佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

侵略の数字

2010-08-15 | 平和

65年前の今日、8月15日に戦争が終わりました。

一般的には終戦記念日と言われていますが、敗戦記念日と言うべきとの説もあります。

どちらにせよ、一般市民にとっては戦争の恐怖から解放され、平和が訪れた日です。

平和の尊さを悟ったあの時を忘れずに、いつまでも心に留め語り継ごうと、
新聞もテレビも、毎年特集を組みます。

原爆や空襲による地獄絵のような惨状、

勇ましく戦場に散った特攻兵たちの心情、

戦争孤児の健気な物語、等々。

毎年のことながら涙があふれます。

 

しかし、この国内の悲劇を記憶にとどめるだけでは、真の平和は創れません。

 

2ヶ月ほど前、友人がメールで伝えてくれた詩を紹介します。

長野県にお住まいの池田久子さんという方が書かれたものです。

タイトルには<若い君やあなたに伝える>とありますが、

戦争を知らない、いい歳をした私たちにも伝えてほしい、伝えたい詩だと思いました。

 

ここに書かれた「侵略の数字」の信ぴょう性については、異論をお持ちの方もいるでしょう。

8月9日のブログでも、本島元長崎市長の話の中で出てきた数字に反論を頂きました。

私には、数字について証明できる知識も手段もありません。

ただ言えるのは、あの戦争で犠牲となった夥しい数の日本人がいて、

同時に、それを超える数のアジアの人々を日本人が殺してしまったということです。

そして今、この時にも、世界のどこかで、あの時とおなじように、

殺し殺され合う「戦争」がおきているということです。

 

戦争は自然災害ではありません。

人間が起こすもので、それを終息させるのも人間です。

今ある平和を守り続けるには、私たち一人ひとりの強い意志が必要です。

だから…この詩を、紹介したいと思いました。

 

 平和のために~若い君やあなたに伝える侵略の数字~


  今から50年以上前のこと
  1931年9月18日から
  日本は15年もの間戦争をしていました

  満州事変が1931年9月18日
  中国東北部奉天の柳条湖での鉄路爆破が
  戦いのはじめでした

  支那事変は1931年7月7日
  中国河北の盧溝橋での一発の銃声が
  この戦いのおこりです

  そして世界戦争への拡大
  1941年12月8日
  これは日本軍が太平洋上の真珠湾を
  空から奇襲攻撃したのがきっかけです。

  次つぎとおこされた十五年戦争は
  どれもこれも日本がしかけたものでした

  けれども当時日本人の大多数の人びとや
  あなたと同じ年頃の少女だった私らは
  柳条湖の燥破も盧溝橋の銃声も
  中国軍がしかけたと教えられ、信じこみ
  真相を知ったのは敗戦の後
  しばらくたってからのことでした

  君たち あなたたち
  この15年間の数字を
  どうか よォく見て下さい

  日本中の人びとがだまされつづけた間に
  32万余だった日本の軍隊は
  848万人
(厚生省援護局1964年調べ)になりました。
  そのうちあなたと同じ年頃の少年兵もふくめて
  248万人が戦死しました

  日本や海外で兵隊でもない人びとが
  原爆やら空襲やら
  80万人も殺され
  236万人が家を失い傷つきました

  ナチスが殺害したユダヤ人の数は
  600万人といわれます
  けれど侵略日本の銃火で殺された
  中国、朝鮮、アジア人の数は
  実に2千万人以上です。

  あなたは聞くでしょう
  この戦争をはじめたのは誰なの
  軍人? 政治家?
  どうしてイヤだといわなかったの
  そう はじめたのは少数の支配者
  でもその手先に使われたのは
  大多数の国民わたしたちや
  わたしたちの父母
  祖父母です
  あの時教育され
  マスコミにそそのかされ
  いつの間にか殺し屋の手先になった
  私たち 私たちの親たち

  今 君にあなたにそのことを伝えたい
  再び私たちは殺さないか
  再び私たちは殺されないか
  私たちは二度とだまされないか

  本当にだまされないというために
  しっかりとこの「数字」を伝えたい

  君たち あなたたちに
  しっかりと。
  
                     

コメント (5)
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