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2021.09.20 感謝の敬老の日だった。

今日は、ショップの更新をやろうと思っていて、その滑り出しだけは、果たせた。
一番主だったページの更新をおこなった。
この滑り出しだけでも、軌道に乗せると、あとは、これの連続だと思えば大変気が
軽い。



ドンクのパンが無くなったので、神戸に買いに行こうとして、ふとカレンダーを見る
と今日は、祝日で、敬老の日であった。
あわてて、国旗を揚げにゆく。

考えてみると、「敬老の日」って、私の場合、自分を祝ってもらう日ではないか?
しかし、私がいつも敬老の日の度に、心から、感謝をするのは、今の老人は、どんなに
幸せかということ!
昔の老人は、若い人と共に野良仕事をすることができなくなった後は、納屋で藁を
打って縄にして、(照明も、裸電球、もっと遡れば、行燈があれば良い方、白内障
(白そこひ)になっても手術などないので、老人になったら目が見えなくなる人が
ほとんどだった。)
暗い中で、草鞋を編んだり、古着の(もう破れそうなまで使った布で)家族の衣類に
何重にも継ぎを当てたり、冬には綿入れを作ったり、昼間は、孫を籠に入れて面倒を
見たり、動ける限り、亡くなるまで働きに働いた。

喫茶店など、知らなかった。
もちろんコーヒーも、チョコレートパフェも知らなかった。
ランチサービスどころか、レストランも知らなかった。
居酒屋なんて、想像もできなかった。
洗濯機も、炊飯器も知らなかった。

私がそう言ったら、「知らなかったから、別に不幸でもなんでもないのよ。その頃は、
皆んながそうだったんだから。」と言った人がいた。
確かに、そうかもしれない。

でも、今に生を受けた、我々の幸せを、深く深く感謝する気持ちは変わらない。

だから、私が、「自分へのご褒美なんていう言葉を、私は使えない。尊大すぎる。」
などと、時々訳のわからないことを言うのは、そのためである。

と言いつつ、今日もユーハイムの喫茶室でコーヒーを飲んだり、駅まで来てから、
あ、そうだ、自分へのお祝いが要るかもなどと思って、またお店に戻って、小さな
ケーキを買ってきたりした。
言ってることと、してることが、ばらばらやないかい?と自分でも思わないでもない。



しかし、ユーハイムのバウムクーヘンって、おいしいね。美味!美味!
小さいけど、これで195円だって。値打ちあるわ〜!と思った。
本当に、今日は、心から感謝の「敬老の日」であった。
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