11月の終わり 姉や妹たちは実家に集まった。
8月旅立った母、2年前に亡くなった兄、コロナ禍故に見送る事も出来ないままに、お墓参りを願っていたので。
それと、母の着られるものや、作品があればとお姉さんが帰省を了解してくれたのである。
何しろ100歳である。 4姉妹、母へのプレゼントのもの洋服など、新しい衣類、箱のままの洋服もあるようで。
その夜カメラで「みっちゃんこれどう?」妹が画像を送ってくれた。 「皆がいいかなと思うものをお願い」
なんで私に声がかからなかったのかと内心すっきりしなかった、が・・。
母が亡くなる3日前退院したばかりの夫と危篤と聞き帰省し、窓越しにだが面会できる妹が母に声をかけて
母は反応してくれた。 兄のお墓参りも出来たし、夫の実家のお墓参りも兄夫婦にも会えた。
その時お姉さんも会ったから労いも感謝も言えた。
お姉さんが言うには退院したばかりの夫よりも、私の方が体調悪そうで案じ、帰省することを拒んだと。
そんな心配をして下さっていたのだ。 知らなかった。 すごいと思った。
姉や妹が帰宅後、4人が毎日やりとりしているスマホのグループラインで申し合わせたように
「ばぁちゃんのちゃんちゃんこ暖かい」と書いていた、(どんなんやろう)みんなの嬉しそうな顔が浮かぶ。
いいなぁ・・私も欲しいなぁ・・。 私の体調をかんがみて呼ばれなかった私は少し寂しかった
ちょっと羨ましかった。 お姉さんから電話があって、「みくさんのもとってあります」
間もなくお姉さんから母の形見分けが届いた。 何枚かの洋服の中に、クリーム色のボアベストがあった。
今すぐ着られるのはベスト、いわゆる皆が言うちゃんちゃんこ。 これはちゃんちゃんこ?
母は何度か袖を通したのだろうか。 私の好きなスタンドカラーのベスト。
昨日は4度目の母の月命日だった お姉さんを含めた5人のグループラインにメッセージを入れた
お姉さんはお嫁さんの具合が良くなくて、3歳の孫をあずかっていたが孫が発熱し、コロナだった。
自宅隔離。 お姉さんは翌日9度9分の発熱、検査の結果、コロナ陽性だった。
3年以上実家に帰られなかったけれど 大阪は感染者東京の次多いし、お姉さんはワクチンが出来ないので
母の為に私たちを警戒して、「帰らないで下さい」と言われていたのだ。 元気なうちに会わせてあげたい、
ご近所さんにも気を使うので断られたが、どんな思いでどんなに言いにくかったことだろう。
ワクチンしてない自分が感染してもしや母に・・もし母が感染したら・・、ひたすら母を守ってくれたのだ。
どんなに苦しかった事だろう。
母がいなくなって・・、自分だけならと安心されたのだろうか。
大晦日に向かう残り少ない日々、寒さがいよいよ加わって来た・・母のベスト・いえちゃんちゃんこ、
着たらすぐに暖かい、 ヒーター入っている? 厳しくも暖かい・・母の声を背に感じる、顔が浮かぶ。
姉妹4人。 毎日母を背に・・きっと冬・・元気に越せるに違いない。
母の言動には説得力がある、感謝がある、愛がある、お姉さんには・・ありがとう。
良く、叔母や友人にも言われた。 「お母さんが生きているうちに、実家には帰りなさいよ」と。
母も兄もいなくなって1人、お姉さんとは前より距離が近くなった気がする。 4姉妹そう思っている。
(分かった?) 母が編んだわんちゃん・・に言われた。