日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 今日は・・ *

2022年11月22日 | 雑感


我が家の鉢植えの南殿桜が 秋・・いつからか色づきをはじめ 今日最後のひと葉になった。

最後の一枚、記念に写真に撮った。 そうだ芸術の秋、色鉛筆で描いてみようか、なんとかバトルの番組みたいに。
そんな余裕もない癖に。

部屋に置いてあるひとつの盾がある。 ””夫婦円満””の。 それには思い出がある。

2015年の元旦、義母は逝かれた・・97歳で。 最後の1年半を施設で過ごされた、認知症を患われていて。
心の中で(最後まで、お世話下さったお嫁さんだけは忘れないで下さい・・)と祈っていたが、叶わなかった。
訃報が入ったのが、元旦の夕方遅く、昼間からのおせちをわいわい言いながら娘達家族みんなで頂いていた。

翌日、しまなみへと、孫、ひ孫を乗せて車を走らせた。 中国道は雪が降ったり所々積もっていた。
子、孫ひ孫総勢36名が揃った。 鹿児島から息子も長男を連れ帰って来てくれた。
私は、これは賑やかが好きだった義母へのお天道さまの采配心遣いではないかと密かに思った。
皆さん元旦の朝は家族で祝うことが出来たし、三が日は皆お正月休みである。 そのお陰で皆が帰省で来た訳で。 
全て自然の成す技なれどすごいことだと思った。
誰も分からなかった母ではあるが、せめて最後は後へ続く者たちで皆に見守られ旅立ちたい願ったに違いない。
人の悪口を一切言わなかった母、熱のあったひ孫まで見送られ旅立った、良かった・・救われた気持ちだった。
母もそうだったが、義母もデイサービスを好まなかった、どちらかと言うと嫌がった。 
それは互いの兄夫婦の優しいお世話のお陰で、お姉さんの料理と家の居心地がとても良かったからである。
デイサービスに行っている時だけが、お嫁さんがほっとできる時間だと心得ていたのだ。 現実、そうだった。

最後まで家でお世話して下さっていた兄夫婦、一度結婚記念日にせめて一泊旅行でもと兄弟でプレゼントしようと
提案したら、「家を一度も空けたことが無いし、そんな日に何かあったら一生悔いが残る」と丁重に断られた。 
気持は分からなくはない。 みんなでマッサージ器をプレゼントした、今でも置いてある。
その年の10月、夫婦揃って元気なうちにと、5人兄弟夫婦総勢10名で、3泊4日の北海道旅行をしたのである。


美瑛観光の夜、ホテルの部屋に入ったときに、「わーー! 何? すごーい!」
3人の子供たちから、コスモスの花、夫婦円満の盾、御祝い電報がテーブルの上に飾られてあった。
長女の提案でホテルに届けたのを花瓶に生けて下さったのだろう、10日の結婚記念日に祝ってくれたのである。
旅の途中、仲の良い兄弟夫婦皆が夕張メロンとケーキで祝い、夫と私に鳥打帽とブローチのサプライズ。
7年前の出来事である。 本当に夫の兄弟夫婦も仲が良い、盆暮れは、男4人でゴルフだった、必ず。

御祝い電報ほどの杉の木の盾で、私たちには気恥ずかしい円満・・の文字。
そこまで至らないが故に、日々部屋に飾るのは恥ずかしい、いつも思っている。 おばあさんなのに。
仲は悪くはない、それほど円満でもない、普通、私からすれば。
不運な空気の時、そらぞらしくて盾を裏返す。 表にしたり返したり・・ の7年である。 今は表。

 


ブロ友のyokoさんが、あるときブログにアップされていた”網ほおづき” まさに芸術である、感動した!
作り方は簡単、水につけておくだけです、とあり、丁度日曜に届く花のおじさんから頂いたのがあって、やってみた。
時々水を変える、袋の部分が溶けて葉脈だけが残る、すごく不思議、そして美しい。
上手くは出来なかったが何とか出来た、が、私にはyokoさんのように、素晴らしく撮るコツも技もセンスもない。
ただお皿にのせて撮った。 作っていますと言ったのでアップせずにいるのも気になって、落葉の二枚にのせて、
今日と言う日に重ねてみた。 いい夫婦の日。



本当に色々とあった49年間だった。 夫にも様々な思いをさせた。 
何度も病気をして手術をして、今でも治療中である。

随分年上の方から「それだけ夫を痛い目にして、よほど悪い奥さんやね」と笑いながら言われたことがある。
私が悪いんや、私が。 言われたその言葉が消えない。 思い出すと泣きそうになることもある。



ごめんなさいと言っても変われないけれど・・。
でも・・「人生一生が勉強・がんばろう」いつも母はそう言ったから、一生努力する。
今日をより善く生きる為に。


「あんたとこは何があっても、いざとなったら家族みんなで力を合わせて乗り越えるから心配してないよ」
優しくも厳しかった母の、唯一の褒め言葉であろうか。 これも遺言と思っている。 
「親が頼りないから、子供がしっかりするんよ」 そうとも言われた。 
母・・懐かしい、もうすぐ百か日である。

 

毎日、盾・・表にできますように・・。


東近江に来たら 百済寺へ行きましょうか・・ (その二)11月13日(日)

2022年11月14日 | 風景・お出かけ


百済寺へ行くまでにはこんな光景もあったのに。

あ・・本当に良かった。 スマホのウェザー―ニュースを見れば、ご当地の天気予報見られるから、
ホテルで、起床、モーニング、出発時間を予定していた。
起きそうにもなく夫は寝入っているので、30分寝させてあげた。 

お寺の駐車場で「一応傘持って行こうよ」
濡れ紅葉も美しいであろうが、膝や腰のおぼつかない年寄りには危険、安堵の思い。 
杖ついて傘さしていたらカメラ持てたかな。  

東近江に来たら 百済寺へ行きましょうか・・(その二)

百済寺を出てからは、ずっと雨の中を走った。
夫がどうしても行きたい所があって、家にいる時からその名前を口にしていた。  
”せっかく近江に来たらよ ラ コリーナさんのバームクーヘンをよばれーや” かな。

たねや クラブハリエさんの ラ   コリーナ 近江八幡 

以前TVで紹介されていたが(ああ・・ここだったのか)夫にしては珍しく可愛い場所である。
あの時草屋根はこんなにうっそうとしていなかった。 もう7年も経っているし。
まるでジブリの世界、トトロが似合いそうな建物である。
雨が結構降っているのに、駐車場は空きを探すのに大変、他府県ナンバー日曜は家族連れが。
関東や四国ナンバーも多く、「やはりすごい人気やね」と言いながら小降りになるのを待った。

 


建物の中から大行列が目に飛び込んできた、高齢者には苦手な光景である。
たねやさんで「写真を撮らせて頂いてもいいでしょうか」「いいですよ」
美味しそうなお菓子が並ぶ、美しく丁寧に包装された貴重な一品一品に見えた。
友人用と我が家に最中と栗饅頭の箱入りを買う。 夫の目当ては最中。 
難波高〇屋デパートでたねやさんはあるが、ここのお店ならではのお菓子もある。
2階のカフェも制限で大行列、できたてバームクーヘンを待つ列は、建物を縦断していた。 
孫達にと夫は思っていたのに、とても無理! 焼きたてでなければ普通に買えるのに。


青空なら、子供たちの声も笑顔ももっと見られたに違いない。
タクシー待ち、バス待ちの方々もいる。 


ここを出るとナビを自宅に設定し、夫は安心したように車を走らせた、気持よくCDに鼻歌交じりに。 
何度SAに止まったことだろう。 「10分目をつむるわ」と言いながら、大抵30分になる。 
そんな夫を見ながら(お疲れ様でした、お父さんの仕事のお陰さまでいい旅だったよ)

半世紀前・・初めてのドライブデートだった。 私のドキドキは車と言う個室と地図も苦手な二人であるし、
行きあたりばったり的なおらかな性格の夫の運転も、正直怖かった。
結婚まで手も握ったことの無かった2人の長時間、夫の気持ちどんなだっただろう 

お昼時にレストランへ行って食べたエビピラフにポタージュスープ「ピラフ、初めて食べたわ、おいしいのう」
嬉しそうに言ったのは覚えている。 比叡山ドライブウェイ、カーブは特に怖かった。
「怖い!」等と言って腕にしがみついた・・ら、可愛かったかな。 それこそ怖い
5時に返却の予約だった、間に合わない!? 何度も時計を見ながら到着したのは5時丁度、思わず顔を見合わせた。

山坂ありの年月だったけど、亡き兄が最後に残してくれた言葉「人生は色々ある、結果オーライやで」と。
一生をかけていい家庭づくりが出来たらいい、いい夫婦になったらいい。 
亡き母は何でも、有難いとお陰様で人生を埋め尽くしてきた、年をとるほどに幸せ者だと言った。 
親孝行な兄夫婦の、特に丁寧に尽くしてくれた兄嫁さんのお陰で。

あとどれだけ人生の期限があるのだろう。 2人でいられる期限も。 明日が分からない今の時代、

 日々雑感 ~写真と思い~
”今日と言う日は 二度と来ない だから今日を大切に そんな私のデジカメ散歩”

ゆっくり書いて行こう。 自分の為に・・そして後に続く子供や孫達へ残す私の生き様として。


御堂筋だ・・、無事に帰って来れた。 運転できない私、お父さん本当にお疲れさまでした。 ありがとう。


東近江に来たら 百済寺へ行きましょうか・・ (その一)

2022年11月13日 | 風景・お出かけ

東近江に来たら 百済寺へ行きましょうか・・ (その一)

10時雨マーク! 私はいつも通り4時起床だが、夫は爆睡。
運転お疲れ様。 あとどのくらい運転できるのだろうか。
高齢者の事故を報道で見るたびに思う
あたりまえの用に、郵便局お願い、クリーニングやさん、買い物、ついついアッシー君に。
夫も「ええよ」といつも言ってくれるものだから。 

「行こうと思ったら、何処へでも行っとくことやで」良く口にするようになった。
自分の命の長さなど分からないけれど、心には少しの焦りや少しでも長く・・生きたい。
そんな思いが詰まっているのだろう。 消極的で出不精な私を横目に言い聞かせるように言う。

朝食を取り9時半に百済寺、到着。 すでに車は何台も。 
雨はまだである! 夫は傘と杖二刀流。 飛び込んだ見事な紅葉、思い出づくり!


*思い出ははるか遠くに・・in 滋賀 *

2022年11月12日 | 風景・お出かけ


「滋賀の○○さんとこへ行くことになった」夫が言った。
昔の同業者、農業もやっていて何十年前からだろうか、近江米キヌヒカリを分けて頂いている。
お米送ってもらうのではなく、こちらから頂きに行こうよ観光がてらと、最近話したばかりだった。 

夫が一度行きたいには訳があった。 
もう50年前になるかな。 お付き合いしていた夫が「今度の日曜琵琶湖へ行こうや」と言う事になった。
神戸の社長様の家に下宿していた夫と京都のお医者様の住み込みの二人のデートはいつも電車だった。 
車での初デート、昔二条城向いにあった京都国際ホテルで、なぜかレンタカーを借りてドライブである。

2人にはずっとその事が思い出の中にあって、いつか・・が滋賀行きが叶う事になり喜んだのだと思う。
比叡山ドライブウェイを走ろうか・・になり、三井寺に行ったかなあの時は春だったような気がする。
子供の頃の事は良く覚えているのになんで。 夫の運転で初めて・・嬉しくもあり怖さや緊張もあったのかも。

折角滋賀に行くんやったら泊まって来たらいいよと長女がホテルをとってくれた。
いつも言っている、娘家族と言えども月に一度は私たちのいない夜があってもいいよね。
なんの予備知識もない老夫婦、ブロ友のkazuさんがいつもあちこち訪ねてはアップされているので訪ねた。
比叡山延暦寺のこと、東近江市近辺のお寺。 ブログで調べさせてもらった。

最所日曜に来てと言われていたのに、急に土曜日になったが、良かったと思った、日曜は雨のようだから。
ダンス選手権へ行く孫を駅まで送り、好天気の中を比叡山に向けて走った。
先月丹波へ行った道中に聞いた、9枚ある天童よしみさんの懐かしの演歌の残りのCDを聴きながら。


途中の比叡山自動車道路開通記念碑のある場所から・・琵琶湖がかすんで見える。



比叡山延暦寺の案内の文字をあちこちの標識で見かけるようになった。 一気に色鮮やかな紅葉を見る。



比叡山延暦寺、20歳の二人の記憶には延暦寺と言うお寺があったなぁと、まさか延暦寺が東塔、西塔、横川の
三塔からなっていて、それらを総称して比叡山延暦寺と言うこと等最近知ったと言う無知無学。

日曜が先様との約束なら、土曜はkazuさんのブログから釈迦堂や竹林院など行きたいと思っていたけれど、時間的に
無理なので(いえ身体的に無理でしょう)とりあえず10時半、降り立った東塔駐車場。 「お父さん、杖杖!」
親指のつけ根骨折治療中装具した左手に杖、右片手での写真撮影なり、ブレブレご容赦。



入山料1人千円也を支払い矢印に案内されながら坂道を・・夫のカメラには所々杖をつく私が写っていた。
腰をかばう背が、年とったなぁ・・。 さっさと歩く人が羨ましい。 杖、もう手放せない。



ここまで来ただけでもやっこらせ。 右手の文殊楼は行列! 合格祈願にご利益だとか、鐘を突く順番待ちの行列。
大講堂だけ見たのかなぁ・・この景色だけがおぼろげに記憶に残っているような。

 

登ったら降りなければいけないし、降りたら登らなければ・・もう私ら無理、夫婦して腰痛持ち、笑う、腰が。
紅葉の木々もさることながら、石鉢に散るもみじ・・浮くモミジ・・沈みたるもみじのグラデーションが好き。
観光する心に余裕などなく・・ちゃちゃっと見て通る・・、もったいないと言うか不謹慎。

 

灰色の空が見たいと言う・・智恵子、ではなくて琵琶湖が見たい・・と言う妻を思い近江大橋を渡り東近江へ。
のはずがナビはその道を選ばなかった。 と言うより、いまいち別ルートの設定が間違っていた?
え?え? 橋を渡らずに琵琶湖最南端を回った。 滋賀に来て琵琶湖を見ないなんて!
50年前は琵琶湖を見ながら走ったのにぃ。

琵琶湖を見なかった残念な気持ちは、東近江の田園風景に入ると落ち着いた。 
稲葉和裕さんのブルーグラスやカントリーを聴きながら、心地よくなった精もあるかなぁ、追っかけを思い出し。
都会の喧騒な中にいる私達にとって、この田園風景こそが癒されそして郷愁にかられる。
もともと二人は島育ちの田舎暮らしだから。 

先様はとても温厚そうな優しい方だった。 夫は何十年か前に来たことがあるらしい。
夫の会社はコロナ前にたたんだ、先見の明か。 夫が人を大事にしてきたことが丹波に行くようになっても
良く分かる。 商売の話は分からないので、外へ出た。 畑にキウイの木があって枯れ葉が秋を感じさせた。
後日この一枚を葉書にレイアウトして、お礼状を書いた。 

夫は先方に、この家に来るまで比叡山へ行ってきたとは言わず、お昼に家を出て真っ直ぐ来ましたと言った。
今夜ホテルに泊まって、明日観光をするんですとも言わなかった。
仕事の為だけに来ましたとばかり、それは相手への丁重なる思い、気遣い、見直した。 
私なら「せっかくなので比叡山に寄って来たんですよ」軽々しくこう言ったかも知れない。

 

長女が駅近にホテルをとり、人気の近江牛のお店の地図やら料理メニューを5枚もプリントアウトしてくれていたのに。
チェックインして一服、車でお店に着き近江牛の口になり勇んでお店に入ったら、「ラストオーダーは6時半なので」
断られた。 えーー! 声を出してしまった。 土曜なのにもう!? 大阪ではありえへんし。

あちこち近江牛の文字を目指して行ったが、いっぱい。 あちこち7時過ぎのお店はさすが行列出来てるし。 
やっと見つけてステーキとハンバーグ。 高過ぎ! 空いているお店ととりあえず入ったが年寄りには場違いな
若者中心の賑やかなお店、このお店クーポン使えないし。 
おぼろげなる思い出は遠く、かくして比叡山延暦寺、in東近江市の一日目は終わった。 

明日は、9時だった傘マークが10時に変わった!


* 思わぬ・・闇・・の・・それ *

2022年11月08日 | 雑感



今夜の皆既月食 消極的な体勢に入りしデブ症な我も 全国的に晴れ 気象予報士が笑顔で言うと心が騒ぐ

秋の日はつるべ落とし 夕食の用意 気になる 暮れ行く窓の外

病院だった夫が 今日はしんどいと言う言葉に やめておこうかねの心ちらり

でもでも いつまでも当たり前に見られるとは限らない 歳と現状を思えばと思い直す


いよいよ6時9分のゴングが鳴る 夕食の準備整う 

思い出した そうだ夫は 生まれ変わったら今度は可愛げのある奥さんをもらう と言ったのだ昔  

「お父さん せっかくやし行こうよ」「おう行こう」のってきた 「ダウン着ぃ」 車のエンジンがかかる


360度見渡せる丸善アリーナのグリーンヒルズ 海遊館の観覧車やUSJも見える丘 

と思いきや 「あがるの無理やわ」 夫はさがしたり公園のベンチ

暗闇の中 所々に人の声 子供の声 ジンベイザメの滑り台で スマホで撮るカップル

欠けるのは早い 一眼レフ没が悔やまれる コロナ・・君の精だ 

(いえ、バッテリー入れたまま4年放置の私が悪い)


コンデジの一枚 手振れ防止なるも 撮る手が震え定まらないポイント 笑える

撮るよりも眺めたらいいや 夫がスマホで音楽なるものを流す 夜空を月を眺める 気分上々 

闇だ 寄りかかろうか夫に そんな気はないけど

こんなとき思いしは あと何年こうして一緒にいられるだろうか まだ尽くしきってもいないのに

欠点が見えても 腹立つことあっても 夫婦は一対の反射鏡 ごめんね 悪妻で


娘がベランダから見える月を送って来た 少し寒いけどいい ここでいいのだ今夜は

ひとりづつ 帰って来ているようだ 友達と 部活帰り 今夜はそれぞれの皆既月食 それもよかろう


老いないために大切なことと 男前の部長さんがいつだったか話してくれたのを思いだして候 

か・・感動  き・・興味  く・・工夫  け・健康  こ・・恋 

恋? 車まで夫の腕掴んだ 少し細くなった身体を自身感じた なんかうるっとした 


今夜はいつになく 皆既月食の話題も加わり もりあがる食卓の賑やかなり 

孫たちが次々うんちくを語る ありがとう 同居して2年4ケ月の夜