読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

【読了本】『江戸の理系力』 変化に対する多様性を備えた「和魂和才」の精神を見直す

2014-05-08 21:35:46 | 本のお噂

『江戸学入門 江戸の理系力』
洋泉社編集部編、洋泉社、2014年(元本は2012年、洋泉社MOOKとして刊行)


天文学や暦学、測量術、医学、数学などの分野において、実は世界水準を超えるものがあった、という江戸時代の日本の科学・技術。それをあらためて見直してみようというのが、本書『江戸の理系力』であります。
読みやすくわかりやすい編集で、いわゆる「雑学本」として気軽に読めるような体裁なのですが、初めて知ったこともけっこうあって、興味深く読むことができました。

まず第1章は「江戸の天文暦学」。陰陽道との結びつきが深く、もっぱら吉凶を占うという面が強かったというそれまでの天文暦学に、初めて科学的なやり方でつくった独自の暦を生み出した、渋川春海(はるみ)の業績が詳しく紹介されています。
本屋大賞を受賞して映画化もされた、冲方丁さんの小説『天地明察』の主人公でもある人物ですが、わたくしは小説も映画も未見ということもあって、恥ずかしながら春海の業績についての詳細は本書で初めて知りました。もともとは「碁方」、すなわち幕府お抱えの碁打ちだったという経歴や、その碁がとりなす縁によって幕府の実力者でもあった会津藩主・保科正之と懇意になり、のちに貞享の改暦事業の助けとなった、というあたりは面白いものがありました。
驚かされたのが、医者をやるかたわら独学で天文学を研究していたという麻田剛立(ごうりゅう)なる人物。なんと、ドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーが導いた「ケプラーの第3法則」(惑星の公転周期の2条は軌道の長半径の3乗に比例する、というもの。ニュートンの万有引力の法則を導いた)を、日本に伝わる前に見出していた可能性がある、というのです。あくまでも「可能性」ということではありますが、事実とすればすごいことではありませぬか。さらに麻田は、望遠鏡で天体観測を行って日本初の月面図も描いていたとか。つくづくすごい人物だったんだなあ。

第2章は「江戸の測量術」。となるとやはり欠かせないのが「四千万歩の男」伊能忠敬。足かけ17年、踏破距離3万5000キロに及んだ測量の旅をこなした忠敬ですが、その測量術は同時代の日本においては目新しいものではなかったとか。
丹念な測量と、正確にデータを扱う慎重さ、そして「誰もができるものではあるが、手間が増えることからなかなか実行されるものではない」誤差を減らすための工夫と努力による精度の高さこそが、忠敬の仕事の価値の高さでもあるのだ、ということを再認識いたしました。

第3章は「江戸の医学」。『解体新書』を翻訳出版した杉田玄白や前野良沢、日本初どころか世界初となる全身麻酔による手術を成功させた華岡青洲といった人々の業績が紹介されているのですが、それらの業績を導いた日本の医学の発達史に興味をひかれました。
日本固有の医学「和方」、朝鮮半島から伝来した「韓医学」、中国から伝来されて日本人に合うように改変された「中医学」が合わさった「漢方医学」。それは江戸時代にいたってさまざまな学派が生まれて百家争鳴の様相を呈します。その背景にある人体と病に対する真理探究の熱意と、さまざまな論が提唱されたことによる人体への理解が、明治維新後に近代的医学を受容する受け皿になった、といいます。
また、薬になる動植物や鉱物を知るための学問「本草学」の歩みも興味深いものでした。古代中国で生まれ、日本に伝わった本草学は、貝原益軒の『大和本草』により日本独自のものへと変貌していき、やがて博物学的な側面を帯びるに至ります。この本草学の発展も、明治維新後に近代科学を受け入れる下準備になった、と。
江戸時代に培われた下地は、その後の近代医学や科学の進展にも寄与するところが大きかったということを、あらためて知ることができました。

第4章は「江戸の数学・和算」。クイズのように問題と解答をリレーしてゆくという「遺題継承」と、新しい問題を「算額」という額に美麗な図入りで書き出して神社に奉納する「算額奉納」により、庶民にも急速に普及したという「和算」。それは実学でもあるとともに、ゲーム的な要素が盛り込まれた娯楽としても受容されていたとか。うーむ、なんだか楽しそうな。こういうカタチで数学を学んでいたら、オレも数学が苦手にならずに済んだかもしれんな(笑)。
高等数学のレベルにまで達していたという和算は、天体観測で緯度を導き出していく測量や、星や太陽の運行を精密に測る天文暦学にも必須だった知識でもありました。これまで見てきたさまざまな分野はそれ一つだけではなく、各々が連関することにより発達してきた、というわけなのですね。

第5章では、江戸時代に活躍した理系人9人が紹介されます。
本草学に医学に文学に絵画にと多方面への関心を持っていた「マルチ人間」平賀源内や、地震予知器やエレキテルを作るなど、実は理系人でもあった思想家・佐久間象山などが取り上げられています。
わたくしは初めて知った人物でしたが、からくり人形で腕を振るった細川半蔵が、その仕組みを図入りで解説した書物に記したという序文の一節が印象的でした。

「多くのものを見て、記憶すること。知識と経験が積み重なって、そこから新しいものが生まれる。」

本書の冒頭では、渋川春海を主人公にした『天地明察』の著者・冲方丁さんと、国立科学博物館の鈴木一義さんとの対談が収められています。
その中で冲方さんは、「八百万の神々を信じながら、同時に合理的な概念を受け入れられる」という、江戸人の「とても不思議でゆるやかな秩序」を指摘。それを受けた鈴木さんは、「それがいろんな変化に対して多様性のある社会をつくっていき、科学はその上に積み上げられていったのでしょう」と語ります。
そして鈴木さんは、今の時代には「和魂漢才」や「和魂洋才」ではなく「和魂和才」があるべき形だと言い、こう続けます。

「今まで得た知識をフル活用して、誰もやらなかったことにチャレンジし、新たな世界に踏み出していく勇気が、今の日本人には必要ですね。」

地道に、かつ貪欲に知識を摂取していき、それによっていろいろな変化に富んだ社会を作り上げていくという江戸の理系人たちの知恵と向上心。翻って、江戸の頃より遥かに進んだテクノロジーを獲得しているはずの現代日本人のほうが、ある意味変化に対して頑ななところがあるように思えます。
いろいろな変化に富んだ、多様性があって面白い社会を作り上げていくことは、個人のみならず社会の可能性を開いていくことにも繋がっていくはずです。
その意味でも、江戸の理系人たちからはまだまだ、学べることが多々あることに気づかせてくれた一冊でありました。