about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2)-3(注・ネタバレしてます)

2008-08-28 02:43:43 | 東京タワー
・不動産屋へ行く場面で平栗くんのモヒカンヘアーが初お目見え。映画館でくすくす笑いが漏れていたのが思い出されます。
傘で頭隠すようにして、不動産屋に入る瞬間まで髪型を出し惜しみしてるのもナイス演出。
ダンサーを目指して上京した平栗くんですが、努力する姿が一切描かれずに「ダンサーの夢破れた」とナレーションで済まされるものだから、すごーくあっさり諦めたみたいで何かヘタレっぽく感じられます。ヘタレが似合うキャラですけどね。
(p.s.『Famima com』(ファミリーマートの無料配布誌)2007年5月号の勝地くんインタビューによると、「ほかのシーンとの兼ね合いもあて、モヒカンは特殊メイク。ぜひ、地毛でやりたかったんですけどね」とのこと。地毛でって・・・男気ありすぎです(笑))

・部屋を借りるために出版社(それも講談社)勤務と大嘘を吐くボク。隣りで平栗くんが「えっ!?」という顔をしてるのが笑える。
直前の「ダメの二階建て」とか、平栗くんが出る場面はいい感じに笑いを取ってくれます。

・えのもと初登場。「アルフィーの高見沢さんです。」 似てはいないが、個性はある絵ですね(笑)。

・借金催促の電話が来たと事務?の女性に呼び出されるボク。
「いつもいない(という返事)でいいですか?」と尋ねる女性に、「いいんじゃないですか」「自信持って」と答えるボク。言える立場かと(笑)。
ボクの場当たり的な適当な性格が端的に表れた名台詞ですね。他人事みたいな口調がまた(笑)。
しかしよくこんな借金取りに追われてるような講師がクビにならないなあ。

・飲み屋の若い客に「仕事決まったとね?」と尋ねるオカン。「あそこは俺には合わんばい」と答える客。
物事が上手くいかないのを相手(社会)のせいにしがちな「負け組」な男の姿にオカンはボクを重ねあわせたりしてるんだろうな。直後にボクから金の無心の電話が来るし。

・店の壁に飾ったボクの卒業証書を見上げるオカン。賞状や免許証ならわかりますが、単なる卒業証書をわざわざ飾る人は珍しい。
それだけボクが何とか学校を卒業したことが嬉しく、また卒業までボクの学費を払いきった自分を誇らしく思う気持ちがあったんでしょう。

・「たびたび悪いけんど」と言いながらオカンに電話で金を無心するボク。
その前にオカンが「電話しても全然出」ないと文句を言ってますが、これはすでに電話を止められたか、借金取りからかかってくるため電話に出られないかのどっちかなんでしょうね・・・。公衆電話からかけてるところを見ると前者か。

・すでに金(ばあちゃんの具合が悪いので、帰ってきてもらうための新幹線代)は送ったというオカンに「え?」と一瞬戸惑うボク。
「あんたまさかその金も使うたんじゃなかろうね?」と言われて言い返さないので、ほんとにボクが使い込んだかのようですが、シナリオ(『シナリオ 東京タワー』収録)の段階では、実は平栗くんが密かに着服していて、そのせいでボクがおばあちゃんの死に目に会えなくなった事を気に病んだ平栗くんが部屋を出てゆく、という流れになっていました。
尺の関係なのか実際の映画ではその設定は消されていますが、この「え?」というボクの台詞に元のシナリオの影響が少し残っているようです。

・おばあちゃんを見舞ったときの回想。
「あそこに百万円あるから、それで鍋を買いなさい」という台詞が、登場当初は毅然としていたおばあちゃんがすっかりボケてしまってる無常感、それでも孫を思いやる愛情の双方を感じさせるのが悲しい。百万円→鍋という発想の飛び方が一種ユーモラスなのもなおのこと悲しさを強めている。
オカンも臨終直前に鍋の味噌汁=ボクの食事を心配してましたが、この母娘はこんなところも似てるんですね・・・。

・麻雀に気の乗らないボクは雀卓の向こうに幼い自分を幻視する。「あんた何しに東京に出てきたとね」と静かにボクを責める幼いボクは「ロン」の一声とともに牌を倒す。
オカンが喉頭ガンを患ったと知ったのをきっかけに猛烈に働きはじめ、頭角を表してゆく後の活躍ぶりを思うと、この時点までのボクは才能とエネルギーを余るほどに持ちながら、それを発揮すべき動機付けを得られなかったがために自堕落な毎日に溺れていたのかと思えます。
結果エネルギーをもて余したその疼きが、おばあちゃんの状況を聞いたさいの良心の痛みに連動して、「自分を責める自分」を見せたのでは。
この直後、同居人の平栗くんが何事も成せぬままに東京を離れるエピソードでさらに焦燥感をあおられつつ、ボクは目覚めの時を迎えることになります。

・ボクの元におばあちゃんの死を知らせる電報が届いた直後に、荷物をまとめてボクと暮らした部屋を出てゆく平栗くん。
シナリオ段階での「平栗くんがボクの新幹線代を着服」(上述)設定がなくなったため、おばあちゃんの死と平栗くんが出て行くことの因果関係も消滅しているので、映画では単にタイミングが重なっただけなんでしょうね。
ところでボクは平栗くんがゲイと知りつつ一緒に暮らしていたわけですよね?となると同居ではなく同棲?女の恋人がたびたび登場するボクは完全にノンケっぽいのに。
別に平栗くんにとってボクが好みのタイプでない(恋愛対象ではなく純粋に友達)なら同居もアリかと思いますが、そのわりには(手付きのアヤしげな)ボディタッチが妙に多いんだよな~。
このあたりは実在の「同郷の後輩、モヒカンでダンサー志望の同居人」バカボンに、オカマ&ゲイだとか元は美容師だとかのいろんな設定をプラスして平栗くんというオリジナルキャラを造型したためのひずみかな、という気もします。

・別れ際にボクのことを「あんたは才能あるから、頑張りぃ」と励ます平栗くん。
多くの役において、勝地くんの声には優しいトーンで話していても凛としたものを感じるんですが、平栗くんではその凛とした響きは薄まってただただ柔らかく優しい。
オカマだから、というだけでなく根っから気の優しい平栗くんというキャラクターを体現しているように思います。
最後に「僕はもう、頑張りきれん」と告げるときの泣き笑いのようなトーンが切ないです。

・甲状腺ガンを手術したオカンは「首のシワが縮まった」と嬉しそうに語る。
ボクに心配させないための強がりからくる発言なのでしょうが、こんな時に冗談を言えること、親不孝を繰り返す息子をなお気遣えるオカンの心の強さ・大きさに打たれます。

・現在、オカンの病床にはべって仕事をしているボク。上下とも濃いピンク系の服は男性が着るには難易度の高い色使いですが、驚くほど似合っている。
この場面に限りませんが、仕事が軌道に乗り出してからのボクの服の色使い(赤・ピンク系が多い)は全体にすごい。映画評で「こんな色の服が似合うのはリリー・フランキー本人かオダギリジョーしかいない」(概要)と書いたものを読んだ記憶がありますが、言い得て妙。
服の似合いっぷりを抜きにしても、この映画(現在パート)のオダギリさんは髭や髪型のせいかリリーさんご本人に雰囲気がよく似ている。オダギリさんも母子家庭で育ちお母さんへの思い入れはボクに通じるものがあるそうですし、よくぞオダギリさんをキャスティングしてくれた、と思います。

・えのもとと敷金礼金を折半して部屋を借りるボク。
あらゆるサラ金から融資を断られる状況でどうやって当面の金を調達したのか。「なんとか工面して」のナレーションで済まされてますが、本筋に関係ないながら詳細が気になる・・・。
母子の愛情物語として読者の紅涙を絞ったこの物語ですが、個人的にはむしろ「マルチなアーティストの半生記」と受け止めているので、彼がどん底の暮らしから社会的成功者になってゆくターニングポイントでの身の処し方が妙に気になってしまうのでした。出版・放送業界へのコネをどうつけたのか、とか。

・「あと三万円で借金完済っすよ」と言うえのもとにボクが微笑む。ボクの髪が伸びていることで、猛烈に仕事を始めてから借金を返し終わるまでに相応の時間が流れたことを一目で理解させる。
この時のボクの笑顔には先までにはない柔らかさがあって、仕事が軌道に乗り精神的に(おそらく生活的にも)余裕が出てきてるのがうかがえます。
窓から差し込む光が部屋を明るく照らしているのも、それを象徴しているよう。

・ボクが送った著書を受け取ったオカンから電話が。
今までオカンから貰う一方だったボクは、オカンに何かを贈るのはこれが初めてなのでは。それも安手の本ではなくハードカバー。
オカンもさぞ感慨深かったことと思います。息子に改まって「ありがとうございましたー」と電話口の向こうで頭を下げるあたりにオカンの感激ぶりが表れています。

・ボクの借金完済祝い&平栗くんの開店祝い。はっきり説明はないものの、ミズエたちの会話内容からするに、平栗くんのお店はどうやらゲイバーであるらしい。
平栗くんが白い着物姿なのが、グラスを両手で持つ手付きなども合わせて、バーのママさん然とした貫禄があります。

・ボクの手を握りながら、「マイナス抱えたまま終わっちゃう人間がどれだけいると思ってるの、東京に。」とボクを誉める平栗くん。
そういう彼自身もダンサーの夢破れ、ボクとともに貧苦にあえぐ経験をしたものの、今はこうして自分の店を構えるまでになっている。
東京で店を開いてるということは、故郷に帰ると言いつつ東京で、おそらくはゲイバーないしその種のお水系のお店で働いて、資金と人脈を作ったんでしょうね。ボクとの同居を解消してからここに至るまでの平栗くんの軌跡も気になります。

・ボクと話す途中、中年の男客が入ってくると、平栗くんは「いらっしゃーい♪」と両手を小さく振っていそいそと男の方へ駆けつける。おそらくは開店前に勤めていた(それ系の)店の常連客なのでしょう。
その男の方を向いた時の笑顔や仕草が何やらなまめかしいのにどきっとしました。営業用にせよ本気にせよ、男性に対してごく自然に女っぽい媚態を示すあたり、平栗くんが根っからその道の人なのだと見せつけられた感じ。
『おれがおまえで~』の時もそうでしたが、本当にそっちの素質(才能)があるんじゃないかとうっかり不安になってしまいそう(笑)。

・中年男性に続いて、ミズエとその友達が入店。どうも友達の方がミズエを連れてきたらしいですが、開店間もないこの店に、どんな縁があってカタギの女の子二人がやってくる気になったものやら。
この時ミズエはボクに「ここ(隣りの席)、いいですか?」と声をかけるが、以降はボクはえのもとと、ミズエは友達と話していて、二人の間に会話はない。互いに反対隣りに向かって話をしている二人をカメラがフレーミングして「そして新しい彼女ができたのでした」とナレーションが入る。
出会いの場面、それも本当にただ出会っただけの場面を映し出して、二人の関係の深まりは一切描かないまま、「恋人になった」という結果だけを説明する――最初と最後だけで過程を飛ばす見せ方がシンプルかつクールで実に格好良い。

(つづく)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2)-2(注・ネタバレしてます)

2008-08-24 04:22:57 | 東京タワー
・引越しのためバスで町を去るボクとオカンをおばあちゃんが見送りにやってくる。
といっても言葉は交わさず近くにも寄らず、手さえ振らずに離れた場所から遠ざかるバスを見つめるのみ。
見送られる方も最後部の座席で後ろをじっと見つめるだけでやはり手を振ったりはしない(オカンがかすかに頷くだけ)。
愁嘆場を嫌いあくまで淡々と別れてゆく母と娘(+孫)の関係は、オカンが筑豊に帰ってきた場面同様、あえてドライであるだけにかえって心に染みます。

・高校受験を期に筑豊を出る決心を固めたボクが筑豊の町並みを見下ろす。
オカンと初めて筑豊に越してきたさいに、同じ場所から同じ眺めを見るシーンがありましたが、その時に比べると町が小さく、色褪せて見える。
ボクの等身が高くなったというだけでなく、炭鉱の閉鎖によって町が活力を失っているのが二つの光景の対比に表れています。

・風俗店のバックルームで女たちを前にたじたじのボク当時15歳。「オッパイ」を連呼する女たちの崩れた態度が場末感を醸し出す。
昭和五十年代後半ごろの風俗嬢には、親が炭鉱の閉鎖で失職した北海道・九州の女性が多かったという話を読んだことがありますが、彼女たちもその口なのかも。

・風俗嬢がオトンの目を盗んでボクに乳房を見せ、ボクはそのたびちょっと目をそらす。
純朴な少年をからかう年増女と彼女の狙い通りだろうウブな反応を返すボクの攻防が笑いを誘う。
こんなボクも数年後には「よく似た親子やねえ」と言う風俗嬢の言葉にあやまたず、自堕落な日常へと転落してゆくんですねえ・・・。

・初めてオカンと離れ一人遠方の高校に通うことになったボクは、旅立ちの電車の中でオカンの手紙を読んで涙する。
「自分のことはいっさい記さず、ただひたすらにボクを励ます言葉だけが強く書いてありました。」 
静かで揺るぎない母の愛を伝える少年編きっての名シーン。

・ボクの旅立ちシーンのすぐ後に、現在のラジオ番組でエロトークをするボクのエピソードが挿入される。
オカンの暖かな励ましに感動した直後に、だらけきった高校時代のボクの話に行ってしまうと「何やってんだよ!」と観客が興ざめしかねないからとワンクッション置いたものでしょうか。
この時点でのボクはエロトークしてても入院中の母を献身的に看護する孝行息子ですしね。

・オトンが上京してくると聞いて、こんな髪の毛じゃ恥ずかしくて会えないと駄々をこねるオカン。
「あ、ダメよ~」と繰り返す声のトーンや手鏡を見て髪を撫でる仕草が、年が寄っても病気でも「男」の前では綺麗でありたいという女心をごく自然に見せていて、可愛らしく、どこか色っぽくさえあります。

・平栗くん初登場。先生にボクを呼びにいくように言われて、嬉しげに片手をぴょこんと挙げる仕草や立ち上がる動作、「はい!」と高いトーンの声も、予備知識なしでも「何かカマっぽい子だな」と感じさせる。『おれがあいつであいつがおれで』でもそうでしたが、カマ演技上手いんだよなあ(笑)。
もっともこれ松岡監督の演技指導も大分入ってるらしいので、むしろ監督を誉めるべきなのか(笑)。
『ソウルトレイン』の時も、三浦大輔監督がキョドり芝居を実演しつつ演技指導していたとか。監督や演出家は俳優以上に名優でないと務まらないのかも。

・ボクの手を引いてせかすように歩く平栗くん。
撮影時(2006年)勝地くんは20歳になったばかりの頃かと思いますが、高めの声のせいもあって当時15歳の冨浦くんとちゃんと同年輩に見えます。
ボクのナレーションは平栗くんを「毛色の変わった友達」と評していますが、この時点でもう平栗くんの「性癖」は固まってたんでしょうかね?

・再び現代に舞台を移し、オカンの髪を梳かす30代の平栗くん。
口調も表情もオカンの髪をいじる手付きも、相変わらず男性としては柔らかすぎるほど。
(1)で「平栗くんの男性としての魅力にメロメロになった」と書きましたが、このシーンでの彼は臙脂色のセーターとふっくらした頬のラインのせいか、時々本当の女性のようにも見えてしまいました。
「女性」というより、小学生くらいの子供がいて子供の友達に手作りのクッキーなど振る舞ってくれるような品のいいお母さん、みたいな感じ。何となく佇まいに家庭的温かみがあるというか。中身が20歳の男の子だということを忘れてしまいそう。
この場面、大女優・樹木希林さんとの共演(しかも髪にさわる)とあって緊張で手が震えていたそうですが、映像を見る限りごく自然な演技になっていると思います。

・やつれたオカンを見るにしのびなく、早々に引き上げる平栗くん。
出演時間も台詞も多くないものの「ごめんね、ごめんね、一番辛いの中川くんなのにね」と泣き出しそうな声で詫びる姿に、彼の人一倍心優しい性格がよく表されています。

・東京の大学を受験する意思を固めつつあったボクは、オトンに「オカン残していってええんやろか」と尋ねる。
大分の高校に行く時には「オカンを自由にしてあげる」ことも遠方の学校を受ける動機の一つだったのが、今度はオカンを一人にすることへの心配が先立っているのは、すぐ前の場面で一人住まいになったおばあちゃんが孤独に食事を取る様子に触れたのが大きいのでしょう。高校受験の頃よりオカンも年を重ねたわけですし・・・。
対するオトンが東京へ行っていろんな経験を積むことを推奨するのは、自分の果たせなかった夢(東京での成功)を息子に託した部分もあったでしょうか。

・「春になると東京には、掃除機の回転するモーターが次々と吸い込んでゆく塵のように、日本の隅々から若い奴らが吸い集められてくる。」 
原作の、軽妙さの中に時に詩的なセンチメンタリズムをうかがわせる文体を生かしたナレーション。この文体が、その破天荒な生き方にもかかわらずボクをナイーブで育ちのよさそうな文学青年めいて見せる効果を果たしている。
つづく「しかし、トンネルを抜けると、そこはゴミ溜めだった。」は川端康成『雪国』の有名な冒頭の文章を匂わせたものでしょうか。

・炬燵でガールフレンドと事に及ぶのを、箪笥?の上のおもちゃのサルのシンバルが鳴る、という形で表現する。
下品にならず、ユーモラスでちょっと情けないこの隠喩は、志を持って都会に出てきた青年のありがちな堕落をわかりやすく描き出している。
このサルの隣りにはオトンが作ってくれた(途中まで)白塗りの船が飾ってある。都会に染まって見える今でも、子供の頃のオトンとの思い出を大事にしてるのがここから想像される。

・パチンコ屋で思いがけず平栗くんと再会。パチンコ台に顔をぺったりつけたような姿勢が実にアヤしい(笑)。
「2000円貸して」と言われた平栗くん、懐かしそうな顔のまま硬直していますが、この時点での彼の懐事情はどんなもんなのでしょう。とうていリッチとは思えないが。

・映画『フラッシュダンス』に憧れて、ダンサー目指して上京したという平栗くんがダンスを披露。
勝地くんはあちこちで「ダンスは苦手」と話していますが、まあ確かに上手いかと言われれば微妙な・・・。でも平栗くんもダンサーの夢破れる設定なんだからいいんです(笑)。
ダンスを見せられたボクの「うん、躍動的だった」という実のない誉め言葉(棒読み)が笑える。最初にこの映画を見た翌日は、微妙なフラッシュダンスを踊る平栗くんの姿が頭から離れなくなったものです。

・苦しい家計の中から何とか学費を捻出したにもかかわらず、息子が留年という事態に、「なんで頑張れんかったとやろかねえ・・・?」と繰り返すオカン。
正面から責めるのでなく、どこまでも不思議そうな口調がかえって子供としては胸に痛いのでは。でも、オカンからもう一年頑張るよう連絡があったときの様子からするとあまり反省してるようでも・・・(笑)。
このオカンから連絡がくる場面ですが、オカンの電話を受けながら女と乳繰りあってるのが、実話を元にした話だけに、よくここまで描いたなとちょっと感心。

 

(つづく)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NEXT STEP

2008-08-20 01:24:11 | その他


以前にも書いたことですが、私が彼のファンになったのは2005年7月30日公開の『亡国のイージス』から。当時彼は18歳(翌月で19歳)、舞台挨拶の映像などで見る彼はとても綺麗な男の子でした。
その後まもなく19歳を迎えた彼を、雑誌記事や映像を通して追いかけながら絶えず思っていたのは、「この子がこんなに綺麗なのは今だけなんだろうな」ということ。
きっと格好いい大人の男に成長するのだろうけど、少年から青年への過渡期ならではの透明感を漂わせ、「綺麗」という表現が当てはまるのは今だけ、今が最高点なのだろうと――思ってたんですが・・・。

2007年11月、舞台『カリギュラ』の東京公演中に発売された雑誌(『Hanako』と『Samurai ELO』)の写真を見たとき、正直言うと「一体最近の彼はどうしちゃったんだ?」と真っ先に思いました。
『カリギュラ』の役作りで髪をかなり明るくしたせいもあるんでしょうが(そして久々に茶髪&長髪にした初夏ごろからその傾向は見えていたものの)、何だかますます――綺麗になったんじゃ? 
すでに8月で21歳になったというのに男っぽくなるどころかむしろ中性的に、綺麗になっていくというのは何なのかと首を捻ったものです。

その後も2008年1月期のドラマ『未来講師めぐる』、現在放映中の『四つの嘘』とさらに綺麗っぷりに磨きがかかってきてるような。
ファンになったばかりの頃、『イージス』パンフレットの白黒写真(18歳当時撮影のもの)を見つつ、「もう四、五年もして幼さが抜けきったら苦みばしったいい男になるだろう」なんて思ってたものですが、それから4年を経た現在・・・全然幼さ抜けてないです。
少年ぽさをいまだ色濃く留めたまま、いい男というより美青年に成長している。これは結構嬉しい誤算でした。

今日で22歳になる彼は、この先どんな顔を見せてくれるんでしょうか。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(2)-1(注・ネタバレしてます)

2008-08-18 03:14:09 | 東京タワー
・BGMも効果音もなく、静かなナレーションをバックに古い日本家屋の玄関を内から見た光景が最初の映像というのに、日本的情緒を大事に、エモーショナルな表現を極力抑えて描くこの映画のスタンスが象徴されています。

・上述の映像のまま、「それが5秒後、アバンギャルドなことになります」とのナレーション。観客の興味を画面に引きつけるのに実に効果的。
まあここで期待した分、思ったほどアバンギャルドじゃない気もしてしまいましたが。その後の「ゴジラ」のがアバンギャルドだな。

・幼いボクをかばいつつ(位置的に盾にしてるようにも見えてしまうけど)、オトンから逃れようとするオカン。
隣りの部屋にボクを逃がすあたりも、オトンはほとんど危険人物扱い。後のシーンを思えば怪獣扱いというべきか?

・障子ごしに、嘔吐するオトンの姿を見て、「ゴジラやー!」と叫ぶボク。
酒乱の父親が暴れ、止めようとした祖母を突き飛ばし、母親は息子をかばおうとして父の醜態の犠牲になるという、一歩間違えばかなり悲惨な家庭の修羅場をギリギリでコメディにしてみせる。
まあ酒乱といっても殴る蹴るするわけじゃないので、大迷惑なりにユーモラスさがあるんですが。ダメ人間だけど憎めないオトンのキャラが、このオープニングでもう確立されています。

・オトンの若い頃の写真に映っている建築中の東京タワーから、現在の東京タワーの夜景へ。東京タワーつながりで、自然な形で時代を移行する。
オトンの写真が白黒であるだけに、東京の夜景の鮮やかさが実に美しく華やかに見える。

・「それがまるで独楽の芯のようにきっちりと、ど真ん中に突き刺さっている。日本の中心に」 
原作の文章をほぼそのまま移したナレーションは、比喩が巧みで言葉の選び方も詩的。
ある青年の破天荒な半生を、こうしたロマンティシズムあふれる文体で描き出す。それが『東京タワー』と言う作品の大きな魅力のように思います。

・カメラが次第に東京タワーに寄ってゆく、その動きが螺旋を描くよう。「独楽の芯のよう」という比喩を体現するカメラワークが見事。

・病室の窓から東京タワーを眺めるボクとオカンの姿にボクのナレーションがかぶさる。
「東京に弾き飛ばされ故郷に戻っていったオトン」「帰る所を失ってしまったボク」「東京に連れてこられて戻ることも帰ることもでき」なくなったオカン、という台詞は、家族全員をそれぞれの形で不幸な、人生の失敗者と捉えているように響きます。
といってもめちゃめちゃ不幸とまではいかない、ごくいじましい人生を生きる小市民であると自嘲してる感じでしょうか。
ともかくも家を構え、オカンを引き取って養っているボクが、かえってその事でオカンを不幸にしたかのように思っているのがちょっと切ないです。
ちなみにオトンが東京から「弾き出された」という表現は東京タワー→独楽→遠心力、という連想が下敷きにあるのでしょうね。

・モノクロ&一部カラーの古い映像を組み合わせて、完成間もない東京タワーの姿を映す。高度経済成長に向かう時期の、一番輝いていた頃の東京タワーがすっくと空に伸びる姿にタイトル文字が重なる。
思うにオカンへの思いを軸にリリーさんの半生を綴ったこの作品(原作小説)のタイトルが『東京タワー』なのは、一人毅然と世界の真ん中に立ち、田舎の青年たちに強大な求心力を発揮している東京という街を象徴するタワーに、一人で息子を育てあげ、リリーさんの友人たちにも非常な人気を誇っていたオカンの姿を重ね合わせたからなのでは。

・オトンをフライパンで殴るオカンの髪が湿っているような。
前の場面ではそんなことないので、つまり髪を洗った→オトンの吐瀉物を頭から被った、という・・・。これは悲惨。

・オカンは幼いボクを連れて実家に戻る。直接の契機は描かれていないが、先のシーンからオトンの無軌道ぶりに愛想が尽きたのだろうと察せられる。
(『シナリオ 東京タワー』収録の初期脚本によると、二人が上手くいかなくなった原因は実はお姑さんにあったそうなのですが、その部分は映画ではカット)
この作品は、とくに幼少時代においてはこうした「理由が説明されない行動」が多いですが、それはリリーさん自身が本当になぜそうなったのかの事情を知らないからなのでしょう。
わからない事はわからないままに、そのかわりエピソードで「こういうことだったんだろうな」と観客に予測の余地を与える描き方がこの映画の特徴のように思えます。

・「通りゃんせ」を歌いながら手をつないで線路を歩くボクとオカン。この場面は後に大人になったボクがオカンの手を引いて東京の横断歩道を渡る場面で至極印象的にリフレインされます。

・荷物が満載のリヤカーを引く老母に「おかあちゃん」と明るい笑顔で声をかけ、自分のトランクをリヤカーに載せて後ろから押して歩くオカン。
出戻りの娘を何も言わず自然に受け入れる母と、何ら引け目のない笑顔を見せるオカン。無言のうちに母子の揺るぎない絆を感じさせる秀逸なシーン。

・トロッコに小動物を轢かせて遊ぶ男の子たち。
ボクが他の子と同じようにランニングシャツ一枚の姿なのは、ナレーション通りに筑豊の生活に馴染んでるのを思わせますが、一人だけ坊ちゃん刈りなのは都会(小倉)育ちの名残りですね。

・ウサギを轢かせようとしたものの、ぎりぎりで助けて抱いて歩くボクの姿に、「いくらハジけたガキでも少しくらいの分別はあったのです」のナレーションがかぶさる。
カエルはまだしもウサギは助けるのが分別、という考え方にはいささか愛玩動物偏重の子供らしい偽善性を感じますが、同時に将来ウサギを飼う(ウサギ好き)の伏線でもあります。

・上記のシーンをイラストに起こす、という形で舞台を現在に転換。ボクはイラストレーターでもあるので、ごく自然な流れで上手い。

・「オカンはピラミッドの頂点やからねえ」。 
一番偉い(上にいる)から誰からも怒られない、という意味ですが、ピラミッドという比喩は、都市を代表する高い建築物という点で、この作品の要である東京タワーを想起させる。
先に東京タワーはオカンの象徴と書きましたが、ここでオカン=ピラミッド(の頂点)という表現が出たことで、さらにその象徴性を強調しています。

・立て膝で花札に興じるオカン。作品の前評判で、オカンは母性愛の塊のような人なのだと思っていたので、この博徒のような姿に最初ちょっと衝撃を受けた。
オカンのキャラクターが通りいっぺんでないのは、さすがに実話ならではのリアリティー。

・夏休みを小倉の家で過ごすボク。久しぶりに息子が来ているというのに、オトンは張り切って遊びに連れていってやるでもなく部屋でだらしなく寝転んでいる。
このへんのマイペースさがいかにもオトン。

・ボクのために船の模型を作ってやるものの、なぜか完成間近で放棄して酒を飲みに出かけてしまうオトン。
この「才能はあるのにあと少しのところ投げ出してしまう」行動が見事にオトンの性格を象徴している。

・労働者が集まるオカンの店にサラリーマン風の男が入ってくる。
オカンたちとの会話からすれば常連さんなのに、彼がやってくると他の男客が黙ってしまうのは、明らかに場違いな風体の男に反感を抱いてるんでしょう。
もしかするとそれに加えて、彼らのマドンナ的存在(たぶん)のオカンとこの男がアヤしいような気配を感じとっているのかも?

・男と会うためにいつになく化粧をするオカン。鼻歌を歌いながら鏡に向かっている姿に、男とのデートに胸ときめかせている心情が見てとれます。
続けて煙草をふかす仕草と表情は、赤い口紅のせいもあっていつになく「女」を濃厚に感じさせる。
しかしボクにどこへいくのか問い質されると口ごもり、連れていけとせがまれたでもないのに「あんたも行く?」と言ってしまうあたり、子供もあり夫とも正式に別れていない自分が恋愛することに多分に迷いを持っているのでしょうね。

・車の中では男もオカンも口をきかず、重苦しい沈黙だけがある。差し向かいでお茶を飲んでる時も、オカンと男の間で会話が弾んでるようでもない。
この言葉のなさと、ボクにゲームをさせておいて宿泊施設のある階に二人で消えるあたりの淡々とした流れに、もしかしたら二人の間は恋愛ではなくもっと割り切った関係だけなのかとも思ったんですが、先にオカンがメイクしてる時のうきうきした様子からすれば、子供を連れてきたオカンの、恋愛に躊躇する気持ちを感じ取った男がやはり躊躇してしまって、それがこのぎくしゃくした雰囲気になったんじゃないかと推測。
少し後でボクに彼との関係を聞かれたとき、「あんたお父さんのこと好きね?」と尋ねるあたり、再婚もちょっと念頭にあったようだし。

・オカンを捜し回るボクの姿をナレーションは「ぐるぐる、ぐるぐる、ボクはオカンを捜した」と形容する。
この「ぐるぐる、ぐるぐる」というのは、オープニングの東京タワーのシーン(原作)でも登場する表現で、東京の中心に聳えるタワーとボクの心の中心にいるオカンの存在がダブらせてあるのがわかります。

・オカンの姿を見つけ「お母さん!」と叫んで抱きつくボク。ボクがオカンを「お母さん」と呼ぶのはこのシーンだけ。
オカンを捜す様子を長々と描いていることも含め、ボクのオカンに対する愛情を強く示した場面です。

・しがみついてきたボクを抱きしめたオカンは「帰ろうか」とつぶやくように言う。
ボクがいなくなったのに気づいていたのかどうかわからないが(当然気づくと思うのだがその割にはあわててなかった)、ここの時点で、オカンは女としての自分は捨てて、あくまで「オカン」であろうと決意したように思えます。
帰りの車も相変わらず全員無言ですが、行きと違ってボクがオカンの膝に頭を乗せオカンが肩を抱くようにしてるのが、二人の揺るぎない絆を示しているようです。

・夜中に台所で糠床を掻き混ぜるオカン。なぜこんな時間に、とボクに聞かれて、食べる時間から逆算すると今が一番よく漬かる、と答える。
家族の食事のために眠いのを我慢して働く姿は、いかにも古い日本の「母」らしさを感じさせる。
オカンの女の部分を描いたエピソードのすぐ後にこのシーンを持ってくることで、オカンが女であるより母であることを選んだのが改めて示されている。このへんの繋ぎ方は秀逸。

(つづく)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』(1)(注・微妙にネタバレしてます)

2008-08-15 03:16:20 | 東京タワー
今は亡きお母さんへの思いを主軸に自身の半生を綴ったリリー・フランキーさんの同名小説を映画化。
スペシャルドラマ、連続ドラマ、舞台にもなった大ベストセラーだけに世間の注目度も高く、映画雑誌など方々で特集が組まれたりしたものです。

2006年の秋ごろだったか、ロケに参加したエキストラの方が自身のブログで、勝地くんが撮影に参加していたと書いてらしたのを読んで、以前勝地くんがおすすめ本として『東京タワー』を挙げていたこともあり、確度の高い情報として密かに期待を寄せていました。

その後公式サイトがオープン、キャストの写真一覧を見て確かに勝地くんが出演してることを確認したんですが・・・髪型が衝撃的すぎた。
モヒカンってあなた。(当時原作未読だったので、モヒカン頭の人物がいるとは思ってもいなかった) パソコンの前でたっぷり一分間は抱腹絶倒しました。
キャストの髪型で見るのをやめようかと悩んだ映画は初めてだ(笑)。

などと思いつつも2007年3月、翌月の全国公開に先駆けて行われた試写会のチケットをとある方からお譲りいただき、いそいそと見てまいりました。

結果・・・見てよかった、とつくづく思いました。
2時間半近い長さのストーリーを淡々とした描写で見せるため、正直集中力が切れるところもありましたが、自堕落だけど気の優しい母親思いの青年とひたすらに息子を思う母の物語を、過剰にならず抑えた演出で描く手法はとても好印象。
大仰な仕掛けで誤魔化すことのできない作品だけに、メインの役者がヘタだとグダグダになりかねないところですが、主演のオダギリジョーさん、オカン役の樹木希林さんをはじめとするキャスト陣――ケレン味なしに演技力で観客の心を掴むことのできる俳優さんたちが揃ったことで、しっとりした情感を持った映画に仕上がったと思います。

そして勝地くん演じる平栗くん。てっきり小泉今日子さんや宮崎あおいちゃんのようなカメオ出演なのかと思っていたので、思ったより出番が多い&重要なポジションだったのが嬉しかったです。

平栗くんは原作には登場しない(つまり実在しない)キャラクターで、ボクの後輩「バカボン」を土台に幼馴染の「前野」のキャラを融合させ、プラスいろんな要素(オカマのゲイとか)を付け加えたものだそう。
舞台挨拶で松岡錠司監督が勝地くんを起用した理由について「何でもできる役者ということで、以前から目をつけていた」と仰ってたそうなので、

「平栗役、高校から30代まで一人の役者で通しちゃおう。勝地なら何とかするだろ」
→「どうせならフラッシュダンス踊らせるか。勝地なら何とかするだろ」
→「平栗、オカマのゲイ設定にするか。勝地なら(以下略)」

のような過程で平栗くんのキャラが出来上がっていったのかなーと妄想。

昔から勝地くんは実年齢より上の役を演じることが結構多いですが、30代というのはさすがに初めてだったはず。
それだけに「20歳の勝地涼がオダギリジョーと同じ年というのは無理がある」という感想も大分見ましたが、個人的には不思議なほどに違和感を感じませんでした。

初登場時は高校生(回想場面)、直後に30代(現在)、後にボクと東京で再会→同居する20代(モヒカンスタイルはこの時期の髪型)、再び30代と年齢が移り変わってゆきますが、ちゃんと各年齢にあわせた役作りがなされている。
高校の時はカマっぽいキャラだからというだけでなく20、30代に比べて声が高めだし仕草の可愛さ度合いも高い。
その後、ボクと東京で再会し『フラッシュダンス』を踊ってみせる20代の彼には、自分の可能性を(ボクによるナレーションを聞くかぎり到底見込みがありそうではないのに)根拠なく信じて突き進める青年期の無鉄砲な若さが溢れていました。
そしてダンサーの夢は破れたものの自ら店を構えるまでになった30代の平栗くんにはしっとりした落ち着き、数々の苦労を乗り越えてきた人間ならではの深み――年輪のようなものを濃厚に感じました。
こんな円熟した雰囲気を弱冠20歳の若者が醸し出せるとは。改めて彼の表現力に舌を巻いたものでした。
(さすがにお葬式の場面だけは喪服着用のため服装でごまかせないので、高校生みたいに見えちゃいましたが)

平栗くんはゲイ&オカマ設定のキャラですが、女言葉を使ったり男にしなだれかかったりのいかにもさがないので(やたらにボクの手や膝に触ってはいるが、決定的な言動がない)、単にいささかスキンシップ過剰な、ものすごーくソフトな性格の持ち主というようにも取れる。
だからでしょうか、私にとって平栗くん、とくに30代の彼は、すこぶる魅力的な大人の男性として映りました。
映画を見るまではあれだけモヒカンヘアが目に焼きついていたのに、実際に観た後印象に残ったのはもっぱらフラッシュダンスのシーンおよび30代の時のふわっとした髪型の彼。
当時女性的な平栗くんの男っぷりにすっかりメロメロになったものでした。

4月29日に行われた監督&勝地くんの舞台挨拶をご覧になった方によると、勝地くんは「ゲイということを意識するより、オカンやボクのことを大好きな心優しい男の子を演じました」と話していたとのこと。
演じる役を表層的な個性でなく(ゲイ&オカマという強烈な個性を持った役であってさえ)一つの人格として捉える勝地くんらしいコメントだなあとしみじみしてしまいました。
彼のこうした役に向かう態度が、特に内面を掘り下げて描かれてるわけでもない平栗くんを、あれだけ魅力的なキャラクターたらしめたのだと思います。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『新・愛の嵐』(2)-10(注・ネタバレしてます)

2008-08-12 02:44:30 | 新・愛の嵐
〈第20回〉

・「あの花を捨ててちょうだい」。 
最初は単に、花はお花の名前に通じるので見たくない、ということかと思ったんですが、「美しいものは見たくないの」と続くので、本当に人生真っ暗闇な気分になっているのでしょうね。
気位の高いひかるにふさわしい絶望の表現だと思います。

・伝衛門にお花と所帯を持つ気があるかと聞かれて、「生意気を言うようですが、お花と二人きりで話しをさせて下さい」という猛。
当初の自失から覚めた後も崇子先生の時のように自分はやってないと言い立てないのに、目の前でブラウスをひきちぎった崇子先生と違いお花が自分を陥れようとしてるとは思えない(理由もない)のを考慮して、いきなり騒ぎ立てずにまずはお花に事情を確認しようという猛の冷静さと思いやりがうかがえます。

・涙ぐみつつ猛への想いを切々と語るお花。お花役石井春花さんの名演技が光ります。
そんなお花を見る猛にも今までにない同情の色がある。でもあくまで同情どまりであって愛情にはならない。
ひかるを想う時の切ない表情との違いがはっきりしていて、その表現力はさすがだと思います。

・「そんなに私がきらいですか」とお花に問われて、「そんなことはない」と言った否定の言葉を発せずにただ顔を背ける猛。
嫌いとは言わないまでも全く眼中にないことを言外に表明している。
情にほだされて多少なりとも相手に愛情を抱くということができない(一緒に暮らす、あるいは暮らそうとするまではできても)、どこまでもひかるしか愛せないあたりは、第三部に至っても変わりませんでしたね。

・お花を抱いていないとあくまでも主張する猛。
文彦があれだけお膳立てして、猛が酔った勢いでお花と関係を結んだと信じるよう仕向けたというのに、猛は泥酔中の自分の行動にさえ一切の疑念を抱かない。
このへんの自信はちょっとすごいかも。

・いきなり手拭いを持って文彦のもとへ向かい、「あんたが仕組んだんだな」と詰め寄る猛。「あんた」呼びにすでに激しい憤りが感じられます。
対する文彦の「おれは知らないよ~」の言い方も実に憎憎しい。知らないと言いつつ暗に猛の言葉を認めてる態度は、最初から猛を怒らせるのも殴られるのも(猛を悪者に仕立てるために)覚悟していたのが分かります。

・文彦は一切を暴露してやると猛を脅迫。どう考えても事が表沙汰になれば文彦もただではすまないだろうに、「恥をかくのはお花だぜ」とはひどい。
猛が自分を慕う女を、自分は惚れてなくても晒し物にはできないと踏んでの悪辣なやり口。18そこらで驚くべき下衆っぷりです。あの旦那様の息子だってのに。

・姉さんかぶり?で猛の部屋を掃除し、訪ねてきたひかるに藁座布団を勧めるお花。
もうすっかり奥さんのようです。

・「申し訳ありません」と真っ先に頭を下げるお花に「やめてそんなことしないで」というひかる。
猛を奪ってしまって申し訳ありません、という詫びはひかるに恋の敗者であることを突きつける行為であり、ひかるとしてはより惨めにならざるを得ないからですね。
そして実はお花もそれを承知であえて詫びてみせたのでは。言うなれば勝利宣言。
お互い相手を気遣う風を見せながら、その実密かな火花が二人の間に散っています。

・ちょうど部屋にやってきた猛は目を伏せてひかるに会釈する。
そのよそよそしい態度も、もう猛が自分のものではないと思い知らされるようにひかるには感じられたことでしょう。

・「お花を幸せにしてあげてね」と思い出の貝を猛に手渡すひかる。
これまで猛に執着するあまり猛本人も周囲もさんざん振り回してきたひかるが、意外にも見事な身の引き方を見せる。
逆に普段はひかるの我が儘をなだめる側の猛が、ここで俄かにキレて貝を床に叩きつけて砕いてしまう。
もはやお花と一緒になる覚悟を固めていたのでしょうが、ひかるにあっさり身を引かれると「その程度の気持ちだったのか!?」と責めたくなったのでしょう。
お花と結婚すると決めても変わらずひかるを想うがゆえの葛藤がこの乱暴な行動に露で、見ていて痛々しいです。

・「お花、俺のことが好きか」と尋ね、「大好きです」と答えたお花を無言で抱きしめる猛。
お花の名誉を守るために真相を表沙汰にしないというだけではなく、彼女と結婚すると決めたのには、お花の言うようにひかるへの恋は叶うことはまず考えられないだけに、報われぬ想いに疲れたのも大きかったのでしょう。
自分が苦しい恋をしているからこそ、自分に片思いしているお花の苦しさも理解できる。
彼のお花への同情とひかるへの愛の間での葛藤が、お花を抱きしめるときの苦しげな横顔に表れていました。

・伝衛門にお花と結婚する意志を伝えた猛は、祝いの宴の席を設けようと言う伝衛門の言葉に「まだ半人前だから」と断りを入れ、伝衛門も「そうか」とあっさり話を切る。
猛とひかるの絆をたびたび思い知らされてきた伝衛門には、今回の結婚ははずみでお花とできてしまった責任を取るためのもの、と了解されてたんじゃないでしょうか。絹も「猛は男として責任を取ったのです」と言っていたし。
そして猛が「いつかきっと三枝家のためにいままでのご恩を返したいと思っています」と続けるのは、所帯を持って一人立ちするにあたり「今までお世話になりました」とひとまずの礼を述べたということなんでしょうが、猛がお花と結婚する=ひかると結ばれないことで、文彦の立場が安泰(と文彦は思っている)になり、ひかるとの恋が絹をはじめとする周囲に迷惑をかけることもなくなる、その意味でこの結婚自体が三枝家への恩返しになりうるというニュアンスもあったのでは。
しかし伝衛門からも絹からも「責任を取るために」いやいや結婚するんだと思われてるお花が可哀想。

・ひかるのバイオリンをじっと聴いている猛を後ろに立つお花が見つめている。猛の表情にはひかるへの思慕が明らかに滲んでいる。
お花の位置からは猛の表情は読み取れないかもしれませんが、状況と佇まいだけでも、お花は猛の感情を正確に察知しているんじゃないかと思います。

・「そして二人の夏に終わりがやってきました」というナレーション。
第二部がたかだかひと夏の出来事だったことに驚く。そういえばずっと夏服だったっけ。
ひと夏のちにレイプ未遂二回(うち一回は冤罪)と夜這い一回(冤罪)が起こったうえ、最後には結婚問題まで・・・。忙しいな三枝家。

・文彦に文学を学ぶために2年の猶予を与える伝衛門。
文学を続けるために猛を陥れた(猛が所帯を持つことと文彦のモラトリアム続行の因果関係はもひとつよくわからんが)文彦にしてみれば願ったりの展開。
しかし伝衛門は三枝家の跡取りが文学の道で(第三部からすると小説家として)成功するのはOKなんでしょうか。

・猛の背中に傷跡があることを明かしてお花を抱いたのは猛じゃないと喝破するひかる。
「私をかばって出来た傷」とわざわざ言い添えるところに、猛が一番大事に思ってるのは自分だと顕示したい心境が見えます。
しかし「醜い」傷って言い方はひどくないか(笑)。お花の言う「綺麗な背中」への反論だからそういう表現になるんだろうけど。

・お花をなじりながらひかるも落涙する。興奮のあまりなのか、それとも自分のせいで一気に恋の勝利者から転落したお花への同情と済まなさからか。
結果的にひかるは、お花の名誉を守るために黙って結婚しようとした猛の心を無にしたとも言えますね。

・自分を抱いたのは文彦だと告白したお花を、下女たちが「バカバカバカ!」と責める。
これは文彦坊ちゃんを差すような発言をしたことに対してか、兄の情事を14歳の少女の前でバラしたことにか。
あるいは嘘をついて猛と結婚しようとしたことに対してなのか。

・「お嬢さまは何もかもご存知です」というお花。しかし言われた猛の方が何もかもご存知じゃないので、意味わかったのだろうか。
正確には猛は文彦がお花を利用して自分をはめた事情を察してはいるが、「自分が事情を察してることをお花が知っている」とは思っていないはずなので、「何もかも」ってどの程度?という感じでしょう。

・明日ひかるが東京へ行くことを告げて、短い別れの挨拶とともに走り去るお花。
下女たちにも文彦と契ったことがバレてしまい、それにともなって猛と予定通り結婚するわけに行かなくなったからというだけでなく、お花自身が言うとおり、猛への想いの強さでひかるに負けたと感じたから潔く身を引くことにしたのでしょう。
しかしこの後お花はどこへ行ったのだろう。実家へ帰ってもまたいずれ売られてしまいそうだし。

・一人片頬を腫らして涙ぐんでる文彦。何ら状況説明はありませんが、事の真相が伝衛門にバレて殴られたのは明白ですね。
さすがに責任をとって文彦がお花と結婚するよう命じられるといった展開にはならなかったようですが。
旧作ではここのくだりで、文彦に責任を取るよう言わない両親をひかるが不公平だと責める場面があったんですが、そのエピソードはすっぱり切られてます。
尺の問題という以上に、伝衛門が狡く見えてしまうからでしょうね。

・ひかるの旅立ちを祝う宴の席。明らかに地元の名士と思われる人たちが参列していて、やはり地主のお嬢さまともなると違うよなあ。

・いきなり宴席に現れた猛は、ひかるに歩みより先に壊したのと同じ貝殻を差し出す。
ひかるが貝を返し猛がそれを割ることで一度は断ち切られようとした二人の絆を、再び(ひかるとの関係に引き気味だった)猛から繋ごうとしている。
すっかり薄汚れたなりに、彼が苦労して貝を探し出してきたのが反映されています。
しかし一使用人である猛の、いかにもお嬢さまと何かありげな行為は参列者の手前まずくないのかなあ。「どうかお気をつけて」という挨拶は一応使用人らしかったけれども。

・猛の名を呼ぶひかる。振り向く猛。二人の目に強い想いが輝いている。いよいよ参列者には二人がただならぬ仲だと思われたことでしょう。
そして宴席を放り出し(自分が主役だというのに)猛の手を取って走り去るに及んでは、ほとんどそのまま駆け落ちしかねない勢いです。
伝衛門はまだしも絹が思ったほど慌てずひかるを止めもしなかったのは意外。・・・多分驚きのあまりリアクションが遅れたんだと思いますが。

・「自分も仕事に打ち込みます。誰からも後ろ指を差されない立派な男になってみせます。それまで待っていてください。」 
ひかるにつりあう男になるよう自分を磨くという宣言。先に「私と仕事とどっちが大事」なのかと猛をなじったひかるへの返答ともいえます。
自ら身を引いたお花に勇気づけられたのか、日頃主家への遠慮ゆえにひかるの想いをかわし続けた猛の口から、おそらくは初めて出た二人の将来を「誓う」言葉なんじゃないでしょうか。

・猛にゆっくり歩みより口づけるひかる。
二人の立ち位置が妙に距離があるなと思ってたんですが、このシーンのためでしたか。ラブシーンは常にひかるがリードしてるあたりがこの二人らしい。
この場面、一瞬ですが本当に二人の唇が触れているのに驚きます。
当時勝地くん15歳、藤原さん13歳。若い二人の役者魂を感じてしまいました。

・唇が離れたあと、微妙に視線をそらしつつも、結局はひかるを見つめてしまう猛。その面映げな表情が何とも初々しい。
ひかるの方も猛の顔を見ようとしては目を伏せてしまう仕草が愛おしい。何ともピュアな美しいキスシーン。
第二部のラストとしても最高の場面になっていたと思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『新・愛の嵐』(2)-9(注・ネタバレしてます)

2008-08-07 02:06:17 | 新・愛の嵐
〈第19回〉

・夜更けに番小屋を訪ねてくるひかる。これじゃ夜這いのようです。
これで戸を開けてしまったら(それがバレてしまったら)、状況を問わず猛は確実に咎められるはず。いかに会いたいとはいっても、いささか無謀すぎです。

・懸命に鍬を振るう猛。ひかるのことを考えまいとするかのように。
こういうときの表情には先の切なさとは違う男の色気がありますね。

・おたきからひかるがちょくちょく夜抜け出して番小屋に行くと聞かされたことを絹は伝衛門に報告。
おたきはひかるが抜け出すのに気づいてるなら、何故ちゃんと止めないのか。部屋に外から鍵かけとくとか。

・お花に猛あての手紙をことづけた後、ひかるは鏡台に向かい唇に紅を塗る。猛を想う胸のときめきが映し出されているようです。

・猛が自分の渡した手拭いを使っているのを見たお花は、花開くような笑顔になる。
まあ猛は単に生活用品として重宝してるだけで、お花の想いなどまるで気に留めてないようですが。
しかし「お花」だったり「お花さん」だったり、呼び方が一定しないなあ。

・物陰でひかるの手紙を破るお花。
猛への恋のライバルというのを別にしても、貧乏な小作の子で遊郭に売られるところを伝衛門の情によって三枝家で働くことになったお花にしてみれば、猛の迷惑(ひかるがひっついてくるために絹に咎められたり回りから揶揄されたりする)も考えず、生活の苦労もなくただ恋にうつつをぬかしているお嬢様はそりゃ腹立たしいでしょう。
最初にお花をかくまい、伝衛門に彼女を助けてやってほしいと訴えたのはひかるなのに、お花が恩人と立てるのはもっぱら猛なのも、さほど年も変わらないのに天と地ほども境遇に開きのあるひかるへの嫉妬心が根底にあるように思えます。

・バイオリンを練習するひかる。腕前は・・・うーむ。
いっこうに姿を見せない(お花が手紙を握り潰したため、ひかるが待ってること自体知らない)猛に、「もう猛ったら」とふくれて見せるものの、「来てくれないということは嫌われたの?」などと不安がっては全くなさそう。猛が自分を想ってくれてる事自体は確信があるみたいです。
バイオリンといえば崇子先生はその後どうしたんだろう。あんなことがあっちゃ今さらひかるのバイオリン教師はできないだろうけど。

・番小屋に乗り込み、書類の上にバイオリンケースを乗せて(思い切り仕事を邪魔して)恨み言をつらつら並べるひかる。何かすね方が可愛いです。
「(ラブレターを)お前が取って置きたい気持ちはわかるけど」という台詞も自意識過剰っぷりがいっそ微笑ましい。
というかあれラブレターのつもりだったんだ・・・。単に呼び出し状だと思ってた。

・ラブレター返せ発言に対し、そんなものは知らないとは言わず仕事への情熱を語る猛。取り次ぎ役だったお花が何を思ってか手紙を渡してくれなかったことを察知したうえで彼女をかばったものでしょうか。
しかし男が人生かけて打ち込んでる仕事を邪魔するひかるは男にしてみれば相当鬱陶しい女じゃないかなあ。「私と仕事とどっちが大事」発言などドン引きものでは。そりゃあ「どうしてわかってくれないんですか」と言いたくもなります。
文彦ばかりでなくひかるも地主の娘として、白部村の利益は二の次みたいな態度は不適切ではないのか。まあまだ14歳だから自覚が薄くても仕方ないかな。
大人になってからは「白部村の子供たちのために」と音楽教えたりもしますしね。

・文彦の膝に汁物を引っくり返してしまうお花。猛に補佐役なんか務まるわけがないとの悪口を聞いて動揺したんでしょう。さすがにわざと(猛の悪口を言った仕返し)ではないでしょうね。
あわてて文彦の服を拭くお花を、文彦が薄ら笑いしながら見つめる。間近にお花を(うなじとか胸元あたりを)見て女癖の悪い文彦が食指を動かしたのと思ったんですが、後の展開からすると、彼女と猛をくっつける計画を思いついてほくそえんでたということなのかも。

・「男の人って仕事に夢中になると何もかも忘れてしまうものなの?」 父親に聞くとは(猛について質問してるのは見え見えなだけに)大胆ですねえ。

・猛は男として一回り大きくなれるか試練の時なのだから遠くで見守ってやれという伝衛門に、「そんなのつまらない」と反発するひかる。
ここで距離を置くことはひかるにとっても、女として一回り大きくなるための試練だと思うんですけどね。
この時の会話が、女としての教養を身につけるために東京の女学校へ行くことを承知する伏線になっていきます。

・早朝から水垢離するひかる。自分にも何か(猛のために)できることを、と考えた結果がこれというのがすごい。何かもう二人を引き離すのはあきらめた方がいいような。
しかし気持ちは買うものの、「私にはこれくらいのことしか出来ないんですもの」と言わず、それこそ料理とか裁縫とか(彼と一緒になるときのための)花嫁修業に勤しめばよいのでは。あるいは猛が先だって関心を見せていたワイン用の甲州ブドウの研究とかさ。

・番小屋で猛を待ち、今夜つきあわないかと誘う文彦。
聞かれもしないのに「俺はお前が補佐役に抜擢されたことなんか、これっぽっちも妬んじゃいないよ」とわざわざ言うあたり、かなり深刻に妬んでいる様子です。
そういえばこの間首を締められたことについては何ら恨み言を口にしませんが、全く根に持ってないんですかね。
このシーン、文彦の持つアイスキャンデーが見る間に溶け落ちてゆくのが笑えます。

・文彦が猛に夜這い計画を持ちかけると、話を聞いていた女給が甘い声を出して猛の方に引っつく。
前に文彦を送ってきた女もそうですが、不思議と金持ちの坊ちゃんな文彦より明らかに使用人な猛の方がもてるんですよね。
物慣れない様子がウブで可愛いってことなんでしょうが。

・「俺帰ります」と立ち上がる猛を文彦が押し戻して席に座らせる。この時の猛の体が傾ぐ感じがなかなかリアルで上手い。

・「夜這いってものは心身の鍛練のためにやるんだ」。すごい強引な理論だ(笑)。
まあ案外本気でこういう事思ってる人いそうな気も。

・夜這いを嫌がる猛に文彦は譲って「今夜は酒だけにしよう」とさらにグラスを勧め猛もそれに従う。
思うに文彦は本気で猛を夜這いに付き合わせるつもりはなく、夜這いの件で譲ってやることで猛に心理的な貸しを作り、それに乗じて酔い潰すのが目的だったんでしょう。
しかし猛が大人しく眠ってくれたからいいようなものの、派手に吐かれたり酒乱で暴れられたりしたら目も当てられなかったな・・・。

・猛のふりをしてお花に夜這いをかける文彦。
お花は途中で「猛」の正体に気づいたものの、言う通りにすれば猛と一緒にしてやると言う言葉に唆されて抵抗を止め目を閉じる。
主家の若様だから逆らえなかった(ここを追い出されたらまた遊郭に売られかねない)部分もあるでしょうが、それだけ猛に対する執着が強かったのですね。健気というか痛々しい。
目を閉じる直前の、涙をいっぱいに湛えた目が悲しいです。

・しかし文彦は猛とお花をくっつけるだけなら、実際に夜這いをかけなくともお花を言葉で説得して、猛と寝たという嘘の証言をさせれば済む話である。
それをあえて実事に及んだあたりは・・・ついでに美味しい思いをしようと考えたんだろーな。

・お花の父が訪ねてくる。「お花は今朝そちら(親元)へ帰ったはず」というのは、夜這いかけられた後、朝になってから何か理由を言い立てて一時的に実家に帰らせてもらったってことでしょうか。

・笑顔でやってきてお花と猛の縁談に「お花、おめでとう」などという文彦。お花は無言で目をそらすが、無理もない。

・お花の父が来てると聞いたひかるは、「いったい何があったの?」とあわてた風でやってくる。
訪問の目的は知るべくもないはずですが、前にお花を売ろうとした経緯があるので、またろくなことじゃないと直感したものでしょうか。

・「旦那さま、俺に何か」と部屋に走りこんでくる猛。何の不安も迷いもない表情が見てて辛いです。

・先からきまり悪そうな顔をしていたお花は、猛がきょとんとしてる様子についに泣き出してしまう。それだけ後ろめたさがあるわけですよね。
こんな形で猛を手に入れたって幸せにはなれないと思いますよ・・・。

・いきなりお花の父から結婚の約束をしながら知らんぷりをする気かと責められる猛。
お花との関係を肯定も否定もしてない(ぽかんとしてるだけ)うちから責めるのは早くないか。

・お花が、猛と契りを交わしたことに間違いないと言うのを聞いた猛。「お花!?」と言う少し間の抜けた声から、驚くというより本当にあっけにとられている感じが伝わってくる。
その後ひかるが入ってきたときの「まずいところを見られた」という表情も、気絶するひかるを棒立ちで見つめるのも、自分の理解の及ばないうちにどんどん進行する事態に呆然としているのがよくわかります。

 

(つづく)

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『新・愛の嵐』(2)-8(注・ネタバレしてます)

2008-08-03 03:15:23 | 新・愛の嵐
〈第18回〉

・先頭に立って土砂を掻き出す大活躍の結果、倒れてしまう猛。やっぱり絶食後にこれは無理があったか。
意識のない猛にすがって泣くひかるの姿を追う中で、一コマお花のカットが挟まれますが、これは猛に抱きついて泣くことのできるひかるを、うらやましく思う心情を描写したものでしょう。

・猛を肩に担いで軽々運ぶ伝衛門。さすがは旦那様、格好いいです。

・眠る猛を振り返りつつ部屋を出ていくお花。
猛のハンストを止めさせられなかった自分の猛に対する無力を思い知るほどに、かえって彼への叶わぬ想いが強まっているようです。

・小作人の大事にもかかわらず悠然と本を読んでいた心構えのなってなさを責められた文彦は、猛を逆恨みする。
この一連のシーンは、頬の引き攣らせ方や目線の動きなどで、見事に甘ったれたお坊ちゃんを表現してみせた藤間くんの演技力が光っています。

・猛の部屋を見舞うのを止められて、「お母様こそ不謹慎なこと考えてらっしゃるんじゃありません?」と言い通すひかる。
友春と崇子、二つのレイプ事件を通して大分大人びた口をきくように。しかしその言葉の内容と対照的に表情はすねた子供然としている。
おませだけどまだ幼い年相応の潔癖な少女の顔をしてます。

・「猛猛!何かっていうと猛だ!」 繰り返しながら斧を振るう文彦。
薪割りの作業に怒りをぶつけてるのかと思えば、薪割り用の台?を無駄に斬りつけている。ちょっと鬼気迫るものが。

・猛の部屋を覗いて、お花が意識のない猛の手を握るのを見てほくそえむ文彦。「思いがけずいいものを見た」という感じ。
本来何をするつもりで猛の部屋へ行ったんだろう。先の薪割りシーンがあるので、つい「闇討ち?」とか思ってしまう。

・絹が倒れたのは自分が悪いのだというひかるに、「自分の思いに回りを巻き込んで傷つけてはいけない」と諭す伝衛門。
身分違いという観点から咎めないのは、先の和尚の言葉が身にしみているからでしょう。
猛とひかるの関係をどうすべきかについての考えも少しずつ変わってきてるのでは。

・文彦がどれだけ献身的に自分の世話をしてくれたか嬉しそうに語る絹。それを受けて伝衛門が文彦に目をやると、意外にも文彦は決まり悪げに視線をそらす。
てっきり親に取り入るためにことさら絹の世話をしたのであって、ここで如才なく親思いの息子ぶりを伝衛門にアピールするかと思ってたんですが。
父の迫力に押されてそうした目論見が後ろめたくなったのか、逆に心から母を思っての行動だったがために、日頃の自分とのキャラの違いに自分で照れくさくなったのか。

・「お母様はあなたがたを生んで本当によかったと思ってます」と絹は子供たちに言い、二人もそれに頷く。
このとき文彦の左目にかすかに涙が光っている。やはりさすがの文彦も母への情だけは本物ということでしょうね。
第三部を見ても情けない男なりに両親や奥さんを愛してましたし。

・「あとはわしが見る」という伝衛門に猛をまかせて部屋に下がるお花が、後ろ髪を引かれるように猛を振り返る。
先から何かとお花のアップが多いのは、今後の展開に向けて彼女の猛への想いをしっかり見せておくためでしょう。

・猛の額の手拭いを外して手を当てる伝衛門。その手つきも眼差しも実の息子に対するかのよう。
ここで幼年期の物語の回想が入る。息子とも思うものの息子ではない猛の処遇をどうするか、手元に置きたいがそれが猛のためになるのかを真剣に思い悩んでいるのがわかります。

・事故のさいの活躍を誉められた猛は、「考えるより先に体が動いてしまうんですね。俺頭悪いから」とはにかんだ、でもどこか得意気な笑顔を見せる。
このへんの行動力は頭でっかちに文学を振り回したがる文彦と好対照(もっとも小学校の成績は猛の方が良かった)。
猛が本当に自分の(死んだ二人目の)息子だったらよかったのに、と伝衛門は思ったでしょうね。

・何でもいいから現場に出たい、白部村の役に立ちたいと繰り返す猛。つくづく文彦より猛の方が後継ぎの器ですねえ。
猛がひかるの婿として三枝家を継ぎ、文彦は財産を貰って東京で文学するのが一番丸く収まると思いますが。

・将来文彦の補佐役となるために、あらゆる事を経験してほしいという伝衛門の言葉に、「旦那さま・・・」と呟く猛。
その目の黒曜石のような澄んだ輝きに、思わず圧倒された。旦那さまへの一途な敬愛の念。
この人のために尽くすという強い意思を感じさせます。

・現場の仕事のため朝早く夜遅い生活に対応するには、いつもの部屋より番小屋の方がよかろうと言う伝衛門を、猛はちょっとためらった様子で見やる。母屋から追い出されるような気分になったのでしょう。
実際伝衛門が何となし済まなそうな顔をしているので、猛とひかるの仲を案ずるあまり倒れた絹を思いやってか、二人に距離を置かせようという意図はあったんでしょうね。
結局、和尚の問いかけ(猛をどうするつもりか)に対して、「文彦の片腕、しかし婿ではない」という位置に置くことを決めた様子。しかしあの文彦を補佐するってすごく嫌な役回りだ・・・。

・夜、ひかるの部屋の前で一人「お嬢さま・・・」と呟く猛。
母屋を出るにあたって、ひかるのことは忘れて仕事に専念しよう、伝衛門の信頼に答えようと腹をくくったので、最後の別れに来たという感じなんでしょう。
でも一人言でさえ「お嬢さま」なんですね。

・上述のひかるへの別れの直後、猛はお花から手製の手拭いを渡される。
でも猛は「ありがとう」と淡々と言うだけ。彼女の気持ちはさっぱり通じてないですね。

・猛が番小屋に引っ越しただけのことで、文彦を「お兄さまがだらしないから!」と罵倒するひかる。あとで猛にとばっちり行くからやめてー。

・仕事で疲れ番小屋の床に仰向けに寝転がり、ひかるとの思い出を反芻する猛に、「今ひかるの事を考えておったな」と思い切り図星を指す和尚。
猛も「はい」とあっさり答える。和尚には本当素直ですね。

・和尚が出て行ったあと再び床に寝転がる猛の、天井を見つめる横顔が何とも言えず切なく、不思議な色気さえ感じさせる。
猛は16歳設定にもかかわらず多分に男の色気を漂わせるキャラクターですが、この場面での色気はむしろ少年の澄んだ色気。
男の色気と少年の色気の双方を兼ね備えているというのはある意味最強では。

 

(つづく)

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする