読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【たまには名著を】 現代にも通じる知恵と教えがたっぷりと詰まった『養生訓』

2020-03-12 06:13:00 | 本のお噂


『養生訓』
貝原益軒著、松田道雄訳、中央公論新社(中公文庫プレミアム)、2020年(旧文庫版刊行は1977年)


恐縮ではありますが、まずは私ごとから始めさせていただくことをお許しくださいませ。
昨年のことですが、勤務先の検診で自分に「糖尿病の気がある」ことが判明しました。血糖値やγ–GTPの値が、基準値よりもかなり高かったのです。とはいっても、べつだん症状らしい症状が出ていたわけではありませんし、いまいち実感が伴わないところがありましたが、これまで病気らしい病気もなく、自分はそれなりに健康体だと思い込んでいただけに、その結果は軽くショックでありました。
以来、月1回は病院で検査を受けて数値を確かめながら、処方された薬を飲み続けるかたわら、生活習慣の改善に取り組んでおります。それまで毎晩のように飲んでいたお酒を週1〜2回にとどめ、1回に飲む量も減らす。食べ過ぎや偏食を慎み、バランスのとれた食事を腹八分程度に食べる。運動する習慣をつける・・・。最後の一つは充分に守れているとは言い難いのですが(苦笑)、飲食の習慣を改善した効果は思いのほかテキメンで、かなり高かった血糖値やγ–GTPの値はだいぶ下がり、基準値へと近づいてまいりました。ありがたいことです。
(お酒を控えめにしたことの効果は体の数値を改善することにとどまらず、酔って眠くなることが少なくなったために読書量が増えてくるという、嬉しい副産物ももたらしてくれましたが)
そういう体験をすることで否応なく、健康を守ることの大切さに関心が向き、興味を抱いて読んでみた一冊が、この『養生訓』でありました。
江戸時代の儒学者であり、当時としては長寿である80歳過ぎまで生きた貝原益軒が、健康長寿の方法論を微に入り細に入り説いた健康法の古典として、現在に至るまで読み継がれ続けている『養生訓』。今回読んだのは、医師で思想家でもあった松田道雄(『私は赤ちゃん』『育児の百科』などの著書で広く知られます)の現代語訳により、1977年に刊行された旧中公文庫版を改版し、僧侶・作家の玄侑宗久さんによる巻末エッセイを追加して、今年(2020年)1月に刊行された新版です。

益軒はまず、飲食の欲や好色の欲、しゃべりまくりたい欲、七情の欲(喜・怒・憂・思・悲・恐・驚)といった「内欲」と、天の四気である風・寒・暑・湿の「外邪」を、からだをそこなう物として遠ざけることが養生の術である、と説きます。とりわけ、内欲を抑えることの重要性は、本書の至るところで口酸っぱいくらいに強調されます。
「自分をかわいがりすぎるな」との小見出しがついた項目では、このように述べられています。

「およそ自分をかわいがりすぎてはいけない。おいしいものを食べすぎ、うまい酒を飲みすぎ、色を好み、からだを楽にして、怠けて寝ているのが好きだというのは、みな自分をかわいがりすぎるのだから、かえってからだの害になる」

これまで長いこと、好きなものを好きなだけ食べ、休肝することもなくほぼ毎日のようにお酒を呑み、そのあと眠くなって寝そべってしまう・・・という、「自分をかわいがりすぎ」た生活を送っていたわたしとしては、なんだか益軒先生に叱られでもしているかのような気がして、身の縮まるような思いがいたしました。ラクな生活習慣に流されがちなわれわれ現代人にも、実に耳の痛い戒めではありませぬか。
そう。益軒先生はまさしく「善いことも悪いこともみな習慣からおこる」ということも喝破しているのです。これまた、自分を甘やかしすぎてラクなほうへと流れていった挙句、糖尿病などの生活習慣病に悩まされているわれわれ現代人にも通ずる戒め、だといえるでしょう。

そこで大切となる考え方が「中を守る」=過不足のないようにする、ということ。腹いっぱいに食べるとあとで禍いがあるので、食事は腹八分を心がけ、同じものばかりを続けて食べないようにする。お酒を飲むときも酔い過ぎにならないようにする・・・。それらの考え方は、現代においてもそのまま通用するものばかりです。
わたしが大いに唸ったのは、以下のくだりでした。

「怒ったあと食事をしてはいけない。食後に怒ってはいけない。心配事をしながら食べてはいけない。食べてからあと心配してはいけない」

そうなんですよね。気持ちが安定していない状態で飲食をすることは、バランスを欠いたものとなって体にも良くはなさそうですし、そもそも十分に味わいながら美味しく食べることもできないでしょうから、これは大事な心得だと思いました。
こころの持ちようについても、現代人の参考になるような有益な教えを説いてくれています。

「心はいつも従容として静かで、せかせかせず和平にするのがよい。ものをいうときはとくに静かにして口数を少なくし、無用のことをいってはならぬ。これが気を養ういちばんいい方法である」

常にせかせかと毎日を送り、言わなくてもいいことをべらべら喋りまくってはトラブルを招いて疲弊する・・・そんな実例をしばしば目にしているだけに、この教えには頷かざるをえませんでした。

自分をかわいがりすぎることのないよう、内欲を抑える。それは病気を予防することにもつながるということも、本書では説かれています。
益軒は、「戦わずして勝つ」という孫子の教えを引きながら、勝ちやすい欲に勝つことで病気にならないようにすることは、「よい大将が戦わないで勝ちやすいものに勝つようなものだ」と述べます。そして、あとで病気になって苦しむくらいなら、はじめに少しだけがまんして、あとの心配がないように用心すれば、後に悔いがないのだ、と説くのです。
現代においても重要なこととされる予防医学の考え方が、すでに江戸時代で説かれているということにも唸らされます。このあたりにも、益軒の先見性を感じずにはいられませんでした。

病気に用心するだけでなく、もしものときに身を寄せる相手である医者の選び方についても、本書は懇切丁寧に指南してくれています。
益軒は、医者には学問があって医学にくわしく、〝医は仁術〟という志を持った「良医」と、医学も知らなければ志もなく、旧説にこだわっているくせに虚名だけでもてはやされている「俗医」の二種類があると述べた上で、こう注意を促しています。

「およそ医者が世間にもてはやされるか、もてはやされないかは、良医が選定したことではなく、医道を知らないしろうとのすることであるから、たまたまよくはやるからといって良医と思ってはいけない。その術は信じられない」
「医術を知らないでいては、医者の良し悪しもわからず、ただ世間でもてはやされている人を良いと思い、はやらぬ人を悪いと思ってしまう。(中略)医者の良し悪しを知らないで、庸医(やぶ医者のこと)に父母の命を任せ、自分のからだを任せ、医者に誤診されて死んだ例が世間に多い。用心しないといけない

メディアでしきりにもてはやされ、知名度も高い存在でありながら、医学的・科学的な見地からすると首を傾げるような、疑わしい主張を展開する医師が存在する現代においても、益軒が説く医者の見分け方は(幸か不幸か)実に有益なのではないか、と言わざるをえません。

『養生訓』の中で最も感銘を受けたのは、老後の過ごし方についてのべた「養老」という章でした。年老いた体を大切にするためのアドバイスとともに力説されているのは、老後を楽しく生きることの重要性です。その力のこもったことばには、胸打たれるものがありました。

「年とってから後は、一日をもって十日として日々楽しむがよい。つねに日を惜しんで一日もむだに暮らしてはいけない。世の中の人のありさまが、自分の心にかなわなくても、凡人だから無理もないと思って、子弟や他人の過失や悪いことには寛大にすべきで、とがめてはいけない。怒ったりうらんだりしてはいけない。(中略)いつも楽しんで日を送るがよい。人を恨み、自分を憂えて心を苦しめ、楽しまないで、つまらなく年月を過ごすのは惜しいことと思うがよい。これほど惜しむべき月日であるのを、一日でも楽しまないで、むなしく過ごしたとあっては、愚かというほかはない。(後略)

もしかしたら、健康で長く生きるために最も大事なことは、ここで述べられていることに尽きるのではないか・・・わたしには、そのように思えてなりませんでした。欲に振り回されないように気をつけながらも、毎日を楽しく生きていくことを心がけたいものだと、つくづく思いました。
もうひとつ、わたしが励まされた箇所は、冒頭の「総論」の中にあった「人生は五十」という小見出しがついた項目でした。学問が進んだり、知識が開けたりするのは長生きしないとできないことなので、養生の術で年を保って五十歳をこえ、六十以上の「寿の世界」に入っていくよう、益軒は説いてくれています。
わたし自身も現在五十歳ちょうど。これまでの不摂生を改め、過不足のない生活習慣で少しでも長く生きて、いろいろな知識が開けていくことのヨロコビを感じられるようにしなくちゃな・・・そう思った次第でありました。

現代にも通じる知恵と教えがたっぷりと詰まっている『養生訓』ですが、江戸時代という時代の制約からくる、現代では使えない部分が数多くあることも確かであります。天から降ってきた雨水は「性がよい」ので薬や茶を煎じるのによろしい、とか、夜寝るときには「かならず側臥位で寝ないといけない」と妙なことを強調していたり・・・などがその例でしょう(現代の医学的な感点から注意すべき箇所については、訳者である松田氏が註釈を加えております)。また、「気」の流れを重視する東洋医学的な考え方も、西洋医学的な考え方に慣れた頭では正直、ピンとこない感じがいたしました。
なので、現代にはそぐわない箇所については、「ふーん。昔はこういう考え方をしてたんだねえ」と興味深く読むだけにとどめて、今でも大いに「使える」ところをしっかりと取り入れていくことが肝心だと思います。
ほかならぬ本書にも、このように述べている箇所があります。

「およそ古来、術を述べた人の本は、往々偏向がある。(中略)よく選んで取捨しないといけない」
「およそ諸医の治療書にはかたよった説が多い。誰か一人を本家とし、その人の本だけを用いていては治療ができない。研究者たるもの、多く治療書を集め、ひろく異同を研究し、そのいい所をとり、間違った所を捨てて医療をすべきである

偏った食べかたや飲みかただけでなく、偏った方法論や考え方に固執することをも戒めてくれているとは。益軒先生、ほんと慧眼の持ち主だったんですねえ。


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