鯖は足が早いので、昔は小浜で水揚げした鯖をすぐにさばいて一汐して京まで運んでいました 前回アップした熊川宿を経由して大原から出町柳に至る若狭街道も鯖街道のひとつです ある目的のために、私たちはその鯖街道を逆行して京都から小浜へと行きました |
お水送り・・・・・ 毎年3月2日、小浜の若狭神宮寺で修二会が営まれます 堂内では大松明に火をつけて駆け回る達陀の行が行われ、境内では護摩が焚かれます 大護摩からもらい受けた火を手に山伏姿の行者や白装束の僧侶らを先頭に松明行列が 2Km上流の鵜の瀬へと向かいます しかし、このひっそりとした佇まいからは、激しい行が繰り広げられる光景は想像できません |
重要文化財・若狭神宮寺北門(通称仁王門)鎌倉時代末 小浜市

![]() | ![]() |
境内の石仏 | お水送り(3/2)の護摩壇 |
室町時代・天文22年(1553)越前国守護朝倉義景により再建された本堂(重要文化財) 珍しいことに本堂入口にしめ縄が張ってありますが本堂内は二拍一礼でお参りします |

![]() | ![]() |
神宮寺本堂回廊と境内 | 十一面千手観音坐像と不動明王立像 |
![]() | ![]() |
閼伽井戸 | 奈良東大寺二月堂への『お水送り』神事の水源 |
天平勝宝4年(752)、インドの渡来僧・実忠が東大寺二月堂を建立し、修二会を開き全国の神々を招きましたが 若狭の遠敷明神は漁に夢中で遅刻してしまいました そのお詫びに本尊に供えるお香水を若狭から送ると 約束し、二月堂下の岩を割ると白と黒の2羽の鵜が飛び出して穴から清水が湧き出したと伝えられています この湧水が東大寺二月堂閼伽井屋の若狭井です |
遠敷川上流に位置する鵜の瀬は、毎年3月2日「お水送り」の神事が行われる所です |
鵜の瀬でも護摩が焚かれ、白装束の住職が祝詞を読み上げて竹筒からお香水を遠敷川に注ぎ若狭井に送ります |


![]() | ![]() |
お香水を注ぐ側には渡れません | 鵜の瀬公園資料館展示室の模型 |
この水が10日をかけて東大寺二月堂の若狭井に届き お水取り の本番です (← クリック) |
「いつか小浜から京都に通ずる鯖街道を歩きたい」「いつかお水送りの神事を見に行きたい」と話していたのですが まさか、こんな形で鯖街道や鵜の瀬、若狭神宮寺を訪れることになろうとは想像もしていませんでした どうして、急きょ小浜に行くことになったかは次回までお預けです(笑 |
![]() |
お水取りの行事が終わったのを聞いて行くのです。混雑を極端に嫌うみっちゃんでしたから。そうそう、万国博覧会も同じ理由で見ていませんが、公園になってから何度も行きましたよ。
でもまぁ~よ~~っく調べましたね。
福井も日本の文化の原風景が残っていて、いいですなあ。
福井から東京でも、落差がありすぎそう・・・
又来ましたよ。
やっぱり
井戸が通じている何か神秘的と思います。
山道を歩き峠を越えて運ぶのは大変だったでしょうね。
小浜の若狭神宮寺の「お水送り」は 厳かで重々しい神事ですね。
この「お水送り」後に 二月堂の「お水取り」が行われるのですね。
いつの日か 私も二月堂の「お水取り」を見に行きたいと思っています・・
お水送り。本家本元の若狭神宮寺の画像に感動します。
神事の根源、水・火・太陽。その一つ、お水送り。時代が
どんなに進歩しましても、ほぼ変わらない方法で引き継が
れていることは素晴らしいですね。生命の源、水の神事。
尊厳で清々しい歴史文化遺産だと思います。
鯖街道は聞いていましたが、色々と勉強させていただきました。
中々見る事のできない所を紹介していただき本当にありがとうございます。