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01/29 函館ラーメン

2014年01月29日 | 食・レシピ

「函館ラーメン」は、北海道函館市の塩ラーメン、函館市周辺で、ラーメン、支那そばと呼ばれているご当地ラーメンである。

『概要』

豚骨や鶏ガラ等の出汁に塩タレを入れた透明な塩味のスープに、柔らかめの中太ストレート麺が組み合わされる。具は、チャーシュー、メンマ、ホウレン草、麩もしくはナルトが一般的に使用される。

一般的に塩ラーメンと呼ばれているラーメンであり、地元の函館市周辺では、単にラーメンもしくは支那そばと呼ぶ。

『歴史』

発祥については諸説存在し、定かではない。

1884年の函館新聞に、函館船場町(現・函館市末広町)に開店した華僑の経営による「南京語料理 養和軒 アヨン」4月28日付の広告に、「南京そば」が掲載されている。広告には、「南京そば15銭」の記載があるが、養和軒の南京そばと現在のラーメンとの関連性を正確に示す、レシピなどの資料は発見されておらず、函館がラーメンの発祥とする説は定かではない。

古くからの開港地であった函館には、集積する昆布などの海産物の買い付けに、多数の華僑が訪れ、当時の函館の人が彼らを「広東さん」と呼称していたことから、江南出身の華僑が多く、函館における函館における支那そば(ラーメン)のまっすぐの麺と澄んだスープの特徴からも、ルーツは広東系の塩味の湯麺であることが推測される。
1935年のスナップ写真に「支那そば」笑福の文字が確認できるものがあり、この頃には「支那そば」を扱う専門店が存在していた事がわかる。また、この「笑福」の隣で営業していた純喫茶「ミス潤」に残っている1932年のメニューには、ケーキやみつ豆と並んで「支那そば15銭」との記載があり、隣の笑福から壁の小窓越しに支那そばを客に提供していたという。

当時を知る人は、この支那そばはまっすぐの細麺と、澄んだスープのあっさり味だったという。このように昭和初期の函館市民にはすでに「支那そば」という言葉が市民権を得ていたと考えられる。

いくたびかの大火を経て、函館の繁華街は駅前の方に移動していったが、昭和20年代から30年代にかけて、大門と呼ばれる松風町地区に屋台や、太八車の流しの屋台が軒を連ねるようになったが、区画整理やバブル時代の土地高騰により、これらの屋台はほとんど見られなくなった。

『函館ラーメンの呼称』

「函館ラーメン」という呼称はごく最近に町おこしの一環として名付けたもので、札幌の味噌ラーメンを「札幌ラーメン」として売り出したのを追って、函館のラーメンを「ご当地ラーメン」とするにあたり「函館ラーメン」なる呼称を与えた。
1996年に日清食品から発売された「日清のラーメン屋さん」において、「札幌みそ風味・旭川しょうゆ風味」と共に「函館しお風味」が商品ラインナップに並び、これが「函館=塩ラーメン」のイメージ形成に一役買った可能性もある。

函館の中華料理店でメニューに「塩ラーメン」の文字が現れたのはごく最近である。もともとラーメンは透明スープの塩ラーメンであり、地元においては「函館ラーメン」とい呼称は一般的ではない。

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