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俳優・勝地涼くんのこと。

『この胸いっぱいの愛を』(2)-3(注・ネタバレしてます)

2007-02-16 23:07:16 | この胸いっぱいの愛を
・比呂志も布川もナイフを刺されても無傷だが、まわりの人や物に触れるので霊体というわけではない。しかし飛行機墜落時に(布川は)自分の体が燃え上がるのを体験してる(はずな)ので、タイムスリップ直前に肉体は消滅しているはず。
つまり肉体ごと転移してきてるわけでもない。魂が時間を超えたときに死を自覚していない精神によって仮の肉体が作り出されたが、すでに一度死んでいるので再度の死は無効となる、という感じでしょうか。それだとなぜ手に傷がつかないかの説明にはならないか・・・。

・和美が保さんの実子でないという設定はどんな意味があるんだろう。二人の間に色っぽい雰囲気は何ら発生していなかったし・・・?
保さんが生涯独身であった可能性→若い頃の想い人椿さんを今も忘れられないことを匂わせたかったのかな?

・病院で手術を受ける受けないで比呂志と和美が言い争う場面。穏やかな性格(和美に対してはとくに)の比呂志が怒鳴っているだけに、好きな人が死にかけていることへの動揺、自分がすでに死んでいることへの動揺がよく伝わってきます。夜の駅での比呂志VSヒロに続く感情のぶつかり合いが痛々しい演技合戦。

・「お前は俺なんだから、俺のやろうとしていることを応援してくれるよな」というモノローグ。
和美を救って心残りを果たせば自分は消えてしまう。そうすれば自分を慕ってくれているヒロに寂しい思いをさせることになる。でもヒロならわかってくれるはず。そういう意味の台詞でしょうが、もう一つ別の意味もあるように思うのです。
十か条の約束の十番目、ノベライズでは「飛行機に乗らないこと」だったのが、映画では「絶対にあきらめないこと」になっていました。ノベライズではこの約束を守ったおかげで改変された(和美が死んでいない)世界に生きる30歳のヒロは事故死を免れるのですが、映画では30歳のヒロはやはり飛行機に乗って命を落とす。
なぜ比呂志はノベライズのように「飛行機に乗るな」と教えなかったのか。比呂志が十か条目を書き加えたのはまだ死を自覚する前だったようですが、あとから訂正ないし追加して十一か条にすることもできたはずなのに。 
これはおそらく映画とノベライズでタイムパラドックスの考え方が違っているためでしょう。すなわちノベライズが「和美が生き残った世界はパラレルワールドであり、30歳になったヒロがタイムスリップしようとしまいと彼女の命には影響しない」という考え方を取っているのに対し、映画では「和美が生き残った世界と元の世界は同一(歴史が書き換えられた)で、比呂志=ヒロがタイムスリップして和美に会わなければ彼女は死ぬ」のが前提になっている。
世界に矛盾をきたさず和美の生命を確保するには成長したヒロがタイムスリップする必要があるが、それはそのまま彼の死を意味する。和美を救おうとすればヒロを見殺しにしなくてはならない。
逆にヒロが飛行機に乗らなければヒロは助かり、それは比呂志自身が助かることにもなる(その場合比呂志がタイムスリップしてしまった「この世界」はなかったことになるのだろう)。
それを比呂志はよくわかったうえで、今の自分が「命と引き換えにしても助けたい」和美はヒロにとっても同様の存在だと考えた。だってヒロは自分なのだから。
自分=ヒロの命と引き換えにしてでも和美を救うことを「絶対にあきらめない」。それが十か条目およびこのモノローグの意味だったんじゃないでしょうか。
個人的には映画の解釈の方が好きです。こちらの設定の方が、自分自身でありながら他人でもあるヒロ(別の肉体を持って目の前にいる人間を自分と同一の存在とは見なしにくいだろう)をも犠牲にすることにためらいつつもあえてそれを選択する比呂志の姿に、和美への愛情とヒロとの強い絆の双方を感じ取ることができるから。

・「人生最後のお願い」、これレトリックじゃないからなあ・・・(泣)。

・ラーメン屋で思いがけず再会した母親を見つめる布川の表情。
布川は眉根を寄せ目を細めた「はぁん?(文句あんのかよ)」てな表情をしてることが多く、いわば勝地くんの「目力」が封印されている。それだけにこの再会シーンのように相手をまっすぐ見つめる場面のインパクトが大きくなっている。

・「わかってる、あんたいい人だもの。あたしにはわかる」。お母さんの口調が案外蓮っ葉。
先に「登場人物の性格づけが一捻りしてある」と書きましたが、不本意な妊娠、それもレイプによって出来た子を万難を排して産もうとする女性をあえて「聖母」キャラにしてないのが興味深い。逆境に耐え続けるお母さんの気丈さを表したものでしょうか。

・子供を生まないよう説得する布川。がんがん怒鳴ってるのに哀願するような声音、縋るような目。 亡国のイージス』(2)で勝地くんについて「見る者の視線をふっと引きつけてそのまま放さないような」と書きましたが、この場面は「ふっと引きつけ」るどころかぐいぐいと引っぱられてるような気がしました。引力というより重力。低めの声の力による部分も大きいかも。こういう場面こそ彼の真骨頂だなあと思います。

・「俺、あんたの子供に生まれてきてよかったよ、母さん。」 
もともと布川をタイムスリップに導いた「強い想い」は「お母さんに会いたい」というより「自分は生きる価値のある人間なのか、自分を必要としてくれる人などいるのか」という疑問の解答を見つけること、誰かに「私はあなたを必要としている」と言ってもらうことだったと思うのです。「誰か」たりうる確率が一番高かったのがお母さんだったからこそ、彼女に会いたいと願った。
そして聞きたかった答えを言葉でなくお母さんの生き方そのもので見せてもらった布川は、「自分は生きていていいんだ」と悟ることによって安らかな死に至る・・・。皮肉であるゆえにとても哀しくて、とても美しいシーンです。

・臼井さんの後悔の内容が・・・。他の三人に比べてあまりに軽いようですが、こういった一見ささいな出来事がいつまでも針のように心に突き刺さっている感じは理解できます。逆から見れば、これ以外には取り立てて大きな後悔のない、案外順風満帆の人生だったんでしょうね。
しかし比呂志が火事を未然に防いだように、昔の自分が鉢を壊すのを止めることもできたのでは?・・・謝りたい謝りたいという気持ちが強すぎて、謝らなくても済む状況をかえって思いつかなかったのかも。それもまた臼井さんらしい気もする。最後また鉢を割ってしまうあたりも・・・。

・壇上に上がって渡されたヴァイオリンを見つめ弦を構えた時に和美の表情は一変する。彼女が根っからの音楽家、芸術家であることが表れているシーン。
音大を主席で卒業するだけの実力を持つ和美は、『亡国のイージス』(原作)の表現を借りるなら「触れられないなにかと通信し、己の作品の中に呼び出す才能」のある人間だったのだろう。
これまでヴァイオリンを介して「触れられないなにかに満ちた世界」と繋がってきた彼女にとって、ヴァイオリンが弾けなくなることは、世界との一体感を喪失し無限の暗闇の中に一人取り残されるに等しい。「そんな状態で生きるなら死んだほうがまし」と考えるのも無理からぬところでしょう。

・舞台の裏に走り、後を追ってきた比呂志に真っ先に「こんなんじゃ駄目、全然駄目」「もっと上手くなりたい」と叫ぶように言った和美。
手術を拒絶し死ぬつもりになっていたのは、ヴァイオリンが弾けなくなるから。生きのびる可能性に賭けて手術を受ける決心をしたのはヴァイオリンが弾きたいから。彼女の生きる意志は常にヴァイオリンに繋がっている。
比呂志は和美を「ヴァイオリンゆえに生きようとする」方向に導いたのであって、彼女は比呂志や自分を案じてくれる人たちのために生きようと決意したわけじゃない。12歳の時から全てを賭けて打ち込んできたヴァイオリンのため死の覚悟を覆すところに芸術家の本能が見えて、知り合って間もない男のために生きるつもりになるよりも説得力を感じました。
比呂志も彼女を直接に救えるのはヴァイオリンへの情熱だと知ればこそこのコンサートを仕組んだわけで、ある意味比呂志の恋は片思いに終わったのですね。

・ヒロが比呂志と和美を見守り、比呂志に和美を抱きしめてやるよう目で促してるところに彼の成長がうかがえました。比呂志が消える場面は描かれていませんが、物語の流れ的にここで和美を抱きしめながらふっと消えたんじゃないかなあ。

・再び2006年。比呂志たち4人の遺体が見つかったニュースが電光掲示板に映し出される。ここで初めて布川の下の名前が「あきら」だと知った。普通に「てるよし」と読むんだとずっと思ってました・・・。
よーく見れば喫茶店で比呂志と再会したとき彼の額に押し付けた飛行機のチケットに「ヌノカワ アキラ」って書いてあったんですけどね。

・ヴァイオリン教室で子供を教える和美。なんとかヴァイオリンを弾き続けることは出来たものの、演奏家にはなれず、コンサートの時点での「もっと上手くなりたい!」という望みが叶ったとも思えない。
父親が他界し一人になっても、昔のようにヴァイオリンが存分に弾けるならそれだけで強く生きてゆけたろうけれど、生涯を賭けた道での限界がはっきり見えた状態では、ヴァイオリンだけでは心を支えきれないこともある。
そうして生きづらさが募ってゆくほどに「生きろ」と言ってくれた人の存在が彼女の中で大きくなっていったんじゃないでしょうか。比呂志の想いは20年をかけて報われたのかもなあ、と思いました。

40歳(と書いてしまったんですが、思えば和美は1986年1月時点ですでに音大を卒業してるのだから、20年後に40歳では計算が合わない。DVD付録の小冊子を確認したら和美は1986年時点で24歳。ラスト場面では44歳ですね。どこから40歳という数値が出てきたのか我ながら謎です、すみません)の和美はメイクだけではない年輪、年相応の静かな気品とハンデを背負って生きる日々が醸し出すやつれが感じられて、ミムラさんの表現力に驚かされました。
DVD特典のメイキングからも、役(特にヴァイオリンのシーン)に対する思い入れがはっきりと伝わってくる。和美を演じたのが彼女で本当によかった。家までの階段を昇る場面、床に落ちたみかんを拾う場面も秀逸。

・ヒロ=比呂志の訃報。遺体が布川たちともども他の乗客に遅れて発見されたことからいって、ヒロも比呂志同様タイムスリップしたのだと思いますが、「この世界」では和美は生きているので、「姉ちゃんを救いたい」というタイムスリップの動機が存在しないはず。
思うに、30歳のヒロは比呂志が未来から来た自分であることに気づいてたんではないでしょうか。年を取るにつれ「兄ちゃん」そっくりになってゆく自分。突然現れ、自分の気持ちを我が事のように理解してくれた「兄ちゃん」。(おそらくは)目の前で超自然的に消えた彼は実はタイムトラベラーで、和美姉ちゃんを救うために未来から来た自分自身だった、という発想にヒロが思い至ったとしても不思議はない。
もちろん半信半疑でしょうが、いよいよ「兄ちゃん」そのものの顔になった頃に仕事で門司に行くことになったら、改めて兄ちゃんと姉ちゃんのことが心にかかってきたんじゃないかと。
結果として1986年にタイムスリップした彼は自分の疑いが事実だったことを知り、「兄ちゃん」と同じように命に代えて姉ちゃんを救う覚悟をする――そんな流れだったのでは。

・「意味不明」「タイタニックのパクリ?」と思い切り不評だったラストシーン。塩田監督は和美の独白で終わるつもりだったのにプロデューサーの意向でこの場面を付け加えることになったという製作事情も蛇足感を加えてしまったのかも。
あまりの不評っぷりにDVD化の時に削られてたらどうしようかと心配したんですが、もちろんそんなことはなく、ちゃんと収録されていて安堵しました。この映画の中で一番好きな場面なもので。
このシーン、天国と見なすには空港のお姉さん、喫茶店のマスターなど死んでない(とくに説明はないが死んだとは思えない)人物が存在しているし、比呂志ないしは主要人物誰かの夢と見なすにはここにいる全員と面識をもったキャラクターがいないのがネックになる(たとえば朋恵さんに会った主要キャラは臼井さんのみ)。理屈に合わない、何を示したシーンか判断に困る点が「意味不明」といわれてしまう所以なのでしょう。  
個人的にはこれは「祈り」だと思っています。理屈も整合性も超えて、この物語に登場した全ての人物に幸せであってほしいという強い願い。DVDでのチャプタータイトル「幸福の光景」にもそうした想いが籠められてるように思える。
そこに製作者のキャラクター及び映画そのものに対する「胸いっぱいの愛」を感じて、見返すたびに胸が熱くなります。

・チェスをする椿さんと保さん。それぞれの孫と子供は将棋ばっかりだったのに。彼らの方が年代的にも職業的(民宿の女将、蕎麦屋)にも将棋っぽいのにこのギャップが面白い。

・子供たちに手品を見せてやる臼井さん。影の薄い臼井さんが子供たちの注目の中心にいて楽しそうに笑っている姿がなんだか嬉しくて、「幸福の光景」の中でもっとも印象的でした。実際には大学の講義や講演会で大勢に注視されまくってるんでしょうけど。

・臼井さんと同率一位で印象的だったのがやっぱり布川の場面。実は子供好きの布川(最初に園を訪問したさいの子供との会話にそれがうかがえる。園長室に殴りこんだときも子供を人質に取ろうとはしなかった)が子供たちに囲まれて幸せそうにしているのがとても嬉しかった。
先にも書きましたが、布川は意識的に笑いかけるということをしない。誰もが楽しげに笑っている一連のシーンの中でさえはっきりした笑顔を見せてはいない。
けれどその表情にいつもの険はなく、自然と頬が緩んでいる。彼が穏やかな、優しい心持でいるのが伝わってきて、それが「優しくあろうとする優しさ」ではなく「優しくあるまいとするのに隠し切れない優しさ」を持つ布川にとても似合っていました。
そしてヒロに軽く手を上げて挨拶するとき、初めて彼は「笑いかける」。最後の最後で見せたかすかな、でも確かな微笑みが心に残ります。

上の場面で布川はトレードマーク?のコートを脱いで、フォーマルぽい感じのジャケットを身に付けている(普段からコートの中に着てたようですが)。「(結婚式という)TPOを考えてそれらしい格好をしてみました、でもインナーはチンピラ風シャツのまま」という風情の微妙にツメの甘いコーディネートがなんか布川らしいなあ、と微笑ましかったり。

・バルコニーで口付ける比呂志と和美。建物と天使の格好の子供たちの存在からすると、これは中盤のヒロの妄想結婚式を受けてのシーンであり、「誓いのキス」であるのがわかります。服装はまるっきりカジュアルなのだけど。

2/24追記-誤記を発見しましたので赤字で修正を入れてあります。すみません。 直しついでに一つ項目を青字で追加してみました。


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『この胸いっぱいの愛を』(2)-2(注・ネタバレしてます)

2007-02-14 00:20:37 | この胸いっぱいの愛を
・海沿いを自転車で走る比呂志。看板数個をジグザグによけて最後に一つの看板の回りをぐるりと回って走り去り、そこで看板がクローズアップ、クラシックコンサートの告知ポスターを見せて後への伏線とする。
ただ看板をアップにするのでなく、比呂志の動きを追ってゆく流れで看板に注意を喚起する手法。
特に必然性なくいちいち看板を大回りする比呂志の動きに彼の穏やかな、かつ少しうきうきした気分(散歩がてらわざと回り道をする時のような)が表れている。
とりたててストーリー上の意味のある場面じゃないんですが、ゆったりとした見せ方にこの映画の品の良さ、ふくよかさが象徴されているように思えて、とても好きなシーンです。

・比呂志と布川に後ろから追いすがる臼井さんのへろへろした動き、弱弱しい声、やっと張り上げた「224便!」の声の裏返りっぷり・・・。見事な影の薄さ。名演技!

・臼井さんに空港で会った時のことを覚えてないか聞かれて「悪い、何一つ思い出せない」と答える布川。
ヤクザなんだから「いちいち覚えてねえよバカ!」とでも返しそうなものなのに。さらに「まあそうむくれるなよ」と慰めてまでくれる。「そいつはキツイな」と朋恵さん(倍賞千恵子さん)を気遣うあたりも含め、根本的にお人よしなんですよね。
殺しの仕事をしくじったのも、「二発もぶちこんだ」とはいえ、どこかでためらってしまったせいなんだろうと想像されます。・・・職業選択間違ってるよなあ。

・朋恵さんを同じ飛行機の乗客と気づいて「224便」と話しかける臼井さん。比呂志たちに声をかけた時もそうですが、文章で話しましょうよ(笑)。
相手の目が見えてないのはわかってるだろうに(視線に気圧される心配ないのに)腰引けまくりだし。

・盲導犬の老人ホームへ向かうさい、トラックの荷台に乗る臼井さん。二人乗りだから仕方ないとは言え扱いの悪さに笑う。振動でこけないようにロープを握りながら寒さに震えている姿がまた(笑)。
布川が同じことしてても別に笑えない(比呂志なら多少笑えるかも)と思うので、臼井さんのへにゃへにゃキャラならではの笑いですね。このあともとくに面白いことを言ってるわけじゃないのに行動のいちいちで笑わせてくれます。

・落としたストールを差し出す臼井さんを完全無視の朋恵さん。まあこれは見えてないので仕方ないとして(声かければいいのにそうしないあたりがいかにも臼井さん)、その後も何を話し掛けられても無反応。
アンバーのことで頭がいっぱいだからか、ひとえに臼井さんの影の薄さゆえか。後者だな(笑)。

・アンバーを抱きしめる朋恵さんの心底嬉しそうな表情が印象深い。朋恵さんとアンバーのシーンは短いながらも感動的。そして感激のあまり人のストールで鼻をかむ臼井さんにまた笑わされる。

・臼井さんの感情たっぷりのもたもたした説明に、いつ布川が「もっと要領よくしゃべれねえのかこのボケ!」とか怒り出すんじゃないかとハラハラしてたんですが、意外にも神妙に話を聞いている。顔もうつむき加減で・・・ひょっとして涙ぐんでる? 
と思ったところへ話の続きを促すように一言、
「・・・それで?」(涙声)。 
思わず「布川ーー!!」と(心の中で)叫んでしまいました。何て、何て可愛い男なんだろう。ヤクザのくせして人一倍情にもろくて、一生懸命突っ張ってみせても全然優しさを隠せてなくて。
文字にすれば何でもないたったワンフレーズに布川のナイーブさ、優しさが詰まっていました。
実際布川の優しさや繊細さは台詞(言葉の内容それ自体)レベルではほとんど説明されていない。もし台本を見る機会があったとしても、台詞を文字として見ただけでは布川の良さは半分も伝わってこないでしょう。
演じ手の資質(こう演じてほしいという監督の要求に、台詞の内容に頼ることなくどこまで応えられるか)にものすごく左右される役柄であり、もし勝地くん以外の俳優さんが演じていたら別人ほど違ったキャラになっていたに違いない。
「この」布川輝良はひとえに勝地涼という俳優に負っているのだと気づいたとき、私は「布川ファン」として、布川を布川たらしめた彼に深い感謝を覚えたのでした。

・朋恵さんが消滅した話を聞いて布川が「消えた?」という時の声のトーンが数秒前の「それで?」と全然違う面食らった調子で、ストーリーがそれまでのしみじみモードから謎解きモードへと転換するスイッチの役割を果たしている。

・「状況から演算するに~」という臼井さんの何気ない台詞が、後々彼の正体が明かされた時に伏線だったとわかる。

・「つまりだ」という時の布川の手つきというか指の開きかげんがえらく可愛い。その後の二本指を伸ばしたところも。
この場面以外でも布川はときどき人の話に割って入ることがあります。結構オレ様。まあヤクザですからね(笑)。

・にわかに態度が偉そうになり「ボケ!」を四連発して去ってゆく布川。思うにうっかりと涙なんか見せてしまった失点に気づいて照れくささの反動でつっぱって見せてるのでしょう。
いつのまにかすっかり布川に警戒心をなくしていたらしい比呂志と臼井さんがにわかに後ずさってるので効果はあった模様。

・園長室に乗り込んでいきなり「なぜあいつを辞めさせた!」とせまる展開はちょっと唐突。前回みたいに金網ごしに園児に「今日は布川先生の姿が見えないけど休みか?」と確認するシーンがあれば違和感なかったんだけど。
園長(古手川祐子さん)からほとんど目をそらさぬままペン立てからペンを抜き取り保母(最初布川母の勤務先は保育園かと思ってこう書きました。その後DVD付属の小冊子を確認したら幼稚園となっていたので、保育園前提で書いた部分は全部修正したんですが一ヶ所残っちゃってました。「保母」じゃなくて「先生」ですね。すみません)に突きつける動きが滑らかで本当に「プロ」みたいなのに感心。

・あからさまにチンピラな若者が先生を人質に怒鳴り込んでくるという異常事態にもかかわらず、怯えた様子を見せず堂々と応対する園長先生。
いろいろ修羅場もくぐって度胸を身に付けた人なのでしょうが、それ以上に、目の前の青年は態度は最悪だけれど本心から「布川先生」を案じている、根っから悪い人間ではない、と看破してたんじゃないでしょうか。おそらく「レイプ犯人が前非を悔いて彼女のその後を気にかけている」という解釈だったとは思いますが。

・園長の口から自身の出生の秘密を聞かされショックを受ける布川。「・・・なんで?」と問いかける時の声が先の「・・・それで?」同様涙声ですが、状況が状況だけに、前回にはなかった悲痛さが声の掠れの中に溢れています。「なんで?」という幼い口調もあいまって、傷ついた子供のよう。
そして表情や声以上に彼の懊悩を伝えていたのが手。頭を抱え、ついで髪をぐしゃぐしゃと掻き回す仕草が何とも痛ましい。

・ヒロが比呂志におにぎりを運んでくる。話しかける声にも最初のようなとがった感じがなく「おまえ」呼ばわりされても怒る様子もない。
自分の気持ちを不思議なほど理解してくれる、同じ感性をもっている比呂志をいつか慕うようになっているのがわかります。

・将棋を指しながら同時に鼻をさわるヒロと比呂志。これもベタだけど、ベタだからこそ微笑ましい場面。

・「十か条」をヒロが一つ読み上げるごとに、後ろからぎゅっと抱きしめるようにする比呂志。頼りなげな比呂志の包容力を感じさせる場面。
メイキングでの富岡くんと戯れている様子、オフィシャルフォトブックなどで勝地くんが(嬉々として)話していた「行儀の悪いことをした時伊藤さんに注意された」エピソード(これを読んで私の中で伊藤さんの株が急上昇しました)などからすると、伊藤さん自身も父性を感じさせる人みたいですね。

・「どけよ」(台詞の言い方が実に良い)と座っている比呂志を足で押しやって歩き去るヒロ。ヒロの可愛げに満ちた生意気っぷりと、そんなヒロを「頑張れよ、おれ」と呟きつつ見守る比呂志の暖かさが光る場面。
この二人、和気藹々の場面でも言い争っている時でも、すごく心が通じ合っている感じがします。メイキングから窺われる伊藤さんと富岡くんの仲の良さが反映しているのかもしれません。

・夜の駅での比呂志とヒロ。もっと短くテンポよくまとめることも可能だったシーンを、あえて長く見せることで二人の心の葛藤をしっかり丁寧に描いている。
何度も何度も比呂志につっかかっていくヒロ。その苦しみを正確に理解して彼を受け止め事態に立ち向かう勇気を与えようとする比呂志。そんな彼らの演技合戦は見応えがあります。

・「ごめんなさい」をくりかえすヒロの手紙。内容を読みあげるモノローグ?のヒロの声の悲しげな響きが胸にせまってくる。
そういえば先にお母さんに書いた手紙も、内容は明るい(実は嘘だらけ)ものの読み上げる声はやはり弱弱しい感じでした。文章にすると日頃強気にふるまっているヒロの繊細な部分が素直に表れやすいのかも。

(つづく)

2/24追記-誤記を発見したため、該当部分に赤字で修正を入れました。すみません。


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『この胸いっぱいの愛を』(2)-1(注・ネタバレしてます)

2007-02-10 23:11:09 | この胸いっぱいの愛を
・冒頭、空港のシーン。友人?に電話で「下手でもいいから手紙を書いて気持ちを伝えろ」とアドバイスする比呂志。のちにヒロに和美あての手紙を書くよう促す場面の伏線ですね。この時の電話の相手は比呂志の「遺言」を守ったでしょうか・・・。

・山のような駅弁を食べる比呂志を見て頬を軽く引きつらせる布川。勝地くんのこんな表情、他で(役でも素でも)見たことないです。あまり行儀のよくない仕草はヤクザ者の布川ならでは。

・二十年ぶりに祖母の家を訪れる比呂志。門司の町並みもあいまってしっとりとした雰囲気のところにヒロの登場で、「俺かよ!?」。ちょっとコミカルに後の展開に期待を持たせたところでタイトルへという流れが上手い。また黒地に金粉が舞ってタイトルを描く演出、同時に流れるヴァイオリンの音色の優しさが心に沁みる。

・布川はよく比呂志を発見できたものだ。たまたま入った喫茶店で機内で印象に残った顔を見つけたということでしょうか?DVDの未公開シーン集に臼井さんがこの喫茶店で二人を見つけるシーンがあったのを思えば、この店には何か未来の人間を惹き付ける要因があるのだろうか。双子のマスター?の演出も謎。

・海辺での布川の第一声がやたら低いのに驚く。怒鳴る場面が多いせいか、布川はいつもよりやや低く太い声で演じている印象。もともと勝地くんの声質は大好きなのですが布川はまた格別。低く渋いのによく通る若々しい声。私が布川に「男」を感じるのは、この声による部分が大きい気がします。

・「この果てしない青空」「この砂粒一つ一つが2006年のものじゃねえ」。詩人だな布川・・・。普段はそういうロマンチな部分は出さないようにしてるんでしょうが、タイムスリップという異常事態に内心動揺してつい「地金」が出てしまった模様。

・沖の方に見える船を「イージス艦?」と思った勝地くんファンは少なくないはず(笑)。伊藤さんファン的には海上保安庁の船らしいですが。

・母の写真を眺めつつ近況?を語る布川。母親会いたさでタイムスリップした彼ですが、おそらくは日頃から母親のことを絶えず考えていたわけではないでしょう。家に学校にもいたたまれずヤクザの世界に入ったものの、仕事をしくじったために処刑されるはめになった。ここにも居場所はなかったと痛感し、自分を必要としてくれる人などいるのかと思い悩んだ時に、命をかけて自分を産んでくれた母親の存在が心の中で急速に膨らんでいったのでは(飛行機の目的地が故郷門司というのもあったと思う)。

・砂浜に突きささっている赤い杭?に思わず『さとうきび畑』を思い出してしまった。

・椿おばあちゃん(吉行和子さん)に「聞いてんのかヒロ!?」と叱られて同時に「はい」と答えてしまう比呂志とヒロ。ベタなんですけど、くすっとさせられる微笑ましさ。

・火事未遂はおばあちゃんのためにケーキを焼こうとしたゆえの失敗だとヒロをかばう比呂志。「聞けば~」と前おきして話し出すけれど、実際はヒロから説明など受けてないのが、ヒロの「何で知ってるんだ?」という表情からわかります。この場面に限らず、ヒロは台詞なし・表情のみで気持ちを表現する場面が多く、ヒロ役富岡涼くんの表現力に驚かされました。

・ヒロに「いつまでいるんだよ」と問われた比呂志の長い沈黙。いつ元の時代に戻れるか知れない比呂志の心許なさが伝わってきます。

・4時起きで風呂掃除。従業員として雇われた比呂志はいいとして小学生のヒロまで一緒に掃除をさせられている。10歳の子供にちと厳しすぎる気もしますが、一時的にもせよ母と離れて過ごさねばならないヒロに自立心と生活力をつけさせようという椿さんの愛情なのでしょう。

・和美姉ちゃんと将棋盤を囲む比呂志。将棋のコマを取るさいに二人の手がたびたびわずかに触れ合うのが、ほのかなエロティシズムを醸し出している。

・椿さんから「死んだ旦那の隠し子に違いない」と疑われる比呂志。「違いない」というあたり、かなり浮気性な人だった模様。椿さんはきっとたくさん泣かされたのでしょう。そして泣いている彼女を保さん(愛川欽也さん)が慰めたり・・・。「保さんは昔椿さんを好きだったらしい」という設定があるだけに、そんな二人の歴史をふと想像してしまいました。

・幼稚園の金網をよじ登って子供に話しかける布川。優しさを隠してひたすら突っ張っている布川は他人に意識的に笑いかけるシーンが一度もない。ここでも子供に愛想笑いをしたりはしないのですが(ノベライズでは凶悪な愛想笑いで子供に引かれてるけど)、その代わり呼びかける時の声は明るく優しい調子で、「布川先生のこと、どう思う?好きか?」とあからさまな誘導尋問(笑)をして子供が頷くと「・・・そうか」と口元を緩める。この「好きか?」の言い方にも子供が何て答えるかちょっとドキドキしてる感じが窺えて微笑ましい。意識的に愛想を振りまいているわけではなく、つい言葉つきや表情に人の好さがにじみ出てしまう。優しさを捨てようとして捨てきれない布川の暖かな人間性、まだ見ぬ母への慕情がよく表れています。

・布川のお母さん(臼田あさ美さん)登場。母を見る布川はこれまでにない真摯な眼差しを見せている。以前「お母さんと布川の唇と顎のラインがそっくり」という指摘を読んだことがありますが、言われてみれば!

・比呂志の回想。雨の中、母を乗せて去る車を見送って振り返る時の表情がなんとも言えず痛ましい。肩を強張らせているのが、モノローグにもあるように、孤独と悲しみを一人黙って背負い込んで、その重さに懸命に耐えているのをうかがわせます。またそんな比呂志(ヒロ)を黙って見守るおばあちゃんの姿にも厳しくも深い愛情を感じます。

・この作品でヴァイオリンについで小道具として活躍する将棋セット。一人で将棋を打つヒロの姿は彼の孤独をごく端的に伝えている。

・ヒロと和美の出会い(正確には再会)の場面。昔一緒にお風呂に入ったことがあるとか、ヒロが和美の胸元に視線をやっているところへ「お礼に教えてあげる」発言とか、下品にならない程度に色っぽい雰囲気を持たせて、少年期の初恋のときめきを上手に演出しています。「お礼に~」に対し「・・・何を?」と返すヒロの口調もどきまぎした感じ(何を想像したんだ)。富岡くん上手いなあ。

・想像の結婚式。新郎新婦がヴァイオリンを合奏する場面はすごく絵になっていて、なんか憧れてしまった。これを真似るカップルが出るんじゃないかと思ったものです。

(つづく)


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『この胸いっぱいの愛を』(1)

2007-02-08 00:08:19 | この胸いっぱいの愛を
2005年10月公開の映画。評価は賛否両論のようですが、個人的にはかなり好きな作品です。
門司の町並み、ヴァイオリンの音色、BGM、画面の色調、作品を構成するもろもろが、ゆったりとした優しさに満ちた雰囲気を生み出していました。
公開終了から大分経った頃、監督かプロデューサーかが雑誌のインタビューでこの映画について「品のある映画を作りたかった」とコメントしていたのを読みましたが、まさにそんな感じ。

登場人物の性格づけが一捻りしてあるのも特徴で、
頼りなさと包容力が自然に同居している比呂志(伊藤英明さん)、
「憧れのお姉さん」「不治の病」「音大生(卒業してるけど)」と三拍子揃いながらいかにもな儚げな女性でなく強気な姉御肌の和美(ミムラさん)、
実に弱弱しく影が薄いのにラストで意外な正体がわかる臼井さん(宮藤官九郎さん)、
友達のいない孤独な少年というからもっといじめられっ子タイプかと思ったら口が悪く負けん気の強いキャラだったヒロ(富岡涼くん)、
そして若くして極道の世界に生きながら根はナイーブでロマンティストのヤクザ・布川(勝地くん)。 

映画同様、勝地くんの評価も賛否両論、というか「何あのヘタクソ」から「彼の演技に泣かされた!」まで見事に真っ二つ。
思うに彼の「一生懸命つっぱってるんだけどいかにもヤクザが板につかない感じ」を、そのまま「ヘタ」と取るか「ヤクザが板につかない男の役なんだからあれで良し」と取るかが評価の分かれ目でしょう。
『この胸~』オフィシャルフォトブックの勝地くんインタビューを読むと後者が正解なのがわかります。
勝地くんグッジョブ、いやむしろ彼の資質を見極めてこの役に起用した監督グッジョブというべきでしょうか。
ヤクザという役柄上布川はガラの悪いキャラにならざるを得ないが、そのために作品の品性を落としたくはなかった、だから言葉が悪くても怒鳴りまくってても下品にならない役者を選んだのだろうから。
しかしそもそもなぜヤクザを出そうと思ったのだろう?原作(梶尾真治『クロノス・ジョウンターの伝説』)の布川は別にヤクザじゃないし(というより名前と男前設定(笑)以外全くの別キャラ)。  

そして、もともと人柄に惹かれて勝地くんのファンになった私が、「俳優・勝地涼」に惚れ込んだのがこの作品でした。
『イージス』は彼を見た最初の作品だけに、自然に「勝地涼=映画版如月行」の図式が頭の中に出来上がってしまったので、演技として上手いのかどうか当初はもひとつ判断不能だった(他の出演作品もいろいろ見た後にDVDで見返して、「やっぱり上手かったんだな」と改めて思いました)。
『さとうきび畑』はつくづく名演技なんですが、それだけにかえって随所で「勝地くんすごい!」になってしまった、平山昇でなく勝地涼を見ていた部分があった(彼目当てで見たのだから当たり前っちゃ当たり前)。

けれど『この胸~』では布川輝良というキャラクターに惚れた。 
個人的に勝地くんに「男」を感じたことはほとんどない(役にも本人にも)のですが、布川は「男」だった。めちゃめちゃ青臭いんだけれど、確かな男の匂いが感じられた(これで撮影当時18歳とは!)。

布川にはまるきっかけになったのは中盤に出てくるある台詞。文字で見れば何でもない台詞なのですが、そこには布川という男の全てが詰まっていた。
そして布川に魅了されると同時に、たった一言、正確には台詞を発する声のトーンで、布川の人間性を表現しきった勝地涼という俳優の力量に感銘を覚えずにいられませんでした。 

私はここから勝地くんファン道の第二ステージに進んだような気がします。その意味でも非常に印象深い作品です。

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