幕末維新の写真師、上野彦馬の写場は謎につつまれています。
敷地内に設けられていたという小スタジオ(竜馬スタジオとも称される)は良く知られています。
問題は、フルベッキ写真が撮られた大スタジオです。
左手前に小枝が写っていますから屋外であることが分かりますが、石畳の通路の上に写場が
設置されています。普通の屋敷の庭としては不自然です。
可能性として、隣の長崎(中島)聖堂の一部を拝借したと考えられないでしょうか。
ところで、フルベッキ師が教えた済美館の後身、広運館は1869(明治2)年、10月に
漢学局をこの中島聖堂内の明倫局に移しました。
国立国会図書館デジタルコレクション・長崎県教育史・上巻1-4編・コマ番号65以下 参照。