読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『知ろうとすること。』 震災と原発事故後を生きる上で大切なことを教えてくれる良書

2014-11-09 17:31:11 | 本のお噂

『知ろうとすること。』
早野龍五・糸井重里著、新潮社(新潮文庫)、2014年


2011年3月11日に起こった東日本大震災。あまりにも甚大であったその被害にも慄き、ショックを受けましたが、それに追い打ちをかけるようなショックを受けることになったのが、続けて起こった東京電力福島第一原子力発電所の事故でした。
それ以前から、原子力発電の存在に対して強い疑問を持っていたわたくしは、刻一刻と報じられる発電所の状況に怖れを抱きつつ、これを契機にして原子力発電のあり方を見直すような議論が巻き起こっていったら•••と、正直期待してもおりました。

しかし、時が経つにつれて、そんなわたくしの気持ちの中に、ざらついた違和感が生まれてきました。原発事故による「放射能」の影響を強調しようとするあまり、明らかに不正確でおかしなデマ的言説が撒き散らされ、それによって生じた風評で福島とその周辺の人たちの気持ちが傷つき、苦しめられていることを知ったのが、ざらついた違和感の原因でした。原子力発電や放射能を否定したいからといって、そのようなことが許されていいものなのか•••と。
そんなざらついた気持ちを持て余していたとき、わたくしのツイッターのタイムラインに流れてきたのが、糸井重里さんによるこのツイートでした。

「ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、『よりスキャンダラスでないほう』を選びます。『より脅かしてないほう』を選びます。『より正義を語らないほう』を選びます。『より失礼でないほう』を選びます。そして『よりユーモアのあるほう』を選びます。」

この糸井さんのツイートに、わたくしは大いに共感いたしました。そしてそれ以来、原発事故に限らずさまざまな問題を考える上で、この考え方をお手本にしながら、冷静に偏らずにものを見ながら考えるよう、心がけているつもりです。
そんな糸井さんの考え方に影響を与えたのは、本書『知ろうとすること。』の共著者である東京大学の物理学者、早野龍五さんだといいます。早野さんは事故直後から事態の推移を分析し、それをツイッターで冷静に伝えることを続けてきました。そして、福島での給食調査や子ども向け内部被ばく測定装置開発にも尽力し、その結果を内外に向けて発信したりもなさっておられます。
この『知ろうとすること。』は、早野さんと糸井さんの対話をまとめた文庫オリジナルの一冊です。語り口はどこまでも平易な200ページ足らずの文庫本ではありますが、震災、そして原発事故後を生きる日本人にとって大切なことが詰まっている良書でありました。

糸井さんは自らを「もともと、科学的にものを考えるタイプの人間ではない」といい、物理学者である早野さんを含め、「非科学的なことも、みんなの中に普通にある」という話がなされます。
そんな、誰の中にもある「非科学的」な部分を踏まえた上で、それでも「心の片隅に『科学的に正しいことを選びたい』っていう意思があるだけで、大げさにいえば未来をちょっとだけ良い方向に進めることができるような気がする」と語ります。
何かことが起こったときにしばしば見かけるのが、感情的でヒステリックなもの言いなのですが、糸井さんはそのような「叫ぶ人」は「信用できない」といいます。

「何か大きな問題が起こったときに、大きい声を出したり泣いたりして伝える、って手法は、歴史的にずっとあったわけです。(中略)でも、本当に問題を解決したいと思ったときには、やっぱりヒステリックに騒いだらダメだとぼくは思うんです。『大変だぞ!』『死んじゃうぞ!』って、でかい声を出している人は、何か落ち着いて説明できない不利なことがあるのに、それはひとまず置いといて、とりあえず大声出せばみんなが来ると思ってやっているんじゃないかと思う。だから、どんなにいい人でも、叫びながら言ってることは注意深く聞かなくちゃいけない。」

わたくしも、考えの違う者をひたすら敵視し、ヒステリックに騒ぐばかりでは、何ひとつものごとは良い方向になど進んではいかないのではないか、と感じることが多々ありました。それだけに、このお話には深く頷きました。
科学的に正しい事実とデータを積み重ね、それを共有することなしに、まともな議論はもちろん、未来を良くしていくこともできないのではないか、ということを、本書はまず教えてくれました。

本書からもう一つ教えられたのは、地道なデータの積み重ねとその分析結果を、広く発信していくことの重要性でした。
原発事故後に初めて、福島における内部被ばくの現状を現地調査によるデータに基づいて分析し、「チェルノブイリ事故の経験に基づく予想よりも、福島の人々が受けた内部被ばくははるかに低い」ということを、査読付きのきちんとした論文で発表したのが、他ならぬ早野さんでした。それも、3万人分ものデータの地道な蓄積があったからこその成果だったのです。早野さんは、そういった論文がそれまで出ていなかったことについて、「日本の発信力の低さを物語っているのかもしれません」と指摘します。
発信力の低さにより、海外にも正確な情報が伝わっていないこともまた問題でしょう。本書の後半、早野さんが福島の高校生3人をヨーロッパのCERN(欧州合同原子核研究機関)に引率したときの話がされるのですが、そのときヨーロッパの高校生からは「生きてる人間が福島から来た」「福島って人が住んでるの?」という驚きの声が上がったといいます。
そんな中で、福島から来た3人の高校生は内部被ばくや外部被ばくについての調査結果や、福島が蒙っている風評被害の実態(福島から引っ越してきた生徒がいじめに遭ったり、検査で放射性物質が含まれていないことが証明されても、なお農産物の価格が元に戻っていないことなど)を英語で発表し、その後の質疑応答まできちんとこなしていた、とか。この話は実に感動的でしたし、希望を感じるものがありました。
海外はもちろんのこと、福島の内外においても、まだまだ不安を感じておられる人たちがいるということも、また事実です。本書では、たくさんの第三者が、「正しいことを広めるお手伝い」を「ひとりひとりが普通に実践すること」の大事さについても語られていて、これにも教えられるものがありました。

福島の外に住む人間として耳が痛かったのが、事故後の福島の現状について、「離れたところに住んでいる人たち」は「離れていることで、やっぱりどこか無責任になっているような気がする」という糸井さんのことばでした。
事故後、福島の皆さんは当事者としてすごく勉強し、新しい知識を当たり前のように吸収しているといいます(実際、そういった話は別のところからも知ることができました)。
「わからないから怖い」で留まったまま、新しい知識や情報に対してオープンではないというのは、「知ろうとすること」とは対極の姿勢なのではないか。そのことは社会の一員としても、そして人間としても、いささか無責任な姿勢なのではないだろうか•••。
われわれ、福島から「離れたところに住んでいる人たち」に向けて、そのように問いを投げかけているのではないかと思われてなりませんでした。

科学的に正しい事実と知識、データをオープンに吸収し、それをもとにして可能な限り的確な判断を下し、行動や言動に結びつける。そのことはどのような意見や考えの持ち主にとっても必要なことだし、それを心がけていくことで、社会と未来を少しでも良い方向に進めることができるのではないか•••。

震災と原発事故後を生きるわれわれにとって、しっかりと心に留めておきたい大切なことを、この薄くて小さな文庫本はしっかりと教えてくれました。
一人でも多くの人に本書が読まれて欲しいと、心から願います。

【読了本】『文人悪食』 「食」を通した文士たちの生きざまと作品世界を濃密に凝縮した出色の評伝

2014-11-03 19:59:56 | 美味しいお酒と食べもの、そして食文化本のお噂

『文人悪食』
嵐山光三郎著、新潮社(新潮文庫)、2000年(元本は1997年、マガジンハウスより刊行)


夏目漱石、森鷗外、正岡子規、島崎藤村、樋口一葉、永井荷風、志賀直哉、石川啄木、谷崎潤一郎、芥川龍之介、江戸川乱歩、宮沢賢治、川端康成、林芙美子、坂口安吾、中原中也、太宰治、三島由紀夫•••等々。
いずれ劣らぬ近代文学史のビッグネームたる文士たちは、何をどのように食べ、飲んだのか。そしてそれは、それぞれの作品世界とどう結びついているのか。本書『文人悪食』は、「食」という側面から、37人の文士たちの足跡と作品を見つめ直した労作です。

著者の嵐山光三郎さんは、執筆にあたって文士たち本人の著作はもちろん、彼ら彼女らと交流のあった人びとの手になる著作や雑誌記事など、膨大な文献を参照したといいます。その数なんと700余り。小さな文字、しかも2段組で13ページにおよぶ巻末の参考文献一覧には圧倒されます。
かくも膨大な量の文献をバックにして綴られた「食」をめぐる文士たちの物語は、一章につき十数ページという短いものでありながらも、それぞれの作品世界と生きざまを濃密に凝縮した評伝として出色で、実に読み応えがありました。

子どもの頃から甘い物好きであったという森鷗外は、なんと饅頭をご飯の上に乗せてお茶をかけるという「饅頭茶漬」が好物だったとか。
それについて嵐山さんは、鷗外がドイツで学んだ衛生学との関係を深掘りします。細菌についての知見を得ることで、生ものに対して極度の警戒心を持つようになったという鷗外は、果物も生で食べずに煮て食べたとか。のみならず、マヨネーズなどの「ドロドロしたもの」を使う洋食は、「作っているときも、皿に盛るときも細菌が入りやすくて衛生上よくない」という持論の持ち主だったそうで、「饅頭茶漬」という珍奇な料理は、そんな鷗外の志向からすると当然の帰結である、と。
さらに上をいくような潔癖性だったのが泉鏡花。とにかくバイ菌が怖くて、大根おろしまで煮て食べていたという鏡花は、鍋物を食するときにも具をとことん煮てから食べていたそうです。
小島政二郎ら文士仲間とシャモ鍋を囲んだときには、煮える具をかたっぱしから食べていた小島に対し、鏡花は鍋の真中に五分に切った葱をせっせと並べた上で、
「小島君、これからこっちへは箸を出さないようにしていただきたいものですな。そっちはあなたの領分、こっちは私の領分、相犯さないようにしましょう」
とジロリとにらみつけた、のだとか。
そんな、私生活における異常なまでの潔癖性が作品世界では反転し、鏡花はまるで「わざと恐怖を体験する自己治療」であるかのように、おぞましい化け物たちが登場するような怪異譚を書き続けた、と。

作品を読むだけでは見えてこなかった、文士たちの意外な生きざまを知ることができるのも、「食」という営みから文士たちを捉え直した本書の面白さでしょう。
教科書にも掲載されるような“美談”といってもいい代表作『一房の葡萄』を世に出しながら、理想主義に破れた挙句に人妻との情死という最期を選んだ有島武郎の修羅。地方に根を下ろした粗食かつ菜食主義者、というイメージとは裏腹に、ひたすら西欧文化に憧れ、肉も食べれば料亭で酒も飲んでいたという宮沢賢治の「自己分裂」。酒が入ると異常なまでの攻撃性を発揮して、大岡昇平や太宰治などの作家や批評家にかたっぱしから喧嘩をふっかけていたという中原中也。等々。
中でも面白かったのは放浪俳人・種田山頭火を取り上げた一章でした。破れた僧衣をまとい、漂泊行乞の境涯を過ごしたことから「清廉な漂泊詩人」のイメージを持つ山頭火。わたくしもやはり、そのようなイメージを強く抱いていたのですが、嵐山さんはこう言うのです。

「しかし、だまされてはいけない。山頭火はいささかも悟らず、脱俗しきった形跡はない。したたかであり、欲の人である。だからこそ珠玉の句が生まれた。」

句のみならず、日記でも食べることばかり記していたという山頭火は、主婦の家計簿のように収支を残すなど、金銭についても細かい性分だったとか。そして、与えられる側の弱さを表出しつつも、与える側、人にものをおごる人の心理をも見抜いていた、というのです。うーむ、なんというしたたかさ。

「山頭火は、弁当は一番気にいった風景のもとで食べ、水も吟味を重ねた。旅をして喉がかわいても、すぐには水を飲まない。喉をからして、からして、からした果てにたどりついた泉の水を飲んだ。この水の飲み方は、酒好きが酒を飲む姿勢に似ている。自分の躰を、水や酒がうまい状態にもっていく。節制は、そのあとの食味を増すための用意である。美食を得るための行乞である。悟りがひらけるわけがない。行乞は、山頭火が、うまい飯を食い、うまい酒や水を飲むための技術であった。山頭火は、谷崎潤一郎の正反対に位置するもうひとつの快楽主義者である。」

この見事なまでの見立てっぷり。それまでどこか別世界の存在のように思われていた山頭火が、なんだか急に人間くさくて身近な存在に思えてきてしまいました•••。

また、文筆においては料理について一切書かなかったという小林秀雄が、実はことのほか料理にうるさかったという話にも面白いものがありました。
馴染みの店で出された柳川鍋が気に入らなかった小林は、「教えてやるから、俺の言う通りやってみろ」と言い、そのお店の柳川鍋を「秀雄流」に改善させたとか。
ところが、後にやってきた永井龍男はその「秀雄流」の柳川鍋を出されて「柳川はこんなに甘いもんじゃない」と叱り、以後そのお店の柳川鍋は「秀雄流」と「龍男流」が揃うようになった、そうな。いやはや、口うるさい文士先生をお得意さまに持ったお店もタイヘンなことよのう(笑)。
もとより、そのように個々の作家のイメージを覆すような側面を知ることは、その作家および作品を否定することにはなりません。むしろ、固着した先入観が崩れることであらためてその作家に興味を抱かせ、作品を読み直してみたいという気持ちにさせてくれたりもいたします。こういうところが、観念だけで語られる文学論、作家論にはない本書の力、であるように思います。

終盤では、檀一雄や深沢七郎、池波正太郎、三島由紀夫といった、嵐山さんが編集者として関わった作家たちが取り上げられます。
それまでの章では、取り上げる作家たちと距離感を保った客観的な記述だったのが、この4人を取り上げた章ではそれぞれの作家たちへの敬慕の念がけっこうストレートに出ていたりして、それはそれでまたいい感じでした。
嵐山さんが日本各地への取材旅行をともにし、その料理術からも多大な影響を受けているという檀一雄。彼が料理に目覚めたのは、子どもの頃に家出をした母親に代わって、妹たちに料理を作ったことがきっかけであったと檀本人は語っています。
しかし、その後の檀に見られた料理への執着については、別の要因があったのではないかと嵐山さんは指摘します。料理は自らの狂気を押さえる自己救済の手段であり、だからこそ檀の料理は多くの人にふるまわれ、人々を楽しく幸せにするとともに、同じ「無頼派」と呼ばれながら、坂口安吾のように薬物で身を持ち崩したり、太宰治のように情死を選ぶことなくふみとどまることができたのだ、と。
ここでもまた、嵐山さんは実に印象的なことばを記しています。

「料理は人を慰安する。
素材を煮込んだり、蒸したり、焼いたり、いろいろといじっている混沌の時間は、狂気を押さえつけ、ひたすら内部に沈静させる力がある。料理に気持をこめることは他の欲望をしずめるための手段である。」


料理を食べることのみならず、料理を作ることの達人でもある嵐山さんだからこそ発することのできた、滋味豊かなことば、ではないでしょうか。

読書の秋、そして食欲の秋にふさわしい、とても美味しい一冊でございました。