創造

創造主とセルフイメージの世界

霊を見分ける

2024-05-05 21:08:01 | 福音

新聖歌376 いかに汚れたる

【ヨハネ第一の手紙4章1-16節】

星野 富弘さんが天に召されました。

「鈴の鳴る道」という詩があります。「電動車椅子に乗っていると、少しのでこぼこでも進むのが大変だ。
だから、なるべくでこぼこの道は避けて通ってきた。知人から小さな鈴をもらって、車椅子につけた。
偶然、でこぼこの道を通った。いやだと思いながら。そのとき、何とも言えない心に響く鈴の音が聞こえてきた。
何度も何度もそのでこぼこ道を通って鈴の音を聞いてみた。その日からでこぼこ道を通ることが楽しみになった。
『人も皆、この鈴のようなものを、心の中に授かっているのではないだろうか。』
その鈴は、整えられた平らな道を歩いていたのでは鳴ることがない。人生のでこぼこ道にさしかかったとき、揺れて鳴る鈴である。美しく鳴らしつづける人もいるだろう。閉ざした心の奥に、押さえ込んでいる人もいるだろう。私の心の中にも小さな鈴がある。その鈴が澄んだ音色で歌い、キラキラと輝くような毎日を送りたい。
私の行く先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに進もうと思う。」

出エジプト記に以下のようにあります。

出 39:24 青服のすその上に、青色、紫色、緋色の撚り糸で、撚ったざくろを作った。39:25 また彼らは、純金の鈴を作り、その鈴を青服のすそ回りの、ざくろとざくろとの間につけた。39:26 【主】がモーセに命じられたとおりに、仕えるための青服のすそ回りには、鈴にざくろ、鈴にざくろがあった。

コリント第一の手紙12章は神の力の証の鈴であり、13章は神の愛の実であるざくろで、14章はもうひとつの神の力の証の鈴です。神的生命は人格的な愛の交わりと創造の力です。主は私たちにそのいのちを与えられました。聖霊が私たちに内住されて、父と御子との交わりに導かれ、御霊の実を現わされます。同時に「賜物(カリスマ)」としての知恵や知識、信仰、いやし、奇跡、預言、霊を見分ける力、異言、解き明かしが与えられます。ここで分かるのは霊的識別力は人間の自然的能力でなく、聖霊の祈りによる交わりを通して神から与えられる超自然の力だということです。聖霊はイエスを神の御子と告白(信じ)させ、御子とみ父との出会いと交わりに導かれます。十字架と復活の主への信頼です。事実確認と人格的関係が真の霊の働きです。モーセと戦ったエジプトの霊能者も不思議なことをして見せましたがまことの神との交わりはありませんでした。神のいのちは、この世の霊にない永遠性と清さ、復活の力があります。真の創造主との人格的交わりがないと、愛、喜び、平安、寛容、親切、慈愛、忠実、柔和、自制という神の性質の実を結ぶことができません。神に聴く力が無いので、自分の思いを独善的に述べるだけです。               目と口しか動かせない絶望的な弱さの中で、ただひたすら祈り主に頼った星野さんの内で主はユーモアにあふれた聖い人格と素晴らしい作品を生み出されました。信仰とは人格的信頼です。一番深くて身近な関係は、創造主であり、贖い主である主との関係です。主はいつでも子供と対話を望んでおられます。そしてどんな問題も「私にゆだねなさい」と語っておられます。主への丸投げ人生ほどエキサイティングで楽しいものはありません。 

新聖歌135 御霊は天より                         

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