昨日は「さよなら原発させぼの集い」の日。
でも、定刻に集まったのは、3人だけ…
ま、いいさー、こんな日もあるさー。
手作りのプラカードやポスターを手に、
私たちはそれぞれの思いを通行人に訴えました。
私は、5月31日に開かれた「原発なくそう!九州玄海訴訟」の第5回口頭弁論について話しました。
そして、刀禰詩織さんの意見陳述書を読み上げました。
(一部をご紹介します)
このままでは娘も被ばくしてしまうと思い、夫に、娘を連れて逃げたいと言いました。
夫は過剰反応だと言い、たとえ被ばくしても、人は運命を受け入れるべきだと言いました。
娘を自転車に乗せ、荷造りのため自宅に戻りました。
中央線で東京駅に向かい、新幹線に飛び乗りました。
小倉駅から在来線に乗り換え、東福間駅のホームに降り立つと、改札口の向こうに両親の姿が見えました。
よくは覚えていないのですが、東福間の駅前で、私は「みんなを捨ててきてしまった!」「友達を捨ててきた!」「保育園の子どもたちを捨てて自分だけ逃げてきた!」と大声で泣き叫んだとのことです。
東京から避難してきたと言うと驚かれることも多く、本当に避難するほどのことなのか、どうせ夫と離れたかったからじゃないのかなど、いろいろな目で見られていることは、言動の端々からいつも感じました。
夫に何度も帰ってくるよう求められました。
戻りたい気持ちもありましたが、やはり東北の食材に頼る関東で子育てをする自信がもてないまま一年が過ぎ、とうとう夫から離婚を切り出され、決断しました。
夫は仕事を選び、私は娘の健康を選びました。
その選択が本当によかったのかどうか、いまだにわかりません。
娘が父親に会いたいと泣くたびに、胸がしめつけられます。
父親のいない子どもが心にどんな傷を抱えて育つのか、私にはわかりません。その責任を、私は一生、負い続けるのだと思っています。
再稼働したくてたまらない経済界、そこに支えられた政界の力は強大です。
ですが、どうか法律の世界だけは、彼らの一員ではありませんように。
子どもを安全な環境で育てたいという、母親のささやかな願いが受け取ってもらえる場であることを切に祈ります。
通行人は誰一人立ち止まってはくれませんが、こちらを見ながら、足を緩める人もいました。
それでいい…
その人たちに、このプラカードの言葉「私は原発いりません」の文字と
こどもを抱きしめる母親の絵が目に入れば、それでいい。
NO!NUKES!の文字と、お日さまの絵がキャッチできれば、それでいい。
少し遅れて、川棚のMさんが参加。
そしてSさんも、鹿児島の友人(川内原発の近くに住んでいる方)を誘って駆けつけました。
その方はデモ行進の間ずっとサンシンを弾いて、盛り上げてくださいました。
デモ行進終了後、サンシンの伴奏で、安里屋ユンタや芭蕉布をみんなで歌いました。
沖縄の歌っていいですね~
そういえば、沖縄には原発もない!