中村知事は25日の定例記者会見で、諫早湾の開門問題に関して、
「開門を求める人たちから、開門の司法判断に知事が従わないことが憲法に反するんじゃないかという指摘をしていると思うんですけれども、これについて行政を担う知事としてどのように考えていますか」
と問われ、こう答えました。
「長崎県民は全く第三者の立場なんです。ということで、この確定判決に従う義務もない。
開門されれば、さまざまな被害が懸念されますということを申し上げてきたわけであります。
確定判決があるからといって、第三者の県民がそうした影響・被害を受忍しなければならない
ということは、あってはならないと思っております。
私は、そうした影響・被害をこうむる県民の生命、財産を守るという責務を担っている立場で
ありますので、そうした立場から繰り返し地元の実情等を訴えてきたところであります」
そうでしょうか?
新たな被害者が出るかもしれない、その被害を回避する責務が知事にあるから開門に反対?
すでに被害を負って、負い続けている漁民の皆さんも県民ではないんですか?
漁民の皆さんの被害は放っておいていいんですか?
諫早湾の生き物たちの被害は放っておいていいんですか?
有明海の過去・現在・未来の被害は放っておいていいんですか?
数年前、知人から頂いた「生きろ 諫早湾」という写真&メッセージ集を、久しぶりに開いてみました。
ユーモラスなムツゴロウの表情、
歓声が聞こえてきそうなこどもたちの笑顔、
タイラギ漁船を追うカモメの群れ、
シギの乱舞、
全滅したカキの墓場、
ひび割れた干潟
・・・・
巻頭メッセージは、倉本聰さんでした。
かつてこの国は戦争中に、原爆という暴挙の犠牲になり、
そのことは、ヒロシマ、ナガサキという名によって国の内外によく知られました。
それから50年。
今度はこの国は、国自身の意志により、平和時における大きな犯罪を犯しました。
それが、イサハヤです。
去年、私はそのイサハヤの、潮止め堤防の内側に立ち、
生命のない大地、干からびた海、墓標のない墓場を呆然と見ながら、
これは犯罪以外の何ものでもないことを、あらためて深く確認しました。
国は一体何の為に、こうした愚かな行為をしたのでしょう。
・・・省略・・・
そして最後にこう書かれていました。
この犯罪への唯一の贖罪は、それらの鉄板を取り外すこと。
死せる干潟を再び潮で満たすこと。
只それだけしかありません。