佐世保便り

2008年7月に佐世保に移住。
海あり山あり基地あり。そしてダム問題あり。
感動や素朴な疑問など誰かに伝えたくて…

8月9日

2010-08-09 | 平和

長崎県民になって3回目の8月9日です。

前回も前々回も平和祈念式典の会場にいましたが、今年はテレビの前で見つめました。

長崎市長、被爆者、総理大臣、合唱するこどもたち一人一人の顔までもすぐそこに映し出され、

会場に居るよりも式全体がよくわかります。

 

特に被爆者代表(内田保信さん)のスピーチは、

その時共にいた友人を失った悔しさや、核兵器廃絶への断固とした意志が、

その目、その口元にはっきりと表れ、

これでもかこれでもかというように、伝えたい思いがあふれていました。

 

被爆65周年の今年も、長崎では原爆は風化していません。

被爆者の数は確実に減っていますが、被爆2世や3世が存在しています。

彼らが、父母や祖父母の体験や思いを引き継ぎ、伝えていこうとしています。

内田さんが語ったように、

彼らの父母や祖父母も、それぞれのあの日を、深い悲しみと苦しみの中で伝えたことでしょう。

 

長崎では、高校生を中心に、子どもたちの平和運動がさかんです。

長崎に越してきたその時からずっと感じていたことですが、

その活動は他に類を見ない力強いものです。

 

身近な人だからこそ伝えられた戦争の現実、被爆地だからこそ生まれた平和教育の力、

それらが確実に実を結んでいるのを感じます。

この子どもたちが大人になっても、中年や老年になっても、

原爆への関心を無くさずに、平和を求め続けていきますように。

その平和が日本だけでなく、世界中に広がるよう貢献してくれますように。

 

ただし、平和を語り継ぐには、学び続けなければなりません。

祖父母の話に耳を傾けるだけでなく、違った声の存在も知らなければなりません。

過去のことだけでなく現在のことも、日本だけでなく世界にも、目を向けなければなりません。

 

8月6日、広島での平和祈念式典に、初めて米国からルース駐日大使が参加しました。

彼は何も発言しませんでしたが、

「原爆を投下した当事国として謝罪すべきだ」との声が被爆地からあがりました。

それに対し、元長崎市長の本島等さんは講演会でこう述べました。

 

「アジアの国々などの戦争被害者に対し、まず日本が加害者として謝罪をするのが先だ」

「その後で、原爆投下責任に突き進んでいかねばならない」と。

 

「日本は自国が始めた戦争で、アジア各地で2千万人を殺したといわれる。

日本人も310万人が死に、うち140万人は餓死や栄養失調が死因だった。

われわれはまず、戦争でたくさんの被害を与えた中国や朝鮮半島などの人々に

謝罪しなければならない」

 

いろんな考え方や意見があるでしょうが、

被爆地長崎の元市長がこのような発言をしたことに、

私は長崎県民として、とても誇りに思います。  

 

コメント (4)
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