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俳優・勝地涼くんのこと。

『SOUL TRAIN』(1)-1

2007-11-30 01:39:11 | SOUL TRAIN
2006年12月22日レンタル開始、2007年1月26日発売のDVDドラマ。
事務所公式のメッセージで7月初め頃に告知されたこの作品、「今までにない【勝地涼】」という表現に、これまで幅広い役柄を演じてきた勝地くんだけに「今までにないってどんな役なんだろう?」と考えこんだものです。
当時ファンの方たちのブログでも様々な予想がなされていた記憶があります。
(セットにカンヅメ状態での撮影らしい様子から「シチュエーションコメディではないか」と推測された方の慧眼には後々感心したものでした)

その後9月になって『SOUL TRAIN』というタイトルが発表になり、作品の公式サイトもオープン。
原作は『THE 3名様』で知られる漫画家・石原まこちん先生初の自伝的小説と知って、さっそくに読んでみました。
読んでの感想は・・・おそらくは勝地くんファンの多くが思ったことでしょうが、なぜこの役を勝地くんに振った?フリーター、27歳(DVDでは25歳設定)、童貞、不細工(推定)・・・一つも勝地くんとかぶるところがない(笑)。

同じくアット・ムービー社が製作したDVDドラマ『THE 3名様』も塚本高史くん、佐藤隆太くん、岡田義徳くんの男前3人組(原作はあの絵柄なので断言はできませんが3人ともまず男前ではないだろう)での映像化でした。
原作のイメージ通りのキャスティングだと映像にした時におそらくもっと地味で暗い感じの、マイナー系の作品になっていたろうところを、ストーリーやキャラ配置は基本原作通りでも演じ手にイケメン俳優たちをもってくることで、ポップなお洒落感が加わってより多くの層に受け入れられ、ヒットシリーズになりえたのでしょう。
もともと仲良し&そろって原作ファンの3人が持ち込んだ企画だけに(詳しくはこちら参照)、製作側の計算に拠らずたまたまそうなったのかもしれませんが。
この『3名様』の成功を受けて、『ソウルトレイン』製作に際してこれまた原作より数段男前の勝地くんを主人公須藤役に持ってきたんだろうなーとか想像したものでした。

それにしても勝地くんにとっては、「2006年は挑戦の年」だったと本人が語っていた通りに多分に冒険的な役柄でもあったのでは。
勝地くんは多彩な役をこなせる役者さんですが、どの役をとっても芯に凛としたものがあった気がします(『1980』あたりは微妙かな?)。
しかし須藤というキャラは原作の描写からすればいわゆる「キモい」タイプのダメダメな男子なわけで、凛としていては役として成立しない。須藤を演じるにあたってはその凛としたもの、彼の持ち味である爽やかさをできる限りセーブする必要がある。
まさに「今までにない【勝地涼】」だったわけですね。

けれど一方で、本気でキモくなってしまっては本末転倒というか勝地くんをキャスティングした意味もない。
爽やかさを制限しつつもぎりぎりキモくなりきらない寸止め状態に持っていけたのは彼独特の透明感とそれをある程度コントロールしうる演技力あればこそだと思います。

またビジュアル的な利点も大きかった。たとえばここで共演している黄川田将也くんが須藤を演じたとしたら、いかに演技力でカバーしようと顔もスタイルも格好良すぎて説得力がなかったでしょう。
勝地くんは確かに美形なんですがアクの強い顔立ちではないので、あの印象的な目力を封印してしまうと比較的小柄な体型もあいまって意外なほど目立たなくなる。
だからそこに須藤特有のダサいファッションや猫背もプラスして、「元は悪くないんだから磨けば光りそうなのに・・・」という男の子像を作り上げることができたのだろうと思ったものでした。

(つづく)


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『踊る踊る!さんま御殿SP』

2007-11-26 02:19:54 | 他作品
正確なタイトルは『踊る踊る!さんま御殿 お笑い怪獣大行進SP』。2006年11月28日に放映。二部構成の前半部にゲストとして勝地くんが出演してます。

8月の『さよなら』PV以来、映像では久々(雑誌の露出もほとんどなかった)にお目見えの勝地くんは、映画『阿波DANCE』の撮影終了から間もないせいか、ずいぶん日に焼けて、顎のラインもかなりシャープになってました。
司会の明石屋さんまさんに繰り返し「男前(になった)」と言われてましたが、確かにこの日の彼はすごく男っぽく大人っぽく見えたものです
(この少し後から収録が始まったであろう『ハケンの品格』ではあんなに可愛いのに)。

お笑いの人たちを中心とした濃いゲストの中にあって、初登場かつ口下手な勝地くんはほとんどスルーされるんじゃないか(『里見八犬伝』番宣の細木数子さんの番組のときのように)と心配してたんですが、『さとうきび畑の唄』で親子を演じた縁でさんまさんが結構話を振ってくれたのでホッとしました。
いつにも増して低めの渋い響きの声は大人びてるのに、緊張のためかやや早口に話す様子は相変わらず初々しく爽やかな印象。
勝地くん自身が笑いを取る場面はなかった(そういう役割を期待されてはないと思うのでノープロブレム)んですが、彼の発言内容をさんまさんや周囲のリアクションが上手く盛り上げてくれてました。
以下勝地くんを中心に例によって箇条書きで番組の内容を追ってみます。

 

・さんまさんが勝地くんを「男前になった」と誉めるのに、斎藤暁さんが「なんかすごーく、こう、立てるから(可笑しい)」と笑い出したのに対して、「男前になったから男前になったゆうてるんやろ、あんたが男前になったら、言うよ?」というさんまさんの返しに笑いました。
この紹介の場面以降、すっかり勝地くんは「男前要員」の扱いになっていきます。確かにあの面子の中にいわゆる「若手イケメン」って彼しかいなかったし。
一方、何かと言えば勝地くんとの対比で、「もてないキャラ」扱いになってたのが塚地武雅さん。「大学時代テニスサークルにいて~」と言っただけで笑われてたし(笑)。

・勝地くんと同じく初登場の澤山璃奈さんがまだ18歳、高校三年生というのにまわりが騒然。
勝地くんも(この日は)年より大人っぽいけれど、彼女は顔立ちも雰囲気もしっとり落ち着いた大人の女性という感じ。他のゲストの話に笑顔で頷いてる姿も好印象。
最初の紹介のとき以降、全然話を振られてなかったのが残念です。

・「彼女にしてほしいことは?」との質問に「耳掻きとか、されたいですね」。
つねづね「この子は本当、女好きだよなあ」と感じてたんですが(詳しくはこちら参照)、今回その理由がわかりました。言う事が微妙にマニアックなんだ(笑)。
別に変態ぽいとかではなく、むしろ微笑ましい系ですが。というか勝地くんの持つ雰囲気が発言内容をいやらしい響きにさせない。得な人だ。

・水中シーンの撮影(作品名は言ってませんが明らかに『亡国のイージス』)で、意識がない状態の演技のために本当に溺れそうになった話。
これはあちこちで話しているので相当苦しかったんでしょうね。でも真田広之さんとのシーンだったので「NG出すわけにいかない」と頑張ったとのこと。
この話を受けて、さんまさんが「俺の時はようNG出したよなあお前」とツッコミを入れたのに会場大ウケ。
自分から笑いを取りに行けない(そんな余裕もない)勝地くんを上手くいじって笑いに結びつけ、さらにNGの内容が「コンタクトが落ちた」という、俳優としての実力には関係ない、いわば事故なのも合わせてアピールしてくれる。
さんまさんのさすがのトークに感謝したものです。

・「『自分ってセコいなー』と思う時」というお題について、「男なら女に奢って当然」という女性陣と、「なぜ男が彼女でもない女に一方的に奢らなければならないのか」という男性陣が真っ向から対立。
そこに「勝地、お前(デートの時)どうしてるの」とさんまさんに振られた勝地くんがごくあっさりと「僕は割り勘ですね」と答えると、「まだ若いからね」(杉本彩さん)「可愛ければいいんですよ」(大沢あかねさん)と女性陣が一転して擁護にまわる(笑)。
「可愛いから(男前だから)いい」、さんまさんも言ってましたが結局これが本質ですよね。男前は得です。
そして自分を飾ろうとせず自然に「割り勘です」と言える勝地くんの素直さは、男前うんぬんを抜きにして改めて好印象でした。
やたら「男前」連呼されるのに対してどうリアクションしたらいいんだろうかとちょっと困ってるような面映そうな表情も初々しかったです。


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『The World of GOLDEN EGGS』(注・ちょいネタバレしてます)

2007-11-22 01:40:49 | 他作品
2005年にCSのキッズ・ステーション、MUSIC ON!TVで放映されたのを皮切りに、大人気を受けて方々へスピンオフ、英検のイメージキャラクターにも起用されたCGアニメーション。

『MORE』2006年4月号の「私のリコメンド」欄で勝地くんが紹介しているのを読んで存在を知ったのですが、その時はそのまま忘れていました。
その後、2006年放映の「SEASON2」に勝地くんがゲスト声優として参加していると知って、さっそく動画サイトで勝地くん出演の22話「ゾンビ島」&23話「3匹のネコ」を視聴してみました。

彼の役名はライアンJr.。「ああライアンさんの息子なのね」と思ったんですが、別の意味でもジュニアでした・・・ってか赤ん坊じゃん!
想像のはるか斜め上をゆくキャスティングに唖然としました。
台詞も当然ながら「あー」「うー」「ぎゃあー」とか台詞以前の音声のみという・・・。こりゃ勝地くんが声をあててると聞いてなければファンだってまず彼とは気づけまい(そのつもりで聞けば確かに勝地くんの声ではある)。

マウスで描いてペイントで色ぶちまけたかのようなカクカクした描線とぺったり原色の色使いといい、ヒロイン二人をはじめほぼ全キャラクターを声優二人(しかも男性)で担当してることといい、完全な口語口調、適当なストーリーと間で入る料理番組その他といい・・・「なめてんのか?」ってくらいのゆるさ適当さ。
この大味っぷりと台詞のいちいちに英語(スラング)が字幕で出ることからてっきり米国産翻訳アニメと思いきや実は日本製、実はフルCG。
一見した安さも適当さも実は綿密な計算のもとに仕込まれていた!・・・のかもしれない。
見るうちに何だか癖になってくるヘンな心地よさがあります。21話を見たら「~系?」という喋り方がついつい伝染ってしまいました(笑)。

ちなみにその21話(「オレの爺ちゃん」)に、小栗旬くんが寝たきりのおじいちゃん役でゲスト出演してます。
こちらも終始うめいてるばかりで台詞らしい台詞は「は・さ・み!」のみという・・・。
若手俳優を超もったいない使い方するのもネタの一環なんでしょうか。
スペシャルエピソードに勝地くんと同じ事務所で仲良しの鈴木杏ちゃんも出てるそうですが、こちらはどんな役なんだろう・・・。

p.s.『週刊朝日』2007年5月18日号の特集「金卵ってなんだ?」での製作元(プラスヘッズ)の代表取締役の臺佳彦さんインタビューによると、「勝地涼さんは「出さしてください」と直接お電話をいただきました。」のだそうです。意外に積極的なんだなあとびっくり。
また「小栗旬さんもファンだとうかがったので、連絡を差し上げたところ、マネジャーの方が「断ったら怒られます」と言ってくださいました。」とのことですが、前掲『MORE』4月号で「友達の小栗旬くんが「面白いから観て」と教えてくれた」と言ってたのを考え合わせると、小栗くんが金卵ファンだと言う情報源は勝地くんだったんじゃないですかね?
きっとアフレコ後に二人で「俺の台詞、「はさみ」だけだったよー!」「俺なんて意味ある台詞ひとっつもなかったよー!」なんて笑い合ったんじゃないかな。「これでこそ『金卵』!」とか喜びながら。

 

11/26追記-「ソース源」とか書いてましたが、「ソース」と「源」は意味一緒ですね・・・。「情報源」に訂正いたしました。


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二十歳の抱負

2007-11-18 01:35:46 | その他
2006年9月上旬、20日の誕生日に大分遅れて勝地くんの公式メッセージが更新されました。
誕生日、それも20歳という節目とあって、当然「二十歳の抱負」のようなものを書いてくるだろうと予想していたのですが・・・。

確かに「二十歳の抱負」について語っていたのは予想通りでした。驚いたのは「抱負」の中身。

「二十歳の抱負は、「人を大切に」です。」

あまりにシンプルな、ゆえに本質を突いた言葉にはっとさせられました。 
普通抱負というと、「免許を取りたい」「外国語を習得したい」などの具体的な目標を掲げるケースが多いように思うのです。あるいは俳優として、こういう役を演じたい、こんな演技が出来るようになりたい、とか。
それだけに俳優としてよりまず人としての心構え、何らかの目標を達成することでなく気持ちの在り様を、二十歳の抱負としたことに驚きました。

インタビューなど読んでいて、彼の発言にこうした「定石からのずれ」を感じることがままあります。
意識的に奇をてらってるのではなく、ちょっと着眼点が変わっている。正確には変わっているというよりも、今どき珍しいまでに真っ当、というべきでしょうか。
かつては美徳とも呼べないほどに当たり前だったことがいつのまにか忘れ去られつつある昨今、当たり前のことを当たり前に話し実行している彼の姿は、とても清清しいものに思えます。
二十歳の抱負は「エロかっこいいを目指す」(少し前に発売された『COOL TRANS』10月号での発言)かな?などと冗談交じりに思っていた自分が恥ずかしいです(笑)。

以前こちらで書いたように、彼が20歳に(成人に)なることにはいささか寂しい気持ちを拭えなかったのですが、こんな言葉をさらっと口にできる勝地くんはきっと素敵な大人になってゆくんだろうな、と晴れやかな心地になったものでした。


また驚いたのが『イージス』で共演した吉田栄作さんと飲みに行った話。
後に『婦人公論』2007年1月22日号でも「『20歳になったら飲みに連れていってやる』と言われていて、共通の知人を介して本当に誘いの声をかけてくれた」(概要)と語ってましたが、こんな他愛もない口約束をちゃんと履行してくれるとは。何だか私の中で栄作さんの株が急上昇しました(笑)。
撮影中も栄作さんとはほとんど役の上でからまなかったはず(CICに仙石から通信が入る場面くらいか?それだって同じ部屋にいるってだけだし)なので、この二人にこんな交流が生まれていたというのは嬉しいサプライズでした。

勝地くんは現場で最年少というパターンが多く、とくに『イージス』ではメインキャスト唯一の十代でありながら超豪華キャストの中で体当たりで頑張っていただけに、先輩たちから目をかけられ可愛がられてたんだなあと、この栄作さんとのエピソードを読んで改めて感じました。
そして「頑張って肝臓鍛えたいと思います。」という締め方がやっぱりなんか天然です(笑)。
こういうところも可愛がられる要因なんだろうなと思ったりします。


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『Urb 10月号』

2007-11-14 01:09:09 | 雑誌など

2006年8月発売。30代女性を対象にしたファッション系雑誌。
「さりげなさあふれる女(ひと)をすべての男が求めている。」という特集で、ミュージシャンの武田雅治さんと勝地くんが各1ページ、アーブ世代=30代女性の魅力について語っています。

「トップクラスの女性の〝美〟を見逃さないアーティスト、俳優の立場から、二人のステキな男性が求める女性の魅力について語ってくれました」というこの企画、何で勝地くんに白羽の矢が立ったんでしょうね(笑)。
年下代表とありますが、あちこちで「年上の女性が好き」発言してるので、「30代女性を語らせるなら勝地涼」と雑誌サイドなり事務所の人なりが思ったんでしょうか。 

さて記事の内容について。前々から思ってたんですが、「この子は本当に女好きだよなあ」と再認識しました(笑)。
「女好き」といってもスケベとかプレイボーイとかいう意味ではなく、『ハニカミ』でしずちゃんが話してたような、「女性の存在を大切に思っている」感じ。
勝地くんのお父様は、「男とは」と語り出したら3時間でも喋り続けるそうですが、勝地くんも理想の女性像を語らせたら微に入り細をうがち、何時間でも語り続けそうです。
実際、隣ページの武田さんのインタビューが、半分は近々発売されるアルバムの話(女性に関連した内容ではありますが)なのに対し、勝地くんの方はこの時期宣伝すべき番組も映画もなかったこともあってか、1ページ丸々30代女性を語り倒してますし。
(宣伝がらみでないだけに、「なぜ勝地くんを起用?」という当初の疑問がまた甦ってきますが) 

ここで語られてる勝地くんの理想の女性像を総括すると――「自然体」「自立している」「甘え上手」「美しいあいさつができる」。

「年上の女性に甘えられるのって、僕好きなんですよ。」というのは『ハニカミ』で言ってた「甘えるのが結構好きなんですよ」と矛盾するみたいですが、甘えられたい男のプライドを理解して上手にくすぐってくれる、甘えてみせる事自体が包容力になっているようなそんな女性に「手の平で転がされ」たいんでしょうね。年上好みになるはずです。

それと今回気が付いたのは、男性はわりにパーツ(女性の身体の一部分)フェチ要素のある人が多い気がするんですが(武田さんも「パッと見て〝ステキだな〟と思う女性の手は、見るのを後回しにお楽しみに取っておく(笑)。」 という「手フェチ」なコメントをしてます)、勝地くんてそういう発言がないですよね(単に口にしてないだけかもしれないけど)。
むしろこの特集で語ってる内容や、好きな女性の仕草はくしゃみだとか(ソースこちら)、後に『さんま御殿SP』に出演したさいの「(彼女にしてほしいことは)耳掻きですね」なんて発言からすると、彼は「シチュエーション萌え」の人なような。
「外見ではどういうところを気にするの?」との問いに「やっぱり顔ですね。」と答えたのには「そんなミもフタもない(笑)」と一瞬思いかけましたが、「顔そのものというのではなくて、〝話している時にちゃんと目を見て話してくれるかどうか〟とか」と続けていて(いつも相手の目をじっと見て話す勝地くんらしい着眼点)、そんなところも個々のパーツより言動重視なのが感じられます。
外見やメイク・ファッションについてのコメントに比べて仕種やふるまいについて語るコメントは倍くらい長いですし(笑)。

また、女性の魅力として「美しいあいさつができる」を挙げるのには、いつもながら今時の若者らしからぬ彼の古風な感性と礼儀正しさを感じました。
上記の「ちゃんと目を見て話してくれる」もそうですが、彼自身がそれらを大事だと思い実行しているからこそでしょうね。

ここで「美しいあいさつ」をすべきシチュエーションとして「親に会わせたりした時」を想定しているのに、この年1月に出演した『はなまるカフェ』で「女友達とか連れてった事ある?お父さんの前に」と聞かれて「ないですけど、これからやっぱり、親父にはこう、ちゃんと会わせなきゃいけないのかなって思いますね。」と答えてたのを思い出しました。
その後親に会わせることを意識する相手ができたのかな?なんてちょこっと想像してみたり。『月光音楽団♪』での爆弾発言?からしても。

さて勝地くん自身のまとめによれば、「きっと30代女性って、強くて、賢くて、そして可愛らしいんだと思います。」 
――まあ、そういう30代女性もいますよ、いるでしょう、きっと(笑)。少数派かもしれませんが。
何せ具体的イメージは「『ロングバケーション』の役柄の山口智子さん」ですから。理想高いです。
そしてそんな理想を語る彼はまだ多分に夢見る少年めいていて、つい「可愛いなあ」とにやけてしまうのでした。


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『俳優になる 06-07』

2007-11-11 01:44:26 | 雑誌など
2006年8月発売。11人の俳優・女優さんが、役者になったきっかけやその後の道のり、気構えなどを語るインタビュー集。
演劇ぶっく社(月刊の舞台雑誌『演劇ぶっく』の出版元)の発行とあって、舞台をメインに活動してる役者さんが多く取り上げられている(もっとも同社は『映画監督になる』シリーズも発行してますが)。
それも超メジャーどころではなく、舞台をいっさい見ない人なら名前さえ知らない可能性も高いような、名脇役もしくはこれからの人が中心になっている印象です。

そんな中勝地くんは目立って若く(文中では20歳となっていますが正確にはまだ誕生日前。他の方々は62年生まれの池田成志さんをのぞけば20代後半から30代前半)、舞台経験もまだ3回(当時)という、ちょっと異色の存在(紅一点の水野美紀さんが経歴の面では一番近いかな)。
発言内容も何となく可愛らしい、微笑ましい感じのものでした。以下心に留まった部分を箇条書きで。

 

・冒頭のライターさんの言葉に「印象的な真っ直ぐで鋭いまなざし。」とありますが、写真の印象はずいぶん柔らかい、というより茫漠とした雰囲気。
わりあいふっくらしてた時期なのと、おそらくはノーメイク(メイクさんの名前が入ってないので。服も写真が白黒なので確証はもてませんが2005年12月のトークショーで着てたという自前のZuccaのジャケットじゃないかと思います)なせいでしょうか。

・「事務所に所属が決まってからも、レッスンを受けて俳優としての訓練が始まることもな」かったそうですが、『月刊デ・ビュー』2006年7月号では、
「週1回、練習のために事務所で台本を読まされると、『滑舌が悪い』とか言われて楽しくない。正直、苦痛でした(笑)」
と語ってました。これはデビュー前後になってからの話なんですかね。

・「名前もない小さな役」で「鈴木杏出演のドラマ」にいきなり出演することになった、というのは2000年のデビュー作『千晶、もう一度笑って』(TBS)のことですね。
名前もない役だったとは初めて知りました(DVD化されてないため、どんなドラマだったのかほとんど情報がない)。
以前『Look at star!』vol.7(2004年春発売)で「勉強のためにドラマのエキストラをやったんですけど、その時のことは覚えてないんですよ。あまりに緊張して(笑)」と言ってたのがたぶん『千晶~』のことかと思います。
ちなみに、たまに勝地くんのデビュー作を『目撃者2』(TBS)としてる雑誌がありますが、『千晶~』は1月7日、『目撃者2』は1月17日の放映なので、『千晶~』が正解ですね。

・小栗旬くんと仕事の話で「熱くなってバトルになったりします(笑)」というのはちょっと意外でした。バトルになるということは、二人の演劇観は一致しない部分も多いわけですよね?
初共演の舞台の現場で今頃またバトルってるのかな(笑)。
(←p.s.先月発売の『Top Stage』52号によれば、小栗くんと論争したり―論がなくて争だけしたり―するそう。二人が所属する野球チーム全体の気風のようです。
小栗くんの方も『シアターガイド』12月号で、「わがまま言ってたら、勝地くんに二度ほど怒られた」(概要)話をしていました。
忌憚なく意見を言い合える――いい関係だなこの二人)

・小栗くんの舞台(時期的に2006年4-5月の『タイタス・アンドロニカス』?)を見終わったのちに小栗くんの車の中で、「なんていい演技してんだ!」って叫んでしまったというエピソード。
人様の車に便乗させてもらいながら中で大騒ぎする勝地くん(笑)。あまりにストレートな誉めっぷりに小栗くんも照れ笑いしてたんじゃないですかね。

・「例えば40歳位になった時に、今の僕位の年齢の人が、あの人みたいになりたい、と思ってくれるような役者になるのが理想です。」 
ブログを検索していて、役者のタマゴの方たちが、「彼のような役者になりたい」「いつか彼と共演するのが夢だ」と書いてらっしゃるのを見つけたことがあります。
20歳そこそこですでに「憧れの役者さん」として名指されている勝地くん。これから年齢とキャリアを重ねるほどに、彼を目標とする若い役者さんたちがどんどん増えてゆくんだろうな。

・「男から見ても色気のある役者になれたらいいなと思います」との勝地くんの発言を受けての地の文が、「今のところ、色気があるという自覚は本人にはないらしい。」
これは、ライターさん的には勝地くんは色気があると感じた、と解釈していいんでしょうか。
ちなみに私自身は勝地くんに男の色気を感じることはほとんどないです(時折例外があり)。
個人的見解ですが、男女問わず色気とは酸いも甘いも噛み分けた、いい意味で「汚れた」ところに醸し出されるものだと思っているので、勝地くんは男の色気をうんぬんするには透明感が勝りすぎてるかなと。
(その代わり特有の透明感と結びついた青少年の繊細な色気はすごく感じます。ライターさんが勝地くんに見た色気もこちらの方でしょうか)
ただ稀に透明感と男の色気を共存させている大人の男性(役者さん)も存在するので、彼にもそんなふうに成長していってほしいなあと期待してみたりしています。

・「今までやったことのない悪役は、すごくやってみたいです。」 
ストーカー役とかやってみたい、とのコメントも以前からあちこちでしていますね。 
顔立ちだけを見れば、勝地くんは吊りぎみの目ときりっとした眉、眼光の強さでしばしばキツい印象を与えがちなので(2007年8月公開の映画『阿波DANCE』で共演した橋本淳くんが、「初対面のとき勝地くんの眼光が鋭かったので、言うこと聞いといた方がいいと思った」話を舞台挨拶でしてたそうです。勝地くんは「(この目は)生まれつきだもん」と可愛く反論していたとか)、今まで悪役が回ってこなかったのが不思議な気もします。
ただ内面も合わせて見れば、人の良さがどこか役に滲み出てしまいそうな気もするので(その点、せいいっぱい突っ張ってても根は繊細で心優しい『亡国のイージス』の行や『この胸いっぱいの愛を』の布川みたいな役にはぴったり)、純悪役ってできるのかな?などと思ったりしてたんですが、2007年7月~9月の舞台『犬顔家の一族の陰謀』(『劇団☆新感線』に客演)の劇中劇?での腹黒い桃太郎役を見て見解を改めました。
声色も台詞回しも表情も実にブラック。これなら念願のストーカー役も遠くないかも。いやお見それいたしました。

・野球チームの忘年会の話もあちこちでしているのを見聞きしてますが、忘年会のお芝居で「一昨年は僕が女の子役で」――。
実はこの本で一番「おお!」と食いついてしまったのはここでした(笑)。「おれがあいつであいつがおれで」の項でも書きましたが、ぜひ女装する役を一度やってほしい(非常に演技力を問われる役柄だし、視聴者へのインパクトも強いので)とつねづね思ってただけに。
きちんと女の子の格好をしたのか、ビジュアルはそのままで女の子だと言い張ったのかは不明ですが、「普通の恋愛」ものだと言うお芝居の筋が気になります(笑)。

・上記の忘年会のお芝居について「あり合わせで小道具をそろえたり足りないものを買い出しに行ったりして、すごく楽しいんですよ。」との言葉。
これは小劇団の役者さんなら普段からごく当たり前にやっている(やってきた)ことですよね。この本に登場している俳優さんたちも、多くはその俳優としてのキャリアの最初期で経験しているはずのこと。
それを彼はごく新鮮な経験として語っている。スカウトされて芸能界に入りテレビドラマでデビューした勝地くんは、舞台出身の俳優さんとちょうど逆のコースをたどって役者としての経験値を上げているんだなあとなにやらしみじみ感じました。

・「皆さんはストレッチ、していますか?」の質問に対する答えの中の、「普段は全然やらないし身体も硬いんですけど」のくだり。
発売当時読んだときはとくに何とも思わなかったんですが、『Look at star!』2007年9月号で古田新太さんが、
「(『犬顔家~』での稽古場で)ダントツ若い人間なのに、笑えるほど身体が硬いんだよね(笑)。(中略)本気で『勝地君、腰かどこか痛めてるの?』って思ったもん(笑)」
と話していたのを読んだあとだと、無性に笑えます。

・台詞の覚え方について、「とにかく、何回も読みます。でも覚えすぎると、機械的に喋っちゃうような気がするので、難しいです。」 
懸命に努力しつつも、そうした自分の行為を「これが本当にベストなのか」と半歩引いて客観的に見つめている。
『演劇ぶっく』129号(2007年9月発売)でも古田新太さんに「お前、本当にいろんな事考えてんな(笑)」と突っ込まれてましたが(古田さんは「あれこれ考えるより先にまず行動」の人のような気がする)、下手すればああでもないこうでもないと自縄自縛に陥って何事にも自信が持てなくなりかねないところを、今のところ彼は理屈倒れになることなく、いろいろ思い悩みながらもそれを糧に着実に成長しつづけているように思います。

・ボイストレーニングの話題で、ノドが弱いと話してますが、2回舞台(『犬顔家』×2)を見た印象では長丁場にもびくともしない、よく通るいい声をしていました。
どの舞台の観劇評でも彼の喉が潰れてたという話は見たことないです。あの声はマスクしながら寝たりハチミツノドスプレーを愛用したりの努力によって保たれてたんですね。
ストレッチや台詞覚えの話もそうですが、自分の弱いところをちゃんとわかっていて適切なフォローを怠らないのに(職業人として当たり前とはいえ)感心しました。
ついでに「(身体を)ストレッチしてほぐしてあげて」「ノドを休めてあげて」と、自分の身体(の部位)に対して「~あげる」という表現がちょっと女の子みたいで可愛いなと思ったり。

・バスの中で音楽(とくに「サイモン&ガーファンクル」)を聞くのが好きという話はよくしてますが、たぶんここが初出でしょうか(『フレンドパーク』を観覧した方のレポによれば、放送されなかった部分でこの話をしてたようですが)。
「信号待ちでエンジン切ってシーンとした瞬間、人がたくさん乗ってるきに静かだなぁ、と、そういうのが何かいいなあ、って。」というあたりに彼のロマンティックな感性がうかがえます。
そして音楽への感情移入度の高さは俳優としての天性がそうさせるんでしょうね。『Kindai』2006年5月号でも「夜、音楽を聴いてる時かな、たまに気持ちが入って、〝なんてオレってだめなんだ〟って思いながら、涙を流してみたり(笑)」する話をしてたのを思い出しました。

 

文中でも触れましたが、今回この項を書くにあたって久々に本を読み返してみたら、当時は特に気にしてなかったけれど、それから一年数ヶ月の彼の軌跡を踏まえると、胸に沁みてくる箇所が多々ありました。
たとえば「第三舞台」などを経てフリーランスになった池田成志さんの、「役者ってアホみたいなのが多いんじゃない?(笑)当然なんとかなる、っていう甘い下心の持ち主で、たまたま上手くいった人間が生き残ってる。もちろん、わざと楽天的に思うように持っていってるというのもありますよ。周到な部分もありますし。でもそうしないと、役者なんてやっていけないと思う」という言葉。
その後成志さんとは『犬顔家~』で共演してるわけですが、こうした成志さんの、おそらくは古田さんたち『劇団☆新感線』の劇団員にも共通する逞しさ・したたかさに、感化される部分もあったんじゃないかなーとか考えてしまったのでした。


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「演技派俳優」という事

2007-11-07 01:47:45 | その他

勝地くんのファンになってから、映画・舞台雑誌、果てはアイドル雑誌などを読む機会が増えました。それらの雑誌を見ていると、若手俳優さんは大きく二つに分類できる(されている)気がします。
すなわち、整った容姿から女性ファンにアイドル的人気を持つ人たち-いわゆる「イケメン俳優」と、もっぱら演技力を評価されている「演技派」。

「演技派」の人たち(例えば浅利陽介くんや高橋一生くん)はアイドル雑誌やファッション誌ではまず見かけないです(もちろん事務所の方針というのもあるのでしょうが)。
そして「イケメン俳優」はさらに「顔が良くて演技も上手い」、「顔はいいんだけど・・・」の二タイプに分けられる。藤原竜也くんや小栗旬くんが前者の例でしょうか。
勝地くんもカテゴリー的にはここに入る・・・と言いたくなるんですが、私見では彼は「演技派」の枠の方に属してるように感じます。

確かに顔立ちは整っているし、バラエティーなどで「若手イケメン俳優」と呼ばれたり、アイドル・ファッション雑誌への露出も少なくない。
ファン層は主として30代以上の女性が多く、容姿で騒がれることもしばしば。
だから正確には「演技派」と「イケメン演技派」のボーダーラインにいるというべきでしょうか。

顔が良くて演技派ならなぜ素直に「イケメン演技派」カテゴリーに入れないのかというと、演技の質と雰囲気のゆえ。一言で言えば、いわゆる「華」のあるタイプではない、ということ。
けれど存在感がないのではなく、きらびやかさの代わりに年齢不相応なまでの落ち着き、重心の低さを備えている。「華」ではなく「磁力」の人とでも言うか。
若手の多い作品なんかだと彼が出てくると画面が締まる感覚を覚えることがあります。
それゆえか、外見からすればもっとアイドル的に女の子に騒がれてもおかしくないのに、そうした人気より演技力に対する評価のほうが常に先行している。これは結構珍しい事なんじゃないか。

ときどき、彼は外見のせいで損をしてる部分もあるのかなと感じることがあります。
アイドルでも通りそうな顔立ちと役者としての資質のギャップが、彼の立ち位置を曖昧にしてしまってるのじゃないかと。
「ヒゲを生やしたいのですが」「早くシワができてほしいんですよ」なんてコメントやジムでかなり体を鍛えてるところからすると、彼自身は「男らしい」「渋い」方向性を望んでいるようなので、「可愛い」「綺麗」と言われるのは不本意なのかも、としょっちゅうそうした発言をしてる身としてはいささか反省を覚えてしまったり・・・(でも事実だし)。
『カリギュラ』のポスターで話題になった臍毛も本人的には無問題、というより男っぽい感じでむしろ気に入ってるんじゃ。
(これまで写真目当てで雑誌を買ったことなかったのに、うっかり彼の肉体美にやられて『シアターガイド』を購入してしまった私はどうやら少数派のようで・・・)

ただこの「立ち位置が曖昧」-二つのカテゴリーのボーダーライン上にいるというのは同時に強みでもある。
たとえばベテラン勢と渡り合える重厚な演技力と美形であることの双方を求められた『亡国のイージス』の如月行。
行というキャラクターは強烈な存在感を示しつつも、背負っている過去・現在の重さを思えば華やかなオーラを放ってはいけない。その意味で勝地くんを行に起用したのはベストな配役だったと思います。
今後とも硬派な作品で綺麗どころの若手が必要とされる場合に重宝されるんじゃないでしょうか。

彼はドラマのロケを見学中にスカウトされたので、もともと事務所の方は彼の容姿を買ったわけですよね。
なのにアイドル的方向性で売り出すのではなく、単純に「テレビに出られるんだ」程度の気持ちで事務所に入った少年に一から演技の勉強をさせて、俳優としての道筋をつけてくれた。
彼の存在を見出し、資質を見出したフォスターさんの慧眼に感謝です。


最後に上述の「華」について補足を。
「華やかさはないけれど存在感がある」というのは基本イメージであって、たとえば2007年夏の舞台『犬顔家の一族の陰謀』の野見山玉男のように「(うさんくさいまでに)キラキラしている」のが仕様の役を演じるときは、ライト効果のせいばかりでなくちゃんとキラキラしていた。
そして本人のキャラクターについていえば、眩いスターオーラの代わりにごく柔らかな光をもっているように思います。春の陽だまりのように周りの空気をじんわり温めてくれるような、周囲に影を作らない淡く優しい光。『はなまるカフェ』でにこにこ話をしている彼を見たときに、そんな印象を抱きました。
一方でヘタレなやんちゃ少年っぷりが際立っていた『東京フレンドパーク2』では眩しいほどのキラキラ感があったし、『恋するハニカミ!』ではカラッと爽やかな笑顔が夏の太陽のごとくだった。
結局場合によりけりってことですかね。多面体な人だからな。


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『花よりもなほ』(2)-4(注・ネタバレしてます)

2007-11-03 02:10:05 | 花よりもなほ
・長屋の前で子供たちと遊ぶおりょう。「けんけんぱ」で鮮やかな赤い湯文字?と白い脛が覗くのが色っぽくて、地味な着物を着て側に立つおのぶとのコントラストになっている。

・どしゃぶりの中、長屋前をうろついてた犬が突然画面から消える。この演出が意味するところは後に明らかになるわけだが・・・(笑)。
ここから大家が順次長屋の住人から家賃を取り立てていくくだりはずっと大雨のまま。作中でもっとも沈んだトーンの箇所。

・吉良邸に詰めている人数を知るために、厠の肥を調べることを提案する吉右衛門。
ここでもまた糞の話が。「さすが百姓出身」と笑う面々には同士中でも身分の低い寺坂を貶める響きがあった。最初に話をふった小野寺だけはちゃんと吉右衛門を認めてる感じでしたが。
ついでに「患者だ!」と包帯を巻いた腕を強調するえらそうな態度が笑えます。

・ちゃんと家賃を払ってくれる宗左に「店子がみんな仇持ちなら取りっぱぐれがなくていい」と嫌味を言う大家。
彼が口にする「てめえの手を汚して銭を稼いだことのない奴」というのが、そで吉や重八に手紙を読んでもらった男が宗左にぶつけてきた悪意の根源なのでしょう(子供たちに手習いを教えているのだから、多少の稼ぎはあるはずなのだけど)。
そして「何とかなりませんか」と言う宗左の言葉には、長屋を追い出される皆の行く末を案じているというより、現在の長屋世界-自分にとって居心地良い空間を守りたがっているという響きを感じました。

・そで吉を女房がらみで挑発する大家は、腕っぷしの強そうな(実際強い)そで吉に凄まれても余裕で笑っている。
普段何ごとにも冷淡で投げやりなそで吉がむきになったというだけで、ここは大家の勝ちなのがわかる。大家を見送るそで吉の佇まいにも敗北感が漂っていた。

・結局大家から包丁を取り返したのは宗左のストレートな(感情論だけの)懇願ではなく貞四郎らの騙しと脅しだった。
「必ず追い出してやるからな!」と激怒しながらも、その実大家は口先だけの宗左より悪知恵をめぐらして軽々と目的を成しとげる貞四郎たちの方を人間として買っていることだろう。

・雨宿りの善蔵(平泉成さん)とお勝(絵沢萠子さん)の老いらくの恋。
語る内容は便秘の話、「こんなにむくんじゃったよ」と触らせる腕も若い娘の肌の張りとは無縁。普通なら色っぽくなりようもない場面を、二度三度腕を指先で押す仕草とお勝の表情で、ちゃんと恋のときめきを表現してみせる。
生活臭と表裏一体の逆説的な色気が効いている。

・そで吉とおりょうの悲恋のエピソードは彼らの言動、ストーリー展開の一つ一つまで陳腐に近いまでの王道パターン。おそらくは当時どこにでもありふれていた庶民の哀しみを彼らに代表させたということなのでしょう。
「俺と一緒に、どっか、遠いところでよ・・・」というそで吉の(彼らしくもなく)実効性のない言葉が、どうあがいても今さら取り戻しようもない二人の歳月を思わせて切ない。

・進之助と吉坊の友情エピソード。悪びれることなく堂々と、不敵なそれでいて正義感の強さを感じさせる吉坊がすがすがしい。重苦しい長雨が上がったあとの明るい空にふさわしい。

・吉坊の語る父の信念「喧嘩になったら逃げろ」というのは、金沢の過去を知る観客、そして宗左には重い言葉。
売られた喧嘩につい応戦しただけ、本来自分には非がなかったにも関わらず人殺しとなって相手の遺族に追われるはめになってしまった。だから喧嘩の原因の良し悪しを問わず、相手が先に手を出したとしてもなお、戦ってはならない、と。
喧嘩が弱い進之助に長屋の住人が上手な殴られ方を教えようとしたのとは別の次元での人生訓。
父の言葉に篭められた深い慙愧を吉坊が知る由もないのがいっそう痛々しさを誘う。

・「でもおいらは逃げるのは好かねえから、別のやり方考えたんだ」という吉坊。腕づくで対抗するのでなく、頭を使って相手の戦意を喪失させるやり方。
父の言いつけを尊重しながらも実に軽やかに自分の流儀を貫いている。
後に宗左は立ち退きを迫られる長屋の住人と金沢一家を救うために仇討ちのペテンをやってのけますが、力ではなく策略をもって一切を丸く収める方法論を、ここで幼い吉坊から学んだことも一因なのでは。

・宗左は「吉坊の父上はきっと強い人なんだろうね」と父の仇・金沢の人間性を認める発言をする。しかし表情と声のトーンがやや沈みがちなのは、手放しで彼を称賛できない複雑な感情のゆえでしょう。それでもこうした台詞を口にしたのは、宗左の心が次第に仇討ちの放棄、金沢との和解に向かっていることを思わせます。

・進之助が唐突に父親の似顔絵を見せると言い出すのは、吉坊がお母さん(石堂夏央さん)と父親の話をしていたのを聞いて羨ましくなったからですね。
吉坊母子を見送った進之助の表情には父のいない彼の寂しさがよく表れていました。

・進之助が父の似顔といって見せたのは人相書だった。これは二通りの解釈ができるだろう。
一つは、これまでのストーリーの中で死んだと説明されてきた進之助の父親は実は生きていて、金沢同様仇として追われる身であるという解釈。
もう一つは、進之助の父親はこの人相書の男に殺されたという解釈(こちらの場合、幼い総領息子に代わって親族の誰かが仇討ちのため方々旅しているのだろう。あるいは宗左と同じように、雑多な人間が出入りする長屋に身を潜めつつ仇と巡りあう日を待っているのか)。
前者だとすればおさえの涙は長く生き別れの夫を想ってのものであり、宗左が進之助を抱きしめたのは仇を持つ身として仇と目される側の妻子の辛さに触れて、そんな事情を知らぬまま父を慕う進之助に哀れを覚えたからということになる。
後者ならおさえは夫を殺した仇憎さに泣くのであり、宗左は親の仇を父親と思い込んで誇らしげに語る進之助を憐れんだ、ということになろう。
ノベライズや是枝監督のインタビューによると後者が正解。思えば花見の仇討ち芝居で夫の敵討ちを狙う未亡人を演じたのはおさえには残酷な役割だった。長屋の面々は彼女の事情を知らずあの役を割り振ったのか。知っていればこそあえて芝居の中だけでも仇討ちを遂げさせてやりたいという温情だったのか。

・吉右衛門が「肥溜めに落ちちまった」というのは、先に自ら提案したとおり吉良邸を厠方面から探索してたからですね。
身分が低いがために浪士中でも損な役回りを負わされているのが、夜中に一人井戸端で行水する姿に暗示されています。

・碁を打ちながら吉右衛門は自分の出自や、侍らしい死に方をしたいという意思など、聞かれもしないのにかなり際どい告白を行っている。
浪士中で軽んじられている孤独感が、れっきとした武家でありながら長屋の連中を見下したところのない、むしろ見下されてるような宗左に、仇討ちを志しているという共通項もあって親近感を涌かせたのでしょうね。

・自身の命をかけて、息子に「侍の子として」の人生を残してやりたいという吉右衛門。そこには深い親の愛と、彼なりの侍としての誇りがうかがえます。
くだらない喧嘩で命を落とし末期に仇をのみ残してくれた父を持つ宗左は、きっと顔も知らぬ吉右衛門の息子をうらやましく思ったんじゃないでしょうか。

・「剣以外にも父から教わったことがありました」としみじみした笑顔で語り、「本当に良かった」と繰り返しながら涙ぐみさえする宗左。
その後まもなく所在を知りながら長らく接触を持たずに来た金沢に会いに行っていることから、仇討ちの意思を半ば失くしている宗左がそれでも仇討ちを放棄しきれなかった理由―仇を討つこと・武士らしい生き方が父が自分に残した唯一のものだという認識―がここで崩れたこと、自分の本来の気持ちに反してここまで仇討ちを引きずったほどの父への想いの深さがここでわかります。
「よかったじゃないですか」と応える吉右衛門は宗左の感激ぶりに当惑した表情ですが、やがて彼もここで宗左が見出したのと同じものを発見することになります。

・「今度進坊に五目並べを教えてやろう」と宗左は呟く。返り討ちに合って死ぬ危険と隣り合わせの仇討ちを放棄すると決意したことで、彼は「今度」=未来の自分の姿を見つめることができるようになった。
父親を持たぬ進之助に自分が父から伝えられたものを伝えて行こうというのは、自分が進之助の父親代わりになろうという意志をもうかがわせます。

・宗左と金沢の邂逅。特に説明はないものの、金沢が宗左を青木の息子とすぐ見抜いたのが彼の表情から見てとれます。おそらく玄関前で宗左の草履を拾ったときから、遠からず自分を狙う男がやってくる(やって来たら大人しく討たれてやる)覚悟をしていたのでしょう。
二人の会話は極端に少なく、宗左は終始子供たちの話しかせず、金沢はただ質問に答え最後に深々と頭を下げるのみ。これだけのやりとりで、宗左が婉曲に仇討ちの意思はないと金沢に伝え、金沢がそれを理解して宗左に心からの感謝を捧げたのがよくわかる。
最低限の台詞と動きだけできわめて雄弁に心情を描き出す、純日本的情感に裏打ちされた演出が実に心憎いです。

・宗左の仇討ち芝居が上手くいけば百両は固い、と取らぬ狸の皮算用を始める長屋の面々。
文字の書けない留吉(千原靖史さん)が算盤をできるのは意外なようですが、彼が商売人だからこそですね。

・武士としての正論をかざしてペテンの仇討ちに意を唱える平野に反論するおさえ。
敵への憎しみを忘れたのではなく「糞を餅に変えた」のだ、という彼女の言葉は、実は仇持ちである彼女自身に言い聞かせたものでもあるのですね。
上品な美女が「糞」を連呼するミスマッチが笑いを誘う。

・貞四郎が寺の息子という意外な事実に、宗左まで驚いてる(笑)。死骸の不在をどう誤魔化すかがこの計画の肝だと思うのだが、それについては考えてなかったのか?
貞四郎は実家を利用できる当てがあったからこそ真っ先に賛意を示したのだが、宗左は・・・ツメが甘いよなあ。
「うん、浄土真宗」と言ったところで鐘の音が入るのが、「オチが付きました」という感じでくすりとさせる。

・さっきまでは武士としての義がどうのと言ってた平野が、成功の可能性が高いとわかるなり仇討ち芝居に積極的に乗ってくる。このへんの調子良さが平野だよなあ。

・検死を妨げるべく偽の腸を見せ付ける留吉たち。検死にあたった与力が気弱な性質で良かった(笑)。ここでひるんでくれなかったらおさえ母子の登場までもたなかったもんなあ。
そしておさえたちの芝居におんおん泣いてくれるようなお人よしで本当良かった(笑)。

・おさえが進之助に言い聞かせる言葉は、つまりは「糞を餅に変える」ことですね。それは彼女の本音というより「本音に変えていこうとしている」言葉。
それがわかるからこそ、彼女を見つめる宗左の目は悲しさと労わりに溢れている。

・仇討ち芝居を終えて一人感慨深げに長屋の前に佇む宗左にそで吉が声をかける。皮肉めいた口調は相変わらずだが微かな笑顔にはこれまでと違い宗左を認めている気配がある。
応じる宗左もこれまでのように腰の引けた態度でない。どちらも宗左がはじめて「てめえの手を汚して銭を稼いだ」ゆえでしょうね。
彼らの心が少し通じ合った様子がわずかなやりとりの中に表されているのが余韻を残す。

・いきなり結婚宣言する善蔵とお勝。あの雨宿りのさいのちょっぴりいい雰囲気?がこんな実を結んでしまった。
「こんなめでたい席でそんな縁起でもない」というおのぶの言い草があんまりすぎる(笑)。「雨さえ降らなければこんなことにはならなかったのに」も。まあ気持ちはわかるけれど。

・仇討ちペテンの成功に長屋が沸き返るのと重ね合わせて、赤穂浪士たちの討ち入り支度が描かれる。
「結局寝込みを襲うんかい」の台詞とおよそ勇壮さからは程遠い軽やかな音楽が、浪士たちの仇討ちをごく卑俗な、格好良くない行動として映し出す。

・走る浪士たちの最後尾で、草鞋の紐を結び直すために立ち止まった吉右衛門をカメラがはるか上方から俯瞰する。
白い雪の中に黒装束の彼が一人ぽつんと残されている姿に彼の孤立―ともかくも仇討ちへ向かう仲間たちとすでに心の持ちようが離れている―が示されているようです。

・先までは馬鹿にしていた赤穂浪士を一夜明ければ英雄として祭り上げ、脱盟した「不義士」たちには容赦ないバッシングを笑顔で(それぞれの正義感の発露として)やってのける市井の人々。
彼らはまた、先までは「はきだめ」だ「くず」だと馬鹿にしていた長屋(の面々)をも、赤穂浪士たちのアジトだった、赤穂浪士に先立って親の仇を見事討ち果たした青木宗左衛門の住処である、という点から、たちまち「聖地」扱いに昇格させた。
一般民衆の生活力・生命力と背中あわせのこうした変わり身の早さ・残酷さが端的に示されている場面。

・もっとも長屋の面々もそうした群衆心理を利用し、むしろ煽り立てて商売に利用している。彼らの逞しさはある意味長屋の外の大衆以上(本人に許可を取る前から「吉まん」を試作しちゃうし)。
ついでにこないだまで追い立てようとしていた長屋の連中とつるんで商売してる大家の要領の良さ。やはりこの人が一番の勝ち組だろうか。

・自分が脱盟した際の心情を語る吉右衛門。碁を打っていたときに宗左が取った態度に戸惑っていた彼が、草鞋の紐を結び直したのをきっかけに、武士としての矜持以外に息子に残してやりたいものに思いあたってしまった。
そこで誇りを持って脱盟を選び世間からなんと言われようと堂々と己の信念を貫く・・・といかなかったのが彼の弱いところ。
これまで自分を支えてきた武士のプライドを捨ててしまったことを思えば無理もないのだが、「息子に草鞋作りを教えてやりたい」という目的はそれを埋めるに足らなかったものか。
ゆえに彼は善蔵らが作り上げた「吉右衛門は浪士たちの活躍を遺族および後世に伝えるためにあえて仲間を抜けた」というストーリー―武士としてのヒロイズムと家族との暮らしを一挙両得できる―にすがってしまった。それも彼の幸せなのかもしれませんが。

・「人の不幸だって利用しないとね」と笑い合うお勝。かなり怖いです(笑)。旦那と気が合ってるのはいいんですけど。

・赤穂浪士の仇討ちにまつわる熱狂の中、宗左の表情は暗い。
宗左が偽の仇討ちを行ったのは、大金を調達することで皆が長屋を追い出されるのを阻止し現状の長屋世界を守ろうというのが第一の動機だった。しかし実際は赤穂浪士の仇討ち成功が、彼の愛した長屋世界の空気をがらりと変えてしまった。
役人をペテンにかけるという危ない橋を渡っても守りたかったものを、当の長屋の人間たちがあっさりとぶち壊してしまう。
仕官に執着する平野やもっと良い暮らしを望む善蔵・お勝らが、現状維持でなく生活向上を貪欲に目指すのは当然なのだが、宗左にとっては当てが外れたような裏切られたようなやりきれなさがあるんじゃないか。
また、いかにも世間擦れして見える貞四郎が仇討ち景気を利用した金儲けに走らずむしろ苦々しげな態度を終始見せているのは、彼独特の正義感のゆえばかりでなく、彼が実家の寺という「帰れる場所」を確保しながら好んで貧乏長屋でぬるま湯のような日常を送っているモラトリアム気質―真の意味で困窮していないからこそ宗左同様これまでの長屋世界を維持したいと思っている―にもよるのだろう。

・浪士全員が切腹したと聞かされたときの宗左の表情はこれまでにもまして実に重苦しい。
嘘の仇討ちを行うことで武士らしい生き方を捨て去った宗左には、武士道に振り回されるように「卑怯な」仇討ちを行い、ヒーロー扱いされながらも自死を迎えねばならなかった赤穂義士たちが、そうなっていたかもしれない自分の姿を見るような痛みがあるのでしょう。

・「でも、孫さんが言ったとおり、桜が散るのは来年また咲くためですから」「今年よりもっと美しく」。言い合って目を見交わす宗左とおさえ。
復讐に囚われていた自己を捨て、明日を見つめて生きることを選んだ二人の姿、宗左に向けたおさえの笑顔がすがすがしいです。

・寺子屋を探してやってきた吉坊を見た宗左は胸をつかれたような表情になり、やがてこぼれるような最高の笑顔を見せる。
吉坊が宗左に手習いを学ぶということは、先に宗左から切り出した「和解」を金沢が受け入れたことを意味する。彼の「仇討ち」は仇討ちバブルともいうべき変な実も結んでしまったが、本来彼が望んだ「実」も同時に結ばれていた。
長屋の雰囲気も人心も変わってしまったことに複雑な思いを抱いていた宗左が、吉坊によって「人の心も関係性も変わってゆく」ことのプラス面を実感する。
自分もこれまでの大目的だった復讐を放棄し変わってゆこうとしている宗左にとっては最高の餞と言える。その喜びがあの笑顔から実に明快に伝わってきます。
『キネマ旬報』2006年6月上旬号の是枝監督と山本一力氏の対談によれば、監督は「岡田くんとは、最後の笑顔がどう見えるかにかかっている映画だと話していた」そうですが、すべての屈託が晴れたようなこの笑顔があればこそ、作品は全きハッピーエンドを迎えることができたように思います。


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