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NHKスペシャル "認知症800万人"時代『行方不明者1万人 ~知られざる徘徊の実態~』

2014-05-11 23:32:26 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル "認知症800万人"時代『行方不明者1万人 ~知られざる徘徊の実態~』
初回放送=2014年5月11日(日)午後9時00分~9時49分、NHK総合
語り=柴田祐規子


認知症となり、行方不明となった高齢者たち。NHKの調べによれば、その数は2012年の1年間でのべ9600人を超え、うち亡くなった方が351人、見つからないままの方が200人を超えていたといいます。
徘徊を繰り返すうちに命の危険にさらされることも少なくなく、自動車や列車にはねられて亡くなる方もいます。また、列車にはねられて亡くなったお年寄りの家族が鉄道会社から訴えを起こされ、賠償を命じられるケースが出るなど、徘徊は当人を見守る家族にとっても重い負担となっている現実があります。
昨年2回にわたって放送された「認知症800万人時代」の第3弾として制作されたこの番組は、見過ごされてきた徘徊をめぐる実態に迫ります。以下、番組の内容のおおまかな書き起こしです。

秋田県の横手市。2年前に行方不明となった母親を探す夫妻がいます。行方不明になる3年前から認知症の症状が見られたという母親は、朝の散歩に出かけたまま戻りませんでした。警察などによる捜索が行われましたが、事件性は低いということで3日間で打ち切りとなってしまいました。
夫妻は手がかりを求めて方々を回りますが、これといった手がかりは掴めないままです。妻は言います。
「あきらめと疲れも入っているかもしれない。でも、いい情報があれば動きたい」
妻は、食事の時には今でも、母親の分を取り分け続けています。
「半分ままごとみたいだけど•••見つかったらお風呂に入れて、ご飯をよそってあげたい」

徘徊の末に亡くなってしまった方のうち、6割近くは自宅の近くで発見されているということが、これもNHKによる調べで判明しています。
おととし、徘徊の末に亡くなった東京の女性は、行方不明の届けを出した1週間後に発見されました。女性の娘さんが語ります。
「全然、死に方が理解できなくて、しばらくは気持ちの整理ができないままでした」
女性が発見されたのは、自宅の真向かいにある民家の裏にある塀の隙間でした。塀のそばには人通りの多い道がありましたが、民家の住人に発見されるまで誰も気づくことはありませんでした。
女性の娘さんは、尋ね人のチラシをつくったのが不明から6日後と遅くなってしまったことを悔やみつつ、こう語りました。
「これは家族で探さなければならない問題と思っていたし、他の人に一緒に探してもらうことは、ちょっと無理かなというのがありました」

無事に発見されても、身元がわからないまま自宅に戻れないという方もおられます。
大阪でおととし保護された男性。自分の名前や住所を言うこともできないまま、介護施設で暮らしていました。のみならず、施設でも自分の部屋がわからなくなってしまうことも。しかしこの男性は、テレビのニュースで取り上げられたことがきっかけとなり、兵庫県の自宅へと帰ることができました。
一方、群馬県の介護施設で7年間暮らしている女性。深夜に徘徊していたところを交番に保護されましたが、やはり名前や住所を言うことができないまま、介護施設で暮らすことに。
発見されたとき、女性はとても身ぎれいで上品な感じだったといいます。さらに、女性は衣類に名前が書かれていたり、結婚した日付などが刻まれた指輪を所持していたりと、多くの手がかりになるようなものを身にしていました。
が、警察の情報共有システムで名前を検索したところ、該当する名前はありませんでした。群馬県警は顔写真などを掲載した資料を各地に配布しましたが、それでも身元は不明のまま。
年月が経ち、発見された頃には笑顔もあった女性は次第に無表情となり、現在は寝たきりとなり話すこともままならない状態に。大好きな歌という「高校三年生」を耳にしても、無表情のまま、ただかすかに手を動かしているのみでした•••。

徘徊する当人を見守っている家族たちの負担も、とても重いものがありました。
大阪で、徘徊がひどくなった妻を見守っている夫。妻はこれまで何度も行方不明となり、地下鉄の階段から転落して病院に担ぎ込まれたことも。柵が設けられた2階のベランダを越えて、3メートル下に飛び降りたことも。
妻は何度も地下鉄で発見されていることから、実家へ帰ろうとしているのではないか、と夫は推測します。しかし、その自宅はすでに存在しないことを何度言い聞かせても、妻は帰ろうとするのです。
夫は玄関にはカギをかけない代わりに、人が通ると反応するセンサーを取り付けています。番組の取材中にも、幾度となく外に出ようとする妻。夫は疲れ果てたように言います。
「部屋から出したくないのならカギをかけて閉じ込めておけばいいのだろうけど•••牢獄じゃないけど、そこまではしたくない。どうすればいいのかなあ•••」

さらに難しい状況にあるのが、一人暮らしの認知症高齢者です。
大阪に住む86歳の男性。10年ほど前に妻を亡くして以来一人暮らしの男性は、これまでにも2回行方不明となり、警察に保護されています。
男性は週2回、デイサービスに通っているほか、訪問介護のヘルパーさんがやってきて身の回りの世話をしてくれています。しかし、現在の介護保険のもとでは(行動には支障がないと見なされていることもあり)サービスを受ける時間は短く、常に見守るのは困難な状態です。
自治体などは介護施設への入居を勧めようとしたのですが、介護施設には空きがない上、当人が自宅に居たいということもあり、当面はこのままの状態で見守るしかない、と。

徘徊するお年寄りをどう守るのか。先進的な取り組みが、北海道の釧路市で行われていました。
釧路市では、警察からの行方不明情報が街全体で共有されるという「SOSネットワーク」を、20年にわたって構築しています。
行方不明者の特徴などが記された、警察からの「手配書」が、周辺の自治体やFMラジオ局、タクシー会社、ガソリンスタンドなど、350もの協力機関に共有されます。FMラジオ局では情報が入り次第、番組を中断してその情報を放送、それは発見されるまで30分おきに繰り返されます。そのようにして共有された情報は市民による徘徊者の発見にも役立ち、市民による発見数が警察による発見数をわずかながら上回るという成果も上がっているとか。
この「SOSネットワーク」、いくつかの自治体でも導入はされているようなのですが、活発に稼働している自治体は少なく、多くは関係機関との連携がうまくいかないとの理由で適切に活かされていないというのが実状とか。
ネックとなっているのが、個人情報の取り扱いです。釧路市では、行方不明者の家族の同意がなくても、情報を協力機関に提供できるよう、条例に例外規定を設けることで、システムを有効に機能させているといいます。その例外規定とは「命を守るためには(情報を)提供できる」。
このシステムにより、行方不明になった妻を見つけることができた男性。妻が認知症であることを、他人には知られたくないという気持ちがあったといいます。
「身内がそうなったら恥ずかしいというのがありましたね。やはり古い人間だから。でも、おかげで無事に見つけられてありがたいと思う」

身元がわからないままになっている認知症のお年寄りについて、「制度のエアポケットにはまってしまっている」とのコメントがありましたが、現今の諸制度はあまりにも、認知症高齢者に対する対応において不備が多いのではないのか、という思いを抱きます。
同時に、釧路市の行方不明者の家族の話にあったように、認知症に対するわれわれの認識も、まだまだ立ち遅れているものがあるのかもしれません。
いまや、認知症はけっして他人事とは言えない以上、固定観念を排した上で、認知症高齢者とその家族へのサポート体制を、さまざまな知恵とアイディアを出し合って構築していくようにしていかなければ。そう強く感じさせられた番組でした。


NHKスペシャル “認知症800万人時代” 過去2回についての記事はこちらです。
NHKスペシャル “認知症800万人”時代『母と息子 3000日の介護記録』
NHKスペシャル “認知症800万人”時代『“助けて”と言えない 孤立する認知症高齢者』


〈追記〉
『行方不明者1万人』が放送された翌日の5月12日。身元がわからないまま、群馬県の介護施設で暮らしていた女性が、7年ぶりに夫との再会を果たした、とのニュースが。驚きました。まさか放送の翌日に、このような急転直下の動きがあるとは。
女性は、かつてニッポン放送でアナウンサーをされていたという東京の方。保護されたとき身ぎれいで上品だったというのは、そのような経歴があったから、なのでしょうか。
ようやく再会を果たしたということはせめてもの救いでしたが、認知症の進行により、夫と会話を交わすこともままならない状態。「もう少し早く見つかっていたなら、病状を遅らせることができたのでは•••」という、夫の言葉が重く響きました。
これを機会に、行方不明者に関する適切な情報の共有が進み、一日も早い家族との再会が果たせるような仕組みづくりへの動きが広がることを、あらためて願ってやみません。(5月14日、記)