読んで、観て、呑む。 ~閑古堂雑記~

宮崎の某書店に勤める閑古堂が、本と雑誌、映画やドキュメンタリー、お酒の話などを、つらつらと綴ってまいります。

NHKスペシャル『病の起源』第2集「脳卒中 ~早すぎた進化の代償~」

2013-05-26 23:32:23 | ドキュメンタリーのお噂
NHKスペシャル『病の起源』第2集「脳卒中 ~早すぎた進化の代償~」
初回放送=5月26日(日)午後9時00分~9時49分
音楽=羽毛田丈史 、ナビゲーター=室井滋、語り=伊東敏恵


現代人を悩ませ続ける病の起源を探り、人類進化の視点から正体に迫っていくシリーズの第2集。今回取り上げたのは、毎年世界で1500万人が発症するという脳卒中です。

2年前、脳卒中を発症して手術を受けた北海道の男性。それは、0.2㎜というごく細い血管に生じた「微小動脈瘤」という膨らみにより血管が詰まり、それが破れたことによって引き起こされたものでした。脳の血管は、心臓などの体の血管と較べると壁が薄くできていて、それゆえ破れやすいというのです。なぜ、脳の血管の壁は薄いのでしょうか。
4億年前に脊椎動物として進化した魚類は、脳の血管も体の血管も同じ壁の厚さでした。それが哺乳類へと進化を重ねていく過程で、体の血管の壁は徐々に太くなっていきます。運動による筋肉の発達が、より多くの血液を必要とし、その圧力に耐えられるために変化していったのです。しかし、脳にはそのような変化が起こらなかったことが、脳の血管の壁が薄いままとなった理由でした。

哺乳類の中でも、人類はとりわけ脳卒中になりやすいといいます。それは、共通の祖先であるチンパンジーの3~4倍の大きさという「哺乳類では異常といえる進化」を遂げた、人類の脳の巨大化が引き起こしたものだというのです。
人類の脳は、200万年前から飛躍的に大きくなっていきました。それにより毛細血管の数も劇的に増え、それは総延長600㎞(ハッブル宇宙望遠鏡の位置と同じ高度!)に達するまでになりました。これにより大量の血液が必要となった脳の血管には、幹から枝分かれする部分を中心に高い圧力がかかるようになりました。そのことが動脈瘤の原因をつくり、脳卒中になりやすくなってしまった、といいます。

脳卒中により生じる影響で代表的なのが、手足や口が動かせなくなってしまう運動麻痺。それは、人間の運動能力を司る脳の運動野に血液を送り込む「レンズ核線条体動脈」の破れや詰まりにより、運動神経ネットワークが働かなくなることにより生じる影響でした。脳卒中は、主にこの場所に集中して発症するといいます。
250万年前に初めて石器を作り、それを使うことを覚えた人類。やがて脳の運動野が発達していくにつれて、より手が動かしやすくなっていき、さらに複雑なモノを作り、使いこなすようになっていきました。
脳卒中は、そんな「ヒトの脳で最も進化し、発達したところで起こりやすい」病でもあったのです。

さらに脳卒中を引き起こす頻度を高めることになったのが、6万年前の「出アフリカ」により、人類が容易く手にできるようになった塩でした。
もともと、アフリカには限られた場所にしか塩はありませんでした。現在でも昔ながらの狩猟採集生活を営む、カメルーンのピグミーにも、脳卒中はほとんど見られないといいます。高齢になっても、血圧はあまり上がらないことがその理由でした。
血管における微小動脈瘤の原因となるのは高血圧で、それを引き起こすのが過剰な塩分の摂取です。血中のナトリウムを薄めるために、より多くの血液が必要となり、それにより高血圧になる、というわけです。
さらに、近年は首の動脈が詰まることにより起こる脳卒中も増えてきているといいます。肉や脂の摂り過ぎにより血管に溜まったコレステロールが、血流を詰まらせてしまうのです。
欲望のままに暴走気味となり、偏ってしまっている現代人の食生活が、脳卒中のリスクを飛躍的に高めてしまったのでした。

脳卒中が引き起こされるメカニズムを踏まえた対策や治療法の模索も、番組の最後に取り上げられていました。
九州大学は、福岡県の久山町で50年にわたり、8000人の町民を対象にして脳卒中の発症リスクを調査してきています。それによれば、肥満度が低い人や、週3回以上の運動をしている人は、脳卒中の発症リスクが低いといいます。
そして、アメリカでは幹細胞を脳に送って新たな毛細血管をつくることにより、神経ネットワークを再生させ、手足や口を動かせるようにしていく、という最先端医療が試みられています。

脳卒中の起源とメカニズムをたどったことで、現代における「ぜいたく」がこの病を引き起こす大きなリスク要因となることをあらためて知ることとなりました。
かく言う自分自身も、ついつい塩気と脂っこさのある食物を摂りがちなところがあるだけに、こちらも決して他人事には思えません。
美味しく、かつ体に負担をかけない食のありかたにも気を配らなければいけないな、と思ったことでありました。•••言うは易し、行うは難し、なことではあるのですが。

別府・オトナの遠足 ~路地裏、温泉、ふやけ旅~ 第3回・路地裏酒場で夜はふけて

2013-05-26 20:00:28 | 旅のお噂
【おことわり】
このブログは、閑古堂の主観的、かつ酔いどれながら飲み食いした上での意見・感想であり、お店の価値を客観的に評価するものではありません。あくまでも一つの参考としてご活用ください。 また、このブログは、閑古堂が最後に訪問した'13/5当時のものです。 内容、メニュー等が現在と異なる場合がありますので、訪問の際は必ず事前に電話等でご確認ください。


日中の街歩きをひとまず切り上げたわたくしは、この日宿泊する「ホテルエール」へチェックインいたしました。ホテルや旅館が立ち並ぶ海岸近くにあるホテルであります。
こちら、宿泊料はビジネスホテル並みにリーズナブルなのですが、ありがたいことに屋上には展望露天風呂があり、翌朝まで好きなだけ入れるというのです。ええ、言うまでもなく天然温泉です。わたくし、ここでこの日4度目となるお風呂に浸かりました。•••いやはや、一日でこんなに温泉浸かったのは初めてでありますよ。もう、身もココロもお湯でふやけまくり。

いやあ、別府湾と高崎山の景色を真近に眺めながらのお風呂も、なかなか結構でございましたねえ。わたくし、この後に控える飲み歩きに思いを馳せつつ、しばしお湯に浸かったのでありました。

さあ、温泉もたっぷりと堪能しました。まだ明るさが残る中、わたくしは別府の飲み屋街へと出陣したのであります。

別府駅前の通りから南側のあたりには、懐かしさを感じさせるアーケード商店街が2ヶ所伸びています。そこへいくつかの細い通りが交差し、たくさんの飲み屋が立ち並んでおります。さらにそこから、クルマも入れないような細い路地があちらこちらに入り口を覗かせていて、その奥にも小さい飲み屋がしっかりと看板を出していたりするのです。

細い路地に入り込んでいくうちに、まったく知らない場所に出くわしたり、かと思えば先ほど歩いていたはずの場所にまた戻ったり。まさしくラビリンスのごとき路地裏は面白さと魅力に溢れていて、これはハマりますねえ。
•••でも、歩き回るのに夢中になっていると、どこに入ろうか迷いに迷ってしまうんですよね。さて、どこに入ろうか。路地裏歩きを楽しみたい気持ちと、早く最初の一杯にありつきたい気持ちが千々に乱れてワタシどうしましょ、という感じになってくるのでありますよ。
迷った挙句、目星をつけていたいくつかの店の一つである「チョロ松」というお店に入ることに決めました。

店内に入ると、カウンターには既に常連さんとおぼしき方が数人、いい感じでくつろいでおられます。そんなカウンターの一角に座り、まずは生ビールを注文。食べたいと思っていた「とり天」はなかったものの、「豚天」というのがあったのでそれを注文することにしました。
このお店ってけっこう長いんですか?とカウンターの中で立ち働くおかみさんに尋ねると、こうお答えになりました。
「もう40年以上は経ってますよ。•••あ、でも昭和30年代にできたんだから、えーと、そうするともう50年は過ぎてるのかなあ」
とまあ、いまいちハッキリとはしなかったのですが、いずれにせよ長く続いているお店であることは間違いなさそうでありました。ちょっと可愛らしさを感じる店の名前は、先代が飼っていたというネコの名前からとったそうな。
そうこうしているうちに「豚天」がやってまいりました。揚げたてアツアツが、金属製ジョッキの冷えた生ビールに合って、まずまずの美味しさでありました。
次にこのお店の名物料理という「かも吸」を注文。麦焼酎を飲みながら待つことしばし、ついにご対面となりました。

鴨の肉や内臓、ガラをゴボウや豆腐などと煮込んだ小鍋料理。口にしたとたん、そのコクのある味わいのトリコになりましたねえ。これは絶品でございました。スッキリした味の麦焼酎にもよく合って、いやあ、これは酒が進みましたね。
「かも吸」はやはり人気料理のようで、後から来たお客さんのほとんども注文していた様子でした。いや、これは人気があるのもわかりますよ。本当に美味しゅうございました。
カウンターの中では、中国などから来ている留学生が数人、バイトとして頑張っておりました。さすがは立命館アジア太平洋大学(APU)のある土地柄でありますね。その中でも一番ベテラン格といった感じの中国人の女の子は、日本での就職が決まったんだとか。いやあ、それはよかったなあ。国と国とのあいだは相変わらずギクシャクとしておりますが、どうか負けずに健闘してくれたらなあ、と思うばかりであります。

「チョロ松」を出たあと、もう一軒どこか居酒屋に寄ろうかなと思ったのですが、けっこう満腹感があって、ひとまず食べるほうはもういいか、という感じになっておりました。
でも、せめてバーに寄りたいなあ、とあちこち歩き回った末、かつてのメインストリートであった流川通り沿いに立つ、ビルの2階から見える灯りに誘われるように「ミルクホール」というバーに入りました。

店内に入ると天井が高く、カウンターのほかにボックス席やグループ客向けの個室まであり、思いのほか広いお店でありました。が、大人がゆっくりとくつろぐのにふさわしい本格派バーの雰囲気が、そこにはありました。うん、ココはいい感じだぞ。
聞けば、こちらは開店から20年以上になるとのことで、ここでバーテンダーとして働いたあと、独立してバーを営む方が何人かいるそうです。別府のバー文化を牽引しているお店、といえそうなのでありますね。
余計なことはおっしゃらないながらも、初めてのお店におっかなびっくりやってきたわたくしに、まことに穏やかかつ親切に接してくださったマスター氏。お酒についても並々ならぬ選択眼をお持ちのようで、出して頂いたお酒はいずれも身体に沁み渡るような美味しさでございました。
スッキリした味わいのカクテルを、とのこちらの所望に、「これからの時期にはこちらがオススメですよ」と作って頂いたモヒートは、スッキリした中にラムのコクも感じられて、期待以上の美味しさでした。
ウイスキーを注文すると、「ちょっとめったに手に入らないやつがありますので•••」と、インペリアル(だったと思うのですが•••なにしろ酔っぱらっていたのでいささか正確さに欠けるかも•••)なるウイスキーをストレートで勧められました。これがまた、味はもちろん香りも素晴らしく、舌と鼻を喜ばせてくれましたね。
わたくしより少しだけお若いバーテンダーさんはとても気さくで楽しい好青年でありまして、おかげさまで肩の力を抜いてくつろぐことができました。奇遇なことに、バーテンダーさんのお友達は、なんと宮崎市内で天ぷら屋さんを営んでおられるとか。「竹はら」という繁華街にあるお店だそうでして、そこにもぜひ足を運ばなければいけませんな。
で、楽しい夜を満喫させていただき、お会計ということになりました。めったに入らないというウイスキーまで頂いたので、少々高くなっても仕方がないかなあ、と恐る恐るお会計を見ると•••わたくしが普段通っているバーと同じくらいの、実に良心的なお会計でありました。いやあ、嬉しかったなあ。
「ミルクホール」、ほんと大正解だったなあ•••。わたくし、満たされた気分でホテルに戻り、部屋に入るなりベッドに倒れこみ、そのまま眠りに落ちたのでありました。

さて、2日めは市の北にある鉄輪温泉に向かい、温泉場風情あふれる町並みと地獄めぐりを楽しむことになります。そのお噂はまた次回に!