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俳優・勝地涼くんのこと。

『機動戦士ガンダム00』(1)ー19(注・ネタバレしてます)

2025-04-16 12:34:40 | ガンダム00

グラハム・エーカー

ユニオンのエースパイロット。初登場時は中尉。ユニオン直属米軍第一航空戦術飛行隊(MSWAD)所属→オーバーフラッグス隊隊長を経て、セカンドシーズンではアロウズに参加、ワンマンアーミーのミスター・ブシドーとして単独行動を専らとするが、再編後の地球連邦軍ではソル・ブレイブス隊隊長として再び精鋭を率いて戦う立場となっている。

外見的には金髪碧眼の典型的な西洋風美男子。しかし癖のない容貌に反して言動は癖がありまくり(笑)。名(迷)言に事欠かないというより口を開けば全てが名(迷)言になる勢いで、登場のたびに視聴者を笑わせてくれつつ、戦闘シーンは抜群に格好良い。
刹那に「貴様は歪んでいる!」「貴様は自分のエゴを押し通しているだけだ!」と批判された通り、人間の耐久力を超えた性能のカスタム機を血へどを吐きながら嬉々として操る彼はまさしく戦闘狂なのだが、サーシェスのような残忍さ・粗暴さは感じさせず、むしろ明朗快活でさわやかですらある。個人的には『00』で一番好きなキャラクターが彼です。

グラハムと言えばまず挙げられるのがガンダムへの熱烈な〈愛〉。ソレスタルビーイングが初めて世間に姿を現したAEUイナクトのお披露目式でガンダムエクシアのとんでもない機体性能を目の当たりにし、それから間もなくセイロン島でエクシアと交戦、アザディスタンの太陽光受信アンテナ建設現場近くで現地の少年を装った刹那と遭遇――ともっぱら刹那との縁が深い印象だが、グラハムの台詞の中でも最も有名と言っていい「抱きしめたいな、ガンダム!」という愛の告白(?)を受けたのは刹那ではなくロックオンのデュメナスである(しかし「抱きしめたいな、ガンダム!」と言いながら変型して膝蹴り、そのまま押し倒して顔を掴み上げて「まさに眠り姫だ」って・・・ドSですか)。
最初にアザディスタンでロックオンと戦った時にも「身持ちが固いな、ガンダム!」なる名台詞を残していて、この頃はそれほど刹那一途というわけではなかった。
グラハムがエクシアのパイロットを終生のライバル、愛を超えた憎しみの対象と位置づけたのはファーストシーズンの最終決戦時、エクシアと交戦し彼がかつてアザディスタンで出会った少年だと気づいてからだ。
激闘の果てに相討ちとなり状況的に(主人公補正のある刹那は助かる可能性が残されていたが)死んだかと思われたグラハムは、重傷を負ったらしいものの生き延び、以降はもっぱら刹那の乗る機体―エクシアの後継機である00ガンダムとの戦いをひたすらに求めることとなる。

セカンドシーズンのグラハムは、親友ビリー・カタギリの叔父であるホーマー・カタギリの影響なのか日本趣味を通り越して武士道に目覚めてしまい、もともと癖のある言動がさらに癖が強くなった・・・というか完全に迷走しているような(苦笑)。
顔を仮面で隠しているのは顔に大きな傷を負ったせいとしても、あの陣羽織は一体・・・。ただグラハムは美形ではあるけれど特に容姿を自慢するような様子がなかったので(むしろMSとそのパイロットとしての自身の技量以外の事には興味がなさそう)、本当に傷を気にして顔を隠しているものかどうか。
むしろ再生医療の進んだあの時代にあれだけはっきりと傷が残っているので、ガンダムを倒しきれなかった(なぜ倒しきれなかったと判断したかについては後述)自身への戒めとしてあえて傷を残した、という方がグラハムらしい気もする。
(まあセルゲイ・スミルノフ大佐も太陽光発電紛争で負った傷が顔にありありと残っているので、ルイスのように細胞障害さえ負わなければどんな傷でも治る――というものでもないのだろうが)
ただ進んで傷を残したか否かは置いても、セカンドシーズンのグラハムはかつてはなかった陰を帯びている。象徴的なのが「ミスター・ブシドー」という呼び名。
彼が自らそう名乗ったわけではなく、この名前をあまり気に入ってはいないそうだが、そう呼ばれることを拒否もしない。それに普通なら上官からの指令においてまであだ名で呼ばれることはないだろう。
そしてファーストシーズンでは何かにつけ「この私、グラハム・エーカーであると!」など敵に対し名乗りをあげていた(通信回線が開かれてるわけではないので実質独り言)グラハムが、全く名前を名乗ることをしなくなった。
彼はアロウズに参加するにあたってグラハム・エーカーという名を捨てたのだ。となればあの仮面も素性を隠すためという意味合いがあるのではないか(バレバレだったとは思うが)。

彼が名前も顔も捨てた理由はおそらく、刹那との戦いでグラハム・エーカーとしての自分は死んだものと思っていたからだろう。
刹那との勝負はお互い相手の機体を貫いての相討ちであったが、大きな爆発が起きたにもかかわらず、その後機体に穴は開き怪我はしているものの四肢欠損など障害が残るような傷は負っていない刹那の姿が出てくるので、爆発したのはグラハムのカスタムフラッグの方だったことがわかる。
実際4年後のセカンドシーズンを見てもグラハムは顔のみならず腕にも消えない傷跡が残っている(カタギリ司令に対面してアロウズ入りを乞う回想シーンで半袖シャツから覗く腕にいくつも傷跡がある)のに対して、刹那の方は目立つ傷跡は一切ない。両者戦闘不能という意味では確かに相討ちだったが、機体とパイロットのダメージの度合いからすれば刹那の勝ちと言っていいだろう。
そして戦闘の当事者であり歴戦の勇士であるグラハムは、相手に止めをさせなかった、実質自分が敗れたことを感じとったのだと思う。グラハムは4年ぶりに戦場で刹那と相まみえた時「生き恥をさらした甲斐があったというもの!」と嬉々として叫んでいるが、彼にとって敗れたあげくに生き残ったことは「恥」だったのだ。
セカンドシーズンで再度刹那に敗れた時の行動からも、彼が敗北者は潔く死ぬべきだと考えているのがわかる。にもかかわらず彼が生きて軍人を続けアロウズに志願すらしたのは、刹那はきっと生きていて再び彼と戦う機会があると信じていたからではないか。
先に書いたカタギリ司令との対面シーンでカタギリ司令は「ソレスタルビーイングが再び・・・」と言い、それを受けてグラハムは「その折にはぜひとも私に戦う機会を与えて頂きたい」と頼んでいる。これは小説版によるとまだアロウズが正式に活動を開始する前、セカンドシーズンの時間軸から3年前のことだという。
ソレスタルビーイングは「フォーリンエンジェルス」作戦で壊滅的な打撃を受け、以降公に活動していなかった時期だが、グラハムはソレスタルビーイングは解体していない、いずれ再び表舞台に現れる、その時そこにはあの少年もいるはずだ、との確信を持っていたのではないか。再び刹那と本気で戦う時が一度死んだグラハム・エーカーが蘇る時、そう思っていたのではないだろうか。

とはいえ、アロウズでは時にイノベイターの傀儡として動かなければならないこともあった。カタロンの基地を殲滅させた時のようなどうにも意に染まぬ作戦は「興が乗らん!」と参加を拒絶したりしているが、基本的にはイノベイターというかリボンズの思惑であちこち移動させられている。
カタロン基地の殲滅作戦に反感を示したグラハムの感性は、同じくこの作戦に強い嫌悪感を見せたマネキンやソーマ・ピーリスに近しいものであり、彼にとってアロウズとその背後にいるイノベイターのやり方は気に入らぬことだらけだったと思われる。
それでもアロウズに籍を置き続けたのは、上で書いたようにいつか再び刹那と戦えると思っていたからだろう。本人が言う通り、刹那と、ガンダムと再戦するという目的のためには手段を選ばない彼は確かに「修羅」になったのだ。

そしてラグランジュ5で刹那に正面から果たしあいを申し込むにあたって、MSを降り姿をさらした上で「この私、グラハム・エーカーは、君との果たしあいを所望する!」と久しぶりにはっきり名乗りを挙げる。
ミスター・ブシドーとしてこれまでも2回刹那とは刀を交えているが、名乗りを挙げたのは今回が初。この戦いにかけるグラハムの意気込みが伝わってくるようだ。
しかし腹をくくって勝負を受けた刹那との戦いの結果はグラハムの敗北に終わる。それも前回のような引き分けに近い形ではなく、機体(スサノオ)が完全に機能停止に追い込まれたうえダブルオーライザーにビームサーベルの切っ先を突きつけられるという完全敗北。
戦闘途中に謎の白い空間に引き込まれ刹那が「変革」(グラハム流に言えば「極み」)を遂げつつある姿を見せつけられ、必殺の一撃を「真剣白刃取り」という剣術の技で防がれたことも武士道を掲げるグラハムには精神的ダメージだったろう。
そして勝者である刹那による止め―尊敬できる好敵手の手による堂々たる死を与えられず、「生きて明日を掴む それが俺の戦いだ」「生きるために戦え」と〈生きる〉ことを促された・・・。
小説版によればグラハムは孤児だったという。明朗快活で自信溢れる言動から典型的なエリートコースを歩んできた人間だろうと思っていただけに意外だったが、頼もしい後ろ盾も経済的な基盤もないままにパイロットとしての腕一本で這い上がってきたということなのだろう。グラハムが戦うことに全てを賭けているのにはそうした背景があったわけだ。
そしてやはり孤児であり子供時代から戦いばかりの人生だった刹那に(彼のそうした過去を知らないなりに)自分と同じ匂いを出会った当初から感じていたのではないか。
だから同じように戦うことしかできないはずの〈同類〉である刹那がいつしか戦いの先にあるものを見出していた、自分の先を行っていたことにグラハムは衝撃を受けた。
戦闘だけでなく人間としても上を行かれたことに前回以上の敗北感を覚えながらも、一度は自害も考えたもののグラハムは刹那の言葉通り「生きる」ことを選んだ。
それは安易に死を選ぶよりも、敗北感に塗れながらも生き続ける中で刹那が到達した極みに自分も到達したいとの思いがあったからではないか。死んでしまえば二度と刹那に追いつくことはできないのだから。
彼が劇場版でフェルトに「私が超えなければいけないのはこの少年だ」と語ったのはそういう意味だったのだと思う。

劇場版で、再編された地球連邦軍のパイロットにしてソル・ブレイヴス隊隊長として登場するグラハムは傷こそあれ以前のように顔をさらしていて、ファーストシーズンの頃に立ち返ったようにも見える。少なくとも泥に塗れても生きて戦う決断をしたグラハムは、もはや〈生き恥をさらしている〉などとは感じていないだろう。
そしてELSとの最終決戦にあたって自分が盾となって刹那を超巨大ELSのもとへと向かわせた際に、グラハムは「生きて未来を切り開け!」とかつて自分が言われた言葉を手向ける。さらに刹那に先行して超巨大ELSの〈傷口〉に突入し自爆によって侵入路を確保した―「生きて(人類の)未来を切り開」いた時、彼はイノベイターではなくとも、刹那に〈追いついた〉のではないか。「未来への水先案内人は、このグラハム・エーカーが引き受けた!」と例によって朗らかに名乗りをあげながら。
セカンドシーズンの最終回ではカタギリに会いに来た=死は思い留まったことしかわからなかった(すでに劇場版の制作が決まってたからこそキャラクターその後については最低限しか描かなかったのかもだが)グラハムが、生き生きと躍動している姿は何とも嬉しかったものだった。

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