日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 天保山花火大会・・ *

2005年07月19日 | 風景・お出かけ
前の年まで7月20日・海の日が天保山の花火大会だった。
が、今年は第三月曜日、いつの間にかそのように変っていた。

娘達のマンションからはまともに見えて、まさに観覧には格好の場所である。

昨夜は屋上へあがって行く事が出来たので最高だった。
恒例で夫のお姉さん一家を招待する。 花火のあとは串かつパーティーだ。

人はなぜ「花火」と言うと迫られるように集まるのだろう。 昨夜はえらい車、えらい人だった。
去年でさえ8万人弱と言う。

あの胸を突くような音、そして闇の夜空に煌めく宝石のような。
打ち上げて、そして開いて散る・・ その余韻はいつまでも残像として脳裏に焼きついている。
魅力はそこらへん・・かな。 いつ見ても幼き頃に見た思いが甦り重なる。

PLや淀川の花火大会を何度も見ているので・・天保山の3000発は、ちょっとしょぼい・・。 

「次は十三やで!」とけんつくさんが言う。 釣り船で途中まで行き、小さい船に乗り換えるのだ。
海で眺める花火それも水中花は奇麗、PLに続いて美しい。   

* ゴッホ展に行ってきたよ・・・ *

2005年07月19日 | 絵 他
昨日は展覧会の最終日とあって、30分開館を早めていたにも関わらず、沢山の人、人、人。
15分前に到着なれど、テントの下は長蛇の列。 帽子、扇子、本、お茶、用意はばっちりどうってことない。
人数制限があるけれど、第一陣で入場。 外と違って館内は涼しくほっと救われた。

500円なりで、音声ガイドを聞きながら作品を追って行った。彼の五つのテーマに分かれて彼の足跡を尋ねる。
その時々の彼の人との関わり、絵に対しての苦悩などが一枚一枚の絵に表れていた。
油彩と言えども、細やかな線で書かれたような綿密な描写の「古靴」この絵の靴は一体誰?何を描いたか、
そんな所にまで見識者の思いが及んでいることに、一枚の絵に対する果てしない奥行きを感じ驚いた。
私もこの絵の前で何回もガイダンスを聞きなおして見入っていた。

人が多いので中々最前列には行き難い・・しかし日頃の花の写真撮影で培った積極的根性が役に立ったことは言うまでもない。 ずっと前列で見て行った。

年代ごとに印象派のそれも出会う人達によって、対象物、色あいがものの見事に変化している。
10幾年かの彼の画家人生で描かれた200点もの作品の中で自画像が40点もあると言う。
モデルを買えない貧しさもあるが、後で思えばその自画像に描かれる彼そのものが、その時の生き様なり
心情であったように思うと、暗く悩み深い事柄のなんと多かったことであろうかと。

タイトルの終わり「最後の風景の」の中で、ユートピアの夢破れ、精神療養している時、最後に描いた
「糸杉と星の見える風景」燃えるように描かれた糸杉、その風景の中に彼はふるさとへ帰りたい・・
そんな思いを残していた事を聞いたときに、ガイダンスからはドビッシーの「月の光」の曲が流れていて
耳に心地よくその曲を聞きながら人はこの世を去ろうと言う時、ふるさとへ・・
たいていは同じような気持ちになるのであろうと思うと胸がジーンとして来た。

暗い色合いの絵が多い中で、点描法による中間色の明るい絵は目を引く。 それに彼が仲間達と築こうとした
ユートピア、黄色い家。 そして「夜のカフェテラス」は彼の夢や思いが描かれているようで素敵だった。
目の前で見る絵の中に、筆に絵の具をのせキャンバスに向かうゴッホの命の音が聞こえる(オーバー?)ようだった。

記念にと、彼の思いに胸揺すられた「糸杉と星の見える風景」のクリアファイル、ゴッホの代表作
向日性のひまわりを描いた明るいタッチの絵、今回の展示になかったので。
それと一番好きな色合いだった「夜のカフェテラス」この二枚のフォトカードを買った。 

人は、人の一生は出会う人によって大いに変ると言うことを改めて感じた。
人生もそして見近なブログにも似たようなことが言えるかも知れない。

特別に好きな画家ではないが、見てそして感じた事柄、それらはまた新しい何かを私の中に
風となって爽やかに吹き込んだような・・、そんな気がしたゴッホ展であった。
 
アッシー君が、きんつばを買って待っていてくれた。 ありがとう、暑い思いをしなくて済んだよ!
しかし待っていなかったらもう少しゆっくりと廻りたかったゴッホ展でもあった。