8月9日
長崎県民になって3回目の8月9日です。
前回も前々回も平和祈念式典の会場にいましたが、今年はテレビの前で見つめました。
長崎市長、被爆者、総理大臣、合唱するこどもたち一人一人の顔までもすぐそこに映し出され、
会場に居るよりも式全体がよくわかります。
特に被爆者代表(内田保信さん)のスピーチは、
その時共にいた友人を失った悔しさや、核兵器廃絶への断固とした意志が、
その目、その口元にはっきりと表れ、
これでもかこれでもかというように、伝えたい思いがあふれていました。
被爆65周年の今年も、長崎では原爆は風化していません。
被爆者の数は確実に減っていますが、被爆2世や3世が存在しています。
彼らが、父母や祖父母の体験や思いを引き継ぎ、伝えていこうとしています。
内田さんが語ったように、
彼らの父母や祖父母も、それぞれのあの日を、深い悲しみと苦しみの中で伝えたことでしょう。
長崎では、高校生を中心に、子どもたちの平和運動がさかんです。
長崎に越してきたその時からずっと感じていたことですが、
その活動は他に類を見ない力強いものです。
身近な人だからこそ伝えられた戦争の現実、被爆地だからこそ生まれた平和教育の力、
それらが確実に実を結んでいるのを感じます。
この子どもたちが大人になっても、中年や老年になっても、
原爆への関心を無くさずに、平和を求め続けていきますように。
その平和が日本だけでなく、世界中に広がるよう貢献してくれますように。
ただし、平和を語り継ぐには、学び続けなければなりません。
祖父母の話に耳を傾けるだけでなく、違った声の存在も知らなければなりません。
過去のことだけでなく現在のことも、日本だけでなく世界にも、目を向けなければなりません。
8月6日、広島での平和祈念式典に、初めて米国からルース駐日大使が参加しました。
彼は何も発言しませんでしたが、
「原爆を投下した当事国として謝罪すべきだ」との声が被爆地からあがりました。
それに対し、元長崎市長の本島等さんは講演会でこう述べました。
「アジアの国々などの戦争被害者に対し、まず日本が加害者として謝罪をするのが先だ」
「その後で、原爆投下責任に突き進んでいかねばならない」と。
「日本は自国が始めた戦争で、アジア各地で2千万人を殺したといわれる。
日本人も310万人が死に、うち140万人は餓死や栄養失調が死因だった。
われわれはまず、戦争でたくさんの被害を与えた中国や朝鮮半島などの人々に
謝罪しなければならない」
いろんな考え方や意見があるでしょうが、
被爆地長崎の元市長がこのような発言をしたことに、
私は長崎県民として、とても誇りに思います。