震災6年6月7日
人間誰しも、持って生まれての性で生きているなと感じるときがある。それと、取り巻く枠組みの中で動いているなと…。今、越山会の女王といわれた佐藤 昭子さんと田中角栄の本を読んでいる最中だ。題名は「昭」著者は認知されずに生きた彼らの間にできた娘の敦子さんだ。あれだけの権勢を誇っていた彼らだったが、崩れるときも早かった。今太閤、越山会の女王と言われた時代は短く、平家でなければひとでなし、と言われた時代と似ているなとも思った。表にたった彼らの狭間で苦悩に満ちた彼女、敦子さんの翻弄された人生が浮かんで来るのだ。敦子さんのことももっと大事にできなかったのかと同情も浮かんで来る。
やはり、人はお金では変えないものがあるなと、思わずにはいられなかた。反面、彼らにしてみれば、エネルギーを権力に向けざるを得なかった人間の性みたいなものがあったのだろう。どうしようもないものを感ずる。敦子さんに同情するが、どうしようもない。
めげずに、どうか、前向きのとらえて強く生きていってもらうしかない。悔やんでも一日笑っても一日なら笑ってどうか生きていってほしい。酷な言葉であるが…。
ところで、彼にとって総理になるのも必然なら、栄枯必衰も必然だっただろう。時代こそ違え、角栄も清盛も人間の生き方は根底では同じような運命なのだろう。
平家物語は今なお、人間の機微を末永くつたえている。平家物語には今回の話とは違い、膨大な逸話が残っている。琵琶法師の語る平家物語は今なお、日本人の心のルーツにもなっている。
さて、晩年のもと総理の凋落ぶりも、寂しいものであった。権力や金はなくなれば、そこで、おしまいなのだ。愛情や情操などとは縁遠いものだ。
一人の命が地球と同じなら、首相も佐藤昭子さんの命もおなじである。しかし、その狭間で生きざるをえなかった娘敦子さんの命も同じだろう。
これは、彼女の目から述べられた小説であり、彼女の目には映ったものは両親とは全然違ったものだろう。やはり政治家である前に親である視点がもっと、欲しかった。
彼女にしてみれば、彼らに翻弄された人生のようだった。そんな権力はなくてもいい。平凡な両親に育てられていれば、もっと、愛情溢れた人生が彼女にあったかもしれない。
大変ではあろうが、最終的には彼女自身の人生は彼女自身で切り開いてゆくしかない。紆余曲折はあったが、自分でそれを乗り越えて生きていってほしい。
過去は消せないが、前を向いて生きるしか方法はないのだ。酷なきもするが、そうするしか解決策はない。まだ、半分しか、読んでんでないが、人生色々な人がいる。色々な生き方がある。でも、人それぞれは生まれ持った性で生きている。色々なことに翻弄されながらも前向きに生きていきたい。強い心で少しでも明るい光を見つけて前に進むしかない。二歩後退しても三歩前に進めばいい。
また、沢山の女性に子供を産ませたもと首相の罪も、子供たちから見えれば大きなものだと思う。認知されたこと、そうでない子がいたり、可哀想である。
しかし、人間は持って生まれた性でしか、生きてこられなかった気もしないではない。かれには、そういう生き方しかできなかったようである。
この年になると、つくずく思う。自分の人生も過去や未来につながっているのだと言うことを…。自分だけのことでなく広くみんなの幸せも考えて行かなくては…。そのためには、まず、自分の健康が一番である。