木々の緑が美しい季節であります。
生命感に満ちたみずみずしい草木の匂いに鼻腔をくすぐられていると、仕事していたり家に籠っているのがもったいなくなってきまして、しきりと旅心が疼いてくるのでありますよ。
とはいっても、時間とお金に限りあるカナシイ身分。近場であっても気分よく過ごせる場所がいいのであります。
されば、景色よし、街よし、温泉よしの三拍子揃った別府に出かけてみようじゃないか。そしてラビリンスのごとき路地裏散策を楽しみ、温泉に入りまくってふやけようじゃないか!
そんなわけで、なんとかとることができた連休を使い、今月の6日と7日にかけて別府へと行ってまいりました。これから何回かに分けて、別府へのひとり旅•••といってもたいして遠くまで行ったわけじゃないので、せいぜい「オトナの遠足」といったところなのですが•••のご報告を、つらつらと綴っていこうかと思います。
初めて別府を訪れたのは、中学の頃の修学旅行の時でありましたな。名高い地獄めぐりに、昭和4年から続く老舗遊園地・ラクテンチを型通りに回りましたね。
次に訪れたのが、ひとり旅をするようになった20歳くらいの頃でしたかな。まだ早朝の大分駅で、別府へ行く乗り換えの列車を待っていると、ホームレスのおじさんが話しかけてきたのでありますよ。
「これからどこに行くの?」
「あ、えっと、別府に行くんですよ」
わたくしが答えると、そのおじさんは少々声を落として言いました。
「別府に行くんだったら、夜は出歩かんほうがいいぞー。危ないし、何があるかわからんからよ」
現地のことをよく知るヒトからのありがたいアドバイスということで、わたくし、スナオにそれを聞き入れ、夜はホテルから一歩も外に出ずにおとなし~く過ごしたのでありましたよ。なんせ、当時のわたくしは臆病な紅顔の美少年、しかもお酒なんぞも飲めませんでしたからね。
まあ、おかげで危ない目には遭わずに済みましたが、いま思い返せばこのときの旅のことも、その前の修学旅行のことも、これといって印象が残ってはいないんですよね。地獄めぐりのことと、ホームレスのおじさんとの会話のことしか記憶にないのでありますよ。
そんな別府への印象が大きく変わったのは数年前のこと。別府駅の周辺に広がる、ひと昔前の風情が色濃く残ったアーケード街や飲み屋街、そこから網目状に分かれている路地裏を歩き回り、そのラビリンスのごとき混沌さと、昭和を思わせる懐かしさにイカレてしまったのであります。やはり別府というところは、自分の足で街を歩き回ってこそ本当の面白さがわかる、ということを思い知り、この街のことが大好きになりました。
また機会をつくって別府に行かねば、とことあるごとに思い続け、ついにやってきた別府再訪の機会。否が応にも気持ちは踊ったのでありますよ。•••とまあ、いささか前置きが長くなりました。
大型連休も終わろうとしている5月6日。早朝5時起きということでキチンと起きられるか心配でもあったのですが、目覚ましが鳴る30分前にはしっかり目が覚めたのでありますよ。いやー、気持ちが踊っていると早起きも苦にはなりませんね。そして5時57分、南宮崎駅を朝一番に発車する特急列車へ無事乗り込みました。天気は快晴、気分は上々、さあ出発だ!と高揚した気持ちを抱きつつ、一路別府へと向かったのでございます。
もう気持ちが踊ってるもんですから、朝っぱらから車内で缶ビールをプチンと開けて飲んだりなんぞしていたのでありまして•••。普段ならいくら休日であっても朝から酒なんぞ飲みはしないのでありますが、まあこれも旅ならでは、というところですね。
そうこうしながら3時間近くが経ち、列車はついに別府に到着いたしました。
さあさあ着いたぞー!と久々の別府にはやる気持ちのわたくしを駅構内で出迎えたのが•••なんとテレビアニメ『ヤッターマン』のキャラクターたちが描かれた「顔出し」なのでありました。
なんでまた、よりによって別府駅にヤッターマンの顔出しが置いてあるのでありましょうか。さらに駅の前には、ヤッターマンやキャシャーンなどのタツノコプロのアニメ作品のキャラが描かれた幟もたくさん立っているのであります。さらにさらに驚かされたことに、このあと歩き回ることになる別府の街中の至るところで、タツノコキャラをあしらったポスターや顔出しを目にすることとなったのです。
どうやら、別府市とタツノコプロがコラボしての観光キャンペーンをやっているようでありまして•••いやはや、いろいろと考えるもんでありますなあ。まさか、子どもの頃に楽しんでいたタツノコアニメのキャラクターたちに別府で再会することになるとは。
で、わたくし、別府駅前にあったこの幟にくぎ付けになったのでございますよ。
いやあ、このドロンジョ様、実に実にいい感じじゃないですか。この幟、貰って帰りたいくらいだったのでありますが、商店街の一角にあったタツノコアニメ関連の展示スペースで、同じ絵柄のポストカードを無料配布していましたので、これ幸いと貰ってきたのでありまして、めでたしめでたしでした。
それにしても、別府の街のどこかに、こういうお姉さまがいるような飲み屋さんかなんかがあれば、ぜひぜひ立ち寄りたいところでございましたが•••。どうですか、今からでも遅くないので、ドロンジョ様のミニ浴衣コスプレ飲み屋っての、つくりませんかね、別府市の飲食業界の皆さま。けっこうお客を呼べそうだけどなあ。
別府駅前でもうひとつ、異彩を放っていたのが、この銅像であります。
なんともインパクトのあるポージングのこの銅像の人物は、一大観光地としての別府を作り上げた立役者である油屋熊八であります。
1863年、愛媛県宇和島に産まれた熊八は、地元で家業の米穀・肥料商や町会議員を務めたのち大阪へ渡り、新聞社の経済記者を経て株式仲買人として開業します。そうとう羽振りはよかったようでしたが、4年後に相場に失敗して多大な損失を被り廃業。その後アメリカでの放浪などを経て明治43年(1910)、47歳のときにやって来た別府で、熊八は大仕事を成していくことになります。
別府に来た翌年に熊八がささやかに開業した「亀の井旅館」は、やがて大型の宿泊施設へと成長していきました。さらに熊八はバス事業にも乗り出し、日本で初めてとなるバスガイドによる観光案内や、地獄めぐりバスなどの画期的なアイデアを次々と実行に移していきました。さらにはゴルフ場の開発や由布院の開拓までを手がけ、別府を全国でも有数の観光地へと発展させていきました。今に至る別府の基礎を築き上げた、まさに立志伝中の人物なのでありますよ。
熊八さんは子どもたちのためにもさまざまなことをやっていたようですね。童話や演奏などを聞かせる会を立ち上げたり、クリスマスのときにはサンタに扮して水上飛行機で降り立ったりもしたそうな。銅像の台座には「子どもたちをあいしたピカピカのおじさん」とありましたが、このポーズを見るとなんだか熊八さんご本人が子どものごとき、天真爛漫なヒトだったのではないかと思えてくるのでありますが•••。
それにしても、なかなか面白そうな人物でありますよ、熊八さん。この人の伝記が出ているのなら、ぜひとも読んでみたいものですなあ。
別府に来たのだからさっそく温泉に浸かろうと、別府駅前の通り沿いにある「駅前高等温泉」に入り、この日最初の温泉に入りました。
なんともレトロな建物は大正13年(1924)に建てられたもの。入浴料200円を払って中に入ると、「ぬる湯」と「あつ湯」に分かれています。わたくし、移動疲れのアタマをさっぱりさせたいと「あつ湯」に入りました。
浴槽と洗い場は一段低くなっております。「半地下式」といって、別府の共同浴場では一般的な構造だそうです。おそらくは地元の方でありましょうか、先客が2人いらっしゃいました。湯に入ると、あつ湯とはいえ割とよい加減で•••いやあ、実に気持ちよかったですねえ。
「くぅ~~、オレは別府に来たんだなあ~」
湯の中でわたくし、しみじみと別府に来ることのできたヨロコビを噛み締めたのでございました。
さあ、この後はいよいよ、別府のレトロな路地裏ラビリンスと、共同浴場をめぐる散策へと踏み出していくことになりますが、そのお噂は次回の旅のこころだァーッ。
生命感に満ちたみずみずしい草木の匂いに鼻腔をくすぐられていると、仕事していたり家に籠っているのがもったいなくなってきまして、しきりと旅心が疼いてくるのでありますよ。
とはいっても、時間とお金に限りあるカナシイ身分。近場であっても気分よく過ごせる場所がいいのであります。
されば、景色よし、街よし、温泉よしの三拍子揃った別府に出かけてみようじゃないか。そしてラビリンスのごとき路地裏散策を楽しみ、温泉に入りまくってふやけようじゃないか!
そんなわけで、なんとかとることができた連休を使い、今月の6日と7日にかけて別府へと行ってまいりました。これから何回かに分けて、別府へのひとり旅•••といってもたいして遠くまで行ったわけじゃないので、せいぜい「オトナの遠足」といったところなのですが•••のご報告を、つらつらと綴っていこうかと思います。
初めて別府を訪れたのは、中学の頃の修学旅行の時でありましたな。名高い地獄めぐりに、昭和4年から続く老舗遊園地・ラクテンチを型通りに回りましたね。
次に訪れたのが、ひとり旅をするようになった20歳くらいの頃でしたかな。まだ早朝の大分駅で、別府へ行く乗り換えの列車を待っていると、ホームレスのおじさんが話しかけてきたのでありますよ。
「これからどこに行くの?」
「あ、えっと、別府に行くんですよ」
わたくしが答えると、そのおじさんは少々声を落として言いました。
「別府に行くんだったら、夜は出歩かんほうがいいぞー。危ないし、何があるかわからんからよ」
現地のことをよく知るヒトからのありがたいアドバイスということで、わたくし、スナオにそれを聞き入れ、夜はホテルから一歩も外に出ずにおとなし~く過ごしたのでありましたよ。なんせ、当時のわたくしは臆病な紅顔の美少年、しかもお酒なんぞも飲めませんでしたからね。
まあ、おかげで危ない目には遭わずに済みましたが、いま思い返せばこのときの旅のことも、その前の修学旅行のことも、これといって印象が残ってはいないんですよね。地獄めぐりのことと、ホームレスのおじさんとの会話のことしか記憶にないのでありますよ。
そんな別府への印象が大きく変わったのは数年前のこと。別府駅の周辺に広がる、ひと昔前の風情が色濃く残ったアーケード街や飲み屋街、そこから網目状に分かれている路地裏を歩き回り、そのラビリンスのごとき混沌さと、昭和を思わせる懐かしさにイカレてしまったのであります。やはり別府というところは、自分の足で街を歩き回ってこそ本当の面白さがわかる、ということを思い知り、この街のことが大好きになりました。
また機会をつくって別府に行かねば、とことあるごとに思い続け、ついにやってきた別府再訪の機会。否が応にも気持ちは踊ったのでありますよ。•••とまあ、いささか前置きが長くなりました。
大型連休も終わろうとしている5月6日。早朝5時起きということでキチンと起きられるか心配でもあったのですが、目覚ましが鳴る30分前にはしっかり目が覚めたのでありますよ。いやー、気持ちが踊っていると早起きも苦にはなりませんね。そして5時57分、南宮崎駅を朝一番に発車する特急列車へ無事乗り込みました。天気は快晴、気分は上々、さあ出発だ!と高揚した気持ちを抱きつつ、一路別府へと向かったのでございます。
もう気持ちが踊ってるもんですから、朝っぱらから車内で缶ビールをプチンと開けて飲んだりなんぞしていたのでありまして•••。普段ならいくら休日であっても朝から酒なんぞ飲みはしないのでありますが、まあこれも旅ならでは、というところですね。
そうこうしながら3時間近くが経ち、列車はついに別府に到着いたしました。
さあさあ着いたぞー!と久々の別府にはやる気持ちのわたくしを駅構内で出迎えたのが•••なんとテレビアニメ『ヤッターマン』のキャラクターたちが描かれた「顔出し」なのでありました。
なんでまた、よりによって別府駅にヤッターマンの顔出しが置いてあるのでありましょうか。さらに駅の前には、ヤッターマンやキャシャーンなどのタツノコプロのアニメ作品のキャラが描かれた幟もたくさん立っているのであります。さらにさらに驚かされたことに、このあと歩き回ることになる別府の街中の至るところで、タツノコキャラをあしらったポスターや顔出しを目にすることとなったのです。
どうやら、別府市とタツノコプロがコラボしての観光キャンペーンをやっているようでありまして•••いやはや、いろいろと考えるもんでありますなあ。まさか、子どもの頃に楽しんでいたタツノコアニメのキャラクターたちに別府で再会することになるとは。
で、わたくし、別府駅前にあったこの幟にくぎ付けになったのでございますよ。
いやあ、このドロンジョ様、実に実にいい感じじゃないですか。この幟、貰って帰りたいくらいだったのでありますが、商店街の一角にあったタツノコアニメ関連の展示スペースで、同じ絵柄のポストカードを無料配布していましたので、これ幸いと貰ってきたのでありまして、めでたしめでたしでした。
それにしても、別府の街のどこかに、こういうお姉さまがいるような飲み屋さんかなんかがあれば、ぜひぜひ立ち寄りたいところでございましたが•••。どうですか、今からでも遅くないので、ドロンジョ様のミニ浴衣コスプレ飲み屋っての、つくりませんかね、別府市の飲食業界の皆さま。けっこうお客を呼べそうだけどなあ。
別府駅前でもうひとつ、異彩を放っていたのが、この銅像であります。
なんともインパクトのあるポージングのこの銅像の人物は、一大観光地としての別府を作り上げた立役者である油屋熊八であります。
1863年、愛媛県宇和島に産まれた熊八は、地元で家業の米穀・肥料商や町会議員を務めたのち大阪へ渡り、新聞社の経済記者を経て株式仲買人として開業します。そうとう羽振りはよかったようでしたが、4年後に相場に失敗して多大な損失を被り廃業。その後アメリカでの放浪などを経て明治43年(1910)、47歳のときにやって来た別府で、熊八は大仕事を成していくことになります。
別府に来た翌年に熊八がささやかに開業した「亀の井旅館」は、やがて大型の宿泊施設へと成長していきました。さらに熊八はバス事業にも乗り出し、日本で初めてとなるバスガイドによる観光案内や、地獄めぐりバスなどの画期的なアイデアを次々と実行に移していきました。さらにはゴルフ場の開発や由布院の開拓までを手がけ、別府を全国でも有数の観光地へと発展させていきました。今に至る別府の基礎を築き上げた、まさに立志伝中の人物なのでありますよ。
熊八さんは子どもたちのためにもさまざまなことをやっていたようですね。童話や演奏などを聞かせる会を立ち上げたり、クリスマスのときにはサンタに扮して水上飛行機で降り立ったりもしたそうな。銅像の台座には「子どもたちをあいしたピカピカのおじさん」とありましたが、このポーズを見るとなんだか熊八さんご本人が子どものごとき、天真爛漫なヒトだったのではないかと思えてくるのでありますが•••。
それにしても、なかなか面白そうな人物でありますよ、熊八さん。この人の伝記が出ているのなら、ぜひとも読んでみたいものですなあ。
別府に来たのだからさっそく温泉に浸かろうと、別府駅前の通り沿いにある「駅前高等温泉」に入り、この日最初の温泉に入りました。
なんともレトロな建物は大正13年(1924)に建てられたもの。入浴料200円を払って中に入ると、「ぬる湯」と「あつ湯」に分かれています。わたくし、移動疲れのアタマをさっぱりさせたいと「あつ湯」に入りました。
浴槽と洗い場は一段低くなっております。「半地下式」といって、別府の共同浴場では一般的な構造だそうです。おそらくは地元の方でありましょうか、先客が2人いらっしゃいました。湯に入ると、あつ湯とはいえ割とよい加減で•••いやあ、実に気持ちよかったですねえ。
「くぅ~~、オレは別府に来たんだなあ~」
湯の中でわたくし、しみじみと別府に来ることのできたヨロコビを噛み締めたのでございました。
さあ、この後はいよいよ、別府のレトロな路地裏ラビリンスと、共同浴場をめぐる散策へと踏み出していくことになりますが、そのお噂は次回の旅のこころだァーッ。