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天童荒太:文&荒井良二;絵『どーしたどーした』&大岡信『折々のうた』

2014-02-09 10:22:00 | ノンジャンル
 今日は手塚治虫さんの26回忌です。私に社会正義というものを教えてくれた手塚さんに改めて感謝したいと思います。

 さて、天童荒太:文&荒井良二;絵の'14年作品の絵本『どーしたどーした』を読みました。誰にでも「どーした」としつこく聞いてしまい、うっとうしがられている主人公の全(ぜん)が、登校途中で出会ったDVの被害者の子供に声をかけることによって、彼を救う道が開け、最後には多くの人が「どーしたどーした」と被害者の子供の部屋に駆けつけ、その子供は無事に救われ、彼から全は手紙をもらい、最後には人に「どーした」と声をかけられると痛みが半減することを知るという物語でした。多くの人が被害者の子供の部屋へ駆け付ける画面に圧倒されました。

 また、大岡信さんの'00年作品『折々のうた』を読みました。序文から引用させていただくと、「(この本は)日本の代表的新聞『朝日新聞』の第一面に、多少の休養はあったものの、20年以上にわたって毎日連載されてきた。1979年1月25日に始まったこのコラムはすでに5,000回を越えている。大岡さんは一つの短詩あるいは長詩からの数行をとり、作品の魅力を語り、難解な語句を解説する。その選択範囲は広く、伝統的な俳句、短歌から漢詩、沖縄のおもろ、18世紀の狂歌、西洋詩の翻訳にまで至る。(中略)20世紀初頭、詩歌と俳句を現代に復活させた詩人兼批評家、与謝野鉄幹と正岡子規の伝統を受け継いで、大岡信は読者が詩歌を形態で分類するという表面的区分から解放され、詩歌としての根源的統一性を見るよう求める。(中略)大岡さんは言う。「『折々のうた』で私が企てているのは「日本詩歌の常識」づくり、和歌も感詩も歌謡も俳諧も今日の詩歌も、ひっくるめてわれわれの詩、万人に開かれた言葉の宝庫。この常識を、わけても若い人々に語りたい。(中略)
 コラムが集積すると詩は二行、解説は180字に限定された。しかし大岡さんはそれを「限定」と考えず、「ほとんどの場合その制限内で書くことが一種の楽しみでさえあった。」と書いてある。本のときは解説に、30字の増加が許されたが、大岡さんは省略をいくらか展開するためにとどめ、新たな変更は行わなかった。『折々のうた』には現在では新書や文庫もあり、1992年に始まる14册のシリーズとなっている。」
 本の構成は左のページに、選ばれた詩と大岡さんの解説、右のページにジャニーン・バイチマンによるそれらの英訳が掲載されています。
 私が興味を惹かれた詩は
 「核弾頭
  五万個秘めて
  藍色の
  天空に浮く
  われらが地球
         加藤克巳」
 「留守と言え
  ここには誰も居らぬと言え
  五億年経ったら帰って来る
         高橋新吉」
でした。また湯川秀樹も詩を読んでいたことを知りました。
詩がわりに苦手な私でも、最後まで読むことができました。詩の好きな方には特にお勧めです。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/