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幸田文の「世界」

2020-11-15 18:28:00 | ノンジャンル
 幸田文のエッセイ『季節のうつろい』の4編の冒頭の段落をそれぞれ書き写したいと思います。
 まず『葉と花と』の冒頭部分。
「去年のくれ、高熱をだして病んだ。呼吸をするたびに胸がいたんで、どうしてみようもない凌ぎにくさに、しまいには目をつぶったきり、ただもう息苦しさをのがれたい思いばかり。」

 次は『なくしもの』の冒頭部分。
「梅雨のことをこのごろは、雨季といって話すひとがある。雨の季節なのだから、それでいいと思うけれども、私のように子供の時からつゆで通してきたものには、雨季はどうもだいぶ感じがちがう。」

 そして『壁つち』の冒頭部分。
「死なせるとか、ころすとか、まことに穏やかならぬことを、これはまた至極おだやかな調子でいっているので、なんのことかときき耳をたてたら、壁土づくりの話をしているのだった。死なすの殺すのとは、腐らせることなのである。念入りな建物には、壁もまた念入りになるが、そういう時、壁の材料である土は、二年も三年もかけて、いちど十分に腐らせてから使う。その腐らせることを、話していたのである。」

 それから『ことしの別れ』の冒頭部分。
「十二月号である。一年の最終号である。と同時に、私がお受けしていた今年四回の連載の、これがいちばんおしまいのものである。毎年のことながら、十二月号には、一年の終りといった、なにか見送って佇むような感情があるし、連載の終回には、とにもかくにも果したというほっとする思いと、そこはかとない名残惜しさがある。」

 以上がエッセイ『季節のうつろい』を構成する4編の冒頭部分であり、とても簡潔で、しかも魅力的な文体と内容だと私は思いました。このそれぞれが7ページずつを占め、このような(なかには1ページという短いものもありましたが)92編集まり、全集1冊をなしていて、この全集が第十九巻目だというのですから、幸田文という人の書いた文章の分量は際限もなく果てしなく、とても全部を読破するのは不可能に思われたのでした。

 そもそもなぜ幸田文を読もうと思ったかというと、「Google」で幸田文をトリビュートした日があって、さっそくググってみると、幸田文は幸田露伴の娘と書いていて、しかも我が成瀬巳喜男監督の『流れる』の原作を書いている事実に思い当たり、単行本『流れる』とともに、図書館で借りることのできるもので興味深い題名の文章を収めている全集をすべて借りてきたのでした。
借りてきた全集に含まれる文章の題名は『流れる』『蜜柑の花まで』『木』『季節のうつろい』『猿のこしかけ』『群犬』『おとうと』『笛』なのでした。

 ということで、最後に『流れる』の冒頭部分と最後の部分を書いて、この文章を終わらせようと思います。

「このうちに相違ないが、どこからはいっていいか、勝手口がなかった。
 往来が狭いし、たえず人通りがあってそのたびに見とがめられているような急(せ)いた気がするし、しようがない、切餅の“みかげ”石二枚分うちへひっこんでいる玄関へ立った。すぐそこが部屋らしい。云い合いでもないらしいが、ざわざわきんきん、調子を張ったいろんな声が筒抜けてくる。待ってもとめどがなかった。いきなりなかを見ない用心のために身を斜(はす)によけておいて、一尺ばかり格子を引いた。と、うちじゅうがぴたっとみごとに鎮(しず)まった。どぶの“みじんこ”、と聯想(れんそう)が来た。もっとも自分もいっしょに“みじんこ”にされてすくんでいると、
「どちら?」と、案外奥のほうからあどけなく舌ったるく云いかけられた。目見えの女中だと紹介者の名を云って答え、ちらちら窺(うかが)うと、ま、きたないのなんの、これが芸者家の玄関か!」

「引越しは済んだ。案の定、新しい住いは壁も畳も“より”薄かった。それを取繕って住めるようにしたのは、梨花一人の気働きと労働である。(中略)この美しい主人を長くみとりたい気もちは、これだけで終らせられるものではない。別れにくかった。それでも、しにくい別れを胸にしめて格子をたてる。この真夜なかは何時(なんじ)なのか。惹かれてはいけないと云った佐伯の釘が利いているばかりに、こうして帰る道である。新しい出発は決して楽しいだけのものではない、旧い人の凋落(ちょうらく)をうしろにのこして行く心。……歩いて行く小路(こうじ)々々も自分も疲労と寂寥(せきりょう)に澱(よど)んでいる。一日一日は移って行く。暗い小路のさきからとどろとどろと大きな響が伝わってきて、眼のまえのガードの上を国電が通る。窓々のしきりがはっきりと黒く、客の頭はぽつんぽつんと僅かしか乗っていない。終電の一時だなとおもい、つづいて脈絡のないことを思った。ここへ来たとき主人は、梨花という名を面倒がって春という名をくれたが、ということだった。」

 全部読みたいのは山々なのですが、時間がある次回にそれは延ばしておこうと思いました。

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