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4日・ベレゾフスキー リスト:第4番「マゼッパ」第5番「鬼火ショパン:12の練習曲 他

2010-05-04 | 熱狂の日 ラ・フォル・ジュルネ 有楽町
322 日時 2010年5月4日 11:45~12:55          2-23・3,000円・妥当な額

12の超絶・・4曲程演奏で、あとショパンの曲を演奏・・
4曲ほどの超絶演奏は、かくとう技?と想いました・・・笑い・・超高音、超低音とかピアノが壊れそう??・・云いに付け、超個性的、超技量な演奏かな・・驚きの演奏でした・・

 ホールB7   公演番号322の曲目は以下の通りです。
リスト:12の超絶技巧練習曲から
       第4番「マゼッパ」
       第5番「鬼火」
       第8番「狩」
       第11番「夕べの調べ」
ショパン:舟歌 op.60
ショパン:12の練習曲 op.10より
       第1番
       第3番「別れ」
       第4番
       第5番「黒鍵」
       第6番
ショパン:ワルツ 変イ長調 op.42
         イ短調 op.34-2
         変イ長調(遺作)
         ホ短調(遺作)
アンコール チェイシンス:香港のラッシュアワー
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LFJ「熱狂の日」音楽祭事務局・・
 メールにて問合せしました・・曲目が判らなかったので・・此れでスッキリしました

 (リスト:12の超絶技巧練習曲集)
出演者ボリス・ベレゾフスキー [ピアノ]
ボリス・ベレゾフスキー(c)David Crookes
 モスクワ音楽院にてエリソ・ヴィルサラーゼに師事。チャイコフスキー国際コンクール優勝。これまで、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、フランクフルト放送交響楽団、フランス国立管弦楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団と共演。ヴェルビエ、ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノなど、ヨーロッパの数々の音楽祭で客演し、コンセルトヘボウの国際ピアノ・シリーズにも登場。室内楽ではこれまで、ヴァディム・レーピン、ジュリアン・ラクリン、ラルフ・カーシュバウム、ボリス・ペルガメンシコフ、ブリジット・エンゲラー、ドミトリ・マフチン、アレクサンドル・クニャーゼフらと共演し、多くの録音をリリースしている
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 家で一服して・・此れから出かけます・・昨日はNHKでコルボ・レクイエムを聴きて、此れから生聴きに・・
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337 日時 2010年5月4日 20:15~21:00
会場 ホールB5 料金 指定席 2500円
曲目カルクブレンナー:大七重奏曲 イ長調 op.132
フンメル(ワルター編曲):木管五重奏のためのパルティータ 変ホ長調
カルクブレンナー(1785-1849)
ショパン時代の大ピアニスト。パリに出たショパンに指導を申し出て丁重に拒否されるも、2人の交友はつづき、自分の息子の指導を彼に依頼したという。ショパンのピアノ協奏曲第1番を献呈された。
フンメル(1778-1837)
モーツァルトに師事した後、各地の宮廷楽長を歴任。ベートーヴェンと人気を二分するピアニストでもあった。作品はピアノ曲が中心で、その書法はショパンなど後の作曲家たちに大きな影響を与えた。

出演者クレール・デゼール [ピアノ]
趙静 (チョウ チン) [チェロ]  マーク・マーダー [コントラバス]

 新日フィルのメンバーが・・
白尾彰 [フルート]浅間信慶 [オーボエ] 澤村康恵 [クラリネット]
河村幹子 [ファゴット] 大野雄太 [ホルン]

 4日最後の閉めはやはり、コルボ氏で・・
316 日時 2010年5月4日 21:45~22:55
会場 ホールA 料金 S 4000円/
公演名「ショパンの葬送」
曲目ショパン:前奏曲第4番 ホ短調 op.28-4(オルガン独奏)
ショパン:前奏曲第6番 ロ短調 op.28-6(オルガン独奏)
ショパン(ヘルツィン編曲):葬送行進曲(オーケストラ版)
モーツァルトモーツァルト(1756-1791)
音楽史上最高の天才。オペラ、交響曲から歌曲、器楽曲まで、クラシック音楽のあらゆるジャンルに作品をのこし、しかもその多くが今日なお名曲として人気を保っている作曲家は他に誰がいるだろう。
:レクイエム ニ短調 K.626
出演者シャルロット・ミュラー=ペリエ [ソプラノ]
ヴァレリー・ボナール [アルト]
クリストフ・アインホルン [テノール]
ピーター・ハーヴェイ [バリトン]
鈴木優人 [オルガン]
ローザンヌ声楽アンサンブル
シンフォニア・ヴァルソヴィア
ミシェル・コルボ [指揮]

3日 マリア・ケオハネ・ヘンデル:オペラ「涙の流れるままに」他  ・ショパン:ピアノ協奏曲第2番

2010-05-04 | 熱狂の日 ラ・フォル・ジュルネ 有楽町
243 日時 2010年5月3日 13:00~13:45   ホールC ・8-25・3,000円安い

:ヘンデル(1685-1759)アリアの数々を聴くのは、贅沢でした・・全曲聴きたいですね
マリア・ケオハネ・ソプラノ・・調子が良かったのでは、高音声域が素晴らしい、声質が厚いし、劇性も兼ね備えていて、素晴らしい歌唱ですね・・
 リナルドより「涙の流れるままに」・・このアリアは以前韓国ドラマの中で耳にしたのですが・・生聴き出来ました・・生は良い
 小編成のアンサンブルが見事ですね・・歌手と共振して、メリハリもあって、活き活きした演奏でした・・

 リストの弦楽も静かな旋律が・・瞑想状態でした・・
2番も木管が無い分・・弦群の合奏も静かに時が流れる印象が、ピアノ演奏もあくまで静かな流れが・・・ウトウト感も・・これも良しですね・・
リスト・弦楽のための「夕べの鐘、守護天使への祈り」(「巡礼の年 第3年」より)
ショパン(ワルター編曲):ピアノ協奏曲第2番

曲目ヘンデル:ヘンデル(1685-1759)
同年生まれのバッハと並ぶバロック音楽の巨匠。多数のオペラやオラトリオをのこす。「ハレルヤ・コーラス」で知られるオラトリオ「メサイア」は特に有名。代表作の多くは後年帰化した英国で書かれた。
オペラ「ファラモンド」HWV39より「ふたつの風に翻弄され」
ヘンデル:オペラ「アルチーナ」HWV34より「ああ私の心よ」
ヘンデル:オラトリオ「復活」HWV47より 序曲
ヘンデル:オラトリオ「テオドーラ」HWV68より「わが嘆きの暗闇で」
ヘンデル:オペラ「ジュリオ・チェーザレ」HWV17より「嵐の海で難破した小舟は」
ヘンデル:オペラ「アグリッピーナ」HWV6より「胸さわぎが私を苦しめる」
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」HWV56より「シオンの娘たちよ、大いに喜べ」
ヘンデル:オペラ「リナルド」HWV7より「涙の流れるままに」・・
 私を 泣くがままにさせて 過酷な運命ゆえに そして自由を 慕い焦がれるままにさせて 悲しみが 私の苦悩の縄を 断ち切ってくれますように どうかお願いですから(訳・三澤寿喜)
 出演者
 マリア・ケオハネ [ソプラノ]マリア・ケオハネ
スウェーデン出身。時代はバロックから現代まで、ジャンルは室内楽からオペラ、オラトリオまで、幅広いレパートリーを誇る。バーバラ・ヘンドリックス、スウェーデンの古楽グループ「ドロットニングホルム・バロック・アンサンブル」と幾度も共演。室内楽にも力を注いでおり、スウェーデンのゴッテンブルグ・バッハ・アンサンブルから定期的に招かれ演奏を重ねている。イタリア、フランス、ウクライナ、アメリカ合衆国など世界各地から招かれ演奏を行っており、これまで、ヤコブ・リンドベルイ、著名なバロック・トランペット奏者ニコラス・エクルンドらと共演。エクルンドとは、ガルッピ、ツィアーニ、ヴィヴァルディの珍しい作品を集めたCDを録音している。2005年、ヘンデルのオペラ<リナルド>のアルミーダ役によりロイマート賞を受賞。
 リチェルカール・コンソートフィリップ・ピエルロ [指揮]

245 日時 2010年5月3日 16:30~17:15   ホールC  2F14-10・3,000円・妥当な額
曲目リスト(1811-1886)
ドイツの作曲家だが、生地ハンガリーを祖国として終生愛していた。悪魔的な超絶技巧をもつピアニストとして、ショパンと同時期のパリでも活躍した。今日ある「リサイタル」の形の創始者でもある。
:弦楽のための「夕べの鐘、守護天使への祈り」(「巡礼の年 第3年」より)
ショパン(ワルター編曲):ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 op.21
(ピアノ・弦楽合奏版)
出演者ブリジット・エンゲラー [ピアノ]
オーヴェルニュ室内管弦楽団
アリ・ヴァン・ベーク [指揮]
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 ジョルジュ・サンド(George Sand、1804年7月1日 - 1876年6月8日)はフランスの女流作家であり、初期のフェミニストとしても知られる。本名をオーロール・デュパン(Amandine-Aurore-Lucile Dupin)、デュドヴァン男爵夫人(Baronne Dudevant)という。
生涯
 1804年パリで軍人貴族の父と庶民の母との間の婚前妊娠子として生まれた。彼女の曽祖父には軍事思想家のモーリス・ド・サックスがいる軍事貴族の家系である。父が早く亡くなったため子供時代はアンドル県ノアンにある父方の祖母の館で過ごし、この田舎での生活はのちに 『魔の沼』 『愛の妖精』 などの田園小説のモチーフとなった。1822年にカジミール・デュドヴァン男爵(Baron Casimir Dudevant)と結婚しモーリス(Maurice、1823)、ソランジュ(Solange、1828)の1男1女を産んだが間もなく別居し、多くの男性と恋愛関係をもった。
 1831年にジュール・サンドー(Jules Sandeau)との合作で処女作 『Rose et Blanche』 を書き、これ以後「サンド」のペンネームを使うようになった。その後 『アンディアナ』 で注目され、また男装して社交界に出入りして話題となった。1833年から1834年にかけて詩人のアルフレッド・ド・ミュッセと、またその後医師パジェロ、音楽家フランツ・リストとも関係をもった。さらにフレデリック・ショパンとは1838年(マジョルカ島への逃避行)から
 1847年までノアンで同棲したが、彼女の子供たちをめぐるトラブルなどから別れた。
 1840年代には政治志向を強め、民主主義・社会主義の思想を懐いてアラゴ、カール・マルクス、ミハイル・バクーニンら政治思想家・活動家と交流した。1848年の2月革命に際しては政治活動に参加したが、その後ノアンに隠棲し執筆に専念した。
 その後も女性権利拡張運動を主導するとともに文学作品を書き続け、ヴィクトル・ユーゴー、ギュスターヴ・フローベール、テオフィル・ゴーティエ、ゴンクール兄弟ら多くの文学者と友情を結んだ。