http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=13229
上記サイトにグリフィスと横井家の人々との関わりが述べられています。以下には日本論の核心というべき思想が引用されています。
http://holyspirit.blog.ocn.ne.jp/mmm/2008/01/we_5575.html
少年時代に、ペリ-の遠征艦隊の旗艦となるサスケハナ号の進水を目撃し、青年時代南北戦争に従軍し、ラトガ-ズ大学で横井家の子弟に教え、やがてフルベッキ(ヴァ-ベック)の仲介によって福井藩に招かれたW・E・グリフィスの著作、特に「皇国」はアメリカ人による唯一最良の日本解説書とみなされています。
しかし「ミカド-日本の内なる力-制度と人」The Mikad0:Institution and Person-が膨大な日本論のなかの集大成的意味をもっていると訳者の亀井俊介氏があとがきで述べています。(岩波文庫)
そして同時期に日本に滞在したラフカディオ・ハ-ン(小泉八雲)との相違を指摘されています。
「ハ-ンは日本文化の基本に”祖先崇拝"を見出し、西洋ではそれがすっかりすたれた後でも日本ではいまだに国民精神の中心となっていると感激している。ところがグリフィスの見方では”祖先崇拝”は主として中国から借りてきたのであり、現在でも同じく政治上の必要から利用されているものなのだ。そして彼は"祖先崇拝”の一表現たる"万世一系"などの理論を虚構として斥け、そういう虚構がいまだに通用していることを残念がって”日本人は、近代になしとげたすばらしい業績にもかかわらず、その知的あるいは倫理的幼稚さをまだ十分に脱していない”と批判するのである。」上掲著344ぺ-ジ
カトリックの教育を受けながら懐疑的になったハ-ンとオランダ改革派の影響下にやがて神学を学び牧師になったグリフィスの視点の違いが現わされています。
グリフィスは同著書において「明治時代の大部分にわたって、さまざまな思想傾向や党派が争ったが、それは結局、政治のモデルをアングロサクソンに求める者と、プロシアに求める者との争いであった。」と述べました。
この予言的言葉は日英同盟を破棄して三国同盟を締結し第二次大戦に突入する日本の歴史に現実化しました。
思想的にはドイツ告白教会やカ-ルバルトが総括したように民族的精神(ナショナリズム)を霊的普遍的精神に優先させ、霊的には新生なき人間主義の問題でありました。
新生とは聖霊の内住であり、おのが意思(魂)をそのもとにおくことであります。自我を主(あるじ)とすることをやめ創造主のもとにへりくだることです。それは個性や民族性を否定することではなく、かえって神によってその特性が生かされます。知性を殺すのでなくより高いレベルでの知性が生かされます。
日本民族が世界の中で尊敬され有用な役割を果たしてゆく、そのような可能性をグリフィスは横井小楠の中にかいまみたのではないでしょうか。