michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護で 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

『吉田道昌の学舎』より   〔ブログ/TV〕

2009-03-04 15:09:07 | Weblog

吉田道昌の学舎』というブログ、毎日拝見しているんです。

非常に内容が深くて、いつも「はぁ…」とか「ふうむ…」とか唸ってしまう。

3/3は、“NHKの特集、多摩川ホームレスと猫たち” ↓

http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2009-03-01&ch=31&eid=5507

というタイトルで、

この番組は、私も見て心打たれ、コメントを書かせてもらいました。

 

ブログ本文より。

『あまりに優しすぎる人たちだった。

優しすぎるから、ホームレスにならざるを得なかった。

優しい人たちのところに、孤独な猫たちが集まっていた。

自己責任」という言葉を吐く社会によって、彼等は河川敷にはじきだされた。

はじき出された孤独な者たちは、増水すれば命も奪われる河川敷に集う。』

社会が「自己責任だ」と言うので、彼ら自身も「自分の責任なんです…」という風に思うようになってしまった。

――ディレクター(ナレーション)は、こんな風に言っていたように記憶しています。

 

『何も持たず、何ものにも縛られず、乏しさに生きる彼らこそが、

「人間の村」をつくることのできる人たちのように思えた。』

これですよね。。究極の暮らしをしている彼らこそが。

  生きるって、どういうことなのか…。人間とは…。

そんなことを突きつけられ、考えさせられました。


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2 コメント

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Unknown (いそじ)
2009-03-04 19:14:08
死に直面した人や死が目前に迫っている人は
「生きる」あるいは「いのち」と言うものを実感できるのでしょうけど、ただ生きているだけの者(私)には、実感できないのではないでしょうか。

全てにおいて、経験者だけが『語る』ことが出来るのだろうと思います。
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Unknown (michi)
2009-03-05 08:49:02
いそじさんのコメントを読ませて戴いて思ったのですが、

自分自身は、そこまでは直面したことはないけれど、いろいろな体験を積んできました。
その中で、

 生きている実感を掴めるかどうかは、
 社会的に豊かと認められているような状況とは関係ない。

これは、体得しましたね。
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