読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

『News Diet』 ニュースの呪縛から自由になり、充実した人生を送るための知恵と哲学が詰まった一冊

2021-05-03 07:04:00 | 本のお噂


『News Diet(ニュース ダイエット) 情報があふれる世界でよりよく生きる方法』
ロルフ・ドベリ著、安原実津訳、サンマーク出版、2021年


2021年がまだ半年も経っていないうちから、こういうことを申し上げるのもなんなのですが、今回ご紹介するこの『News Diet』は、今年読んだ中で最も重要な一冊となるのは間違いない!と言い切りたい本であります。
テレビやラジオ、新聞、さらにはデジタル機器を通じて、わたしたちは毎日毎日、膨大な量のニュースにさらされる日々を送っています。しかし、日々大量のニュースを消費する習慣がいかに心身に悪影響を及ぼすのかを、心理学などの学術研究をもとにして明らかにしながら、ニュースを消費する習慣を断ち切る「ニュースフリー生活」の効用を説いていくのが、本書『News Diet』です。

スイス生まれの実業家にして、日本でもベストセラーとなった『Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法』(サンマーク出版)を出した著述家でもある本書の著者、ロルフ・ドベリさん自身、10年以上前までは「ニュース中毒」といえるような状態だったといいます。
手に入る新聞を最初から最後まで読み通すのみならず、外国の新聞や雑誌にも手を伸ばすほどの「貪欲な読者」だったドベリさんは、新聞を読んでいるあいだは「自分は情報に精通し、日常の些細なことには煩わされない」「高い知識を誇るインテリ」なのだという気分に浸ることができた、と当時を振り返ります。
やがてネットニュースにも手を広げ、膨大な時間をニュースのために費やしたドベリさんは、自分自身に問いを投げかけます。「ニュースのおかげで、私は世界をもっとよく理解できるようになっただろうか?よい決断ができるようになっただろうか?」と。
そして、ニュースを消費することが気持ちをいら立たせ、注意力を低下させていることに気づいたことで、「完全に。きっぱりと。即座に」ニュースと決別する「荒療治」に踏み切ります。
はじめのうちは、ニュースを断つことにつらさを感じたというドベリさんでしたが、ニュースなしの生活は「人生の質が向上し、思考は明晰になり、貴重な洞察が得られるようになり、いらいらすることが減って、決断の質が上がり、時間の余裕ができ」るという、劇的な効果をもたらすことになります。2010年以降、ドベリさんは日刊紙を購読していないだけではなく、テレビやラジオのニュースも視聴せず、ネットニュースに浸ることもしていない、とか。

身の回りにあふれているニュースの洪水。それに依存することはアルコールと同じくらい、いやむしろアルコールよりも危険度が高いと、ドベリさんは言い切ります。本書は、ニュースに依存することの危険性が、さまざまな心理学的な知見や各種の調査結果をもとにしながら、明快に説明されていきます。
たとえば、ニュースを消費することにともなう時間の浪費。ニュースを見聞すること自体にかかる時間もさることながら、ニュースによって逸れた注意をまたもとに戻すための「切り替えコスト」にも時間が費やされます。さらに、頭の中から離れないニュースの内容について考え続ける時間も考慮に入れれば、少なくとも1日あたり1時間半、1年あたりだとまる1ヶ月もの時間を無駄にしている、とドベリさんはいいます。軽い気持ちで日々行なっているニュースチェックが、かくも大きな時間の損失につながっていたとは!と驚かされました。
多くの時間を費やしながら膨大なニュースを消費したところで、物事や世界に対する理解が深まるかというと、決してそうではありません。メディアはただただ「事実」を並べ立てるだけで、それらの出来事同士の複雑な関連性や因果関係を説明することはほとんどありません。そのようなニュースを消費することは、自分の確信を後押しする情報に敏感になる「確証バイアス」や、すでに頭の中にあって取り出しやすい情報を優先する「利用可能性バイアス」といった、心理的な思い違いを強化することにつながっていきます。これでは、物事や世界に対する理解は深まるどころか、かえって歪められたものにしかならないでしょう。

ニュースを消費することは物事や世界の見方を歪めてしまうのみならず、心身にも有形無形の害が及ぶことを、本書は指摘します。
ネガティブな内容のニュースを日々消費することは、悪いことは良いことよりも重要だと感じられる、人間が生存のためにもともと持っている習性である「ネガティビティ・バイアス」による反応を強めてしまい、それが個人的な心配ごとを深刻化させてしまうといいます。また、自分ではどうしようもないニュースばかりを連日聞かされることで「学習性無力感」に陥ってしまうことで気力を奪われ、ふさぎ込みがちになるという弊害も。
ニュースの消費によって生じる慢性的なストレスは、ひいては心身の健康をも危険にさらすことになると、本書は警鐘を鳴らします。不安症状が現れたり、攻撃性が高まったり、物事を見る視野が狭くなったりといった精神面の副作用に加え、消化不良や成長障害(細胞や髪や骨に対して)、さらには感染症に対する抵抗力を弱める原因にもなる・・・と。
さらにゾッとすることには、ニュースの消費は情報にすばやく目を通すことに適した脳の領域こそ鍛えられるものの、注意力や倫理的な思考などを司る前帯状皮質の脳細胞は退化してしまい、深く掘り下げた内容の本を読むことができなくなってしまう、というのです。そのことを、さる研究者はこんなふうに表現しているとか。「私たちは、くだらないものに注意が向くように、自分たちの脳をトレーニングしているのだ」。
そうならないためにも、ドベリさんは「いますぐに」ニュースを生活から排除し、ニュースから自由になるよう呼びかけます。テレビや新聞、そしてネットでニュースを視聴、閲覧することをやめるかわりに、「世界の複雑さを伝えられるだけの能力や情報源を持ち、事実をしり込みせずに伝えている雑誌や本」を読もう、と。

とはいえ、ニュースが空気のようにわれわれを取り巻く中にあって、「世界で起きていることを知るためにもニュースは重要」という固定観念を覆すのは、容易なことではないでしょう。
そんなわたしたちに対して、ドベリさんは「あなたの人生における重要なこととニュースには、なんの関連もない」と断言します。ニュースの重要度とメディアの関心の高さは反比例していて、むしろ「報じられていない出来事のほうが、重要度は高い場合が多い」と。そして、こう訴えます。

「あなたにとっての重要事項を、メディアから見た重要事項と混同してはならない。メディアにとっては、読者の注意を引くものはすべて重要なのだ。ニュース産業におけるビジネスモデルの核をなすのは、この欺瞞である。メディアは、私たちとは無関係なニュースを重要なこととして私たちに提供しているのだ。
「重要なことVS新しいこと」ーーそれこそが、現代に生きる私たちの戦いの本質なのである」

さらに、ニュースを遠ざけていることに対する「世界の貧困層の苦しみや、戦争や残虐行為にはまったく関心がないということですか?」といった非難については、ニュースで報じられている以外にも起きているであろう、別の大陸やほかの惑星でのもっとひどい残虐行為には「関心を持つ」必要はないのか?と問いかけ、「メディアの消費を通して世界の出来事に関心を持つ」ことが、いかに大きな自己欺瞞なのかということを鋭く突きます。

「覚えておこう。あなたの人間性は、悲惨なニュースをどのくらい消費するかで測られるわけではない。その際に覚える同情の大きさで決まるわけでもない」

そもそもニュース自体が、事実や真実から遠ざかっていく方向になっていくであろうことにも、本書は警鐘を鳴らします。アルゴリズムにより、個々の消費者の嗜好に合わせたフェイクニュースをコンピュータプログラムが自力でつくるようになれば、どんなに批評眼がある人でも抵抗するのは不可能になるだろう・・・と。コンピュータプログラムの手でこしらえられたフェイクニュースを見て「世界や物事を理解した」つもりになるとすれば、これほど馬鹿げたことはありますまい。

ニュースの洪水に溺れることなく、重要な情報とそうでない情報を選別する上で必要な考え方として、本書では「能力の輪」という概念が紹介されています。これは著名な投資家であるウォーレン・バフェット氏が提唱しているもので、人は能力の輪の内側にあるものには習熟できる一方で、輪の外側にあるものは理解できないか、ほんの一部しか理解できない、とする考え方です。ドベリさんはこの考え方をキャリア形成のみならず、メディアが発する情報の選別にも活用するようアドバイスします。「能力の輪」の内側にある価値ある情報だけを取り入れて、輪の外側にある情報はすべて無視したほうがいい、と。

ドベリさんは、本書の基調となっている人生哲学を、次のように言い表しています。「ものごとには自分が影響を及ぼせることと、及ぼせないことがあるということ。そして、自分が影響を及ぼせないことに対して感情を高ぶらせるのは愚かだということだ」。
そのような人生哲学を踏まえた上で語られる以下のくだりは、わたしの心に強く響くものがありました。

「自分にとって何が重要かを自分で決断する自由は、よい人生の基本要素だ。言論の自由よりもさらに根本的な基本要素だ。
重要な最新情報だと喧伝される報道に、いちいち頭のなかを乱されるのを拒む権利は誰にもある。すでに私たちの頭のなかはいっぱいだ。
新しいものをもっと詰め込むのはやめにして、頭を浄化し、解毒し、いまあるごみを取り除こう。情報を追加するより、削減するほうが得られるものはずっと大きい。
現代では「より少ない」ことにこそ豊かさがあるのだ」


ニュースを消費することを無意識に行い、それに疑問を抱くこともない多くの現代人にとっては、『News Diet』の主張はいささか突飛なものに映るかもしれません。しかし、わたしには自然に納得でき、かつ強く共感できるものがありました。実はほかならぬわたし自身も、この一年以上テレビやラジオ、新聞などのニュースを極力遠ざける「ニュースフリー生活」を実践している身なので。
そのきっかけとなったのが、すでに一年以上にわたって延々と続いている、新型コロナウイルスをめぐる過剰なまでの報道の氾濫です。中国・武漢での「未知のウイルス」によるパニックの発生を皮切りに、メディアは多くの時間とスペースを割いて、新型コロナをめぐる報道に狂奔し続けています。その膨大な量もさることながら、内容のほうも冷静さを欠いたセンセーショナルな煽りばかりが目立ち、そのことが社会の混乱に拍車をかける結果となっています。
全体に占める割合や、他の病因との比較もなにもないまま、毎日毎日大本営発表のごとく一日あたりの「感染者」の人数とその累計を繰り返す。全体の数からすればレアケースであるはずの「重症化」や「後遺症」の事例ばかりを強調する。特定の業種を「感染の温床」であるかのように言い募り、それらに対する規制や「自粛」を正当化するかのような雰囲気を醸成する・・・。そんなメディアの新型コロナがらみのニュース報道は人びとの心を蝕み、社会を息苦しいものにしています。他者に対して不信感を募らせ、攻撃的になる人たちが増える一方、心を病んだあげく自ら死を選んでしまう人の数も増えてきています。そんな社会の現状を見るにつけ、News Diet』のプロローグに記されている「いまやニュースは無害な娯楽媒体から人間の健全な理解力を損なう大量破壊兵器に変化している」ということばは、なんら大げさなことには思えませんでした。
わたしは早い段階から、洪水のようなメディアのコロナ報道のありように異様なものを感じ、テレビやラジオ、新聞などでニュースを追うことを極力控えるようにしてきました。そのおかげで気持ちが病んでしまうこともなく、比較的落ち着いた気分を保つことができています。なによりも読書の時間が増えて、込み入った内容の本とじっくり向き合えるようになったことは、大きな収穫でありました。なので、News Diet』が説くところの「ニュースフリー生活」が、どれだけ楽しく充実した人間らしい営みであるのか、身をもって実感することができます。

News Diet』の原書が刊行されたのは新型コロナの流行以前でしたが、コロナ流行の真っ只中に刊行された日本語版の巻頭には、日本の読者に向けた序文が掲げられています。その中でドベリさんは、「ニュースメディアは私たちになんらかの付加価値を提供することも、まとまった知識や深みのある分析をもたらすこともできないということを、コロナは示してくれた」と述べます。
そして、「そもそも私たちは、すでに数百万年も前からパンデミックとともに生きている」といいます。そのパンデミックとは「死」。ドベリさんは、古代ギリシャ起源でローマ帝国に最盛期を迎えたストア派の哲学を踏まえ、死はわたしたちの人生の一部であることを意識し、「心のなかで最悪のケースに備えていれば、不安は減って、心の平静は深まり、より明晰な思考ができるようになる」と語り、コロナばかりを過剰に恐れる現代人を戒めます。
ここに限らず、本書ではセネカやエピクテトス、そしてマルクス・アウレリウス・アントニヌスといったストア派哲学者たちの叡智が、「思考の道具」として至るところで援用されています。本書を読むうちに、ストア哲学にも俄然興味が湧いてまいりました。

コロナ騒ぎによって、ニュースが社会や人心を破壊する「大量破壊兵器」であることがはっきりしてきた昨今。ニュースの呪縛から自由になり、より良い人生を送るための知恵と哲学を平易な語り口で説くNews Diet』は、まさにいま、多くの人に読まれてほしい、いや、読まれるべき一冊であります。


【関連おススメ本】
『読書と人生』 寺田寅彦著、KADOKAWA(角川ソフィア文庫)、2020年

独創的な研究を残した物理学者であり、夏目漱石門下の文人でもあった寺田寅彦の随筆の中から、読書や書物、学問といったテーマの作品を一冊にまとめたものです。
本書に収められているジャーナリズム論「一つの思考実験」は、あらゆる日刊新聞を全廃することのメリットとデメリットを思考実験という形で検討していくというもので、まさしくNews Diet』の先駆けといってもいい内容。いまから100年近く前の大正11年という時期にこのような問題提起を行なった寺田の慧眼は、本当に見事だと思うばかりです。当ブログの紹介記事はこちら。→ 角川ソフィア文庫で読む寺田寅彦随筆集(その3) 寺田流の「読み」と「学び」を概観できる『読書と人生』


『デジタル・ミニマリスト スマホに依存しない生き方』 カル・ニューポート著、池田真紀子訳、早川書房(ハヤカワ文庫NF)、2021年(元本は2019年に早川書房より刊行)

人をスマホに依存させる巧妙な罠から脱け出して、本当に大事なことに集中するための「デジタル片づけ」の方法論を説き、デジタルデバイスとの適切な付き合い方を提案する良書です。手放すべきことを手放すことで真の豊かさを得る哲学という意味で、News Diet』とも共通するものがありそう。あらゆることがオンライン化している今だからこそ、本書もあらためて読まれる価値があるように思います。単行本で読んだときの、当ブログの紹介記事はこちら。→『デジタル・ミニマリスト』 人生を充実させるための、テクノロジーとの適切な関わりかたの知恵が得られる良書

『FACTFULNESS 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』 ハンス・ロスリング&オーラ・ロスリング&アンナ・ロスリング・ロンランド著、上杉周作&関美和訳、日経BP社、2019年

刊行から2年以上が過ぎた現在も好調に売れ続けているベスト&ロングセラー。マスメディアの報道によって刺激される「ネガティブ本能」や「恐怖本能」「過大視本能」などの歪みやバイアスを排し、データに裏打ちされた事実に基づいて世界の姿を捉えるよう訴える本書も、いま改めて読まれるべき一冊といえましょう。


『リスクにあなたは騙される』 ダン・ガードナー著、田淵健太訳、早川書房(ハヤカワ文庫NF〈数理を愉しむ〉シリーズ)、2014年(元本は2009年に早川書房より刊行)

恐怖の感情に支配され、リスク判断を誤ってしまう心のメカニズムを心理学の知見から解き明かすとともに、国家や企業、活動家、そしてメディアがいかにして恐怖本能をあおってきたのかを、豊富な実例とともに暴き出していく一冊です。「X人が死亡した」という分子の部分は伝えるけれど、「Y人のうちの」という分母については伝えないという「分母盲目」の話など、まさしく目下の新型コロナ報道そのものでしょう。
わたしはコロナ騒ぎがヒートアップし始めた昨年春ごろの段階で本書を読んだおかげで、メディアの過剰な報道には距離を持って接することができました。その意味で、本書はわたしにとって「恩人」ならぬ「恩書」であります。


『ジャーナリストの生理学』 オノレ・ド・バルザック著、鹿島茂訳、講談社(講談社学術文庫)、2014年(元本は1986年に新評論より刊行、1997年にちくま文庫に収録)

『谷間の百合』などの名作で知られるバルザックが、19世紀のパリに跳梁していたジャーナリストたちの生態を類型化し、皮肉を効かせた語り口で徹底した批判を加えた一冊です。場所や時代は違えども、「社会正義」を掲げるジャーナリズムの欺瞞はまったく変わらないということが、実によくわかります。当ブログの紹介記事はこちら。→『ジャーナリストの生理学』 昔も今も変わらないジャーナリズムの病理を、完膚なきまでに暴き出したバルザックの怪著にして快著


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