日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 海遊館ウィンターイルミネーション2012~2013 *

2012年11月02日 | イベント

行きの電車の中で、昨夜からの一件を思い出していた。

右手首を痛めた神戸の夫人の所に行くことを話し、一品料理を作りながら、「治るまで毎週金曜日に覗くようにするわ」と言ったら、
「そんなに根をつめて行かんでもええやん、しんどうなるで。 月に一回行っとったらええやんか」 思いがけない言葉が返って来た。 
「月に一回はいつも行ってるやん。 あなたのお母さんやない。 姉の所へだって毎週行っていたし、同じやん時間的に。  右手首痛めてるねんよ、
不自由やんタオルも絞られへんねんから。 母親やったら放っておかへんやろ」 意外だった冷たいような夫の言葉に、ちょっとムッとした。
夫は毎週行くようになったら、治ってもずっと来てくれるのが当たり前のような気になって、そうなったら私がしんどくなると言うのだ。

そんな気持ちを思うより先に私のまるで銃撃のような言葉に、食事を終えた夫は黙ってしまった。 洗い物を終えて私はパソコンの前に座った。 
夫は釣りの賑やかな番組を見ていた。  その上にパソコンで稲葉和裕さんのライブを聞いていた、大きい音で、私の横で。
私が喜ぶと思っていたんだろうか。  私はさっきの夫の言葉の不快感がぬぐえず、好きなギタリストの歌でも喜んで聞けなかった。
「聞くんやったら、TVのボリューム下げたら」 夫は黙ったまま変えない。 「パソコンかどっちか音を小さくしてよ」 それでも夫はボリュームを下げない。
「TVも大きいし、そんなところで曲を聞いても楽しくないわ」 やっと夫はパソコンのボリュームを下げた。

一晩おいて朝からお惣菜を作っていたが、もう気持ちは夫人へ向かっていたし昨夜の不機嫌さはみじんもなかった。
夫も並んだお惣菜の味見をしながら、「お弁当してくれたん」おはようのお返しが言えない夫の、おはよう代わりの挨拶、毎日見え見えである。  
「今日は海遊館のイルミネーションが始まるみたい、帰りに寄るかも知れへんし帰ってなかったら勝手に卓球へ行ってね」
「車で迎えに行ったろうか」 「そう、時間があえばね、電話するわ」 朝は穏やかだった。

私ってなんて寛容な心が足りないのだろう。  まず相手の言う事をまず受け入れる・・そうして自分の思いを言う、なぜそのことが欠けるのだろう。
夫はきっと行く事をどうこうではなく、やり始めたら必死になる私の身体の方を心配していたのだ。 
膝も悪い方向音痴な私が、慣れないのに電車を3回も乗り換えて行くと言う。 そんなことすら大変だろうと案じて言ってくれたに違いないのに。
たとえそうでなくても、言われた時「あら、私を心配してくれてんの? ありがとう、大丈夫しんどかったらそれなりにするから」
なぜそんなひと言が言えなかったのだろう。  
そう言っていれば、好きな曲を2人で楽しめる秋のいい夜長になったのに。
39年も夫婦やっていて、まだ夫の思いやりが読みとれない、分からない、なんて夫の思いに添えない自分なんだろうか。  
心に余裕がなかったのか、気分やさんか?私。  偉そうで、自分勝手なんだ。
ボリューム下げてよなんて、夫を不愉快にさせてしまった。  申し訳ないなぁ・・強い妻やわ、私は本当に。
夫のやさしさとは反対に、自分の可愛くない至らなさが歯がゆく、申し訳なかったなぁと涙がこぼれそうになった。  
ずっと聞いていた携帯のラジオ、かかっていた曲は五輪真弓さんの”恋人よ”だったから、尚更。 

 

「よう来たなぁ」と嬉しそうに言われた。
昨夜電話をしたとき、普通なら、「明日は寒いみたいやし、無理してこんでもええよ」と言う夫人だが「来て来て、待ってるし、何処へも出かけへんし」 
まるで子供のように、わくわくしているのが伝わった。  それほど不自由で心もとないのだろうと思った。  
「もう死にたいわ」を口にしながら、次々と他界した親しい人や亡くなった母親や兄弟の昔話ばかりをされた。
親友や仲の良かった方が、ここ3年の間に次々と突然に亡くなられたり、引っ越しされたりでそのショックが大きいのである。
最近特に毎日、亡くなった人が枕元に立つのだと言う。 「迎えに来ているんやろうな」と苦笑いしながら言う。 

せつない。 実家の母には子供も孫もひ孫もいる。 生きる希望がある。
夫人は誰の為に・・・。  今は何の楽しみがあるのだろう。 震災前は足も丈夫で、長年謡曲をやっていて、後はスイミングへ行ったり、吹奏楽を
聞きに行ったりと、積極的に楽しんでいたのに。 復興住宅へ住むようになって謡曲の方も引っ越し、足も弱くなり、一気に消極的になった。
「そんな事を言わないで、主人が一番寂しがるから、元気で生きなきゃ、楽しいこともありますよ生きていれば」
そう言うのが精いっぱいだった。   

大阪港に着いたときは、5時を過ぎていた。  夫から電話が入った。 「6時頃迎えに行ったるわ」 
少し明るい時間、入り口のゲートにはウィンターパラダイスの文字と、描かれたイワトビペンギンの絵柄が私を迎えてくれた。 

5時が点灯なので、すでに向こうの海遊館広場ではペンギンのイルミネーションが!

やはり暗くならないと雰囲気が出ないけど

 今年で8回目、初めてのペンギン型で高さ20メートル。 いつものファンタジックなイルミネーションと違っていて、可愛いけど少し物足りない気が・・。

昨年作成したフォトチャンネル、イルミネーション。

今は5時から”夜の海遊館”が開催されているので、入口が右の大階段の前にあり、ジンゼエザメのオブジェは階段の上にあり、入場者しか
全体は撮れない。

来年の2月5日(火)まで。 11月3日から12月24日(月祝)までの土、日、祝日そして12月25日は”イワトビペンギンによるイルミネーション点灯式”
ペンギンが点灯スイッチをいれるのが見られる。

これだけ?って思っていたら、消えて波の形やペンギンの青が、ピンクに変わったり、手足がパタパタ動いたり変化した。
波の音や音楽も流れている。 
その様子を動画で撮ったが、夫が来たし2人でしゃべっている声が入ってしまって載せられない。   
初日と言うこともあり、前には新聞社らしき人がスタンバイしていた。  新聞に載ったら、人も多いだろう、特に子供には嬉しいと思う。
今まではこの前のイベント広場にもあったオブジェも、不景気の為か無くて、風のある夕暮れ時、寒々そうなイワトビペンギンだった。
孫たちは間違いなく喜ぶだろう。