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2020.04.18 今年で100才になられる元上司のこと。

今年の10月に100歳になられる、元上司の方が居られる。

元々は、私の職場の方だけれど、私の友人も一緒に可愛がって

下さり、私に会う時は、友人達も一緒に呼んで下さったので、

のばらさん、さくらさん、摩耶さんと私の4人と、Fさんの

5人でよく会った。

お元気な頃は、摩耶さん達の作品展に毎年行って下さった。

今でも、「あの人、今も絵を描いてる?』と聞いて下さる。

 

特に頻繁に会ったのは、わたしとのばらさんで、のばらさんの

運転で、色々なお店で食事したことがある。

その上司Fさんのお宅のお庭の2本ある柿の木に、Fさんが自ら

登って、柿の実を捥いだものを、車で取りに来る様にいわれて、

毎年、のばらさんに受け取りに行って貰っていた。甘い実だった。

 

92才の頃、一軒家を畳んで、マンションに移られたが、私達は、

3人の息子さんの内のどなたかが、心配して呼び寄せられたもの

と思っていたが、そうでは無くて、「息子は関係ないよ」とのこと。

ご自分で決心して、ご自分で売る段取りをして、ご自分で転居先を

探して来て、自分たちご夫婦で転居されたとお聞きして、さすがと

びっくりしたものである。

 

「死ぬ迄に黒部ダムに行きたい」と言われ、93才の時、同年輩の

奥様も一緒にトロッコと徒歩で黒部ダムに行き(車では行かれない)、

ダムの大変な難工事で亡くなられた大勢の犠牲者のお墓に参られた。

ここへ、ぜひ御参りしたかったのだと言われていた。

お国の為に尊い命を捧げた方々という、想いなのだろうかと思った。

 

その後、2週間かけて、日本全国の、昔軍隊で自分の連隊の部下

だった方々のお墓を探して、すべてお参りされた。(この時は、

2人の息子さんの車で廻った。)

各県庁で、探してもらったとのことだった。

また、当時戦局が厳しくなり、自分1人だけロシヤから日本へ帰国

命令が下ったが、他の280名余りは、フィリッピンへ転戦する

ことになり、フリッピンへ向かう途中で、船が撃沈され全員命を

落とされたが、その慰霊碑へ詣でたいとの思いを果たされた。

その時の写真は、引き延ばして私にも頂いたので、保管している。

90過ぎても、まだまだ、思い残すことがおありだったようである

が、それらを、全て果たされた。

 

最近迄、小学校、教職員組合、婦人会などからの講演依頼が多く、

断り切れなかったが、先年、軽い脳梗塞を起こされてからは、外出を

自粛しておられるそうで、めっきり、お誘いが減ってしまった。

 

今日、お電話すると、お変わりなく、お元気そうで安心した。

今年10月の中旬に、100才のお誕生日を迎えられるので、さくらさん、

摩耶さん、私の3人でお祝いさせて頂きたいことを、改めてお伝えした。

喜んで下さった。

私達も、とても楽しみにしていることをお伝えした。

 

 

 

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