河野美砂子の「モーツァルト練習日記」+短歌+京都の日々の暮らし

9/7(土)15時 京都府民ホール・アルティ シューマン「ピアノ三重奏曲第2番ヘ長調」Op.80 

ドビュッシーのアーティキュレーション

2012-06-28 16:29:24 | 全曲演奏付き講演会
30日土曜日のミニ演奏付き講演会。
ドビュッシーを取り上げる。

09年にも一度ドビュッシーは登場してもらったけど
今回久しぶりに弾いてみると、新たに気づくことた~くさん。

たとえば
ドビュッシーのアーティキュレーションは、今回見直して今更ながら感心したのだが
本当に音楽的に正確で、びっくりするほどよく書けている。

アップした自筆譜は『映像Ⅰ』より「水の反映」の一部。
この右手の32分音符に、12個(3個×4)づつ組になってスラーがかかっている。

このアーティキュレーションをよく感じて
すなわち、スラーの頭を意識すること+スラーの最後は上向き
つまり、スラーとスラーの間にほんの僅かの隙間があるというか・・・
そういうふうに感じると、とてもとても弾きやすくて、しかも美しく弾ける。

手の感じは、久ラヴィコードの手。
(ドレミファソラシドを、12343434という指使いで弾くときの、ペンギンのような手)
ドビュッシーは、きっとこのように弾いていた、ということがよくわかる。

以前この曲を弾いたときには、そんなにスラーのことを気にせずもっとべったり弾いていて
苦労して練習したわりには美しく弾くのがとても難しかったが
美しく弾けるコツは、ちゃんと楽譜の中にドビュッシーが書き残してくれてたのだ。

一つそのことに気がつくと、芋づる式に他の箇所で同じようなことを発見する!

ドビュッシーのピアノ曲は、ただ彼の音楽的感性によって書かれたのではなく
楽器と手との緊密な関係があって・・・
というか、
音楽的好みと楽器の手ざわりが相まって作られている。
どちらが先、ということがない。

・・・そういえば、似たようなことを、リゲティのエチュード弾いたときにも感じたな・・・
(ショパンはもちろんですが)。

ドビュッシー自身は、「自分の指使いを見つけよう」(「練習曲集」)と言っているが、
彼が校訂したショパンのエチュードの指使いを見てみると、
ほんとに嬉しくなるくらい、私といっしょの指使い!

楽譜を通して、ドビュッシーさんに一歩ちかづいたか?!

コメント
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