読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

倉敷・2年半ぶりの浪漫紀行(その3) 感慨深かった旧大原家住宅の再訪、そして美味しいお昼ごはん(と地酒)

2022-05-22 21:24:00 | 旅のお噂
(倉敷への旅のお噂、「その1」と「その2」はこちらであります↓)
倉敷・2年半ぶりの浪漫紀行(その1) 久しぶりの美観地区は、圧倒的な人の波だった


どうやら前の晩は、やはりいささか飲みすぎてしまっていたようであります。
少しばかり前夜のお酒が残っていたため、倉敷2日目となる5月4日(水)のホテルでの目覚めはイマイチ重たいものとなってしまいました。呑み歩きの前にせっかく買っておいたドリンク剤の一本を、呑んだあとに服用するのを忘れたまま寝てしまったのが敗因のようで・・・。いやはや。
とはいえ、起きてしばらくぼーっとしているうちにだいぶ気分も持ち直してきましたので、ホテルの中にある朝食会場へ行き、和朝食セットをいただきました。

そこそこ品数があったので、全部食べ切れるかなあと思ったのですが、幸いにも残すことなく完食。ノドも乾いていたので、おかわり自由のドリンクコーナーから野菜ジュースやオレンジジュースをやたら何杯も飲んだりなんかして、係の方が思わず苦笑いしておられました。いやはや。ですがおかげさまで、2日目の倉敷散策のエネルギーをチャージすることができました。

朝食を終えて身じたくも済ませたあと、さっそく朝の倉敷散策に出かけました。倉敷はこの日も朝から快晴で、絶好の散歩日和でありました。
倉敷散策の醍醐味が味わえる時間帯といえば、まずは通りに漏れる灯りが美しい夜の時間帯、そしてもうひとつは朝早い時間帯であります。まだそれほど歩く人も多くないので、風情ある街並みや建物をじっくりと見て歩けるのが、いいんですよねえ。
倉敷に来てよかったなあ・・・そんな思いがしみじみと、気持ちに広がってくるのを感じます。




そんな倉敷風情を醸し出してくれる建物のひとつが「倉敷館」。大正6(1917)年に町役場として建てられたもので、現在は観光案内所および無料休憩所として活用されております。まさに大正浪漫といった感じの、縦長の窓が美しい素敵な建物なのですが・・・その入り口からズラリと並ぶ人の列が。

この方たち、どうやら倉敷川を川舟に乗って遊覧できる「川舟流し」の乗船券を、ここで買おうとお並びのようでありました。「倉敷館」のオープンは午前9時からなのですが、その1時間近く前から、こうしてお並びの皆さんがおられるというのが驚きでありました。その後、9時ごろに再びここを通りがかると、列はさらにさらに長〜いものとなっておりました。いやはや、スゴい人気だねえ。

大原美術館と並んで有名な倉敷のスポット、倉敷アイビースクエアへ足を向けました。
倉敷紡績所(現クラボウ)の工場として、明治21(1888)年に建設されたもので、現在は資料館やホテル、レストラン、陶芸工房などを擁する複合施設となっています。ツタ(アイビー)に覆われた、味わい深い赤煉瓦の建物は、近代化産業遺産にも指定されております。
まだ朝早い時間帯だったので、売店以外の施設はオープン前ではありましたが、それでも構内を散策したり、広々とした中庭で憩う観光客の方々がちらほらと。




散策を楽しんでいるうちに、いつしか時刻は午前9時。美観地区にもだいぶ、歩く人たちが増えて賑やかになってきました。
2日目のメインとなる大原美術館でのアート鑑賞の前に、それを設立、発展させた大原家の功績を再確認しておきたいと思い、美術館の向かいに立つ旧大原家住宅を見学いたしました。

寛政7(1795)年に建てられた大原家代々の当主が暮らした邸で、国指定の重要文化財にも指定されています。現在は「語らい座 大原本邸」として、大原家の足跡を伝える資料や所蔵品が展示されているほか、大原家の蔵書に囲まれたブックカフェも設けられております。最初の倉敷訪問以来、2回目の見学であります。
今回の倉敷旅行に先立ち、一冊の本を再読してまいりました。大原總一郎の辿った足跡を追った評伝『大原總一郎 へこたれない理想主義者』(井上太郎著、中公文庫)です。
(この本も素晴らしい一冊でしたので、あらためて機会を設けて詳しく紹介できたら・・・と思っております)

「わしの目は十年先が見える」と語ったという、父親の大原孫三郎譲りの先見性と志を持つ一方で、軽佻浮薄な世間に流されない、確固とした哲学とポリシーをも併せ持っていた總一郎の生き方考え方に、再読してより一層深い感銘と敬意を覚えたばかり。なので、2度目の見学とはいえ感慨はひとしおでありました。
入り口を入ってすぐの土間には、孫三郎や總一郎などの大原家の人びとが語ったことばが、天井から降り注ぐような形で掲示されています(ちなみに館内はすべて、撮影はOKであります)。

それらのことばの中で、ひときわ気持ちに響いたことばが、こちら。

「感情を出発点とした政策には賛同できない」
このことばには、ほんとその通り!!と強く頷きまくりでした。冷静でまっとうな現実認識やポリシーを欠いた感情論に基づいた「政策」が、いかに国と社会をおかしくするのか、いまの日本を見ればよくわかるというものではありませんか。
そばでご案内してくださった係の女性の方に、いやあこれはほんといいことばですねえ!と唸らされつつ申し上げると、果たせるかな「これは總一郎のことばなんですよ」というお答えが。いやはや、さすがは總一郎さん!確固とした見識でありますねえ。
總一郎さんってほんとに素晴らしい方ですよねえ、今の日本に總一郎さんのような人がいてくれたら、とつくづく思いますよホント・・・と一人で勝手に熱くなりながら、總一郎への賛辞を語りまくるわたしに、係の女性はニコニコ笑いつつ頷いてくださったのでありました。

まるで倉敷の町中の路地そのもののような、蔵が立ち並ぶ小道を進んだ先には、かつて孫三郎や總一郎も憩いと思索のひとときを過ごしたという「離れの間」があります。


畳敷きのお座敷から庭を見ると、そこは一面に5月らしい新緑。閑雅な趣とまばゆいばかりの新緑の美しさが溶け合った光景に、いやはやこれは絶景だのう・・・とため息をつきました。その一方で、この木々が赤く色づく秋の庭の光景もまた最高だろうなあ・・・という思いもいたしました。
そのときお座敷におられた見学客の皆さまも、畳に座り込んでこの絶景をじっくりと眺めつつ、それぞれ思い思いのひとときを過ごしておられました。中にはお抹茶とお菓子のセットを注文して、それを味わいつつ庭を眺める方も。
しばし「離れの間」で過ごしたあと、大原家の米蔵を改装して設けられたブックカフェへ。ここでは、約2000冊に及ぶ總一郎の蔵書に囲まれながら、コーヒーとケーキを味わうことができます。収められた書物は自由に取り出し、読むことができます。





書棚を見ていて唸らされるのは、収められた書物のジャンルの広さ。本業に関係する繊維化学や経済の書物はもちろんのこと、哲学や思想、宗教、文学、芸術、音楽、民芸、そして野鳥に関する書物・・・。経営者として、そして文化人としても傑出した存在であった大原總一郎の人物像は、こういった広くて深い知的蓄積によって形成されたんだなあ・・・ということを実感させられます。
書棚をひと通り眺め渡したあと、コーヒーと抹茶ケーキをいただきながら、しばし憩いのひとときを。


ここには總一郎自身の著書や、大原家に関する書物も収蔵されているのですが、その中に孫三郎の妻にして總一郎の母、そして歌人でもあった大原寿恵子の歌集がありました。
昭和初期に刊行されたそれを開いてみると、「宮崎」と題がついた歌が3首収められていました。いずれも、わが宮崎市を流れる大淀川の光景を詠んだものです。

  朝日かげさし輝けりひろらなる大淀川の水面(みのも)はるかに

  鶏のこゑ遠く聞こゆれあかときの大淀川のながれ静けし

  ひろらなる大淀川の川なみに静かにうかぶ鴨の群かも

岡山に孤児院を創設し、孤児たちの救済に尽力した宮崎県出身の石井十次は、孫三郎とも深い結びつきを持っていました(孫三郎が寿恵子と結婚したときの媒酌人もつとめています)。その縁で宮崎を訪れたときに詠んだ歌だったのでしょうか。いずれにせよ、ふだん見慣れた地元の大淀川の昔を偲ばせる歌を、ここ倉敷の地で目にすることができて、なんとも感慨深いものがございました。

2度目の訪問とはいえ、より一層感慨深いものとなった旧大原家住宅の見学を終え、ふたたび本町通りへやってまいりました。
この界隈に、なんだか気になる施設が新しくできたことを知り、立ち寄ってみることにいたしました。阿智神社へと登る石段の下にある「浮世絵倉敷/国芳」というギャラリーであります。

大胆な構図と躍動感のある描写、そしてけばけばしいまでの色彩感覚を持った作品群を生み出し、今もなお多くの人びとを惹きつける異能の浮世絵師・歌川国芳。その作品を100点あまり集めて展示した「世界初」の国芳ミュージアムという触れ込みの施設です。
国芳の作品のほかにも、月岡芳年や歌川芳虎、歌川芳艶、河鍋暁斎といった国芳門下の画家たちも展示されています。かつては旅館だったという建物を改装したこのミュージアム、受付におられたスタッフの女性に伺うと、昨年の3月に開館したばかりだとか。
水滸伝や宮本武蔵、牛若丸(源義経)と弁慶、忠臣蔵などを題材とした作品群は、まるで画面からはみ出さんばかりの躍動感とダイナミズムがあって圧巻でした。とりわけ、妖術によって現れた巨大な骸骨を描いた代表作『相馬の古内裏』における、きわめてリアルで正確な人体骨格の表現には、鬼気迫るものがありました。
その一方で、動物や妖怪たちの表現に見られるユーモラスな味わいも、また魅力的でした。源頼光の土蜘蛛退治のエピソードを借りて、老中・水野忠邦による「天保の改革」を風刺したといわれる『源頼光公館土蜘作妖怪図』では、戯画化された時の権力者たちのバックに描かれた妖怪たち(「改革」によって苦しめられた人びとを象徴したものだとか)のコミカルな表現に、思わず笑いを誘われました。いやはや国芳という人、なかなかの反骨精神の持ち主でもあったようですねえ。
これまで断片的にしか接したことのなかった国芳の作品をまとめて楽しむことができ、貴重な機会となりました。国芳という絵師について、もっと詳しく知りたくなってまいりました。

国芳ミュージアムを出ると、時刻はそろそろお昼どき。美観地区界隈の食事処は早くも、観光客で混み始めていて、中には店前に行列ができているところも。
どうやら美観地区界隈での昼食は難しそうだなあ・・・ということで、倉敷駅前の通りにある「郷土料理 浜吉」に入りました。

11時半の開店と同時に入店したのですが、ここもたちまち多くのお客さんで席が埋まっていきました。なんとかカウンターの隅に落ち着くことができて、一安心でありました。

一安心したところでさっそく生ビールでひと息。そして、このお店の看板料理のひとつである「ままかり定食」を賞味いたしました。「ままかり」とはニシン科の小魚で、名前の由来は「まま」(ごはん)を借りたくなるほどの美味しさ、というところから。




小鉢を筆頭に、刺身やにぎり寿司、酢漬け、さらには炊き合わせにじゃこ飯、お吸い物と盛りだくさんの定食。ままかりの旬となるのは秋ということもあって、刺身やにぎり寿司にはままかり以外のお魚も使われてはおりましたが、それはそれで美味しくいただきました。上品ながらもしっかりと味が染みた、野菜とひじきの炊き合わせがまた、しみじみと旨かったですねえ。
こうなると、真っ昼間から地酒が呑みたくなるというもの。ということで、倉敷お気に入りの銘柄である「多賀治 純米大吟醸朝日」を注文いたしました。
フルーティな酸味の中から、お米の旨味がしっかりと感じられる呑み口に、いやはや美味しいもんだねえ、と幸せ気分になりました。・・・って、なんだかやたら「いやはや」が多い日ではございますが。暑くなってくるこれからの時期に呑むのにもピッタリ、という感じがいたしますねえ。
定食の最後にデザートとして出てきたのは、トマトのコンポート。その甘酸っぱさで、おいしいひとときをスッキリと締めてくれたのでありました。


美味しい料理とともに、真っ昼間から倉敷の地酒にほろ酔い加減となったわたし。ですが、よもやこれがそのあとに恥ずかしい失敗のタネになろうとは、この時は知るよしもなかったのでありました・・・。

                             (「その4」につづく)