読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

倉敷・2年半ぶりの浪漫紀行(その4) ハプニングのあとに堪能した、2年半ぶり3回目の大原美術館でのアート鑑賞

2022-05-30 19:18:00 | 旅のお噂
(これまでの旅のお噂は、以下の3回にてお伝えしております)


真っ昼間から瀬戸内の美味しい魚料理、そしてこれまた旨い倉敷の地酒を満喫して、ちょっとだけほろ酔い気分になった倉敷旅2日目のお昼どき。最高に気分も盛り上がってきたところで、2日目の本命であるアート鑑賞だあ!ということで、意気揚々と大原美術館へと向かいました。2年半ぶり3回目の訪問であります。

大原美術館は「コロナ対策」で「密」を避けるためということで、10分刻みの整理券を配布し、一回に入れる人数を制限した上で公開中でありました。なのでわたしも午前中、お昼ごはんが終わったあとに入れるような時間帯を指定して、その時間の整理券をすでに貰っておりました。
指定した時間の整理券を正門でお渡しして、入館料を支払って入場券も手に入れ、いざ張り切って入館!と、入り口に立っている検温器に、だいぶ老けが目立ってきたオノレのマヌケ面をかざしたところ・・・
「タイオン ガ イジョウ デス」
検温器が発したコトバを耳にして、入り口のところにおられた係の方が、ナンダナンダ?という感じで出てこられました。検温器が示す温度を見てみると・・・なんと38.2℃!!
いえいえ、これは断じてコロナごときのせいではございません。お昼ごはんのときに呑んだ生ビールと地酒が効いていて、それでいささかカラダがポカポカして、マヌケ面もほんのりと赤らんでいたのであります。・・・ありますが、まさかここまで高めの温度が出るほどにポカポカしていたとは・・・いやはや、ウカツなことでありました。
係の方にいちおう、事情は説明したのですが、ここはやはり念のためしばらく様子を見ていただいた上で、大丈夫なようであればまた再入場を・・・ということで、いったん入場料を返却された上で、およそ1時間後をメドに再度出直すということにいたしました。正直、いささか神経過敏すぎる対応という気もしないではありませんでしたが、やはり真っ昼間からお酒を呑んで、ほろ酔い気分でアート鑑賞しようというオノレの根性が間違っていたのでありましょう。
・・・とはいえ、実のところ過去2回の美術館訪問の前も、お昼ごはんかたがた一杯呑んで入ったりはしていたワケでして・・・。いやはや難儀なことよのう、とは思いましたが、とにかくここはいったん、アタマと体温を冷やして出直すことにいたしました。

(余談ではありますが、今回の倉敷旅行から帰ってきてすでに3週間以上が経っておりますが、わたし自身はもちろん、わたしの周囲の人たちも誰一人、コロナの陽性者などにはなってはいないということを、ここに報告させていただきます。・・・それにしても、「GW後にはコロナ感染者が激増するのでは」などと、当たりもしない「予測」を語っていた「専門家」諸氏と、それを格好のネタとしてタレ流していたマスコミって・・・)

ひとまず美味しいものでアタマと体温を冷やしたい、ということで、美観地区の入り口あたりに位置している「くらしき桃子 倉敷中央店」に立ち寄りました。

美観地区だけでも3店舗を構える、岡山産のフルーツを活かしたスイーツを提供、販売するお店。店先には、店内のイートインスペースで味わえるパフェなどを求めて、多くの方々が順番待ちの行列をつくっておりました。
ここのテイクアウトコーナーで、看板商品のひとつである「清水白桃ソフトクリーム」を買って賞味いたしました。フルーティでみずみずしい、白桃のコクのある甘さと香りが最高で、いい気分転換にもなりましたねえ。

美味しくアタマを冷やして気分転換をしたところで、しばし美観地区をそぞろ歩きいたしました。この日の美観地区もまた、多くの観光客が人の波をつくり、大いに賑わっておりました。いやはや、ほんとスゴいもんだねえ。

空を見れば前日同様、「晴れの国」岡山にふさわしい雲ひとつない快晴。降り注ぐ日の光で、少々汗ばむくらいの陽気となっていました。これだと体温も下がりにくかろう、と思い、倉敷川沿いに立ち並ぶ柳の木の下に腰かけて、しばしの間涼んだりしておりました。
その倉敷川に目をやると、長い行列待ちの末に乗船券を手にすることができた観光客を乗せた川舟が、まさにフル回転といった感じで川を往復しておりました。


倉敷川を挟んで大原美術館の真向かい、午前中に再訪した旧大原家住宅にも隣接した場所に、色鮮やかなお屋敷が立っています。かつて、大原孫三郎が別邸として昭和3(1928)年に建てた「有隣荘」であります。一見赤みがかって見える瓦が、見る角度が変わると緑色にも見えるというところから「緑御殿」とも呼ばれています。

普段は内部の公開は行われていないのですが、大原美術館による春と秋の特別公開のときだけ、内部の見学ができます(この2年は行われてはいないようですが)。わたしは、2年半前の倉敷訪問のときがちょうど特別公開の時期に重なり、中を見学することができました。純和風の建築でありながらも、部分的に中国風の意匠が取り入れられていたりする、なかなかユニークな建物でしたねえ。
純和風の風情があふれる街でありながら、その中に中国的な要素や洋風の要素をも取り込み、それらが違和感なく調和しているところが、倉敷という街の大きな魅力であるように思うのです。

1時間ほど美観地区をそぞろ歩きしているうちに、体温もだいぶ平常に復してきたようす。わたしは、二度目に指定された時間の整理券を手に、ふたたび大原美術館の門をくぐってあらためて入場料を払い、入場券を手にして美術館の入り口に立ちました。

入り口で再び検温器の前に立って体温を測定すると・・・36.6℃。しっかり正常な範囲まで下がっておりましたので、今度は無事に館内へ入れていただくことができました。ちょいとハプニングはありましたが、ようやくここへ入ることができてホッといたしました。
とはいえ、入り口の両側に鎮座しているロダンの彫刻2体が、こちらを見下ろしつつ、
「なんだ?酒に酔って入ろうとして追い返されたマヌケ野郎が懲りずにまた来たのか?いやはや、しょうもない奴だのう」
などと思っているかのように感じられて、なんだか妙にこっぱずかしかったのでありますが・・・。
ちなみにこの2体のブロンズ像、太平洋戦争中に兵器製造に使われる銅の不足を補うためとして、一時供出するよう命令を受けたのですが、最終的には奇跡的に供出を免れ、現在もこうして美術館の入り口を守るかのように鎮座しているのです。そんな歴史を知った上でこの2体を見ると、なんとも感慨深いものがあります。

大原孫三郎のバックアップのもと、欧州での作品収集に尽力し、美術館の基礎となるコレクションを築いた岡山出身の画家・児島虎次郎の作品『和服を着たベルギーの少女』に出迎えられて館内に入ると、入場制限がかけられてはいるとはいえ、けっこう多くの観覧客で賑わっておりました。
過去2回の倉敷旅行のときにも訪れている大原美術館。今回で3回目の鑑賞ではありますが、美術館の看板作品となっている、エル・グレコの『受胎告知』やモネの『睡蓮』を筆頭に、ピカソやミレー、マネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ロートレック、マティス、シャガール、梅原龍三郎、安井曾太郎、藤田嗣治、岸田劉生、小出楢重・・・などといった、キラ星のごとき錚々たる画家たちの作品にじかに接することができるというのは、やはり何ものにも替えがたい特別な体験であります。

絢爛たるそれらの作品の中で、とりわけ強い感銘を与えてくれるのが、ベルギーの画家レオン・フレデリックの超大作『万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん』です。長い題名を持つこの作品は大きさも規格外で、縦1メートル61センチ、横11メートルにも及びます。展示場の建物も、この作品の大きさに合わせて設計されたといいます。
左のほうには、巻きあがる炎に灼かれ、死んでいく人びとの地獄絵図を描いた三連画。そして中心には鳩が舞い降りる場面が一枚描かれ、右のほうでは死んだ人びとが「神の愛」によって再生を果たす、美しく幸福感に満ちた三連画が続くという構成。製作に足掛け26年をかけたという、まさに畢生の大作であります。
わたしは別段宗教的な人間でもないのですが、死と再生の物語を大きな画面いっぱいに描きあげたこの作品の前に立つと、圧倒的な迫力とともに荘厳な感動が湧きあがってくるのを覚えます。この作品を見ることができるだけでも、何度でも大原美術館に足を運ぶ価値があるとわたしは思うのです。
イタリア出身の画家、ジョヴァンニ・セガンティーニの『アルプスの真昼』も、わたしの好きな作品です。アルプスの麓に広がる草原の中に立つ女性と羊たちを点描で描いた画面かた、日の光に満ちた真昼の空気感が伝わってきます。逆に、薄明かりに照らされたテーブルと、その向こうに見える運河の光景から、しっとりとした夕暮れの雰囲気が伝わるアンリ・ル・シダネルの『夕暮の小卓』も好きです。
抽象的な作品にも面白いものがあります。その中でも、二人の人物を人体模型のように描いたジョルジョ・デ・キリコの『ヘクトールとアンドロマケーの別れ』や、独特の姿をしたキャラクター(?)が愛嬌たっぷりなジョアン・ミロの『夜のなかの女たち』は、わたしのお気に入りであります。
日本の画家の作品で特に印象深いのは、熊谷守一の『陽の死んだ日』。幼くして死んだ次男の姿を、荒々しいタッチで描いた画面から、我が子を失った悲しみと、それを絵として残そうという画家の執念が伝わってくるようで、肅然とした気持ちになります。
「児島虎次郎とオリエント美術」という企画展示では、児島の代表作の数々が、オリエント芸術にも関心が深かったという児島が収集したオリエントの美術品とともに展示されていました。ここでは、まるで写真かと見紛うようなリアルな描写の初期作品から、鮮やかな色彩に満ちた作品へと変わっていく、児島の作風の変遷を見てとることができました。

本館を出て、フランスにあるモネの日本庭園から株分けされた睡蓮が浮かぶ「モネの睡蓮の池」の脇を通り、「工芸館」と「東洋館」へ。

「工芸館」は、陶芸家の濱田庄司やバーナード・リーチ、河井寛次郎など、柳宗悦らによる民藝運動に関わった作家たちや、棟方志功の「板画」作品を収蔵。「東洋館」は、東洋文化にも深い関心を持っていた児島虎次郎が、中国や朝鮮半島から収集した貴重な文物が多数展示されています。
ここでとりわけ印象に残るのが、大原總一郎の依頼によって製作された、棟方志功の連作板画作品『美尼羅牟頌板画柵』(びにろんしょうはんがさく)。ニーチェの『ツァラトストラ』の詩句に基づいた、4枚の板画からなる作品です。ビニロンの工業化を軌道に乗せるために苦闘していた總一郎が、この作品を支えにしていたということを知った上で鑑賞すると、なんとも感慨深いものがあります。また、はじめは実用的な陶芸作品を作り続けながらも、途中から実用性に囚われない自由な作風となっていく、河井寛次郎の作風の変化も面白いものがありました。
本来なら、「本館」「工芸館」「東洋館」に加えてもう1ヶ所「分館」もあるのですが、改修ということなのか休館中。そのため、ここに収蔵されている日本の現代作家たちのユニークな作品群を見ることができなかったのは、ちょっと残念でした。
それでも、2年半ぶりとなった大原美術館でのアート鑑賞は、充実した時間をもたらしてくれました。

アート鑑賞を終え、宿泊先のホテルに戻る前に、前日に続いて銭湯「えびす湯」へ。もうすっかり、お馴染みの場所となってしまいました。

番台の女性の方が、「きょうは昨日とは違ったお湯になってるので、どうぞごゆっくり」と声をかけてくださいました。浴槽には、薬草っぽい香りがした前日のお湯とはたしかに違った、混じりっけのないまっさらなお湯が満たされておりました。その中に手足をいっぱいに伸ばして浸かりながら、散策の疲れを癒しました。
カラダの芯まで温まり、脱衣所で服を着ていると、「貴重品ハ番台ヘ」という、カタカナ混じりの昔ながらの表記が目に留まりました。塗り薬の広告プレートのようです。こういうものがそのまま残っているというのも、なんだか嬉しいですねえ。
(下の画像は少々ピンボケで恐縮なのですが・・・)

やはりこういうところは、貴重な日本の庶民文化財として残っていってほしい・・・そう思ったわたしは、この日もまた気持ちばかりながらの寄付をさせていただきました。
そしてあらためて、前日書いた「自分の夢」を記したメモを貼り付けた壁を眺めました。
「毎日笑顔😊」
「今の彼女を幸せにする!」
「大分が首都になる」
微笑ましい「夢」がいろいろと記されている中で、思わず笑いを誘われるものを見つけました。

「世界1のチャラ男になる」・・・いいですねえ。どこのどなたかは存じませんけれど、ぜひとも実現するといいねえ。
久しぶりにここに来れてよかったです、ぜひまた来年寄りますね!そう番台の女性に伝えると、「ありがとうございます。ぜひまた来てくださいね」と返してくださいました。
これからも末永く「えびす湯」が多くの人に愛され、続いていくことを願いつつ、カラダもココロもポカポカになってホテルに戻ったのでありました・・・。

宿泊先の「倉敷ステーションホテル」に戻り、ひと息ついたあと、2日目の倉敷呑み歩きに出かけました。
前日も立ち寄った、えびす通り商店街のお薬屋さん「みどり薬局」に入り、ドリンク剤2本を購入。そのうちの1本を服用し、夕方の美観地区へ。そこは前日同様、もうすぐ5時になろうという時間帯にもかかわらず、観光客でいっぱいです。

このぶんだと、今宵の呑み屋さんもまた、人でいっぱいになりそうだなあ・・・お目当てのお店、なんとか入れるといいだけどなあ・・・。
少々焦る気持ちを抱きつつ、わたしはこの日のお目当てにしていた酒場へと急いだのでありました・・・。



                               (最終回へつづく)