生前の父は何かと言うと、「兄弟仲良うにな」が口癖だった。
母は子供の頃いつも「家族の和が大事」と言っていた。 「自分が見て、いいなぁと思う事は、自分にプラスにして、良くないなぁと思うことは
自分の中からマイナスにして行くこと」 「人間一生が勉強、一生が努力、がんばろうで!」 電話の最後にはいつもそれである。
今自分の人生を思う時、黙っていても親の後ろ姿は子供を良きにつけ悪しきにつけ導いて行くものだが、いつもそこに言葉を添えて子供を励まし
続ける、そんな親って・・すごいと思う。
親の子から、子の親となり、その親の子が所帯を持つ、また子の親となる。 そんな流れの中で自分はどう接し、どう導ける親であろうかと。
子育てが終わったと良く言う。 私はいつまでも助言してくれる母を思う時、子育ては一生続いている、親の責任は一生・・と思ってしまう。
だからいじめや犯罪や青少年のそれらを見るとき、悪いのは果たして子供なんだろうかと思ってしまう。
姉と電話で話した。
姉の長期入院のお陰で、私も何度か足を運べてそれを実家や妹たち、姪っ子にも写真を編集して状況報告をすることが出来た。
長い入院故に、千葉や因島の妹たちもお見舞いに行こうと相談した。 せっかくならと私と長女もそこに加わった。
姉には私が長女と見舞うとしか言ってなくて、サプライズ・・姉のあのときの驚きと言ったらない、声が出なかったもの。 そりゃそうだ。
あの頃目滅入っていたと姪が言ったが、お見舞いが大きな励みとなり心の支えとなったようだ。 四姉妹の貴重な写真が出来たし。
それと言うのも、私たち兄弟がそれぞれに帰省したとき、快く迎え精一杯にもてなしてくれる兄夫婦、その要があってこそだと言う事。
それを送った時、母がどれほど喜んだであろう。 もしも私がその年になって、そんな子供たちの姿を見たらどんなに嬉しく幸せに思うだろうか。
今度の出来事はもしかしたら、両親の願いに添えた・・そんなことではない?
だからそれは姉の長い入院のお陰よと言った。 姉も歩けるようになったし。
私にも3人の子供たちが家庭を持っている。
これから先いつどんな事があるか、夫婦もそして子供も苦労することがあるかも知れない。
しかし私たちの先が短くなった時、子供たちを眺めた時に多少の苦労はあろうとも兄弟が仲良く生きているとしたら、どんなに安心だろうか。
仲が良ければ励まし合い、助け合っていける。 そんな事がらは育てた親としては最高の幸せではなかろうか。
私たちだって、これからが本気の勝負、どう老いて健康がどんな形になるか未定なのだから。
「お姉さんのお陰、手術のお陰やよ。 来年傘寿を迎えるお母さんに、一番に喜んでもらえたと思うよ」
兄弟仲ように・・両親が言い続け思い続けてきた事がら。
言葉にこそ出さないが、私も子供たちへの願いであり、集まる事同じものを食すること、それを考えるのは、母の生き方があればこそである。
生きている限り、子育ては終わっていない・・と、母を見ながらそう思っている。