about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『永遠の仔』(2)

2007-02-26 23:17:53 | 永遠の仔
さて演技面はというと、当時のドラマレビューなど見ると子役三人の評価は概して高い。
児童虐待というテーマ、現在と少年時代を行き来するストーリー形式から、子役にかかる比重は非常に大きく、彼らの演技が駄目だったらドラマ全体のクオリティが甚だしく下がったことは疑い得ない。
スタッフの、いい作品を作ろうとする意欲からいって、当然子役も演技力最優先で厳選したものと思われます。
デビュー早々でその中に入ったというのは結構すごいのでは(主人公・優希の少女期を演じた邑野未亜ちゃんと勝地くんは同じ事務所ですが、この作品は事務所つながりのキャスティングはやらない気がする)。

一つにはビジュアル的要因も大きかったと思います。当時の彼が持つどこか陰のある、儚げな雰囲気があの役柄には合っていた。
それと、笙一郎を演じた渡部さんと顔立ちがどことなく似てるんですよね。実際「この二人が似ている」という意見はあちこちで見かけました。 
正直最初は「そんなに似てるかなあ?」と思ってたんですが、モウルがアロハシャツをずたずたに破くシーンで鏡?に映ったモウル(勝地くん)の顔が現在の笙一郎(渡部さん)の顔に変じる形で回想から現実に戻る演出があったさい、二人の顔が切り替わった瞬間がわからなかった。
その時「やっぱり似てるんだなあ」としみじみ感じたものでした(今じゃ見返すたびにそっくりすぎて驚いてます)。

勝地くんにとっては渡部さんと共演(同一人物の昔と今なので一緒のシーンは当然ないけれど)したという意味でも忘れられない作品だと思います。
何でも撮影終了後に子役三人で渡部さんのところに挨拶にいったら、「少年時代を演じたのが君だったから、俺もあの演技ができた。ありがとう」(概要)と抱きしめられたのだとか。
これは子供心に相当嬉しかったでしょうね。以来ずっと「好きな俳優は?」という質問に「渡部篤郎さん」と答え続けてるのもわかろうものです
(もともと勝地くんのお兄さんが渡部さんファンで、家でよく渡部さんのモノマネとかしていたそうで。勝地くんの渡部さんのモノマネはお兄さん直伝?)。 

ビジュアルがプラスに作用する一方ネックになっていたのが、声。これはもうこの時期の男の子は仕方ないんですけどね。
普通に喋る場面はいいんですが、叫んだり感情をこめて喋る部分になると声が割れてしまう。
互いの心の傷を告白しあうシーンなどかなりひどい声になっちゃってました(浅利くんのほうも、ちょっと台詞がこもり気味で上っ滑りする感じでした。表情がいいだけに惜しいなあ)。
16歳あたりからすっかりいい声に落ち着いて、今や声が彼の大きな武器になっていることを思うと隔世の感があります(大げさ)。

最後に個人的に好きな場面について少し。
勝地くんが出てるということを抜きにしても少年時代のパートの方がより好きだったりするんですが、なかでも三人が森へ入ったさい川で水遊びをするシーンは格別。
川へ向かう途中の、木々の間から差し込む太陽の眩しさ。水遊びに興じる彼ら、とりわけ優希のいつになく翳りのない笑顔。日の光を映して揺らめく水の透明感。空に放った飛沫の煌き。
全てがきらきらと、静かで澄んだ輝きに満ちていた。深い傷を抱えた彼らの本当に短い幸福な時間。刹那の輝きとわかっているからこそ、その美しさが心に残ります。

この場面に限らず、「ルフィン」という通称の由来になったホースを抱えて暴れるシーン、三人の出会いとなる海のシーンなど、優希には水にまつわる描写が非常に多い気がします。
ドラマ独自のラストで海辺の町が登場することからしても意識的にそうしてあるのでしょう。
最後の手紙にもある「少しも汚れてはいない」「あなたの魂は、美しいまま」なのを象徴するものとしての「水」なのでしょうね。  

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『永遠の仔』(1)

2007-02-23 01:25:57 | 永遠の仔

2000年日本テレビ系で放映。2005年11月ごろにCSの再放送で見ました。勝地くんは渡部篤郎さん演じる長瀬笙一郎(モウル)の少年時代を演じています。 

原作も相当重い、辛い物語でしたが、映像になるとまた格別。とくにメインの三人をはじめ達者な俳優さんばかりを集めていただけに、個々のシーンの痛ましさが増幅した感があります。
あまりの重い内容ゆえに途中で大分視聴率が落ちたらしいですし。
にもかかわらず変に妥協することなく、基本的に原作に忠実に作品を作り上げたスタッフの意気に拍手を送りたいです。

尺の関係上エピソードをかなり削ってはありますが、一部の設定変更を除けばストーリーの流れは変わっていない。
逆に後述のアロハシャツのシーンのように原作では数行で説明されるだけのエピソードを膨らませた名場面もある。
全体としての内容の濃さ・深さはやはり原作に軍配が上がると思いますが、エピソードの取捨といい描き方といい、ドラマという別メディアに物語を移植するうえで、最大限原作の魅力を残し、かつ映像ならではの魅力を加味した、ハイクオリティな出来栄えを保持したといえるのでは。
だからこそこのドラマが今なお高い評価を受けているのでしょう。
勝地くんも「『永遠の仔』で演じる楽しさに目覚めた」とたびたび話していて、キャリアのごく初期で彼がこの作品に巡りあえたことに感謝したい思いです。  

さて勝地くんについて。デビュー間もない13歳の彼は、十二分に現在の面影があって、第一話で彼が出てきた時、二人の男の子のどちらが勝地くんなのか一目でわかりました。 

にもかかわらず同時に「え、これが?」とも感じてしまった。
なんというか、19歳(当時)であれだけ可愛いんだから、13歳なんて言ったらさぞかし可愛らしかったんだろうと思ってたんですよ。 
いやもちろん可愛いことは可愛いんですが、想像していたような子供子供した可愛さではなくて、むしろ「綺麗」という表現がふさわしいような端整な面差しの少年がそこにいました。 
といっても「女とみまごう~」というのとは違う。太くはないけれど濃い眉は凛々しく、年のわりに高い身長(ほぼ同時期撮影の『六番目の小夜子』時の
プロフィールには165cmとある)とあいまって、かっこいい、大人っぽい印象。
けれど同時にとても繊細そうで・・・・・・要するに幼くても勝地涼は勝地涼だった。13歳の彼に男っぽさ3割増し・幼さ2割減・可愛さ2割増しで現在の彼の顔になる←今のほうが可愛い(笑)。
  

あとジラフ役の浅利陽介くんと並んだ時の身長差に感動しました。
身長のみならず、彼らの外見は原作の二人の描写(「身長は低いが、俊敏そうなからだつきで、目鼻だちのはっきりした童顔」のジラフ、「一重まぶたの切れ長の目は、聡明そうな輝きを宿している」「やや背の高い、やせた少年」のモウル)ほとんどそのままだった(勝地くんははっきりした二重なので、その点は違うけど)。
まさに原作から抜け出てきたかのようでした。 

(つづく)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『Relax』

2007-02-19 22:06:25 | 雑誌など

2005年10月発売の『Relax 11月号』に「若手俳優の休日」というタイトルで勝地くんの写真が4ページ(4枚)掲載されました。
といっても彼のリアルな休日に密着取材したわけではなく、ラコステのフレグランスをつけて(香水の宣伝企画らしい)「さもあろうか」という休日の一コマ×4(「コップ片手に窓辺に立つ」、「運動がてら散歩」、「CDショップで新譜を物色」、「自宅で映画を見つつソファでうたたね」)を演じるというもの。
ちょっと気だるげなようでいて相変わらず眼差しが凛としている一枚目の写真が一番好きです。 

個人的には写真集とかアイドルっぽいものはあまり出して欲しくないなあと思ってるんですが(あれば買っちゃいそうだけど)、シチュエーションを演じるタイプのもの、彼が「主」ではなく写真家=監督の求める世界観を表現する「構成素材」になっているような作品ならぜひ見てみたい。
要するに、「勝地涼写真集」でなく「○○作品集 featuring Ryo Katsuji」の方がいいなあ、と。ただポーズを取って表情を作るよりも「演じる」ほうが俳優としての本領が発揮できそうですし(『MORE』で連載されていた「蜷川妄想劇場」とか出てほしかったな)。
勝地くんは髪型やメイク、表情によって驚くほど雰囲気が変わるし、ポップなのもクール系もはまりそうなので、被写体としてかなり面白いんじゃないかと思うんですが、どうでしょう?(誰に聞いているのか) 

ところでこの『Relax』で一番のサプライズは「勝地くんが香水を常用していた」こと。わりに硬派なイメージがあるんでかなり意外でした。
まあペンダントとかリングとかアクセサリー付けてることも多いし、結構お洒落さんなんですよね。不思議とちゃらちゃらした印象にはならないんですが。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『この胸いっぱいの愛を』(2)-3(注・ネタバレしてます)

2007-02-16 23:07:16 | この胸いっぱいの愛を
・比呂志も布川もナイフを刺されても無傷だが、まわりの人や物に触れるので霊体というわけではない。しかし飛行機墜落時に(布川は)自分の体が燃え上がるのを体験してる(はずな)ので、タイムスリップ直前に肉体は消滅しているはず。
つまり肉体ごと転移してきてるわけでもない。魂が時間を超えたときに死を自覚していない精神によって仮の肉体が作り出されたが、すでに一度死んでいるので再度の死は無効となる、という感じでしょうか。それだとなぜ手に傷がつかないかの説明にはならないか・・・。

・和美が保さんの実子でないという設定はどんな意味があるんだろう。二人の間に色っぽい雰囲気は何ら発生していなかったし・・・?
保さんが生涯独身であった可能性→若い頃の想い人椿さんを今も忘れられないことを匂わせたかったのかな?

・病院で手術を受ける受けないで比呂志と和美が言い争う場面。穏やかな性格(和美に対してはとくに)の比呂志が怒鳴っているだけに、好きな人が死にかけていることへの動揺、自分がすでに死んでいることへの動揺がよく伝わってきます。夜の駅での比呂志VSヒロに続く感情のぶつかり合いが痛々しい演技合戦。

・「お前は俺なんだから、俺のやろうとしていることを応援してくれるよな」というモノローグ。
和美を救って心残りを果たせば自分は消えてしまう。そうすれば自分を慕ってくれているヒロに寂しい思いをさせることになる。でもヒロならわかってくれるはず。そういう意味の台詞でしょうが、もう一つ別の意味もあるように思うのです。
十か条の約束の十番目、ノベライズでは「飛行機に乗らないこと」だったのが、映画では「絶対にあきらめないこと」になっていました。ノベライズではこの約束を守ったおかげで改変された(和美が死んでいない)世界に生きる30歳のヒロは事故死を免れるのですが、映画では30歳のヒロはやはり飛行機に乗って命を落とす。
なぜ比呂志はノベライズのように「飛行機に乗るな」と教えなかったのか。比呂志が十か条目を書き加えたのはまだ死を自覚する前だったようですが、あとから訂正ないし追加して十一か条にすることもできたはずなのに。 
これはおそらく映画とノベライズでタイムパラドックスの考え方が違っているためでしょう。すなわちノベライズが「和美が生き残った世界はパラレルワールドであり、30歳になったヒロがタイムスリップしようとしまいと彼女の命には影響しない」という考え方を取っているのに対し、映画では「和美が生き残った世界と元の世界は同一(歴史が書き換えられた)で、比呂志=ヒロがタイムスリップして和美に会わなければ彼女は死ぬ」のが前提になっている。
世界に矛盾をきたさず和美の生命を確保するには成長したヒロがタイムスリップする必要があるが、それはそのまま彼の死を意味する。和美を救おうとすればヒロを見殺しにしなくてはならない。
逆にヒロが飛行機に乗らなければヒロは助かり、それは比呂志自身が助かることにもなる(その場合比呂志がタイムスリップしてしまった「この世界」はなかったことになるのだろう)。
それを比呂志はよくわかったうえで、今の自分が「命と引き換えにしても助けたい」和美はヒロにとっても同様の存在だと考えた。だってヒロは自分なのだから。
自分=ヒロの命と引き換えにしてでも和美を救うことを「絶対にあきらめない」。それが十か条目およびこのモノローグの意味だったんじゃないでしょうか。
個人的には映画の解釈の方が好きです。こちらの設定の方が、自分自身でありながら他人でもあるヒロ(別の肉体を持って目の前にいる人間を自分と同一の存在とは見なしにくいだろう)をも犠牲にすることにためらいつつもあえてそれを選択する比呂志の姿に、和美への愛情とヒロとの強い絆の双方を感じ取ることができるから。

・「人生最後のお願い」、これレトリックじゃないからなあ・・・(泣)。

・ラーメン屋で思いがけず再会した母親を見つめる布川の表情。
布川は眉根を寄せ目を細めた「はぁん?(文句あんのかよ)」てな表情をしてることが多く、いわば勝地くんの「目力」が封印されている。それだけにこの再会シーンのように相手をまっすぐ見つめる場面のインパクトが大きくなっている。

・「わかってる、あんたいい人だもの。あたしにはわかる」。お母さんの口調が案外蓮っ葉。
先に「登場人物の性格づけが一捻りしてある」と書きましたが、不本意な妊娠、それもレイプによって出来た子を万難を排して産もうとする女性をあえて「聖母」キャラにしてないのが興味深い。逆境に耐え続けるお母さんの気丈さを表したものでしょうか。

・子供を生まないよう説得する布川。がんがん怒鳴ってるのに哀願するような声音、縋るような目。 亡国のイージス』(2)で勝地くんについて「見る者の視線をふっと引きつけてそのまま放さないような」と書きましたが、この場面は「ふっと引きつけ」るどころかぐいぐいと引っぱられてるような気がしました。引力というより重力。低めの声の力による部分も大きいかも。こういう場面こそ彼の真骨頂だなあと思います。

・「俺、あんたの子供に生まれてきてよかったよ、母さん。」 
もともと布川をタイムスリップに導いた「強い想い」は「お母さんに会いたい」というより「自分は生きる価値のある人間なのか、自分を必要としてくれる人などいるのか」という疑問の解答を見つけること、誰かに「私はあなたを必要としている」と言ってもらうことだったと思うのです。「誰か」たりうる確率が一番高かったのがお母さんだったからこそ、彼女に会いたいと願った。
そして聞きたかった答えを言葉でなくお母さんの生き方そのもので見せてもらった布川は、「自分は生きていていいんだ」と悟ることによって安らかな死に至る・・・。皮肉であるゆえにとても哀しくて、とても美しいシーンです。

・臼井さんの後悔の内容が・・・。他の三人に比べてあまりに軽いようですが、こういった一見ささいな出来事がいつまでも針のように心に突き刺さっている感じは理解できます。逆から見れば、これ以外には取り立てて大きな後悔のない、案外順風満帆の人生だったんでしょうね。
しかし比呂志が火事を未然に防いだように、昔の自分が鉢を壊すのを止めることもできたのでは?・・・謝りたい謝りたいという気持ちが強すぎて、謝らなくても済む状況をかえって思いつかなかったのかも。それもまた臼井さんらしい気もする。最後また鉢を割ってしまうあたりも・・・。

・壇上に上がって渡されたヴァイオリンを見つめ弦を構えた時に和美の表情は一変する。彼女が根っからの音楽家、芸術家であることが表れているシーン。
音大を主席で卒業するだけの実力を持つ和美は、『亡国のイージス』(原作)の表現を借りるなら「触れられないなにかと通信し、己の作品の中に呼び出す才能」のある人間だったのだろう。
これまでヴァイオリンを介して「触れられないなにかに満ちた世界」と繋がってきた彼女にとって、ヴァイオリンが弾けなくなることは、世界との一体感を喪失し無限の暗闇の中に一人取り残されるに等しい。「そんな状態で生きるなら死んだほうがまし」と考えるのも無理からぬところでしょう。

・舞台の裏に走り、後を追ってきた比呂志に真っ先に「こんなんじゃ駄目、全然駄目」「もっと上手くなりたい」と叫ぶように言った和美。
手術を拒絶し死ぬつもりになっていたのは、ヴァイオリンが弾けなくなるから。生きのびる可能性に賭けて手術を受ける決心をしたのはヴァイオリンが弾きたいから。彼女の生きる意志は常にヴァイオリンに繋がっている。
比呂志は和美を「ヴァイオリンゆえに生きようとする」方向に導いたのであって、彼女は比呂志や自分を案じてくれる人たちのために生きようと決意したわけじゃない。12歳の時から全てを賭けて打ち込んできたヴァイオリンのため死の覚悟を覆すところに芸術家の本能が見えて、知り合って間もない男のために生きるつもりになるよりも説得力を感じました。
比呂志も彼女を直接に救えるのはヴァイオリンへの情熱だと知ればこそこのコンサートを仕組んだわけで、ある意味比呂志の恋は片思いに終わったのですね。

・ヒロが比呂志と和美を見守り、比呂志に和美を抱きしめてやるよう目で促してるところに彼の成長がうかがえました。比呂志が消える場面は描かれていませんが、物語の流れ的にここで和美を抱きしめながらふっと消えたんじゃないかなあ。

・再び2006年。比呂志たち4人の遺体が見つかったニュースが電光掲示板に映し出される。ここで初めて布川の下の名前が「あきら」だと知った。普通に「てるよし」と読むんだとずっと思ってました・・・。
よーく見れば喫茶店で比呂志と再会したとき彼の額に押し付けた飛行機のチケットに「ヌノカワ アキラ」って書いてあったんですけどね。

・ヴァイオリン教室で子供を教える和美。なんとかヴァイオリンを弾き続けることは出来たものの、演奏家にはなれず、コンサートの時点での「もっと上手くなりたい!」という望みが叶ったとも思えない。
父親が他界し一人になっても、昔のようにヴァイオリンが存分に弾けるならそれだけで強く生きてゆけたろうけれど、生涯を賭けた道での限界がはっきり見えた状態では、ヴァイオリンだけでは心を支えきれないこともある。
そうして生きづらさが募ってゆくほどに「生きろ」と言ってくれた人の存在が彼女の中で大きくなっていったんじゃないでしょうか。比呂志の想いは20年をかけて報われたのかもなあ、と思いました。

40歳(と書いてしまったんですが、思えば和美は1986年1月時点ですでに音大を卒業してるのだから、20年後に40歳では計算が合わない。DVD付録の小冊子を確認したら和美は1986年時点で24歳。ラスト場面では44歳ですね。どこから40歳という数値が出てきたのか我ながら謎です、すみません)の和美はメイクだけではない年輪、年相応の静かな気品とハンデを背負って生きる日々が醸し出すやつれが感じられて、ミムラさんの表現力に驚かされました。
DVD特典のメイキングからも、役(特にヴァイオリンのシーン)に対する思い入れがはっきりと伝わってくる。和美を演じたのが彼女で本当によかった。家までの階段を昇る場面、床に落ちたみかんを拾う場面も秀逸。

・ヒロ=比呂志の訃報。遺体が布川たちともども他の乗客に遅れて発見されたことからいって、ヒロも比呂志同様タイムスリップしたのだと思いますが、「この世界」では和美は生きているので、「姉ちゃんを救いたい」というタイムスリップの動機が存在しないはず。
思うに、30歳のヒロは比呂志が未来から来た自分であることに気づいてたんではないでしょうか。年を取るにつれ「兄ちゃん」そっくりになってゆく自分。突然現れ、自分の気持ちを我が事のように理解してくれた「兄ちゃん」。(おそらくは)目の前で超自然的に消えた彼は実はタイムトラベラーで、和美姉ちゃんを救うために未来から来た自分自身だった、という発想にヒロが思い至ったとしても不思議はない。
もちろん半信半疑でしょうが、いよいよ「兄ちゃん」そのものの顔になった頃に仕事で門司に行くことになったら、改めて兄ちゃんと姉ちゃんのことが心にかかってきたんじゃないかと。
結果として1986年にタイムスリップした彼は自分の疑いが事実だったことを知り、「兄ちゃん」と同じように命に代えて姉ちゃんを救う覚悟をする――そんな流れだったのでは。

・「意味不明」「タイタニックのパクリ?」と思い切り不評だったラストシーン。塩田監督は和美の独白で終わるつもりだったのにプロデューサーの意向でこの場面を付け加えることになったという製作事情も蛇足感を加えてしまったのかも。
あまりの不評っぷりにDVD化の時に削られてたらどうしようかと心配したんですが、もちろんそんなことはなく、ちゃんと収録されていて安堵しました。この映画の中で一番好きな場面なもので。
このシーン、天国と見なすには空港のお姉さん、喫茶店のマスターなど死んでない(とくに説明はないが死んだとは思えない)人物が存在しているし、比呂志ないしは主要人物誰かの夢と見なすにはここにいる全員と面識をもったキャラクターがいないのがネックになる(たとえば朋恵さんに会った主要キャラは臼井さんのみ)。理屈に合わない、何を示したシーンか判断に困る点が「意味不明」といわれてしまう所以なのでしょう。  
個人的にはこれは「祈り」だと思っています。理屈も整合性も超えて、この物語に登場した全ての人物に幸せであってほしいという強い願い。DVDでのチャプタータイトル「幸福の光景」にもそうした想いが籠められてるように思える。
そこに製作者のキャラクター及び映画そのものに対する「胸いっぱいの愛」を感じて、見返すたびに胸が熱くなります。

・チェスをする椿さんと保さん。それぞれの孫と子供は将棋ばっかりだったのに。彼らの方が年代的にも職業的(民宿の女将、蕎麦屋)にも将棋っぽいのにこのギャップが面白い。

・子供たちに手品を見せてやる臼井さん。影の薄い臼井さんが子供たちの注目の中心にいて楽しそうに笑っている姿がなんだか嬉しくて、「幸福の光景」の中でもっとも印象的でした。実際には大学の講義や講演会で大勢に注視されまくってるんでしょうけど。

・臼井さんと同率一位で印象的だったのがやっぱり布川の場面。実は子供好きの布川(最初に園を訪問したさいの子供との会話にそれがうかがえる。園長室に殴りこんだときも子供を人質に取ろうとはしなかった)が子供たちに囲まれて幸せそうにしているのがとても嬉しかった。
先にも書きましたが、布川は意識的に笑いかけるということをしない。誰もが楽しげに笑っている一連のシーンの中でさえはっきりした笑顔を見せてはいない。
けれどその表情にいつもの険はなく、自然と頬が緩んでいる。彼が穏やかな、優しい心持でいるのが伝わってきて、それが「優しくあろうとする優しさ」ではなく「優しくあるまいとするのに隠し切れない優しさ」を持つ布川にとても似合っていました。
そしてヒロに軽く手を上げて挨拶するとき、初めて彼は「笑いかける」。最後の最後で見せたかすかな、でも確かな微笑みが心に残ります。

上の場面で布川はトレードマーク?のコートを脱いで、フォーマルぽい感じのジャケットを身に付けている(普段からコートの中に着てたようですが)。「(結婚式という)TPOを考えてそれらしい格好をしてみました、でもインナーはチンピラ風シャツのまま」という風情の微妙にツメの甘いコーディネートがなんか布川らしいなあ、と微笑ましかったり。

・バルコニーで口付ける比呂志と和美。建物と天使の格好の子供たちの存在からすると、これは中盤のヒロの妄想結婚式を受けてのシーンであり、「誓いのキス」であるのがわかります。服装はまるっきりカジュアルなのだけど。

2/24追記-誤記を発見しましたので赤字で修正を入れてあります。すみません。 直しついでに一つ項目を青字で追加してみました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『この胸いっぱいの愛を』(2)-2(注・ネタバレしてます)

2007-02-14 00:20:37 | この胸いっぱいの愛を
・海沿いを自転車で走る比呂志。看板数個をジグザグによけて最後に一つの看板の回りをぐるりと回って走り去り、そこで看板がクローズアップ、クラシックコンサートの告知ポスターを見せて後への伏線とする。
ただ看板をアップにするのでなく、比呂志の動きを追ってゆく流れで看板に注意を喚起する手法。
特に必然性なくいちいち看板を大回りする比呂志の動きに彼の穏やかな、かつ少しうきうきした気分(散歩がてらわざと回り道をする時のような)が表れている。
とりたててストーリー上の意味のある場面じゃないんですが、ゆったりとした見せ方にこの映画の品の良さ、ふくよかさが象徴されているように思えて、とても好きなシーンです。

・比呂志と布川に後ろから追いすがる臼井さんのへろへろした動き、弱弱しい声、やっと張り上げた「224便!」の声の裏返りっぷり・・・。見事な影の薄さ。名演技!

・臼井さんに空港で会った時のことを覚えてないか聞かれて「悪い、何一つ思い出せない」と答える布川。
ヤクザなんだから「いちいち覚えてねえよバカ!」とでも返しそうなものなのに。さらに「まあそうむくれるなよ」と慰めてまでくれる。「そいつはキツイな」と朋恵さん(倍賞千恵子さん)を気遣うあたりも含め、根本的にお人よしなんですよね。
殺しの仕事をしくじったのも、「二発もぶちこんだ」とはいえ、どこかでためらってしまったせいなんだろうと想像されます。・・・職業選択間違ってるよなあ。

・朋恵さんを同じ飛行機の乗客と気づいて「224便」と話しかける臼井さん。比呂志たちに声をかけた時もそうですが、文章で話しましょうよ(笑)。
相手の目が見えてないのはわかってるだろうに(視線に気圧される心配ないのに)腰引けまくりだし。

・盲導犬の老人ホームへ向かうさい、トラックの荷台に乗る臼井さん。二人乗りだから仕方ないとは言え扱いの悪さに笑う。振動でこけないようにロープを握りながら寒さに震えている姿がまた(笑)。
布川が同じことしてても別に笑えない(比呂志なら多少笑えるかも)と思うので、臼井さんのへにゃへにゃキャラならではの笑いですね。このあともとくに面白いことを言ってるわけじゃないのに行動のいちいちで笑わせてくれます。

・落としたストールを差し出す臼井さんを完全無視の朋恵さん。まあこれは見えてないので仕方ないとして(声かければいいのにそうしないあたりがいかにも臼井さん)、その後も何を話し掛けられても無反応。
アンバーのことで頭がいっぱいだからか、ひとえに臼井さんの影の薄さゆえか。後者だな(笑)。

・アンバーを抱きしめる朋恵さんの心底嬉しそうな表情が印象深い。朋恵さんとアンバーのシーンは短いながらも感動的。そして感激のあまり人のストールで鼻をかむ臼井さんにまた笑わされる。

・臼井さんの感情たっぷりのもたもたした説明に、いつ布川が「もっと要領よくしゃべれねえのかこのボケ!」とか怒り出すんじゃないかとハラハラしてたんですが、意外にも神妙に話を聞いている。顔もうつむき加減で・・・ひょっとして涙ぐんでる? 
と思ったところへ話の続きを促すように一言、
「・・・それで?」(涙声)。 
思わず「布川ーー!!」と(心の中で)叫んでしまいました。何て、何て可愛い男なんだろう。ヤクザのくせして人一倍情にもろくて、一生懸命突っ張ってみせても全然優しさを隠せてなくて。
文字にすれば何でもないたったワンフレーズに布川のナイーブさ、優しさが詰まっていました。
実際布川の優しさや繊細さは台詞(言葉の内容それ自体)レベルではほとんど説明されていない。もし台本を見る機会があったとしても、台詞を文字として見ただけでは布川の良さは半分も伝わってこないでしょう。
演じ手の資質(こう演じてほしいという監督の要求に、台詞の内容に頼ることなくどこまで応えられるか)にものすごく左右される役柄であり、もし勝地くん以外の俳優さんが演じていたら別人ほど違ったキャラになっていたに違いない。
「この」布川輝良はひとえに勝地涼という俳優に負っているのだと気づいたとき、私は「布川ファン」として、布川を布川たらしめた彼に深い感謝を覚えたのでした。

・朋恵さんが消滅した話を聞いて布川が「消えた?」という時の声のトーンが数秒前の「それで?」と全然違う面食らった調子で、ストーリーがそれまでのしみじみモードから謎解きモードへと転換するスイッチの役割を果たしている。

・「状況から演算するに~」という臼井さんの何気ない台詞が、後々彼の正体が明かされた時に伏線だったとわかる。

・「つまりだ」という時の布川の手つきというか指の開きかげんがえらく可愛い。その後の二本指を伸ばしたところも。
この場面以外でも布川はときどき人の話に割って入ることがあります。結構オレ様。まあヤクザですからね(笑)。

・にわかに態度が偉そうになり「ボケ!」を四連発して去ってゆく布川。思うにうっかりと涙なんか見せてしまった失点に気づいて照れくささの反動でつっぱって見せてるのでしょう。
いつのまにかすっかり布川に警戒心をなくしていたらしい比呂志と臼井さんがにわかに後ずさってるので効果はあった模様。

・園長室に乗り込んでいきなり「なぜあいつを辞めさせた!」とせまる展開はちょっと唐突。前回みたいに金網ごしに園児に「今日は布川先生の姿が見えないけど休みか?」と確認するシーンがあれば違和感なかったんだけど。
園長(古手川祐子さん)からほとんど目をそらさぬままペン立てからペンを抜き取り保母(最初布川母の勤務先は保育園かと思ってこう書きました。その後DVD付属の小冊子を確認したら幼稚園となっていたので、保育園前提で書いた部分は全部修正したんですが一ヶ所残っちゃってました。「保母」じゃなくて「先生」ですね。すみません)に突きつける動きが滑らかで本当に「プロ」みたいなのに感心。

・あからさまにチンピラな若者が先生を人質に怒鳴り込んでくるという異常事態にもかかわらず、怯えた様子を見せず堂々と応対する園長先生。
いろいろ修羅場もくぐって度胸を身に付けた人なのでしょうが、それ以上に、目の前の青年は態度は最悪だけれど本心から「布川先生」を案じている、根っから悪い人間ではない、と看破してたんじゃないでしょうか。おそらく「レイプ犯人が前非を悔いて彼女のその後を気にかけている」という解釈だったとは思いますが。

・園長の口から自身の出生の秘密を聞かされショックを受ける布川。「・・・なんで?」と問いかける時の声が先の「・・・それで?」同様涙声ですが、状況が状況だけに、前回にはなかった悲痛さが声の掠れの中に溢れています。「なんで?」という幼い口調もあいまって、傷ついた子供のよう。
そして表情や声以上に彼の懊悩を伝えていたのが手。頭を抱え、ついで髪をぐしゃぐしゃと掻き回す仕草が何とも痛ましい。

・ヒロが比呂志におにぎりを運んでくる。話しかける声にも最初のようなとがった感じがなく「おまえ」呼ばわりされても怒る様子もない。
自分の気持ちを不思議なほど理解してくれる、同じ感性をもっている比呂志をいつか慕うようになっているのがわかります。

・将棋を指しながら同時に鼻をさわるヒロと比呂志。これもベタだけど、ベタだからこそ微笑ましい場面。

・「十か条」をヒロが一つ読み上げるごとに、後ろからぎゅっと抱きしめるようにする比呂志。頼りなげな比呂志の包容力を感じさせる場面。
メイキングでの富岡くんと戯れている様子、オフィシャルフォトブックなどで勝地くんが(嬉々として)話していた「行儀の悪いことをした時伊藤さんに注意された」エピソード(これを読んで私の中で伊藤さんの株が急上昇しました)などからすると、伊藤さん自身も父性を感じさせる人みたいですね。

・「どけよ」(台詞の言い方が実に良い)と座っている比呂志を足で押しやって歩き去るヒロ。ヒロの可愛げに満ちた生意気っぷりと、そんなヒロを「頑張れよ、おれ」と呟きつつ見守る比呂志の暖かさが光る場面。
この二人、和気藹々の場面でも言い争っている時でも、すごく心が通じ合っている感じがします。メイキングから窺われる伊藤さんと富岡くんの仲の良さが反映しているのかもしれません。

・夜の駅での比呂志とヒロ。もっと短くテンポよくまとめることも可能だったシーンを、あえて長く見せることで二人の心の葛藤をしっかり丁寧に描いている。
何度も何度も比呂志につっかかっていくヒロ。その苦しみを正確に理解して彼を受け止め事態に立ち向かう勇気を与えようとする比呂志。そんな彼らの演技合戦は見応えがあります。

・「ごめんなさい」をくりかえすヒロの手紙。内容を読みあげるモノローグ?のヒロの声の悲しげな響きが胸にせまってくる。
そういえば先にお母さんに書いた手紙も、内容は明るい(実は嘘だらけ)ものの読み上げる声はやはり弱弱しい感じでした。文章にすると日頃強気にふるまっているヒロの繊細な部分が素直に表れやすいのかも。

(つづく)

2/24追記-誤記を発見したため、該当部分に赤字で修正を入れました。すみません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『この胸いっぱいの愛を』(2)-1(注・ネタバレしてます)

2007-02-10 23:11:09 | この胸いっぱいの愛を
・冒頭、空港のシーン。友人?に電話で「下手でもいいから手紙を書いて気持ちを伝えろ」とアドバイスする比呂志。のちにヒロに和美あての手紙を書くよう促す場面の伏線ですね。この時の電話の相手は比呂志の「遺言」を守ったでしょうか・・・。

・山のような駅弁を食べる比呂志を見て頬を軽く引きつらせる布川。勝地くんのこんな表情、他で(役でも素でも)見たことないです。あまり行儀のよくない仕草はヤクザ者の布川ならでは。

・二十年ぶりに祖母の家を訪れる比呂志。門司の町並みもあいまってしっとりとした雰囲気のところにヒロの登場で、「俺かよ!?」。ちょっとコミカルに後の展開に期待を持たせたところでタイトルへという流れが上手い。また黒地に金粉が舞ってタイトルを描く演出、同時に流れるヴァイオリンの音色の優しさが心に沁みる。

・布川はよく比呂志を発見できたものだ。たまたま入った喫茶店で機内で印象に残った顔を見つけたということでしょうか?DVDの未公開シーン集に臼井さんがこの喫茶店で二人を見つけるシーンがあったのを思えば、この店には何か未来の人間を惹き付ける要因があるのだろうか。双子のマスター?の演出も謎。

・海辺での布川の第一声がやたら低いのに驚く。怒鳴る場面が多いせいか、布川はいつもよりやや低く太い声で演じている印象。もともと勝地くんの声質は大好きなのですが布川はまた格別。低く渋いのによく通る若々しい声。私が布川に「男」を感じるのは、この声による部分が大きい気がします。

・「この果てしない青空」「この砂粒一つ一つが2006年のものじゃねえ」。詩人だな布川・・・。普段はそういうロマンチな部分は出さないようにしてるんでしょうが、タイムスリップという異常事態に内心動揺してつい「地金」が出てしまった模様。

・沖の方に見える船を「イージス艦?」と思った勝地くんファンは少なくないはず(笑)。伊藤さんファン的には海上保安庁の船らしいですが。

・母の写真を眺めつつ近況?を語る布川。母親会いたさでタイムスリップした彼ですが、おそらくは日頃から母親のことを絶えず考えていたわけではないでしょう。家に学校にもいたたまれずヤクザの世界に入ったものの、仕事をしくじったために処刑されるはめになった。ここにも居場所はなかったと痛感し、自分を必要としてくれる人などいるのかと思い悩んだ時に、命をかけて自分を産んでくれた母親の存在が心の中で急速に膨らんでいったのでは(飛行機の目的地が故郷門司というのもあったと思う)。

・砂浜に突きささっている赤い杭?に思わず『さとうきび畑』を思い出してしまった。

・椿おばあちゃん(吉行和子さん)に「聞いてんのかヒロ!?」と叱られて同時に「はい」と答えてしまう比呂志とヒロ。ベタなんですけど、くすっとさせられる微笑ましさ。

・火事未遂はおばあちゃんのためにケーキを焼こうとしたゆえの失敗だとヒロをかばう比呂志。「聞けば~」と前おきして話し出すけれど、実際はヒロから説明など受けてないのが、ヒロの「何で知ってるんだ?」という表情からわかります。この場面に限らず、ヒロは台詞なし・表情のみで気持ちを表現する場面が多く、ヒロ役富岡涼くんの表現力に驚かされました。

・ヒロに「いつまでいるんだよ」と問われた比呂志の長い沈黙。いつ元の時代に戻れるか知れない比呂志の心許なさが伝わってきます。

・4時起きで風呂掃除。従業員として雇われた比呂志はいいとして小学生のヒロまで一緒に掃除をさせられている。10歳の子供にちと厳しすぎる気もしますが、一時的にもせよ母と離れて過ごさねばならないヒロに自立心と生活力をつけさせようという椿さんの愛情なのでしょう。

・和美姉ちゃんと将棋盤を囲む比呂志。将棋のコマを取るさいに二人の手がたびたびわずかに触れ合うのが、ほのかなエロティシズムを醸し出している。

・椿さんから「死んだ旦那の隠し子に違いない」と疑われる比呂志。「違いない」というあたり、かなり浮気性な人だった模様。椿さんはきっとたくさん泣かされたのでしょう。そして泣いている彼女を保さん(愛川欽也さん)が慰めたり・・・。「保さんは昔椿さんを好きだったらしい」という設定があるだけに、そんな二人の歴史をふと想像してしまいました。

・幼稚園の金網をよじ登って子供に話しかける布川。優しさを隠してひたすら突っ張っている布川は他人に意識的に笑いかけるシーンが一度もない。ここでも子供に愛想笑いをしたりはしないのですが(ノベライズでは凶悪な愛想笑いで子供に引かれてるけど)、その代わり呼びかける時の声は明るく優しい調子で、「布川先生のこと、どう思う?好きか?」とあからさまな誘導尋問(笑)をして子供が頷くと「・・・そうか」と口元を緩める。この「好きか?」の言い方にも子供が何て答えるかちょっとドキドキしてる感じが窺えて微笑ましい。意識的に愛想を振りまいているわけではなく、つい言葉つきや表情に人の好さがにじみ出てしまう。優しさを捨てようとして捨てきれない布川の暖かな人間性、まだ見ぬ母への慕情がよく表れています。

・布川のお母さん(臼田あさ美さん)登場。母を見る布川はこれまでにない真摯な眼差しを見せている。以前「お母さんと布川の唇と顎のラインがそっくり」という指摘を読んだことがありますが、言われてみれば!

・比呂志の回想。雨の中、母を乗せて去る車を見送って振り返る時の表情がなんとも言えず痛ましい。肩を強張らせているのが、モノローグにもあるように、孤独と悲しみを一人黙って背負い込んで、その重さに懸命に耐えているのをうかがわせます。またそんな比呂志(ヒロ)を黙って見守るおばあちゃんの姿にも厳しくも深い愛情を感じます。

・この作品でヴァイオリンについで小道具として活躍する将棋セット。一人で将棋を打つヒロの姿は彼の孤独をごく端的に伝えている。

・ヒロと和美の出会い(正確には再会)の場面。昔一緒にお風呂に入ったことがあるとか、ヒロが和美の胸元に視線をやっているところへ「お礼に教えてあげる」発言とか、下品にならない程度に色っぽい雰囲気を持たせて、少年期の初恋のときめきを上手に演出しています。「お礼に~」に対し「・・・何を?」と返すヒロの口調もどきまぎした感じ(何を想像したんだ)。富岡くん上手いなあ。

・想像の結婚式。新郎新婦がヴァイオリンを合奏する場面はすごく絵になっていて、なんか憧れてしまった。これを真似るカップルが出るんじゃないかと思ったものです。

(つづく)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『この胸いっぱいの愛を』(1)

2007-02-08 00:08:19 | この胸いっぱいの愛を
2005年10月公開の映画。評価は賛否両論のようですが、個人的にはかなり好きな作品です。
門司の町並み、ヴァイオリンの音色、BGM、画面の色調、作品を構成するもろもろが、ゆったりとした優しさに満ちた雰囲気を生み出していました。
公開終了から大分経った頃、監督かプロデューサーかが雑誌のインタビューでこの映画について「品のある映画を作りたかった」とコメントしていたのを読みましたが、まさにそんな感じ。

登場人物の性格づけが一捻りしてあるのも特徴で、
頼りなさと包容力が自然に同居している比呂志(伊藤英明さん)、
「憧れのお姉さん」「不治の病」「音大生(卒業してるけど)」と三拍子揃いながらいかにもな儚げな女性でなく強気な姉御肌の和美(ミムラさん)、
実に弱弱しく影が薄いのにラストで意外な正体がわかる臼井さん(宮藤官九郎さん)、
友達のいない孤独な少年というからもっといじめられっ子タイプかと思ったら口が悪く負けん気の強いキャラだったヒロ(富岡涼くん)、
そして若くして極道の世界に生きながら根はナイーブでロマンティストのヤクザ・布川(勝地くん)。 

映画同様、勝地くんの評価も賛否両論、というか「何あのヘタクソ」から「彼の演技に泣かされた!」まで見事に真っ二つ。
思うに彼の「一生懸命つっぱってるんだけどいかにもヤクザが板につかない感じ」を、そのまま「ヘタ」と取るか「ヤクザが板につかない男の役なんだからあれで良し」と取るかが評価の分かれ目でしょう。
『この胸~』オフィシャルフォトブックの勝地くんインタビューを読むと後者が正解なのがわかります。
勝地くんグッジョブ、いやむしろ彼の資質を見極めてこの役に起用した監督グッジョブというべきでしょうか。
ヤクザという役柄上布川はガラの悪いキャラにならざるを得ないが、そのために作品の品性を落としたくはなかった、だから言葉が悪くても怒鳴りまくってても下品にならない役者を選んだのだろうから。
しかしそもそもなぜヤクザを出そうと思ったのだろう?原作(梶尾真治『クロノス・ジョウンターの伝説』)の布川は別にヤクザじゃないし(というより名前と男前設定(笑)以外全くの別キャラ)。  

そして、もともと人柄に惹かれて勝地くんのファンになった私が、「俳優・勝地涼」に惚れ込んだのがこの作品でした。
『イージス』は彼を見た最初の作品だけに、自然に「勝地涼=映画版如月行」の図式が頭の中に出来上がってしまったので、演技として上手いのかどうか当初はもひとつ判断不能だった(他の出演作品もいろいろ見た後にDVDで見返して、「やっぱり上手かったんだな」と改めて思いました)。
『さとうきび畑』はつくづく名演技なんですが、それだけにかえって随所で「勝地くんすごい!」になってしまった、平山昇でなく勝地涼を見ていた部分があった(彼目当てで見たのだから当たり前っちゃ当たり前)。

けれど『この胸~』では布川輝良というキャラクターに惚れた。 
個人的に勝地くんに「男」を感じたことはほとんどない(役にも本人にも)のですが、布川は「男」だった。めちゃめちゃ青臭いんだけれど、確かな男の匂いが感じられた(これで撮影当時18歳とは!)。

布川にはまるきっかけになったのは中盤に出てくるある台詞。文字で見れば何でもない台詞なのですが、そこには布川という男の全てが詰まっていた。
そして布川に魅了されると同時に、たった一言、正確には台詞を発する声のトーンで、布川の人間性を表現しきった勝地涼という俳優の力量に感銘を覚えずにいられませんでした。 

私はここから勝地くんファン道の第二ステージに進んだような気がします。その意味でも非常に印象深い作品です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『涙そうそう』

2007-02-05 00:04:53 | 他作品
映画ではなく2005年10月にTBSで放映されたドラマのほう。
勝地くんはヒロイン(上戸彩さん)の弟役で出演。

どうやら出番が少ないらしいという前評判は聞いてましたが、それにしてもドラマの最初と最後だけ、合わせて2分程度という出演時間には笑いました。
まあ上戸さん、黒木瞳さんが出演していたうえプロデューサーが八木康夫さんだったので、『さとうきび畑』つながり(母親役がやはり八木プロデューサーのドラマ『末っ子長男姉三人』で共演した賀来千香子さんだったのでそのつながりもあるかも)で呼ばれたゲストってことでしょうね。  

そんなごくごく短い出番だったにもかかわらず、「おお!」と感心させられたのは台詞回し。 
受験勉強のため夜食を調達しに台所へやってきた司(勝地くん)が母親(賀来さん)と会話する場面。
橋田寿賀子脚本特有の長台詞・古めかしい言い回しをさらっと滑らかに、現代の高校生らしいちょっと気だるい調子で口にする。
それでいて発音は明瞭で、言葉の意味がスッと頭に入ってくる。
長いとはいえたったワンフレーズなのに「上手いな」と感じました。 

この司という少年、出番はごく少ないにもかかわらず、母親の過保護と彼女が演出する「幸せ家族ごっこ」にうんざりしつつも母の気持ちを思うとつれない態度になりきれない、そんな基本的に優等生なキャラクターが数個の台詞だけでちゃんと確立されていて、そこには脚本家の力量を感じました。 

そしてその台詞に適切な感情を乗せることで、少年らしい反抗心と他人の気持ちを読み取り思いやれる聡明さ・優しさをあわせ持つ司を、勝地くんは過不足なく表現していたと思います。
彼の技術的な上手さ、安定感を感じた作品でした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『さとうきび畑の唄』(2)-3(注・ネタバレしてます)

2007-02-01 23:24:06 | さとうきび畑の唄
・米兵を発見して仲間を急ぎ叩き起こす昇の上ずった声と無駄にばたばたした動きが、「浮き足立つ」という言葉そのものなのに妙に感心してしまった。

・真っ先に打ち殺された通信兵「ヒガ」くんはエキストラの方なんですよね?ぱったりと仰向けに倒れる思い切りがお見事。

・川平くんをかばって上官に抗議する昇の怒りに上擦る声、襟元を掴まれながらも怒りのあまりに涙ぐんだ目でじっと上官を凝視する時の表情、このくだりはもうほとんど演技とは思えないです。
「まずお前から行け」と爆弾の袋を押し付けられた川平役尾上くんの怯えっぷりも上手い。昇が壕を出てゆく時の「昇ー!」という悲痛な叫びも。

・コメンタリーでも言われてましたが、臆病者よばわりされて上官を睨みつける時の目つきがすごい。煤で真っ黒な顔と白目のコントラストがより目の力を強めている。
台本になかったとしても「なんだその目は」と返してしまいそうな感じ。

・川平くんに遺書を託す昇。まだ見ぬ末っ子(幸子)のことが手紙に出てくるので、以前の遺書とは別に新しく書いたものなのがわかります。
かつては雄雄しく戦死する気まんまんで、父に「死んだら駄目なんですよ!」と諭され遺書を取り下げた昇が、遺書を託す友達に向かって「お前は、死ぬなよ」と父と同じ言葉を口にする。それもただ「死ぬなよ」でなく「お前は」なのが辛い。

・上官は爆弾の袋二つのうち一つを川平くんに渡して「まずお前から行け」と言っているので、上官が自爆テロの第二弾を考えているのがわかる。
しかるに昇は自分が特攻に向かうにあたり上官の持っていた二番目の袋も引ったくって行った。「死ぬのは自分だけで十分だ」という昇の声が聞こえるような気がしました。
上官が昇のなすままだったのは、死に赴く彼の勇気に敬意を払ったからなのか単に昇の気迫に押されただけなのか。前者だといいな。

・穴の出口へと駆け上がる昇の、軽やかな動きに思わず見惚れました。電線修理のために砂地を走る場面、上官に殴られてすっとぶシーンもそうですが、およそ体重を感じさせない身のこなし。
一年後の『イージス』で見せた身軽さはアクション訓練のたまものかと思ってましたが、半ばは元からの資質なのですね。

・米軍に向かって行こうとして一度体を引いた時の表情が・・・。死への恐怖、ためらい、胸に渦巻く感情を決して大げさでなく表していました。
そしてもはや取り戻しようもない家族との平和な日々を思い、泣きじゃくりながら走り出す。坊主頭もあいまって泣き顔がまるで小さな子供のようなのが、より痛々しさを増しています。

・米兵の一斉射撃で蜂の巣に。この場面、コメンタリーによると勝地くんが自分で(血糊の袋を破裂させる)スイッチを押してるそうですが、いつ押してるのか全然分からない。
撃たれるたびに体が揺らぐ様子、上体が崩れるのを何とか堪える所、爆弾の袋を振りかぶる時の力の篭め方、体の震え方、頚動脈を撃たれて砂地にうつ伏せに倒れる姿・・・全てが真に迫っていた。
顔中唇まで砂にまみれながら(絶対砂が口に入ったはず)最後の力を振り絞って手榴弾のピンを抜く時の、もはや光を失いつつある目にうっすら涙をうかべた子供のような表情が印象的でした。

・ナレーションの形で語られる遺書の内容が、優しい口調だけに映像の悲惨さと見事なコントラストを成している。前半で勇から紀子に届いた手紙の反復ですね。
ここで「お父さんの写真館を継ぐ」という夢が初めて語られる。生真面目な性格だけにふざけてばかりの父に時に(戦争が始まってからは特に)苛立つことも多かったろう昇が、その実お父さんが大好きだったことが窺えます。

・爆音に振り返った幸一が、息子と別れたあたりで爆発が起こったにもかかわらず、深く考えた様子もなくそのまま立ち去るのが、こうした爆発など当たり前になってしまっている戦時の異常性を感じさせます。
幸一にその自覚はないものの、昇は一応父に看取ってもらえたわけですね・・・。
そして爆発の規模が結構大きいことから、昇はかなりの数の米兵を道連れにしたろうことが想像されます。ラストで川平くんが無事生き伸びてたので、上陸した兵はほぼ壊滅したのかも。
しかし昇の死が少しでも意義あるものであってほしいと考えると、自然と米兵の死者が一人でも多かれと願ってしまう。作品のテーマと正反対になってしまうのだけれど。

・さとうきび畑での家族との再会。ベタではありますが、沖縄防衛隊の全滅、昇の壮絶な戦死、美枝の生死不明と辛いエピソードが続いたあとなので、一服の清涼剤のようにホッとさせられる。
後の展開を思えば、ここで幸一が幸子の顔を見られたこと、写真を写せたことも大きいです。特に写真は幸子にとって生まれてすぐに亡くなった父を思う唯一のよすがとなったんじゃないでしょうか。

・夜の川での紀子との再会。この時紀子が歌っていたのは、幸子が生まれたときに春子が歌ったのと同じ「歓びの歌」。「Do you kill me?」同様紀子が教えたのか、逆に歌が好きな春子に紀子が教わったのか。
そして家族と巡りあいながら紀子は一瞬顔を曇らせる。夜の川でまるで禊を行っているようだったのも合わせ、彼女が憲兵によって陵辱に近い目に合わされたことを暗示しているように思えます。後に紀子が軍に対して強い怒りを吐露する場面もあるし。

・どうやら美知子たちは紀子の口から初めて勇の死を知らされたらしい。先生たちから春子には話が行かなかったのだろうか?

・紀子の死に衝撃を受けつつも、子供たちを守るために「米兵だって同じ人間」という幸一の言葉を支えに勇気ある降伏の道を選んだ美知子。彼女の夫に対する強い信頼と愛情、母の強さが表れている場面。
そしてその幸一はこの後間もなく、「米兵も人間」という考え方の故に帰らぬ人となる・・・。

・春子の「Do you kill me?」。紀子自身は亡くなったものの、彼女の残した言葉が平山一家を救った。美知子たちが紀子の遺骸を連れてきているだけに、「紀子の死」と「彼女が救った生者」のコントラストが際立っている。

・あくまで米兵を殺すことを拒否して、上官の手で処刑された(ことが暗示される)幸一。一見ふざけてばかりいる軽い男とも見える彼は、笑顔がいかに人の心に潤いを与えるかを知っていて、常に自分だけでなく家族や周囲の人々の幸せを考え続けた人物だった。
「私はこんな事をするために生まれてきたんじゃないんですよ!」と幸一は言うが、彼に限らず人を殺すために生まれてきた人間などいない。それでも多くの人は生きて家族のもとに戻るためにあえて敵兵を殺してきたのでしょうが、幸一は家族を愛すること人一倍でありながら、米兵をも「敵」という記号と見なせなかったためについに銃を撃つことができなかった。
人を人として遇しようとすれば生きてゆけなかった時代の悲しさが思われます。

・捕虜収容所での美枝との再会。足を投げ出した美枝のしどけない姿と虚脱したような表情は、紀子同様に性的暴行に遭ったことを思わせます。美知子が美枝の頭を優しく撫でる仕草も、そのあたりの事情を察したうえで娘を労わっているように感じられる。
ともかくも集団自決寸前で吉岡の言葉を思い死の決心を翻した美枝が、収容所に辿り着くまでに相当な辛酸を舐めたであろうことは想像に難くない。
「何があっても決してあきらめない」と自分を評した吉岡に恥じないように。その一心で自身を支えてきたのでしょう。

・父の死を伏せて「カメラを貸した」と家族に告げた美枝。幼い弟妹は現像された写真を見て無邪気に喜ぶが、美知子は美枝と一緒に涙を流している。
美知子は夫が大切な大切なカメラを決して人に貸したりしないと分かっていたから、幸一のカメラを他人、それも米兵が持っていたことの意味をすぐに悟ったのだろう。

・幸子をはじめ写真に収められた人々の笑顔。物語の最初から最上の笑顔とそれを写真に収めることへのこだわりが描かれてきた幸一が、こんな時代にもかかわらず彼の生き方を貫いたことがわかる。
本来なら周囲の人々に笑顔とそれに付随する幸せを振りまきながら生きて死んでいけたはずの人が、こんな形で死ななくてはならなかった。「笑顔」をキーワードに据えることで戦争の悲惨さを追及した、このドラマの真髄といえる場面。

・追い打ちをかけるように昇の遺書を持って表れる川平くん。脚本(『テレビドラマ代表作選集』(2004年版)に掲載)の段階では川平くんが遺書を渡しての愁嘆場が存在していたのですが、あえてそこを描かず余韻を持たせたまま現代の物語へシフトする形にして正解だったと思います。
いつもかばってくれた昇がいなくなって川平くんはどうやって生き抜いてきたのか、これからどうするのか。心配になるところですが、遺書を手に歩む彼の顔にはこれまでにない力強さがあって、昇の分も懸命に生きようとする意志が伝わってきます。
しかしここで遺書が登場することによって、中盤で退場した昇の存在が最後にまた視聴者に印象づけられる・・・美味しい役だなあ。

・幸子と携帯で写真を撮る孫娘。「写真」と「笑顔」というキーワードをラストでもう一度出して作品の締めとする。
沖縄に来て祖母の話を聞いただけで立ち直ってしまうのはお手軽ではありますが、冒頭とは打ってかわった明るい笑顔がまぶしいです。両手を空に向けてぐーっと伸びをする場面も、これまでありがちな厭世観の中でうずくまっていた彼女の精神が伸びやかさを取り戻したことを象徴していて清清しい。
・・・ところでこの「幸子の孫」、「美枝似の女の子」ならぬ「昇似の男の子」バージョンも見てみたかった(笑)。真っ茶髪の不良タイプ(『BRⅡ』の晴哉風)でも無口な引きこもり系(『クイール』の政晴風)でも可。坊主頭の凛々しい昇との落差がさぞ見応えあっただろうなーと。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする