11月にいくつかの演奏会で
シューベルト遺作B-durソナタを弾くことに。
その一つは
戸隠での河合隼雄先生お別れの会。
先日京都で大々的かつ公式的な追悼式が開催されたけど
やっぱり先生にゆかりのある人達は
各方面で個別にお別れの会をされるみたい。
私は10月に京都で開かれるの一つと、
戸隠のに参加。
戸隠ではピアノを弾く。
その曲をいろいろ考えて
直接このシューベルトの曲と先生とが関係するわけではないけれど、
やっぱりこの曲がふさわしいと思った。
前回この曲を本番で弾いたのが95年96年だから
もう10年。
「シューベルトとシェーンベルク」というシリーズの中で
最後に弾いた曲。
10年の間に
私の中でどのような変化があったか
あるいはなかったか。
実際に音を出して弾いて
それを暗譜するまでさらってみて
はじめて気づくことがあるかもしれない。
いつも思うのは、
なんやかや言っても
やってみなければわからない、
やってみて初めて本当に意外なことに気づく、
ということ。
今回もおんなじです。
ともかくやってみること。
でも、この曲を
河合先生とのお別れのために弾くとは
思ってもみなかったです。
シューベルト遺作B-durソナタを弾くことに。
その一つは
戸隠での河合隼雄先生お別れの会。
先日京都で大々的かつ公式的な追悼式が開催されたけど
やっぱり先生にゆかりのある人達は
各方面で個別にお別れの会をされるみたい。
私は10月に京都で開かれるの一つと、
戸隠のに参加。
戸隠ではピアノを弾く。
その曲をいろいろ考えて
直接このシューベルトの曲と先生とが関係するわけではないけれど、
やっぱりこの曲がふさわしいと思った。
前回この曲を本番で弾いたのが95年96年だから
もう10年。
「シューベルトとシェーンベルク」というシリーズの中で
最後に弾いた曲。
10年の間に
私の中でどのような変化があったか
あるいはなかったか。
実際に音を出して弾いて
それを暗譜するまでさらってみて
はじめて気づくことがあるかもしれない。
いつも思うのは、
なんやかや言っても
やってみなければわからない、
やってみて初めて本当に意外なことに気づく、
ということ。
今回もおんなじです。
ともかくやってみること。
でも、この曲を
河合先生とのお別れのために弾くとは
思ってもみなかったです。
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