日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* じいじ・・ *

2023年01月19日 | 雑感



とんとんとん かすかに階段を降りてくる音がした 私はにやり 部屋の戸が すうっと開いた 
高1の孫娘である  「じぃじ・・7時10分」 少し小さめだがとっても可愛い声で言う
普段出さないような声で 夫の布団を叩いて「おとうさん・・10分だって」 目をつむっている夫は「ん」

ダンス部の朝練で時間ぎりや雨の時 夫に車を頼みにくる
最初の頃は頭をさげて 「じいじ・・お願いします」と出発時間を言った、まるで職員室へ入ったみたいに。
部屋を出る時も「よろしく」とおじぎをして出ていった

キーホルダーやマスコットやなんやらいっぱいつけた学校ダンス部名入りのリュックを背負って
パンやおにぎり持って車で20分程の学校へ じいじと孫のお楽しみ時間と見送っている



娘は言う「もっと遠い子は早くから電車で行ってるんやで、簡単にじいじにたのんだらあかんやん、
甘えたらあかん。 あんたがもっと早く用意したらええことやん」時に厳しく言う、えらい。
「月に2回にするからとか、まだ今月は頼んでないからとか言いながら、9ケ月が経った。

昨年の9月、部活がない時帰宅して制服ままソファーに寝転がってお菓子を食べスマホをいじっていた。
思わず「制服着替えてからにしなさいって」と言った。 黙って3階へあがったので(怒った?)
箱をふたつ持って降りた。 「いつもありがとう これ、じいじと 敬老の日」と言って私にくれた。

夫のはカップ麺など入れて保温するカップ、蓋付きの、私にはイニシャルの入った蓋つきのマグカップ。
「え~、ありがとう、じいじも喜ぶわ」前日雨の中、学校帰りイオンへ行ったそうな。 気まりが悪かった。

高校選択の時、遠いけれどあのTVでも有名なダンス部がいいか、近いけれどそこよりは偏差値高い所。
落ちたらもともこうもない。 3年間行くのに近い方がいい、長い電車時間は帰りも遅くなるし心配もある。
かかる時間ももったいないと大人は言う。
「ママ落ちたらごめんね」締め切りぎちぎりまで悩んで親と願書を提出した。 

中1新設のダンス部、全国大会出場させた経験のあるコーチ、練習が厳しくて毎日帰宅しては愚痴泣き言を言った。
娘はいつも親から目線でなく、子供目線で話をしっかり聞いて、共感ししっかり子供の心を掴んでいた。
子供は一番身近な母親によって、全部吐きだし明日へとがんばる力をもらっているんだと思った。
私は大きな反省だった。 もっと3人の子供たちの話を聞いてやれば良かった、子供はどうすればよいのか
親が自分に言うことは分かっている。 ただ聞いて欲しいだけだったんだ、そう思った。 
コロナ禍でも3年の最後、近くのインテックスアリーナの全国大会に出た。 みんなで見に行った。

高校はもっと厳しい、夏季大会や練習の時も・・過呼吸で2回も救急車のお世話になった。
親も「無理せんでもええんやで、やめたっていい。 ダンスだけが正解やないんやから」
頑張っている子に頑張れとは言えないが、頑張りながらやり抜く力が見える、根性がすごい、好きなダンスならばこそ。

この記事を書いていると、すっと孫娘が入って来た、 昨日朝も機材作成の段ボールをいっぱい持参するので
車を頼みに来た。 連チャンさすがに気を使って「じいじ・・お願い本当にお願い・・7時10分に・・」
私は笑った。 可愛さと乗り越えようと頑張る姿・・心の中でがんばれがんばれと言った。
昨日部活の後仲間の一人と映画『ラーゲリより 愛を込めて』難波で見て「今までで一番泣いた」目をはらして遅く
帰って来た。 朝も目が腫れぼったい。 勉強はそこそこできたらいい、高校生活楽しみぃ仲間と!
それこそ・・舞いあがれ!


* 静けさの中で・・ *

2023年01月17日 | 雑感


早朝3時頃から目覚めたりすると夫は、YouTubeで音楽をかけている。 おもにフォークを。
イヤホンつけたままの時もあるが4時頃だとイヤホン抜いている。 昼間中々できない早朝が私時間。
TVから流れる歌を聴きながらPCの前に座っている。 
夫は聴くのかと思うが寝ている、寝息なのかいびきなのか。 それも聞きながら懐かしいフォークを聴く。

寝ながらイヤホンをつけたままの夫は青春時代を過ごした、あるいは子育て時代のあの頃に戻り、
自分の人生を振り返っているのだろうか。 楽しんでいるのだろうか、楽しめているのだろうか。

中1で知り合って、結婚して49年。 60年・・そんな長きを生きて思い出を共有していることになる。
イヤホン抜いていると歌が流れる。 時々口ずさむ。 もう今は下手でも「歌うな」は言わない。
その曲々に思い出があったりして次々と甦る。
静けさ、いや静かではない、合いの手のようないびきに今の夫への思いが重なって・・神田川やなごり雪
夫の好きな宗右衛門町ブルース・・ふっくらの夫の日焼けした笑顔を思い出し、涙がでてくる。
適当に目覚めて「イヤホンはずして」「はい」2人で聴きながら過ごす朝、夫の優しいを思う。

5時46分、家にいればNHKを見ながら黙とうを捧げるのに、今朝はフォークにとられてしまった。
震災の朝、震度5の揺れに夫がとっさに宮付の整理ダンスを抑え倒れずガラスが割れず、寝てた娘も
下敷きにならずにすんだ。 その年は思い出が多すぎる。
あの時高速道路の崩壊や長田が燃えている画像には衝撃で震えた。
震災後の日々、被災者の方々の様子をTVで見ながら、人々の譲り合い支え合い助け合う姿、尊いくらい
美しいとこちらまで心が洗われる気がした。 神戸だったから・・人の絆の美しさが見えた気がした。

「生姜湯もらおうか」「はい!」 さぁ、一日が始まる。 湯沸かしポットのスイッチを押した。
「前みたいに無呼吸違うよ、安心する」「痩せたからや」即効言った。 よけいなことを言ってしまった。


* みんなが機嫌よく・・越えられますように・・ *

2023年01月16日 | 雑感


昨日の日曜の朝、中1の孫息子がノックもせずに部屋の戸を開け「部活に行って来ます、ゲームし過ぎて喉が
がらがら」とにこっと笑って言い、戸を閉めた。 
高1の孫娘がすーっと部屋を開け「今からシャワーしまーす」と言って戸を閉めた。
夜遅くお風呂に入るときも「今から風呂に入るね」とドアを開けて言う。 ノックしてよとは言わない。
若い時ならドキッとするときもあるだろうが 老夫婦、いつ入ってこられてもなんちゃない。

私はPCに向かっていたので、「はい、行ってらっしゃい」「はい、どうぞ」とか顔を見て声かける。
夫は横になっているので「お!」っと言う。

なんでわざわざと思う、おはようの挨拶のつもり? お風呂の隣が私達の部屋。
わざわざ報告に顔を見せる2人に「なんかこんな事・・嬉しいね」と夫と話した。 
一緒に住んで2年半、少しづつ家族としてのルール、私達との会話に私達の存在を思いしっかり心を
使ってくれるのを最近特に感じている。 少しづつ大人になっている。

『 話を聞く 見守る 待つ 寄り添う 』 子供への大切な親としての心遣い、娘のやりかた。
家の空気が良くないのを嫌う娘や、夫が孫に言いそうになる私の袖を引っ張ってくれたお陰である。

部活から帰り、なんとなく熱を測ったら6・9度。 まいっか、いつもの友達4人で遊びに出かけた。
帰宅したら・38・9度。 えらい事である。 コロナ?  インフル? 自分の部屋に隔離。

夜、夫と娘は検査キッドをドラッグストア何軒も回り、結局会社仲間にもらって帰った。
食事の後だったせいか、うまく結果が出なかった。 心配である。

病院は今、どこも予約でいっぱい、かかりつけ医も無理だが、医者は何軒もあるので有難い。
発熱外来を受診したら、コロナでなくインフルエンザA型だった。 少し安堵したみんなが。
学校からラインで体調不良欠席が多くクラスで13人、下校させ2日間学級閉鎖となった。
クラスの友達が孫のタブレットを持ってきてくれた。 欠席のみんなに配っている、

もしコロナだったら・・と、昨年孫がコロナに感染したとき病気治療中の夫や私への感染を避け、
ドーム近くのホテルに1週間避難した、濃厚接触者。 あの頃は感染者は10日間の療養だった。
私はそれを想定して、お正月染められなかった髪を染め、普段読めなかった本や葉書や衣類やと、
お泊まりの用意を頭に描き始めていたせっかち。

インフルエンザとて私達、感染するわけにはいかない。 1階の部屋で、1日を過ごした。
孫とちらっとすれ違ったら空気に熱を感じた。 真っ赤な顔をしているが食欲はまだある、若い。 
娘はわが子より私達に感染したらを案じてくれて、マスクや手袋をしながら1日てきぱき、
良く気をつけてくれた、普段家事はほぼ私だが、いざとなったら冷静で頼もしくて有難い。 

1日部屋がたまらなくなったのか夫は、天保山へ車で・・変わったウッドデッキを前に車の中で
音楽を聴きながら、人を眺めていたらしい。
みんなが機嫌よく、このことがらを越えられますように・・。

でもこんな時って、みんながみんなを思い、家族が一つになってこの事に向い結束できるのと、
昔、母に言われたような気がする。 


* 新しい年を迎えて はや一週間・・ぼつぼつ始動! 長編 *

2023年01月07日 | 雑感


大晦日は・・

紅白を一応、みんなで見る。 
大晦日は夫の打ったお蕎麦で年越し、夫が蕎麦を打つようになってからの決まり。 
本当の所、しんどいかな、腰にベルと巻いて大変だし、今年はお店のお蕎麦でも良いかなと思っていた。
でもお決まりの夫の出番が欲しい、喜ばせてあげたいし・・次女とこれだけはね!と目配せ。
「年越しそばはやっぱりお父さんが打ったんでないと!」「そうか?」嬉しそうに言う 。待ってた?
蕎麦打ちを習った製粉会社がやめたのでネット注文。 純国産とは違い、色や香り今いちだった、
「レビューはないんか、あったら書かなあかんやん」 夫の出来は良かったのに、なんか気の毒だった。 
それでも孫達は笑顔で食べてくれた。  



元旦は・・

紅白が終わり除夜の鐘がTVから鳴り始めた。
今年は喪中なので「おめでとう」は言わない、「今年もよろしく、がんばろうね!」と言った。

「6時半に起きて、八幡屋公園に初日の出見に行くで!」
夫と孫娘は昨年も行った。 今まで身体をいとい消極的だった私だが、今年は少し前に出なきゃ?
「行く行く!」嬉しそうに演じた。 まずは形から・・以形整心。

夫と部屋に降りて除夜の鐘を聞きながら、新年の一杯で・・禁酒の夫と、飲めない私。
三原市今岡製菓の”しょうが湯” と”瀬戸田ふるさとレモン”いずれも広島産、毎朝の一杯である。

                        


除夜の鐘の後は『今夜も生でさだまさし』の番組を見る。 
まだ記憶に新しい昨年を振り返った。 色々あったなぁ・・あったねえ・・。
さださんの歌に、しっとりそして笑いや元気をもらい、今年はいい年にしないとね・・。 10月には50周年。
私ももちろんだが、メンタルの弱い夫にいかに私は、元気になってもらう作戦を。

旧、中央体育館の上の円型グリーンヒルズ、大阪の日の出は7時5分。 7時前、人がいっぱいになってきた。


何年か前頃まで高齢者が多く、初日を拝む瞬間拍手していたのに、わーとか言ったが、今年は無い!? 
そっか、老いも若きも、みんなスマホでその瞬間を写真や動画にとっているのだ、手はたたけない! 

辺りが徐々に明るくなる・・神秘的な日の出、ビルの間でも今こそが初日、感動と祈りの瞬間である。 

喪中なのでお詣りが出来ないので3人で、三先天満宮、茨住吉神社、土佐稲荷神社、地元の三社神社を回った。
新年と共に紅白見た後行くのかな、長い行列ができる。 今は閑散としていた。
若者は行くんだね~年に一度の早起き、映え~スマホ写真であけおめことよろ、年賀状が大幅に減った訳だ。

夜はすき焼き、普段よりずっといいお肉だからそんな事でもわいわい美味しいを連発、単純な家族は賑やか。
明日は金毘羅さん行こうか、それとも淡路島・・あそこの階段はきつい、淡路島は帰り混むとか決まらない。
正月しか部活の休みがない孫娘に皆同情するし、静岡だの候補が色々。
「田舎に帰ろう、墓参りに」と突然に夫が言いだした。
(えー!広島コロナ多いのに、それに急には迷惑かける)すっと受け入れられない、主婦的立場を思うと。 
お兄さんに電話した。 コロナ以前なら「おう、帰ってこい!」いつも歓迎してくれる兄は、今一つの返事だった。
「仏壇に線香あげて、墓参りしてみんなの顔見たら帰るけん、昼飯はいらんし」夫は言いきった。 
おう帰ってこいとは言わなかったが、了解してくれたようである。

最近「兄弟に会いたいなぁ」とぽつりと言う事がある。 自分の病気の事も思いか、聞くたびに気になる。
「帰ろ、帰ろ!お墓参りだけにしたらいいのよ」後であの時帰っていたら・・そんな後悔はしたくない。
「6時に迎えに来るから」と長女が言って急いで帰った。



2日は・・

6時大阪を出発。 SAに2回止まりお土産を買ったりしたが、10時半夫の実家に着いた。

ああ・・海が見えた 海が見える・・林芙美子のごとく、海を見ると親を感じ懐かしさがこみあげる、
もう2人とも親と呼べる人はいなくなったけれど。 
やはり海の見える景色がいいなぁ、夫も私も。


お仏壇に順番にお線香をあげて、立ち話、「まぁ座れ」 お兄さんと中1の孫息子は背比べ。
「大きなったなぁ」次女家族は3年振りである。 
お座敷には焼肉の用意がしてあった、11人分の。「ご飯は食べんけん」夫、良くぞ言ってくれた。
お年玉の交換・・30分の滞在、それでも充分な時間だった。  兄夫婦が見えなくなるまで手を振ってくれた。

1番下の弟には密にならないようにと、家でなくお寺で会うことにした。


 
弟の可愛い1歳の初孫ちゃんを中心に、楽しい時間だった。 みんなそうだが初孫、嬉しさが溢れている。
3男は毎年のゴルフコンペで会えなかったが、夫の5人兄弟もまたとても仲が良い、一度も争ったことはない。 
もちろん口げんかもしたことは無い、お互いの兄弟はそれが当たり前に思ってきたが、世間はそうでもなさそう。
女4人の中の兄が生前、盆暮れは夫は男兄弟4人で必ずゴルフ、それと仲の良さをとても羨ましがっていた。
育ててくれた双方の両親には感謝である。 「また大阪に行くけん、USJに行きたいんじゃ」「おう、来い来い」
濃い30分の再会だった。 それでも充分に夫の「兄弟に会いたい・・」が叶った。

私の実家へ向かった。 お姉さんはコロナの後まだ体調が思わしくなくいと聞いていたので声をかけずに
家の横を通り過ぎた。 私や兄弟が通った幼稚園、お寺。 思い出深い。


お互いのお墓参りが出来たので、とても気持ちが楽になり、清々しい気持ちになった。 
私は夫が何か提案すると、どちらかと言うと相手はどう思うが先にたって、すぐに賛成できなかったりする。
妻ならどうあろうともまずは夫につくべきと思うが、カラスが白いと言っても。
夫が言った事にはまず「そうやね」と一旦夫の心に入るべきだろうなぁ、帰省の事で今回特にそう思った。
兄弟と会った、初孫ちゃんにも会えた、動画で会えてもやはり目の前で顔を見て声を聞いて嬉しい。
3年振りの僅かな時間であったが充分に思いは果たせた。 密を避けるコロナ禍、濃い蜜のような時間だった。 

気持は軽く、島めぐり シトラスパーク 
今時のグランピング施設やドッグランも・・HP見たら・・入って見たい! 他府県ナンバーが。 
島に賑わいが戻って欲しいものだ。




*多々羅大橋* と、*サンセットビーチ*
サイクリング中の人たちには必ず出会う。 夫はサイクリングしている地元の同い年くらいいの人に声をかけていた。
レモン畑の中を走る、海を見ながら橋を渡る・・ドライブも、TVでもしまなみ海道は良くやっている。 
爽快なる島である。  サンセットビーチは夏、キャンプや海水浴には最高である。



生口島に来たら・・たいていは寄る有名な揚げ物、コロッケの*岡哲さん*
芸能人の色紙や写真が中も外も貼りめぐってある。「EXILEも来たんやで」おっちゃんが長々と語る。
1個100円、揚げたて美味しい。 玉木のローストチキンも昔からある、母がいつもお土産に持たせてくれた。
買って帰った、夕食に。


お正月まだ空いていないお店も多いが、探していると2時になった。 
「せっかく生口島に来たんじゃったら *ちどり*のたこ飯 食べて行きんさいや」こうなるかな。
もうTV番組でどれだけアピールしていることか。 観光客も必ず寄る”ドルチェ”は今回スルー。
ちどり一番人気のたこ天丼卵とじ、1650円。 たこが幾つも入っているよ。



近くに友人にLINEで「今ちどりで昼食」「ちどり!? 帰って来たのかな」「急遽お墓参りして、今から
因島に向い大阪へ帰りますね」「気を付けてね!」
因島には妹もいる。 会いたいなあ・・今日から仕事だった。 帰省の目的は充分に果たせた。
お互いに交換?ながら、孫達は思いがけないお年玉をもらった佳き。

渋滞しているところもあったが上りはまだすいている、家に着いたのが丁度9時だった。
「朝家を出たのに、夜は家って信じられへんわ」娘が言った。
それは大阪と広島の距離はもとより、夫の思いが叶い身内に会えた濃い帰省だったことへの満足感。
長距離になると、夫には運転をさせない。 いつも運転の長女のお陰である。

3日は・
じつはあまり 記憶にないのだ・・思い出せない。 と言うより2日の移動で夫も疲れていたし、皆ゆっくりした?

昨年のイブに京都の夫の友人から贈り物があった。 北野天満宮さんの”大福梅”
北野境内梅苑で採取し調製した梅干しを裏白と共に授与、元旦の朝早く、祝儀として家ごとに茶の湯の中に
梅干しを入れて飲む習慣だそうで、村上天皇の天暦五年、疫病流行し天皇がかかり、このお茶で治った
と言う言う伝え、毎年元旦に頂いて年中の邪気を覗き長寿幸福を得ると言う。



元旦の早朝・・タイミングを逃し、2日に頂いたが、大丈夫かなぁ。 
いつも主人や家族を思い、送って下さるのである。 本当に感謝しかない。 
主人をはじめ、友人も関わる人みな・・無病息災の心意気で、令和5年を乗り越えよう。


4日は・・


孫達部活始まり! ご苦労さん! なんやかんや見守っているよ、がんばれがんばれと。

そうだ私、年末ジャンボ!
私10枚、娘は毎年会社から10枚プレゼント。 もし大きなの当たったら・・内緒でこっそり見ようかと思ったが、
あまりにも可愛くないので、孫に「見て見て!」 20枚合わせて当選番号を見てもらった。

「1万円当たってる!」 「すごいじゃん!」 「3,000円も当たってるで!」「えー!!」「まさかまさか」
本当だった。 合計13,600円 どちらが1万円? もしかして1人が13,000円だったりして?
買わなければ当たらないが、嬉しい。 娘と半分っこ。 6、800円。 
年末の有馬記念、10年前私だけ千円で2万だったか当たった。 みんなが遊びでやろうと言う事になった。
夫も娘も孫も婿も。 買い方も知らないけどスマホで見て適当に買った、ワイド・・3-9 当たった!私だけ。
2、400円買って、12,000円。 ついているのかな、今年は





5日は・・



子供たちはみな仕事始めである。 私もやはり家族を思うと、心なしか緊張し朝から身なりを整える。 
「みながんばろう」と言った矢先、前日部活から孫娘が発熱で帰宅。他に2名早退らしい。
インフル流行っていて、微熱でも今日の始業式行けない、夫もこのところ頭痛や体調が思わしくなく、
近所でPCR検査を受けに行く。 コロナ?インフル? 家、マスク、高齢者また避難?

夜、風邪がひどくなりえらい事である。 1時過ぎ、ちょうど夫と一緒に目が覚めた。 
咳と鼻水止まらない私に「ほい」ティッシュの箱くれた。 「薬飲んでこいや」「はい」 「寒うないか?」
「大丈夫・・」言ってくればやったのに系の夫にしては、何という事だろう。

朝目が覚めた。 私の布団の上には、ちゃんちゃんこや膝かけが重なりあってのっていた。 (あれ?)
わざわざ起きてしてくれたのかなぁ、それともベッドから掘り投げたんやろうか。
引越した時、夫は3階で私は1階、嬉しくて嬉しくて夜を独り占めできる最高の時間を過ごした。 
夫の病状も鑑みて2人は1階の部屋でと言う事になった。 1室で狭い狭いと始め言っていた夫だが、
「ばちが当たるよ、狭くなるけど楽しくやって行こうよと、家族で気持ち良く呼んでくれたんやない」
当分、そう言ってなだめていたけれど、最近は開き直った? 
慣れて来たのか部屋は寝るだけだし「ビジネスホテルやと思ったらええねん」いい事言う、夫よなんと。

結婚してから枕を並べて寝てきた。 無呼吸症候群の時期があって気になって仕方なかった。
いびきが生きてる証拠と安心したりした。
年を重ねればなおのこと、そばで寝ていても気になるときがあるのに。 同室にしてくれて良かった。
「かけてくれたんやね色々、ありがとう」 風邪もなおるかな・・夫のおかげさまで。 




6日は・・


夫はボランティア、初出である。 障害者支援で身障者の方たちの卓球のサポートをしている。
施設へ行ってして測る体温と血圧があまりにも低くて、30分程医務室で3時間半寝ていたそうだ。
人のお世話どころでは無いのに、休んでくれたらいいのに。 家でも血圧ばかり測っている。
気にし過ぎったって、先月半ば、1週間前に「あいつお刺身好きやから」とお刺身作って持って行った卓球仲間、
奥さまと病院へ検査に行って突然容態が悪くなり亡くなった。 まだどれほども経っていない。
 


7日は・・やはり



7枚ほどあるスーパーのチラシで七草粥用のセットの値段を見た。 
お安い方のお店で買った。 398円(税抜き) 帰省した時、畑にあったろうにと良く思う。 
しかし今晩の献立はクラムチャウダーなのだ! 朝は、仕事や部活でゆっくり食べる間も無いので、お昼に。

寒い中昼食に帰った娘は「え~!」と一瞬身を引いた。 まぁね。
TVやブログで、塩味だと青臭いとかで、鶏がらスープと塩で味を整えたら良いとかあり、これにしよ!

春の七草~せり、なずな~ 子供も知ってる秋より覚えやすい。 はこべらがやたら多かったかな。 
塩を入れ茹でて・・刻んで、我が家はお餅を小さく切って入れる、好きなので。 
娘も太ったわ・・そう言ったくせに、お正月に食べ過ぎた分、胃腸を整える為にいいんだから。
「無病息災」 孫息子だけは食べなかった、どん兵衛の肉うどん。 私ならひと口でも食べさせるのに。 
部活で遅く帰って来た孫娘は「食べるよ!」と、のってくれた。 大体が和風好み、これは実に嬉しい。
「ばぁばがおらへんかったら、この料理はないなぁ」時に言う。 ばぁば嬉しい!
みんながとにかく元気で、楽しく暮らそうよ! もうこれしかない。

とりあえず・・更新中々ままならぬ *日々雑感 ~写真と思い~*ですが、懲りずに・・。
ブログのご縁を楽しみとして・・、皆さま、お互いに穏やかな良い年になりますように・・
始動である。

長々と一週間をまとめてしまい、にも関わりませず最後まで読んでいたき、ありがとうございます。
申し訳ありません。 家族にもいつも長いと言われております。 こんな私ですが・・


* 新しき年へ・・ *

2022年12月31日 | 雑感


いよいよ令和5年に向けてのカウントダウンである。

ゆっくりとふり返る余裕はなかったけれど、色々なことがあった。 本当に色々あった年だった。
あったけれど、その後は「でもおかげやね」がいくつも重なって、笑顔で言える「おかげさま」の言葉に繋がった。 
だって今こうして笑って生きているのだから。 間違いなくおかげさまなのである。
結婚記念日の翌日は大変な出来事、でも誕生日の翌日は本栖湖や日本平からの富士の絶景を眺められた幸せ。

家族のいない人はいない、自分がいると言うことは親がいたからと言うこと、子供のいるいないは別として。 
73歳、ここにきてなんだろう、人生って・・、これからの人生って。

やはり・・家族、いちばん身近な家族が、温かさを家庭に感じるそのことに・・家族が向かうその働き。
何が幸せかと言えばもうそこにつきる、私は。 でないと(色々あったけれどいい人生だった)と言えないと思うから。
家族みんながみんなを思い、それが嬉しくて楽しいと思える・・そんな居場所、その努力が人生の意味かな。

その過程の中でブログは私に、喝を入れてくれたり、励ましになったり、共感したり、笑ったり、ともに泣いたり。
年のはじめに復活したブログ、思うようには書けなかったけれど、私にとっては自分を温める居場所だった。
ここにきて一番申し訳ないのは、稚拙なるブログでありながらいいねを押して下さった方々にコメントが残せなかったこと。
書くコメントを頭に描きながら見せて頂き、読ませて頂いているのに。
新しい年にはせっかくのご縁である、少しでもコメントをさせて頂かなくてはと思っている。
やり残したことはそれだから。

外に出る事を増やそうと思う、自分が元気になるように、家族の為にも、そしてブログを楽しむ為にも。
それと、夫をはじめ家族や人々のいいところばかりが見えるようになりたい・

49年前の結婚式にご出席頂いた皆さんが書き残して下さった”ウェディングメッセージノート”がある。

力強い達筆で「健闘を 心から 祈る  静雄」ページいっぱいの。世界一好きだった亡き父のメッセージ。
私にはいっぱい言葉を残してくれたのに、端っこに小さく「今の気持ちを 大切にね  母より」

父の健闘を・・に涙が出る。 両親の願い あらためて 心にとめて今日から・・反省だらけだけど。

おいで頂く皆さま お心いっぱい・・の日々をありがとうございました。
そして令和5年も、楽しいおつきあいをいただきますように、どうぞ宜しくお願い致します。

年始のご挨拶は、喪中につき 控えさせていただきますね。

寒さ厳しき折ではありますが、どうぞ良いお年をお迎え下さいませ。           みく