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about him

俳優・勝地涼くんのこと。

Farewell

2025-08-20 07:20:42 | その他

今年は映画『亡国のイージス』公開から20周年になります。私が彼と出会い、ファンになってからも20年の月日が流れました。

『機動戦士ガンダム00』の感想を書きながら、たびたび『イージス』の、特に原作の台詞を思い出していました。


「きれいごとでは済まされないという理屈に慣れ過ぎて、本質を見失ってしまったんです。仕方がない、どうにもならないという言葉で、痛みに耐えるのを当たり前にしてきた。そうして不感症になってしまえば、後は死んでゆくだけだとわかっていたはずなのに、過ちを正すことができなかった。嘘でもいい、勘違いでもかまわないから、正義を実践してみせるという気構えがなくて、なんのための人、なんのための力なのか・・・・・・。」

「生き残るためには戦う、でも一瞬でもいい、自分たちは撃つ前にためらうんだって覚悟で、みんなが自分の身を引き締めていければ・・・・・・その時、日本は本当の平和国家になれるのかもしれない。」


この作品の持つメッセージは映画公開から20年(小説発表からだと26年)を経ても、良くも悪くも今も強く胸に響きます。むしろ世界のあちこちで大きな紛争の続いている今、改めて読んで、観てほしい作品だと感じます。

そして勝地くん、あなたが如月行でよかった。原作を体現したかのような行の、強さも繊細さも哀しさも見事に表現してくれたことに感謝します。今日39歳を迎えるあなたが、また『イージス』のような重厚な作品に重要な役で出演してくれることを願っています。

お誕生日、おめでとうございます。



2010年以降は年一回しか更新されない半端なファンブログでしたが、長い間有難うございました。引っ越し先については、改めてこちらで通知させていただきます。


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『機動戦士ガンダム00』(2)ー5(注・ネタバレしてます)

2025-08-20 00:37:08 | ガンダム00

久しぶりに劇場版に話を戻す。ここで登場するのが、刹那に続く世界で二番目に能力を発現させたイノベイター、デカルト・シャーマン大尉だ。「ピクシブ百科事典」(※1)によると「刹那がELSとコミュニケーションできたのは、イノベイターの能力を持っているだけではない」「本当に大切なのは分かり合える能力ではなく分かり合おうと努力する心」であることを示すために(水島監督が映画版DVDのブックレットで語っていたそう)、いわば刹那との対比として設定したキャラクターなのだとか。

彼がイノベイターとして目覚めたのはセカンドシーズンの終盤、刹那がトランザムバーストを発動させ自身もイノベイターとして覚醒した際にアロウズのパイロットとしてその場に居合わせたことによるとのことだが、正直イノベイターになってしまったのはこの人にとって不幸としか言いようがない。
ガデラーザでの戦闘など見るにイノベイターとしての能力を駆使して常人離れした戦闘を行うことに快感もあったようだが、連邦初のイノベイターであったゆえにほとんど実験動物扱いで自由を拘束され、本人も言う通り鬱憤を溜めまくっていた。彼が一般人を「劣等種」と見下すのもその鬱憤の裏返しで、非人道的扱いへのストレスを周囲の人間を蔑むことでかろうじて呑み込んでいたように思える。
何よりその脳量子波によって、上手く行けばELSとの対話を成立させるために、駄目でもELSを引き付ける囮になるために――主に後者の役割を期待されて火星調査隊に組み込まれたせいであんな死に方をするはめになった。
ひどい死に方をしたのは彼に限らず火星調査隊は皆そうなのだが、デカルトの悲劇は彼にはELSとわかりあおうとする意志が全くなかったにもかかわらずイノベイターであるゆえにELSから脳量子波と物理面の双方で攻撃を受けたことである(ELS的には攻撃だったのか曖昧なところだが)。
まさに「分かり合える能力」はあっても「分かり合おうと努力する心」がなかった。イノベイターになる以前のデカルトを知らないので断言はできないが、アロウズのMSパイロットだったということは志願したにせよ正規軍から引き抜かれたにせよ優秀な軍人だったのは間違いない。
アロウズはエリート集団にありがちなパターンとして次第に選民意識を強め、それが反連邦勢力への容赦なさすぎる弾圧を招くことにもなったのだが、鬱屈の表れにせよ人間を「劣等種」よばわりするデカルトには、もともとアロウズ的な優越感と排他的傾向があったのではないか。
排他的な、あるいは排他的まで行かずとも自分の内心を他人にオープンにする、他人と本心をさらけ出しての深い付き合いをすることを好まないタイプの人間にとっては、脳量子波を介して直接他人と心で繋がるというのは苦痛でしかないのではないのか。

こうしたデカルトと、刹那以上により対比的な立ち位置にいるのがマリナだ。脳量子波は使えても「分かり合おうと努力する心」がなかったデカルトと対照的に、マリナは脳量子波は使えないが誰かとわかりあおうと努力する心は誰より強かった。
地球外生物の来襲というテーマ上、劇場版では世界情勢についてはほとんど描かれず(主としてアロウズによってもたらされた軍事アレルギーと連邦の宥和政策のもと、比較的平穏に治まっていることがさっくり語られる)、したがって世界の主流から外れているために苦渋を嘗め続ける故国のために奮闘してきたマリナ姫の出番も少ない(王宮に避難してきた人々を世話する場面がほとんど)のだが、その少ない見せ場が序盤のコロニー公社にシーリンともども暗殺されかける一件である。
詳細は「マリナ・イスマイール」の項に譲るが、このエピソードには敵対する相手とさえ話し合いわかりあおうとするマリナの平和主義とそれを支える芯の強さが(かつ刹那とロックオンの助けがなければマリナたちは結局殺されていた可能性が高い=平和主義を貫くことの困難さも)端的に描かれている。

面白いのはELSとの交戦において、刹那はほとんど戦闘行為を行わない。最初は理由のわからないまま、ELSの脳量子波によってもたらされる頭痛とイノベイターとしての直感によって木星探査船「エウロパ」の姿を模したELSを攻撃できず、木星のワームホールから出現した大量のELSを迎え撃った際にはトランザムバーストで「対話」を行おうとするが、送り込まれる膨大な情報量に耐えきれず人事不省に陥り、機体がELSに侵食されるところをティエリアをはじめとするマイスターたちの命がけの救援によってかろうじて救われている。
意識を取り戻した後、完成したばかりの新型機ダブルオークアンタで出撃したさいも、人類の未来を賭けた「対話」を行うために、仲間たちの献身的援護のもとに新たに出現した超巨大ELSを目指す。
あくまで対話での相互理解を目指し、戦わない彼を守るために仲間たちが身体を張って戦うという構図はカタロンに保護されていた頃、そして劇場版冒頭でのマリナのごとくである。
自身はほとんど攻撃を行わなくても仲間が彼に代わって攻撃を行う状況はELSから見ればとても平和的話し合いを望んでいるとは映らないのではないか、劇場版感想の「(3)-9」で書いたように、あきらかに仲間とわかる連中がELSを撃ちまくってる状況で「戦うわけに来たわけではない」と言っても説得力がないのではとも思うのだが、マリナがそうであったように本人の手が汚れていなければ(コーラサワーを救った場面とか多少はELSを攻撃していたが)平和の使者、親善大使となる資格は十分なのかもしれない。
武力を行使してでも道を開かなければ交渉相手のもとに辿り着くことさえできない状況下では、どれほど攻撃されようと当人だけは攻撃し返さないことが和平交渉を行う意志があるという精一杯の表明であり、「対話」をもってELSにもそれが伝わったからこそ和平が成立したと見るべきなのだろう。

(上で「どれだけ攻撃されようと」と書いたが、ELSにとってMSや艦船に取りつき融合したり擬態してミサイルを放ったりするのは「攻撃」なのだろうか。水島精二監督はインタビュー(※2)で「(ELSは)接触して情報を与えることで相互理解をしようとしている。情報を与えるのが好意の証なんですよ。」「実は、エルスは人類に「愛」で接していた。でも、コミュニケーションの方法を1つしか知らなかったから、人類側に被害が及んだ。」と説明している。

この説明に則るなら“ELSに「攻撃」の意図はない、好意の証が裏目に出ただけ”が正解となる。それを承知のうえであえて異論を述べると、ELSは本当に自分たちの「好意」が人類を恐怖に陥れ、結果自分たちへの敵意を喚起していることに気づかなかったのだろうか?
膨張し、爆発した太陽に惑星ごと焼き尽くされそうになったELSが命からがら逃げる回想?場面があるが、そこにはELSの何とか生き延びたいという思いが感じ取れる。ELSの記憶に触れた刹那とティエリアの「みんな同じだ。生きている」「生きようとしている」という言葉通り、必死で生き延びようとしている(そのためにはるか遠い太陽系まで旅してきた)ELSが、同じように必死で生きようとしている、自分たちに命を脅かされている人類の思いを全く理解できないものなのだろうか?
精神構造の全く違う一般人類はともかく、話が通じそうだと彼らが目を付けたはずの脳量子波を使える人間、とりわけイノベイターとして覚醒している刹那やデカルトの感情でさえ察することはできないものなのか?

個人的にはデカルト・シャーマンとの不幸な接触が関係しているのではないかと考えている。デカルトは終始ELSと理解し合う意志はなく、彼らへの排他的敵意を剥き出しにしていた。そのデカルトの機体のみならず当人の精神・肉体にまで侵食を行った結果(デカルトの身体は最後には内側からELSの結晶に突き破られていた)、彼の敵意と憎しみの深さを“理解”し、全体で一つの意識を共有していると思しきELSは自分たち同様に、デカルト個人の感情を人類の総意と受け取ったのではないだろうか。
しかし種としての生存を賭けてここまで旅してきたELSとしても、生き延びるためにも引くことはできない。さらに、一瞬強い脳量子波を放って「対話」の意志を示す個体(=刹那)が現れたが、いざ話をしようとしたら唐突に沈黙してしまい回りの個体がなぜか攻撃を加えてきたりする。
ここで彼らは人類との「対話」を諦め、ようやく得られそうな安住の地を確保するために、自分たちを排除しようとする人類に対し敵意を持って立ち向かうことにしたのではないだろうか。超巨大ELSまで現れ本格的に地球に向かってきたのはこういう背景があったのではないかと想像するのである。
かくて超巨大ELSを中心とするELSの大群と地球を守るべく絶対防衛線を張り巡らせた連邦艦隊との戦いは熾烈を極めることとなる。そこに復活した刹那が彼のための機体・ダブルオークアンタで現れ、超巨大ELSに「対話」を試みるわけだが、ここで興味深い事態が起こっている。
劇場版感想の「(3)-9」でも書いたが、超巨大ELSの内部に侵入するためクアンタが表面を切り裂いた際はすぐに切り口が塞がりかけたのに、閉じかけた亀裂にグラハムの機体が飛び込み疑似GNドライヴを暴走させることで大爆発を起こし開けた穴は刹那たちが通り抜けるまで塞がることはなかった。そして侵入してきたクアンタを超巨大ELSは攻撃するどころか迎え入れるような態度を示し、「我々を迎え入れるのか」とティエリアを驚かせている。
超巨大ELSの外部ではいまだ激戦が続いているとはいえ、超巨大ELSのこれまでが嘘のような平和的な姿勢には、デカルトの意識に触れた時とは逆の転換が起きたように思える。その転換点はどこだったか。
考えられるのはグラハム・エーカーの“死”である。“死”とカッコ付きにしたのは自爆の瞬間にグラハム自身が「これは死ではない!人類が生きるための・・・!」と叫んでいるからだ。この台詞に先立つ、超巨大ELSの亀裂に向かってゆく時の発言も「未来への水先案内人はこのグラハム・エーカーが引き受けた!」。
ELSへの怖れも憎しみもなく、人類の未来のために、刹那とELSの架け橋となるためにグラハムは特攻した。彼は脳量子波は使えないはずだが(刹那やデカルト、ティエリアたちのように脳量子波をぶつけられて苦しむ描写がない)、超巨大ELSの内側で爆散したことで彼の意思をELSは受け取ることができたのではないか。対話がしたい、今からそのための使者が来る、と。それならクアンタが表面を切り裂いた時は即座に修復にかかった超巨大ELSがグラハムの開けた穴は塞がず、かえって刹那たちを友好的に招き入れたことの辻褄が合う。そして刹那との対話によって、自分たちのコミュニケーション方法が地球人には害になると知ったELSは地球人への敵意を解いて和解へと至った。
この特攻以前でも、グラハム率いるソル・ブレイヴ隊の初登場シーンで、彼らの猛攻を喰らったELSはそれでも十分余力がありそうなのに、蚊柱のように球体状にまとまっての様子見に転じている。グラハムが「ええい、何を企んでいる!」と叫んでいるので、これは彼にとっても不可解な事態だったのがわかる。
結局この時なぜELSがいったん攻撃を止めたのかは最後まで明かされていないが、この時からグラハムに対して攻撃を躊躇うというか、何かしら好意的感情を抱く要因があったりしたのかも?それともこの小休止のあとに超巨大ELSが出現するので、「今から行くよ」という報告を受けて待ちの姿勢に入ったタイミングがたまたま合っただけなのか。
・・・などと思っているのだが、これだとデカルトの狭量のせいで人類が滅亡しかけたみたいで彼の立つ瀬がないのと、先に書いたように公式見解は“ELSは(終始)人類を攻撃する意図はなかった”なので、まあ単なるグラハム好きの妄想と思って読み流して頂ければ(苦笑)。)

ここまで見てきたように、劇場版の時点で世界が地球連邦という一つの形にまとまり、一昔前はその枠組みからはみ出し攻撃すらされていた中東諸国も新体制に移行した連邦の宥和政策のもと復興に向かっているのも、イオリア計画による“軌道エレベーター建設を機とする三国家群体制による冷戦時代”→ソレスタルビーイングの武力介入を機とする地球連邦の成立”→“地球連邦下での統一世界と恒久平和を確固たるものにするための独立治安維持部隊アロウズの台頭”→“アロウズの解体とアロウズを陰から操っていたイノベイドの一掃による、武力より相互理解を重んじる平和世界の実現”という過程を踏んだ上での成果である。
そこに至るまでには多くの非人道的弾圧と何百万もの人間の死があったのだ。それを鑑みれば、武力解決を拒否し、決して武器を手に取らないマリナのやり方はいかにも理想主義的と映るのは否めない。むしろマリナの戦い方に敬意を払いつつも、「話している間に人は死ぬ」と武力介入による紛争根絶を目指した刹那とソレスタルビーイングの方が正しかった、ように見える。

しかし劇場版のラスト、50年ぶりに地球に戻ってきて年老いたマリナと再会した刹那は「君が正しかった」と告げる。「君は」でなく「君が」という言い回しはこの後に続くべき言葉が「俺は間違っていた」であることを想起させる。この刹那の言葉を受けてのマリナの返しも「あなたも、間違ってはいなかった」であり「あなたも正しかった」とは言わない。間違ってはいないが正しくもない。
暴力を否定するマリナの理想を最善と認めながらも、目の前の紛争を止めるために妥協案として暴力を用いることを是としてきた刹那が、ここで明確に暴力による解決を否定した。マリナも妥協案を選ばざるを得なかった刹那の気持ちを汲み取ったうえで、それでも非暴力―「わかりあう」ことによる解決こそが正しいと認めた刹那の言葉を肯定している。
刹那の心境の変化は何によるものなのか。上で書いたようにセカンドシーズンラストまでの流れは武力なくして平和は訪れなかったことを示しているかに見える。つまりその先で起こったこと、ELSとの接近遭遇から和解に至る過程にその答えがあるのではないか。

テレビシリーズで刹那はほとんど毎回、名のあるキャラとMS同士の戦いを繰り広げるさいには相手と言葉を交わしてきた。会話の中で想いをぶつけ合い、決裂し、剣をふるって相手を倒してきた。
しかし異星体であるELSとは言葉が通じずコミュニケ―ションが全く成り立たない。それでいながらイノベイターである刹那は脳量子波を通して、相手に敵意とは別の強い想い、デカルト言うところの「叫び」を感じていた。
仲間たちのサポートのもとで刹那はついに超巨大ELSとの対話とそれによる停戦に成功するが、もう一歩遅れていればガンダムマイスターを含むプトレマイオスクルーも、地球軍の艦隊も全滅を免れなかった。ELSは地球に到達し地上を覆いつくして、人類もELSとの融合に成功した一部を除いて死に絶えていただろう。
この“言葉の通じない脅威”に対して、普段は穏健派といっていい人々さえも、ELSを武力で排除することに決する。宥和政策を掲げ、常に話し合いによる問題解決を唱えてきた連邦大統領は全現有戦力によるELS迎撃案を承認し、現在は連邦議員として活動、かつて反政府ゲリラだった頃も極力戦闘を避けようとする姿勢を見せていたクラウスも「私たちの望む平和は、人類が存続してこそ得られるのだから」「そのためなら、私は銃を手にする」とシーリンに宣言し、リント少佐の掃討作戦を嫌ってきたマネキンがELSに対しては掃討作戦を指示する。
かかっているものが地球の命運、全人類の命なのだから普段は穏健派・人道派の人々も強硬派に転じるのも無理のないところだ。ELSの破片(?)が地上に落ちた時の混乱を考えれば、一個体たりとも残せないと考えるのもまた理解できてしまう。
大統領など「たとえ他者を傷つける結果になったとしても」という発言からは、ELSの“攻撃”はコミュニケーションの方法が人類と違うがゆえの不幸な齟齬でELSには害意がない可能性も想定しているようなのだが、たとえ害意がなかったとしても現実に人類側に甚大な被害が出ており、さらに被害が致命的に増大することが予測され、かつコミュニケーションの手段も見いだせるあてがないとすれば力で絶滅させるほかないという、彼女本来の宥和主義に反する苦渋の決断をせざるを得なかったのがうかがえる。
こうして軒並み誰もが徹底抗戦論に傾く中、唯一話し合いでの解決に挑み続けたのがソレスタルビーイングだった。彼らはELSと意思を疎通できる可能性があるイノベイター刹那と、“対話”の主に発信面を仲介する機体ダブルオークアンタと、対話の受信面をサポートする量子コンピューター・ヴェーダ、ヴェーダと刹那の間を繋ぐイノベイド・ティエリアを擁していた。
200年前から「来たるべき対話」を見越して準備してきた組織だけに、そのアドバンテージは地球連邦に遥かに勝る(連邦軍もイノベイターであるデカルトも参加した火星調査隊派遣の段階では、ごくごくわずかながらデカルトを介しての「対話」の可能性も考えてはいた)。
ソレスタルビーイングの構成メンバーはイオリア計画の第一段階である“武力介入による紛争根絶”に共感して組織に加わったのであり、その時点では第三段階の「来たるべき対話」は存在すら知らなかった。彼らが異星人とコミュニケートすることに積極的な関心を持っていたとは思えないが(イオリアにしても特別異星人と仲良くなりたかったわけではなく、科学の発達に従い人類が外宇宙へ進出するのは必然であり、そうなれば外宇宙に住む知的生命体と接触することも必然、ゆえにいつか確実に来る異星人との遭遇に備えなくてはならない、といういわば危機管理的観点から「来たるべき対話」を提唱したものだろう)、イオリア計画を進める中で自然とイノベイター、クアンタ、ヴェーダ、イノベイドと「対話」に必要な備えが揃ってしまった。
イオリア計画が想定していた“人類の外宇宙進出に伴う接触”のためではなく、戦争を無くしたい、命を守りたいがゆえに危険な戦いに身を投じた彼らは、その勇気と正義感をここでも発揮してELSとの対話の最前線に立った。結局それが大正解だったのは結果が証明している。
人類は総力を振るっても、おそらくはこの時点で人類が所有する兵器の内で最大の破壊力を持っていただろう外宇宙航行母艦「ソレスタルビーイング」の主砲でさえ超巨大ELSに全く歯が立たなかった。コミュニケーションの手段がなかったため武力行使一択しかなかったとはいえ、武力でELSに対抗しようとする限り、地球軍にも人類にも絶滅する未来しかなかったのだ。
幸いにしてELSは積極的に人類を滅ぼそうとか支配しようという目的意識を持ってはいなかった。母星の周辺環境が生存に適しなくなったために新しい住処(新しい太陽?)を求めて旅をしてきただけで、自分たちの居場所さえ確保できれば殊更人類と対立する意図はなかったろう。
刹那がELSとの対話時に見た記憶の中に、ELSが取りついた惑星が彼らの荷重を支え切れずに滅んでしまった光景が出てくるが、この時の二の轍を踏みたくないという思いもあったと思われる(人類もELSも誰の得にならない)。そうでなければ、デカルトに破壊された「エウロパ」の破片だけでなく、とっくにELS総出で直接地球来訪→地球滅亡となっていたのではないか。
刹那との対話によって自分たちとは全く異なる人間の生体を知り、彼らと共存するための妥協点を探った結果があの、“月の軌道の向こう側で金色の巨大な花の形に固定”だったようだ。
あんな宇宙空間でじっと固まってて人生の喜びとかあるのかなあ、人間には身体の上に“外宇宙進出の橋頭堡”とか作られちゃうし(さすがにイノベイターを通訳にお伺いは立てたものと思うが)、とか考えてしまうが、劇場版感想の「(3)-11」で書いたように、ELSはものすごく寛容なのか鈍いのか、そうした人間的尺度を超越してるかしていて、とにかく“気にしていない”のだろう。
この並外れた“寛容さ”があればこそ、戦闘においては圧倒的に勝っていたにもかかわらず、そして少なからぬ同胞を殺されたにもかかわらず、人類を滅ぼしも奴隷化もせず、それどころか人類の外宇宙進出に一応の(身体の上に橋頭堡を築かせてくれるという意味において)協力すらしてくれるのだろう。

この「同胞を殺された」件だが、進化過程の初期から脳量子波で意識を共有している、個が全であるようなELSにとって個体の死というのはどの程度の意味を持つのだろう。人間にとっての人体を構成する細胞の一つが消滅したようなものと同じで気にもならないのか、逆に死に瀕した個体の痛みや恐怖、恨みを全体で共有するのか。後者だったなら、さすがに人類は赦してもらえなかったろうから前者だろうか。
それにしても人類も及ばずながら奮戦した結果かなりの数のELSを消滅させているので、人間でいうなら指の一本くらいは失った状態なのではないか。指先の皮が剥けたくらいなら気に留めなくても、指一本無くして再生の目途もないとしたらさすがに相手を恨みたくなるだろう。
戦闘状況がほぼ引き分けなら恨みを呑んで和平も結べるが、圧倒的に勝っていたのに矛を収め、大した見返りも求めない(近所に住み着くのを認めさせた程度)のには驚く。
ただ一つ言えるのはELSの記憶を見た刹那とティエリアが口にした「みんな同じだ。生きている」「生きようとしている」という言葉が示すように、身体の形状も生活様式も考え方も何から何まで違う彼らとわかりあうための手がかりが、両者に共通する「生きようとしている」点だったろうことだ。
死にたくない、生きたいからこそELSは地球圏に襲来(訪問)したし、人類はELSを迎え撃った。不幸な出会い方になってしまったが、どちらの行為も「生きたい」という共通の願いの現れであるとわかれば理解はしあえるし、どちらも“生きる”ためには戦いよりも平和共存が最適、ではそのためにはどのような方法がよいか(住み分け方など)という次の段階の話し合いに移ることができる。刹那たちがELSと行った対話の骨格はここにあったと思う。

とはいえ、人類が金属異星体などという従来の常識を超越した生き物と一応の共存を了承したのは、まさに圧倒的に負けたからであったと思う。もし多少の犠牲は出ても戦闘状況が人類優勢であったなら、必ずや人類はELSを殲滅するまで戦い続けただろう。
完膚なきまでに敗北したからこそ、巨大な花と化したELSが地上からもはっきり見えるような近距離にいる、喉元に剣を突きつけられているとも感じられる状態を受け入れることができたのである(ともかくも彼らの存在を受け入れられたのは、民間人の犠牲がほぼ出ていないことも一因だろう。ELSが軍人以外を“襲った”のは初期に「エウロパ」の破片として地上に降り注いだ一部の個体だけで、大惨事と見えたELSに取りつかれた地下鉄の暴走・衝突事故でさえ小説版によると「数十名の重軽傷者を出していた」とあり死者はいなかったらしいので、もしかするとELSによる民間人の死者はゼロかもしれない)。
ELSはある意味先に書いた「相手より圧倒的に、抵抗する気力を根こそぎ奪うほどの差をつけて強くある」存在であり、出始めのソレスタルビーイングのような人類間の強者と違い、どう精進しても叶う気がしない。永遠の強者かつアロウズやイノベイドたちのように強権的弾圧や殺戮を行うこともない、しかし『幼年期の終わり』のオーバーロードのように人類に規制を課しているとも思えない(ゆえになのか、ELSとの平和共存が成立したのちも世界から争いの火は消えなかったことが小説版のラストで語られる)ELSの静かな見守り(無関心?)のもと、ELSがいなかった時代を知る者が過半数を切ったろう頃に人類はついに本来のイオリア計画の最終段階、外宇宙へ進出するまでに成長を遂げた。そして人類初の外宇宙航行艦「スメラギ」が最初の航海に向かうその日、刹那は50年ぶりに地球に戻ってくる。

先に挙げた「君が正しかった」「あなたも、間違ってはいなかった」を挟んで、前には「こんなにも長く、時間がかかってしまった」「すれちがってばかりいたから」「だが求めていたものは同じだ」、後ろには「俺たちは」「私たちは」「分かり合うことができた」、というやりとりがある。
マリナが「すれちがってばかりいたから」と受けているので、刹那の言う「時間がかかってしまった」は地球に帰ってくるまでかかった時間ではなく、マリナと「分かり合う」ために要した時間のことだろう。
初対面からお互いに強く相手を意識し、ミレイナに「お二人は恋人同士なのですか?」と問われたり、フェルトが刹那に花をあげるさい「マリナさんに怒られるかな」と呟き刹那が「彼女とはそんな関係じゃない」と否定したりと周囲からも恋愛関係かと疑われるほど近しさを感じさせていた二人だが、「求めていたものは同じ」でありながら、刹那は武器をとってそれを目指し、マリナは武器を取らずに目指すという方法論が違っていた。互いの考えを理解し敬意を払いつつも、共に歩むことはできなかった。
それがようやく出会ってから50年以上を経て、互いの歩む道が一つとなった。脳量子波によってELSとは数時間で和平に至った刹那が、長旅で留守にしていたとはいえマリナとわかりあうには、わかりあえたと伝え合うには50年の時を要したのである。
ただ時間はかかろうとも、考え方が違っていても相手を頭から否定せずになぜそう考えそう感じそう行動するのかを理解しようとする気持ちがあれば、今日は無理でも明日には分かり合えるかもしれない。だから相手と戦うという選択は可能なかぎり避けなければならない。
それがELSとの和平という大仕事、初めてスクラップではなくビルドを成し遂げた刹那の辿り着いた境地であり、『ガンダム00』という作品の結論だったのではないかと思う次第である。

※1ー「ピクシブ百科事典 デカルト・シャーマン」(https://dic.pixiv.net/a/デカルト・シャーマン)

※2ー「機動戦士ガンダム00と、2つの「対話」前編」(https://ascii.jp/elem/000/000/574/574526/))


今回で『ガンダム00』感想は最終回になります。去年の誕生日企画が丸一年続くという醜態をさらしてしまい、しかも途中から勝地くんに関係ない内容という・・・お恥ずかしいかぎりです。
さて、先日来gooブログが10月1日でサービス終了する旨ずっと表示されていると思いますが、考えたすえ今年の誕生日メッセージを最後にブログを完全に閉鎖することにしました。過去ログは閲覧できるように他のサービスを探して引っ越しする予定です。明日(もう今日になってしまいましたが)改めて最後のご挨拶をさせて頂く予定です。

 


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『機動戦士ガンダム00』(2)-4(注・ネタバレしてます)

2025-08-20 00:20:20 | ガンダム00

復讐否定については、上記の三人のうち復讐を遂げた二人、ルイスとアンドレイは結局それによって幸せになっていない。
特にルイスは仇であるネーナがおよそ同情の余地もない相手だったにもかかわらず、仇を討った直後子供のように無邪気に大笑いした後に、人を殺した重さに絶叫している。
キャリア的にはまだ新兵で准尉とはいえ、軍人として戦場に出ている、それも脳量子波対応型の特別製の機体に乗っている以上、敵兵を殺したことが皆無とは思えないが(ほぼ対ソレスタルビーイング戦でしか参戦してないなら、ここまで誰も殺していない可能性もあるか?)、職務によってでなく私怨で人を殺した―恨みつらみがあるがゆえに“記号”とは見なせない、“人”として認識せざるを得ない相手を殺してしまったことで、自分が殺人者になったことを深く強く感じざるを得ない。
そこまでして仇を討ったのに、それで両親が戻ってくるわけではない。仇討ち直後笑いながら「ねえ、ママ、パパ、どこ?私やったよ」と両親を探すシーンに、復讐を遂げても失った家族は返らない虚しさを彼女が目の前に突きつけられているのが伝わってくる。スミルノフ大佐の仇としてアンドレイを討とうとしたピーリスに沙慈が叫んだ「もうやめてくれ!何も変わらない、仇を討っても、誰も生き返ったりしない。悲しみが増えるだけだ」という言葉をまさに体現している形だ。
この沙慈の台詞は綺麗事に聞こえるかもしれないが、沙慈自身も少し前までソレスタルビーイングを姉とルイスの仇同然と憎んでいたのである。そのために刹那に銃を向けたことさえあった。沙慈自身は引き鉄を引く手前で引き返したが、一度は復讐に走りかけたゆえの実感がこの言葉にはある。
事実この言葉を契機にピーリスの復讐心はいったん沈静化する。大佐を失った悲しみが強すぎて暴走してはいても、先に書いたように大佐が最後にアンドレイを守ろうとしたのを見ている彼女は、アンドレイを殺すことが大佐の想いを無にする行為であること、「悲しみを増やすだけ」だと本当はわかっているからだ。
そしてトランザムバーストによって(?)再びマリーが主人格となった状態でアンドレイと再会した時、彼女は戦うのでなく言葉でアンドレイと語り合い、彼の本質が父の愛に飢えた子どもであったことを知る。そしてアンドレイの方も自分がちゃんと父に愛されていたことを知り、子供のように大声で泣いた。
一方でスメラギへの愛情を拗らせたあげくに彼女に銃を向けるに至っていたビリーもトランザムバーストの光の中でスメラギの本心―彼女が決して自分を利用しようとしていたわけじゃない(利用ではなくとも好意に甘えていたには違いないのだが)こと、それ以上に自分自身の本心―彼女を憎んでいるのはあくまで愛情の裏返しであることを知って、その本心をちゃんと言葉でスメラギに伝えた。
自分の想いを吐き出して以降アンドレイもビリーも憑き物が落ちたようになり、ビリーなどスメラギに協力までしている。まあこの二人の場合はもともとは相手に愛情を抱いていた、その想いを裏切られたと誤解したからこそ愛が憎しみに裏返ったわけで、敵対した後もその憎しみの底には愛情が潜んでいる。愛あってこその憎しみなのだから誤解が解ければ本来の愛情に立ち返ることができた。
とはいえ、最終回で「私は軍人として生きる。市民を守り、平和を脅かす者と戦う。父と母が目指した軍人に」とのモノローグが登場するアンドレイは、“父は母を平然と見殺しにした”父は反乱軍の一員だった”との二重の誤解の果てに父親を手にかけた経緯を思えば、父が憎しみの対象から軍人・人間としての目標へとあまりにも簡単にシフトしていることにいささか唖然とする。
長年の誤解が解け、父親を尊敬できるようになったのは大変喜ばしいことだが(スミルノフ大佐は目標とされるに相応しい立派な軍人だと思うし)、その父を自ら殺してしまったことへの葛藤とかもう少しくらいないのか?と文句の一つも言いたくなってしまう。罪悪感が深ければこそ父の志を継ぐことが贖罪だと思っているのだろうし、そうした想いの延長線上に劇場版での壮烈な死にざまがあるのだろうと脳内補完してはいるのだが(小説版では父やスイール王国の人々に対するアンドレイの贖罪意識について掘り下げた記述がある)。
ビリーについても彼の項で書いたように、あの流れでスメラギとくっつかず劇場版で初出の女と結ばれたのには驚かされた。それも顔を合わせることさえほとんどなかったにもかかわらず数年来想い続け、二年間の(プラトニックのままでの)同居生活を経て、ようやく告白&ハグまでしたのにまさかの自然消滅。
これまでの執着は何だったのかと思ってしまうが、それこそアンドレイともども「憑き物が落ちた」ということなのかもしれない。そういえばトランザムバーストの光によって蘇った(のだと思う)ルイスはその光を「心が溶けていきそう」と形容していた。
アンドレイもビリーもマリー/ピーリスも、そしてルイスも、トランザムライザーが放出した大量のGN粒子の光の中で自身を苦しめてきた憎しみや執着心から解放されている。トランザムバーストにはGN粒子散布領域内の人間に意識を共有させるだけでなく、彼らの拘りを溶かす能力があるのかもしれない。
思えば敵対関係にある人と人がわかりあう、胸襟を開くには、まず相手に対する壁となっているものを取り払わなければならない。障害物を溶かしてはじめて相手と直接向き合うことができる。
執着心もその人の一部、というより捨てるに捨てられなかったその人らしさの真髄と考えると複雑なものがあるが、歪んだ執着心は相手も自分も不幸にしかしないことを鑑みれば、あえてその執着を捨てる―悟りを開くことによって他人とわかりあえる自分として生き直せるのかもしれない。
ただこのトランザムバーストの光でさえ、全ての人間の「心を溶かす」ことができるほど万能ではない。サーシェスは光の影響によって目の前のロックオンの心の声を感知しつつも「何だ、この気持ちわりい感じは?」という感想しか抱かず、ロックオンの方もサーシェスを理解しよう、赦そうなどという感情が湧いてきた形跡もない。
ロックオンがひとたびサーシェスを追いつめながら見逃そうとしたのは、トランザムバーストのせいではなく、死んだアニューの「わたしたち、わかりあえてたよね」という言葉を思い出したからである。それも完全に赦すと決めたわけではなく、サーシェスが銃を撃とうとすれば即座に返り討ちにしている。
結局どうやっても話が通じない人間はいるわけで、やはりトランザムバーストに「僕の脳量子波を乱して」と不快感しか表さなかったリボンズとも刹那はついにわかりあうことはできなかった(リボンズははっきり「その気は、ないよ!」と言い切っている)。ルイスとネーナが和解する姿も想像すらつかない。そもそもトランザムバーストの発信元だった刹那自身が、ヴェーダ本体の前でティエリアの遺体を見つけた時に「仇は討つ!」と発言しているのである。
復讐否定を提示しつつ、復讐心を捨てること、人と人がわかりあうことの困難さも繰り返し描かれているのだ。セカンドシーズンの復讐否定というテーマを象徴するようなキャラクターであるロックオン=ライルが復讐に猛るピーリスに理解を示し、ライルを助けるためにアニューを撃った刹那を理不尽と知りつつ一時は深く恨み、「昔を悔やんでも仕方ねえ」と言いながらいざ家族の仇であるサーシェスを目の前にすると強い復讐の念が胸に沸き起こってきたりするのがその代表だろう。
しかしライルはサーシェスをいったん撃つのを止めた時に“復讐のための殺人”を思いとどまった。最終的にサーシェスを射殺したのは身を守るためであり、小説版ではこの時のライルの心情を「彼には、復讐を果たした、という達成感はなかった。ただ、憐憫の翳りをたたえているだけである」と説明している。
そして彼はアニューを想いながら「おまえのおかげで人と人がわかりあえる世界も、不可能じゃないって思えたんだ。だから世界から疎まれても、咎めを受けようと、俺は戦う」との決意を新たにする。「人と人がわかりあえる世界」のために戦う。いっときは復讐心に流されかけた彼が「過去じゃなく、未来のために戦う」という初心に戻る姿に、困難でも復讐心を捨ててわかりあえる希望というものも合わせて提示しているのである。

復讐否定とセットの「未来」志向の方はというと、「忌まわしい過去を払拭するため」にソレスタルビーイングに参加し一度は挫折感から組織を抜けたスメラギは、今度こそ自分の戦術で仲間たちの命を守ると決意して復帰、ヴェーダ奪回作戦で対峙したビリーに「私は戦う。自分たちの意志で、未来を作るために!」と宣言する。
武力介入で奪った人の命の重みを背負い、国連軍にに捕まっても「罪を償う時が来たのだと感じ」て死の可能性も受け入れていたアレルヤは独房を訪れたピーリスと再会したことで彼女を取り戻す、共に生きるという「戦う目的」を得た。ヴェーダ奪回作戦に挑むにあたっての刹那の台詞は「俺たちは未来のために戦うんだ」であり、イノベイドの本拠地にしてヴェーダの所在地である外宇宙航行母艦「ソレスタルビーイング」へと向かう段でのスメラギの言葉は「イノベイターの支配から世界を解放し、再び世界を変えましょう、未来のために!」だった
そして初めてトランザムバーストを発動させイノベイターとして「完全なる進化を遂げた」時の刹那の言葉は「未来を創るために、俺たちは、変わるんだ!」。そのトランザムバーストのもたらす光を沙慈は「未来を照らす光」と表現し、リボンズとの最後の戦いに臨んだ刹那の決め台詞(というのか?)は定番の「目標を駆逐する!」ではなく「未来を切り開く!」。
刹那は一時プトレマイオス2に保護されていたマリナに「破壊の中から生みだせるものはある。世界の歪みをガンダムで断ち切る。未来のために」と語っているので、セカンドシーズン序盤の時点ですでに“未来のために戦う”心境に至ってはいるのだが、特に作品の終盤に向けて刹那のみならず皆の想いとして「未来」というフレーズが強く打ち出されている。
ちなみにヴェーダ奪還作戦時、ダブルオーライザーに新型モビルアーマー「レグナント」で襲いかかってきたルイスに沙慈は「戦いで勝ち取る未来なんて、本当の未来じゃないよ!僕たちはわかりあうことで、未来を築くんだ!」と叫んでいる。
刹那の「(未来のために)破壊の中から生みだせるものはある」という台詞を「(それは)本当の未来じゃない」と否定しているかのようにも聞こえるが、二人の言葉は必ずしも矛盾しない。「破壊」だけでは本当の未来は築けない、「破壊」は真の未来を築くための前段階であって、「破壊」によって「世界の歪み」を取り除いた後に相互理解による真の未来を築けばよい。要はスクラップ&ビルドである。
「刹那・F・セイエイ」の項で書いたように刹那は自分がやる、できるのは「破壊」の方だけで、真の未来―より優れた世界を構築するのは別の(例えばマリナのような)人間の仕事と思っているふしがある。
確かに「破壊」だけで終わってしまえば、そこに残るのは「戦いで勝ち取る未来」=軍事力で勝る者が幅を利かせる世界となってしまうだろう。しかしマリナやセカンドシーズン最終回で就任した新連邦大統領のような相互理解・宥和政策を掲げる人間にソレスタルビーイングが行ったような「スクラップ」は到底できないだろう。「ビルド」と対になるかぎりにおいて、「スクラップ」は「本当の未来」を創るための重要な力となりうる。

(と書いておいてなんだが、刹那たちの語る「未来」という言葉はどうもふわふわしていて、彼らがどんな未来を望んでいるのかいまいち見えてこない。彼らが“紛争のない世界”を望んでいるのはわかるのだが、それはエイフマン教授やビリー、マネキンらにこぞって夢物語扱いされるほどに実現困難なミッションだ。
自身が「ビルド」の段階に直接携わらないとしても、どうやって作るか、どうそれを維持するかといった具体的な方法論を持っていないなら、結局は計画性のない夢物語を描いていたに等しいのではないか。まあなまじ「未来」の内容を具体的に詰めてしまうと、「いや、それは自分が望む未来とは違う」とかなって皆が「未来のために」一丸となれなくなってしまうかもしれないので、スローガンはふわっとしている方が「スクラップ」の段階ではかえっていいのかもしれないが・・・。
「ビルド」について具体的計画を持っていないことは、アロウズのような「軍事力で勝る者」が「ビルド」の立役者面で台頭してくる余地を生んでしまう危険があるのではないか?そのあたりも含めてイオリアが「ビルド」も含めた具体的計画を200年前に作っていったから「スクラップ」担当がふわっとしていても済むのだが。
プトレマイオスの面々に限らず、王留美やアレハンドロの語る「世界の変革」もよく分からない。世界を「私色に染め上げる」ってどんな色だ?変革の「その先にある素晴らしい未来」とは?
まあこれも、必要な実務的手続きとか具体的な事を考え出すと夢もロマンも萎んでしまってモチベーションが下がるから、あえて考えずに楽しい夢だけ見てたのかもしれない。
なんだかんだ言って理想主義とかお花畑とか思われがちなマリナが一番、目的(アサディスタンの復興)もそのための手段(国を経済的に立ち直らせるため太陽光発電施設を建設すべく他国に技術支援を要請する)も具体的に見据えて、なかなか結果が報われないながらも地道に行動し続けている、というのが面白い)

そしてその「本当の未来」建設のキーパーソンとなるのがマリナである。といっても実際に宥和政策を掲げる新たな地球連邦を動かしているのは新大統領とその周辺の人々であって、マリナはむしろ平和の旗印、象徴といった立ち位置である。
彼女も小国とはいえ一国家のトップではあるのだが、ファーストシーズンの時点では政策決定はもっぱら議会が行っていて、マリナは自ら議会に出席し発言することはない。それどころか側近のシーリンから議会の決定事項を知らされて愕然とする場面などからすれば、彼女の意向は国政におよそ反映されていない。
そもそもが国民の意識をまとめるための手段としてとっくに廃止されていた王政が復活されることになり、旧王家の血を引いているからと議会によって選びだされたのがマリナである。最初からアザディスタン内でも象徴としての役割しか期待されておらず、政治的発言権を与えるつもりはなかったのだろう。一応は議会主義的君主制を取っている形だろうが、実際の権限はそれ以下、ほとんどないと言っていい状態なのではないか。
ただ良くも悪くもマリナに祖国のために働こうとする気概がありすぎたことから、改革派の議員の後押しによってなのか太陽光発電施設誘致のための外交官的立場を務めることとなった。若く美しく清潔感のある女性が熱心に援助を訴えれば、その健気さで発電施設誘致は無理でも食糧援助くらいは取りつけてくるかもしれないとの算段があったのかもしれない(実際、フランス外遊の際にシーリンが「予想通り食糧支援しか得られなかったのね」と話す場面がある)。
“議会がマリナを担ぎだした”という表現からするとマリナの両親のどちらかが国王として選ばれたようではないので、マリナが名前だけにもせよアザディスタンの国家元首であるなら「第一皇女」という肩書はおかしい気もするが、国王より皇女の方が若さ・健気さをアピールするのに適していると議会が考えたものだろうか。
セカンドシーズンでは議会が存在感を示す場面がないが、マリナが絶対君主の座を求めるとも思えないので最終回の再興後のアザディスタンでも議会制は健在、ただ再興の立役者であるマリナもこれまでより政治的発言権を得るようになったのではないかと思う。
アロウズが解体され再編された世界で、マリナが大衆から圧倒的人気を得たことは想像に難くない。その人気と影響力を議会としても無視はできない。新連邦としても、アザディスタンの消滅から復興までの道筋はアロウズとかつての連邦の悪事を鮮明に示したものとして、自分たちの正当性をアピールするためにも積極的に喧伝したいはずで、それもマリナの名声を高めることに繋がったろう。
何よりこれまで正義の軍隊と信じてきたアロウズの非道への憤りとその反動として平和を希求する世界市民の心情が、マリナを平和の使者、聖女へと押し上げた。それは彼女がアロウズの直接的被害者であった(因縁に等しい罪状で拘禁までされたうえ国土を焼かれた)からだけでなく、彼女なりのやり方で戦い続けていたからだろう。
ただカタロンに保護され守られていたのではなく、素朴な幸せと協調の大切さを歌にして世界に届け(歌を世界に流布したのはマリナ自身ではないが)、暫定政府崩壊後の政情不安定なアザディスタンに我が身の危険を顧みず乗り込み再興のため力を尽くした。そうした武器を持たない戦い方が、一種の軍事アレルギー状態になった人々の圧倒的支持を集めるに至ったのだ。

こうしたマリナのシンボル化は「イオリア・シュヘンベルグ」の項で書いたように元からのイオリアの筋書であったと思われる。もちろん200年後に中東の小国家にマリナのような人物が現れることなどイオリアがわかるわけもないので、直接にはヴェーダの裁量になるのだろうが。
上で書いたようにアロウズの解体と連邦政府の再編は「アロウズの実体を知った人々が深く憤りかつ真実を知ろうとしてこなかったことに恥じ入った結果」なのだが、この前段階として「中東再生計画」がある。
アザディスタン襲撃を機に連邦政府がアザディスタンに暫定政権を樹立し中東を再編する計画を発表したさい、「国内紛争に関しては、対立民族の一方をコロニーへ移住させることも視野に入れ」るとの文言を「無茶苦茶言ってるぞ」とロックオンが嘲笑したが、スメラギいわく「それでも世論は受け入れるでしょうね」「みんな困らないからよ」。
スメラギの発言通り「みんな」=旧三国家群を中心とする連邦加盟国の人々は何ら文句をつけなかった。地球連邦に参加せず紛争を繰り返す困った国々がどうなろうと知ったことではない、むしろ連邦が暫定政権を築いたことで彼らは平和と豊かさを手に入れられるのではないかと積極的に賛同すらしたのではないか。
アロウズの悪行が暴かれ中東の皇女であるマリナが国際的人気者になる中で、連邦加盟国の大衆はこの「中東再生計画」の非人道性を見逃したことを反省し、ここでも「恥じ入った」のではないだろうか。
こうした中東への無関心ないしは偏見を背景に、メメントモリによるスイール王国の首都とリチエラの軍事基地(周辺の難民キャンプごと?)消滅も、どう報じられたかは不明であるものの(さすがに消滅の事実そのものまで隠蔽はできなかったと思う)、多少無理な説明であってもさして疑問を抱かれずそのまま通ってしまったのは間違いない。
この後まもなくスミルノフ大佐の旧友パング・ハーキュリーによる正規軍の一部によるクーデターが起きている。タイミング的にメメントモリによる中東国家攻撃を受けての行動にしては早すぎるように思えるし、そもそもこれらがアロウズによる攻撃であることをクーデター派を含め正規軍のどの程度が把握していたかもわからないが(スイールの国境付近に駐屯していたスミルノフ大佐は首都消失の瞬間を目撃、上官のキム中将から緘口令を敷くよう言い渡された際、アロウズに反感を持つ兵も多く噂はすぐに広まると反論している。ただ仲間うちでのひそひそ話ならともかく、盗聴される危険を冒しても遠方の戦友に連絡しようとする兵士がどの程度いるものか。スミルノフ大佐が沙慈を尋問したのを部下がアロウズに告げ口したことからわかるように、どこにアロウズのシンパが潜んでいるかわからないのである)、アフリカタワーを占拠したハーキュリーの演説中の「中東再編のため、罪もない多くの人々が殺されたことをご存じか?」という台詞はスイールとリチエラへの攻撃を踏まえての発言とも思える。アロウズは中東に苛烈な弾圧を繰り返しているから、メメントモリ以外の虐殺行為を指している可能性の方が高そうだが。
このクーデター計画に対してアロウズはメメントモリ二号機を用いて、クーデター派が占拠している低軌道ステーションを人質もろとも破壊しようとする挙に出る。これはクーデター派を一掃するとともにアロウズの蛮行の生き証人となった6万人の一般市民を口封じしようとしたものだが、正直この事件(ブレイクピラー)がアロウズを解体へと導く決定的なターニングポイントになったと思う。
連邦はこの件を例によって「反連邦勢力」に責任をなすりつけ、情報統制下にある人々はそれを信じはしただろうが、犯人への恨みどうこう以上に恐怖感の方が強かったのではないだろうか。連邦加盟国でない中東の都市が吹き飛ぼうが他人事でしかなかったが、未曾有の災害が今度は自分たちの頭上に降りかかってきたのである。
東京で平和に暮らしていた沙慈が初めて世界のうねりにちゃんと目を向けたのは―それまでにも低軌道ステーションの事故で危うく死にかけたりすぐそばで爆破テロが起こったりしているのだが―姉とルイスを失ってからだった(それでもアロウズの蛮行や中東諸国の苦しみなどまるで知らず、ティエリアに「自分のいる世界くらい、自分の目で見たらどうだ」と言われるレベルであったが)。
ブレイクピラーに直接間接に被害を受けた人たちの中には、これまでにない真剣さで世界情勢について考え、結果連邦政府の発表に疑念を抱いた人も少なからずいたのでないか。
またテロなど武力行為による脅威は自分から遠い場所で起きる分には義憤が勝るが、自分の生活を脅かされるとなれば恐怖が勝る。実際にテロで家族や大事な物を奪われたとなれば怒りが勝るようになるだろうが、“奪われるかもしれない”段階なら危機感と恐怖が先行するだろう。平和を願うマリナの歌がラジオを通して世界中で支持されはじめたのもこの頃である。

(ただファーストシーズンには沙慈とルイスのカップルという一般人代表が繰り返し登場することで、彼らとその周辺の一般人が何を考えどんな生活をしているのか描かれていたのが、セカンドシーズンでは両者とも一般人とは到底言えない立場に移行したため、連邦の一般市民が何を考えてるのか、本当に根っから地球連邦の言い分を信じているのか、それとも劇場版で映画「ソレスタルビーイング」を観た観客の一人のように「政府のプロパガンダ」が多分に混ざってるものと醒めた目で見ていたのかがわからなくなっている。
どちらの人間もいたというのが実像であろうが、そのあたりの具体例が全く(あえて)描かれないことで、彼らは“情報統制によって騙されている一般市民”として記号化されている。)

また一般市民は情報統制で騙せたとしても、兵士たちはそうはいかない。クーデター軍・カタロンは言うに及ばず、ブレイクピラー時に軌道エレベーターの外装パネルの迎撃に参加した連邦軍・アロウズの兵士たちは実際の状況を見聞きしている。
ソレスタルビーイングの指揮官(消去法でソレスタルビーイングの人間とわかる)が素顔をさらしてまで「お願い、みんなを助けて!」と「現空域にいる全機体」(したがって後から参加したアロウズのパイロットたちはスメラギの顔を見ていない)敵味方なく訴え、3機のガンダムを筆頭にその場の全員で地域住民の命を守るため戦った。
人命を最優先にしたスメラギの訴えを聞いた連邦軍兵士はもはやソレスタルビーイングを絶対的な悪とは見なせなくなったろうし、敵味方を超えて共闘したソレスタルビーイング、カタロンやクーデター軍の人間(こちらはもともと同僚や先輩・後輩でもある)に一種の連帯感を抱きもしただろう。
外装パネルが大量に降ってくるという事態そのものはクーデター軍のやらかしと誤認していたかもしれないが、少なくとも連邦政府の公式発表が“反連邦勢力の仕業”で済ませて身内の醜聞といえる一部正規軍のクーデターが発端である事実を隠蔽していること、迎撃の陣頭指揮を取ったに等しいソレスタルビーイングをはじめとする「反政府勢力」の貢献が全く伏せていることに対し、強い不信感を覚えた者は多かったと思う。
一方アロウズの兵士にしても、指揮官であるマネキンの乗る空母に乗艦していた者たちは、マネキンと技術顧問のビリー・カタギリの会話から、パネル落下の原因がアロウズの衛星兵器にあることを知っている。6万人の人質ごと、軌道エレベーターと周辺地域への甚大な被害も顧みず低軌道ステーションを破壊しようとするやり方に「こんなことが許されるのか!?」とマネキンが激怒していたことも。
ブレイクピラー後にマネキンと数十名の兵士が艦船やMSごと行方不明になった際に、当然彼らはブレイクピラーを引き起こしたアロウズ上層部への怒りからの覚悟の失踪と判断しただろうし、その推測は他の兵士たちにも広まっていったに違いない。
何より正規軍もアロウズも、兵士たちにはそれぞれに家族も友人もあるのである。自身の大事な人間がブレイクピラー事件で直接の被害を受けた者も少なからずいるはずだ。アフリカタワーを含めブレイクピラーによる主な被害地域は旧AEU領で、マネキンの造反も彼女が元AEU軍(おそらく出身地もヨーロッパ圏だろう)だったことが多少影響しているかもしれない。
これまでと違い中東でなく連邦加盟国を舞台として起きたこの惨劇は、正規軍・アロウズの兵士も含めた連邦加盟国の国民の意識に確実に作用した。
この事件の真相が隠蔽されたことで改めてアロウズの情報統制を打ち破る必要性を痛感したスメラギたちはヴェーダ奪還を目指すようになり、またアロウズから脱走したマネキンたちは着々とカタロンとの連携を進め、状況は急速にヴェーダ奪還を賭けた最終決戦へと向かってゆくが、もしそれがなかったとしても、遠からずアロウズは内部から瓦解していたのではないか。

ところで、正規軍のクーデター計画について、スメラギはヴェーダを握っているイノベイドが計画を知ったうえであえて見逃していたのではないかと疑う場面がある。この考えが正しかったことは後のリボンズのモノローグによって証明されているが、何のためにリボンズはクーデターを放置したのか。
クーデター派が占拠した低軌道ステーションを、滞在していた一般市民ごとメメントモリで吹き飛ばすのまで含めてリボンズの計画の内だったわけだが、なぜリボンズは大勢の一般市民を犠牲にするような手段をわざわざ取ったのだろうか。
犠牲者の数が多いほど、それも連邦に属する一般人であればそれだけ連邦市民の“反政府勢力”への怒りを喚起できる、(小説版によれば)結果人類の意志統一がより進むといった計算があったようだが、上で書いたように、一般連邦市民はともかく、アフリカタワー周辺にいた正規軍とアロウズの兵士たちまで欺ききることはできない。リボンズが人間ではなく、かつ人間を見下しているがゆえに人間心理を読み損なったのか。
思うに、“一般市民の虐殺を行い、その罪を反連邦勢力に負わせることで人々の連邦及びアロウズへの帰属心を高める”というのは虚偽の理由づけではないか。リボンズは本気でそう思っていたかもしれないが、イオリアの意を汲むヴェーダの思惑は違っていたのではないか。
「僕の平和を壊したのは君たちだ!」と叫んだ沙慈に「自分だけ平和ならそれでいいのか?」と答えた刹那や、「(中東再生計画が実行されても)世論は受け入れるでしょうね。誰も困らないからよ」と諦めたように答えたスメラギの言うように、自分の身に火の粉が降りかからない限り虐げられている人間の苦しみを見ようとしない、自分の周囲にしか関心を持たない連邦加盟国の人々に喝を入れ、現実に目を向けさせることがクーデター計画見逃しからブレイクピラーまでの一連の行為の真の目的だったのではないだろうか。
「たとえ痛みが伴おうとも」「市民たちを目覚めさせる」との一念からクーデターを決行したハーキュリー大佐の想いは報われたと言えるだろう。彼が望んだよりもはるかに凄惨な形でではあったが。

こうした下準備によってアロウズや連邦政府の武力頼みの政策、強権的手法に対する疑念を少しずつ醸成させておいたところへ、最終決戦でソレスタルビーイングがヴェーダを奪還したことによって情報統制が解除され、一気に世論が覆るに至る。そして平和の旗印としてヴェーダが白羽の矢を立てたマリナをシンボルとした、武力解決よりも温情主義・宥和主義を良しとする新時代が幕を開ける。
人類初のイノベイターとイオリア計画の根本ともいうべき“人類はわかりあう必要がある”という理念を体現し平和の象徴ともなったマリナ、この二人がともに中東の出身なのは偶然なのか。「イオリア・シュヘンベルグ」の項で書いた“ストレスが成長、進化を促す”という理屈でいけば、中東という地域に加えられた多大なストレスが彼らを生みだしたと言えるのかもしれない。


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『機動戦士ガンダム00』(2)ー3(注・ネタバレしてます)

2025-08-20 00:02:58 | ガンダム00

その一環として、セカンドシーズンでは友人や愛する人と敵対陣営に属するというシチュエーションが多発している。アレルヤとピーリス(マリー)、沙慈とルイス、スメラギとビリー及びマネキン。またスミルノフ親子は所属組織が直接対立していたわけではないにもかかわらず誤解から父が息子に殺されるに至った。
ピーリスとマネキンについてはファーストシーズンから矛を交えていたが、個人的な関係が明らかになったのはセカンドシーズン(ピーリスの場合は正確にはファーストシーズンのラスト)に入ってからである。一歩間違えば、知らないうちに大事な人を殺してしまうかもしれないという恐怖がここにはある。
カタロンの人たちの移送を支えるため砲撃を手伝うと手を挙げた沙慈が土壇場で躊躇わずに、あるいは躊躇ったものの砲撃を行っていれば、彼は自分の手でルイスを殺していたのである。これは現実の戦争においても普通に起こり得る(起こっている)事態であろう。
もしかすると敵方に自分の大切な人が何らかの事情で所属しているかもしれない―その可能性を想像することは戦闘行為に対する抑止力となりうるのではないか。
また長年の確執を背景に父をクーデター派と誤認したアンドレイ・スミルノフがセルゲイ・スミルノフ大佐を殺害した件について、「お父様だと知っていて討ったんですか!?」と咎めたルイスが「他人の命は奪えても、肉親はできないというのか?」と反論されて絶句する場面がある。小説版がこの時のルイスの心情として描くように、「赤の他人であれば躊躇いなく絞れる引き金も、肉親だとわかった瞬間にできなくなるのは単なるエゴにすぎない」。
ブレイクピラーの四か月後、敵の襲撃に乗じてイノベイドを捕獲する作戦時に、隕石に擬装してプトレマイオス2に接近したルイスとアンドレイをラッセが撃とうとしたのを刹那と沙慈が「やめろー!」と叫んで制止する場面があるが、アロウズの他の機体はさんざん撃ち落としてきたのになぜこの機体を撃つのを二人が止めようとするのか、ラッセも他のクルーたちも面食らったことだろう。
おそらくは沙慈も刹那以外には想い人がアロウズのMSに乗っているとは話していないと思う(小説版では「事情を知っている刹那はまだしも、他のガンダムマイスターやクルーたちによってルイスの機体が撃墜されてしまう危険性がある」と沙慈が懸念する場面があり、刹那以外はルイスのことを知らないのが確定している。ちなみに刹那と沙慈の話をたまたま立ち聞きしたロックオンは沙慈の事情を知っているが、彼が知ってることを沙慈が知っているかは不明)。ルイスの方はガンダム憎しで撃つ気満々なのだから、彼女に対して手心を加えてくれなどと死に直結しかねない頼み事をさすがにできるものではない。
これはピーリスがマリーだと知った後のアレルヤも同じだっただろう。スメラギにはマリーとの関係、彼女への想いを打ち明けていたが、他のマイスターたちに戦場で彼女を撃たないでくれとは言えなかったのではないか。だからピーリスがファーストシーズン以来の因縁でもっぱら自分を標的にしているのを幸い、彼女の相手は自分がすることで何とかマリーを傷つけずに取り戻すという手段をとった。
いずれも愛する人と敵対する陣営に分かれてしまったゆえの苦心であるが、他人なら撃てて大事な人は撃てないというのはエゴには違いないだろう。躊躇いなく撃ってきた他人にだってその人を愛する家族や恋人がいたのだから。
しかしアンドレイは先の台詞を“赤の他人同様肉親であっても撃つべき”という文脈で発言しているが、むしろ逆を考えるべきではないのだろうか。大事な人を撃てないのと同じように、赤の他人であっても撃つべきではないのだと。
戦場で躊躇いなく引き鉄を引けるのは相手を適陣営の駒の一つ、“敵”という記号として見ているからである。職業軍人をはじめとする戦うための教育を受けた人間は、相手を人でなく駒と見なすことを意識的無意識的に刷り込まれる。戦場で一瞬でも躊躇えばそれは死に繋がる。敵と見たら何も考えず瞬時に撃てるようでなければ戦闘要員は務まらない。
敵であっても駒でなく人として見てしまう沙慈がスミルノフ大佐から「君は戦う者の目をしていない」と評され、心を決めたつもりでも土壇場で引き鉄を引けなかった所以だ。
それが相手が大事な人、少なくとも知人であれば、戦闘のプロであっても相手を記号・駒でなく人として認識してしまうゆえに撃つのに躊躇いが生じる。職業軍人のルイスでさえアンドレイが敵方とはいえ肉親を手にかけたことに生理的な反発を覚えたように(ルイスの場合は彼女自身が親の仇討ちのために戦っているという事情もある)、大事な人を前にすれば戦士としての自分より一個人としての自分が先に立つのは人として通常のことなのだ。
ならば相手を敵という記号で見ることをやめ、一人一人が個々に家族も生活も夢もある人間なのだと認識すれば、簡単に撃つ、殺すことはできなくなる。敵陣営に何かの事情で自分の大事な人がいるかもしれない。敵陣営の一人一人が駒ではなく愛する人も愛してくれる人もいる“人間”である。
この二つを常に頭に置けば、可能な限り直接の戦闘を避けようとするだろう。力で抑えつけることではなく敵方に対する想像力――それこそが紛争根絶に向けての第一歩なのではないだろうか。

ちなみに、記号ではなく人であると認識し(てしまっ)た相手を躊躇わず撃つための方法も『00』には描かれている。ボスクラスの敵はキャラが立っていて、有視界通信で顔を認識しながら言葉を交わしながらの戦いになるケースが多い。これを個性を持たない駒を見なすのは到底無理だろう。
しかし主人公たちは攻撃を躊躇わない。相手を「歪み」、諸悪の根源、悪と認定して断罪するのである。そう、駒と認識できない敵に対しては絶対的悪とのレッテルを貼ってしまえばよい。そうすることで相手の人間としての側面を見ることなく剣を振るうことができる。

(一方でトリニティの過激な武力介入に対する反応に代表されるように、プトレマイオスクルーやグラハムたちは民間人への攻撃に強い抵抗感や驚きを示す。それは民間人を個々の人間と見てその人生に思いをはせているからではなく、民間人というレッテルの貼ってある物は攻撃してはならないという概念があるからである。人を個人ではなく所属するカテゴリーの一員として処遇を判断するという意味において、これも人を“民間人”という記号扱いにしているのだ。
もし民間人と思われていたのが実は戦闘員だったと発覚すれば、その記号は簡単に戦闘員・攻撃対象のレッテルに置き換わる。当人の人間性は何も変化していないのに。一般人の沙慈がカタロンの一味と誤認された途端にテロリストのレッテルを貼られ、社会から弾き出されたのも同じことである。)

この「歪み」のレッテル貼りをもっとも頻繁に行っているのが主人公の刹那である点は先にも書いた通りである。相手を絶対悪と見なして断罪するのは、かつて相手を“神の敵”と断じて撃ち殺してきた少年兵時代とやっていることは変わらないようにも見える。
ただ誰かからあれは絶対悪だと教え込まれたか自ら絶対悪だと判断したかの違いは大きい。少年兵時代は、両親を撃った時に相手の呼びかけに一切耳を貸さず一言も発しなかったように、これから撃つ相手と会話をすることはまずなかったろう。ソレスタルビーイングでの戦いにおいては最終的に決裂するにせよ、有視界通信を通して一応の“対話”はあったのである。
そしてこれも先に書いたとおり、セカンドシーズンではその「歪み」レッテル貼りも少なくなっていく。例外が最後の対リボンズ戦だが、「リボンズ・アルマーク」の項で書いたように、これは実質兄弟喧嘩のようなものだ。両者はずっと言葉の応酬を行っており、最終局面ではMSの胴体部が大きく裂けることによってコクピット内の互いの姿を視認しているというダメ押しまでつく、まさに拳で語り合う状態である。

では立場も利害も異なる者同士がマリナが、そしてイオリアが目指すように「わかりあう」ことはどうすれば可能なのか。その手がかりはセカンドシーズンの中盤、カタロンに保護されている子供たちとマリナの問答にある。ダビッドという少年に「どうしてみんな仲良くしないの?」と問われたマリナが、「私もそう思うわ」「だから仲良くする方法を考えないと」と呟いたのに対しダビッドが「一緒にご飯を食べればいいよ」と答える場面だ。
他の子供たちも集まってきて、みんなで遊ぶ、歌を歌う、宝物を見せあうなどの案を次々挙げていくのだが、彼らの言葉は真理を突いていると思う。同じ時間と空間を共有する、共同で何かを、特に楽しいことを行うというのは、他人同士が近しくなるための重要な手段だからだ。
なかでも最初に登場する「一緒にご飯を食べる」というのは、「同じ釜の飯を食った仲」という言葉もある通り、食事という生命維持に関わる重要かつ日常生活に密着した、基本的に“快”の感情を伴う行為を共にすることは親近感や連帯感を強める効果を持つ。
一番わかりやすいのは沙慈のケースだろう。一緒に食事を取る場面こそないものの、プトレマイオス内でイアンの仕事を日常的に手伝うことで艦内に居場所を見つけ、戦闘も含めた少なからぬ、濃密な時間をクルーと共に過ごし彼らの人となりに触れた。
刹那についで(それ以上に?)共に過ごす時間が長かったイアンが「ワシらは犯罪者だ、罰は受ける。戦争をなくしてからな」との覚悟を持っているのも、メメントモリ二号機によるアフリカタワーへの砲撃を予期したスメラギが多くの人命を救うために無理を押してプトレマイオスを空に上げようとしたのも、敵陣営にいた恋人を取り戻したもののブレイクピラーをきっかけに別人格に替わってしまった彼女との懸隔にアレルヤが悩むのも、同僚かつ恋人だったアニューの裏切りと彼女を刹那がやむを得ず討ったことにロックオンが荒れ狂ったのも、沙慈はすべて間近で見聞きしている。
彼らも自分と同じように誰かを愛し、仲間を思い、傷つき苦しみ喜び笑う人間であること、そして見知らぬ人々を救うために自分たちの命を賭けられる強さ、優しさ、覚悟を持っていることを知った。ガールフレンドと姉の(間接的な)仇としてソレスタルビーイングを憎んでいたはずの彼が、彼らの個々の人柄を見て好印象を、仲間意識すら抱くようになっていった。これは直接彼らと身近に接し生活を共にしたからこそだ。
沙慈が「カタロンの人たちが無事にたどり着くまでの間は何でもやるよ」とまで言うほどカタロンに肩入れするのも、自分の軽率さからカタロン基地への虐殺というべき攻撃を招いたことへの贖罪意識だけでなく、ごく短期間とはいえカタロンの人々とじかに接したことで彼らを“テロ組織”ではなく仲間を思い親とはぐれた子供を保護するような優しさや勇気を持った個人の集まりと認識したことも作用しているだろう。それはカタロン基地の惨状を知って砂漠にへたりこむ沙慈の脳裏に基地で出会った構成員や子供たちの笑顔が浮かぶシーンでもわかる。
相手への先入観を取っ払うには直接会って話をする、共に過ごすことが何より有効なのだ。「わかりたい、わかりあいたい」がキャッチフレーズのようなマリナでさえ、刹那に出会った時点ではソレスタルビーイングを「狂信者の集団」と決めつけていた。刹那と偶然知り合い、彼がソレスタルビーイングのガンダムマイスターだと知ったことで、マリナは自分の価値観に照らせば“悪”でしかないソレスタルビーイングを、その理念を是とし戦う刹那を理解しようとするようになる。
「話し合いもせず、平和的解決も模索しないで、暴力という圧力で人を縛っている」ソレスタルビーイングのやり方を「おかしなこと」と断じた当時のマリナには、彼らがなぜその「おかしな」手段を取らざるを得ないのかへの想像力が欠けていた。
「紛争が起これば人は死ぬ」「話している間に人は死ぬ」という刹那の言葉を聞くことで、今目の前で死んでゆく人たちの命を慮るからこそ平和的解決を模索する時間を惜しみ性急な手段に走らざるを得ない彼らの気持ちの一端に触れた。また「クルジスを滅ぼしたのはアザディスタンだ」との言葉によって自分も加害者側としての一面を持つという事実を突きつけられた。
この時点で“武力解決を目指す者たちの論理”に接していなければ、セカンドシーズンでしばらくカタロンに、一時はソレスタルビーイングにも保護されることを受け入れるのは困難になっていただろう。どこまでも武力解決を否定し、話し合いによる平和的解決を求める点は変わらないが、刹那との関わりを経てマリナの理想主義は鍛え直されより強いものとなる機会を得たのである。

一方ソレスタルビーイング側も沙慈を内部に入れたことで変化を迫られた。単に民間人・非戦闘員というだけでなく自分たちの武力介入の“被害者”である(刹那、ティエリア、ロックオン以外のメンバーが沙慈の“事情”をどこまで知っているかは不分明だが)沙慈が側にいることは、プトレマイオスクルーにある種のプレッシャーとして作用しただろう。一般人にも被害が及ぶような戦い方は何としてもしてはならないと。
セカンドシーズンになってからしばしば「守るための戦い」という表現が出てくるようになるが、これは全て非戦闘員である沙慈や戦闘には参加させない約束になっているマリーが戦場に出るさいの理由づけとして用いられている。
大量殺戮兵器であるメメントモリの破壊作戦やブレイクピラー事件がそうだった。それ以外でもアロウズ側の攻撃から艦を防衛する、カタロンの人々の避難を支援するなど、身内や協力者の命を守るための戦いがメインになってゆき、ファーストシーズンのようないわゆる武力介入はめっきり見られなくなる。
セカンドシーズンの最初期に沙慈に「あなたたちはまた武力介入を行うつもりですか」と問われたラッセが「いいや、アロウズを叩く」と答えたシーンに表れているように、セカンドシーズンはもっぱら“残虐非道なアロウズ”の弾圧に苦しむ人々を「守るための戦い」へと作品のテーマがシフトしている(現実世界でも起きているような宗教対立・経済的利害などを背景とするどちらが悪とも決めつけられないような紛争や、あえて“紛争”を起こすことでソレスタルビーイングを政治的に利用しようとするしたたかな国家なども描いたファーストシーズンに比べ、ストーリーを単純化させたともいえる)。
特に沙慈の乗るオーライザーとドッキングして戦う―沙慈を背負って戦っているともいえる刹那には、これまでの戦いにはない緊張感が圧し掛かったろうことは想像に難くない。
ファーストシーズンでも対アレハンドロ戦の前半はラッセが乗るGNアームズと合体しての戦いだったが、プトレマイオスでも砲撃手を担当しているラッセが頼もしい戦力だったのに対し、沙慈はシステムの微調整など技術面では役に立っても戦闘面では何もできず戦力外と言ってよい。のみならず戦闘行為を忌避する沙慈を乗せている以上、間違っても彼に引き鉄を引かせるような事態になってはならない。
加えて沙慈を乗せての初戦でトランザム時に「白い世界」を体験して以降、ルイス・ハレヴィの乗る機体を攻撃できない、一刻も早く戦場でルイスを見つけて沙慈による説得を行わねばならないという、刹那だけの戦闘外のミッションを抱え込んでしまった。
しかしこの“戦闘中に敵の一人と対話の場を用意しなくてはならない”という奇妙なストレス環境が、刹那のイノベイター化を促進したのはまず間違いないだろう。
先にダブルオーライザーのトランザムテスト段階では「白い世界」は出現せずパイロットの刹那にも何ら影響が出なかったのは、テストと実戦では刹那が感じるストレスの度合いが違うからといった説明を記したが、オーライザーのパイロットとして沙慈がその場にいたことが「白い世界」出現のきっかけとなった可能性もある。
沙慈を戦わせないようにしながら戦うという捻れ、戦いを望まないもう一人の存在を絶えず意識しながらの戦いというストレスが、“戦闘で勝利することではなく、わかりあうことによって成される戦闘終結”へと刹那の精神を向かわせ始めたのかもしれない。
沙慈という異分子を内包したことで刹那とソレスタルビーイングは「わかりあうことで未来を築く」方向へと押し出されてゆく。こうしてみると沙慈が「もう一人の主人公」とされるのがよくわかる。

一方でセカンドシーズンでは世界から戦争を無くす上でのもう一つの(最大の?)障壁である“戦わずにいられない理由を持つ人間”についても深掘りされている。
ブレイクピラーでスミルノフ大佐の死に直面したマリーはそのショックからもう一つの人格であるソーマ・ピーリスに切り替わってしまった。ピーリスは彼女に戦わせまいとするアレルヤの意志に反してスミルノフ大佐を殺した当人であるアンドレイ・スミルノフ中尉への仇討ちに燃える。
小説版で自分と境遇の似たアレルヤを代弁しようとした沙慈にピーリスが言い放った「怒りを、悲しみをぶつける場所を奪い取るつもりか!」という言葉がこの問題の根深さを示している。アレルヤが「大佐に彼女をを二度と戦わせないと誓ったというのに」と嘆くように、ピーリスが復讐心に囚われて戦場に出ることはスミルノフ大佐の本意ではない。まして彼女の復讐心の向く先が自身の息子とあってはなおさらだ。

(この「二度と戦わせないと誓った」というのは「連邦やアロウズに戻ったら、彼女はまた超兵として扱われる」「君はソレスタルビーイングだ。君といても中尉は戦いに巻き込まれる」「そんなことはしません!」というやりとりのことを指していると思われる。つまり彼女を戦わせないというのは「そんなことはしません!」との言葉をもってアレルヤが一方的に宣言したようなもので、スミルノフ大佐の方からマリー/ピーリスを渡す条件として求めたわけではない。
もともとスミルノフ大佐はピーリスを退役させようと働きかけたことは(その強権的やり方に反感を抱いているアロウズへの転属が決まった時でさえ)なく、ピーリスを戦いから遠ざけようとしていた節はない。
ただ、ピーリスがソレスタルビーイングの男と結ばれた以上、彼女が再び戦場に出るとしたらソレスタルビーイングのパイロットとして、すなわちスミルノフ大佐の所属する、彼女にとっても古巣の連邦軍やこれも短期間ながら籍を置いたアロウズと敵対する形にならざるをえない。スミルノフ大佐がマリー/ピーリスに望むとしたらそれは彼女が戦場に出ないことというより、彼女が自分やかつての仲間と戦うような状況に陥らないことではないか。
ただファーストシーズンの頃と違い、プトレマイオス2は武装も備えていて最前線に自ら突っ込んでゆくこともしばしばある。イアンの妻リンダが途中までそうだったように後方の秘密基地などにいるのと違い、プトレマイオス2で生活する以上はいつ戦闘に巻き込まれてもおかしくない状況ではあるのだ。
それに自らMSに乗って戦うことはなくとも、プトレマイオスが連邦軍やアロウズの攻撃にさらされたり、逆に連邦軍やアロウズの艦やMSを攻撃したりすれば、間接的ながらもかつての仲間と殺しあっているに等しい。結局プトレマイオスに乗っている以上、マリーは戦いの渦中にいるようなものなのだ。
沙慈に「戦いに巻き込まれても」プトレマイオスにいるつもりかと聞かれて「そういう覚悟もできているつもりです」「もう決めたから。私は何があっても、アレルヤから離れないと」と語ったマリーはその辺りは承知の上で腹をくくっている。それに比べるとマリーをプトレマイオスに連れてきながら彼女が戦闘に関連する行為の一切に関わることを嫌がる(メメントモリ破壊作戦で敵レーザーの発射タイミングを測るという仲間を守るための行為であってすら)アレルヤは綺麗事がすぎるように思えてしまう)

しかし本当はピーリスだって自分がアンドレイを殺すことなど大佐が二重に望んでいないことはよくわかっているはずなのだ。彼女はスミルノフ大佐が死の間際、機体の爆発にアンドレイを巻き込まないよう彼の機体をそっと突き放す場面をその目で見ているのだから(正確には見たのはマリーだが、ピーリスはマリーと記憶を共有しているので自分で見たも同然である)。
にもかかわらずピーリスが復讐に突き進まずにいられないのは、沙慈に語った通り、怒りと悲しみの感情が強すぎて、それをぶつける相手がなければ自分が壊れてしまいそうだからだ。実際、スミルノフ大佐の死を契機にマリーからピーリスへの人格交替が起こったのは、アレルヤ言うところの「優しい女の子」「人を殺めるような子じゃない」マリーには大佐の死によって自分の内に生じた怒りと悲しみ、憎しみを発散させるすべがなく、受け止めきれなくなったからだろう。
ゆえに戦うために造られた人格であるソーマ・ピーリスが出てきて負の感情を担った。マリーと違いピーリスは戦場に出て仇討ちを行うことで自分の憎しみを昇華させようとした。ピーリスを止められないことを嘆くアレルヤにロックオンは「自分の考えだけを押しつけんなよ。大切に想ってるなら理解してやれ。戦いたいという彼女の気持ちを」と声をかける。
この言葉を聞いた沙慈は「ルイスも同じなんだろうか。家族を失った悲しみを憎しみに変えて、戦う道を選んで・・・」とルイスに想いを馳せる。ルイスは確かに両親の仇であり、自分から健康な身体を奪ったガンダムを憎んでいるが、それがアロウズに入った直接の動機ではないように思われる。
というのも彼女がアロウズに入った時点―セカンドシーズン開始時に初陣の新兵として登場するものの、小説版では2年前に入隊したとある―ではソレスタルビーイングは数年にわたって活動を行っておらず、世間的にはすでにフォーリンエンジェルス作戦によって滅んだものと見なされていたからだ。
リボンズはソレスタルビーイングが滅んでいないことのみならずスペースコロニー・プラウドに武力介入することすら王留美から知らされていたらしいので彼から聞いていた可能性もないではないが、小説版では「ガンダムが現れてくれたことは、正直、彼女にとって望外の喜びであった。戦う理由ができた。倒すべき相手が見えた。」とあり、彼女がガンダムと戦う事態を想定していなかったことが窺える。
では何のためにルイスがアロウズに入隊したのかといえば、「戦いがあるから、家族は死んだのだ。地球連邦の政策が、アロウズが、戦いのない未来を求めている。私はそれに荷担する。私のような人間を二度と生み出さないためにも」。
「家族を失った悲しみを憎しみに変えて」も直接の仇であるガンダムもソレスタルビーイングももう存在しない(と思われていた)。「怒りを、悲しみをぶつける場所を」失ってしまったルイスは、憎しみのぶつけ所をアロウズの唱える「恒久平和の実現」に求めたのだ。一見すると私憤を公憤に変えて平和のため人類のために尽力するという理想的な形へと昇華したとも取れる。彼女の言い分が、主として家族や大切な人を戦争で失ったことから「紛争根絶」を掲げるソレスタルビーイングに参加したプトレマイオスクルーに近似しているのは何とも皮肉なことだが。
ただ「白い世界」で再度ルイスと出会った沙慈は彼女の「統一世界、恒久和平を実現するため私はこの身を捧げたの。世界を乱すソレスタルビーイングを倒すため、そして、パパとママの仇を!」という発言を聞いて「おかしいよ、君はそんな女の子じゃなかった。何が君を変えたんだ?」と問い、「自分で変わったのよ、自分の意志で」という答えに「それは嘘だよ!」と言い切る。
ルイスくらいの体験をすれば別人のように変化しても当然かと思えるが、かつてのルイスをよく知る、そして愛している沙慈からすれば、彼女の凄惨な体験を踏まえてもその変化を不自然なものに感じたのだろう。実際ルイスはリボンズに憎しみを煽られ、半ば取り込まれていたので沙慈の洞察は的を射ていたのだが、それだけでなく上で挙げた「ルイスもそうなんだろうか・・・」という台詞も考慮すると、「家族を失った悲しみを憎しみに変えて、戦う道を選ん」だだけならルイスの行動としてまだ理解できる、しかし統一世界、恒久和平がどうのと言い出すのは彼女の言動として不自然に過ぎると感じたのではないか。
ビリーもまたスメラギへの屈折した愛情という私怨を「恒久和平実現のため」と糊塗し、自分自身をさえ欺いていた。実父スミルノフ大佐を殺したことを、平和のため、軍務を全うするために肉親であっても討ったとルイスに堂々述べたアンドレイに至っては、父を殺す瞬間に「母さんの仇!」と叫ぶなど母を見殺しにした父への私怨が本音だったのが丸分かりである。
往々にして平和のため、争いを無くすためといったスケールの大きい大義名分を掲げる人間は、その奥に個人的な恨みや欲望を隠しているものだ。これは紛争根絶を掲げるソレスタルビーイングの人間も例外ではなく、初代ロックオンは最終的に家族の仇であるサーシェスへの仇討ちを優先させ、相討ちで命を落とした。
ロックオン自身「なにやってんだろうな、おれは」「わかってるさ、こんなことしたって、何も変わらないって」と思いながらも、それでも復讐の意志を捨てられなかった。刹那が見た夢の中のロックオンの言葉通り、彼は「変われなかった」のだ。
対照的なのが弟のライル=二代目ロックオンで、兄が仇討ちのため命を落としたことを聞かされた時「世界の変革より私怨か。兄さんらしいと思ってな」「尊敬してんだよ。家族が死んだのは十年以上も前のことだ。俺にはそこまで思いつめることはできねえ」「すべて過ぎたことだ。昔を悔やんでも仕方ねえ。そうさ、俺たちは過去じゃなく、未来のために戦うんだ」と語っている。
これは彼が冷たいということではない。出来のいい兄ニールへのコンプレックスを背景に家族と距離を置いていたのは事実だが、アロウズの蛮行に怒りカタロンに参加した彼は十分熱い心の持ち主であろう。ライルはニールが至ることのできなかった「昔を悔やんでも仕方」ないという心境に達しており、復讐という取り戻せない過去のための戦いではなく、アロウズと連邦政府を倒して現在彼らのために苦しんでいる人々と、未来に苦しめられるだろう人々を救済するために戦っている。
彼がカタロンに参加した経緯は明かされていないが、家族は皆亡くなっているし、恋人や親友をアロウズに殺されたといった事情があるなら作中で描かれるだろうから、そうした描写がないということは純粋に道義的怒り、正義感からカタロンに身を投じたものと思われる。何かしらの私怨、個人的事情を背景に戦っているキャラクターが多くを占める中で、ライルは私憤でなく公憤で戦いを選んだ数少ない人間といえるのではないか。
この“家族の仇討ちを捨てられなかった”兄ニールから“死者の仇討ちより未来のために戦う”弟ライルへのマイスター変更に象徴されるように、セカンドシーズンは復讐否定、過去に拘るより未来を見ることがテーマとなってゆく。


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『機動戦士ガンダム00』(2)ー2(注・ネタバレしてます)

2025-08-19 23:55:43 | ガンダム00

ファーストシーズンの最終回、アレハンドロとの戦いの中で、刹那は「見つけたぞ世界の歪みを! そうだ、お前がその元凶だ!」と叫ぶ。
この〈(世界の)歪み〉〈(おまえは)歪んでいる〉というフレーズは『00』、とりわけファーストシーズンに頻出していて、発言者は主に刹那。
彼に〈歪み〉として名指されたのはアレハンドロ・コーナー、グラハム・エーカー、アロウズとリボンズ・アルマーク。リボンズについてはティエリアもリボンズと初めて会った直後に「見つけたぞ、刹那。世界の歪みを」と「歪み」認定している。
ここで名が挙がった者たちに共通しているのは私利私欲―支配欲や戦闘欲―のために自ら戦いを挑む、戦闘行為を引き起こしている点である。ここに名前はないが戦争屋のアリー・アル・サーシェスなどもまさにそうだろう。

マリナに「なぜこの世界は歪んでいる?」と問いかけ、連邦軍との最終決戦に赴く前にマリナに書いた手紙の中でも「俺は知りたかった。なぜ世界はこうも歪んでいるのか?その歪みがどこから来ているのか?」と綴ったように、刹那は世界の歪みとその原因を模索し続けてきた。
それをついに見出した、というのが上掲の台詞であり、物語のカタルシス的には良い展開なのだが、〈世界の歪み〉というのは一個人に全責任を負わせ、その人物を断罪して正せるようなものなのか。〈世界〉とはそれほど簡単なものではないだろう。
小説版では、ソレスタルビーイングの指揮官が旧友リーサ・クジョウと知ったカティ・マネキンの内心として「争いとは、つまるところ人と人との差異から起こる。性格の違い、趣味嗜好の違い、考え方の違い、信じるものの違い、生まれた地域や文化の違い・・・・・・。それは翻せば人間の多様性を示している。しかし、その多様性こそが人の有り様なのだと彼女は思う。ゆえに、人が人である限り、争いの種がつきることはないのだ。」との記述がある。こちらの方が真理であろう。
争いを引き起こすのは人と人との差異であり、人が人である限り争いは尽きない。わかりやすい悪役(地位・言動などアレハンドロはまさに適役である)を弾劾し成敗して全て解決するようなものではない。
刹那の問いかけにマリナが「神は平等よ。人だってわかりあえる。でもどうしようもなく世界は歪んでしまうの。どうしようもなく・・・」と返答したのも、それを理解していればこそだろう。

実際アレハンドロを倒し、グラハムを相討ちで倒しても世界は良くならなかった。地球連邦が本格的に始動した当初こそ戦争のない平和な世界が実現しそうな希望が芽生えたものの、あいかわらず、もしかすれば今まで以上に先進国と途上国の格差は広がり、一時期沈静化していた地域紛争が再度激化、それに対応すべく独立治安維持部隊アロウズが誕生するに至る。
アロウズが反対勢力に容赦ない弾圧を加えた背景には地球圏統一を急ぐ連邦の思惑があった。世界を、人類を一つにまとめることはイオリア・シュヘンベルグの意志でもあり、恒久平和実現のために必要な善な所業のように思えるが、それは裏を返せば多様性の否定となる。「多様性こそが人の有り様」ならば、多様性の否定とはすなわち人間性の否定ではないのか。
統一された世界とは、多数派と価値観を共有できない者を弾き出す冷たい世界でもある。マイノリティを排除して結束を高めたとしても、今度はこれまでマジョリティと思われていた集団の中で、今までは気にならなかった程度の細かい差異が目に付きはじめ、新たなマイノリティを排除にかかるようになる。〈人類の意志の統一〉を目指すかぎりこの排除の過程は延々と繰り返すことになる。
むしろ軍事的経済的にほぼ拮抗する三国家群が睨み合っていた時代のほうが、三種のマジョリティが存在するだけアロウズ一強時代よりも多様性が確保されていた。
アザディスタンを例に取るなら、ファーストシーズンの時点でも貧困と宗教的対立を背景とする内戦が続いてはいたが、セカンドシーズンでは国土を焦土に変えられたあげく連邦政府が作った暫定政権により国自体を解体されてしまった。世界を一つに纏めあげようとしたことが小国家を一時は消滅へと追い込んだ(ただイオリアが本当にアザディスタンをはじめとする中東を捨て石にするつもりだったかは疑問がある。「イオリア・シュヘンベルグ」の項参照)。
そしてこの唯一の強者が弱者を力ずくでひねりつぶす世界を招来した、そのきっかけは、ソレスタルビーイングによる武力介入である。結局ソレスタルビーイングの行動が世界の歪みをより広げてしまったといわざるをえない。

(ところで三国家群の〈冷戦〉だが、スメラギ(リーサ・クジョウ)、ビリー・カタギリ、カティ・マネキンの三人はともにユニオンの大学で学んだのち、ビリーはユニオン軍へ、スメラギとマネキンはAEUの軍隊に戦術予報士として入隊している。
ユニオンの大学で、それも軍事を学びながらAEUの軍に入るというのは、スペイン(地理的にAEUだろう)出身のルイスがユニオン領の経済特区・日本に留学したのとはわけが違う。スメラギらが所属していた国際大学は防衛大学校のような軍人養成機関というわけではなく(おそらく士官学校は別に存在していて、さすがにそこの卒業生が他国の軍隊に入隊など通常できないはずだし、すれば問題になったろう)ユニオンの軍事機密に触れる機会などない、あくまで一般論としての軍事学を修めただけという事だろうが、もしユニオンとAEUが戦争にでもなればスメラギとマネキン、二人の天才の戦術がユニオン軍に襲いかかることになる。彼女らがその戦術を習得したのがユニオンの大学である――これはユニオン軍人にとってずいぶん腹立たしい話なのではないか。
しかしビリーは学生時代スメラギと〈マネキンがAEUから佐官待遇でスカウトされている〉という話題を普通に話している。マネキンほど優秀な学生にお膝元のユニオンでなく離れたAEUからスカウトがかかっているのはおそらくマネキンが(スメラギも)AEU出身ということなのだろうが、AEU出身の学生に軍事を学ばせすこぶるつきの優秀な成績を残しているにもかかわらず彼女らをAEU軍に持っていかれるのを止めようともしないユニオンの寛容さ、危機感のなさには驚く。逆にいえばユニオンとAEUの関係はそれだけ良好ということだ。
ファーストシーズンの第一話でユニオン軍のビリーとグラハム・エーカーがAEUの新型機(イナクト)のお披露目を堂々と見学し、「うちの猿真似」というビリーの発言をテストパイロットのコーラサワーが聞きとがめた際も「そこの!聞こえてっぞ!」と(イナクトを貶されたことに対して)怒鳴っただけで、ユニオンの人間がこの場にいることは問題にしていない。
コーラサワーがああいう性格だからというわけではなく、怒鳴られたグラハムとビリーの方も「どうやら集音性能は高いようだ」と笑いあうだけで〈正体がバレた!〉的反応を一切しない。イナクト開発に当たっての仮想敵国はユニオンか人革連、あるいはその両方なのだろうから全くの友好関係ではない、ただし一触即発というような状況でもない、というのがこの頃の三国家群の関係性だろう。
本当に両国ないし三国が戦争になってしまえば軍事力がほぼ拮抗しているだけに人類滅亡にも繋がりかねない。だからお互い牽制だけはするけれど本格的軍事衝突は起こりえないと誰もが暗黙裡に納得しているからこその緩さが、スメラギとマネキンのAEU軍入り、イナクトお披露目の二つのエピソードからは窺える。
・・・そういえばスメラギとマネキンがAEU時代に起きた悲劇の同士討ちは、お互い友軍を何者と誤認して戦ったのだろう?当時交戦関係にあった本来の敵軍というものがいたはずなのだが。まあテロ組織とか三国家群に属さない(中東諸国のような)小国家の軍隊の可能性が大だろうか―と思ったが外伝小説『ガンダム00P』によると相手は人革連軍で、AEUの軍事施設が人革連軍に占拠されたのを奪い返すための戦いだったとのこと。ユニオン-AEUは比較的仲が良いが人革連とは割と険悪という、何だか現代社会を思わせる構図である)

ただそれはアレハンドロの背後にいた真の歪み―彼を体よく操っていたリボンズ・アルマークの存在に気づかず逃してしまったせいと見なすこともできる。だからリボンズを頂点とするイノベイター(イノベイド)たちがアロウズを影で操っているとわかった時、ティエリアは「見つけたぞ、刹那。世界の歪みを」と宣言している。
〈歪み〉の真の元凶であるリボンズたちを倒せば今度こそ歪みを断ち切ることができる。そう刹那たちが考えたとしてもおかしくないし、事実ティエリアは肉体の死と引き換えにリボンズからヴェーダを取り戻し、刹那はリボンズと戦いほとんど相討ち同然ながら勝利している。
数々の悪行が明るみに出たアロウズは解体に追い込まれ、実質アロウズの下部組織となっていた地球連邦も再編が成された。真の悪を成敗して今度こそ平和が訪れました――とも見えるし、その方が物語的にもカタルシスが得られるだろう。

ただ実際にアロウズを解体に追い込んだのは、一般人には存在を知られていなかったリボンズたちイノベイドを倒したことではない。直接にはヴェーダを取り戻したことで情報統制が解かれ、市民にこれまで隠されていた真実が開示されたためである(映画版の劇中映画『ソレスタルビーイング』に顕著なように、ソレスタルビーイング及び新政府に都合の悪い情報は伏せられ改竄されている可能性はあるのだが)。
小説版では、アロウズの実体を知った人々が深く憤りかつ真実を知ろうとしてこなかったことに恥じ入った結果、当時の連邦政府大統領と全閣僚をリコールするという前例のない大革新を実現させた旨が綴られている。ソレスタルビーイング+カタロン+マネキン率いるクーデター派が牙を徹底的に抜いたあとだったとはいえ、アロウズと当時の連邦政府にとどめを刺し宥和政策を掲げる新たな政権を発足に導いたのは一般大衆であり、その手段は戦闘ではなくリコールという民主主義的手段だったのだ。

そしてアロウズ及びその背後のイノベイドとの戦いの中で、武力解決を目指せば新たな歪みを生み出すだけだということをソレスタルビーイング側も理解していた。ヴェーダを内包するイノベイドの根拠地、外宇宙航行母艦「ソレスタルビーイング」に向かうにあたり、スメラギは「私たちが世界を変えたことへの償いを、そのけじめをつけましょう」「イノベイターの支配から世界を解放し、再び世界を変えましょう」と皆に声をかけている。自分たちの武力介入がアロウズとイノベイター(イノベイド)が支配する、より悪い世界を生み出してしまったとここでスメラギは断じ、その責任を取ろうとしている。
また刹那はラグランジュ5でミスター・ブシドー=グラハム・エーカーと戦ったさいに「この男もまた、我々によって歪められた存在・・・」と心で思っている。かつてグラハムと戦った際に「貴様は歪んでいる!」と断じ「そうしたのは君だ!」と返されていた刹那が、グラハムの言葉に同意した―グラハムをガンダムと戦うことが全ての執念の鬼へと追い詰めたのは自分たちだとここで認めたのだ。そして刹那は堂々たる勝負のもとグラハムに勝利しながらも彼を殺さず、憑き物が落ちたグラハムは劇場版においては頼もしい援軍となる。
スメラギはプトレマイオス2に乗り込んできたビリーに一度は銃を向けたものの、彼を苦しめアロウズに傾倒させたのは彼の好意に甘え続けた自身の言動にあった事を詫び、抱擁によって和解する。ロックオン(ライル)も一度は兄の、それ以外の家族の仇でもあるアリー・アル・サーシェスを殺さず見逃そうとした。
セカンドシーズン最終回で刹那はリボンズを「そのエゴが世界を歪ませる!」「貴様が行った再生を・・・・・・この俺が破壊する!」とその「歪み」ゆえに断罪したが、セカンドシーズンは全体の流れとして、刹那自身も含め敵を抹殺する、「歪み」認定したわかりやすい悪者を倒してそれで良しとする安易な解決を避けているように思える。


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『機動戦士ガンダム00』(2)-1(注・ネタバレしてます)

2025-08-19 23:46:40 | ガンダム00

〈武力介入による紛争根絶〉なるスローガンを掲げる私設組織「ソレスタルビーイング」。〈世界から戦争を根絶させる〉と言いながら、その手段として武力を用いる。彼らの理念と方法が矛盾していることは、早々に第一話の時点でグラハム・エーカーの指摘を通して視聴者にわかりやすく提示されている。
しかし実際に紛争を止める、または未然に防ごうとするなら、紛争の当事者を上回る武力で抑えつけるのが最も効果的なのはまず間違いない。説得で相手を変心させられればベストだが、平和解決が可能な状況ならそもそも武力衝突になっていないだろう。
ソレスタルビーイングはいわば世界の警察としてテロリストに強制的な手入れを行うと宣言したわけで、結果武力介入を嫌って停戦を選んだ国・組織が複数現れ、やがては冷戦状態にあった三国家群が対ソレスタルビーイングでの共闘体制を経て地球連邦としての統合へ向かった。
理念としては矛盾していても、戦争を止め世界に平和をもたらすには武力が最も効果的であることをソレスタルビーイングは示した形である。

こうしたソレスタルビーイングの理念を最も体現していたのが主人公刹那・F・セイエイだろう。
幼少期、洗脳によって神の名のもとに自ら両親を殺し、少年兵として戦場で多くの人の命を奪ってきた。過去への悔恨から戦争の根絶を願い、しかし〈自分は戦うことしか知らない〉からとガンダムに乗って戦うことで平和な世界を招来しようとしている。「刹那・F・セイエイ」の項で書いたように、刹那にとってガンダムとはその圧倒的な武力によって戦いを終わらせる存在なのである。
「マリナ・イスマイール」の項で触れた「武装を是としながらエスカレートを防ぐ」方法だが、「いざという時には引き鉄を引ける覚悟」「いざという時以外は決して引き鉄を引かない覚悟」の他にもう一つある。それは相手より圧倒的に、抵抗する気力を根こそぎ奪うほどの差をつけて強くあることだ。
極めて強力な兵器を有するなり戦術的に有利な状況を占めるなりすることで手加減が可能となる。敵の被害を最小限に抑えることや、さらには無血降伏させることもできるようになる。防御力に絶対の自信が持てれば、相手の攻撃への恐怖から不必要に引き鉄を引いてしまうことも避けられるだろう。
公の活動を開始した直後のソレスタルビーイングがまさにこの状態だった。攻撃力・防御力とも相手を凌駕しているゆえに、相手を必要以上に傷つけない戦いができた。力の差を見せつけることで、彼らの武力介入を恐れた諸勢力が戦闘行為を止めるという「無血降伏」と呼ぶべき事例も次々起きた。
他陣営のMSに対するガンダムの性能の絶対的優位性が、最低限の犠牲で紛争を止めることを可能とし、〈武力介入による紛争根絶〉という矛盾した理念をぎりぎり成り立たせていた。刹那がガンダムに抱いた理想が容易く叶えられていたこの時期が、ソレスタルビーイングにとっての黄金期といえるかもしれない。

しかしそんな期間は長続きしない。敵方も強者を真似て、彼らに匹敵する武装を手に入れようとするからだ。弱小国・弱小勢力なら白旗を挙げたままになるかもしれないが、三国家群のような巨大組織は威信にかけても、やられっぱなしで引っ込むわけにはいかない。彼らには兵器開発にかける資金力も技術も相応にある。
実際ソレスタルビーイング内の“裏切者”から疑似GNドライブが三国家群に提供されてから、物量では劣るソレスタルビーイングの戦いは一気に苦しいものとなっていく(疑似GNドライブ提供前でさえ、三国家群による“合同軍事演習”の際には圧倒的な物量差によって全滅寸前まで追い詰められていた)。
〈圧倒的強さを持ってエスカレートを防ぐ〉やり方は、相手がそれに匹敵する強さを持った途端に成り立たなくなる。トランザムが使えるようになったことで再びガンダムが優位性をやや取り戻すものの、それは連携を深めた三国家群の物量を跳ね返すほどではなく、やがて三国家群を基盤とする地球連邦―正確にはその中の独立治安維持部隊アロウズもトランザムシステムを独自に開発し、戦闘力においてもガンダムに追いついてくる。結局はより強い武装の開発競争というエスカレートに陥ってしまうのだ。

先にも書いたように、刹那とマリナは平和を望む気持ちは同じでも方法論の違いからすれ違い続ける。興味深いのは刹那がマリナの非戦主義に対して〈非現実的〉〈お花畑〉などの揶揄・批判を一切していないことだ(代わりにたびたび彼女の理想主義を批判することで視聴者の代弁者的役割を果たしているのがシーリンだ)。それどころかアザディスタン内紛時再会したさいには「戦え。おまえの信じる神のために」と彼なりのエールを送ってさえいる。
初対面で(刹那の正体を知らずに)ソレスタルビーイングの武力介入を「介入の仕方が一方的すぎる」と強く批判したマリナに刹那は「紛争が起これば人が死ぬ」「話している間に人は死ぬ」と言い返しているが、二人とも戦闘行為で人命が失われるのを憂いている点は共通している。
とりわけ刹那はマリナに指摘されるまでもなく人が殺されるのを止めるために武力介入で人を殺す矛盾は重々承知しているし、心から人の死を防ぎたいと思っている刹那だからこそ、本当は武力によらず話し合いで解決することがベストなのもよくわかっている。マリナの説く理想は彼にとっても理想なのだ。

刹那は三国家群の合同軍事演習に介入する前にマリナの寝所を突然訪れ「なぜこの世界は歪んでいる?」と問いかけたり、ファーストシーズンのラストでは死を覚悟したうえでの遺書とも言える手紙を送りつけている。これらの一種甘えとさえ言ってよいマリナへの〈彼女なら自分の問いに答えてくれる〉という信頼感は二つの感情に根ざしてるのだと思う。
一つは対国連軍との戦いの直前、夢の中でマリナから彼女の知らないはずの本名で呼びかけられ「もう戦わなくていい」と言われた場面に象徴される、彼女に安らぎ・母性を求める感情(小説版ではマリナの声が死んだ母親に似ているとの記述がある)。もう一つは彼女がある意味自分以上に困難な戦いに挑んでいることへの敬意だ。
最初の出会いから再会までの間に、刹那は久しぶりに降り立った故郷の地で、そこが今も紛争の最中にあるという現状を体感し、かつての自分のような戦禍に巻き込まれた少年が目の前で殺されるのを救えず、少年時代の自分を偽の教義でゲリラ兵へと仕立て上げたアリー・アル・サーシェスと再度めぐり合い──と繰り返しトラウマを抉られている。とりわけとっさに過去の自分を重ね合わせた少年を救えなかった時には「おれは・・・ガンダムになれない」と深い無力感を吐露している。
このアザディスタン内紛への介入は最終的には刹那たちが救出した保守派の要人マスード・ラフマヴィーとマリナの会談によって平和的解決を見たものの(内紛が完全に収まったわけではないが、ともかくも武力制圧でなく話し合いによる戦闘終結を行うことができた)、この後には三国家群軍事演習への介入で危うく全滅かという際まで追い込まれ、その危機を救ってくれたチームトリニティとはやがて対立、この頃から明らかになった裏切者のためにヴェーダのバックアップが当てにできなくなり、三国家軍を基盤として発足した国連軍によるソレスタルビーイング掃討作戦(「フォーリンエンジェルス」)で複数の仲間を失い・・・とソレスタルビーイングにとって苦しい戦いが続く。
罠と知りつつ、かつ不利を承知で三国家群の軍事演習に介入せざるを得なかったのは「紛争根絶」という彼らの理念=存在意義のゆえであり、結果トリニティのような戦闘狂に救われるはめになった。トリニティによる民間人でも平気で攻撃する武力介入のあり方はプトレマイオスの面々を大いに鼻白ませたが、そのトリニティがいなければ彼らはとっくに壊滅していたのも事実であり、プトレマイオスクルーは自分たちの行う武力介入の甘さ、理念の脆さを思い知らされた。
武力を否定するマリナは非現実的かもしれないが、〈勝ち目はない〉という事実より〈紛争を見過ごしてはならない〉という理念を優先させ、武力介入を行いながら犠牲を嫌うソレスタルビーイング―プトレマイオスクルーも端から見れば非現実性ではどっちこっちなのだ。
またトリニティによる容赦のなさすぎる武力介入はソレスタルビーイングの評判を失墜させた。これまでは〈綺麗事を言っていても所詮はテロ組織〉と批判する人間もいる一方で、極力犠牲を最小限に抑えようとする彼らの姿勢、実際に彼らの武力介入を怖れての戦闘中止が相次いだという実績を評価する人々も少数派ながら存在した。それがトリニティの出現以来、まさに評判が地に落ちてしまった。
プトレマイオスクルーが〈紛争根絶が実現したあかつきには、理想のためとはいえ人を殺し傷つけたことの責任は取る〉重い覚悟を背負ったうえで、細心の注意を払いながら行ってきた武力介入という名の平和活動を、トリニティと彼らをバックアップする裏切者によって泥足で踏みにじられた悔しさは相当なものだったろうがそれ以上に、世界から見ればプトレマイオスクルーもトリニティも同じソレスタルビーイングに変わりない(先にも書いたようにそもそも連携関係にない別チームという認識自体ない)こと、〈新しい機体が出てきてから戦術が変わったな〉程度の感想は抱くかもしれないが、テロ組織のくせにクリーンなイメージを打ち出していた連中が本性を現した程度に見なされているだろうことが、彼らを打ちのめしたと思われる。
世間的には自分たちはテロリストに過ぎない──トリニティの登場を機にプトレマイオスクルーは、刹那はそれを思い知らされたのだ。戦いを憎み、しかし戦うことしか知らないゆえに、〈戦いを通して戦いを止める〉矛盾した理念に身を投じた刹那は、状況が悪化する中で自分たちがいかに無謀な理想を掲げているのか再認識させられたのだと思う。
それが〈戦わずして戦いを止めようとする〉という、自分よりさらに無謀な―そしてより正しい―戦いを一人戦っているマリナを認め、敬意を深めてゆく結果に繋がったのではないか。


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『機動戦士ガンダム00』(1)-35(注・ネタバレしてます)

2025-08-19 23:36:41 | ガンダム00

リジェネ・レジェッタ

セカンドシーズンに入って次々登場してきたイノベイター(イノベイド)の一人目。ティエリア・アーデと同じ遺伝子・同じ容姿を持つ。彼がティエリアの前に現れイノベイター(イノベイド)の定義について語ってから、一気にセカンドシーズンの物語が動き出した感がある。
イノベイドは基本的にリボンズに忠実であるか(リヴァイヴなど)好戦的な性格で戦えれば何でもいいか(ヒリング)で物事を深く考えていない中、イオリア計画について深く思索している、策謀を巡らせているのはリボンズとリジェネくらいである。
小説版によるとこうしたリジェネの“やる気”をリボンズは比較的買っていたようだが、リジェネがリボンズに代わってイオリア計画の推進者になろうと野心を募らせるに従って両者の暗闘が始まるようになる。
セカンドシーズンのクライマックスとなるヴェーダ奪回作戦は、ソレスタルビーイング側がヴェーダ本体の在り処を知るためリヴァイヴを捕虜にして結果イノベイドとして覚醒させられたアニューの裏切りを招いた前哨戦を経て、リジェネが王留美を通じてソレスタルビーイングにヴェーダの位置を教えたことによって本格的に開始される。
序盤戦はリジェネが用済みになった王留美をネーナを使嗾して殺させたり、そのネーナをリボンズが差し向けたルイスが仇討ちのため殺したりとイノベイド二人の代理合戦の趣きがあるのだが、正直このヴェーダ奪回作戦についてはいろいろ腑に落ちないところがある。
私は基本的にセカンドシーズンにおけるスメラギの戦術を高く評価しているのだが、この戦いだけは彼女の考えがよくわからない。物理的にヴェーダを奪還したところでアクセス権をリボンズに押さえられたままでは結局ヴェーダをソレスタルビーイングが使用することもイノベイドに使用させないことも出来ないのではないか。スメラギはどうやってリボンズからアクセス権を奪還するつもりだったのだろう。
リボンズを捕まえ、銃ででも脅して命が惜しければアクセス権を返すよう迫る?リボンズ本人が航空母艦ソレスタルビーイングの中にいる保証もないだろうに。
途中「ヴェーダを奪還、最悪破壊してでも敵母艦の動きを止めるのよ!」と指示をとばす場面があるが、これ以上ヴェーダを悪用させないという観点からすれば破壊の方がまだしも現実的だろう。まあ破壊したとしても確実に代替システムが存在していてそちらが取って代わるだけだろうが・・・。<

もう一つ解せないのはカタロン参戦についてである。アロウズのアンチフィールド作戦によってガンダムの力を大幅に削られ、プトレマイオス2も繰り返し攻撃を受けている状況下でスメラギは妙に落ち着いていた。
ロックオンからヴェーダ奪還作戦を知らされたカタロンがこの機に乗じて参戦してくるのを確信していたからだが、どのタイミングで彼らが現れるかについては完全に賭けでしかなく、カタロンに通報した当人であるロックオンは全く楽観視していなかった。実際彼らの戦場到着がもう数秒遅れていたらプトレマイオス2はブリッジへの被弾―高い確率で全員死亡―を免れ得なかったろう。
加えてその後のカタロンの予想以上の善戦はブレイクピラー事件を機にアロウズから離脱したマネキンが密かにカタロンに協力していたおかげであり、こちらは完全にスメラギの計算の外だった。不確定要素が多すぎて、あまりにも綱渡りが過ぎるように思えるのだ。

ただこの無理の多い作戦にスメラギが乗り出さざるを得なかった気持ちもわかる。スメラギやティエリアがヴェーダ奪還を本気で考え始めたのはブレイクピラー事件の後である。
アロウズの衛星兵器メメントモリによって引き起こされた大惨事が、反乱軍による軌道エレベーターの破壊計画による被害をアロウズが最小限に抑えた結果として喧伝され、かえってアロウズが地球連邦軍を完全に従えるための口実に利用されてしまった。ヴェーダによる情報統制があればこそである。
ソレスタルビーイングやカタロン、その他の反連邦・反アロウズの人々が何をしようと、向こうにヴェーダがある限り彼らの真意は一般市民に届かない。この状況を打開するにはヴェーダを奪い返すしかない。そこへ王留美からヴェーダの所在地の情報がもたらされた。
罠の可能性はあれど、今のところ第四世代のガンダム4機は性能においてアロウズやイノベイドのMSとも互角以上に戦えている。やるなら今しかない、という局面には違いなかった。

とはいえアロウズ艦隊を突破し、航空母艦ソレスタルビーイングに侵入・ヴェーダの奪還を成し得たのは複数の僥倖あってのものだったのは否めない。とりわけヴェーダ奪還はスメラギが想定しようもないある事件が起きてなければ不可能だったろう。事件とはリジェネ・レジェッタの死である。

ヴェーダ本体の前でリボンズとティエリアが邂逅を果たした時、ティエリアは自分たちを「イノベイター」と呼ぶリボンズに対して「僕たちはイノベイターではない。僕たちはイノベイターの出現を促すために、人造的に作り出された存在―イノベイドだ!」と断言する。
「ティエリア・アーデ」の項でも書いたが、この台詞の時点でティエリアはまだヴェーダとのリンクを復活させていない。にもかかわらずなぜヴェーダを掌握していてイオリア計画を誰より知悉しているはずのリボンズを相手に、こうも確信をもってイノベイドの定義を語れるのか。
ティエリアは自分に同類がいることも、それがイノベイターを自称する集団だということも、つい最近知ったばかりだというのに。
ヒントはその後刹那がトランザムバーストを発動させたさい、リボンズの脳量子波が乱れた隙をついてリジェネとティエリアがリボンズをヴェーダから締め出す場面にある。
リジェネは先にリボンズと対立し、リボンズを殺そうとして逆にリボンズの意を受けたサーシェスに撃たれている。当然死んだと思われたものがよもや生きていたのか?という視聴者の疑問に応えるかのようにリジェネの身体が撃たれた時の状態のまま倒れているところが映し出されるので、彼が絶命していることはまず疑いがない。
そのリジェネが脳量子波でリボンズに話しかけているということは、肉体は死んでも精神は何らかの形で生きていることを意味する。そしてリジェネの「君の思い通りにはさせない。そうだろ、ティエリア?」という言葉に呼応するように、こちらも上の台詞の後でリボンズに撃たれて死んだはずのティエリアの両目が金色に輝く。
死んだはずのイノベイドが二人揃って、精神は“生きている”。さらにこの少し後、ヴェーダ本体の前にやってきた刹那に「今僕の意識は完全にヴェーダとリンクしている」とティエリアが話しかけたことからすると、ティエリアもリジェネも、肉体は死んでも意識はヴェーダと繋がることによって保たれたと見るべきだろう。
しかし彼らの死はどちらもヴェーダをリボンズから取り戻す前のことだ。つまり、イノベイドはもともと死ぬとその人格・記憶が全てデータとしてヴェーダに保存される仕組みになっているのではないか。
おそらく生前もイノベイドの思考・知識は全てヴェーダに筒抜けになっているのだろうが(リボンズがリジェネに「君の考えは脳量子波を通して僕に筒抜けなんだ」と言ったのもヴェーダを掌握しているリボンズはヴェーダを経由して他のイノベイドの思考を読むことが可能だったということだろう)、肉体の死にあたってイノベイドの人格が一緒に失われてしまうのは惜しい(彼らの感情も感情を持たないヴェーダにとっては貴重なデータなので)ということで、死に際しては彼らの意識をデータとして保存できるのだと思う。一度はリジェネに撃ち殺されたはずのリボンズが即座に復活したのもこのシステムがあればこそだろう
かくてヴェーダに人格データを保存され意識が「完全にヴェーダとリンクし」たリジェネは少し後のティエリアと同様知っているようで知らなかった「イオリア計画の全貌」を知ったのだと思う。
トランザムバーストによってリボンズの脳量子波が乱れた時にリジェネは「この時を待ってたよ」と発言している。明らかにリジェネはダブルオーライザーにトランザムの上を行くトランザムバーストという隠された機能があることを知っていたのだ。
そしてブシドーとの戦いで人類初のイノベイターとしてほぼ覚醒した(完全覚醒ならこの時点でトランザムバーストが発現していただろうから完全覚醒の一歩手前というところだったのかと思う)刹那がこのヴェーダ奪回作戦の中で完全に覚醒しトランザムバーストを発動させるだろうこと、トランザムバーストがリボンズの脳量子波を乱すことまで確信していた。
パイロットの刹那もメカニックのイアンもリボンズも知らないトランザムバーストの存在とそれがもたらす効果をどうやってリジェネが知ったのか、その答えは“ヴェーダを通じて知った”しか考えられない。そして彼は自身が知り得た情報を“同タイプのイノベイドは心を繋ぐことができる”特性によってティエリアに伝えた。ティエリアが妙に確信をもって自分たちはイノベイターでなくイノベイドだと断言したのはそれゆえだろう。
イノベイドの長でありアロウズを背後で操る黒幕たるリボンズと一対一で向き合った時、ティエリアはリボンズに身体レベルで殺されることを覚悟していたと思う。
死んでヴェーダに意識を保存されれば、トランザムバーストでリボンズの脳量子波が乱れる瞬間を狙って、彼とヴェーダのリンクを切断し自分が割り込んでホスト権を奪うことができる。
運よく自分がリボンズを撃ち殺すことができて彼が再度復活する前にトランザムバーストが発動すれば、リジェネがホスト権を奪ってリボンズの復活を妨げ自分は身体も死なないで済む―リボンズと撃ちあったさいにはそんな可能性も考えたかもしれないが、リボンズ相手では分が悪いのもわかっていただろう。
結局ティエリアはリボンズに“撃ち殺され”、しかしそのことによるリボンズの油断とトランザムバーストによる脳量子波の乱れをついて、リジェネの協力のもとヴェーダを奪還することに見事成功した。
全く動かないリジェネの遺体と違い、死んだはずのティエリアの瞳が金色に輝いたのは、トライアルシステムを起動させるにはセラヴィー/セラフィムガンダムのマイスターのバイオメトリクスが必要だったため遺体を部分的に脳量子波で操ったものではないか。
この“肉体の死とひきかえにヴェーダを奪還する”やり方はティエリアがイノベイドだったからこそ使えた方法で、ティエリアが刹那に「僕はイノベイター、いやイノベイドでよかったと思う。この能力で君たちを救うことができたのだから」と語ったのも、彼がイノベイドにしかできない方法でヴェーダを取り戻すために自分から肉体の死を選んだことを示唆している。
ただこれはティエリアの死を前提としたものだ。ヴェーダの奪還を果たした後ティエリアがトライアルシステムを起動させてヴェーダとリンクしている敵機を行動不能にすること自体はもともとの計画だったようだが(小説版でははっきり「これが、ソレスタルビーイング側の用意したミッションプランであった。ガンダム各機が各所から敵母艦にそれぞれ侵入して、掌握されているヴェーダを敵の手から奪還する。そののち、トライアルシステムを発動させて敵の全部隊を無効化する」と書かれている)、肝心の「掌握されているヴェーダを敵の手から奪還する」ための手段はどうするつもりだったのだろう。
よもやスメラギがティエリアの死ありきの戦術を考えるはずがないし、そもそもリジェネが死んだのはソレスタルビーイングがアロウズ艦隊を突破した後なので、イノベイドの死亡時に発動するシステムを踏まえた計画を立てようがない。
おそらくティエリアはソレスタルビーイング号に侵入する前後でリジェネからの“伝達”を受け、スメラギには相談せずに自分が犠牲になることでヴェーダを取り戻すと決めたのだと思うが、ティエリアの死とそれに先立つリジェネの死がなければ、本当にどうなっていたことやら。

それにしてもリジェネはなぜティエリアとソレスタルビーイングに協力したのだろう。自分の策謀を知りながら見逃し泳がせて楽しんでいたリボンズへの憎しみからか。
真のイノベイター・刹那を倒して彼の立場に成り替わろうとするリボンズと違い、リジェネは刹那にはイノベイターとして覚醒してもらったうえで彼を自分の手駒にしようと目論んでいた。だから刹那には死んでもらっては困る、というのはわかるが。
とはいえイノベイターを、しかもあの刹那を思い通りにコントロールできると思っているのに驚かされる。まあイノベイターを抹殺しようとしたりしないだけ、リボンズよりはイオリアの意に沿っているとは言えるかもしれない。
ヴェーダの位置を教えることで刹那をはじめとするプトレマイオスクルーをおびき寄せた目的もよくわからないが。戦場で追い込むことで刹那の完全なる覚醒を促そうとしたものか。そしてリボンズと真っ向対決し目の上の瘤だったリボンズを倒してくれることを期待していたのだろうか。
またブシドーとの戦いを経て刹那の覚醒を感じ取ったリジェネは「純粋種として覚醒したか、刹那・F・セイエイ。それは人類の命運を握る力、来たるべき対話のための切り札だ」と一人呟いている。実際に刹那はリボンズを倒し、劇場版で人類の命運を賭けてELSとの来たるべき対話を成功させているので、リジェネの思い描いた通りに事態が推移したとも言える。ただ一点、自分が死んでしまったことだけが予定外と言ったところだろうか。
しかし肉体的には死んだもののヴェーダを通じてリジェネは永遠に(ヴェーダが存在する限り)世界を見つめることが可能で、同タイプのティエリアを通じて(あるいはヴェーダを介して)ELSの母星への旅も疑似体験できたことだろう。身体は無くなっても結構楽しくやってるんじゃないかな、と思ったりするのである。


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『機動戦士ガンダム00』(1)-34(注・ネタバレしてます)

2025-08-19 23:17:32 | ガンダム00

リボンズ・アルマーク

最初はアレハンドロ・コーナーの忠実かつミステリアスな部下として登場。なぜかヴェーダにリンクできる能力を持っている謎めいた少年。
ファーストシーズン最終回で実はアレハンドロを体よく利用していただけで、彼自身がイオリア計画の私物化を企んでいたことが明かされ、以降はセカンドシーズン全編にわたってアロウズを影で操るラスボス、イノベイドたちの長として存在感を発揮する。
何かと人間を見下し「人間の価値観は狭すぎるんだ。僕らはもっと広い視野で物事を考えている」などと嘯くわりには「純粋種となった君に打ち勝てば僕の有用性は不動のものとなる」と最終決戦で刹那に語ったように、彼の行動原理の根幹は至って利己的なものである。
このあたりは「ソレスタルビーイングに見切りをつけ、イノベイターに加担されるおつもりですか?」と尋ねてきたネーナに「そんな次元の考え方では真の変革は訪れはしないわ」とよくわからない説明をしつつ冷笑を浮かべた王留美と共通するものがある。リボンズがことさら留美に冷淡を通り越して嘲弄的な態度を取ったのも、同族嫌悪だったのではないかと思えるほどだ。
彼らはソレスタルビーイングが極力人命を尊重して(彼らから見れば)生ぬるい武力介入しか行わないことや、ネーナが“イノベイターに接近する=ソレスタルビーイングから離れる”という単純な図式しか描けず両天秤をかけるという発想に至らないことを馬鹿げていると考える。紛争根絶・恒久平和のためには荒療治が必要なのはわかりきっているのだから、今さら犠牲者を多少減らしたから何だというのか。
AEUとモラリア共和国の合同軍事演習に武力介入した際「このミッションでどれくらいの犠牲者が出たかわかる?」「私の予測だと500人は下らないわ」と顔を曇らせるスメラギに「それを承知の上でソレスタルビーイングに入ったのではなくて?」と不思議そうに答え、ミッションを放棄して漂流する重力ブロックの救助を優先したアレルヤを「何をしているの」と非難した王留美には、戦術プランを立てておいて死傷者の多さに心を傷めるスメラギや目先の人命救助に走ったアレルヤは近視眼的な偽善者としか見えなかっただろう。世界の変革という大目的のためには目先の人命や対立する両者を天秤にかける不義理など大事の前の小事に過ぎないというのに。
こうした留美の考え方はリボンズにも共通するものであろう。そして彼らが人命をあっさりと切り捨てられる本当の理由はそれを大事の前の小事、仕方がないことと達観しているからではない。大局観以前の問題として彼らはともに現行の人間に対して“愛”を持っていないのだ。
彼らを切り捨てることに痛みを感じないからこそ、仕方がないこと、必要悪と自らを納得させる作業を必要としない。こうした酷薄さは、人間を愛そうとして愛しきれず、それでも愛そうと葛藤していたろうイオリア・シュヘンベルグの冷酷さとは似て非なるものだ。

最終決戦の時にビリーはスメラギに「より優れた存在によって統率されるのは論理的に考えても正しい選択」「今はイノベイターに世界を委ねることが真の戦争根絶に繋がる」と語る。
彼のイノベイター(イノベイド)礼賛がスメラギへの愛憎半ばする想い―私情のためにアロウズに参加しその苛烈なやり口に加担している事実を糊塗するための建前であるという点を置いても、イノベイドは言うほど「優れた存在」だろうか。確かに反射神経・身体能力・空間認識力などは一般的な人間より優れているのだろうが、人格的にはいかがなものか。
ほとんどのイノベイドが人間をあからさまに見下す、不必要に嘲弄的な態度を取っている(寡黙なブリング・スタビティや無理やり覚醒させられるまで自身がイノベイドと自覚していなかったアニューを除く)。ビリーが言うように「人類を導くために生まれた彼らは、我々に何の見返りも求めはしない」かもしれないが、目的のためには凄惨な手段も平然と行い、個々の人間の命など何とも思わないイノベイドが人類にとって理想的な支配者とは到底考えられない。
戦闘能力という点においても、ヴェーダのバックアップを失った後とはいえヒリング・ケアはアレルヤ+ハレルヤに、リヴァイヴ・リバイバルはロックオンにそれぞれ敗れている。ロックオンは他マイスターと違い、イノベイターでもイノベイドでも超兵でもなく、脳量子波も使えない“普通の”人間だというのに。
ブリングなどまだヴェーダのバックアップが健在だった時点で同じイノベイドのティエリアが相手だったとはいえ倒されてしまった。同じ遺伝子を持つデヴァイン・ノヴァに「私は怒りに震えている。ブリング・スタビティの不甲斐なさにだ」と言われてしまっているが、実際こうしたイノベイドたちの戦績を見ると“口ほどにもない”という印象を受けてしまうのだ。

(余談だが、ファーストシーズンの段階から初代ロックオンの機体にだけ防御担当のハロが装備されている。これは狙撃型―他マイスター以上に攻撃時に集中力が必要となる分防御が疎かにならざるを得ないのを補うためのシステムかと思っていたが、他のマイスターがイノベイド・超兵・近接戦闘型ガンダムに搭乗=純粋種のイノベイター候補(「イオリア・シュヘンベルグ」の項参照)という現時点ないし将来的には脳量子波を使える面々であることを考慮すると、彼らのような人間離れした空間認識力を持ちえないロックオンをサポートするという意味合いが強いようにも思える。裏を返せばガンダム及びイノベイター専用機は脳量子波を使える者が乗ってこそ真価を発揮できる機体と言えるのかもしれない。
また別の視点から見ると、刹那のダブルオーガンダムが真の能力を発揮するのはオーライザードッキング時、それも微調整を行うパイロットとして沙慈が乗っている時であり、アレルヤもハレルヤの人格が同時に表に出ている時こそが「超兵のあるべき姿」だった。ガンダムは本来一人では手に余る、二人のパイロットないしは二人分の空間認識力を持つイノベイドであってこそ乗りこなせる、とも考えられる。
いずれにせよ脳量子波使いでもないのにスローネツヴァイやアルケーガンダムを乗りこなし、準イノベイドとも言うべきチームトリニティの長兄ヨハンを倒したサーシェスの化け物っぷりが際立つわけだが。リボンズが「人間だよ。ある意味、その枠を超えてるけどね」と評したのも頷ける)

ではイノベイドの中でもビリー言うところの「イノベイターを超越したイノベイター」であるリボンズはどうなのか。人格の部分は後回しにしてまずは戦闘面から。
リボンズは戦闘能力という点においては、ずっと他のイノベイドを戦わせるばかりで刹那との最終決戦まで彼の戦闘場面はなく、自分の手を汚さず常に高みの見物をしているイメージである。唯一のMSでの戦闘シーンはファーストシーズンの第一話で幼い刹那=ソラン・イブラヒムを助けた場面だが、これは実質機体性能に任せた一方的な蹂躙であって戦闘と呼べるようなものではない。
そのリボンズがついに直接刹那と剣を交えるのが最終回の一話前である。途中でヒリングやリヴァイヴの“援護”が入ったり、刹那の側にもプトレマイオスからの砲撃による助太刀が入ったりしたが(ヒリングとリヴァイヴについては結局アレルヤとロックオンが引き受けてくれたので)ほぼリボンズと刹那の一騎打ちである。
ここでリボンズが示した能力はイノベイターとして完全覚醒を果たした刹那と互角に近い。それもヴェーダのバックアップなしでなのだから、「システムの助けがなきゃ、イノベイターもその程度かよ!」「ヴェーダに依存しっぱなしで、オレたちに勝てるわけねえだろ!」と言われたリヴァイヴやヒリングと違いヴェーダに依存せずとも存分に戦えるだけの実力を持っていたということである。
さすがはイノベイドの長、第一世代のガンダムである0ガンダムの性能実験時点で活動している大ベテランというべきか。
ちなみにリボンズの機体はトライアルフィールド下でも動けたのだから、ヴェーダを奪還されたことでヴェーダのバックアップを切られたのではなく最初からバックアップなしでも動ける、プトレマイオスのガンダムのように独立システムを搭載していたのがわかる。プトレマイオス2に入ったヴェーダからの通信が「ヴェーダのバックアップから外れている新型機がダブルオーライザーと交戦している」と告げたのも、“最初から外れている”ことを表現しているように聞こえる。
しかしなぜリボンズは自身の機体だけヴェーダのバックアップから外しておいたのか。ヴェーダを取り戻される可能性に備えてだったら、他のイノベイドの機体もいざという時のために独自システムに切り替えられる仕様にしておけばよかったのに。
まあ独自システムでもヴェーダに依存したシステムでもヴェーダのバックアップが無くなった際の機動性が変わらない(この場合ヒリングたちの動きが精彩を欠くようになったのは全面的に精神的ショックによるものということになる)としたら、問題はトライアルフィールドによるシステムダウンだけなわけで、それならリボンズ一人動けさえすればセラフィムガンダムを破壊してトライアルフィールドを無効化できるのだからそれでよし、と考えたのか。
それはそれで自分だけがイノベイドの中でも特別と考えるリボンズらしいが、ツインドライヴ搭載・ヴェーダのバックアップなしという極力同じ条件で刹那と戦いたかったという可能性もある。同じ条件下で真のイノベイター・刹那を倒してこそ自分の有用性を証明できる、そう考えたのかもしれない。

さて人格の方だが、多くのイノベイドに共通する問題点―自分たちの能力を誇り人間を見下す特性はリボンズにおいてとくに目立っている。さらに彼の場合は人間だけでなく同じイノベイドたちも、彼らを造ったのは自分、自分が彼らの創造主だと完全に下に見ていた。人間を「下等な人類」と呼ぶリボンズに刹那が「そうやって人を見下し続けるから、わかりあえない!」と評する所以だ。
リボンズは「その気はないよ!」と一蹴したが、そもそもティエリアが刹那に話した「イオリア計画の全貌」の内容と劇場版終盤でのイオリア自身の台詞からすれば“わかりあう、わかりあわせる”ことはイオリアの願い、イオリア計画の根幹であるはずなのだ。
少し前まで一部マイスター情報などを除きヴェーダを完全掌握していた(つもりの)リボンズが、それを知らないとは思えない。それは“ニンゲン”についての話で自分たちイノベイドは関係ないと考えたのか?
だとしても「下等な人類」発言はティエリアが脳量子波で伝えてきた「人類を導くのではなく人類と共に未来を作る、それが僕たちイノベイドのあるべき道だ」という言葉に対して成されている。今やヴェーダと完全リンクしているティエリアの語る「イノベイドのあるべき道」はティエリアの個人的感情ではなく、イオリアがイノベイドに求めた姿と見るのが妥当だろう。
ソレスタルビーイングの武力介入による紛争根絶→アロウズによる世界意志の統一→来たるべき対話、というイオリア計画の流れにはこだわりながらも、計画の裏にあるイオリアの“想い”は無視してかかる。刹那が「そのエゴが世界を歪ませる!」というのもわかろうというものだ。
さらにはこれもイオリア計画の根幹である待望のイノベイター・刹那を自分の「有用性を不動のもの」とするために倒そうとするのである。旧クルジス領でサーシェスに刹那を撃たせた時にはトランザムライザーの謎能力はもっぱらツインドライヴとトランザム機能のもたらすもので乗り手である刹那がイノベイターとして覚醒しかけているとは思ってなかったようなのでまだしも(リボンズが刹那のイノベイター化の萌芽に気づくのは、毒の銃弾で撃たれた刹那が一向に死なないのを訝しんだ際である)、最後の戦闘時は刹那をイノベイターと知った上で、イノベイターだからこそ殺そうとしているので言い訳のしようがない。
ここまでイオリアの想いに逆らうならいっそイオリア計画に縛られずに好きにやればいいと思うのだが、「僕はイオリア・シュヘンベルグの計画を忠実に実行している」と一人誇ってみたり、「僕が造られた意義」―自分という存在を生みだしたイオリアの思惑に妙に拘るような発言をする。リボンズのこの一種矛盾する心理は何なのか?

矛盾といえば、オリジナルのGNドライヴへの執着も挙げられる。最終決戦で「君のその力、オリジナルのGNドライヴの恩恵があればこそだ。返してもらうぞ!」と言い、旧クルジス領で初めて刹那と直に顔を合わせた時も「君の役目は終わったからそろそろ返してほしいと思ってね。それは本来僕が乗るべき機体なのだから」とオリジナルのGNドライヴ、というかオリジナルのツインドライヴの機体に執着している。この「返してもらう」という言葉に表れる“本来は自分のもの”という主張は何に基づいているのか。
ガンダムマイスターの選抜に当たっては“マイスターに人間を起用する”案と“全員イノベイドにする”案の二つがあったのは「イオリア・シュヘンベルグ」の項でも書いた通りだが、実は一時は全員イノベイド案で決定しかけたのをリボンズが“マイスターは人間にすべき”だとヴェーダに進言した結果、トライアルシステムの宿るガンダム以外は人間が採用されることとなったのだ。
もし“全員イノベイド”案が通っていたら、同時期に0ガンダムに搭乗していた(正規のパイロットなのかは不明だが)リボンズがマイスターに選ばれた可能性は高かったのではないか。また人間案になった場合もイノベイド枠のナドレ―ガンダムヴァーチェのマイスターになろうと思えばなれたではないか。余計な進言などせず自身がガンダムマイスターの一人に収まっていればオリジナルのGNドライヴを何の苦も無く手にしていたはずなのに、なぜ今さら自ら捨てたに等しいオリジナルのGNドライヴに固執するのか。
彼がそうしなかった、そもそも“マイスターは人間にすべき”と進言したのは、イオリア計画の第一段階でガンダムマイスターを初めとするプトレマイオスチームは全滅する予定だとリボンズが考え、捨て石役を演じることを嫌ったからだ。
それは彼がティエリアと初めて会った際に「ソレスタルビーイングの壊滅は、計画の中に入っていたからね。本来なら、君らは4年前に滅んでいたんだ」と説明したことでも裏付けられる。ティエリア自身やアレルヤもファーストシーズンで敵の圧倒的物量に苦戦を強いられる中、「僕らの滅びは計画のうちに入っているというのか」との疑いを抱きもした。
しかしセカンドシーズンの終盤、リボンズからヴェーダを取り戻したティエリアが語ったイオリア計画の全貌によれば、「我々の武力介入行動は、矛盾をはらみつつも世界の統合を促し、たとえ滅びようとも人類の意志を統一させることにあった」。確かにここに「滅び」という言葉は出てくるが、“滅びることも覚悟のうえで戦う”とリボンズが言うような“滅びることも計画のうち”とは似ているようでも違う。
実際プトレマイオスクルーは死を覚悟のうえで戦い、ファーストシーズンラストでメンバーの半ばは命を落としたが、マイスター4人のうち3人とブリッジクルーの半数は生き残り再び反抗の烽火を挙げた。
本当に彼らの壊滅が計画の一部、計画進行に必要なパーツであるなら、イオリア―彼の仕掛けたシステムトラップを忠実に実行したヴェーダがトランザムの機能をガンダム4機に贈ったりはしなかったはずだ。ティエリアも「本来なら、君らは4年前に滅んでいたんだ」との台詞に「そんなはずはない!僕たちはイオリア・シュヘンベルグに託された。ガンダムを、GNドライヴを、トランザムシステムを!」と反論している。
それに対してリボンズは直接反論せず、“自分の信じた道をがむしゃらに進む”と宣言したティエリアを「あの男に心を許しすぎた」「計画遂行よりも家族の仇討ちを優先した愚かな人間に!」とロックオンを貶めることで激怒させている。
実はリボンズは反論できなかったのではないか。それを誤魔化すためにティエリアの逆鱗であるロックオンをことさら揶揄してティエリアを怒らせ、話の方向を強引に変えたのではないか。
リボンズ自身が、なぜイオリアは捨て石のはずのガンダムマイスターに自分も知らないトランザムシステムをプレゼントしたのか、マイスターもソレスタルビーイングも捨て石だと考えた自身の判断は間違っていたのかと、システムトラップ以来ずっと迷っていたのではないだろうか。

トランザムシステムのおかげでソレスタルビーイングは危ういところで完全崩壊を免れそれでも戦力の大幅ダウンから数年潜伏を余儀なくされた。とはいえ完全に滅びていない以上いずれまた表舞台に出てくるだろうとのリボンズの予想に違わず、ソレスタルビーイングは再び活動を開始、アロウズはかえってそれを勢力拡大に利用している(これはリジェネの「ソレスタルビーイングの復活を予見し、それを逆手にアロウズの権限拡大を図る、か。これは君の考え?それともヴェーダ?」という台詞からもわかる)。
このあたりはリボンズにとっては自分の手の内で物事が動いている充実感があったろうと思うが、ツインドライヴシステムの存在がわかった時再びリボンズの心にさざ波が立つ。
ツインドライヴはソレスタルビーイングの独自開発かそれともイオリアの遺産かというリジェネの独り言めいた言葉を性急にさえぎり、さらにダブルオーの支援機オーライザー及びトランザム機能と合わさって“白い世界”を顕現させ、戦闘においてイノベイドであるリヴァイヴやヒリングをも圧倒したさいには王留美を八つ当たり的に平手打ちにした。
留美はこの件を「男の嫉妬は醜い」と表現したが、言い得て妙である。まさにリボンズはイオリア計画を誰より熟知しているはずの自分に知らされていないことがある事実に激しくプライドを傷つけられていたのであり、その未知の能力を手にしている刹那に嫉妬していたのだ。
かくてリボンズはオリジナルのGNドライヴに今さら執着し、刹那にたびたび「返してもらう」と迫ることになる。
“ガンダムマイスターは計画の捨て石で死ぬべき存在”という誤解から自らマイスターに選ばれる可能性を閉ざしてしまわなければ、自分がトランザムライザーのパイロットになっていたかもしれない。その後悔と自身の過ちを認めたくないプライドがせめぎあって、表面は余裕そうに微笑みながらも絶えず苛立っているのがセカンドシーズン後半のリボンズの姿である。
アニューにソレスタルビーイングから盗み出させたデータを元にツインドライヴとトランザム機能を備えた新型機を完成させてからは一時機嫌が直ったようだが(トランザムについてはすでにビリーがエイフマン教授の遺した理論を実用化しブシドー機に実装しているが、オリジナルに拘るリボンズだからリボーンズガンダム/リボーンズキャノンはイオリア版のトランザムを採用したものと思う)、トランザムバーストの発動と直接の戦闘の中で「純粋種」刹那の力を思い知らされることとなる。

(ところで自分がなるのを拒否したマイスターに刹那を推薦したのも個人的には不思議である。本来機密保持のために目撃者は全て殺さねばならないところを曲げて刹那を助命したのはリボンズ曰く「0ガンダムを、僕を見つめる君の目がとても印象的だったから」。
ファーストシーズン第一話で幼い刹那が0ガンダムに救われる場面は、希望の見えない戦いの中で「この世界に神はいない」という心境に至っていたところに空から天使のごとくに現れたガンダムが、刹那にとって新たな神となる―といった感じに演出されている(小説版ではもっとはっきり刹那を救ったのは「自らを信仰する者に対しての慈悲」であり、リボンズは「キミにとって僕は神か」と感じ、「子供の無垢なる瞳を見た少年は、自分という存在のあり方がわかった気がした」のだとある)。
自分を崇拝の眼差しで見つめる刹那に出会ったことが、元より自身を人類の上位種と位置づけていたリボンズを人類にとっての「救世主なんだよ僕は」と考えるまでに思い上がらせた。であるならなぜリボンズは刹那を手元に置かなかったのだろう。信者がいてこその神なのだから、アレハンドロに対するリボンズのごとく自分の側近くに彼を侍らせて絶えず敬愛の眼差しを注がれた方が気持ちがよかったろうに。可愛い信者をなぜ捨て石だと思っていたマイスターに仕立てたりしたのだろうか。)

「アレハンドロ・コーナー」の項で取り上げた「そんな気なんてないくせに」という台詞に続けてリボンズは「大人は嫌いだね」と一人微笑みつつ呟いている。状況的にこの「大人」とはアレハンドロを指しているのだろうが、後から思えば幼い刹那を助けた時点ですでに活動していたリボンズはもしかすると30代であろうアレハンドロより年上なのではないだろうか。
まあ刹那を助ける直前くらいに造られた=実際はファーストシーズンの時点で6、7歳くらいという可能性もあるのだが、実際の活動期間はどうあれこの台詞はリボンズのメンタリティの幼さを浮かび上がらせる。
リボンズの屈折した行動、イオリアの意志を継ぐことに拘りつつ彼の望みに反する行動―薬物投与によってルイスをイノベイターに改造しようとしたりする一方で真のイノベイターとして覚醒した刹那を消去しようとするなど―を繰り返すのも、出来の悪い兄弟ばかりを可愛がる親に対する反発のように見えてしまう。
僕の方が優れているのになぜお父さんは兄弟の方ばかり大事にして僕はあいつに尽くすのが役割だなんて言うんだろう、僕の方がお父さんの期待に添えるよ、ほら見てよ――。こんな声が聞こえてくるような気がするのだ。
リボンズが「有用性を不動のものにする」という時、その有用さをアピールしたい相手は自分を愛さない父・イオリアなのだ。リボンズが自分たちを「イノベイド」でなく「イノベイター」と称するのも、父が望んでいる理想の子供は自分の方だと主張したい気持ちがあるからだろう。

リボンズと刹那の最終対決は大破したダブルオーライザーから片方ずつGNドライヴを持ち出し、それぞれ0ガンダムとエクシアに搭載しての戦いとなる。どちらも最初に乗っていた機体同士、また刹那にとっては一度は神とも称えた機体との対決(いわば神殺し)という二重に熱い展開なのだが、その内容は両者ともほとんど防御は考えず殴られれば殴り返し、蹴ったり投げ飛ばしたり、戦闘というよりまさに取っ組み合いの兄弟喧嘩である。
アロウズの旗艦が指揮官ごと撃沈され、ソレスタルビーイング側がヴェーダを奪還した時点で実質的な勝負はすでに付いているに等しく、後は二人の意地のぶつかり合いである(最終回の大詰めが喧嘩さながらの一騎打ちからの両者相討ちで終わるのはファーストシーズンと同じであり、かたや刹那→マリナの、かたやマリナ→刹那の手紙の内容が重なるあたりも明らかに意識的に対になるように構成されている)。
リボーンズガンダムVSダブルオーライザー、0ガンダムVSエクシアの二つの戦いを見るかぎり、リボンズは命惜しさでマイスターになるのを拒否したわけではないだろう。ヴェーダのアクセス権をティエリアに奪われた以上、リジェネに撃たれた時のようにヴェーダを介して新しい身体に人格データを移すことによる復活は見込めないのだから。
彼はきっとイオリアから捨て石として扱われることが嫌だったのだ。救世主を自称しつつ実態は父の愛を求める子供だった、そんなリボンズはその傲慢さも含め、何だか憎めないのである。

・・・なのだが、わずかながらリボンズはあえて悪役を演じることで刹那の覚醒を促した、イオリア計画の忠実な実行者であであった可能性もなくはない。
劇場版でELSの襲来についてティエリアは「計画にあった来たるべき対話は人類が外宇宙に進出してからのことだ。しかし数世紀先だと思っていたことが、よもや今起ころうとは」と口にしている。人類が外宇宙に出て行く前に、外宇宙の知的生命体の方から地球圏にやって来る可能性は計画では想定されていなかった。
なのに、ソレスタルビーイングのヴェーダ奪還作戦が開始される少し前にリボンズから帰投命令を受けたリヴァイヴ・リバイバルが「ついに彼は覚悟を決めたか」と呟いたのに対してヒリング・ケアは「いいえ計画通りよ。来たるべきものが迫ってきているから」と答える。
「来たるべきもの」が「来たるべき対話」を指すのかははっきりしないが、外宇宙航行母艦ソレスタルビーイングを衆目にさらしたさいの「この船こそ人類の希望、人類を滅亡から救う、まさに方舟だよ」というリボンズの台詞と合わせると、人類(もちろん選別された一部だけだろうが)を方舟に乗せて外宇宙にまで逃れなくてはならないような人類滅亡の危機、それをもたらす何者かが遠からず地球圏に現れることをリボンズと配下のイノベイドたちは知っていたかのように聞こえてくる。彼らは2年後のELS到来を予測していたのか?
人類の生活圏に関しては完全といっていいヴェーダの監視網も太陽系外には及ばない。しかし木星の側に浮かんだままの「エウロパ」の残骸にELSが接触しこれを修復したとき、当然「エウロパ」のコンピューターにも入っていただろうヴェーダの端末が「エウロパ」の不可解な再生を感知したとしてもおかしくない。
ELSが「エウロパ」に接触したのが地球圏への接近を観測されるどの程度以前だったのかはわからないが、2年より前であればヴェーダを通じてリボンズが「エウロパ」の異変を知り、それを未知の知的生命体の仕業と看破して彼らとの「来たるべき対話」に備えようとした可能性が出てくる。
ELSとの「対話」を成し遂げた刹那がイノベイターとして覚醒したのはアロウズ及びそのワンマンアーミーだったイノベイドたちとの度重なる戦いが契機であり、アロウズやイノベイドたちを動かしていたのは他ならぬリボンズだ。彼は刹那をくり返し追い込むことで純粋種のイノベイターとして覚醒するように仕向けたのではないか。
「来たるべき対話」の時がすぐそこに迫っていたからこそ、一刻も早くイノベイターを生みだすためにイオリア計画を急加速する必要があり、それがアロウズの苛烈にすぎる虐殺的行為の数々に繋がったのではないか。
こんなことを考えてしまうのは劇場版のラスト近くで登場するE・A・レイの存在もある。リボンズの元となった遺伝子の提供者であり、リボンズに似た容姿と声を持つ彼がイオリアの友人、良き理解者として『ガンダム00』という物語の完結手前で登場するのは、リボンズが本当はイオリアの計画を忠実に進めていた“いい奴”であることを示唆しているように思えてくるのだ。
何よりリボンズが“秘密保持のためその場にいた者は全員殺す”という原則を曲げて命を助け、強引にエクシアのパイロットとして捻じ込んだ刹那が人類初のイノベイターとして覚醒するというのが出来すぎではないか。
初対面で刹那に将来イノベイターと成りうる何らかの資質を見出したゆえに彼を救い、イノベイターとして目覚めるための道へと導いたと見た方が自然なのではないか。上で書いた疑問―なぜ可愛い信者であるはずの刹那を手元に置かなかったのかもこれなら説明が付く。

もう一つリボンズの行動で不可解な点を挙げるならティエリアへの対応があげられる。リボンズは王留美を介して無自覚なイノベイドのアニュー・リターナーをソレスタルビーイング内に送り込み、彼女と同じ遺伝子を持つリヴァイヴを通じてアニューの所在地=プトレマイオスの現在地を正確に把握して攻撃を加えさせたりイノベイドとして覚醒させたり、最後には直接アニューを操ってロックオンを殺そうとしたりしているが、アニューを送り込むまでもなくティエリアを使って同じことができたのではないか?
小説版の描写からすると生まれてさほど経っていないらしい、家族についてロックオンに聞かれた時の反応などに不安定さを覗かせるアニューに比べ、4年以上マイスターとして活動しプトレマイオスクルーと交流を持ってきたティエリアは遥かに強い自我を持っていたということかもしれないが、リジェネはティエリアと初対面の時にティエリアの居場所がわかった理由を「同類だからわかるのさ」と答えている。
つまりアニューがいなくてもリジェネを通してティエリアの居場所―出撃時以外は基本的にプトレマイオス―を知ることはできるし、その気になればリボンズが直接ティエリアを操る、少なくともリジェネにやったように彼の内心を読むことも可能だったのではないか
これも上で書いたようにリボンズはティエリアと初めて直接顔を合わせた際にロックオンをあげつらうような発言でティエリアの神経を逆撫でしているが、なぜリボンズはティエリアのロックオンに対する強い愛着を知っていたのか。
ロックオンの怪我や死亡にティエリアが動揺する姿を間近で見ていたプトレマイオスクルーならともかく、外の人間にはプトレマイオス内を盗聴でもしないかぎりティエリアの心中を知ることなどできなかったはずだ。もしリボンズがティエリアの心を“盗聴”できるのだとしたらこの疑問は氷解する。
しかしリボンズはティエリアを無自覚のスパイとして利用したり操ったりしようとはしなかった。これは手心を加えた、最終的にティエリアも含めたプトレマイオス側が勝利するようにリボンズが図ったということではないだろうか。

・・・と推論を述べてみたものの、リボンズは本気で刹那を殺しにいってるようにしか見えないのも事実である。「数世紀先だと思っていたことが、よもや今起ころうとは」というティエリアの台詞も、セカンドシーズン終盤の段階で彼はすでにヴェーダと完全にリンクしヴェーダ内の情報は全て把握しているはずなので、ヴェーダが外宇宙の知的生命体接近を知っていたなら2年前の時点でティエリアも知っていたことになるわけで、それならこんな“意外でした”みたいな台詞は出てこないだろう
しかし外宇宙に知的生命体が存在することを前提として「来たるべき対話」への準備を唱えておきながら、向こうから地球圏にやってくる可能性は考慮していないらしいのは片手落ちではある。
やはり、リボンズは“傲慢な子供”でありELS襲来についてはヴェーダも含めて誰も知らなかった、セカンドシーズン終盤で「来たるべき対話」が近いことを匂わせるような台詞が出てきたのは劇場版の制作とそのテーマが決まったのでちょっと前振り、というのが正解なのかも。<br>


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー33(注・ネタバレしてます)

2025-08-19 22:54:34 | ガンダム00

こうしたイノベイターへの待望は、裏を返せばそれだけイオリアが現行の人類に失望している現れでもある。
劇場版のエピローグで彼は友人のE・A・レイから「我々人類を豊かにする大変な技術」を数多く発明・理論構築しながら「人間嫌いでこんな孤島に一人で暮らしている」矛盾を指摘されているが、人間の愚かさを嫌悪し距離を置きつつも人間を愛したいという想いも捨てられなかった結果辿り着いたのが、“今の人類は愚かだがより優れた新人類へと進化できるはず”という形での(かろうじての)人間肯定だったのではないか。
マリナのように「わかりあいたい」ではなく「(人類に)わかりあわせたい」と語る彼は明らかに“わかりあう”べき人類の外側に自分を置いている。これは「我々人類」と自分を人類の一人として語り人間社会の中で生活しているのであろう(少なくとも「こんな孤島で一人で暮らしてい」たりはしない)E・A・レイとは対照的だ。
自身の計画成就には何百年もの年月が必要―その末に人類がわかりあえる時が来てもその時自分は生きていないという諦念ゆえなのか、もっと単純な上から目線(自分は愚かな一般人とは違う、といった)なのかはわからないが、自分が望む世界の住人に自分が成り得ないことを知っている悲しさを感じさせる台詞ではある。
ビリーが「(イオリアほどの人物が)なぜ戦争根絶なんて夢みたいなことを始めたのでしょうか」と言い、マネキンが「そんなものは愚かな夢想だ。世界から紛争が無くなるわけがない」と断じたように、この世界から戦いを失くす―「知性を間違って使い、思い込みや先入観にとらわれ、真実を見失う」「それらが誤解を呼び、不和を呼び、争いを生む」負の連鎖を断ち切ることは人間にはほぼ不可能だ。ただ人間には無理でも人間から進化したイノベイターであればそれが可能なのではないか。
ソレスタルビーイングが表看板として掲げた「紛争根絶」。これをエイフマン教授は「イオリア・シュヘンベルグの真の目的は紛争根絶などではな」いと考えたが、これは半分は外れているように思う。最終目的は確かに人類をイノベイターに進化させて外宇宙進出に伴う「来たるべき対話」に備えることだったろうが、イノベイターへと進化し意識を共有できるようになった人類が互いに理解しあうことで戦いを無くすこと、それもまた人類が進化を遂げないまま「大いなる世界へ旅だっても新たな火種を生むことになる」のを悲しんでいた彼の、真の目的だったのではないかと思うのだ。
リジェネが訝しんだように「イオリア・シュヘンベルグは、第三段階までの計画を練りながらも、第一段階の紛争根絶に執着していた」のもある意味これが本丸だったからだろう。

この“イノベイターを待望する思いと背中合わせの人間への失望”がイオリア計画にしばしば現れる冷酷さに繋がっているようにも思える。
確定しているところではすでに書いた「エウロパ」乗務員に対する口封じとエイフマン教授を基地ごと爆殺した件、可能性としては200年のうちに行方不明になった科学者の一部に対する抹殺であるが、まだ取り上げていないところではアロウズの台頭がある。
リジェネが初対面のティエリアに語った「イオリア計画の全貌」には第二段階として「アロウズによる人類意志の統一」が含まれていた。アロウズの非人道的なやり方に怒り、反目しているプトレマイオスチームとしては“アロウズの存在も計画の一部”というのは受け入れがたい話であり、この時のティエリアも、ティエリアからイノベイター(イノベイド)の存在と彼らがアロウズの背後にいることを知らされたプトレマイオスクルーたちもアロウズの蛮行を許すべきでない、アロウズは倒すべき敵という見方を変えることはなかった。
ではスイール王国の首都を吹き飛ばしたり、クーデター派に占拠された低軌道ステーションを人質ごと破壊しようとしたりした一連の衛星兵器メメントモリの運用に代表されるアロウズの残虐行為はイオリアの望むところだったのか?それともアロウズの登場自体は計画のうちでも、あれほど過激なことをやるとは思っていなかったのか?
これについてはアロウズの具体的な行動内容まではともかく、そのやり方が容赦ない、多くの犠牲者を出すものになることはイオリアの想定内だったと思う。
セカンドシーズンの終盤、肉体の死によってヴェーダと繋がったティエリアは「ヴェーダと繋がったことで、僕はすべてを知ることができた」と刹那に「イオリア計画の全貌」を語るが、その内容は「我々の武力介入行動は、矛盾をはらみつつも世界の統合を促し、たとえ滅びようとも人類の意志を統一させることにあった。それは人類が争いの火種を抱えたまま外宇宙へ進出することを防ぐためだ。人類は変わらなければ未来を紡ぐことはできない。いずれ巡り合う異種との対話に備えるためにも、そのためにも僕たちは」わかり合う必要がある、というもの。
ここにはかつてティエリアにリジェネが語った「イオリア計画の全貌」のうち第一段階の「ソレスタルビーイングの武力介入を発端とする世界の統合」と第三段階の「人類を外宇宙に進出させ、来たるべき対話に備える」はあるが第二段階の「アロウズによる人類意志の統一」が入っていない。
これは存在しない第二段階をリジェネないしリボンズが捏造したということではないだろう。実際アロウズの名前は出てこないものの「人類の意志を統一させる」のくだりにリジェネの語った第二段階の片鱗がある。
おそらくヴェーダと繋がりイオリア計画の全貌を知ったティエリアは強権的・暴力的手段で人類意志の統一を成そうとする存在―アロウズの登場が確かに計画に含まれていたと知ったのだ。しかしそれはティエリア自身にとってもアロウズの行動を憎み戦ってきた仲間たちにとってもショッキングな事実であったため、はっきり口にすることをためらったのではないか(真のイノベイターとして覚醒した刹那はティエリアのこうした心理込みで「計画の全貌」を正しく悟ったと思う)。
そもそもアロウズの行為がイオリアの意に全く添わないものであったなら、イオリアの意志を引き継いだヴェーダが何らかの方法でストップをかけたと思うのだ。ヴェーダが本当の意味でリボンズの支配下にあるわけでないのは前述の通りである。
感情を持たないヴェーダだけにイオリアの想像以上に苛烈なやり方になった可能性はあるが、その可能性も想定したうえで出していい犠牲の範囲はイオリアが前もって線引きしていたと思うので、アロウズの行為はイオリアにとっても一応の許容範囲に収まっていたのではないか。

ならばなぜアロウズによるカタロンたち“まつろわぬ者”への弾圧はかくも凄惨なものである必要があったのか。詳しくは後述する予定だが、武力によって強者・多数派(地球連邦及びアロウズ)が弱者・少数派(中東国家など連邦非参加国とカタロンら反アロウズ勢力)を捻じ伏せる形での「人類の意志の統一」を一度ほぼ達成させたうえで、そのグロテスクな内幕を暴露することによりこの構図をひっくり返して武力統治への激しい疑念と嫌悪感を人類に抱かせる過程を経なければ、「来たるべき対話」に向けて「わかり合う」ことによる平和的統治という真にイオリアが望んだ路線への変更は成し得ないと考えたからではないか。
このアロウズを倒す過程を牽引するのが計画の第一段階では世界の統合を促すため憎まれ役を演じたソレスタルビーイングである。
第二段階の時点で彼らはヴェーダのバックアップ、ひいてはコントロールを受けていないためイオリアの筋書通りに動いてくれるかは未知数だったはずだが、「紛争根絶」を掲げる組織の最前線に立とうとするメンバーは広義の紛争被害者、個人的事情から戦争を強く憎んでいる人間が集まる可能性が高く、彼らが「ソレスタルビーイングのためではなく、君たちの意志で」戦おうとするならアロウズと真っ向から対立するはずと予測したのだろう。
そして最終的にはソレスタルビーイングを中心とする勢力が勝利を収め、“真相”を知った大衆のアロウズへの拒否反応を背景に世界は緩やかな平和的統合へと向かい、第一段階の悪役だったソレスタルビーイングは劇場版での劇中映画「ソレスタルビーイング」に示されるような一種の英雄扱いに落ち着く(セカンドシーズン最終回でマネキンが「奴らは腐敗したアロウズを叩いた功労者ではある。だが、武力放棄をしない限り現政権を脅かす危険な存在であることは変わりない」と発言しているように、あくまで公然とその功績を称えるわけにはいかない、影のヒーローという位置づけではあるが)。
思えばソレスタルビーイングに所属する人間の中で世間に顔出ししたのはイオリアただ一人である。長らく、というか最後まで一般の人々がソレスタルビーイングと聞いてイメージする顔はイオリア・シュヘンベルグだったはずだ(映画「ソレスタルビーイング」公開以降はマイスター役の俳優たちの顔に置き換わったかもしれないが)。
自分が代表者として顔出しした組織を稀代のテロリスト、悪役で終わらせないのは当然とも言える。ただ必要悪にはせよアロウズが流した血の量を考えると、それを“あり”だと判断したイオリアの人類に対する冷徹さを感じざるを得ない。

さらにもう一つ、中東に対するポジションがある。イオリアが提唱した軌道エレベーターを利用した太陽光発電―全世界規模での太陽光発電への移行は中東の産油国の経済を直撃することになる。
すでに石油が遠からず枯渇するのは確実視されていた以上、脱石油の世界的潮流も産油国の没落も避けようがなかったとはいえ、石油に輸出規制が課されるということは(すぐにも産油量ゼロになるレベルなら輸出規制を課すまでもないので)まだ数年から十数年は輸出可能なくらいの産油量はあったのだろう。
その期間に新たな産業を発展させるなどして石油に依存しない体質を作っていけたかもしれないものを、太陽光発電への全面移行を選んだ三国家群を中心とする世界は切り捨ててしまった。
そもそもこの「軌道エレベーターを利用した太陽光発電」システム自体、イオリアは世界を一つに統合する前段階としてまずは諸国をいくつかの国家群にまとめることを第一の目的として提唱したように思える。
世界が三つの国家群に集約されたのは軌道エレベーターを作るだけの資金力と技術力は一国単位では調達できなかったからだが、逆に一国単位では実現不可能なミッションを世界に課することで多数の国家が国家群に集約されるよう促したというのが正しいのではないか。
外伝小説『ガンダム00P』の中にも当時のマイスターの一人が「(イオリアは)ある程度世界をまとめる土壌を作るために軌道エレベーターを提唱した」可能性に思い至る場面があるので、これはまず確定と見ていいだろう。そしてその際に産油国が国家群からはじき出されることも当然想定していたはずだ。
「アレハンドロ・コーナー」の項でも書いたが、「イオリア計画が進行する上で中東国家の立ち位置は現状以上に困窮し、貧困を背景にした紛争がさらに激化するのは目に見えていた」。イオリアは最初から中東諸国の犠牲ありきで計画を考えたのである。

ただ、本当の意味でイオリアが中東を切り捨てたのかは疑問が残る。一つにはその中東出身者からイオリア待望のイノベイターが誕生しているからである。
おそらくこれは偶然ではない。先に書いたようにソレスタルビーイングの最前線に立つメンバーは紛争被害者が多くを占める可能性が高く、となれば紛争の火種が集中するだろう中東の人間がガンダムマイスターに選ばれる確率も当然高くなるからだ。
またソレスタルビーイングが初めてカタロンと会談を行うためにルブアルハリ砂漠のカタロン中東第三支部に向かう場面で、“連邦が中東国家の経済活動を麻痺させるため、レーダーや通信波を阻害するGN粒子を中東全域に撒いている”ことが説明されているが、純粋種のイノベイターの定義の一つが「GN粒子散布領域内では、脳量子波による意識共有すら可能」であることを思えば、実はイノベイターに進化した者を発見するための措置、あるいはさらに一歩進めてGN粒子を長期にわたり浴びさせ続けることでイノベイターへの進化を促すための措置だったのかもしれない。
加えてもう一つ、マリナ・イスマイールへの処遇がある。セカンドシーズン冒頭、ファーストシーズン当時以上の困窮に陥ったアザディスタンを救うべく相変わらずの諸国行脚を続けていたマリナは、突然ホテルに乗り込んできた男たちによって拘束される。
これはソレスタルビーイングの4年ぶりの活動再開を受けて、アザディスタン内紛時にソレスタルビーイングのメンバーである刹那と接触を持ったことを再びほじくりかえされたものだが、あえて彼女をアレルヤと同じ施設に収監したのは、刹那が仲間を救出ついでにマリナも保護するよう狙った、それによってマリナ及びアザディスタンをソレスタルビーイングと結託していると見なして反連邦のレッテルを貼り、攻撃の口実にするという筋書があったことは、リボンズとリジェネの会話によって示唆されている。
実際にアザディスタンを広範囲にわたって焼き払ったのもリボンズの意を受けたサーシェスである。この攻撃に続いて連邦軍がアザディスタンに乗り込んで暫定政権を樹立させ、それを皮切りに中東再生計画と称する中東国家の解体が進められるのだが、マリナ拘束に始まる一連の流れは本当に中東解体が目的だったのだろうか。
セカンドシーズン最終回、アロウズ解体による暫定政権崩壊を経てアザディスタンは再建を果たす。もちろんそこにはマリナの数か月にわたる尽力があったのだが、再建を宣言する式典が行われたのはファーストシーズンからたびたび登場しているアザディスタンの王宮である。
小説版で「王宮の被害は比較的軽い方だった」旨記述があるが、国家としての機能を失わせるために国土を焼くのなら王宮は真っ先に徹底的に破壊するものではないだろうか。土地勘のあるサーシェスがそのあたりをしくじるとも思えない。
暫定政権の司令部を置くためにあえて残したとも考えられるが、スイール王国などは国王と王宮もろともメメントモリで首都を吹っ飛ばされているのである。つまり最初からアザディスタン再建の日に備えて王宮はなるべく傷つけずに残したのではないか。そして再建の旗印になるべきマリナが万が一にも国土攻撃のさいに命を落とすことがないようにアザディスタンから遠ざけたのではないか。
アザディスタン再建についても疑問点がある。再建宣言の式典でマリナは「連邦議会の支援を受け、再建を果たすことができました」と挨拶している。
これは独立国家としての地位を再び得たというだけでなく、これまでのような困窮状態から回復する目途がついたことを意味するのだろう。いかにアザディスタン王国の名を取り戻したといってもその側から経済的に破綻してしまうような状況で再建宣言などできないだろうから。
アロウズと対照的に宥和政策を掲げる新連邦大統領のもとアザディスタンに対する経済援助が行われ、おそらくはマリナがかねてから切望してきた太陽光発電施設の建造も進められることになったのだろうと推察するが、5年前のアザディスタン内紛を見てもわかるように、アザディスタンの問題は外からの締め付け以上に国内の諸勢力の対立にあるのである。
かつての産油国としての栄光にすがろうとする保守派と、太陽光発電を導入して国の経済を立て直そうとする改革派の対立が続き、マリナが外交努力の末に太陽光発電施設建設のための国連の技術支援を得たのと保守派の重鎮マスード・ラフマディーの誘拐を機に保守派によるクーデターが勃発するに至った。
結局誘拐犯人は改革派ではなくアザディスタンに内乱を誘発しようと企んだ傭兵集団だと明らかになったものの、マスード・ラフマディーが強い影響力を持つ宗教的指導者であることが示すように、両勢力の対立の背景には宗教問題が横たわっている。さらにアザディスタンに併合された隣国クルジス共和国の住民たちはアザディスタン領となって6年以上を経てもアザディスタンへの敵意を隠そうともしない。
もともとこれだけの火種を抱えているうえ、地球連邦が樹立後はさらに状況は悪化し、ラフマディーが亡くなったことで保守派の暴走を抑えられる人間もいなくなった。新体制に替わった地球連邦が支援を行ったところでアザディスタン国内の民族・宗教対立が解決するわけではない。
にもかかわらずセカンドシーズン最終話でもその2年後を描く劇場版でも、アザディスタンは課題を抱えつつも無事に治まっているように見える。式典でもテロ行為どころか彼女の演説に対するブーイングすら起きなかった。マリナを改革派の筆頭として怨嗟をぶつけてきた保守派はどこへ行ったのだろう。
可能性の一つとして、アザヴィスタンが一旦焦土と化した際に君主たるマリナに対する主だった反対勢力はほとんど死んでしまったのではないか。改革派に反感を抱く人間も多少生き残ってはいるだろうが、テロや大規模デモのような組織的行動を起こせるだけの人数も頭を張れる人間もいないのではないか。
別の可能性としてアザディスタンという国家が丸ごと無くなるという緊急事態を経験して、中東の人間は人間とも思ってないような暫定政権に支配されるのに比べれば、宗教解釈の違いもアザディスタンとクルジスの民族の違いも大同小異、同じ中東の人間という仲間意識が生まれたことも考えられる。カタロンに保護されていた中東各地の子供たち6人が平和と未来のシンボルとしてマリナとともに式典に参加したのも、アロウズの強引な中東再生計画を通じて、かえって中東地域の国内外の連携が強まったことの証のように思える。
いずれにしてもマリナを嘆かせた国土の炎上→崩壊は終わりの見えない国内紛争に悩まされてきたアザディスタンを真の国家再建へと導く結果になった。これはマリナをシンボルとして三国家群を中心とした世界から必然的にこぼれ落ちてしまう中東をアザディスタン中心に建て直すためのイオリアの救済策、これが「中東再生計画」の真の意味だったのではないか。

紛争根絶を謳いながらその過程で紛争の種を撒いているかのような行動は矛盾しているようにも思えるが、結局は人間が人間であるうちは紛争根絶などできない、紛争を無くすには人類がイノベイターへと進化するしかない(「人類は変わらなければ未来を紡ぐことはできない」)、そのためには荒療治もやむを得ないというのがイオリアの考えだったのではないか。
そして最初のイノベイターの出現を促すために、イオリアはツインドライヴシステムとトランザムシステムを造りガンダムマイスターに与えた。進化を促進するために自己を変革せざるを得ない状況―ガンダムによる過酷な戦闘という環境を与えた。獅子が我が子を千尋の谷に突き落とすかのように。
そう、ヴェーダのバックアップを与えたり断ち切ったり、それでも部分的には保護を与えトランザムやツインドライヴのようなプレゼントも贈りつつ行動を見守っている―保護と突き放しを行き来するイオリアのガンダムマイスターたちに対する態度は、まさに子供の成長を願う親のものだ。
セカンドシーズン終盤のトランザムバーストを最後にイオリアが仕込んでいた新機能は登場しなくなる。劇場版で刹那のために造られた対話のための新たな機体ダブルオークアンタは、実際に設計したイアンも知らない隠された能力を発揮したりはしなかった。ヴェーダもティエリアを中継役に、もっぱらELSの膨大すぎる情報を受け止めるための巨大記憶装置として粛々と刹那に協力している。
トランザムバーストの発動は搭乗するパイロットが純粋種のイノベイターへと進化した証だ。人類よりも優れた存在へと成長した子供に、天才とはいえ旧人類である自分がもはやしてやれることはない。刹那のイノベイター覚醒をもって、イオリアはソレスタルビーイングからも人類からも子離れしたのである。


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『機動戦士ガンダム00』(1)ー32(注・ネタバレしてます)

2025-08-15 07:34:31 | ガンダム00

セカンドシーズン開始早々に存在を明かされたツインドライヴシステム。実はトランザム機能がオリジナルのGNドライヴに付与された際にセットでイオリアから贈られたものだ。
「エウロパ」で造られたGNドライヴは5つあったにもかかわらずソレスタルビーイングが公に活動を開始してから稼働している機体は4体のみ、第一世代のガンダムであるガンダム0に使われたGNドライヴは本編に登場しないソレスタルビーイング内のサポートチーム「フェレシュテ」で管理されていた。
せっかくの貴重なGNドライヴを一つ実質遊ばせておいた、もう一体ガンダムを造ってそのためのマイスターをスカウトすればいいのにそうしなかった理由がツインドライヴシステムの登場でわかった形(ツインドライヴを搭載した機体を造るためには、すでに稼働していた機体とパイロットをクビにしなくてはならなくなる)だが、それまでプトレマイオスチーム的には大いに不思議だったことだろう。
武力介入を始めた初期は良かったものの、合同軍事演習以降、敵の圧倒的物量を前にプトレマイオスチームは苦戦を強いられるようになった。あと一機ガンダムがいればとの思いは次第に強まっていったのではないか。チームトリニティはいるものの仲間と呼べる関係ではないし。

(実のところ機体なら0ガンダムが修理すれば使えるし、マイスターなら予備マイスターのラッセがいるっちゃいるのである。セカンドシーズンの最終戦では実際に“念のため”で持ってきた0ガンダムをラッセが動かしている。この時の0ガンダムは粒子貯蔵タンクで動かしているが、ファーストシーズンの頃ならオリジナルのGNドライヴを搭載して稼働時間を気にせず運用できたはずだ。
フォーリンエンジェルス作戦の時などラッセが0ガンダムで参戦できたら結果は大分違っていたかもしれない。その場合今度はGNアームズを操縦する人間がいなくなるが・・・。フォーリンエンジェルス時のGNアームズによるラッセの活躍が目覚ましかっただけに、0ガンダムが増える代わりにあれが無くなるのは痛い)

さておき「二つの太陽炉を同調させ、粒子生産量を二乗化する」ツインドライヴを載せた機体“ダブルオーガンダム”が支援機の“オーライザー”をドッキングさせた状態=“ダブルオーライザー”になった状態で“トランザム”を使用する=“トランザムライザー”になることによって、トランザムライザー周辺の領域にいる人間が“白い世界”に包まれて意識を共有できるようになる。
オーライザーのロールアウト直後、最初にダブルオーとのドッキングテスト及びドッキング状態でのトランザム始動実験を行った際、ダブルオーライザーの粒子生産量・放出量は論理的限界値を超え、ダブルオーガンダム及びオーライザーの開発者であるイアンとリンダの夫婦らを唖然とさせた。
「これがイオリアが予見したツインドライヴの、真の力だというのか」とイアン(と刹那)が呆然と呟いている通り、機体の直接の開発者さえ把握していない機能をもイオリアはあらかじめGNドライヴの理論を組み立てた時点で予見していたのだろう。
もちろんイオリアとて万能ではない。5基のGNドライヴのうちツインドライヴとして使用するためのマッチングテストをクリアできたのは旧エクシアと0ガンダムのドライヴの組み合わせのみ、それも安定値に達しないものをトランザムで強制起動するという刹那の無茶(当人的には「ここには0ガンダムとエクシアと、俺がいる!」という根拠不明の自信に裏打ちされた行動だったようだが)が効を奏した結果である。
もしファーシーズンでエクシアのドライヴが失われていたら、ツインドライヴもダブルオーガンダムも実用化は叶わなかったろう(ダブルオーはとりあえずGNドライヴ一基のみ、または粒子貯蔵タンクと組み合わせて使えたかもしれないが、本来ダブルオーに期待していたろうアロウズに対する物量的劣勢をはね返すほどの効果はまず見込めない)。
また上記のダブルオーライザードッキングテストの場面に表れているように、ツインドライヴの「真の力」が発揮されるには「この機体にはツインドライヴの制御機能が搭載されているわ。トランザムの増幅機能もね」とリンダが評するところのオーライザーが必要となる。
オーライザーはダブルオー単体ではツインドライヴの制御が不完全と見たイアンたちが独自に造った機体であろうから、イオリアがもともと“ツインドライヴ搭載の機体は支援機と組み合わせてこそ真価を発揮する”という仕様を想定したわけではあるまい。
おそらくそのあたりの、ガンダム単体でツインドライヴを運用するのか支援機など補助装置を取りつけるのかなどの細部はあえて詰めず、「200年後の科学水準を見越して」未来のエンジニア、実際に武力介入を行う当事者たちに判断を委ねたのだろう。実地の戦闘の中で彼ら自身が最適解を求めてゆけばよいと。
イオリアが仕組んだのは大まかに、ツインドライヴがその性能を最大に引き出せる状態でトランザムを行った時に周辺領域の人間が意識の共有が行えること、そしてツインドライヴを搭載する機体のパイロットが純粋種のイノベイターとして目覚めた暁に、意識共有可能なエリアと共有の程度・深度を遥かに増大させること。

セカンドシーズンの大詰めでダブルオーライザーは隠された究極の機能・トランザムバーストを発動させるが、その発動の契機は金色に輝く刹那の目をスキャニングしたことである。先にグラハムと戦った際にも刹那は目が金色に輝いているしトランザムを起動してもいるのにトランザムバーストは発現しなかった。これはこの時点ではまだ刹那のイノベイターとしての目覚めが完全でないと判断されたからだろう。
つまりGNドライヴないしその周辺装置にはパイロットの脳量子波のレベルを判定する機能もついていて、真のイノベイターに対してだけトランザムバーストを解放する仕組みになっている。オリジナルのGNドライヴを二基積んだ機体=ツインドライヴを搭載したガンダムは最初から真のイノベイターを乗せるために、というよりパイロットを純粋種のイノベイターとして覚醒させることを目的として造られているのだ。
加えてツインドライヴを搭載する機体はエクシアの後継機、つまり近接戦闘型の機体でなければならなかった。イアンたちがツインドライヴ搭載の機体としてダブルオーガンダムを建造していた時、刹那はまだ行方不明で生死も定かでない状態だった。プトレマイオス2のクルーたちは皆刹那は生きているとなぜか確信していたようだが、いつ帰ってくるとも知れない刹那のためにツインドライヴの機体を造るより、マイスターで唯一健在なティエリアの機体―セラヴィーガンダムをツインドライヴ用に造った方が良かったのではないか。
どのみちマッチングテストでつまずくことにはなったろうが、最初からティエリアを差し置いて、近接戦闘型=明らかなエクシア後継機つまりは刹那用のガンダムを一つしか造れないツインドライヴ仕様に選んだのはなぜなのか。
主人公特権というメタな理由を脇に置くなら、おそらくツインドライヴは最初から近接戦闘型の機体に馴染むような設定付けがされていたのだと思う。ダブルオーだけでなく疑似GNドライヴによるツインドライヴを実現した機体―リボーンズガンダムもまた近接戦闘型だった。これはイオリアが近接戦闘型のガンダムマイスターこそがイノベイターになりうる可能性を最も多く秘めていると判断したということではないか。

私はガンダムシリーズはじめロボットものアニメにあまり詳しくはないが、主人公の乗る機体は基本的に遠隔攻撃型ではなく直接剣状の武器で相手と斬り結ぶタイプが多いイメージがある。これは長くチャンバラものを愛してきた日本人の習性を踏まえたものであり、かつ敵と直に刀を交える中での言葉と命のやりとりにドラマが生まれるという考え方が根底にあるものかと思う。
ファーストシーズン、セカンドシーズンとも最後の戦いが刹那VSグラハム、刹那VSリボンズの1対1の斬って斬られての応酬&言葉争いだったのがまさにその表れだろう。敵の気配を最も間近に感じながら戦う近接戦は、ある意味通信回路を開かずとも相手と会話しているようなものだ。
いわゆる“拳で語り合う”というやつで、初めて刹那と戦ったグラハムは「モビルスーツの動きに感情が乗っていた」ことから相手パイロットがごく若い人間だと察しをつけている。こうした勘を研ぎ澄まされた人間は、それだけ言語によるコミュニケーションは困難であろう未知の生命体と「来たるべき対話」を行う新人類の要件に近いのではないか。
またファーストシーズンの終盤、刹那がアレハンドロと戦ったさいに亡きロックオンの「なぜエクシアに実体剣が装備されているかわかるか?それはGNフィールドに対抗するためだ。計画の中には対ガンダム戦も入っているのさ。もしもの時はおまえが切り札になる」という言葉を思い出す場面がある。
三国家群が疑似GNドライヴ搭載の疑似ガンダムを手に入れるよう仕向けるのも計画のうちなどとロックオンが知っていたとは思えないので、これはトライアルシステム同様マイスター中から裏切り者が出るまさかの事態への備えという意味で言ったのだろうが、実のところソレスタルビーイングが敵のガンダム部隊と戦うのは既定路線だったわけであり、ならば「切り札」としての役割を担わされる近接戦闘型のガンダムマイスターがイオリアから特別な期待をかけられているのは疑いないだろう。
トライアルシステムを持つナドレも対ガンダム戦闘の切り札ではあるはずなのだが、ガンダム4機へのヴェーダのバックアップを予定通り切った後にはトライアルシステムは使えないし(そもそもスローネやイノベイドたちの機体以外のガンダム系MS―GN-Xやその発展形であるアヘッドにトライアルシステムが効くのかもわからない。セカンドシーズン終盤でティエリアがトライアルシステムを発動させた際はイノベイド及びイノベイドから機体を提供されたサーシェス以外は影響を受けてないようだったが、たまたまトライアルシステムの効力圏内にいなかっただけかもしれない。小説版だと「疑似であるものをふくめ、GNドライヴを搭載しているモビルスーツは、すべてヴェーダからのバックアップを受けており(中略)ヴェーダさえ手に入れてしまえば、アロウズやイノベイターの使っているGNドライヴ搭載型を、すべて機能停止に追い込むことも可能となる」とある。この記述に従うなら、イオリアが「エウロパ」に残したハロを入手させて三国家群が疑似GNドライヴ搭載機を造らせようとした理由がさらに明確になる。ヴェーダの匙加減で三国家群れのMSを丸々機能低減、トライアルシステムも使用すれば機能停止にすら追い込めるのだから)。そもそもナドレのマイスターはイノベイドにすると決まっていたそうなのでその時点で純粋種のイノベイター候補としての期待はかけられていないのがわかる。

イオリアがもともと「意識を伝達する新たな原初粒子」を「製造する半永久機関」、つまりはコミュニケーションツールとして理論を構築したはずのGNドライヴを戦闘ロボットのエンジンとして利用することにした理由もおそらくここにある。
最終目的の「(純粋種イノベイターによる)来たるべき対話」に至る前の第一段階として「武力介入を発端とする世界の統合」は必須であり、意識伝達物質が同時にモビルスーツのエンジンとして極めて優秀な性質を持つなら武器転用というか兼用が成されるのは自然なことではあるが多分それだけではない。
上述のダブルオーライザードッキングテストでトランザム始動時に、近くにいた脳量子波を操る者たち―マリー、ティエリア、アレルヤの中のハレルヤが反応したのに対し、大量粒子放出現象の渦中にいた刹那は特に影響を受けていない。しかしそれからしばらくしてアロウズの奇襲を受けた際、劣勢の中で沙慈の操縦で駆け付けたオーライザーと合体したダブルオーがトランザムを使ったとき、初めて“白い世界”が出現し、刹那も沙慈も、敵味方含め近くにいた機体のパイロットたちの心の声が直接脳に響くという現象が起こる。少し前にはトランザムライザーになってもすでに脳量子波を操れる者しか影響を受けず白い世界も出現しなかったのにこの差は何なのか。
沙慈―オーライザーのパイロットの有無という違いもあるが、それよりも今回は実戦だったというのが大きいのではないか。ラボの中のテストではなく自分と仲間たちの命が懸かっている状況。戦闘状態、生命の危機というストレスを受けることで生き伸びるための能力の成長が促される。その成長をトランザムライザーの放出する大量のGN粒子が後押しし、刹那は急速にイノベイターとしての覚醒へ向けて歩みだした、それが“白い世界”の発現だったのではないか。
また刹那はリボンズと初めて顔を合わせた際に、サーシェスによって銃創を負わされている。この時の銃弾には疑似GNドライヴが造り出す毒性のあるGN粒子が詰められていたが、本来ならほどなく細胞障害を起こして死ぬところがなぜか「細胞障害の進行がきわめて緩やか」だった。
銃弾を撃ち込んでから四か月が経過しても一向に死なず出撃すらしている刹那に疑念を感じたリボンズは刹那が純粋種のイノベイターとして覚醒しつつあることに気づいたが、これも細胞障害という死に直結する身体的ストレスを受けたことが刹那のイノベイター化を促進させたのかもしれない。実際このリボンズとの邂逅あたりから刹那の“変革”はスピードを増しているように感じられる。
ちなみにダブルオーライザーのパイロットが刹那であるかどうかに関係なく、仮に全くイノベイターとしての素質のない人間が乗っていたとしてもトランザムさえ起動すれば白い世界は発現した、という可能性はあるだろうか。
これは劇場版で連邦初のイノベイターであるデカルト・シャーマン大尉の初登場時にイノベイターの定義として「GN粒子散布領域内では脳量子波による意識共有すら可能」と説明されていることからすればおそらくないだろう。イノベイターなら可能ということは普通の人間には不可能ということ。普通人にはトランザムライザーまたはトランザムバーストによるGN粒子散布領域内であっても脳量子波が使えないゆえに意識共有はできない、となる。
ダブルオーライザーのトランザム時に人造イノベイターとも言うべきルイスはともかく沙慈やその他のアロウズのパイロットたち、トランザムバースト下でスメラギやビリーまで意識を共有していたのは、純粋種のイノベイターになりかけの刹那が中継点となったからだったのだろう。
まとめると、鍔迫り合いを通じて敵と無言の対話をある程度可能としている近接戦闘型ガンダムのパイロットにさらにツインドライヴとトランザム機能を与えて他者との意識共有を体験させ、かつ戦闘による心身への負荷をかけ続けることでイノベイターへの進化を促すというのがイオリアの描いた設計図だったのではないか(ただ外伝小説『ガンダム00P』によるとナドレのマイスターに限らずマイスターを全員イノベイドにする案もかなり有力視されていたそうなので、もしこちらが採用になっていたら人類のイノベイター化促進は別の形で行われることになっただろうが)。
この「進化」というのがミソで、イオリアがイノベイターを生み出すのにリボンズがルイスに行ったような特殊ナノマシン投与といった手段を取らず、進化を促すような環境を用意するという迂遠とも見える方法を選んだのは、彼が望んだのが人類全体としての進化、全員とは行かなくとも大多数の人間がイノベイターへと変化する未来だったからではないだろうか。
SF小説の名作『幼年期の終わり』(『ガンダム00』が影響を受けているのはセカンドシーン最終回を見ても明らか)でも最初の一人が“進化”を遂げた後、あっという間にそれが地球全体に波及したが、イオリアにも一人がイノベイターとして覚醒することが人類という種族全体を変革させるという確信めいたものがあったのではないだろうか。


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