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俳優・勝地涼くんのこと。

『吉祥天女』(2)-1(注・ネタバレしてます)

2008-09-30 02:23:52 | 吉祥天女
・夕焼けの空を流れ行く雲→神社の境内?→流れる雲間に浮かぶ満月→夕陽を映してきらめく、静かに波の動く海、と状景が切り替わってゆく。静謐でどこか禍々しくそして悲しさを感じさせる美しい映像は、ヒロイン小夜子を象徴するかのよう。
さらに天女の伝説がテロップで入り、BGMは能の謡?なのが純和風なエキゾチズムをこの場面に与えている。
舞台を金沢に設定し、由似子が能楽クラブに所属しているという設定で能をストーリーにからめたのも、こうしたエキゾチズムをねらったものでしょう。

・夜の神社。BGMが緊迫感をあおる。大風に揺れる提灯の光がおどろおどろしい(雷まで鳴るのはちょっと安っぽい感もあるけど)。
ここで小夜子が初登場することで、原作を知らない観客にも、彼女がただならぬ存在である(何か不吉なものを背負っている)ことを強く印象づける。

・時代設定はなぜか昭和四十五年=1970年。確かに旧家の財産をめぐってのごたごたは現代劇としては古めかしい感はあるが。
原作ははっきりいつの話と明言されていませんが連載開始は83年。遠野涼が沖田浩之さんにちょっと似てるなんて話が出てくるので話の舞台もそのあたりと見ていいでしょう。
だからか由似子の性格も原作より映画の方が古風になっています。

・由似子登場。古色蒼然たる住宅街を一人歩き、神社へ向かう階段を意味ありげに見つめる。その時一陣の突風が彼女の髪を揺らす。
由似子の生活に突風のように現れ強烈な印象を残して去ってゆく小夜子との出会いを予告するシーン。

・転入生小夜子が席に向かう途中、廊下近くの席に視線を飛ばす。その視線に気づいたかのように机につっぷしていた男子生徒が顔を上げる。
遠野涼とのファーストコンタクトは原作を少しアレンジして短くも印象的なものになっています。

・席についた小夜子の横顔が窓から差し込む陽射しの逆光に映える。こうした画面の作り方がこの映画は非常に美しい。
隣席の由似子に挨拶するときの微笑みには高校生離れした妖艶さがある。そして「よろしく」と返す由似子の目には明らかな憧れの輝きが。
初対面のさいの表情で二人のこの先の関係のあり方(由似子は小夜子に女として憧れ、小夜子は純粋で幼い由似子を何かと守ろうとする)を一発で示しているのはさすがの演技力と演出力。

・放課後、小夜子の席のまわりに集まる女生徒たち。非常な美人はかえって同性からスター扱いされたりする、その好例というべきか。
一方男子は男子で固まってて小夜子に近付かない。女子が囲んでしまってるので近付きたくても近付けないのかその存在感に圧倒されてるのか。

・涼が小夜子を遠目に見つつ教室を出てゆく。そして彼の去った後を妖しい微笑で見つめる小夜子。
二人が互いにただならぬ関心を相手に持っていること、それが一目惚れといった甘い想いではない、もっと緊迫感をはらんだものであることが二人の表情からうかがえます。

・校庭で一人先を歩く小夜子を小走りに追いかけ、両脇にまわって話しかける由似子と真理。
彼女らのはしゃいだ様子と小夜子の落ち着いた態度が対照的で、女王様とその取り巻きのように見えてしまう。小夜子は別段偉そうな態度を取っているわけではないのに。
生まれ持った貴族的気品と威厳が彼女を普通の少女たちから浮き上がらせる。ファム・ファタール小夜子の存在感がこのシーンでよくわかります。

・小夜子を乗せた車が走ってゆくのを見下ろしながら涼と暁が叶家と遠野家の縁組について語り合う。両家の関係について最初の説明がなされる場面ですが、原作以上に入り組んでいるだけになかなか飲み込みにくい。
このシーン、二人の背中ごしに町を見下ろす一風変わったアングルが用いられていて、しばらくの間は二人がどこで話をしてるのかわからず、彼らの身体が空中に浮いているかのような不安定感がある(カメラの移動につれて学校の屋上らしいとわかる)。
「このへんの土地はみんな叶家のもの」という話をしてるので、その叶家の土地を俯瞰するアングルは自然とも言えるんですが、彼らの立場の危うさ、この先起こるだろう事件への不安を観客にそれとなく植え付ける役割も果たしているように思えます。

・小夜子が親戚の家に預けられていたと聞いて、涼は少し間を置いてから「そうか」と言い、また間を置いて「長男は辛いよな暁」と話しかける。
この「そうか」というときの少し寂しげな表情と前後の間から、自分も親戚の家で育った涼が小夜子にふと共感と同情を感じたのが読み取れる。

・暁は去り際に涼の首を後ろから抱きこむようにして、「お前も遠野家の一員だってことを忘れるなよ。もちろん水絵ちゃんもな」と言ってポンポンと頭を叩く。その叩き方の力加減も腕の回し方もやや乱暴で、二人が対等の関係ではなく暁が涼を押さえこもうとしているのがうかがえる。
また「水絵ちゃん」の名前をわざわざ言い足したところから、まだ何者か不明な彼女が涼が暁の下に甘んじてる原因であろうと察せられるようにしてある。このあたりは上手いです。

・車の中で雪政が涼の家庭環境を詳しく小夜子に告げる。
映画の尺の関係があるとはいえ、ナレーション的な語りで設定がどんどん説明されるんでなかなか頭に入りにくい。水絵の名前が観客の記憶に新しいうちに彼女と涼、暁の関係を観客に伝えておこうということでしょうか。
同時に雪政が涼にこれだけ詳しい(調べた)ことで、涼を叶家がマークしている=叶家が遠野家に一種緊張感と敵意を持っていることもわかるようになっている。そのわりに暁が小夜子と同じクラスかととっさに思ったようですが(暁の方が一歳上なので留年してないかぎりクラスメートにはなりえない)。

・暁より怖いのは涼の方と言い切る小夜子。「とても敏感だし」との言葉に、気さくなお嬢さんの仮面の下に隠している本性を涼に見透かされていると小夜子が感じていたのがわかる。
その美貌のため幼少期から男たちの欲望にさらされ続けてきた小夜子にとって、レイプ犯の濡れ衣を着せられた少年の存在はどんな風に映っていたのだろう。
涼が小夜子に共感を覚えたと同様に、親戚の家で肩身狭く暮らしている、遠野家の人間に人生を翻弄されている涼の姿を自分と重ねているように思えるのですが。

(つづく)


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『吉祥天女』(1)-2(注・ややネタバレしてます)

2008-09-26 02:52:29 | 吉祥天女
勝地くん以外のキャストについて。

まずはヒロイン小夜子を演じた鈴木杏ちゃん。おそらく小夜子役が杏ちゃんと発表されたとき、原作を知るほとんど全ての人が「えっ!?」と思ったのでは。
当時杏ちゃんもインタビューで話してましたが、これまで杏ちゃんは明るく元気な役のイメージが強かったのに対して、叶小夜子は高校生離れした妖しいまでの美貌と手管で男を操り破滅に追い込むという役どころ。
(当時世界的に活躍していたモデルの故・山口小夜子さんのイメージで描いたキャラクターという噂を見かけましたが、確かに小夜子の外見は切れ長の目が特徴的なクールビューティ小夜子さんを思わせます)

それをいかに少女の頃から演技力を高く評価されている杏ちゃんとはいえ、ビジュアル的に幼すぎ&可愛すぎなのを演技力で妖艶な美女然と見せられるものなのか。正直不安を覚えたものでした。
それだけに映画本編を見て杏ちゃんが随所で漂わせる妖しい色香には驚かされました。
映画の小夜子は原作の小夜子より(脚本レベルで)メンタル的にやや幼いので外見の幼さはあまり気にならず、むしろ冷静さ・妖しい美しさの中に時折少女の顔をちらつかせる映画の小夜子のキャラクターに外見・演技の両面で杏ちゃんはよくはまっていました。


第二のヒロイン由似子を演じた本仮屋ユイカちゃん。原作の由似子のどん臭さ、頼りなさは大分薄められ、能楽クラブの部長という設定のせいもあり、古風で凛とした雰囲気が強まっています。
ユイカちゃんは突出した美少女というわけではないんですが、その凛とした清楚な顔立ちと雰囲気のせいで時々はっとするほど美しい表情を見せてくれます。
目鼻立ちのはっきりした小夜子=杏ちゃんと並ぶ場面でも、派手さはないものの透明な輝きを放っていて、(普通の少女代表のような由似子でありながら)小夜子に見劣りしない。
彼女の少女らしい清涼感が、美しい映像表現とともに基本線はドロドロした物語の(いい意味で)毒消しになっていたと思います。


原作の暁は不細工ではないながらも涼に比べると男っぷりでは幾分落ちる(暁が涼にライバル意識を持ってるのはそのせいもあると思う)印象ですが、映画版の暁はモデル体型の美男子。
実際暁を演じた深水元基さんはモデルさんでもあるそうで。暁には格好良すぎかな?とも思いましたが、映画の暁は設定自体原作ほど卑小さがなく数割増し格好良くなっていたので(一種華々しいラストシーンなどピカレスク・ヒーローとでも言いたい感じ)、むしろ適役でした。
勝地くんがインタビューで「(暁と涼の関係には)ホモセクシュアルの空気が漂うほど」と話してましたが、確かに二人の密着度は原作よりずっと高く、時にエロティックでさえある。深水さんの男前なビジュアルと雰囲気が、映画独特の暁の立ち位置と涼との関係性を造るのに大きく貢献したんじゃないでしょうか。
ちなみにこちらによると深水さんは撮影当時26歳だったんですね。でも学生服がお似合いでした(笑)。


最後に特筆したいのは小夜子の祖母・あき役の江波杏子さんと小川雪政役の津田寛治さん。お二人とも決して登場時間は多くないし、劇的な場面があるでもないのに強く印象に残っています。
ごく自然な演技とたたずまいにもかかわらず、いやむしろそれゆえに本当にあき、雪政という人物がそこにいるかのような実体感があった。彼らの背景や人柄を示すようなエピソードはほとんどなかったというのに。
名優というのはこういう人たちのことなんだなあ、としみじみ思ってしまいました。


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『吉祥天女』(1)-1(注・ややネタバレしてます)

2008-09-22 04:20:12 | 吉祥天女

2007年6月公開の映画。原作は吉田秋生さんの同名のコミック。

2006年5月頃、長いオフの間勝地くんの新作情報がぱったり途絶えてしまったあとに初めて発表になったお仕事がこれでした。
最初は何の作品か明かされないまま、事務所の公式メッセージにロケ地や共演者の名前がポツポツ出てくるのを楽しみにどんな作品なのか想像をめぐらせていたものです。
(この頃かなり明るい茶髪にしてたのでてっきりこの映画のためかと思ったんですが、作中では黒髪でした。普段仕事してるとなかなか自由に髪をいじれないからオフの間にやってみたってことですかね) 

やがて撮影に関係した方?のブログから作品が『吉祥天女』で主演が鈴木杏ちゃんだと知りました。
だいぶ昔に原作を読んでいたので、勝地くんの役名は書いてなかったものの、年齢的ポジション的に遠野涼しかありえないなーと俄然期待が膨らみました。

一見チャラチャラした女たらしの不良を演じつつ、実は人一倍感受性が鋭く妹思いで家庭の軋轢に苦しんでいて・・・という涼は高校生ながら多分にセクシーな魅力を持ち合わせた男であり、それを勝地くんが演じると思うとワクワクしました。
当時の吉田さんの描くヒーローは切れ長の吊り目に不敵な笑顔といったキャラクターが多く、遠野涼もまさにそのタイプ。勝地くんも切れ長の吊り目なのでビジュアルイメージもぴったりだし。
原作通りならベッドシーンぽいものもあるのでちょっと覚悟のいる部分もありますが(笑)、そういう役ってこれまでになかっただけに楽しみな気持ちの方がずっと強かったです。

・・・なのですが、ベッドシーンどころか女たらし設定自体存在してなかったですね(苦笑)。
過去のスキャンダルについても雪政が台詞で(冤罪だったこともあわせて)さっと説明しただけで終わってしまうので涼の精神的な傷があまり見えてこない。
飄々としたコミカルさとシリアスな悲劇のヒーロー性を兼ね備えているのが原作の涼の魅力だったと思うのですが、コミカルな要素は全部(涼がらみの描写だけでなく映画全編にわたって)カットされているのでその魅力が半減してしまっている。
そもそも小夜子と由似子の女の友情をより前面に出したためか、ほとんど活躍していないような。

こう書くと不満しかないみたいですが、涼のヒーロー性が大幅に剥ぎ取られているのは映画なりの必然性あってのことと思うので(具体的には(3)で)、それはそれで納得できる。
そして家庭に不幸を抱えた悪ぶってても繊細な少年という、勝地くんの得意とする役どころだけに、ピンポイントの表情・演技にはしばしば見惚れてしまいました。
原作に比べ大幅に活躍場面を狭められていても、その中で可能なかぎりの魅力を彼は見せてくれたように思います(贔屓目?)。

(つづく)


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『月光音楽団♪』(2)

2008-09-18 03:39:45 | 他作品
〈後編〉

・最近はどんな人と仲良くしてるのか?との質問に杏ちゃんは高校で同級生だったという長澤まさみちゃんの名前をあげる。
若手トップクラスの女優同士の豪華な組み合わせです。さすが堀越。
杏ちゃんが再現してみせる日頃の二人のハイテンションなやりとりが面白い。「まさみちゃんの部屋はピンク色?」「何LDK?」などのベッキーちゃんの掘り下げ方が、杏ちゃんも言うように男目線なのも笑えました。

・勝地くんは仲良しの友達として小栗旬くんの名前をあげる。そこから草野球チーム「中目黒上腕二頭筋」の話に。
ユニフォームつくったりワッペンつくったり洋服つくったり、「そういうことばっかやって野球やってないんだけど」というオチがナイスです。

・二人のプライベート映像を映したビデオの上映会。杏ちゃんはキャンペーンで訪れた名古屋での休日の様子を撮影。
ずっと食べたかった名古屋名物ひつまぶしを食べにいく流れに、勝地くんと北乃きいちゃんが映画『幸福な食卓』のキャンペーンで名古屋に行ったさいにひつまぶしを食べていた(写真撮影のときの掛け声?も「チーズ」のかわりに「ひつまぶし~」だった)のを思い出しました。
フォスターさん内部でひつまぶしブームだったんですかね。

・お気に入りのガルシア・マルケスのTシャツでポーズをつける杏ちゃん。杏ちゃんはTシャツ大好きでかなりの量(50枚くらい)をコレクションしている模様。
お腹を掻いてる大胆ショットが登場しますが、杏ちゃんいわく「どうしていいかわかんなくなるとお腹に手を入れる癖がある」そう。ちょっとセクシー?

・自身のブログ「杏のよりみちカフェ」を更新。杏ちゃんは旅先にもノートパソコンを携帯してきてるんですね。そしてパソコン使えるんですね(感心)。
いや別に普通のことなんですけど、勝地くんの「機械バカ」ぶりを知ってるだけに、自分でパソコンからブログ更新できる杏ちゃんがついすごく思えてしまいます(笑)。

・入浴のためバスルームに消える杏ちゃん。ドアを閉めたところで流れる音楽が・・・(笑)。これは番組側で付けたわけですね。勝地くんの時の『ロッキー』(たしか)といい選曲が素晴らしい。

・買いすぎたTシャツをフリーマーケットで売ろうか計画中だという杏ちゃん。
しかしベッキーちゃんの言うように杏ちゃんがフリマで自ら売り子してたら、杏ちゃん目当てでお客さんが溢れかえって大変なことになりそう。それに純粋に服目当てでなく「杏ちゃんの」服であることにエロい関心を持つ人も多々いそうです。
「鈴木杏が着た洋服を、買って、着るわけですよね」という勝地くんの発言もそうした客の存在を予見(心配)して言ってるわけですが、「何想像してんだよ」「変態チック」とベッキーちゃんにツッコまれちゃいました(笑)。

・つづいて勝地くんのプライベート映像。ビデオに貼られた「勝地涼 癒しの空間」というラベルの味のある文字(明らかに勝地くん直筆)にこちらが癒されます。
週三日(すごい頻度だ)で通ってるトレーニングジムに入る場面で、ちらちらカメラ目線なのが面白い。誰が映してるんでしょうね?

・豪快なアミノ酸一気飲みにはじまり、サウナスーツを頭からすっぽり着てウォーキング→ジョギング。
「カッコいい顔して」とのカメラマン?のリクエストに「こんな格好でカッコいい顔出来ないんですけど」と真面目に反論。ごもっともです・・・が、この場面でも、マシンを降りたあとに大量の汗を拭ってる場面でも十分カッコいいですよ。

・つづいてダンベル上げ。肩まで捲り上げたシャツの袖から見える二の腕の逞しさに驚く。
ちょっと待ってくれえー!?華奢だ華奢だと思ってたのがいつの間にこんなことに。これだけ着痩せする人も珍しいんじゃないか。スタジオでも「ええー!?」と声上がってましたね。野球チーム名(「上腕二頭筋」)は伊達じゃなかったなあ(笑)。
当時あまりの衝撃にここの場面を何度も見返したものです。惚れ惚れ♪

・勝地くんのトレーニングメニューがテロップで延々流れる。どこまで続くんだ!?というくらい。
何かもう癒しとかリラックスとかいう域を超えてるような。

・トレーニング終了後、右の二の腕を見せつつ今後の筋肉計画を語る勝地くん。トレーニングを終えた直後で筋肉が張ってるとはいえ二の腕の太さがポパイのごとくです。
「もっとこのへんを増やして、余計な肉も殺ぎ落として」と言ってましたが、先日放映終了した連続ドラマ『四つの嘘』でボクサー役を演じた時がまさにそんな感じでした。まだまだ少年だと思ってたのにねえ。ビバ筋肉!

・筋肉増強のための食事のあり方について滔々と語り出す勝地くん。あなたいったい・・・(笑)。「勝地涼はどこへ向かう・・・」というテロップに吹いてしまいました。いや本当そんな感じ。
これまで勝地くんはオタク的(長期的スパンで一つ事にとことんハマリこむ)要素はあまりない人だと思ってたんですが、今回で「筋肉マニア」なのが発覚しましたね。実に「男の子」という感じで、最もキモさからは遠いタイプのマニアックさが微笑ましいです。
あずあずさん(山本梓さん)には食事メニューの凝り方が「キモい」と言われちゃってましたが。

・自分で作ってきたという筋肉メニュー「ささみの梅肉和え」「肉抜きゴーヤチャンプルー」をご披露。入ってる具の栄養機能まで解説してくれます。わはは。
個人的にこのシーンにはすごく感慨深いものがありました。以前『POTATO』2006年7月号のインタビューで、一人暮らしがしたいけど「料理は絶対に無理!コンビニに通う覚悟はできています」なんて言っていた勝地くんなのに。筋肉のためなら頑張れるんですね(感涙)。
でもその後しばらくして発売した雑誌(たしか『Top Stage』か『Look at Star』のどちらか)でも今日の朝食べたメニューとして「ささみの梅肉和え」をあげていたので、これしか出来ないんじゃないかという気もする(笑)。
←p.s.念願かなって今年から一人暮らしをはじめた勝地くん、最近はまってるものは「料理」とあちこちのインタビューで答えてます。
現場にもお弁当作って持っていったり、ささみ料理以外にもレパートリーは広がってる様子です。大人になったなあ・・・。
現在連続ドラマ『キャットストリート』で共演してる木村了くんによると相変わらずささみは毎日食べてるみたいですけど(木村くんは勝地くんからささみの梅肉和えの作り方を教わったんだとか)。

・スタジオの映像に戻る。「どうなりたいの?」「何が目的なのあなたは」とベッキーちゃんが突っ込んでますが、これは多くの視聴者の思いを代弁したものでしょう。
それに対する勝地くんの回答「イチロー選手みたいになりたい」というのが、小学生みたいで可愛いったらありゃしない。「なれないし。今俳優やってんだから」というベッキーちゃんのツッコミもナイスです。
全くの余談ですが、2005年夏頃にどこかの雑誌のインタビューで、「生まれ変わったら何になりたいか」という質問に「また男の子」と答えていたのに吹いたことがあります。
多分これインタビュアーさんは「また俳優をやってると思います」とか「今度こそ野球選手に」とか職業関係の答えを期待してたと思うんですよ。さもなくば「犬になりたい」みたいな動物系か。
なのにこの答え。しかも男の「子」というのが(笑)。当時勝地くんは18歳だったので、確かにまだ「男の子」の年齢ではあるんですが。彼の天然発言にはつくづく心が和みます。

・女性陣が勝地くんの二の腕をかわるがわる触る。「すごいですね勝地さん」とのベッキー評に「嬉しいっすねー」と満面の笑顔な勝地くん。「ご満悦」という単純明快なテロップが笑えます。
前後編ともこのテロップが実にいい味を出している。今回「筋肉」を何かと強調してるあたりも。

・あれだけでお腹すかないのかとの質問に「すいたら寝ます」との答えが立派です。うん、見習わないと。

・「やっぱマッチョだからさ、鏡の前でポーズとかとっちゃうわけ?」というベッキーちゃんの質問に「まさか」と答えるかと思いきや、「基本」とあっさり肯定したのにウケた。
そしてポーズの実演。彼の動作や発言にみな爆笑。なんか表情が得意気だし。
こういうおバカなナルシシズムは男の子らしくってかえって好感度アップです。「こんな僕いかがですか?」というテロップも素敵。

・休日は(筋トレ以外では)茨城までウェイクボードによく行くという話。ウェイクボードの魅力を語るうちに「自然と一体化・・・何言ってんだろ」と混乱してきちゃうのが可愛い。

・「(たまに)大きな声出して走りたくなる。でも渋谷とかでやったら変な人になっちゃう。だから茨城で、人いないところでやる」。茨城のみなさんすみません(笑)。
しかし「うわー!」はともかく「太陽ー!」って叫んでる人は見たことも聞いたこともない。友達が一緒というからまだしもですが。面白すぎです勝地くん。

・ここで『吉祥天女』の映像が流れる。教室の机に伏せていた顔を上げる遠野涼=勝地くんの憂いのある表情が、スタジオの彼とギャップがありすぎて、シリアスな映画なのに笑ってしまう。杏ちゃんも見事な別人ぷりです。

・映画の内容について説明する杏ちゃんが「涼っていう役をやってるのね、涼は」と話す。
『吉祥天女』関連の対談記事や舞台挨拶では勝地くんを「かっち」と呼んでた杏ちゃんですが、たぶんそれは役名との混同を避けるためで普段は「涼」呼びなんでしょうね。
ベッキーちゃんも宮あおいちゃんも『BRⅡ』での共演者の子たちも(16歳以前の知り合いは)軒並み「涼」って名前呼びしてますし。

・「チューシーンあった?チューシーン!」とまたまたベッキーちゃんがオヤジ目線な質問を。「見てのお楽しみ」と二人は言葉を濁しますが、その後の話の流れからすればキスシーンがあったのは明らかですね(実際あった)。
「8年くらい仲いい人とチューするのってどんな感じ?」と聞かれて「全然何ともない」と声を揃えていたのに二人のプロ魂を感じました。
番組内ですっかり普通の男の子女の子(勝地くんは普通というにはちょっと面白すぎですが)な二人を見てきただけに、最後でさらっと口にしたこの発言が印象深かったです。
でも普通に面と向かってお芝居することにはやっぱりちょっと照れがあるそうですが、実際の映画では二人ともそんな戸惑いは全然感じさせてなかった。
そして普通のお芝居には照れる、キスシーンは照れないという感覚が二人に共通してる、しかもお互い相手もそうであることを前提に喋ってるあたりに、二人の役者としての息の合い方が表れている気がします。

・CM前にまた大文字のテロップ。「ベキ子と杏と○○の友情復活!?」という文字に、「○○って誰?勝地くんじゃなくて?」と思ったのは私だけではないだろう。
「涼」じゃ一文字だし、「勝地」なら二文字だけどベッキーちゃんも杏ちゃんも「涼」って呼んでるから名字じゃ変な気がするし、そもそも伏字な理由は?と思ったら、「涼子」ちゃんが正解だったことがCM後にわかりました。そうか、女の友情なのか・・・(笑)。


p.s. 先日発売の『女性自身』でなんと初の交際ネタが出ましたね。「人目を気にすることなく堂々としていた」とか終始エスコートしていたとか――「よくやった勝地ー!」という感じです。
とても好意的な内容の記事で、読んでて思わずにやついてしまいました。お相手が池脇千鶴ちゃんというのもグッド。
まああの記事の書き方だとはっきり恋人なのか仲の良い異性の友人なのかもひとつ微妙ですが、どちらにせよ変に騒がれることなくいい関係を続けていってほしいなあと思いました♪

 


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『月光音楽団♪』(1)

2008-09-13 23:24:47 | 他作品
月曜深夜にTBS系列で放映されている30分間のトーク番組。メイン司会のベキ子ことベッキーちゃんを初めとする女性4人が多彩なゲストを迎えて肩の凝らないゆるめのトークを繰り広げる。

2007年6月18日と25日の回にゲストとして鈴木杏ちゃんと勝地くんが登場。
勝地くんと杏ちゃんが共演した映画『吉祥天女』の宣伝がらみの出演ですが、二人とベッキーちゃんはもともと(放映時点から)4年前までは毎日のように一緒に遊んでいた仲良しさんだったとあって、映画の話はちょこっとで(18日の前編では出てもこなかった)中学時代の三人の人となりがあれこれ暴露されておりました(笑)。

勝地くんはあまりバラエティー番組に出ませんが、たまに出るとヒットが多い。過去の話も現在の話も実に中身が濃くて面白かったです。
おおまかに言って、前編は衝撃の告白、後編は衝撃の映像というところでしょうか。
前後編に分けて例によって箇条書きにて見所を追ってみようと思います。

 

〈前編〉

・杏ちゃんと勝地くん登場。勝地くんは髪の色を明るくしたせいか、すごくソフトな印象でかつ格好いいです♪
そして半袖シャツから見える腕(肘から下)に「やっぱり華奢だなー。女性陣と腕の太さ変わらないじゃん」と思ったものです。この印象は一週間後の後編で見事に覆されることになるわけですが。

・「どうも、昔の友達です」という杏ちゃん&勝地くんの第一声に笑う。ていうか勝地くん「お友達」って言ってますね。丁寧というより何か可愛らしい(笑)。
杏ちゃんもですが、ベッキーちゃんに対するぎこちない笑顔とか対応も面白い。ナレーションほかで「友達だった」と過去形表現連発してるだけあります。

・友達を通じて知り合ったという三人。勝地くんと杏ちゃんは事務所が一緒だし『六番目の小夜子』で共演してるので二人の接点は明らかですが、この二人とベッキーちゃんを結びつけた友達は誰だろう。
『小夜子』で二人と共演し、その後『ちゅらさん』でベッキーちゃんと共演した山田孝之くんあたりかな?よく一緒に遊んでた友達として名前出てましたし。
ちなみに同じく『小夜子』で共演した栗山千明さんはわかるとして山田優ちゃんも遊び仲間だったというのは意外でした。2006年放映の正月ドラマ『里見八犬伝』で知り合ったのかと思ってた。
そういえば『Kindai』2003年8月号で勝地くんと末永遥ちゃん(2003年公開の映画『バトル・ロワイアルⅡ』で共演)が対談?したさい、勝地くんが「僕がベッキーと仲良くなって、その友達が遥ちゃんだった」と話してました。
若手俳優さんたちは直接共演経験がなくても、友達の友達みたいな感じであちこち繋がってますねー。

・渋谷はハチ公前でヘンな待ち合わせの仕方(全身真っ赤のツナギで現れるとか)をよくしていた、という話。
勝地くんベッキーちゃんはまだしも、子役から活躍してる杏ちゃんはかなり顔が売れてたんじゃないかと思うんですが、まあ大胆な。
ヘンな格好の、しかもやたらな美少年美少女の集団はさぞや人目を引いたことでしょう。他にも遊び仲間の面子には成宮寛貴くんや宮あおいちゃんもいたそうですからねえ。

・ベッキーちゃんのプリクラ帳登場。本人も「落としたら大変」といってましたが、こりゃあお宝。
今をときめく若手俳優たちのさらに若い頃のプライベート映像満載ですからね。

・ベッキーちゃんに「勝地涼、こんな格好つけてるけど、全然キャラ違うからね」と容赦なく暴露される勝地くん。
この時のテロップ「自分の中の天使と悪魔が戦っている勝地涼」って意味よくわからん(笑)。
昔の勝地くんを模したベッキーちゃんの動作に目を細めて笑ってる勝地くんの顔が、何かえらく格好良いです。

・杏ちゃんは中学の頃、寝るときにクラシックをかけてたそう。中学生でこれはなかなかハイソ。
このネタに限らず、杏ちゃん・勝地くんの過去を暴露するという前振りの割に、杏ちゃんに関しては比較的当り障りない話題が振られていた気がします。恋愛がらみのネタもさしてツッコまなかったし。
やっぱり若手女優さんに対しては視聴者の反応も考慮して遠慮があるんでしょうね(ベッキーちゃんの過去の恋愛話は結構ツッコまれてたけど)。
その分勝地くんが恋愛ネタから何からどんどん喋らされていて、ファン的には美味しかったですが。

・オカマちゃんキャラを持ちネタにしてたという中学当時の勝地くん。
2008年2月放映の『未来講師めぐるSP』のインタビューで、小さい頃お母さんに女の子の格好をさせられてた、本人もとくに抵抗なく、小学生になっても友達(女の子)の服を借りて着てみたりしてたという話をしてましたが、そのへんにオカマキャラの根がある気がします(笑)。
『おれがあいつであいつがおれで』や『東京タワー』は実は結構地で演じてたのか。

・勝地くんについて「すごく柔らかいしソフトだから、何でも話せちゃうんだよね。男女とか関係なしに」と語る杏ちゃん。実際こうやって女の子の集団の中に混ざっていても見事に違和感がないです。
役の上では強い目の光が際立つことが多い一方、素のトークだとふわっとした穏やかな空気を漂わせる勝地くんですが、この日は特にソフトな雰囲気を纏っています。オカマちゃんキャラを暴露されたせいもあるかな。

・杏ちゃんと勝地くんが知る過去のベッキーちゃんの思い人の話。
「ちょっと不良っぽい、けど優しくって、格好いい、たまに見せるギャップ」が魅力的な人という・・・一昔前の少女マンガのヒーローみたいな感じですね。杏ちゃんの表現によれば「雨の中で子犬を拾ったみたいな」人だとか。

・聞いてもないのに勝地くんたちに彼の話を延々語ってたというベッキーちゃん。その好き好きっぷりが実に可愛らしい。
しかし告白したときの台詞が「好きなんだけど、気持ちだけ知っといて」ってことは片思いで終わっちゃったのでしょうね。

・「涼の元カノはスゴいよ!」というベッキーちゃん発言に同意する杏ちゃんと「普通の恋愛」だったと慌て気味に反論する勝地くん。
この元カノさんは以前『JUNON』のインタビューで話していた彼女のことだろうか。だとしたら確かに別れのシーンなどかつてのトレンディドラマのようなスゴさでしたが。
話がヤバくなってきそうなのを、勝地くんが「ここで言う話じゃないんじゃない?」とソフトな口調でストップかけてたのは上手かったな。

・勝地くんが失恋したときベッキーちゃんに相談をもちかけ、二人で川へ行って叫んだという話。これまた昔の青春ドラマのようなクサい展開だ(笑)。
映画『亡国のイージス』公開の頃出演したラジオ番組で「失恋した時友達に川へ連れてってもらって「ばかやろー」とか叫んだ」話をしてたことがありますが、てっきり男友達だと思ってたのでなんとベッキーちゃんだったのに驚きました。
勝地くんに叫ぶよう促しておいて、自分も便乗して好きな彼の名前を叫んじゃうベッキーちゃん、いい味だしてます。

・当時勝地くんとベッキーちゃんは普通に二人で遊んだりもしてたそうで、すごいケースではクリスマスを二人で過ごしたこともあったとか。二人とも知名度が今ほどじゃないにせよすでに芸能界で活動していたのに大胆なものだ。
しかし「二人きりのクリスマス」を勝地くんが「憶えてない」というのは・・・(笑)。まあそれだけ色気のない、純粋な友達関係だったってことですね。男女間のこういう友情っていいな。

・「今恋してるの?」というベッキーちゃんのストレートな質問に、一呼吸あって「してますよ」とさらっと言い切る勝地くん。
衝撃の発言!ですが、「よく言った勝地ー!」(なぜか呼び捨て)と思わずテレビの前でガッツポーズ入ってしまいました。
ベッキーちゃんたちスタジオの女性陣も言ってましたが、普通なら隠しておきたいような話をすっぱり認めるのが実に男らしく格好いい。彼のこういうところが本当大好きです。
付き合ってるのか片思いの段階なのかはわかりませんが、彼に愛される女性は幸せだよなーと思ったものでした。女の子との付き合い方も、昔に比べてもっと彼女の気持ちを思いやれるようになったそうで。
『nadesico』2007年7月号の記事でも「勝地さんと付き合うと、こんな良い事がある!という特典は?」との質問に「いっぱい、彼女に尽くします!」って答えてましたしね♪

・杏ちゃんは現在進行形の好きな人はいないとのこと。
今までの恋も友達の延長線上で、まだ本当の大恋愛は経験してないかも、と言葉を選びながら一生懸命話してくれる姿が好印象です。

・最近の好きな女性のタイプは?との質問に、勝地くんは「自分のルールのある人、ちゃんと自分のホームグラウンド(友達とか仕事とか)を持っている人」と答えていました。
勝地くんがよく使うこの「ホームグラウンド」という表現が好きです。自分も相手もちゃんとそれぞれの立脚点を持って自立したうえでの関係を築きたい、ということですね。
テロップにも「自分の言葉で一生懸命に話す様子には好感が持てます」と出てましたが、全く同感です。

・勝地くんと杏ちゃんのしっかりした考え方に、「どうなってるのここの事務所は」とベッキーちゃんがツッコみながら誉める。
実際北条隆博くんでも北乃きいちゃんでも、若いのに浮ついていないし、周囲への気遣いがインタビューやブログから感じられます。言葉も丁寧だし。きっとフォスターさんの教育が良いってことなんでしょうね。

・4年前までは本当に仲良しだった3人なのに、なぜベッキーちゃんと勝地くんたちの付き合いが途切れてしまったのかの理由は、「連絡が取れなくなったから」。
確かに近ごろはみんな、特に若い人は携帯で連絡を取り合うのが常なだけに、携帯番号が変わった時にそれを伝え忘れると、そのまま連絡が取れない状態になってしまうというのはありそうです。
もちろん所属事務所もわかってるわけだしその気になれば連絡を取ることは難しくなかったでしょうが、ベッキーちゃんと連絡がつかなくなった時点で、「あー、あたしだけだったんだな、友達だと思ってたの」(杏ちゃん)「変わったなー、と思って」(勝地くん)と二人してあきらめちゃったわけですね。
ベッキーちゃんの方も何となく放置するうちに、今さら気まずいって感じになっちゃったんでしょうね。何だかわかるなあ。

・「このあと勝地くんの体にも変化が!?」などと大きくテロップが出たので、何事かと思えば要は足が痺れたと(笑)。
たまらず身体が傾く勝地くんにベッキーちゃんと杏ちゃんが足にパンチ?して追い打ちをかける。ほんと仲良しさんです。
この前後の詳しい映像が後編で見られるのかと思いきや全くスルーでしたね。

(つづく)

 


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『パパの涙で子は育つ』

2008-09-09 02:41:17 | 他作品

2007年6月15日放映の父の日記念スペシャルドラマ。
フリーのディレクター(主としてドキュメンタリーを手がける)である込山正徳さんの同名のエッセイ集を原作に、タイ人の奥さんに突然去られた男性の子育て奮戦を描く。

妻の帰国から離婚、幼い子供がいるために仕事もままならない、傍目には悲惨といえる状況を深刻にならずユーモラスに綴った原作の匂いを忠実に映像化しつつ、なぜか人名はほぼ全て微妙に変えてある。
主人公の込山さんは上山さんに、息子さんのイサラくん・ナユタくんはイサヤくんユウタくんに。面白いところでは元奥さんの愛称アップルさんがオレンジさんになってます。

勝地くん演じるADの斎藤幸一は「テレビ局から派遣されてきたアシスタントディレクターの伊藤くん」(※)がモデルかと思われます。
とはいえ「二十四歳。坊主刈り。通常はワイドショー番組の雑用をしている。風貌はちょっとイカツいが、腰の低い好青年」(※)だという伊藤さんに他の人物の役回りも担わせた、ほぼオリジナルのキャラクター。
(「風貌がイカツい」「腰の低い」、「テレビ局から派遣されてきた」=それまで付き合いがなかったというあたり、別人といってしまっていいほど違う)
実話モデル作品の中で重要なポジションにいるオリジナルキャラという点では『少しは恩返しができたかな』の牧内拓巳や『東京タワー オカンとボクと時々、オトン』の平栗くんに通じるものがあります。
ずっと年上の上山さんに時としてきつい忠言も口にし、普段でもさりげなく口が悪かったりするあたり、拓巳の方が近い感じでしょうか。

表面は今どきの若者らしくちょっとドライな(でも同時にソフトな)話し方をしながらも、休日返上で上山家の子供たちの面倒を見たり夜食を買出ししたり細々と気を遣ってくれる情のある青年で、まさに「女房役」といったところ。
そうした斎藤くんの性格づけに、勝地くんの持つちょっと古風な一本芯の通った雰囲気がよく合っていたように思います。
ついでに失礼な発言を上山さんに詫びるときわざわざ帽子をとって一礼する律儀さ、子供たちといる場面での馴染んだ様子も勝地くん本人に通じるものを感じました。

ドラマ自体も、突出した見所があるわけではないもののケレン味なく丁寧にまとめられた良作で、深刻なテーマを扱いつつ全体にほのぼのしたファミリードラマに仕上げられていました。
一方でこれまでまずドラマで見ることはなかったと思われるトイレトレーニングのエピソードや母子家庭に比べ父子家庭に対する福祉制度が整ってないことなど、シングルパパの苦労を実話らしいリアリティで伝えていたのも啓蒙的効果があったんじゃないかなと思います。
上山さん役の江口洋平さん・再婚相手役の薬師丸ひろ子さんも、かたや大らかな、かたやおっとり穏やかな雰囲気が役にぴったりでした。

 

※・・・込山正徳『パパの涙で子は育つ ~シングルパパの子育て奮闘記~』(ポプラ社、2005年)

 


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『涙と感動の仕掛人!ウェディングプランナー』

2008-09-05 02:31:13 | 他作品
2007年6月放映。心に残る結婚式をプロデュースするウェディングプランナーのお仕事を、実際のケース3つを通して紹介する。
1件目は18歳の臨月間近の妊婦さんの結婚式、2件目は子沢山夫婦の遅まきな結婚式、3件目は40代日本男性とブラジル人女性の結婚式。
勝地くんはスタジオゲストの一人として企画から式までの顛末を映した映像にコメントする役どころでした。6月15日放映のスペシャルドラマ『パパの涙で子は育つ』の宣伝としての出演だったようです。

勝地くんが一番反応していたのはやはりというべきか、2件目の子沢山夫婦の結婚式。
結婚直後からつぎつぎ子宝に恵まれたため生活にせいいっぱいで式をあげる余裕がなかった両親のために、19歳から8歳までの7人の子供たちがプランナーさんの全面的バックアップのもと手作りの結婚式をプレゼントする。
尊敬する人は「父親」で、雑誌などのインタビューでもご両親とりわけお父さんの話をよくしている勝地くん、好きな本も『流星ワゴン』『椿山課長の七日間』など親子愛ものが多いだけに、こうしたエピソードはもろツボに「きた」みたいです。

話はとびますが、2006年3月3日放映(生中継)の日本アカデミー賞授賞式(勝地くんは新人賞を受賞。くわしくはこちら)をテレビで鑑賞したさい、人一倍涙もろい彼が泣いてしまうんじゃないかと心配していました。
ドラマのクランクアップや舞台の千秋楽などで毎年のように人前でボロ泣きしていた彼だけに、感涙にむせんで何も喋れなくなっちゃうんじゃないかと。全国放送で大勢の人が見るだけに、泣いちゃったら女々しいとかケチつける人もいそうだし。
でも同時に『さとうきび畑の唄』DVDの特典映像で見たクランクアップ時の涙の美しさが目に焼きついているために、むしろ涙に期待する気持ちもあり・・・。

結局は一瞬涙ぐみそうになる場面はあったものの、基本的に礼儀正しく朗らかに、なんと噛むことなく(19歳当時の彼としてはこれは画期的なことだった)ちゃんとインタビューに答えていました。ホッとしつつもちょっと寂しいような。
隣りが当時12歳の神木隆之介くんだったし大きなお兄ちゃんが泣いちゃったら格好つかないからこれで良かったんだ、でも20歳すぎるとなかなか男の子が人前で泣くわけにいかないだろうから、ラストチャンスだったと考えると惜しいなあ、とかしょうもないことをいろいろ考えたものでした。

・・・それがまるっきり無意味だったことがこの番組を見て判明しました。
人前だろうが感動のままに素直に涙を流すところは20歳過ぎようと全然変わってなかった。
「号泣しすぎですよね」とちょっと照れ笑いしつつ目元を指で拭う姿に何だか胸がきゅんとしました。
女性陣は結構泣いてましたが、男性で涙ぐむのでなくボロボロ涙をこぼしていたのは彼一人。
30になっても40になっても、というわけにはさすがにいかないでしょうが、もうしばらくは涙もろい男の子のままでいてほしいような気がします。


p.s. 同年11月~12月公演の舞台『カリギュラ』の大千秋楽のカーテンコールでも勝地くんはボロ泣きしてたそうです。
その日の舞台を観劇された方たちがブログなどで書いてらしたところによれば、隣りに立つ主演の小栗旬くんが泣いてる勝地くんの頭を「いい子いい子」みたいに優しく撫でる姿がカリギュラとシピオン(二人の役名)の関係さながらだったそうです。見たかったなー。

 


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『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2)-4(注・ネタバレしてます)

2008-09-01 02:23:13 | 東京タワー
・オカンを東京に呼ぶべきか悩んでいるボクにミズエは「マー君のお母さんに会ってみたい」と言う。
その言葉にボクは「上京以来最高の幸せ」を感じますが、彼女が母親に会いたがることをこれだけ喜ぶのは、彼女との結婚を脳裏に描いてるということでしょうか。
この二人最終的には別れるわけですが、なんで上手くいかなくなっちゃったんですかね。

・東京に出て来たら、と言うボクからの誘いの電話を受けるオカン。
話してる間中右腕をまっすぐ突っ張っているのが気になる。ガン手術の後遺症?(首が縮んだせいで周囲の筋肉も突っ張るようになった?)
 この姿勢がオカンの体が弱ってるという印象を観客に与え、これまで気丈に食い扶持を自分で稼いできたオカンがボクを頼って東京に出てゆく決意をした理由付けになっている。

・ボクの部屋の隅に「らでぃっしゅぼーや」(減農薬野菜を中心とする安心食材などの宅配業者)のダンボールが立ててある。
えのもとが貧しかった時分から「らでぃっしゅぼーや」を利用している話は映画では出てきませんでしたが、この場面でさりげなくアピール。

・「行ってもいいんやね?」とわざわざもう一度確認の電話をかけてくるオカンと妙にしどろもどろのボク。
長く別々に暮らしてきてそれぞれのライフスタイルも出来ているだけに、お互い自分の生活を変えることにも相手の生活を変えることにも緊張がともなうのでしょう。
特にボクの場合、まだちゃんと別れたわけじゃないオカンとオトンの仲を完全に引き裂くことになるかも、という気遣いもあるわけで。

・ボクが口ずさむ炭鉱節をBGMに、筑豊を離れ東京へと向かうオカンの姿を映す。
見送る人は誰もなく、人気のない町を一人歩くオカンの旅立ちは、アカペラの炭鉱節とあいまって、何とも物悲しい風情。
この後、オカンが新幹線の窓から眺める東京の街並みとオカンを迎えにゆくボクの車が走る東京の街並みを交互に見せながら、BGMが炭鉱節から映画のメインテーマ?へと切り替わる。
筑豊の象徴というべき炭鉱節から包みこむような優しいメロディへの切り替わりは、住み慣れた故郷を離れて大都会へと出て行くオカンの不安が、次第に息子とともに暮らせる安心感と喜びに変化してゆくさまをうかがわせます。

・ボクとの新居に落ち着いて真っ先に糠床のダンボールをあけるオカン。「これさえあれば怖いもんなし」という表現に、オカンがいかにこの糠床を大切にしているか(すでにアイデンティティーレベルかも)が示されています。
ボクも「来た来たー!」と糠床の登場を喜んでますが、オカンの糠漬けがそれだけ好きなのか、糠床最優先のあたりがいかにもオカンらしいのが嬉しかったのか。

・夜、車で東京タワーの近くを通り、しばし車を止めてタワーを見上げるボクたち。
この夜のドライブの前のシーンで、オカンが年金も払わずに生活を切りつめまくってボクの学費を捻出した話が出てくるので、特に説明はないもののこのドライブ、そして今度東京タワーにも上ろうという約束は、恩返しも兼ねた親孝行のためオカンをあちこち観光案内してる、という意味付けを持ってくる。
説明は最小限にしてシーンの組み立て方で説明に代える。この映画の静かな情感はそうした演出手法に拠る部分も大きいのでは。

・オカンを励まし抗がん剤治療をすすめるミズエ。
東京に出てきてからの友達にこれだけ慕われてるのは「ありえないことなんだよ」とミズエは語るが、確かに東京での友達がみな年の若い、もともとはボクの友達ばかりなのを考えると、彼らにとってのオカンが「友達のオカン」でなくボクを介在せずとも「友達」になっているのはすごいことかも。
だからこそミズエもすでにボクと別れていても、それを隠して変わらずオカンのお見舞いに来てくれるわけですし。

・病院から帰る途中のボクとミズエ。別れていながらオカンの前では恋人同士を装うはめになった彼らは、二人きりになるとやはり以前と違ってぎこちない。
ミズエがいずれボクと結婚すると思っているオカンがオトンとの思い出の指輪をくれたことにとまどうミズエの「もらっていいのかな、あたしが」という涙まじりの上擦った声や、ボクの「それ、はめる時とはめない時があっていいから」という言葉も、二人の微妙な距離感を感じさせる。
オカンの前では恋人のふりを続けてくれと暗に言うボクにミズエは「変」と返すのだが、彼女の中にはこのさいよりを戻したいという気持ちが多少あったりするのだろうか?

・小倉からオカンの見舞いにやってきたオトン。久々の再登場でまず思ったのは「老けたなー」。そう思わせるメイクにしてるんでしょうから成功です。
オカンの髪型がきちんとしてるのは、映画の最初の方で出てきた通り平栗くんにセットしてもらったからですね。

・久しぶりの夫婦再会だけにオトンは何だか居心地悪げで、オカンも敬語を使ったりしている。
しかしオカンの方はその敬語っぽい喋り方もあわせて恋する乙女のような恥じらいが見えて、初々しく可愛らしい。オトンも深刻になるのを避けるようにリアップの話したりするのがちょっと可愛い。

・最近調子が悪いからとガンの再発を疑うオカンにボクの反応はもう一つ鈍い。
もちろん優しい声をかけてはいるが、同居当初ならもっと親身に大騒ぎしていたはず。一緒に暮らしはじめて7年が過ぎ、仕事で家をあけることも増えたボクの「倦怠期」ですね。
うさぎの「ブドウ」が死んだというのも二人の幸せな時間が過ぎさったことを象徴しているようです。

・これから入院するオカンは綺麗に化粧して服もよそ行きのものを着ている。
行き先は病院であっても「お出掛け」なのだから身綺麗にしておこうという心持ちがオカンのきちっとした、同時に女らしい人柄を感じさせます。
あるいはこれが最後の外出になると悟っての最後のお洒落だったのかも。そう考えると何とも切ないです。

・ボクがはじめてオカンの手を引いて歩く。宣材でもよく使われていた映画独自の名シーン。
横断歩道を渡る場面をスローモーションで丁寧に、子供の頃線路を二人で歩いたシーンをだぶらせながら見せる。穏やかなBGM中のパーカッションが電車の走る音を想起させる。
作中には出てきませんが、二人が横断歩道を渡る時、おそらくは盲人用信号の「通りゃんせ」が流れているはずで、それも「通りゃんせ」を歌いながら歩いた過去に繋がっています。

・親切でさばけた人柄の大家さんを演じるのは松田美由紀さん。
原作によれば、松田さんとリリーさんは共同で事務所を借りていて、その部屋の契約更新を機会にリリーさんは自宅兼用の(オカンの介護も可能な)広い家に越すことにしたそうですが、映画ではそのエピソードを改変して、代わりに大家さん役で松田さんに出てもらうという形をとっています。
(初期の脚本段階(『ザ・シナリオ 東京タワー』)では原作通りだった)

・病院の売店で買い物するオカンとオトン。やたらにオカンのために物を買い込もうとするオトンと「すみません」と他人行儀に、でも嬉しげにいちいち礼を言うオカン。
まるで付き合い始めのカップルのような初々しい思いやりの形が何だか可愛らしい。
二人を影で見つめるボクも微笑ましげに目を細めています。

・抗がん剤治療を受けるオカンの苦しみ。胃液を吐く音、背中が波打つ様子、足の指の曲げ方・・・苦しみ方があまりにリアルで、ボクのみならず観客まで目を背けたくなってしまう。
見舞い客の人々の反応も、オカンに上着を着せ掛けてやり泣き出しそうな顔で背中をさする平栗くん、オカンとボクの苦しみようにかける言葉もなく密かにドアを閉めるミズエ、オカンの背中をさすってやりつつ「いつまでこれが続くの?」とタマミとその傍らで立ち尽くす磯山――と三者三様。
そしていずれの時も、ボクはオカンに声をかけず手を触れることもなく、ただ側でその苦しみを見つめている。励ましの言葉も体をさすることもオカンの苦しみを軽減できないと知るボクが、なすすべもなく憔悴の度を深めてゆくのが痛々しいです。

・そしてずっと苦しみに耐えてきたオカンがついに「(抗がん剤治療を)やめたい」と言ったときに、ボクはオカンを抱きしめ背をさする。
抗がん剤をやめれば長くない命と知りつつも当面の苦しみから解放してやれることに、ボク自身もいくぶん解放されたのでしょう。
薬をやめても今の医療ならきっと助かる道はあるはず、とオカンと自分に言い聞かせながら。

・ボク画のオカンのイラストを留める重しに使われているのが白黒二つのうさぎの置き物(ぬいぐるみ?)。飼いウサギのパンとブドウをイメージしてるのでしょう。
ウサギを可愛がっていたオカンがウサギたちに会えない(ブドウはすでに死んでしまってるけど)寂しさを少しでも埋められるように、とボクが買ってきてあげたんでしょうね。悲しい緊迫した場面の中で少しだけほのぼのしました。

・意識朦朧として、鍋になすびの味噌汁があるから食べるように、などと言い出すオカン。かつて筑豊のおばあちゃんがボケてしまった場面を思い出させます。
言うことがすっとんきょうなのが、オカンが正気まで冒されつつあること、そんな状況なのにまず息子のことを心配する本能的な母の愛を感じさせる。
「オカン、何を言う・・・」と泣きじゃくるボクも悲しい。

・春なのに時ならぬ雪が降り、雪景色の中に東京タワーが浮かび上がる。しかもエイプリルフールの日に。
「何が本当で何が嘘なのかわからない」非日常的→幻想的な光景が、オカンの最期が近付いていることを強く印象づけます。
これ演出ならあざといくらいですが、実話なんですよね。

・オカンの枕もとで、「こいつが来れん時はオレがおるけんな」と声をかけるオトン。
一緒に暮らしていた頃はろくに働かず飲み歩いてばかり、その後は現在に至るまで長い別居生活、と夫らしいことは何一つして来なかった彼が、ここに来てようやく「夫」らしくなった。その頼もしさが悲しくもあります。

・オカンの病室の料金をオトンはボクに質す。「1日4万」と聞いて、しばし沈黙してから「すごいな」と答える。
堅実なサラリーマンというのではない、ある意味オトンにも似た浮き草稼業でありながら成功者の道を歩いているボクを、自分とひきくらべて眩しく思ったのでしょう。
ボクはやや俯き加減の無表情で返事をしませんが、記憶の中の傍若無人さとうってかわった弱気な態度を見せるオトンを、年を取ったと感じて寂しさを覚えているように見えます。このあとリアップの話など始めるからなおさら。

・ボクがDJをつとめるラジオをオトンと聴くオカン。
二人の思い出の曲?である「キサス・キサス」をボクが流し、それにあわせてダンスホールで踊る若い頃のオカンとオトンの映像が長々と映し出される。
以前オカンが語ったオトンとの馴れ初めからいくと、これは二人の出会いの場面かと思われます。この一晩と今現在とがこの二人の短い蜜月なのでしょう。

・「キサス・キサス」のメロディーの余韻をBGMにオカンがストレッチャーで運ばれてゆく。
オトンが一旦帰ることになった夜、容態が急変したことについて、ボクはオトンに帰ってほしくない思いがそうさせたのかもととっさに考える。
オカンが亡くなる直前の展開は、オカンとオトンのラブストーリーの様相も色濃いです。

・意識を取り戻したオカンは真っ先に(半ば無意識に?)ボクの頭を撫でる。オトンもそばにいるのにまずボクの方に向くのが母の愛ですね。
そして最期にオカンの体がぐっと持ち上がるのが、最後の最後まで生きようとする人間の生命力のようなものを感じました。

・オカンの亡骸の傍らに座るボクのもとに原稿催促の電話が。
病院にかけてきた(携帯でなく病院にかけてくるのだからボクが容態の悪いオカンにつききりなのはわかっているはず)のに続いて再度の電話。
「こんなときになんなんですけど」と一応断りはするものの「原稿の締め切りがぎりぎりなんですが、どうですか」という言い方はあまりにも礼を失している。
スケジュールに追いまくられる仕事をしていると相手への思いやりが摩滅していくのはわかるんですが・・・。

・結局はボクの仕事する姿を見るのが好きだったオカンのために、オカンの隣りで猛然と仕事を始めるボク。
仕事の内容が面白コラムとイラストなのがかえって悲壮なものがあります。

・階下で賑やかに飲む人々。すでに彼女ではないのにミズエが給仕役を務めているのが彼女の人柄とオカンとの繋がりの深さを感じさせます。
そして「寂しい寂しい寂しーいー!」と泣き、両手でコップを持ってお酒を飲む平栗くんの挙措にも人柄が出ています。

・オカンの鼻めがね芸を披露するタマミに爆笑する弔問客。
通夜というと形ばかり神妙にしたり、逆に親戚の会合の場として騒いだりということがありがちですが、ここではみなボクの言葉どおり、賑やかなのが好きだったオカンを変にしんみりせず送り出そうという一同のオカンへの愛情を感じます。

・「喪主はおまえやけん、俺は挨拶せんからの」と言いつつ、涙で声の出ないボクに代わって挨拶するオトン。
先には1日四万の病室代を払いきるボクに引け目を感じてたオトンでしたか、ここで父親の面目躍如。
しかし間もなくやはり言葉を詰まらせてしまう。ダメ男だったオトンなりのオカンへの愛と男気がこの場面に凝縮されています。

・オカンが「自分が死んだらあけるように」と言い残していた箱をボクは開いて、オカンのメッセージを読む。最後までボクはミズエと結婚するものと思っていたオカンの、それを前提とした文章が悲しいです。
自分のことはおいといてボクのことばかりを心配する文章は、かつて大分の高校に入るボクが旅立ったときと何も変わりませんね。

・オカンの遺骨を抱いて東京タワーに上ったボクとミズエが展望台から外を眺める。
東京タワーにいっしょに上るという約束をやっと果たしたボク。別れたにもかかわらずミズエも同行しているのは、「三人で東京タワーに上る」のがオカンとの約束だったからですね。
余韻の残る美しいラストシーンです。


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