想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

でたらめの法則から想う

2016年06月13日 | エッセイ

震災6年6月13日

 

 私の中で、生きている言葉に「でたらめの法則」というのが、あります。以前、このブログでもどこかでふれていたような気がします。
 人間好き勝手なことをやっているように思っていても、究極、人智を超えたある法則により動かされていると言うことです。それが、「でたらめの法則」です。

 そのときに、例を出すのが、じゃんけんの確率です。どんなに勝とう勝とうと思念しても勝つか負けるかあいこしかありません。ですので、勝負は究極は必ず半分半分になっていきます。10回じゃんけんやって、僕の方が8回勝ったよといっても、それは偶然であって、回数を無限に多くして行けば必ず半分半分の確率になっていくのです。賭け事も同じです。最初は勝っていても、数をこなして行けば、最終的には胴元が一番儲かる仕組みになっています。宝くじも同じですね。それは、もはや人智を超えた神の領域だなといつも思います。

 おごれる平氏久しからず、ローマの繁栄、米国の繁栄…、すべて同じようなことだと思います。時間を長くすればするほど、諸行無常で変化していきますので、どこかで繁栄と衰退を繰り返していくのです。ですので、ある意味、人生はリズムであるともいえます。大きな波、小さな波、無風状態が繰り返して起きるのです。それは、自然界を見ていればよく分かります。気圧の変化で空気の移動が起こり、風が起こります。そうしていると、気圧は高から低に向かいますので、その差がなくなってくるのです。それが無風状態です。

 人間には憑きがあります。そのときは何をやってもいい方向にいきます。そうです、つかの間のチャンスです。そのときを見極めれば、大きな憑きにつながります。現実世界ではそれに気づくことが大切です。人生の転換のチャンスです。そのときこそ、突き進んでゆくのがよいでしょう。

 そして、難しいのが、引き際です。どこで、そこから下りるかです。チャンスで乗れても下りるとき失敗するのが凡人でしょう。参戦するときはエネルギーが満ち溢れています。しかし、引こうとするときはだいたいエネルギーがマイナスに方向転換しているときです。それでは、遅いのです。+のエネルギーの状態で引き際を考えないといけないのです。それが、至難の技です。凡人はみな欲のため引き際を間違えます。それも、調子に乗っていると、やがて黄昏を迎えます。人間調子に乗っていると、慢心がたたり、奈落の底が待っているのです。そよぐ風に天の声が聞こえますか。自然と一体となり答えを出すことがピンチから救います。自然と心を一日に一回は重ねましょう。共感すると自然の声が聞こえてきます。そして、共振するのです。そして、決断してください。自然は偉大な教師ですから…。自分をむなしゅうしないとその心は見えてきません。

 さて、気流の話に戻りますが、それも、やがて破られ上昇気流やら何やらの自然環境の変化でまた、気圧の差が生まれて来るのです。それで、また、風が起こります。ですので、人間の生活もいつも栄華を保ちたいと思うことが自然の摂理から行けばおかしいと言うことが分かります。

 人生80年必ずや浮き沈みはあります。個人責任から来るものが多々ありますが、外界の影響でくるものも沢山あります。個人は変わらないと思っても、周りがかわれば個人の生き様も変わらざるをえません。

 約70数年前人類は大きな大戦を経験しました。そこから、色々なことを学びました。うちの母などは戦争で東山動物園前の土地をどさくさに紛れてすべて失ったと聞いています。戦争は大きな変化を起こします。

 人は一人では生きることはできません。周りの環境と連動して生きているのです。どうか、今後の人類も人類だけで生きていると考えるのでなく、周りの森羅万象と連動していると言うことを肝に銘じて生きて行って欲しいです。生き物や自然を大切にし、青い地球を守って欲しいのです。

 そうすれば、人類もまた、彼らと共に長く生きることができるのです。温暖化がじわりじわり私たちの生活に関わってきています。今後、どうなっていくのでしょう。また、個人も祖先とつながっているのです。一人の変化がみんなの変化へとつながっているのです。それが諸行無常の本心です。

 人権思想も大切ですが、周りの大きな環境の中で人権も培われているのだと言うことを理解して思いやりを持って行きましょう。

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恋と愛の違い

2016年06月11日 | エッセイ

 震災6年6月12日


 

 

 巷では恋と愛の言葉が氾濫してしています。安易に誰もがどこでも使っています。情報や物は大量で出回ると価値が下がります。これは経済学でいう限界効用逓減の法則でも明らかです。すべてがパッションで語られがちな今日、ちょっと、この恋と愛の違いについて私なりに考えてみました。

 

 現在は情報が溢れている時代ですから、人の言葉を借りるのは簡単です。しかし、ここで、大切なことは、自分の言葉で考えることです。人は考える葦といったのはパスカルです。そうです。考える葦になって自分の力で考えてみます。今までの価値観、経験値から考えてみたいと思います。

 

 恋とは一時的なものであり、熱病のようなものです。恋はとかく一方的なものであり、盲目にもなります。恋には倫理的な方向感がありません。線香花火のように四方八方飛び散るようなものです。相手のことより、自分の気持ちの高ぶりが優先します。ややもすると利己的です。恋は燃えやすく消えやすいものです。恋には嫉妬、我欲など、仏教でいう煩悩がついうて回ります。恋では好きになった方が負けです。余裕がなくなるからです。

 

 きっかけは恋であってもそれが長く持続して行くうちに、やがて、それは深い愛につながっていく場合があります。それが究極的には永遠の愛につながっていけば最高です。例えば、クリスチャンになるということはキリスト教徒にとっては最高の愛なのかも知れません。愛には思いやりがあります。愛には上下も偏見も利害もありません。それを、超えているのです。愛は深く静かで深遠です。愛は奪ったり奪われたりするものではありません。愛は究極的には真理そのものかもしれません。

 

 愛は遠くを見つめます。愛は永遠を求めます。仏教で言えば仏様に帰依するようなものです。愛は人ばかりでなくすべてあまねく自分以外のものへいきます。生きとし生けるものへの愛です

 

 植物の好きな人はそれに愛を注ぎます。音楽の好きな人はクラシックの名曲を聴いて涙することもあるでしょう。愛は、高まると利己を離れ利他に向かうようになります。

 

 愛は惜しみなく、与えても与えても減ることはありません。愛には質量がありません。愛は無限なのです。愛は静かに進行していきます。愛は相手に負担をかけません。巷に漂っている感じです。愛ある生活とはとは平熱の感じです。

 

 恋が燃え上がり、表面的なものに対して、愛は思慮深く思いやりや慈愛に満ちちています。ですので、恋が愛に向かうベクトル線上にあれば、それは最高な恋です。そうなれば恋も本物です。

 

 愛はパッションから恋に始まり愛に至るもあり、愛は愛に始まり愛に至るもあります。愛に満ちた地上こそ我々が究極もとめるものでしょう。そこにベクトルの流れを作りましょう。

 

 そういえば、こんな時もあったなこんな曲も愛といえるのかなシューベルトのセレナーデシューベルトのアベマリアグノーのアベマリア……。

 

クラシックは奥が深い、まるで天の声を聞いているようだ。心までもが浄化してゆく。


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どんな感じかな?紫キャベツ君の旅

2016年06月10日 | 

震災6年6月10日

 

紫キャベツの色がきれいだったので、その切片を色々な所において楽しんでみた。

紫キャベツ君の一時の旅

どんな感じかな?

①リビングのテーブルの上においてみた。

ダンスを踊り出したようだ。

②門扉の上に置いてみた。

緑陰読書をしているみたいだ。ハンモックに乗ってみたいな。そんな気分…。

③蕗の葉の上に載せた。

滑り台でもしているようだ。おとぎの国に来たみたい。みんな楽しいからここへ来て一緒に遊ぼうよ。

④土に植えた。

やっぱりここが一番落ち着くんだ。

土に生まれて、土に帰る紫キャベツ君だった。

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山路きて

2016年06月09日 | 野山散策

震災6年6月9日



 


ウツボ草  みんな揃って      すまし顔


山道を歩いている。そこで、見つけたウツボ草、みんな同じ方向をむいている。そして、なぜか、すましている。私と距離があるようだ。なんとなくよそよそしい感じがした。



山路きて上から見下ろす 笹ゆりに思わず挨拶 するわたし


この時期、笹百合もだいぶ、数が減って花も終わりに近づいていました。そんなとき、ちょっと、上を見たら笹百合がこちらを向いているではありませんか。温かい雰囲気が流れ、思わず、私は挨拶をしていました。



笹百合は  空を仰ぎて      何想う


上を向いて一体何に思いを巡らしているのだろう?     


 


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対比 白とピンク 短歌

2016年06月09日 | 我が家の庭

震災6年6月9日 


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 カラーの白とあじさいのピンクがお互いを引き立てていたので、写真に撮りました。win winという言葉がはやりましたが、まさに、その関係です。なんでもこうでありたいですね。


 カラーの花は最近とみに増えてきました。白は清潔感がありいいですが、ちょっとモノトーンで物足りない感もしますので、アクセントとして引き立て役があるといいと思います。それが、あじさいのピンクではないでしょうか。
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 カラーは仕入れた記憶はないのですが、他の土に混ざっていたのでしょう。いつのまにか、花は10本近く咲くようになりました。我が家が居心地がいいのでしょうか。最近は毎年この時期になると咲くようになりました。


 梅雨空に 競うように咲く 二つの花          あなたがきれいと 互いをほめあう


 緑濃き 梅雨空染めし 二つ花          切磋琢磨し 互いを伸ばす              



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