『SINRA』11月号(第2号)
編集・発行=天夢人、発売=新潮社
自然にまつわる森羅万象を、読みごたえのある記事とグラフィックな誌面構成で伝えてきた新潮社発行の月刊誌『SINRA』。1994年に創刊したこの雑誌、わたくしも愛読しておりましたが、6年後の2000年に惜しくも休刊してしまいました。
それから14年の時を経た今年の7月、玉村豊男さんを編集長に迎え、隔月刊誌として『SINRA』が帰ってきました。編集プロダクションの「天夢人」が編集と発行を手がけ、新潮社は発売のみという形態での復刊ですが、表紙に掲げられたロゴは紛れもなく以前と同じもので、かつて愛読していた身としても嬉しいところであります。
「田園生活」をテーマとした特集の復刊第1号に続く第2号の特集は「森のいのち」。クマとシカという2つの生きものを通して、森と人との関わりを見直してみようというものです。
まずスポットが当てられるのはクマ。玉村豊男さんの「怖いクマ、かわいいクマ」は、フランスの象徴博物史学者であるミシェル・パストゥローの著書『熊の歴史』(筑摩書房)を援用しつつ、かつては「百獣の王」と称され崇められていたクマが、鈍重で「かわいい」存在へと転落するまでの歴史を辿ります。それによれば、ヨーロッパにおいては自然崇拝の象徴であったクマは、多神教的アニミズムを認めないキリスト教勢力によって行われた大規模な虐殺により頭数を減らされたといいます。その上、サーカスなどで見世物にされたクマは「飼いならされた低い位置の動物」へと貶められていったのだとか。
ここで援用された『熊の歴史』という本、なかなか興味深い内容のようで読んでみたくなりましたが•••値段が5076円。うう、これはすぐに買って読むというわけにはいかんのう。
続く「“里グマ”の言い分」という記事は、昨今頻繁に見られるようになった、クマが食べものを求めて人里へと下りてくる事態の背景に迫ります。
人間の手による開発に伴う自然破壊で森が損なわれ、食べものを得られなくなったことで、クマは人里に出てくるようになった•••といった図式が頭に浮かびがちですが、日本の森は破壊され縮小しているどころか、ろくに手入れも利用もされずに「孤立し見放され、〝無干渉〟という状態」の中で、むしろ成長し拡大しているのだとか。加えて、自然界と人間との緩衝地帯であった里山に人が住まなくなったことで、クマが行動範囲を広めたのではないか、とも。
自然を台無しにする側のみならず、「自然や動物を守ろう」と唱える側も、実のところは図式的な理解だけで自然を見ていて、本当の自然というものをわかっていないのかもしれない。思い込みを排して自然に向き合うことが、クマをはじめとする動物たちと共存するしていくための第一歩なのかもしれない•••。この記事を読みながら、そんなことを思いました。
自然や動物たち同様に、いやそれ以上に、ある種の図式的な思い込みで見られているのが、ハンター=猟師たちではないでしょうか。特集では、そんなハンターたちにもスポットを当てています。
日本における農林業被害の、もっとも大きな原因となっているのがシカによる食害。過剰な保護政策により、かえって増え過ぎてしまったシカを適正な状態に保ち、森の生態系を守っていくために必要なのが、ハンターたちによる秩序ある狩猟なのです。それは決して、命を蔑ろにする行為ではありません。
特集には3人のハンターが登場して、それぞれの自然観や、命をいただく意味について語っています。とりわけ印象に残ったのが、ワナ猟師の千松信也さんのお話でした。
猟を始めて14年目になっても「動物を殺すという行為に慣れるということはない」という千松さん。猟は自然や山間部の人々の暮らしを守る上でも必要なものであることが認知されつつある、としながらも、「大義を掲げた狩猟にはもはや興味はない」と言います。
「森を守るためではなく、自分が食うために狩猟をする。家族や友人たちとしっかり食べられる量の肉が手に入ったらもうそれで十分である。自分の猟場で獲物を獲りすぎたら、次の年から苦労するのは自分だ。逆に獲物が増えすぎても良くない。森の食物が不足し、獲物自体が痩せてしまえば、おいしい肉が手に入らなくなる。」
余計なリクツを排した、このシンプルさこそ、あるべき自然との向き合いかたなのかもしれませんね。いやあ、実にカッコいいなあと思いましたよ。
自然界最強のハンターといえば、オオカミ。すでに日本では絶滅してしまった野生のオオカミを海外から導入し、森の生態系を回復、維持していこうという考え方も紹介されています。海外にいるオオカミたちも、かつて日本にいたオオカミとは生物的な違いはないようなのですが、環境省は「人間が一人でも襲われる可能性がある以上、オオカミの再導入など論外」という姿勢なんだとか。
日本オオカミ協会の会長である丸山直樹さんは、そんな環境省の姿勢について「オオカミの復活による鹿害解消の可能性について調査も研究も行わず、リスクを恐れてもっぱら無視を決め込んでいます。こうした非科学的な態度は、日本の生態系を滅ぼし、国民を不幸にするものです」と強く批判しています。海外からのオオカミ導入についてはまだ、その是非を判断できる材料に乏しいわたくしではありますが、さまざまな局面で見られる思い込みによる非科学的な態度(官に限らず、民の側にも存在する)への批判的問いかけは、傾聴に値するものがあるように思われました。
狩猟によって得られた獲物は、しっかり味わって食するのが礼儀でしょう。そんなわけで、狩猟による鳥獣肉=ジビエの楽しみ方もたっぷり取り上げています。ジビエの旬は秋から冬にかけての時期。そう、今がまさに食べごろの季節なのですねえ。
農林業被害を抑え、里山の環境保全に資するのみならず、地域活性化のカギともなりうるジビエ。現在27の自治体が、ジビエに対する安全基準を設け、その普及に向けて動いているのだとか。
シカの肉は低カロリーなのに高タンパクで鉄分も多めで、イノシシ肉も見かけのわりにはカロリーは牛や豚より控えめ。そんな優れた食材でもあるジビエを美味しく味わうレシピも紹介されています(鹿肉を使ったコロッケはなかなか旨そう)。また、ジビエが味わえる全国のレストランも紹介されていて、フレンチのみならず和風や中華風など、多様な形のジビエ料理が提供されているのを知ることができます。•••そういえばわが宮崎市にも、県の山間部にある西米良村で獲れたシカやイノシシが食べられるお店ができていたなあ。機会をつくって食べに行ってみたいですねえ。
ちなみに、独特の獣臭さから敬遠されることも多いジビエですが、内臓の処理が適切になされれば臭いも出ないとのことで、臭いのあるジビエは「B級以下」なのだとか。どうやらジビエについても、あらぬ思い込みから誤解していたところがあったようですね。
この「森のいのち」という特集記事、森とそこに生きる動物たち、狩猟という営み、そしてジビエに対して持っていた図式的な思い込みを改めさせてくれるいい企画だと感じました。これはぜひとも、多くの方に読んでいただきたい特集であります。
•••とはいえ、もう次号の発売が間近に迫っているわけで(発売は奇数月の24日)、いささか遅すぎるご紹介となってしまいました(大汗)。書店で買い逃した皆さま、どうかバックナンバー注文で入手していただければ幸いです。
特集以外の記事では、古代から続く狩猟文化と自然への畏敬を持つ「マタギ」の里である北秋田市の阿仁(あに)地区の探訪記事が興味深かったですね。阿仁地区を通る秋田内陸線の紹介もあって、彼の地への旅情も誘ってくれます。また、マレーシア、タイ、ベトナムの熱帯に生息する蝶たちを撮影した、昆虫写真家の海野和男さんの写真で構成されたグラビアは、大いに目を楽しませてくれました。
再スタートを切った『SINRA』。今後も、自然にまつわる森羅万象を取り上げながら、われわれの価値観を刷新してくれるような、見ごたえ読みごたえある誌面づくりを期待したいところであります。