗左の月代姿は別人のようで、一瞬「誰?」と思ってしまった。
松本の景色は一面の緑といい、透き通る湖水といい実に色鮮やかもしくは透明感に満ちて美しく、薄汚い長屋の情景と見事なコントラスト。
・宗左のもう一人の叔父・庄二郎(南方英二さん)の大仰な喋り方や扇子で宗左の肩を打つ所作がいかにもな時代劇調。
現代劇とあまり言葉の変わらない江戸編とは雰囲気が全然違っていて、裃でしゃっちょこばってる宗左が実家でありながらいかにも居心地悪げなのが強調されている。
・道場で門弟たちに武士の心構えを説く宗右衛門(勝地くん)。発声にやや(時代劇としては)甘さがあるものの凛として通る声は堂々たる若武者にふさわしい。
出番が短いわりに長台詞が出てくるのは、勝地くんの声質を買ってのことかな、と欲目気味に思ったりします。
・父の墓へ向かう青木兄弟。この二人、並ぶと勝地くんがえらく背が高く見えて驚いた。「フレンドパーク」を見たときも「172cm(当時の公式データ)より高いんじゃ?」と思いましたが、それをここでほぼ確信。
ちなみに岡田くんはわりにバタ臭い顔立ちなので月代があまり似合わない。月代の伸びた、よれた着物姿はよく似合っているのに。
対する勝地くんは和風の顔立ちなので武士らしい装い(着崩さずにぴしっとした感じ)が様になる(まあ彼も前髪立ちもしくは『里見八犬伝』の時みたいな月代なしの方が似合いそうですが)。
岡田くんを宗左に起用したのはそのバタ臭さ―武士らしさが似合わない感じを狙ったんじゃないでしょうか。そして勝地くんを弟役にしたのは対照的に若武者らしい風貌でもって、宗左の武士らしくなさを際立たせるためだったんでは。
・金沢の一家に同情する発言をして宗右衛門の怒りをかってしまう宗左。
松本藩、武家社会という枠組みから離れて、長屋の人々と交流し、金沢親子の暮らしも垣間見た宗左は、武士としての視点からしか物を見られない(宗左もかつてはそうだったろうし、今でもその名残りを引きずっている)弟よりはるかに広い視野を持てるようになっている。
もし江戸に出てきたのが宗右衛門のほうだったら、石頭でなまじ腕にも覚えのある彼は長屋の住人や金沢親子にどう対処していた(するようになった)だろうか・・・。
・早朝から藁人形を仇に見立てて稽古に精を出す宗右衛門と母親。とくに老母は気合からしてヒステリック。
武家の息子と女房のあるべき姿を体現したかのような二人を冷めた目で見つめる宗左は、すでに武士として生きることから心が離れているのがわかる。
・「仇討ちだけが親孝行ではないでな」と話す庄三郎。
実際、父親が不慮の死を遂げることがなければ、長男の宗左が道場を継ぎ、次男の宗右衛門は冷や飯食いだった可能性が高い。宗左の腕の立たなさと宗右衛門の腕の立ち方を思えば、宗右衛門が父の跡を継いで道場主になる方が明らかに本人たち及び門弟たちのためになる。
宗左が江戸に出たことである意味誰にとってもいい形になっているわけで、今さら宗左が故郷に帰っても迎える側も当惑するだけだろう。
ラストで宗左は表向き見事仇を討ち果たしたことになってしまったが、どうやって江戸に残る理由を作るのだろう。故郷に凱旋するのが当然だし、平野など彼にくっついての仕官をあてにしているし・・・。ちょっと心配。
・五代綱吉政権を象徴するようなお犬様の姿。
「俺だって立派な生き物だぜ。もうちっと優しくしてほしいもんだよな。」という台詞は笑いどころのようでいて、犬が(結果的に)人間より優遇される社会のいびつさを言い当てている。
時代の閉塞感を伝えるこの場面が挿入されたことで、以降の物語に微妙な陰影が加わったのでは。
・河原でのそで吉とおのぶ(田畑智子さん)の会話。ここでおのぶがそで吉にほのかな恋心を抱いていたことが明らかに。
思えば強気だけど初心なおのぶのような娘は、ちょっと悪くて影のあるそで吉みたいな男に惹かれるのは必然かも。
子供たちが流した葉っぱの舟が、一つは流れてゆき一つは石にぶつかって止まる。結局は擦れ違ってゆくのだろう二人の行く道を暗示する演出。
音楽も水の透明感もおのぶの淡い慕情に似合っていて、とても好きな場面の一つ。
このシーンに始まるそで吉をめぐる恋模様のサイドストーリーは、宗左を核に据えた本編からやや浮いてしまってる感は否めないのですが、宗左とおさえが天然同士だけに恋人未満のままエンドマークを迎えてしまうので(あの二人はそれでいい)、やさぐれたフェロモンをふりまいているそで吉を中心に、かたや初々しい少女の恋、かたや大人の男女の悲恋を描いたことで、作品全体に「艶」がもたらされたように思います。
・長屋の井戸替え。進之助に誘われて宗左も武士であるにもかかわらず参加する。
故郷に戻ったさいに剃った月代が半端に伸びてるのも合わせ、宗左が武士らしさから(嬉々として)逸脱してゆきつつあることが示されている。
故郷にいた間は重苦しい空気を漂わせてにこりともしなかった宗左の生き生きした笑顔が眩しい。
・大家の新しい女房おりょう(夏川結衣さん)登場。
そで吉と彼女のわけありげな様子を見て、勝手に二人の会話をアフレコする長屋の連中に笑う。思い切りふくれっつらのおのぶちゃんもキュート。
・そで吉とおりょうの会話。かつての恋の余焔をくすぶらせながら、相手への負い目や恨めしく思う気持ちもあるゆえに、つい毒を含んだ言葉ばかりを吐き出しつつ互いの心を探りあうような態度を取ってしまう。
二人が離れてから過ごしてきた時間の重みと苦味が濃厚に漂ってくる。
・朝っぱらから父親の「糞」の悩みを聞かされつつ食事を取るおのぶ。
彼女が不機嫌なのはもちろんそで吉とおりょうの仲が気になるからでしょうが、同時に、しどけない大人の女の色香に満ちたおりょうに比べて、ボロ長屋で下世話で猥雑な日常に浸かっている自分が虚しく思えたためでもあるのでしょう。
おりょうに言わせれば、そうやって子供らしい怒りや不満、憧れを持っていられるうちが華なんでしょうが。
(つづく)