創造

創造主とセルフイメージの世界

うちにおられるお方

2021-11-07 21:27:06 | 福音

(ヨハネ第一の手紙4章)

文化の日にNHKBSで木村利人さんの証をドキュメンタリ-調で放送しました。

少年時代、日本を占領したときのアメリカ軍将校「キーフさん」と出会い、一人の人間として接してくれ靴をプレゼントされ鬼畜米英と教えられていたことが全く違ったことが分かりやがて教会に通うようになってクリスチャンになりました。YMCAの海外奉仕活動のためフィリピンに行きました。

そこで戦争中、ゲリラの容疑のかけられた家族が日本軍によって首を刀で跳ねられたり、教会に集めて火をかけて焼き殺されたり、女性が兵士たちにレイプされ、百万の人が亡くなったことを知らされました。

当然のように、自分に対して現地の人々の目は厳しいものがありました。それでも友人が出来て何とか子供たちのためにバスケットコ-トを作ってあげたりして、無事、帰国しました。

祈りの中で、詩篇47篇の「手を打ち鳴らせ」のみ言葉と共に、親切を示してくれた現地の子供たちが手を叩いて歌っていた光景が浮かんできました。それを作詞作曲したのが「幸せなら手を叩こう」でした。

当時歌手として有名な坂本九さんが成功したものの、言いしれない心のむなしさに沈んでいたなか、この曲で妙に魅かれ慰められたそうです。彼が歌い始めて一挙に広がり、日本だけでなく世界で歌われるようになりました。

木村さんはその後、恵泉女子大学長や早稲田大学教授として働かれましたが、態度で親切を現わしてくれた子供たちが「幸せなら手を叩こう」のうまれた理由でした。

絶対的永遠の幸福とはなにか。それは神の子とされ永遠のいのちを与えられることです。

その感謝と喜びを態度で示す一つが礼拝です。

霊を見分けるという意味は、誤った教えに注意し、真の信仰に立ち返るということです。

十字架の贖いなしでも救われるという教えは要注意です。イエス様が神の子であり、その罪なき血の代価によって聖霊が下って救われるのですが、それを信じず認めないと偽りの霊の支配に止まります。

へブル人への手紙10章。

10:28 だれでもモーセの律法を無視する者は、二、三の証人のことばに基づいて、あわれみを受けることなく死刑に処せられます。

10:29まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。

主が我々に代わって呪いを受けてくださり、その血によって罪を清めてくださったこと。

同時に我々の内に住まわれた聖霊が我々に代わって働かれることの重要性が述べられています。

十字架で流された尊い贖いの血を単に人間の血とみなすことの危険が指摘されています。御霊に頼らなければ自分や別の霊に頼ることになり、サタンを呼びこむ悲劇をもたらします。

アガペ-の愛は人間からでなく神からの愛、聖霊が私たちの内で共に愛する愛です。いのちにもビオス、プシュケ、ゾ-エと三種類の言葉があるように、愛にもエロス、フィレオ-、アガペ-があります。

生物的本能的愛、精神的友情愛、そして創造主の無償の愛、ご自身を与える愛です。人間の愛は絶対的ではありません。友情や恋愛もいつ壊れるか非常に危ういものです。もしここに幸福を求めると、砂上の楼閣のようにいつ崩れるか分からない不安を併せ持ちます。絶対的永遠の幸せは神との絆にあり、それは我々に起源があるのでなく神からの愛です。聖霊が私たちのうちがわから、神と交わり、人を愛し、サタンと戦って勝利されます。

日本軍が天皇を神としたのは別の霊の仕業といえないでしょうか。表向きは皇軍。神の軍隊でしたが、内側には闇があり、それがゆく先々で態度と行動に現れました。聖霊に依らなければカルトに陥ります。

私たちは御子の十字架によって悪霊から解放され、神の子とされたことを心から感謝して手を叩きましょう。

「本の旅」

 

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