ネーナ・トリニティ(+兄兄ズ)
チーム・トリニティ=トリニティ三兄妹の末っ子。機体は戦闘支援向けのガンダムスローネドライ。赤い髪とそばかすがチャームポイントの小悪魔的な少女。
チーム・トリニティは登場時こそ三国家群の大物量作戦の前に撃破される寸前だったガンダム4機を救うという頼もしい味方風だったが、彼らの機体のデータがヴェーダには記載されていない謎の存在であることとプトレマイオスチームを見下すような態度から、たちまち関係が悪化するに至る。
ネーナは最初に助けたのがたまたま刹那だった縁もあってか、直接顔を合わせるなり彼にキスするなど妙に刹那を気に入っている。基本的には子供っぽく陽気だが、思い通りにならない時にはぞっとするような酷薄な表情をのぞかせる。むしろ子供っぽい―精神的に未成熟だからこそ万能感にあふれ狂暴的・自己中心的というべきか。
この自己中心性と狂暴性は次兄のミハエルにも共通している。長兄のヨハンだけは冷静で知的な雰囲気を持ち、弟妹の言動をしばしばたしなめ彼らの無礼をスメラギたちに詫びる場面もあるが、本心から申し訳ないと思っているかと言えば否だろう。
ネーナの「あたしは造られて、戦わされて」という台詞の通り、ガンダムマイスターとして戦うためだけに人工的に生み出されたらしい彼らは、その状況に疑問も抱かずミッションに従うよう好戦的な性格に造られたと思われる。ミハエルの無闇と攻撃的な態度と行動、上述したネーナの残酷な言動などは、礼儀・思いやりと言った社会生活に必要な―戦いには不要な要素を教育されなかったからではないか。
長兄のヨハンだけは時に兄弟以外の人間(ラグナやプトレマイオスクルーなど)と折衝を行う必要上、一応の常識は付与されたようだが。
そんな彼らを見ていて疑問に思うのは“彼らはイノベイドではないのか?”ということ。トリニティが現れた時点ではまだイノベイドの存在自体明かされていないが、セカンドシーズンに入るとリボンズ以外にも複数のイノベイドたちが登場する。彼らもイオリア計画のために人工的に造られた点はトリニティと共通する。
そしてトリニティの中で少なくともネーナは直接ヴェーダにアクセスすることができ、脳量子波を使うこともできる(後者はネーナを子飼いとして使うことを懸念する紅龍に対して王留美が「あなたに脳量子波が使えて?」と皮肉る場面からわかる)。この二点はイノベイドと共通する特徴である。
なら彼らはイノベイドなのかというと、おそらく答えはノーだろう。イノベイドの本格登場を前にファーストシーズンで死んでしまったヨハンとミハエルはともかく、セカンドシーズンにもがっつり登場するネーナは他のイノベイドとは全く別行動を取っているし、むしろ兄たちの間接的な仇(直接の仇であるサーシェスを部下として使っている)として恨みを抱いてすらいた(イノベイドの中の裏切り者であるリジェネとは最終的に結託したが)。
また、最後リボンズが用済みとなったネーナをルイスに襲わせた時、ネーナのハロをヴェーダを通じて操り「そういう君の役目も終わったよ」他のメッセージを送っているが、もしネーナがイノベイドなら直接脳量子波を通じて彼女に語りかけたり操ったり(アニューにしたように)できたであろう。そうしなかったのは彼女がイノベイドではない証左のように思える。
またイノベイドには顔のパターンはリボンズタイプ(リボンズ、ヒリング)、ティエリアタイプ(ティエリア、リジェネ)、リヴァイヴタイプ(リヴァイヴ、アニュー)など複数あれど、中性的(多くは本当に性を持たない)かつ知的で人形のように整った容姿という点が共通している。
リボンズたちの遺伝子元とされるE.A.レイが少年の外見のリボンズたちと違い成人男性という点を差し引いてもそこまで中性的・人形的印象を与えないのに対し、イノベイドは女性型に造られたアニューでさえ透明感のある中性的美貌の持ち主である。つまり遺伝子元の外見や性別の有無に関係なく、イノベイドとして造られた時点で彼らは上で挙げたような共通する容貌を持つようになる。
そう考えると、ネーナを筆頭にトリニティ三兄妹の外見はイノベイドらしさがない。まあヨハンもミハエルもそう男臭いタイプではないし、とくにヨハンは知的な雰囲気も持ってはいる。加えてイノベイドでもブリング・スタビティタイプは他に比べ中性的な感じはしないので、この〈イノベイド特有の外見〉については絶対的なものではないが、小説版には「ネーナはイノベイターに近しい造られた存在」という地の文が出てもくるので、一応トリニティはイノベイドではないと見なしていいだろう。
とすると、今度はなぜ彼らをイノベイドとして造らなかったのかという疑問が湧く。リジェネが初対面でティエリアに語ったところでは、イノベイド(イノベイター)とは「GN粒子を触媒とした脳量子波領域での感応能力、それを使ってのヴェーダとの直接リンク、遺伝子操作とナノマシンによる老化抑制」が可能となった存在と定義できる。
ネーナは初登場から4年以上が経過したセカンドシーズンでは外見はいくぶん大人びていて、サーシェスからも「めっきり女らしくなっちまって」と評されているあたり「ナノマシンによる老化抑制」は成されていないようだ。
(余談だがファーストシーズンの第14話で「ナノマシンの普及によって宇宙生活での人体への悪影響は激減した」という留美の台詞が出てくる。ここからすると少なくともプトレマイオスクルーのように多くの時間を宇宙空間で過ごす人間はナノマシンを体内に(ルイスのようなカプセルの服用によって?)入れているものらしい。宇宙生活による人体への害(無重力・低重力状態による骨密度や筋力の低下?)を防げるナノマシンならすでに老化抑制効果も多少ありそうな気がする。イノベイドが用いているものはその進化系といった感じか)
またネーナの遺伝子は劇場版に登場する科学者ミーナ・カーマインの先祖(やはり科学者)のものと明言されている。イノベイドたちもまたイオリア計画に賛同・協力した科学者たちが遺伝子提供者だ。
これら科学者たちの遺伝子データはイノベイド製造用に一括保管されているのではないかと思うのだが、遺伝子の出所も、MSのマイスターとなる前提で生み出された点も同じなら、なぜいっそイノベイドにしてしまわなかったのか。そうすればリボンズはハロを介さずともネーナを脳量子波で操れただろうに。
これはトリニティの製造を直接指揮したのが、おそらくはアレハンドロ・コーナーもしくはその協力者のラグナ・ハーヴェイだからではないか。
当時リボンズはアレハンドロの側に従者のように付き従って彼の謀略を助けていたが、アレハンドロの様子を見るにリボンズの正体、彼が人工的に生み出され、感応能力ほかで人間を上回るいわば上位種であることを知っていたようには思えない。
アレハンドロをおだてて本人にも気づかれぬよう操るには自分が彼より優れた存在―イノベイドであることも、イノベイドの存在そのものも伏せた方が都合がいい。
イノベイドの存在をアレハンドロやラグナに内密にするなら、彼らがチームトリニティを製造するにあたって遺伝子はそれとなく提供できてもイノベイドを造るための技術までは提供しなかったのは当然のことだ。
さらにもう一つ、別の理由もあると思われる。三国家群の共同体制による国連軍―正確には疑似GNドライヴを積んだMS「GN-X」が誕生して以降のトリニティの状況は見るも無惨なものがある。
人革連広州方面軍駐屯基地を襲撃したさい、ミッション完了を目前にしてセルゲイ・スミルノフ大佐率いる人革連の頂武GN-X部隊10機に圧倒され、その後再び頂武GN-X部隊に基地を襲撃されて帰る場所も失い、流浪生活の中で三度頂武と交戦し敗退。彼らの雇い主であるラグナ・ハーヴェイとも連絡が付かず(実はすでにサーシェスに殺されていた)今後の身の振りようも決まらない。
最後は大西洋上の孤島に身を潜めているところを味方然として近づいてきたサーシェスにヨハンとミハエルが一方的に殺されるに至る。ネーナもたまたまこのタイミングで刹那とラッセが現れ介入しなければ、兄たちに続いてサーシェスに屠られていただろう。
なぜチームトリニティは行く先々で襲撃を受けるのか?小説版ではヨハンもこれを怪しみスローネの現在地を国連軍に教えている裏切り者の存在を察する描写がある。
トリニティたちの体内に生まれながらに発信機のようなものが仕掛けられているのか、スローネのオペレーションシステムを通じてヴェーダが位置を補足しているのか。サーシェスがミハエルのバイオメトリクスがなければ乗れないはずのスローネツヴァイに搭乗・操縦したさいにヨハンが「(バイオメトリクスを)書き換えたというのか、ヴェーダを使って!」と叫んでいたから後者の可能性が高いだろうか。
そして彼らを襲ったさいにサーシェスは「スポンサーからあんたらをどうにかしてくれって頼まれた」「生贄なんだとよ!」と口にしている。スポンサーとはセカンドシーズンでサーシェスが「俺のスポンサー様」と呼んだリボンズなのか、この時点ではリボンズが表向き仕えていたアレハンドロなのかはわからないが、どちらにせよトリニティを造った側の相手からの依頼であったのは間違いない。
ここで「生贄」という言葉が出てくることからいっても、彼らは最初から犠牲となるために造られたのだ。生まれながらの生贄に過ぎない存在を、わざわざ自分たちと同じ人類の上位種であるイノベイドとして造る必要などない、トリニティは自分たちと同列ではない、という意識がリボンズにはあったのではないか。
彼らがサーシェスの襲撃を受けたのと同じ第22話で、国連軍がトリニティに攻撃を行ったことを知ったアレルヤとティエリアが「やはり僕たちは滅びゆくための存在・・・」「これもイオリア・シュヘンベルグの計画・・・」と呟く場面があるが、元々のガンダムマイスター4人については「滅びゆくための存在」というのは当たらないだろう。
第22話のラストでオリジナルのGNドライヴを持つ彼らにだけトランザムの能力がイオリアから与えられるのがその証だ。特に刹那、というかガンダムエクシアとその後継機のマイスターについては「刹那・F・セイエイ」の項で書いたように「イオリアがパイロットをイノベイターとして覚醒させることを主な目的としてツインドライヴやトランザムシステムを作ったことはほぼ確実と思われ」るので、待望の純粋なイノベイターを「滅びゆくための存在」に位置づけるはずがない。
ゆえに本来の、本物のGNドライヴを所有するガンダムマイスターたちに代わって、三国家群を国連軍として一つにまとめあげるための憎まれ役にして国連軍に滅ぼされる役が必要だったということなのではないか。
最終的に彼らは国連軍によって華々しい戦闘の末に倒されるのではなくひっそりと一傭兵であるサーシェスの手によって葬られている。これは一般民衆に対し〈国連軍がガンダムに勝った〉とアピールするには弱いようにも思えるが、GN-Xを手に入れた国連軍に手も足も出ずガンダムが敗退したという事実がすでにあり、その後彼らによる武力介入が行われなくなったという実績があれば、国連軍のおかげで後から出てきた凶悪なガンダム三機は葬られたと印象づけるには十分と踏んだものか。
すでにヴェーダを掌握している以上、スローネが現れなくなっただけでは効果が薄いと判断した時点で国連軍が彼らを格好良く倒すプロパガンダ映像を作って流布することだってできるわけだし。
ただ結局ネーナは逃げのび機体も破損こそしているものの健在である。なぜ後日彼女を追って止めを刺すことをしなかったか。やけになったネーナがスローネドライで暴れまわる可能性もゼロではなかったはずだ。
まあこれはプトレマイオスが国連軍の襲撃を受けたさいにガンダム4機がやられたような、ヴェーダによるシステムダウンを行ってしまえば済む話ではあるから、問題とはしなかったのかもしれない。
セカンドシーズンでは王留美の下でネーナが働いているのを、留美と協力関係にあったリボンズたちは当然承知していたはずだが(リジェネなどリボンズへの反抗の一環として一時ネーナと共闘したりもしていた)、今さら殺す必要もないと見逃していたのだろう。留美を利用するうえで、彼女のエージェントとしてその意を受けて動く実働隊であるネーナはイノベイドにとっても使い勝手がよかったのかもしれないし。
・・・と思ったが、ネーナが王留美を殺害した直後に彼女の機体のハロを乗っ取ったリボンズが「そういう君の役目も終わったよ」と告げているところからすると、ネーナに何かしらの「役目」を果たさせるためにあえて彼女を生かしておいた可能性もある。
ネーナが果たした、果たしたばかりの役目とは何か。真っ先に考えられるのは留美がソレスタルビーイングにヴェーダの所在を記したメモを渡すのを手助けすることと、その後に留美を始末すること。
これは共にリジェネが目論んでネーナをけしかけたものだが、ヴェーダを囮にプトレマイオスクルーを呼び寄せアロウズとの最終決戦に持ち込むのはリボンズの意図するところでもあった(留美についてはもはや利用価値なしとしてリボンズ的にはどうでもよかったと思う。まあ周辺をちょろちょろされても邪魔なので消した方がいいくらいには感じていたかもしれないが)。
プトレマイオスクルーを呼び寄せるという役割が終わったから「勝手をする者には罰を与えないとね」との言葉通り、ネーナを始末したとも取れる(「勝手をする」とはリジェネに与したことを指すと思われ、少し後にリジェネも体よくリボンズに始末されている)が、もう一つ別の意味もあるかもしれない。
というのは、この時ネーナを始末するために現れたのがルイスだからだ。ルイスはただ特命を受けて出撃しただけで、仇であるネーナに遭遇したのは偶然と思っていただろうが、リボンズは明らかに二人をぶつけるつもりでルイスをこの場に派遣したのである。
これは単にネーナを始末することにしたから、どうせなら彼女を仇と狙うルイスに恨みを晴らさせてやろうという温情とは、リボンズにそんな優しさがあるとは考えづらい。
おそらくリボンズは、沙慈との再会・特殊空間での対話を経て戦うことに迷いを生じつつあったルイスに、復讐のための人殺しという一線を超えさせようとしたのだ。ルイスは特殊なナノマシン投与によってリボンズが生み出した、人類初の人工的イノベイターになりかけている人材だ。彼女を自分の思い通りになる疑似イノベイターとして仕上げるためには、一線を超えさせて人としての情愛を捨てさせる必要があった。
ネーナ殺しはそのための格好の材料であり、ルイスの生贄となることをもって彼女の「役目は終わった」というのが上掲の台詞の意味なのかもしれない。
トリニティの武力介入の内容は確かに褒められたものではないし、とりわけネーナが結婚式場を攻撃した件はどうやっても擁護できない。
ただ彼らが最初からそういう戦闘欲だけの存在として造られた(彼らの遺伝子元がイオリアに協力した科学者であるなら地頭はいいはずだと思うのだが)ことには同情の余地がある。
特に三兄妹で唯一常識を与えられたヨハンは、小説版によると「人間の中のエゴイズムが失われない限り、戦争の火種がなくなることはない」「ゆえに、人間たちには統治者が必要なのだ。完全に人心を掌握し、戦争根絶を布告する無形の存在が」との信念のもと、「無慈悲な武力介入と言われていたことは知っていた」うえで「戦争根絶という理想を叶えるため」「ガンダムマイスターになるため」「人間の未来のため」戦っていたと内面が明かされている。少なくともヨハンは、やり方は過激ながらも人類の未来と平和実現を本気で考えていたのである。
そしてネーナが兄たちの仇を討とうとしたり、ミハエルが妹につれなくした刹那に(理不尽ながらも)怒ったり、ミハエルが殺されたのを受けてヨハンがネーナだけでも逃がそうとしたりと、彼らの間には確かに兄妹愛がある。
たとえそれが任務達成のためチームワークを保つべくプログラムされた結果だとしても、彼らの短い人生にも多少は人間らしい潤いがあったかと、いくぶん救われたような気持ちになるのだった。