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about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『機動戦士ガンダム00』(1)-25(注・ネタバレしてます)

2025-06-18 20:20:10 | ガンダム00

ネーナ・トリニティ(+兄兄ズ)

チーム・トリニティ=トリニティ三兄妹の末っ子。機体は戦闘支援向けのガンダムスローネドライ。赤い髪とそばかすがチャームポイントの小悪魔的な少女。
チーム・トリニティは登場時こそ三国家群の大物量作戦の前に撃破される寸前だったガンダム4機を救うという頼もしい味方風だったが、彼らの機体のデータがヴェーダには記載されていない謎の存在であることとプトレマイオスチームを見下すような態度から、たちまち関係が悪化するに至る。

ネーナは最初に助けたのがたまたま刹那だった縁もあってか、直接顔を合わせるなり彼にキスするなど妙に刹那を気に入っている。基本的には子供っぽく陽気だが、思い通りにならない時にはぞっとするような酷薄な表情をのぞかせる。むしろ子供っぽい―精神的に未成熟だからこそ万能感にあふれ狂暴的・自己中心的というべきか。
この自己中心性と狂暴性は次兄のミハエルにも共通している。長兄のヨハンだけは冷静で知的な雰囲気を持ち、弟妹の言動をしばしばたしなめ彼らの無礼をスメラギたちに詫びる場面もあるが、本心から申し訳ないと思っているかと言えば否だろう。
ネーナの「あたしは造られて、戦わされて」という台詞の通り、ガンダムマイスターとして戦うためだけに人工的に生み出されたらしい彼らは、その状況に疑問も抱かずミッションに従うよう好戦的な性格に造られたと思われる。ミハエルの無闇と攻撃的な態度と行動、上述したネーナの残酷な言動などは、礼儀・思いやりと言った社会生活に必要な―戦いには不要な要素を教育されなかったからではないか。
長兄のヨハンだけは時に兄弟以外の人間(ラグナやプトレマイオスクルーなど)と折衝を行う必要上、一応の常識は付与されたようだが。

そんな彼らを見ていて疑問に思うのは“彼らはイノベイドではないのか?”ということ。トリニティが現れた時点ではまだイノベイドの存在自体明かされていないが、セカンドシーズンに入るとリボンズ以外にも複数のイノベイドたちが登場する。彼らもイオリア計画のために人工的に造られた点はトリニティと共通する。
そしてトリニティの中で少なくともネーナは直接ヴェーダにアクセスすることができ、脳量子波を使うこともできる(後者はネーナを子飼いとして使うことを懸念する紅龍に対して王留美が「あなたに脳量子波が使えて?」と皮肉る場面からわかる)。この二点はイノベイドと共通する特徴である。
なら彼らはイノベイドなのかというと、おそらく答えはノーだろう。イノベイドの本格登場を前にファーストシーズンで死んでしまったヨハンとミハエルはともかく、セカンドシーズンにもがっつり登場するネーナは他のイノベイドとは全く別行動を取っているし、むしろ兄たちの間接的な仇(直接の仇であるサーシェスを部下として使っている)として恨みを抱いてすらいた(イノベイドの中の裏切り者であるリジェネとは最終的に結託したが)。
また、最後リボンズが用済みとなったネーナをルイスに襲わせた時、ネーナのハロをヴェーダを通じて操り「そういう君の役目も終わったよ」他のメッセージを送っているが、もしネーナがイノベイドなら直接脳量子波を通じて彼女に語りかけたり操ったり(アニューにしたように)できたであろう。そうしなかったのは彼女がイノベイドではない証左のように思える。
またイノベイドには顔のパターンはリボンズタイプ(リボンズ、ヒリング)、ティエリアタイプ(ティエリア、リジェネ)、リヴァイヴタイプ(リヴァイヴ、アニュー)など複数あれど、中性的(多くは本当に性を持たない)かつ知的で人形のように整った容姿という点が共通している。
リボンズたちの遺伝子元とされるE.A.レイが少年の外見のリボンズたちと違い成人男性という点を差し引いてもそこまで中性的・人形的印象を与えないのに対し、イノベイドは女性型に造られたアニューでさえ透明感のある中性的美貌の持ち主である。つまり遺伝子元の外見や性別の有無に関係なく、イノベイドとして造られた時点で彼らは上で挙げたような共通する容貌を持つようになる。
そう考えると、ネーナを筆頭にトリニティ三兄妹の外見はイノベイドらしさがない。まあヨハンもミハエルもそう男臭いタイプではないし、とくにヨハンは知的な雰囲気も持ってはいる。加えてイノベイドでもブリング・スタビティタイプは他に比べ中性的な感じはしないので、この〈イノベイド特有の外見〉については絶対的なものではないが、小説版には「ネーナはイノベイターに近しい造られた存在」という地の文が出てもくるので、一応トリニティはイノベイドではないと見なしていいだろう。

とすると、今度はなぜ彼らをイノベイドとして造らなかったのかという疑問が湧く。リジェネが初対面でティエリアに語ったところでは、イノベイド(イノベイター)とは「GN粒子を触媒とした脳量子波領域での感応能力、それを使ってのヴェーダとの直接リンク、遺伝子操作とナノマシンによる老化抑制」が可能となった存在と定義できる。
ネーナは初登場から4年以上が経過したセカンドシーズンでは外見はいくぶん大人びていて、サーシェスからも「めっきり女らしくなっちまって」と評されているあたり「ナノマシンによる老化抑制」は成されていないようだ。
(余談だがファーストシーズンの第14話で「ナノマシンの普及によって宇宙生活での人体への悪影響は激減した」という留美の台詞が出てくる。ここからすると少なくともプトレマイオスクルーのように多くの時間を宇宙空間で過ごす人間はナノマシンを体内に(ルイスのようなカプセルの服用によって?)入れているものらしい。宇宙生活による人体への害(無重力・低重力状態による骨密度や筋力の低下?)を防げるナノマシンならすでに老化抑制効果も多少ありそうな気がする。イノベイドが用いているものはその進化系といった感じか)
またネーナの遺伝子は劇場版に登場する科学者ミーナ・カーマインの先祖(やはり科学者)のものと明言されている。イノベイドたちもまたイオリア計画に賛同・協力した科学者たちが遺伝子提供者だ。
これら科学者たちの遺伝子データはイノベイド製造用に一括保管されているのではないかと思うのだが、遺伝子の出所も、MSのマイスターとなる前提で生み出された点も同じなら、なぜいっそイノベイドにしてしまわなかったのか。そうすればリボンズはハロを介さずともネーナを脳量子波で操れただろうに。

これはトリニティの製造を直接指揮したのが、おそらくはアレハンドロ・コーナーもしくはその協力者のラグナ・ハーヴェイだからではないか。
当時リボンズはアレハンドロの側に従者のように付き従って彼の謀略を助けていたが、アレハンドロの様子を見るにリボンズの正体、彼が人工的に生み出され、感応能力ほかで人間を上回るいわば上位種であることを知っていたようには思えない。
アレハンドロをおだてて本人にも気づかれぬよう操るには自分が彼より優れた存在―イノベイドであることも、イノベイドの存在そのものも伏せた方が都合がいい。
イノベイドの存在をアレハンドロやラグナに内密にするなら、彼らがチームトリニティを製造するにあたって遺伝子はそれとなく提供できてもイノベイドを造るための技術までは提供しなかったのは当然のことだ。

さらにもう一つ、別の理由もあると思われる。三国家群の共同体制による国連軍―正確には疑似GNドライヴを積んだMS「GN-X」が誕生して以降のトリニティの状況は見るも無惨なものがある。
人革連広州方面軍駐屯基地を襲撃したさい、ミッション完了を目前にしてセルゲイ・スミルノフ大佐率いる人革連の頂武GN-X部隊10機に圧倒され、その後再び頂武GN-X部隊に基地を襲撃されて帰る場所も失い、流浪生活の中で三度頂武と交戦し敗退。彼らの雇い主であるラグナ・ハーヴェイとも連絡が付かず(実はすでにサーシェスに殺されていた)今後の身の振りようも決まらない。
最後は大西洋上の孤島に身を潜めているところを味方然として近づいてきたサーシェスにヨハンとミハエルが一方的に殺されるに至る。ネーナもたまたまこのタイミングで刹那とラッセが現れ介入しなければ、兄たちに続いてサーシェスに屠られていただろう。
なぜチームトリニティは行く先々で襲撃を受けるのか?小説版ではヨハンもこれを怪しみスローネの現在地を国連軍に教えている裏切り者の存在を察する描写がある。
トリニティたちの体内に生まれながらに発信機のようなものが仕掛けられているのか、スローネのオペレーションシステムを通じてヴェーダが位置を補足しているのか。サーシェスがミハエルのバイオメトリクスがなければ乗れないはずのスローネツヴァイに搭乗・操縦したさいにヨハンが「(バイオメトリクスを)書き換えたというのか、ヴェーダを使って!」と叫んでいたから後者の可能性が高いだろうか。
そして彼らを襲ったさいにサーシェスは「スポンサーからあんたらをどうにかしてくれって頼まれた」「生贄なんだとよ!」と口にしている。スポンサーとはセカンドシーズンでサーシェスが「俺のスポンサー様」と呼んだリボンズなのか、この時点ではリボンズが表向き仕えていたアレハンドロなのかはわからないが、どちらにせよトリニティを造った側の相手からの依頼であったのは間違いない。
ここで「生贄」という言葉が出てくることからいっても、彼らは最初から犠牲となるために造られたのだ。生まれながらの生贄に過ぎない存在を、わざわざ自分たちと同じ人類の上位種であるイノベイドとして造る必要などない、トリニティは自分たちと同列ではない、という意識がリボンズにはあったのではないか。

彼らがサーシェスの襲撃を受けたのと同じ第22話で、国連軍がトリニティに攻撃を行ったことを知ったアレルヤとティエリアが「やはり僕たちは滅びゆくための存在・・・」「これもイオリア・シュヘンベルグの計画・・・」と呟く場面があるが、元々のガンダムマイスター4人については「滅びゆくための存在」というのは当たらないだろう。
第22話のラストでオリジナルのGNドライヴを持つ彼らにだけトランザムの能力がイオリアから与えられるのがその証だ。特に刹那、というかガンダムエクシアとその後継機のマイスターについては「刹那・F・セイエイ」の項で書いたように「イオリアがパイロットをイノベイターとして覚醒させることを主な目的としてツインドライヴやトランザムシステムを作ったことはほぼ確実と思われ」るので、待望の純粋なイノベイターを「滅びゆくための存在」に位置づけるはずがない。
ゆえに本来の、本物のGNドライヴを所有するガンダムマイスターたちに代わって、三国家群を国連軍として一つにまとめあげるための憎まれ役にして国連軍に滅ぼされる役が必要だったということなのではないか。
最終的に彼らは国連軍によって華々しい戦闘の末に倒されるのではなくひっそりと一傭兵であるサーシェスの手によって葬られている。これは一般民衆に対し〈国連軍がガンダムに勝った〉とアピールするには弱いようにも思えるが、GN-Xを手に入れた国連軍に手も足も出ずガンダムが敗退したという事実がすでにあり、その後彼らによる武力介入が行われなくなったという実績があれば、国連軍のおかげで後から出てきた凶悪なガンダム三機は葬られたと印象づけるには十分と踏んだものか。
すでにヴェーダを掌握している以上、スローネが現れなくなっただけでは効果が薄いと判断した時点で国連軍が彼らを格好良く倒すプロパガンダ映像を作って流布することだってできるわけだし。

ただ結局ネーナは逃げのび機体も破損こそしているものの健在である。なぜ後日彼女を追って止めを刺すことをしなかったか。やけになったネーナがスローネドライで暴れまわる可能性もゼロではなかったはずだ。
まあこれはプトレマイオスが国連軍の襲撃を受けたさいにガンダム4機がやられたような、ヴェーダによるシステムダウンを行ってしまえば済む話ではあるから、問題とはしなかったのかもしれない。
セカンドシーズンでは王留美の下でネーナが働いているのを、留美と協力関係にあったリボンズたちは当然承知していたはずだが(リジェネなどリボンズへの反抗の一環として一時ネーナと共闘したりもしていた)、今さら殺す必要もないと見逃していたのだろう。留美を利用するうえで、彼女のエージェントとしてその意を受けて動く実働隊であるネーナはイノベイドにとっても使い勝手がよかったのかもしれないし。
・・・と思ったが、ネーナが王留美を殺害した直後に彼女の機体のハロを乗っ取ったリボンズが「そういう君の役目も終わったよ」と告げているところからすると、ネーナに何かしらの「役目」を果たさせるためにあえて彼女を生かしておいた可能性もある。
ネーナが果たした、果たしたばかりの役目とは何か。真っ先に考えられるのは留美がソレスタルビーイングにヴェーダの所在を記したメモを渡すのを手助けすることと、その後に留美を始末すること。
これは共にリジェネが目論んでネーナをけしかけたものだが、ヴェーダを囮にプトレマイオスクルーを呼び寄せアロウズとの最終決戦に持ち込むのはリボンズの意図するところでもあった(留美についてはもはや利用価値なしとしてリボンズ的にはどうでもよかったと思う。まあ周辺をちょろちょろされても邪魔なので消した方がいいくらいには感じていたかもしれないが)。
プトレマイオスクルーを呼び寄せるという役割が終わったから「勝手をする者には罰を与えないとね」との言葉通り、ネーナを始末したとも取れる(「勝手をする」とはリジェネに与したことを指すと思われ、少し後にリジェネも体よくリボンズに始末されている)が、もう一つ別の意味もあるかもしれない。
というのは、この時ネーナを始末するために現れたのがルイスだからだ。ルイスはただ特命を受けて出撃しただけで、仇であるネーナに遭遇したのは偶然と思っていただろうが、リボンズは明らかに二人をぶつけるつもりでルイスをこの場に派遣したのである。
これは単にネーナを始末することにしたから、どうせなら彼女を仇と狙うルイスに恨みを晴らさせてやろうという温情とは、リボンズにそんな優しさがあるとは考えづらい。
おそらくリボンズは、沙慈との再会・特殊空間での対話を経て戦うことに迷いを生じつつあったルイスに、復讐のための人殺しという一線を超えさせようとしたのだ。ルイスは特殊なナノマシン投与によってリボンズが生み出した、人類初の人工的イノベイターになりかけている人材だ。彼女を自分の思い通りになる疑似イノベイターとして仕上げるためには、一線を超えさせて人としての情愛を捨てさせる必要があった。
ネーナ殺しはそのための格好の材料であり、ルイスの生贄となることをもって彼女の「役目は終わった」というのが上掲の台詞の意味なのかもしれない。

トリニティの武力介入の内容は確かに褒められたものではないし、とりわけネーナが結婚式場を攻撃した件はどうやっても擁護できない。
ただ彼らが最初からそういう戦闘欲だけの存在として造られた(彼らの遺伝子元がイオリアに協力した科学者であるなら地頭はいいはずだと思うのだが)ことには同情の余地がある。
特に三兄妹で唯一常識を与えられたヨハンは、小説版によると「人間の中のエゴイズムが失われない限り、戦争の火種がなくなることはない」「ゆえに、人間たちには統治者が必要なのだ。完全に人心を掌握し、戦争根絶を布告する無形の存在が」との信念のもと、「無慈悲な武力介入と言われていたことは知っていた」うえで「戦争根絶という理想を叶えるため」「ガンダムマイスターになるため」「人間の未来のため」戦っていたと内面が明かされている。少なくともヨハンは、やり方は過激ながらも人類の未来と平和実現を本気で考えていたのである。
そしてネーナが兄たちの仇を討とうとしたり、ミハエルが妹につれなくした刹那に(理不尽ながらも)怒ったり、ミハエルが殺されたのを受けてヨハンがネーナだけでも逃がそうとしたりと、彼らの間には確かに兄妹愛がある。
たとえそれが任務達成のためチームワークを保つべくプログラムされた結果だとしても、彼らの短い人生にも多少は人間らしい潤いがあったかと、いくぶん救われたような気持ちになるのだった。

 


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『機動戦士ガンダム00』(1)-24(注・ネタバレしてます)

2025-06-04 20:27:55 | ガンダム00

王留美

ソレスタルビーイングのエージェントの一人。大富豪である王家の令嬢で、先代亡きあと15歳の若さで当主となる。
莫大な資産と人脈によって、プトレマイオスクルーに有益な情報を数々提供、三国家群合同軍事演習の頃にはマイスターを除くプトレマイオスチームの面々をしばらく豪奢な別荘でもてなしたりしている。
思えばこの頃が彼女とプトレマイオスクルーが一番上手く行っていた頃ではないか。その後より過激な武力介入を行うチームトリニティが現れるとプトレマイオスチームには内緒で彼らとも接触を持ち、セカンドシーズンではイノベイター(イノベイド)に接近する。
最初はリーダーであるリボンズ・アルマークと親しくしていたが、ダブルオーライザーの能力にショックを受けたリボンズに八つ当たりで平手打ちされる侮辱を受けてからは、リボンズに含むところのあるリジェネ・レジェッタに近づく、というか近づかれる。

こう書いていくと明らかなように、彼女は自分の目的のためにより有益と思われる相手にどんどん乗り換えていく。それも前の相手と完全に切れるわけではなく、そちらとの関係も保っておきつつ軸足を移すといった感じで、結果的に二重三重スパイのような立ち位置となっている。その目的とは世界を変革すること。
イオリア・シュヘンベルグを筆頭に、ソレスタルビーイング関係者はプトレマイオスクルーから監視者のアレハンドロ・コーナーまで何かにつけ「世界の変革」を口にするのだが、変革を望む気持ちにおいてはある意味王留美が一番切実だったかもしれない。

物語の終盤近くなって、留美のそばに常に秘書兼ボディガードとして付き従っている紅龍という青年が実は留美の実兄であり、彼が大家の当主としては器に欠けると見なされ廃嫡されたために留美が王家を継がざるを得なくなったことが明かされる。
テレビアニメでは「お兄様に当主としての器がないから私の人生は歪んだ」というだけで具体的な事情は語られないが、小説版によると、善良だが気弱な兄を当主の器ではないと見切った先代は、留美を次期当主と定め徹底した帝王教育をほどこした。自由な時間の全くない完全管理された奴隷のような生活と、社交界で財界人・政界人たちの裏面の醜さを見せつけられたことで、彼女はやがて世界が灰色に見えるようになったという。
それは先代が亡くなりその管理下から脱したのちも変わらなかった。再び光彩に溢れた世界を取り戻したい、自分は自由を取り戻した(変わった)のに世界に色が戻らないなら世界の方を変えなくては、というのが彼女が「世界の変革」を望む理由だ。
そこにはプトレマイオスクルーのような、戦争やテロを憎み根絶したい、自分たちのように紛争のために苦しむ人間を生み出したくないといった想いは全く感じられない。何年も心を殺して生きてきたせいで世界が灰色にしか見えなくなったという状況には同情の余地はあるが、どこまでも自分の都合だけなのだ。

そもそも光彩に溢れた世界を取り戻したいというなら、彼女に世界の色を失わせた原因の王家を捨ててしまえばよかったのだ。
先代が亡くなった時点で兄の紅龍に当主の座を押し付け(留美に辛い役割を負わせたことに責任を感じて自ら彼女の従者となる道を選んだ紅龍ならいやいやながらも引き受けるだろう。周囲が〈能力不足で先代に見切られた人間など当主として認めない〉と横槍を入れたとしても、王家の財産と社会的地位を思えば当主に手を挙げたがる人間はいくらもいるだろうし)、自分は最低限の生活費だけ持って家を出て、一般人の少女として生活すればよかった。
ルイスのように普通に学校に通ってクラスメートやボーイフレンドと食事したり買い物したり。超セレブの世界しか知らない彼女には庶民の暮らしは新鮮であり刺激的だろう。そうした日常を送ることで自然と世界に色も戻っていったのではないか。

王家ほどの大家(小説版によると「世界有数の多国籍グループ企業を持つ」そうだが、当主の王留美がソレスタルビーイングがらみの活動以外はパーティーに出席するくらいしか仕事らしいことをしている場面がないので、経営そのものは各企業のトップに任せておいて王家当主は各界有力者と密接な関係性を築いておくことがお仕事、という感じだろうか)であれば、内部で働いている人間や関係各方面に与える影響を思えばそう簡単に立場を捨てられないと考えた可能性もなくはないが、実際に彼女のやったことを見れば、ソレスタルビーイングやアロウズに対する財政支援のために王家の莫大な財産をほぼ使い果たしてしまっている。到底王家や周りの人間を思いやって行動しているとは思えない。
最初、留美は代々監視者の役割を担ってきたコーナー家同様に先代からエージェントの任務を引き継いだのかと思っていたのだが、これも小説版によると「(灰色の世界を変えるために)戦争根絶を掲げるソレスタルビーイングの理念に彼女は飛びついた」とあり、王家の情報網を通じてソレスタルビーイングの存在を知った留美が自らエージェントに手を挙げたものらしい。
王家先代にしてみれば王家の繁栄の基盤である現行の世界の変革などを望みそのために王家を傾けるなどもってのほかであろう。紅龍の気弱さを疎んじたからには先代は留美の気の強さ・行動力を買ってそれを伸ばすべく教育を施したのだろうが、かえって裏目に出た格好である。
(むしろ紅龍の有能さ―妹への贖罪意識から武術を習得して護衛役を務めたり、留美の我が儘な言動の数々に耐えたりできる忍耐力、留美がネーナに撃たれた時身をもって庇ったとっさの判断力・行動力、妹への思いやりなど見るに、そのまま紅龍を後継者にしておいた方が良かったのでは?と思えてならない。気弱で頼りない部分は〈おまえがそんなだと留美を当主に据えるために過酷な英才教育を施すぞ〉と脅しをかければ、妹想いの彼は奮起して自己改革できたんじゃないか)

留美は(先代の死により自由を得たことで)自分は変わったと見なしているようだが、彼女を取り巻く基本環境自体は何も変わっていない。自分を取り巻く狭い特殊な世界しか知らず、その世界を破壊したいほど憎みながらその外に出ようともしない。
結局彼女は現状の豪奢な暮らしを放棄する気はないし、そもそも豪奢でない生活という物を想像すらできないのだろう。
「何でも持ってるくせにもっともっと欲しがって」とネーナ・トリニティが嘲笑する所以であり、自ら変わろうとはしない彼女を「君はイノベイターにはなれない」とリボンズが突き放すのもわかろうというものだ。
「俺は変わる。俺自身を変革させる」と宣言した前後から真のイノベイターとして覚醒を始めた刹那とは対照的であり、むしろ自ら変革することの重要性を際立たせるために、世界の変革を求めながら自らは変われない人間の代表として王留美というキャラクターを登場させたのかもしれない。

とはいえ、上で書いたように王家の財産をほぼ使い果たしてしまった彼女は、ネーナの造反がなくとも遠からずこれまでのような優雅な暮らしはできなくなっていたかもしれない。必然的に彼女の世界は変わらざるを得なくなる。
そして「ソレスタルビーイングも、イノベイターも、お兄様の命も捧げて、変革は達成される。私はその先にある素晴らしい未来を・・・」という発言からは、彼女が今の生活を、公私にわたり彼女を傍らで支え続けてきた紅龍を失うことすら怖れていないようにも思える。
彼女の夢見る「素晴らしい未来」が具体的にどのようなものなのかはさっぱりわからないが、ソレスタルビーイング・イノベイター(イノベイド)・アロウズの全面衝突(とそれによる三者の共倒れ)が起こればブレイクピラー以上の死傷者が出てもおかしくないのに、自分はその惨禍を免れうることを前提にしているのに驚く。
これまた小説版だと、「財産を投げうち、紅龍を失ったいまでも、彼女は己の能力と広い人脈によってこの不遇から再起し、うまく立ち回っていく自信がある」のだそうだ。自分も自分と付き合いのある有力者も皆生き残れる前提になっているのは、“自分(たち)は大丈夫”という特権階級にありがちな無根拠な思い込みによるものだろうか。
確かに上流階級の人間はいろんな裏情報も入ってくるし、セキュリティの強固な場所にいられるので一般庶民に比べて危機を回避しやすくはあるだろうが、セレブだって無惨に殺される時があるのはハレヴィ一族やラグナ・ハーヴェイの例を見ても明らかで、他ならぬ王留美自身がこの直後にそれを証明してしまった。
ただ留美が〈世界に色を取り戻す〉というごく私的な望みのために、王家を捨てるのでなく王家そのものの基盤を揺るがすような選択をしたのは、自分をこんな境遇に追い込んだ王家への強い憎しみがあったのかもしれない。
チームトリニティに接触した際に紅龍に「それほどまでに、いまの世界がお嫌いですか?」と問われて「ええ、嫌いよ。変わらないのなら、壊れてもいいとさえ思うほどに」と答えた彼女には世界に対する強い破壊願望が感じられたが、それも王家への破壊願望が王家の立脚する現行世界への破壊願望へと拡大したものだったのではないか。
「素晴らしい未来」に具体性が見えないのも、実際に彼女を動かしているのはただ〈現状を破壊したい〉という衝動だけで、その先は〈不幸の原因がなくなれば幸福になれるはず〉程度のふわふわしたイメージしか描けていないからではないか。
身勝手な人間には違いないのだが、そこまで追い詰められた結果と思えばいささか気の毒に思えるところもある。

もう一つ気の毒なのは、彼女が近づいた相手からことごとく“仲間”として扱われないことだ。リボンズもリジェネも彼女の財力やプライドを利用しただけで手ひどい切り捨て方をしたし、チームトリニティの生き残りで行き場を失くしたところを一応は保護した格好のネーナにはついには兄も自分も殺された。
一番円満な関係が築けていたと思えるプトレマイオスチームにしても、人命救助を優先してミッションを放棄したアレルヤを咎めた際に「あなたにはわからないさ。宇宙を漂流する者の気持ちなんて」と一方的に通信を切られている(切ったあとの台詞なので留美には聞こえていないが、例えば相手がスメラギなら「あなたにはわからない」なんてきつい表現は一人言でもしなかったと思う。安全圏から物を言ってくる留美に対する反感がアレルヤの中にあったのではないか)。
またメメントモリ破壊ミッションの直前に留美から暗号データが送られてきた時にもティエリアが「今まで何を」と苛立ちの滲む声を発している。以前のようには留美と連絡がつかないことが多く彼女の行動に不信感を抱きつつあったのが背景にあるのだが、何かあったのかと彼女の身を案じるのでなく“今まで何やってたんだ”という反応になるあたり、やっぱりあまり留美を好きじゃないのかなという感がある。
それぞれ事情はあれど本気で戦争根絶を願っているには違いないプトレマイオスクルーは、自分たちとの温度差のようなものを留美に感じていたのかもしれない。
実際留美は二重三重スパイのようなことをやっているのだから自業自得ではあるのだが、唯一本当に自分を案じ大切にしてくれた兄の愛情に気づくことがないまま彼を失ってしまったのも含め、可哀想な人だなという気がするのである。


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機動戦士ガンダム00(1)ー23(注・ネタバレしてます)

2025-05-22 08:51:58 | ガンダム00

ビリー・カタギリ

ユニオン軍のモビルスーツ開発技術顧問。ソレスタルビーイングの武力介入を受けて、学生時代の恩師であるエイフマン教授が技術主任を務める対ガンダム調査隊へ転属。
セカンドシーズンでは途中からアロウズのモビルスーツ開発主任となる。アロウズの司令官ホーマー・カタギリは実の叔父。ユニオン軍のエースパイロットのグラハム・エーカーとは親友同士。
グラハムがモビルスーツで戦うことに取りつかれた男であるのと同様モビルスーツ開発に取りつかれた男であり、彼にとって研究に没頭することは最上の幸せであって全く苦にはならないのだろう。

にもかかわらず、セカンドシーズンの途中までは再三招請されながらアロウズへの入隊を断り続けていた。アロウズへの転属命令が下ったマネキンがスミルノフ大佐と話していたシーンなど見るに、連邦軍関係者の間ではアロウズが反対者に対して非人道的弾圧を加えているとの黒い噂が知れ渡っていたようだが、ビリーの場合は叔父がアロウズの司令官でありもともとアロウズにそう悪い感情は持っていなかったように思われる。
この時期すでに正規の連邦軍より政府直轄の独立治安維持部隊であるアロウズの方が力を持ちつつあったし、アロウズに行った方が連邦軍以上に恵まれた環境で最新鋭の機体の開発に携われるのではないか。また親友のグラハム=ミスター・ブシドーもすでにアロウズに参加している。ユニオン時代グラハムの無茶振りに応えてグラハム専用のカスタム機を開発してきたビリーにしてみれば、人間の限界を超えるような機体性能にも耐えうる超人的パイロットであるグラハムと組めることは、親友として以上にメカニックとして冥利に尽きるのではないか。
そう考えるとビリーがアロウズ入隊を拒否していたのが不思議なようにも思える。そもそも彼がユニオン軍解体後、順当にユニオン軍が人革連軍・AEU軍と一緒になった地球連邦平和維持軍(連邦軍)に移動していたなら、転属命令を繰り返し拒否などできるものなのだろうか。ピーリスなど問答無用でアンドレイが宿舎まで迎えに来たというのに。
どうもビリーの場合はアロウズへの入隊は〈命令〉ではなくあくまで〈お願い〉のように見受けられる。つまりはビリーはユニオン軍解体の際かそれ以降かで一度軍を退役しているのでは?
小説版には居候のスメラギが酒浸りなのを心配して「何かと屋外スポーツやショッピングなどに誘い出した」旨の記載があり、大分時間に余裕がありそうな感じからして、軍事関連の民間企業に務めたか、もしくは無職で悠々自適という環境だった可能性もある。
いずれにせよ(かつてのように)研究一途というわけではなく、それはやはり長年の想い人と同居していて、彼女と過ごす時間を長く確保したかったからなのだろう。

そこまで長い間スメラギを、大学院時代からずっと想い続けてきたわりには、ファーストシーズン第6話での再会の際に「大学院以来」と話していて9年もの間何をしていたのかと思ってしまう。この時も「誘ってくれて嬉しかったよ」と言っているからスメラギの方から声をかけたようだし。
自分の方からアプローチをかけるのには躊躇いがあるらしいが、好きな相手に何年も会えなくても、向こうから誘ってくれない限り下手をしたら一生会えないかもしれないのにそれでいいのか?いざ会ってしまえばスメラギの手をそっと握ってみたりそれなりにアピールしているのだが(劇場版でミーナにたじたじになっている超奥手ぶりが印象的だっただけにちょっと意外ではある。一見涼しい顔をしてみせているがビリーとしてはあれで最大限頑張ったのかも)。
もっともAEU軍に入隊後のスメラギに恋人ができたことは知っていたようなので、その時点でいったん彼女への想いには区切りをつけた結果として疎遠になっていたのかもしれない(大学院時代は年上のビリーに敬語だったスメラギがタメ口をきくようになっているので、直接会ってないだけで、メールや電話などで連絡は取っていた可能性はあるが)。
例の事件でその恋人が死んだことも知ってはいただろうが、〈失敗〉と恋人の死で二重に苦しむスメラギを慰めたい気持ちはありつつ彼女の傷心につけこむような後ろめたさもあり、あれこれ悩んだあげくにそっとしておく=何もしないという選択になったものと思われる。

だから彼女の方から誘ってくれた事で、そして例の事件については「忘れた」と彼女が強がりにもせよ語った事で少しは脈ありと見たのか、スメラギの気を引くべく「現行戦力におけるガンダム鹵獲の可能性」なるシミュレートプランのファイルを彼女に送りつけるという挙に出ている。これは軍の機密漏洩でありスメラギのいう通り「軍人失格」と言っていい案件だ。
確かに驚いた彼女が直接会いにやってきた(今回は誘ったのはビリーっぽいが)ので効果は大いにあったのだが、女の気を引くために職場の内部情報―しかも軍の機密という多くの人の命にも関わる情報―を簡単に漏洩するなどかえってドン引きされるんじゃないかとは考えなかったのか。スメラギは元軍人として機密保持については一般人以上に厳しい認識を持っているはずなのだから。まあこのへんの甘さがこの人の憎めないところでもあるんだが、憎めないといって済まされないレベルの過失だよなあ・・・。
この時も帰るというスメラギと「待っている人でもいるのかい」「だとしたら?」「穏やかじゃないね」といかにも男女の駆け引きといった会話を交わしているのだが、「本当に用事があるの。じゃ、また」と帰ってゆく彼女の後ろ姿を、「また」という言葉を拠り所に「いいさ、また会えるのなら」と薄く(心持ち寂しげに)微笑んでいる。
一歩踏み込もうという気持ちはあるのだが、彼女に嫌われるのを怖れて―相手が過去に深い傷を抱えていて、今も会話の端々に古傷の痛みを滲ませているだけに、結局踏み込めずにいるのが不器用なアプローチから伝わってくる。

ただスメラギの方も約3年後(セカンドシーズン開始の2年前)にビリーの家に転がりこんで2年間も居候しているので、全くの脈なしというわけでもなかったのではないか。
同士撃ちの悲劇の後、AEU軍を辞めた時にビリーに会いに行かなかったのは、恋人を亡くした直後に他の男を頼ろうとは念頭にも浮かばなかったのだろうが、再び自暴自棄に陥った時に彼女はビリーの元へ向かった。恋愛感情ではなくても、彼なら自分を受け止めてくれる、傷ついた自分を甘やかしてくれるという安心感があったのだと思う。
行き場を失ったスメラギの心が、ビリーに自分の居場所を見出した。ビリーの出方次第では恋仲になることも可能だったのでは?
小説版によると同居当初はビリーも不器用ながらアプローチを重ねたようなのだが、彼女が何かに傷ついていることを察してからは彼女の心が癒される日が来るのを信じて見守ることを選んだのだという。
「スメラギ・李・ノリエガ」の項で書いたように、刹那の強引すぎるやり方が結果的に彼女を立ち直らせたことを思えば、強気に出られないビリーの性格では、彼女にとって一時の安らぎの場にはなってもそこが限界だったということか。
傷ついた人間を甘やかすことでかえって立ち上がる力を奪ってしまうこともある。当時の彼女に「癒し」が必要だったのも確かだろうから、そのあたりの匙加減は難しく、ビリーにそんな繊細な機微を捉えるのはまず無理だろう。
例えばいきなり訪ねてきた刹那を「君がこの場所を教えている人がいるなんて」とスメラギの親しい友人扱いで嬉々として家に上げようとするあたりを見ても。スメラギの飲みすぎを咎めたために彼女が「出てく」と言い出した折で場の空気を変えたかったのはあるにせよ、相手が若い男だというのに嫉妬とか猜疑心とか全く湧かないのだろうか。
さすがに若すぎてスメラギの恋人ないし元恋人という線はないと踏んだにせよ、スメラギの様子を見れば彼の訪問を喜んでない、むしろ怯えてすらいるのがわかりそうなものなのに。
とはいえ大学院時代の回想シーンなど見るに、ビリーが恋した頃のスメラギは理想に燃える才気煥発な女の子だったので、当時とは打って変わって毎日酒浸りの彼女によく幻滅せずにいられたものだと、その根気強さには驚かざるを得ない。この一途さと献身には見上げたものがある。

一途なのに愛情表現が下手なビリーは、スメラギがソレスタルビーイングの一員だったと知り、自分は利用されていたとの誤解から(第6話、モラリアとAEU軍の合同演習にソレスタルビーイングがそれまでで最大の武力介入を行おうかというタイミングで9年ぶりにビリーと会ったのは、彼女の目線の動きからいって、ビリーが対ガンダム調査隊に転属したことをヴェーダを通じて知ったうえで探りを入れる意図があったのだろうから、利用する気持ちが皆無だったとはいえないが。AEUは彼女の古巣なのだから探りを入れるなら当時の同僚などの方が良さそうにも思えるが、軍を離れた事情的に会いづらいのとビリーみたいに軍事機密に関わりそうな内容を気安く話してくれる気がしなかったのではないかと推測)可愛さあまって憎さ百倍、わざわざソレスタルビーイングと真っ向から敵対するアロウズに入ってスメラギと戦うことを選ぶ。
まさに一途さと不器用な愛情表現がそのまま逆転したような感じである。
最終的に彼はプトレマイオス2に乗り込み、スメラギに当初は投降を促したものの、彼女にその意思がないとわかると銃殺すべく拳銃を向ける。
もし刹那のトランザムバーストでスメラギと精神が繋がらなかったならそのまま引き鉄を引いていたか、引けたかどうかは微妙なところだが、ともかくも殺しかけるまでは行ったのである。
そしてそこまで行ってようやく、ビリーは「君のことがずっと好きだった」という核心的な一言を口にすることができたのだ。この一言を告げる機会を逸しつづけたためにここまでこじれてしまったのだから奥手に過ぎるのも罪である。

ともかくもここでようやく想いを伝え、抱擁しあい、別れ際に記念撮影までした二人は今度こそ恋仲になってもおかしくなかったと思うのだが、さらに2年後の劇場版ではビリーは仕事仲間のミーナ・カーマインに一方的かつ熱烈に迫られたあげくに彼女の求愛を受け入れている。
スメラギとのことはミーナの「昔の女のこと考えてる」という台詞で過去の話になったのが示唆されるだけで、その後二人の間にどんな経緯があったのかはまるでわからない。
これまた小説版によると、結局あのトランザムバースト時にスメラギの本心を感じ取った際、彼女が今もって死んだ恋人を想い続けていることもわかってしまい、以後何度か交流を持ったものの次第に疎遠になった、のだそうだ。
一度は殺したいほど憎んだ、それほどに深く長く愛したはずの相手と自然消滅とは。いつか彼女に恋人を忘れさせてやるくらいの気概で向かっていけないのか。まあそれができないのがビリーであって、ある意味彼が本来の彼に立ち戻った証左とも言える。
結局一言でいうならスメラギとは〈縁がなかった〉のであり、向こうからこちらの都合お構いなしでガンガン攻めてくるミーナがベストな相手だった、ということなのだろうなあ。


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『機動戦士ガンダム00』(1)-22(注・ネタバレしてます)

2025-05-13 00:13:10 | ガンダム00

ルイス・ハレヴィ

経済特区・東京にスペインからやってきた留学生。沙慈のガールフレンド。明るく積極的かつわがままな性格で沙慈を振り回しまくる。

正直ファーストシーズン前半は「何だこの子」と思っていた。彼女と沙慈の女性上位なカップルの微笑ましい日常が戦闘に明け暮れる刹那や世界情勢との対比として描かれているのはわかるものの、さすがに言動が自分勝手すぎないかと。
特に母親がスペインに帰ってしまい寂しさから泣きまくっていた時、刹那から「母親が帰ったくらいでなぜ泣く」「会おうと思えばいつでも会える。死んだわけじゃない」と言われる場面。沙慈は両親をすでに亡くしていて、まさに母親にどれほど会いたいと思っても二度と会うことはできないのだ。
刹那の言葉で、沙慈の前で母親に会えないと泣く無神経さに気づくどころか(沙慈本人に同じ台詞をもう少し優しめに言われたなら、さすがに自重しただろうか)、「沙慈、こいつ嫌い!叩くか殴るかして!」とはあまりな言い草。
沙慈はわざわざ頼んで刹那に来てもらっているのに(あの無愛想な刹那を連れてくることがルイスの慰めになると考えるセンスはどうかと思うが)、彼氏?の友人に対するこの態度は沙慈のメンツを潰すようなものではないか。
また自分を慰めるためにと沙慈に高価な指輪をねだるあたりもどんなものか。住居を見るかぎり、両親がないとはいえ姉が有名企業で働いている沙慈はさほど生活に困窮しているようではないが、この指輪を買うためにバイトのシフトを詰めまくったくらいで裕福といえるほどではないだろう。
(小説版では「両親の遺してくれた保険金でこのマンションを買い、その余りと報道局に勤めている姉の稼ぎで人並みな生活はできていたが、沙慈自身、ぼんやりと養われているだけというのは気がとがめ、奨学金を受けて学校に通っている。苦学生というわけではない。やはり人並みという評価が妥当だろうと沙慈本人も思っていた」とある)
その沙慈に負担をかけるとわかっていて高価なプレゼントを要求する(人の好い沙慈ならきっと本当にプレゼントを買おうと頑張ってしまうのは想定できたろうに)というのは、やはり引っかかるものがあった。
ただファーストシーズン中盤で彼女を襲った大きすぎる不幸―今度こそ本当に二度と両親と会えなくなったルイスが以前のように駄々をこねるのでなく身を震わせて泣きじゃくる哀切な姿、一人になって心細いだろうに日本に帰るよう沙慈の背中を押す時の静かな微笑みなどを見ると、あの頃の騒がしいルイスに、あの頃の二人の関係に戻ってくれとつい願わずにいられない。まさに制作陣の狙いどおりというところだろう。

セカンドシーズンでルイスはアロウズの軍人として登場する。彼女が軍人になったのも驚きなら、アロウズの資金面でのスポンサーというのにも驚いた。
沙慈の姉・絹江が「お金持ちのお嬢様って」と溜息をついていたことからも本人の言動からも、ルイスが資産家の娘であることは察せられていたが、アロウズのスポンサーともなると王留美が当主を務める王家並みの大富豪なのではないか。
それがボディガード(留美にとっての紅龍のような)もお目付け役もなしで単身故郷から遠く離れた異国に留学などよく許したものだ(ルイスいわく母親はもともと留学に反対だったそうだが)。結果、ハレヴィ家とはおよそ釣りあいそうもない庶民の少年と恋愛(まではいかないが)関係になってしまったし。
ルイスを連れ戻しにやってきた母親の方も、世界的に政情が不安定で渡航規制までかかっているなか単身(のように見える)日本までやってきたり、最初は沙慈との仲に反対したものの途中からはすっかり沙慈を(ルイスが焼きもちを焼くほどに)気に入ってしまったりと、ずいぶん気さくというか超セレブとは見えない。
渡航規制をかいくぐって来日できたのは「代議士の先生にお願いした」というあたりはいかにも上流階級らしいし、ルイスが運び込まれた病院でもハレヴィ家を「有名な資産家」と話していたので、金持ちなのは間違いないのだが。
まあおそらくはルイスの両親もそれなりの資産家ではあったが、トリニティの攻撃によって親戚(この人たちも多くはハレヴィ姓)のほとんどが亡くなった結果、ほぼ全ハレヴィ家の遺産がルイスに転がりこんできた形だったのではないか。
まだ十代の、それも王留美のように早期から名家の跡取りとしての英才教育を受けたわけでもない少女が、親やそれに代わる保護者もなしに莫大な財産とともに社会に放り出されたようなもので、しかも細胞障害のために左手首から先を失い体調面でも半病人同然――悪い人間が利用しようと近づいてきてもおかしくない危険きわまりない状況といってよい。
実際リボンズはルイスが受け継いだ財産をアロウズのために出資させる一方、ナノマシンによって治療のように見せながら人間をイノベイドもどきに作り変える実験の被験体とした。その過程でルイスにたびたびガンダムに対する憎悪を焚きつけてもいる。
左手と両親を亡くした直後はもっぱら悲しみの感情をあらわにしていたルイスが、4年後のセカンドシーズンでは両親と親族の仇であるガンダムへの復讐一途に走っているのはいささか違和感があるが、この違和感―ルイスらしくない感じは、彼女の復讐心がもっぱらリボンズによって強引に植え付けられたものであることに由来するのだろう。沙慈が言ったように〈ルイスはそんな女の子じゃない〉〈彼女が自分の意志で変わったというのは嘘〉というのが正しいように思える。
ちなみにこの台詞に続く沙慈のルイス評は「優しい女の子」「宇宙に行くために一生懸命勉強した」「我がままをいって相手の気を引こうとする不器用なところ(がある)」「本当は淋しがりや」。
そんなに繊細なタイプだったっけ?と思いかけたが、初めの方を見返してみると、あと二年で留学も終わる、沙慈は将来のことを考えてるか、その中に私の事は入ってるかと尋ねたときなどとても不安げな表情をしている。沙慈が「漠然とね」と曖昧な答えを返したのに対して無言で席を離れてから振り返って「こういう時、追いかけるの!」とすねてみせるので深刻な雰囲気にならないのだが、ああやって怒ってみせたりするのも不安を紛らわすため、空気を重くして沙慈に精神的な負担をかけないための彼女なりの気遣いだったのかもしれない。
(「一生懸命勉強」の方も、ソレスタルビーイングがらみのレポートをどう書くか悩む沙慈に「そんなの適当に書けばいいじゃん」なんて言ってたりして、そこまで一生懸命勉強してる感はなかったが・・・。地上の紛争の話で宇宙関連の勉強じゃなかったから?)。

ともあれ、沙慈を想う気持ちとガンダムへの憎しみの間で葛藤し、その苦悩の果てに意識を失うのみならず一度は呼吸も心臓も止まったのだから尋常ではない。
この葛藤の破壊的な激しさは、ルイスの中の二つの感情がぶつかりあったというよりも、ルイス本来の感情と外から植え付けられた感情=異物とが真っ向から衝突した結果と見るべきだろう。刹那が感じとったように、アニュー同様「何かに取り込まれている」状態―リボンズの支配下に置かれていたわけだ。
刹那が真のイノベイターとして覚醒したおかげで彼女は奇跡的に息を吹き返したが、それ以上に沙慈が根気強く、拒絶されても殺されかけてさえ諦めずにルイスを説得し続け愛し続けたことが最終的に彼女を救った。
沙慈の回想によるとカフェテリアで居眠りしていた沙慈にルイスが声をかけたのが二人の出会いだったそうだが、ここで沙慈に声をかけたルイスの慧眼は大したものだ。
沙慈はいかにも優柔不断で、意志が弱いと「よく言われます」と苦笑いしているような男の子だが、4年間変わらずルイスを想い続け、命がけでルイスを取り戻しにくる芯の強さと勇気を備えていた。ルイスの家柄ならもっと裕福な、高価なペアリングも即座に買ってくれるような男だって寄ってきただろうに、沙慈を選んだ彼女の目の確かさが(そして沙慈が運命のいたずらでソレスタルビーイングに身を寄せていたことが)彼女を疑似イノベイターの戦闘マシンとして生きる道から解放したのである。

劇場版を見ると結局ルイスはイノベイターとして覚醒するに至った可能性が高く(映画時点では脳量子波が通常より強い“イノベイター予備軍”に留まっているようだが)、沙慈の方はオーライザーの臨時パイロットとしてたびたびダブルオーライザーによるトランザムバーストの渦中に身を置きながらも脳量子波を使えるようになった気配がないことから、一生イノベイターにはならなかった可能性が高いように思われる。
イノベイターと非イノベイターでは身体能力や寿命にも大きく差が出る。それがいずれ二人の前に壁として立ちはだかる時が来るかもしれないが、彼らならどんな障害も乗り越えて生涯添い遂げたに違いない、と劇場版の二人の会話―軌道エレベーターの防衛に赴くことを決めた沙慈と送り出すルイス―を聞くと思えるのである。


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー21(注・ネタバレしてます)

2025-05-05 01:28:34 | ガンダム00

沙慈・クロスロード

ユニオン領である日本の経済特区・東京に暮らす高校生。早くに両親を失くし報道局に勤める姉と二人暮らし。隣になんと刹那が越してきて、それなりの近所づきあいなどする関係に。
刹那と年が近い点も含め、刹那及び彼が所属するソレスタルビーイングとの比較対象としての〈普通人〉の象徴として登場したんだろうなーと思ってました。
実際ファーストシーズンの中盤までは、ガールフレンドのルイスとの平和な日常が、ソレスタルビーイングを中心とする戦闘描写の間でちょいちょい挟み込まれることで(その平和な日常に隣人としてしばしば登場する刹那がいかにも場違いな雰囲気を醸し出してるのも含め)、ほど良い対比効果が生まれていた。
ただ実習で訪れた低軌道ステーションで(一時錯乱状態になったピーリスの乱射により)重力ブロックごと地球に落下しそうになったり、すぐそばでテロによる爆発が起きて爆風に飛ばされそうになったりとルイスともども結構危ない目にも合っていたりして、平和な日常はいつひっくり返されるかわからないという危機感も同時に演出されている。
事実ファーストシーズン中盤で沙慈はルイスを実質失い、姉も殺されるという悲劇に見舞われるのだが、沙慈が〈平和な日常〉を失うことはまだしも、ソレスタルビーイングの非正規メンバーとしてガンダムの支援機に乗って刹那と共に戦う展開になるとは、初期の時点では思いもしなかった。

セカンドシーズンで沙慈は反政府組織カタロンの構成員と誤解されたことから再び〈平和な日常〉を失い、強制労働のあげくオートマトンに殺されかけたところを思いがけず刹那に救われる形でソレスタルビーイングと関わることになる。
ソレスタルビーイングをルイスの直接的な、姉の間接的な仇として憎む沙慈は刹那がガンダムマイスターだと知って彼に銃を向けるが、「人を殺せば君たちと同じになる」と結局引き鉄を引くことはしなかった。
後にカタロンの人たちの移動を助けるために自分から志願して戦闘に参加した際も〈覚悟はある〉と言いながら、結局ぎりぎりの局面でもトリガーを引くことはできなかった(もし引いていたら結果的にルイスを殺すことになっていたのだから引けなくて正解だったのだが)。マリナは一切の戦闘行為への参加を拒絶し銃を持つことも拒否したが、沙慈は銃を持つところまで行きながらも引き鉄を引くことはしないしできない。
「マリナ・イスマイール」の項で「大事な人を守るためだ、仕方がないんだと自分に言い訳しながら銃を取ることへの躊躇いが次第に薄れていき、そしていつか引き鉄を引いてしまう時がくるかもしれない。」と書いたが、沙慈の場合、後には00ガンダムの支援機オーライザーに乗ってたびたび出撃(もっぱらダブルオーとドッキングして操縦は刹那に任せているが)するようになり、最初は負傷したイアンに代わって刹那にオーライザーを届けるだけ(戦うわけではない)、衛星兵器メメントモリを破壊して人々の命を守るため(人間を攻撃するわけではない)、アロウズにいるルイスを説得し取り戻すため(これまでのように〈皆の命を守るためにオーライザーに乗ってくれ〉と頼まれてではなく自分から進んでオーライザーに乗ることを選んだ)と確かに少しずつ戦闘マシンに乗って戦場に出ることへの抵抗感は薄れていっている。
ただ人間を撃たない、殺さないという一線は最後まで守り抜いた(それはマリナ同様、代わりに引き鉄を引いてくれる人―沙慈の場合もっぱら刹那―がいるおかげではある)。
マリナのように信念というほど確固としたものは感じられず、むしろカタロンの基地から勝手に脱走を図ったり、未遂ながら勝手にオーライザーを動かしてプトレマイオス2から出ていこうとしたり、カタロンの件では自分が引き起こした結果に打ちのめされ泣きじゃくったりと、むしろふらふらしているような印象はあるものの、だからこそ〈信念〉ではなく〈普通人としての当たり前の感性〉として人を殺せない、傷つけられないという常識を曲げない沙慈の真っすぐな心根には目を見張らされる。
幼くして両親を失っても、十代半ばで姉と恋人も失って一人になっても、彼は歪んだり荒んだりせず宇宙で働くという夢のために着実に努力しそれを叶えた。
後には聖母とも称えられたマリナのような偉人ではないが、悩み迷っても曲がってしまわない、普通の人間としての穏やかな芯の強さを持っている彼は、刹那に次ぐガンダム00第二の主人公ではないだろうか。

ちなみに上で「人間を撃たない、殺さないという一線は最後まで守り抜いた」と書いたが、最後の戦いだけはやや微妙なところがある。
ダブルオーライザーがルイスの乗るレグナントの猛攻を受けた際、イノベイター(イノベイド)の特攻兵器ガガが三体、ダブルオーライザーを押さえ込んでいるレグナントもろとも攻撃を仕掛けて来た時だ。
沙慈はルイスを守るためにとっさにミサイルを発射し、三体のガガのうち二体を撃墜している。刹那が「特攻兵器」と呼んだことと感情を感じさせない動きから沙慈はロボット兵器と考えたのかもしれないが、ガガには一応パイロット―ブリング・スタビティと同タイプのイノベイド―が乗っているのである。
彼らは最初から特攻用に産み出された存在だから人格と呼べるほどのものをプログラムされているかもわからないが、姿形も遺伝子上も一応は人間である。
人を殺すことをあれだけ恐れていた沙慈がルイスを守るためとはいえ、純粋に人間と言える存在ではないながらも人間の形をしたものを撃って命を奪ってしまった―マリナが警戒し続けた〈武器を取ることの危うさ〉がさりげなく示されたワンシーンではないかと思うのである。


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『機動戦士ガンダム00』(1)-20(注・ネタバレしてます)

2025-04-25 21:01:46 | ガンダム00

マリナ・イスマイール

中東の産油国アザディスタンの王女で、本作のヒロイン的存在。一般家庭で庶民として育つが、王家の血を引いていたがゆえに国のシンボル、王女として祭り上げられてしまう。
彼女の親しみやすさ、偉ぶらない態度を思えば庶民育ちというのは納得がいくようでもあり、一方で表情や挙措から滲み出る気品を見ると上流社会で生まれ育ってないのが信じられないようでもある。血は争えないというべきか。

一般市民から王女に、というとシンデレラストーリーのようだが、アザディスタンのような政情不安定な国のトップに立つのは(飢えや寒さの心配はないとはいえ)ほとんど罰ゲームのようなものではないか。
しかし罰ゲームなみの困難を承知でマリナが王女=アザディスタンの指導者となることを引き受けたのは、自分個人の幸福は捨てても国のために尽くしたいという想いがあったからだろう。こうした彼女の〈大きな愛〉は劇場版でフェルトに「あの人の愛は大きすぎるから」と評された刹那に似たものがある。

そう、刹那とマリナの二人はよく似ていて、同時に対照的でもある。刹那は幼少期、洗脳によって神の名のもとに自ら両親を殺し、少年兵として戦場で多くの人の命を奪ってきた。過去への悔恨から戦争の根絶を願い、しかし〈自分は戦うことしか知らない〉からとガンダムに乗って戦うことで平和な世界を招来しようとしている。
対するマリナは平和を望む心は同じでも、そのために武力を用いることを是とする刹那と違い、武力行使を非とする。マリナは最後まで刹那や劇場版のデカルト・シャーマンのように脳量子波を使えるようにはならなかったが、他人を「わかりたい、わかりあいたい」と思う気持ちは誰よりも強かった。
劇場版の序盤でもコロニー開発公社の青年に「あなたはこのコロニーの開発現場をどう捉えていますか?」「あなたの言葉で話してもらえませんか」と語り、彼が暗殺者としての正体を現わした時も「これであなたの家族は幸せになれるのですね?」と哀しげながらも穏やかに問いかけ、相手に抵抗も非難も示さない一方で命乞いもせず、あくまでも対等な人間同士として話し合いを持とうとする。

彼女のこうした〈非暴力・不服従〉的言動は、ともすれば夢想的な理想主義との印象を与えかねない。その最たる例が、セカンドシーズンでマリナがカタロンに一時的に身を寄せていた時期、アジトが襲撃を受け、クラウスが自ら囮となってマリナ・シーリン・子供たちを逃がしたさいのエピソードだろう。
シーリンは自分だけでなくマリナにも護身用の拳銃を持たせようとするが、マリナは〈銃を持てば子供たちの目をまっすぐに見られなくなりそうだから〉とそれを拒絶する。この発言に反感を抱いた視聴者は多かったのではないか。
彼女がこれまで自ら銃を取らずとも殺されずにきたのは、代わりに銃を撃ってくれる人間がいたからだ。アロウズに囚われた時には刹那が力づくで彼女を救出してくれた。この時だってクラウスが盾になってくれたおかげでマリナたちは何とか脱出できたのだ。
そしてこの場には大人のマリナ以上に守られるべき存在である幼い子供たちがいる。ずっと人に守られてきたマリナだが、今度は子供たちを守るために泥をかぶるべき時ではないのか。マリナの返答に対するシーリンの怒りに多くの視聴者も共感したことだろう。

ただマリナの気持ちもわかるのだ。どんな理由があるにせよ、一度銃を手にしてしまったら次に銃を持つ時の心理的ハードルは確実に低くなる。
大事な人を守るためだ、仕方がないんだと自分に言い訳しながら銃を取ることへの躊躇いが次第に薄れていき、そしていつか引き鉄を引いてしまう時がくるかもしれない。マリナが恐れているのはそれだろう。
最初はあくまで自衛のために武装したはずが、いつしかエスカレートして大きな紛争へと発展する。人類の歴史の中で何度となく繰り返されてきた悲劇だ。〈今回だけ〉〈一度だけ〉を自分に許してしまえば歯止めが効かなくなる。それを防ぐために彼女は武装を徹底的に拒絶するのだ。

実際ファーストシーズンでソレスタルビーイングが〈反対勢力をより強い武力で抑圧してこそ平和が実現できる〉と示してしまったことが、その理念をさらに過激化させた〈恒久平和を実現すべく、反乱分子殲滅のためには手段を選ばない〉アロウズの台頭を招く結果となった。
ファーストシーズンの中でさえ、ソレスタルビーイング―プトレマイオスクルーのやり方を先鋭化した「トリニティ」が現れ、そのやり口の容赦なさには、それまでの武力介入には好意的だった人たちや身内と言ってよいプトレマイオスクルーたちさえ強く反発している。
しかしもともとソレスタルビーイングに好意的でない、危険思想のテロ集団と見なしていた人たちから見れば、プトレマイオスクルーもトリニティもやってることは五十歩百歩である(そもそも別個の集団という認識さえない)。
どこまでが〈良い〉武力介入でどこからが〈悪い〉武力介入なのか。その線引きは人それぞれであり、自分たちの武力介入は正しくトリニティの武力介入は正しくない、というのはプトレマイオスクルーの恣意的判断と言われても仕方ないだろう。
ソレスタルビーイングに続けてトリニティが現れ、アロウズが台頭した。〈紛争根絶のため〉〈恒久平和実現のため〉武力を行使したはずが、反対勢力の殲滅、徹底した情報統制による人類のコントロール、コントロールから漏れた一般人は反対勢力もろとも口封じ、とエスカレートの一途を辿ってしまった。
武装を是としつつエスカレートを防ぐためには、いざという時には引き鉄を引ける覚悟と、いざという時以外は決して引き鉄を引かない覚悟の双方が必要となる。特に後者は、敵か味方かもわからない相手が近づいてきた時に、武器を持っていても相手が敵だと確定するまで疑心暗鬼にかられず恐怖に打ち勝って引き鉄を引かずにいられるかが問われることになる。
それができなかったゆえに起きてしまったのが、ソレスタルビーイングの指揮官であるスメラギ=リーサ・クジョウがかつてAEUの戦術予報士だった時に畏友カティ・マネキンが率いる友軍と同士撃ちのあげく恋人をはじめとする多くの死傷者を出した事件である。
誤った情報がそもそもの原因だったとはいえ、前線の兵士たちが相手の装備や服装が友軍の物だと気づける冷静さを保てていたなら、もっと早く戦闘を中止できていたのではないか。
武力を持ちながらそれを適切に運用することは、武力を一切持たないことよりも一層難しいのだ。

一方で武力を否定することの困難さもしっかり描かれる。先に挙げたマリナたちがコロニー公社の手先の青年に銃殺されかける場面だが、上手いなと思うのは青年が引き鉄を引くか否か迷っているうちにロックオンが彼を狙撃する展開にしていることだ。
もしロックオンが現れなかったなら、彼はマリナを撃っていたのか。殺されかけているのに怯えるでも罵るでもなく「これであなたの家族は幸せになれるのですね?」と語りかける、彼の家族の幸せのために大人しく殺されてくれるかにも見えるマリナを前に「この人を殺すなんてできない」と自分から銃を下ろすことを選んだか、それとも家族のため心を鬼にして引き鉄を引いたか。
そこをあえてはっきりさせないことで、マリナの〈非暴力・不服従〉に相手を改心させるほどの力があるのかどうかを不明にしているのだ。

TVシリーズでも、マリナの理想主義は見事なほどに報われない。貧困にあえぐアザディスタンを救おうと、太陽光発電システムを建設するための援助を求めてマリナは外遊を重ねるが、援助に手を挙げてくれる国はついぞ見つからない。
ようやく国連大使アレハンドロ・コーナーが積極的に話に乗ってくれたと思ったら、それは紛争をさらに拡大させるためのアレハンドロの計画の一環であり、保守派の要人マスード・ラフマディーの誘拐なども起こりアザディスタンの状況はさらに悪化した(ラフマディーを取り戻し、マリナとラフマディーの話し合いによる一応の解決をもたらしたのは、ソレスタルビーイングの「武力介入」だった)。
さらにセカンドシーズンでは早々にマリナはアロウズに拉致監禁され、緊急避難とはいえ反政府ゲリラ(カタロン)に身を寄せることとなり、あれほど守りたかった祖国は廃墟と化してアザディスタンという国自体が一時は消滅してしまった。
マリナの度重なる挫折を通して、過酷な現実を前に理想主義がいかに無力で実現困難かが繰り返し強調されているのである。

しかし(エンターテインメント作品の作劇ルール的に)当然のことながら、理想が現実に敗れてそれで終わり、などとはならない。
セカンドシーズンの後半、マリナがカタロンに保護された戦争孤児たちとともに作った平和への祈りを込めた歌が、草の根的に世界中に広がっていく。アロウズの徹底的な情報統制下にあって、アロウズが行う軍事作戦は全て地球市民の平和な生活を守るための正義の戦いと信じているはずの人々が、心の奥底ではどんな理由があろうと争いを嫌悪し、誰も傷つかない社会を求める気持ちがあることを示しているかのようだ。
そして最終回ではアロウズの敗北・解体を受けて、アザディスタン王国は新体制で再出発した連邦の支援により再建を実現する。
そこにはマリナの身の危険を顧みない働きぶりと真っ正直な言動が大きく寄与したことが小説版で説明されている。世界規模で多くの人々がマリナを支持した背景には、彼女があの〈平和の歌〉の作者&歌い手であることも当然影響しただろう。
アロウズによる非人道的戦闘行為が明るみに出てショックを受けた人々の“戦争アレルギー”とも言うべき状態が、武力に拠らない根気強い話し合い、相互理解による平和実現を旨とするマリナをアロウズのアンチテーゼ、平和の象徴たらしめたのだ。

ただ劇場版の序盤での沙慈のモノローグにあるように、この時点での平和は、ソレスタルビーイングの武力介入によるパワーバランスの崩壊~アロウズ覇権時代の反動としての「忘れられない恐怖によるかりそめの平和」に過ぎない。マリナの理想主義が真に勝利する姿が描かれるのは劇場版のクライマックスを待つことになる。


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー19(注・ネタバレしてます)

2025-04-16 12:34:40 | ガンダム00

グラハム・エーカー

ユニオンのエースパイロット。初登場時は中尉。ユニオン直属米軍第一航空戦術飛行隊(MSWAD)所属→オーバーフラッグス隊隊長を経て、セカンドシーズンではアロウズに参加、ワンマンアーミーのミスター・ブシドーとして単独行動を専らとするが、再編後の地球連邦軍ではソル・ブレイブス隊隊長として再び精鋭を率いて戦う立場となっている。

外見的には金髪碧眼の典型的な西洋風美男子。しかし癖のない容貌に反して言動は癖がありまくり(笑)。名(迷)言に事欠かないというより口を開けば全てが名(迷)言になる勢いで、登場のたびに視聴者を笑わせてくれつつ、戦闘シーンは抜群に格好良い。
刹那に「貴様は歪んでいる!」「貴様は自分のエゴを押し通しているだけだ!」と批判された通り、人間の耐久力を超えた性能のカスタム機を血へどを吐きながら嬉々として操る彼はまさしく戦闘狂なのだが、サーシェスのような残忍さ・粗暴さは感じさせず、むしろ明朗快活でさわやかですらある。個人的には『00』で一番好きなキャラクターが彼です。

グラハムと言えばまず挙げられるのがガンダムへの熱烈な〈愛〉。ソレスタルビーイングが初めて世間に姿を現したAEUイナクトのお披露目式でガンダムエクシアのとんでもない機体性能を目の当たりにし、それから間もなくセイロン島でエクシアと交戦、アザディスタンの太陽光受信アンテナ建設現場近くで現地の少年を装った刹那と遭遇――ともっぱら刹那との縁が深い印象だが、グラハムの台詞の中でも最も有名と言っていい「抱きしめたいな、ガンダム!」という愛の告白(?)を受けたのは刹那ではなくロックオンのデュメナスである(しかし「抱きしめたいな、ガンダム!」と言いながら変型して膝蹴り、そのまま押し倒して顔を掴み上げて「まさに眠り姫だ」って・・・ドSですか)。
最初にアザディスタンでロックオンと戦った時にも「身持ちが固いな、ガンダム!」なる名台詞を残していて、この頃はそれほど刹那一途というわけではなかった。
グラハムがエクシアのパイロットを終生のライバル、愛を超えた憎しみの対象と位置づけたのはファーストシーズンの最終決戦時、エクシアと交戦し彼がかつてアザディスタンで出会った少年だと気づいてからだ。
激闘の果てに相討ちとなり状況的に(主人公補正のある刹那は助かる可能性が残されていたが)死んだかと思われたグラハムは、重傷を負ったらしいものの生き延び、以降はもっぱら刹那の乗る機体―エクシアの後継機である00ガンダムとの戦いをひたすらに求めることとなる。

セカンドシーズンのグラハムは、親友ビリー・カタギリの叔父であるホーマー・カタギリの影響なのか日本趣味を通り越して武士道に目覚めてしまい、もともと癖のある言動がさらに癖が強くなった・・・というか完全に迷走しているような(苦笑)。
顔を仮面で隠しているのは顔に大きな傷を負ったせいとしても、あの陣羽織は一体・・・。ただグラハムは美形ではあるけれど特に容姿を自慢するような様子がなかったので(むしろMSとそのパイロットとしての自身の技量以外の事には興味がなさそう)、本当に傷を気にして顔を隠しているものかどうか。
むしろ再生医療の進んだあの時代にあれだけはっきりと傷が残っているので、ガンダムを倒しきれなかった(なぜ倒しきれなかったと判断したかについては後述)自身への戒めとしてあえて傷を残した、という方がグラハムらしい気もする。
(まあセルゲイ・スミルノフ大佐も太陽光発電紛争で負った傷が顔にありありと残っているので、ルイスのように細胞障害さえ負わなければどんな傷でも治る――というものでもないのだろうが)
ただ進んで傷を残したか否かは置いても、セカンドシーズンのグラハムはかつてはなかった陰を帯びている。象徴的なのが「ミスター・ブシドー」という呼び名。
彼が自らそう名乗ったわけではなく、この名前をあまり気に入ってはいないそうだが、そう呼ばれることを拒否もしない。それに普通なら上官からの指令においてまであだ名で呼ばれることはないだろう。
そしてファーストシーズンでは何かにつけ「この私、グラハム・エーカーであると!」など敵に対し名乗りをあげていた(通信回線が開かれてるわけではないので実質独り言)グラハムが、全く名前を名乗ることをしなくなった。
彼はアロウズに参加するにあたってグラハム・エーカーという名を捨てたのだ。となればあの仮面も素性を隠すためという意味合いがあるのではないか(バレバレだったとは思うが)。

彼が名前も顔も捨てた理由はおそらく、刹那との戦いでグラハム・エーカーとしての自分は死んだものと思っていたからだろう。
刹那との勝負はお互い相手の機体を貫いての相討ちであったが、大きな爆発が起きたにもかかわらず、その後機体に穴は開き怪我はしているものの四肢欠損など障害が残るような傷は負っていない刹那の姿が出てくるので、爆発したのはグラハムのカスタムフラッグの方だったことがわかる。
実際4年後のセカンドシーズンを見てもグラハムは顔のみならず腕にも消えない傷跡が残っている(カタギリ司令に対面してアロウズ入りを乞う回想シーンで半袖シャツから覗く腕にいくつも傷跡がある)のに対して、刹那の方は目立つ傷跡は一切ない。両者戦闘不能という意味では確かに相討ちだったが、機体とパイロットのダメージの度合いからすれば刹那の勝ちと言っていいだろう。
そして戦闘の当事者であり歴戦の勇士であるグラハムは、相手に止めをさせなかった、実質自分が敗れたことを感じとったのだと思う。グラハムは4年ぶりに戦場で刹那と相まみえた時「生き恥をさらした甲斐があったというもの!」と嬉々として叫んでいるが、彼にとって敗れたあげくに生き残ったことは「恥」だったのだ。
セカンドシーズンで再度刹那に敗れた時の行動からも、彼が敗北者は潔く死ぬべきだと考えているのがわかる。にもかかわらず彼が生きて軍人を続けアロウズに志願すらしたのは、刹那はきっと生きていて再び彼と戦う機会があると信じていたからではないか。
先に書いたカタギリ司令との対面シーンでカタギリ司令は「ソレスタルビーイングが再び・・・」と言い、それを受けてグラハムは「その折にはぜひとも私に戦う機会を与えて頂きたい」と頼んでいる。これは小説版によるとまだアロウズが正式に活動を開始する前、セカンドシーズンの時間軸から3年前のことだという。
ソレスタルビーイングは「フォーリンエンジェルス」作戦で壊滅的な打撃を受け、以降公に活動していなかった時期だが、グラハムはソレスタルビーイングは解体していない、いずれ再び表舞台に現れる、その時そこにはあの少年もいるはずだ、との確信を持っていたのではないか。再び刹那と本気で戦う時が一度死んだグラハム・エーカーが蘇る時、そう思っていたのではないだろうか。

とはいえ、アロウズでは時にイノベイターの傀儡として動かなければならないこともあった。カタロンの基地を殲滅させた時のようなどうにも意に染まぬ作戦は「興が乗らん!」と参加を拒絶したりしているが、基本的にはイノベイターというかリボンズの思惑であちこち移動させられている。
カタロン基地の殲滅作戦に反感を示したグラハムの感性は、同じくこの作戦に強い嫌悪感を見せたマネキンやソーマ・ピーリスに近しいものであり、彼にとってアロウズとその背後にいるイノベイターのやり方は気に入らぬことだらけだったと思われる。
それでもアロウズに籍を置き続けたのは、上で書いたようにいつか再び刹那と戦えると思っていたからだろう。本人が言う通り、刹那と、ガンダムと再戦するという目的のためには手段を選ばない彼は確かに「修羅」になったのだ。

そしてラグランジュ5で刹那に正面から果たしあいを申し込むにあたって、MSを降り姿をさらした上で「この私、グラハム・エーカーは、君との果たしあいを所望する!」と久しぶりにはっきり名乗りを挙げる。
ミスター・ブシドーとしてこれまでも2回刹那とは刀を交えているが、名乗りを挙げたのは今回が初。この戦いにかけるグラハムの意気込みが伝わってくるようだ。
しかし腹をくくって勝負を受けた刹那との戦いの結果はグラハムの敗北に終わる。それも前回のような引き分けに近い形ではなく、機体(スサノオ)が完全に機能停止に追い込まれたうえダブルオーライザーにビームサーベルの切っ先を突きつけられるという完全敗北。
戦闘途中に謎の白い空間に引き込まれ刹那が「変革」(グラハム流に言えば「極み」)を遂げつつある姿を見せつけられ、必殺の一撃を「真剣白刃取り」という剣術の技で防がれたことも武士道を掲げるグラハムには精神的ダメージだったろう。
そして勝者である刹那による止め―尊敬できる好敵手の手による堂々たる死を与えられず、「生きて明日を掴む それが俺の戦いだ」「生きるために戦え」と〈生きる〉ことを促された・・・。
小説版によればグラハムは孤児だったという。明朗快活で自信溢れる言動から典型的なエリートコースを歩んできた人間だろうと思っていただけに意外だったが、頼もしい後ろ盾も経済的な基盤もないままにパイロットとしての腕一本で這い上がってきたということなのだろう。グラハムが戦うことに全てを賭けているのにはそうした背景があったわけだ。
そしてやはり孤児であり子供時代から戦いばかりの人生だった刹那に(彼のそうした過去を知らないなりに)自分と同じ匂いを出会った当初から感じていたのではないか。
だから同じように戦うことしかできないはずの〈同類〉である刹那がいつしか戦いの先にあるものを見出していた、自分の先を行っていたことにグラハムは衝撃を受けた。
戦闘だけでなく人間としても上を行かれたことに前回以上の敗北感を覚えながらも、一度は自害も考えたもののグラハムは刹那の言葉通り「生きる」ことを選んだ。
それは安易に死を選ぶよりも、敗北感に塗れながらも生き続ける中で刹那が到達した極みに自分も到達したいとの思いがあったからではないか。死んでしまえば二度と刹那に追いつくことはできないのだから。
彼が劇場版でフェルトに「私が超えなければいけないのはこの少年だ」と語ったのはそういう意味だったのだと思う。

劇場版で、再編された地球連邦軍のパイロットにしてソル・ブレイヴス隊隊長として登場するグラハムは傷こそあれ以前のように顔をさらしていて、ファーストシーズンの頃に立ち返ったようにも見える。少なくとも泥に塗れても生きて戦う決断をしたグラハムは、もはや〈生き恥をさらしている〉などとは感じていないだろう。
そしてELSとの最終決戦にあたって自分が盾となって刹那を超巨大ELSのもとへと向かわせた際に、グラハムは「生きて未来を切り開け!」とかつて自分が言われた言葉を手向ける。さらに刹那に先行して超巨大ELSの〈傷口〉に突入し自爆によって侵入路を確保した―「生きて(人類の)未来を切り開」いた時、彼はイノベイターではなくとも、刹那に〈追いついた〉のではないか。「未来への水先案内人は、このグラハム・エーカーが引き受けた!」と例によって朗らかに名乗りをあげながら。
セカンドシーズンの最終回ではカタギリに会いに来た=死は思い留まったことしかわからなかった(すでに劇場版の制作が決まってたからこそキャラクターその後については最低限しか描かなかったのかもだが)グラハムが、生き生きと躍動している姿は何とも嬉しかったものだった。


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー18(注・ネタバレしてます)

2025-04-07 20:49:19 | ガンダム00

パトリック・コーラサワー

AEUのエースパイロット。地球連邦軍発足後はそのまま連邦軍に移り、マネキン大佐を追いかけてアロウズに志願する。
ファーストシーズン第一話で、AEUの新型機イナクトのお披露目式でパイロットを努め、結果初めて人前に姿を現したガンダム(刹那のガンダムエクシア)に瞬殺されるという見事なかませ犬の役割を果たして以降、すっかり失敗ばかりの三枚目的なイメージがついてしまった。
それは自ら「模擬戦でも負け知らずのスペシャル様なんだよ!」と豪語する自信家ぶり、しかも語彙がなんか間抜けなところにも表れている。ましてエクシアに倒されるシーンで「オレは!2000回で!模擬戦なんだよお!」と語彙が崩壊するに至っては(笑)。模擬戦で負け知らずというのも実戦ではダメなのか?という印象を与えてしまうし。
ちなみに「2000回」というのは小説版によれば「二千回以上のスクランブルをこなし」たことを指すそうだが、緊急出動した数=勝ち戦の数ではないし、出動はしたものの戦闘には至らなかったケースもそれなりにあるだろう。自身の能力を誇る台詞としてはいま一つ説得力に欠ける。
まあ具体的な経緯はともかく2000回の出動のたび生きて帰ってきたのだけは確かなので、後の異名(あてこすり)「不死身のコーラサワー」の片鱗がすでに見えるとはいえるかも。

ともあれ、この鮮やかなキャラの立ちっぷり、「パトリック・コーラサワー」という(いささかユーモラスでもある)フルネームが明かされていることからも、コーラサワーが遠からず再登場すると踏んでいた視聴者は少なくなかったものと思う。
そして満を持しての(?)再登場シーン―美女といちゃついてたかと思えば時間だからとあっさり女を突き放して、埋め合わせの(いかにも口先だけの)約束をして別れるというプレイボーイ風の言動で格好つけたかと思えば直後に新しい上官のカティ・マネキンに張り倒されるという、情けなくも笑える姿を見せてくれる。
しかも最初は自分の非を棚に上げて反抗→もう一発殴られて「二度もぶった」とへたりこむ→「いい女じゃないか」といきなり一目惚れして従順に、というスピーディーな態度の変化っぷりでさらに笑わせつつ、初登場のマネキンのキャラクターを鮮やかに印象づけるこれまた一種のかませ犬的役割をしっかりと果たして、さすがはコーラサワーと期待に違わぬ活躍を見せてくれた。
そして最初はその自信たっぷりの傲岸不遜な態度からもっと鼻もちならないキャラクターになってもおかしくなかったコーラサワーが、ここでマネキンの忠犬(というか一途に懐いているワンコ)としてのキャラを確立したことで、ちょっと間抜けだけど憎めない、何気にパイロットとしては優秀な(だからこそ敗北によって相手を引き立てる役割が務まる)人物として視聴者から愛されるようになっていったのではないだろうか。

そんなコーラサワーの魅力が特に表れているのがマネキンを夕食に誘った時のエピソード。正装して大きな薔薇の花束を抱えたコーラサワーの姿に「今世界は大きな変革期を迎えようとしている。そのことについて考えるようなことはないのか」と呆れたようにマネキンは尋ねるのだが、それに対しコーラサワーは「はい、ないです」とさらっと即答するのだ。
普通上官に、しかも惚れた女に「考えるようなことはないのか」と問われたら、何も考えてなくても見栄を張って考えているかのように自分を飾ろうとしてしまうものだ。
しかしコーラサワーは無駄に自分を大きく見せようなどとはしない。専門分野であるMSの操縦に関しては大いにプライドを持っていると思うが、それ以外のことは知らないことは知らない、できないことはできないと至って正直だ。
個人的にはこのシーンですっかりコーラサワーが大好きになった。「まったく、放っておけん男だ」と苦笑しながら食事の誘いを了承したマネキンも、コーラサワーが変に賢いふりなどしていたら相手にしなかったのではないか。
マネキンほど賢い女性には賢さを装ってもかえって底の浅さを見抜かれて軽蔑されてしまいそうだ。実際これまでマネキンに近づこうとした男の中には、彼女に侮られたくなくて背伸びしたあげく空回りして玉砕した例が多々あったのではなかろうか。
彼女のような女性には、己の知性に自信があって彼女と並び立とうと、もしくは自分が上に立とうとする男ではなく、知性で張り合おうとは全くしないコーラサワーのような〈素直な〉人間がベストパートナーなのかも知れない。

コーラサワーは機体が破壊されても、自力で帰投できない状況になっても、どうにかこうにか生き延び続ける。「不死身のコーラサワー」の異名の通りである。
そのコーラサワーにして、ソレスタルビーイングによるヴェーダ奪還作戦(実質アロウズ対ソレスタルビーイング+カタロン+クーデタ―派の戦い)」の中でいよいよ死を覚悟する事態になったさいに、彼はマネキンに「大好きです。カティ」という言葉を残す。
死地にある男の最期の(と思われた)言葉、初めてのファーストネームでの呼びかけ&告白にさすがにマネキンも感じるところがあったのではないか(「愛してます」でなく「大好きです」という言い回しもちょっと子供っぽくて、かえって素の心情という感じがする)。ここに至るまでも何だかんだ言ってマネキンはコーラサワーに関しては私情が入るところはあったのだ。結局この時も奇跡的に生還したコーラサワーとセカンドシーズン最終回ラストでめでたく結婚式を挙げることとなる。

(この最終回だが、どうやってコーラサワーが助かったのかわからないどころか、結婚式の場面まで彼が生きていたことすら明かされてなかったため、二人が無事結ばれたことに感動するより「え?生きてたの!?」とあっけに取られてしまった。他にもいろいろ説明不足な箇所があって、連続ドラマの最終回によくあるみたいに15分延長とかできたらな~なんて思ったりします。
とはいえ式直前まで控室で、難民の世話に当たっているアンドレイ・スミルノフ中尉に電話を通して指示を出してるあたりは実にマネキンらしくて、時間的制約の中で各キャラクターらしい顛末を描き出したのはさすが)

私見になるが、コーラサワーがマネキンに惹かれた一番の要因は初対面で殴られ叱責されたこと―思い通りにならない女だった事が第一のように思える。
直前に女とデートしていた時の様子からしても女好きのプレイボーイ、それもそれなりに整った容姿とAEUのエースパイロットであることから女の方から近寄ってくるのだろうと想像されるコーラサワーが、毛色の違う手ごわそうな相手を戦士の性として〈落としてみせる〉と無意識に闘争心を掻き立てられたのではないかと。
だから結婚というハッピーエンドにたどり着いたら、〈釣った獲物に餌はやらない〉ではないがこれまでのような情熱は薄れてしまうのではないか?という不安がないではなかった。
マネキンに殴られた時の最初の反応(「何だ女、よくも男の顔を」)からすれば、本来男尊女卑的な傾向もあるようではあるし(それにしても相手が上官なのはわかってたろうに、とっさの事とはいえよく上意下達の軍隊でこんな台詞が吐けたものだ。だからこそ第一話の時点で〈エースパイロットだが性格に難がある〉とか言われてたのだろうが)。

しかし劇場版を見ると、こんな心配は全くの杞憂だった。結婚しても二人の関係は驚くほどに独身時代と変わらなかった。
完全なプライベートシーンが出てこないので断言はできないが(部屋着でくつろいでる場面はあるが、あれはソレスタルビーイング号内なので半分仕事中みたいなものである)、告白の時にはマネキンを「カティ」と呼んだコーラサワーは奥方を相変わらず「大佐」と階級で呼び、会話の内容・話し方とも上司と部下そのままである。
特徴的なのはすでに准将に昇進しているマネキンをたびたび注意されながら(そのやりとりを二人とも楽しんでる感があるが)大佐と呼び続けていることである。
初めて彼女に出会って恋に落ちた時から告白に至るまでの時間、コーラサワーはずっと「大佐ぁ」と彼女を追いかけ続けてきた。「大佐」という呼びかけの中に彼女への思いと大事な時間の全てが詰まっている。だからコーラサワーはこの呼び方を変えたくないのではないか。彼女をいつまでも恋に落ちた時のままの新鮮な気持ちで愛し続けていたいから。
同じく聡明なマネキンの方もコーラサワーとは上司と部下の関係でいる方が円満な夫婦関係を保てると(逆説的なようだが)察して、あえて上司然と接し続けているのではないか。その甲斐あって?劇場版でも相変わらずコーラサワーはマネキンに頭が上がらず、相変わらず二人はラブラブだった。もしいずれ子供が生まれたとしてもこの二人はずっとこのままでいそうだし、またそうあってほしいなと切に願ってしまうのである。

 


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『機動戦士ガンダム00』(1)-17(注・ネタバレしてます)

2025-03-31 21:06:44 | ガンダム00

カティ・マネキン

AEUの戦術予報士にしてMS部隊の戦術指揮官。階級は大佐。その後地球連邦軍発足にともない連邦軍に移り、アロウズから招聘を受けて(いやいやながら)アロウズに移る。
ブレイクピラー事件を機に完全にアロウズに愛想を尽かし、行方をくらました後ひそかにカタロンと協力、ヴェーダ奪還をかけてのアロウズ対ソレスタルビーイングの最終決戦時にソレスタルビーイングに加勢、彼らの勝利とアロウズ解体に大きく貢献する。その後新生地球連邦軍に所属、准将に昇進する。

“女傑”とか“鉄の女”とかいったフレーズがぴったりくるような、知的でクールな美貌と男性的というかいかにも軍人的な、高圧的ともいえる話し方が印象的。それは初登場シーン、遅刻してきたコーラサワーをいきなり張り倒す場面で鮮やかに示される。
不意を打たれたとはいえ大の男、それもエースパイロットなのだから運動神経は人一倍優れているはずのコーラサワーを一発で吹っ飛ばすあたりに、彼女の鍛え方がわかるというものだ。
下の者を甘やかさず上の者にへつらわず堂々と正論を述べる彼女を煙たく思う人間は多いだろうが(アロウズの上級士官、グッドマン准将やリント少佐などが好例)、部下からはその公正さ、媚びない態度で案外慕われてるのではないか。
美女なのに色っぽくない(というより意識的に色気を振りまかないようにしていることで、その毅然たる態度がかえって凛とした色香を醸し出しているようでもある。コーラサワーがマネキンに一目惚れしたのは、彼女の顔の造作だけでなくその〈色っぽくない色香〉に捕まってしまったのでは?と思っている)のも男女問わず周囲に好印象を与えていることだろう。

しかし回想シーンの大学時代など見ると、髪を下ろし薄い水色のワンピースを着ているのもあって、雰囲気がずっと柔らかい。
まだ軍隊入隊前で、ビリーの台詞からするにすでに彼女が発表した戦術が実戦で利用され戦果を挙げているそうだが、本人が直接に作戦指揮を取って命のやりとりに関わってはいないのだろうから柔らかくて当然ではあるのだが、マネキンを作中のような“鉄の女”たらしめたのは、やはり例の同士撃ちの件が大きいのではないか。

マネキンは初登場の時点ですでに若くして(30前後くらい?)大佐の地位にある。ビリーの情報が正しければ大学時代に佐官待遇でスカウトを受けていたというから、入隊時から少佐とかだったのかもしれないが、きわめて順調に出世を重ねているように思える。
この件で降格処分を受けていればこうはならないだろう。つまり友軍同士の同士撃ちという事態を招いたのは誤情報が原因で、その情報に基づいて戦術を立てたマネキンやリーサ・クジョウ(スメラギ)に直接の非はないと見なされたのではないか。
スメラギの回想で事件後上官から「優秀すぎたんだよ、君たちは」と言われる場面があるが、これも叱責という口調ではなく嘆き節という感じだった。スメラギたちの優秀さが結果的に被害を拡大させたのは事実だが、彼女たちを責めるのは酷だというのが上層部の共通認識だったものと思われる。
とはいえ実際に作戦立案をした立場としては、責任を問われずとも良心の痛みを感じずにはいられなかっただろう。リント少佐にこの件について当てこすられた時にリントの胸倉を掴むほど激高していたことからしても、マネキンがこの件で受けた衝撃が相当大きかったのがわかる。
しかし一方の当事者であるスメラギは軍を退役したのに対し、マネキンは軍に残ることを選んだ。そしてその時点で彼女はある覚悟を固めたのではないか。

想像だが、戦術予報士とは語感から連想される気象予報士同様、過去に使用された古今東西の戦術を分析し目下のミッションに最適な戦術を割り出す、それも考えうるあらゆる状況の変化に対し、その時々で打つべき手も前もって考案し、“プランBからプランCに移行”のように細かく戦術を切り替えてゆく仕事なのだろうと思う。
状況の変化にリアルタイムで対応する必要はあるが戦術予報士自らが武器をとって戦うわけではないので、戦況を把握できる環境さえ確保されていれば本人が前線にいる必要はないのだろう。
ファーストシーズン前半のスメラギも、ガンダムマイスターたちが戦っている間戦況に応じて指示は出しても彼女が乗るプトレマイオスは後方の安全地帯にいた(だからこそ初めてプトレマイオスが直接攻撃にさらされた時クリスが怯えるあまりパニックに陥った)。甚だしきは三国家群による合同軍事演習(という名のガンダム鹵獲作戦)の時、マイスターたちが十数時間も敵の大物量攻撃にただただ耐え続けていたとき、スメラギはじめマイスター以外のクルーは王留美の別荘に滞在していた(もちろん前線の仲間の無事を案じながらだが)。
しかしマネキンは彼女が関わっているほとんどの作戦において最前線とはいかずとも戦場に身を置いている。セカンドシーズンの初期、リント少佐立案による海中のプトレマイオス2を襲撃する作戦の際など、ソレスタルビーイングの反撃に遭い、ミスター・ブシドーが現れるのがもう少し遅ければ彼女やリントの乗る空母はダブルオーガンダムの攻撃で撃沈されていたはずだ。
現役軍人、それもMS部隊の戦術指揮官であるマネキンと民間組織に所属するスメラギでは立場が違うのは確かだが、彼女は望んで積極的に現場に出ているのではないか。そのために戦術予報士というだけでなく、MS部隊指揮官をも引き受けて危険を承知で戦場に立っているのではないか。
同士撃ち事件の時に自分が現場にいたなら相手が友軍だともっと早く気づけた、あれほどの惨事に至ることはなかったとの思いがあって(現場にいなかったというはっきりした描写はないが、いたならああはならなかったろう)、直接前線の空気を肌で感じることを自身に課すようになったのではないだろうか?
スメラギが「二度と間違えない」と決めてソレスタルビーイングに参加したように、マネキンも「二度と間違えない」覚悟で戦場に出ているのではないか、そんな気がするのである。


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー16(注・ネタバレしてます)

2025-03-25 00:36:50 | ガンダム00

セルゲイ・スミルノフ

「ロシアの荒熊」の異名を持つ人革連のMS部隊「頂武」の指揮官。ファーストシーズン時は中佐。
セカンドシーズンでは新たに発足した地球連邦軍の大佐だが、政府直属の独立治安維持部隊アロウズが力を伸ばして行く中でアロウズから引き抜きの声がかかる事もなく実質閑職に追いやられていた。<br>
<br>
能力といい人格といい、まさに軍人の鑑のような人物。指揮官としての能力においては、まずガンダム捕獲作戦が挙げられる。
当時はまだGNドライブ搭載のMSに切り替わる前で、少し後の三国家群の合同軍事演習(という名のガンダムを誘き出し破壊する作戦)や「フォーリンエンジェルス」と違い人革連のみでの作戦だったにもかかわらず、戦術においてスメラギの裏をかき、アレルヤのキュリオスを一度は鹵獲、ティエリアのヴァーチェもあと一歩で鹵獲できるというところまで追い詰めた。“天才”のスメラギを“老巧”のスミルノフが上回った形である。
(ただ途中からの経過はいささかまずかったが。ヴァーチェからナドレに変わることで窮地を脱したティエリアの場合はさすがに想定外だろうからやむをえないとして、アレルヤに逃げられたのはその際の味方の被害を考えても迂闊だったといえる。
別人格のハレルヤが目覚めたこと自体は想定外でも、アレルヤが意識を取り戻して暴れる可能性を考慮してガスなり電気ショックなり意識を奪い続けるか身体を動かせなくする対処をしてから近づかせるべきだったろう)

MSのパイロットとしてもGNドライブ搭載型のジンクスに乗り換えて早々にガンダムスローネ(直接にはネーナのスローネドライ)を圧倒し、ファーストシーズンでは人間離れした反射能力を持つ超兵であるピーリスと常に共に行動している。彼女の動きが見えているし追えているのだ。
戦闘スタイルは最初にセイロン島で刹那と戦った時など見るに、「肉ならくれてやる!」の言葉通りの“肉を斬らせて骨を断つ”式の、何かを犠牲にしてもより大きな戦果を得る、より大切な物を守るという姿勢のようだ。
ファーストシーズンの最終決戦でハレルヤに追い詰められたピーリスをかばって止めの一撃を受けたのも、ピーリスへの個人的情というより自分が犠牲になることでハレルヤの意表をつきピーリスにハレルヤを倒させることができる(その方がピーリス戦に専念してるハレルヤに直接自分が攻撃するよりも勝率が高い)と判断したからだろう。
そう、この人の偉いところはより大切な物を守るために犠牲にするのが自分や自分の乗っている機体で、他人を捨て石にしないところだ。
部下に対しても甘い顔はしないが、ピーリスへの対応を見ても面倒見はよく、厳格ながら情があり、時には規律を曲げても部下や他人を守る〈話のわかる〉人物である。
そうでなければアレルヤとピーリスの仲を(二人、とくにアレルヤの覚悟を見たうえで)認め表向きはピーリスは死んだものとしたり、カタロンの基地から脱走した沙慈を捕獲(保護)したさいに(彼は巻き込まれただけの一般人だと確信したうえで)アロウズに睨まれるリスクを負っても彼を逃がしたりはしない。こう書いてみるとつくづくと理想的な軍人であり人格者だと思う。

その一方で、私人としてはうってかわってダメダメである。別に酒癖が悪かったり女癖が悪かったりするわけではない、セカンドシーズンの初めでピーリスとお茶を飲んでいたシーンを見るかぎり平時も穏やかでごく常識的な人物ではある。
ただ妻亡き後、実の息子であるアンドレイにきちんと向き合うことをせず、結局彼との関係を致命的なまでにこじらせてしまった。
さらに彼はピーリスに自分の養女になる話を打診していたが、アンドレイがピーリスにアロウズからの招集命令を伝えに現れたとき(ピーリスに用があるのにスミルノフの家を訪ねてくるということは、単に同じ士官用宿舎に入居してるお隣さんではなく養子縁組しないうちから一緒に暮らしているのだろうか)のピーリスの様子からすれば、ピーリスはアンドレイを知らなかった。下手すれば息子がいること自体知らなかったかもしれない。息子の存在を知っていれば、顔は知らずとも両者のやりとりから“ああ、この人が息子さんなのね”的な反応になっただろう。
そしてアロウズでのアンドレイのピーリスへの態度はあくまでも上官に対するもので、ピーリスがスミルノフの部下で個人的にも親しくしてるのは知っていても養女になる話がある(年齢的にピーリスの方が義理の妹となる)などとは思ってもいないのではないか。
いかに息子と疎遠になってるとはいえ、彼の知らないところで養子縁組の話を進めるのはいかがなものか。ピーリスの承諾が得られてからきちんと話すつもりだったのかもしれないが、少なくともピーリスの方には養女になる話を持ち出したさいに不仲の息子がいることは知らせておくのが誠意というものだろう。養女になる話を承知したあとで実の息子=義理の兄になる人物がいてしかも父親と不仲と知るのでは、ピーリスが気の毒ではないか。
仕事の上では有能かつ上にも下にも人望のある人物が、家庭においては無能力者ということはままあるが、スミルノフ大佐はそれを地でいっている感がある。

それはアンドレイとの確執の原因となった妻ホリーの戦死についても言える。第五次太陽光紛争時、自軍がピンチとなり作戦本部から最終防衛ラインへの後退命令が下された際に、軍事基地の指揮管制室で全体指揮を取っていたスミルノフは、ホリーが小隊長を務める第四小隊が前線に取り残されるのを承知のうえで救援部隊を送らず全軍後退の指示を出した。
最終防衛ラインを死守することが軌道エレベーターの技術者とその家族―つまりは民間人の命を守るために必要だとの使命感からの判断だったが、それは唯一戦果を挙げていたがゆえに突出していた=最も活躍していた第四小隊を見殺しにすることでもあった。結局予期された通り第四小隊は壊滅、ホリーも戦死するに至ってしまった。
民間人の生命と安全を守るのが軍人の務めというスミルノフの言い分は最もであり軍人とはかくあるべきと言いたくなるが、もし第四小隊にホリーがいなかったとしてもスミルノフは同じ判断を下しただろうか。最終防衛ラインは死守しなくてはならない、しかし友軍を見殺しにすることもできないと、どうにか第四小隊も共に後退できるような策を講じようともっと足掻いたのではないか。
なまじ身内がいたがために、家族の情に流されて民間人を危険にさらすわけにはいかないと、第四小隊もろともに切り捨てる決断をしてしまったのではないか?
上で書いたようにこの人の偉いところは目的のために犠牲にするのはあくまで自分で他人を捨て石にしないことだが、家族は自分の一部、家族のことは私事という認識があるために、いざという時に家族は犠牲にする対象になってしまうのだ(その意味では部下と家族の中間―公と私の狭間にいたピーリスが最もいいとこ取りの関係性を築けていたのかもしれない)。

ただこうした私人としての欠点も、彼が公人として立派であろうとした、事実理想的な軍人の姿を体現していたことの弊害であり、彼の真面目さ、不器用さを示していて個人的には好感が持てる。彼がアンドレイを息子として愛していたのは、自機の爆発にアンドレイを巻き込むまいとそっと突き放した最期の行動からよくわかるし。
ただその愛情をきちんとわかるように示せなかったことで息子に道を誤らせ、親殺しの大罪まで犯させてしまった。ダブルオーライザーのトランザムバーストがなかったら、アンドレイがピーリスを通じて父の愛情を知ることもないままだったはずだ。
『00』の大テーマである〈わかりあう事の大切さと難しさ〉を家族間で体現してみせたのがスミルノフ大佐だったとも言えるのではないだろうか。 <br>


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