道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

01/01 お年玉

2014年01月01日 | 豆知識

「お年玉」は、正月に新年を祝うために贈答される品物のこと。単に年玉ともいう。
現在では特に子供に金銭を与える習慣及びその金銭の意で用いられている。
年末に贈られる歳暮と異なり、目上の者が目下の者に贈るのが特徴。
子供から親への新年祝いなどの場合には表書きを「お年賀」とする。

『概要』

これをもって年の賜物(たまもの)であるとして「としだま」という名が付いたという説があり、また、古くは「餅玉」を与えたため「年玉」の名前が付いたとの説もある。

「たま」とは、「たましい」のことであり、「としだま」とは新年を司る年神への供え物の下げられたもののことであると民俗学的には説明される。
供え物には祀った神霊の分霊が宿るとされ、それを頂くことにより、人々は力を更新した新たな1年に備えるのである。

年玉の習慣は中世にまで遡っており、主として武士は太刀、町人は扇、医者は丸薬を贈った。

『日本以外のお年玉』

旧正月7に子供に金銭などを与える風習はアジア諸国でも見られる。中国では「圧歳銭」と呼ばれるが、これは中国語で「歳」と「崇」が同じ発音であり、年始に大人が子供に金銭を与えることで子供を襲う祟りが抑えられ、その1年を平穏無事に過ごすことが出来るという民間信仰から来ている。

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01/01 お屠蘇

2014年01月01日 | 豆知識

「屠蘇」または、「お屠蘇」とは、一年間の邪気を払い長寿を願って正月に呑む縁起物の酒であり風習である。

『概要』

「屠蘇」とは、「蘇」という悪鬼を「屠(ほふ)」るという説や、悪鬼を屠り魂を蘇生させるという説など、僅かに異なる解説がいくつかある。数種の薬草組み合わせた「屠蘇散」を赤酒・日本酒・味醂などに浸して作る。

屠蘇は、通常、屠蘇器(とそき)と呼ばれる酒器揃えによって供される。屠蘇器は、屠蘇散と日本酒・味醂を入れる銚子、屠蘇を注ぐ盃、重ねた盃をのせる盃台、これらを載せる盆からなる。屠蘇器には、漆器製、陶磁器製、ガラス製など様々な種類がある。

小・中・大の三種の盃わ用いて飲むが、「一人これを呑めば一家病無く、一家これを呑めば一理病無し」と言われ、日本の正月の膳などに呑まれる。

元日の朝、年少の者から年長の者への順に頂く。

『屠蘇散』

屠蘇散の初出は、一説には三国時代の名医・華佗の処方によるものと言われている。その処方は「本草網目」では赤朮・桂心・防風・枝契・大黄・鳥頭・赤小豆を挙げている。現在では山椒・細辛・防風・肉桂・乾藁・白朮・桔梗を用いるのが一般的である。人により、健胃の効能があり、初期の風邪にも効くという。時代、地域などによって処方は異なり、最近ではトリカブト(煎ってよく加熱しないと猛毒)やダイオウ(下剤としても使われる)など作用の強い生薬は使われない。

漢方薬と同様、ある人物の胃弱や風邪に効いたからといっても、他者にあてはめるのは危険である。白朮ひとつとっても、むくむほど水分滞留体質の人には良いが、水分不足体質や水分代謝機能の高い体質の人が飲むと、炎症悪化や血行不良等につながる恐れがある。生薬や屠蘇散の処方に関する専門知識を有する者に、飲用の是非を尋ねることが望まれる。
もしくは食用レベルにまで処方量を減らし、薄めることが無難である。

『風習』

正月に屠蘇を呑む習慣は、中国では唐の時代に始まり、日本では平安時代からと言われている。宮中では、一献目に屠蘇、二献目に白散、三献目は度嶂散を一献ずつ呑むのが決まりであった。
貴族は屠蘇か白散のいずれかを用いており、後の室町政府は白散を、江戸幕府は屠蘇を用いていた。
この儀礼はやがて庶民の間にも伝わるようになり、医者が薬代の返礼にと屠蘇散を配るようになった。現在でも、薬店が年末の景品に屠蘇散を配る習慣として残っている。

年末が近くなると一部の薬局・薬店でティーバックタイプの屠蘇散が販売・もしくは味醂に添付されている場合がある。日本種・味醂などをコップなどの容器に注ぎ、袋に入った屠蘇散を大晦日の夜に浸けて元旦に頂く。

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