3編からなる童話集です。
『風になったお母さん』 昭和二十年、八月十五日。焼跡の中に、五歳の子供がうずくまっていました。表情は老人のようにしぼんで、まったく生気がうかがえません。子供の名は、カッちゃんといいました。十日前に、カッちゃんとお母さんの住むこの町は空襲を受けました。2人は家から逃げ、ずい分走ったようでしたが、そこは家からすぐの、小さな公園、カッちゃんのよく知っている遊び場でした。公園は火に囲まれて逃げられません。「もう少しの辛抱よ、我慢するんですよ」お母さんは、必死に汗をまさぐり、カッちゃんにぬってやると、カッちゃんの、乾ききった手足は、湯上がりのようにすべすべし、しごくいい気持ちなのです。そのうち、公園で幸せに遊ぶカッちゃんの姿を思い出したお母さんの顔をおおう掌は、涙でぐっしょり濡れていました。何も考えず、お母さんは濡れた掌を、カッちゃんの、火照った顔にぬりつけました。お母さんは、次に、出るはずもないお乳をしぼってみようと、思い当たりました。お母さんは、カッちゃんの赤ん坊の頃を必死によみがえらせようとしました。気づくと、カッちゃんは、頬をすぼめむさぼるように、お乳をのんでいました。お母さんは、カッちゃんを乳房からはなすと、両手でもみしだき、タラタラしたたり落ちるお乳を、カッちゃんの顔や手足、お腹にふりかけてやりました。飲むよりもこの方が今は楽になるはずです。しかし、お乳も、やがてつきました。お母さんの体は、乾ききってしまいました。お母さんはカッちゃんを抱きすくめ、ミズミズと、呪文のようにくりかえすうち、なんとお母さんの毛穴から、血が吹き出し、抱きすくめるカッちゃんの体を、したたり流れたのです。火は衰え、人心地をとりもどしたカッちゃんは、お母さんの体をゆすって見ました。お母さんの体は、干物のようにぺったんこになっていました。そして強い風に吹き起こされて、ふわっととびました。「お母さん、どこへ行くの?」カッちゃんがびっくりしてたずねると、お母さんはふだんと同じ顔でニッコリ笑いながら、どんどん高くのぼって、やがて見えなくなりました。八月十五日、終戦の詔勅が、焼跡の上を流れる少し前、カッちゃんの痩せおとろえた体も、風に吹かれて、空に舞い上がりました。お母さんが迎えに来てくれたのです。まるで二つの凧のように、お母さんとカッちゃんは、どんどん高く昇っていきました、焼跡をはるか下に見おろして。
『年老いた雌狼と女の子の話』 昭和二十年、八月十五日。満州のコウリャン畑の中に、大きな狼と、四歳になる女の子がうずくまっていました。狼と女の子は、まる二日、ここに身をかくし、幾台もの大きな戦車と射ち合いの音をやり過ごしました。この狼は、もう自分の死期が近いことを知っていました。静かに死ねる場所を探しているうちに、自分のことを飼い犬のベルと錯覚した女の子と出会ったのです。女の子はハシカにかかり、家族に置いていかれていたのです。狼は女の子を家族の元へ戻すため、彼女を運んでいましたが、自分が女の子を襲っていると勘違いされ、射殺されました。かけつけた人は、もう冷たくなっている女の子の体に、噛み傷一つないのを不思議がり、女の子をそこに埋葬しましたが、狼は、さらされたままで、でも骨になっても、女の子を守るように、お墓のそばからはなれませんでした。
『焼跡の、お菓子の木』 昭和二十年、八月十五日。焼跡で食べ物を探していた子供たちは、食べるとおいしい木を見つけます。それは粗悪な食べ物を食べることができない、体の弱い男の子のために、ドイツ人のお上さんが作ってくれたバームクーヘンを種に育った木で、それ以後、いつも子供が鈴なりになって、葉っぱや枝をむしゃむしゃと美味しそうに食べ、しかも大人たちは、すぐそばを通りながら、まったくこの木には気がつきませんでした。
戦争童話集1・2の中で唯一ハッピーエンドなのが、最後の『焼跡の、お菓子の木』でした。野坂さんの戦争童話集には“沖縄篇”として『ウミガメと少年』という一話完結の本もあることを記しておきたいと思います。
→「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)
『風になったお母さん』 昭和二十年、八月十五日。焼跡の中に、五歳の子供がうずくまっていました。表情は老人のようにしぼんで、まったく生気がうかがえません。子供の名は、カッちゃんといいました。十日前に、カッちゃんとお母さんの住むこの町は空襲を受けました。2人は家から逃げ、ずい分走ったようでしたが、そこは家からすぐの、小さな公園、カッちゃんのよく知っている遊び場でした。公園は火に囲まれて逃げられません。「もう少しの辛抱よ、我慢するんですよ」お母さんは、必死に汗をまさぐり、カッちゃんにぬってやると、カッちゃんの、乾ききった手足は、湯上がりのようにすべすべし、しごくいい気持ちなのです。そのうち、公園で幸せに遊ぶカッちゃんの姿を思い出したお母さんの顔をおおう掌は、涙でぐっしょり濡れていました。何も考えず、お母さんは濡れた掌を、カッちゃんの、火照った顔にぬりつけました。お母さんは、次に、出るはずもないお乳をしぼってみようと、思い当たりました。お母さんは、カッちゃんの赤ん坊の頃を必死によみがえらせようとしました。気づくと、カッちゃんは、頬をすぼめむさぼるように、お乳をのんでいました。お母さんは、カッちゃんを乳房からはなすと、両手でもみしだき、タラタラしたたり落ちるお乳を、カッちゃんの顔や手足、お腹にふりかけてやりました。飲むよりもこの方が今は楽になるはずです。しかし、お乳も、やがてつきました。お母さんの体は、乾ききってしまいました。お母さんはカッちゃんを抱きすくめ、ミズミズと、呪文のようにくりかえすうち、なんとお母さんの毛穴から、血が吹き出し、抱きすくめるカッちゃんの体を、したたり流れたのです。火は衰え、人心地をとりもどしたカッちゃんは、お母さんの体をゆすって見ました。お母さんの体は、干物のようにぺったんこになっていました。そして強い風に吹き起こされて、ふわっととびました。「お母さん、どこへ行くの?」カッちゃんがびっくりしてたずねると、お母さんはふだんと同じ顔でニッコリ笑いながら、どんどん高くのぼって、やがて見えなくなりました。八月十五日、終戦の詔勅が、焼跡の上を流れる少し前、カッちゃんの痩せおとろえた体も、風に吹かれて、空に舞い上がりました。お母さんが迎えに来てくれたのです。まるで二つの凧のように、お母さんとカッちゃんは、どんどん高く昇っていきました、焼跡をはるか下に見おろして。
『年老いた雌狼と女の子の話』 昭和二十年、八月十五日。満州のコウリャン畑の中に、大きな狼と、四歳になる女の子がうずくまっていました。狼と女の子は、まる二日、ここに身をかくし、幾台もの大きな戦車と射ち合いの音をやり過ごしました。この狼は、もう自分の死期が近いことを知っていました。静かに死ねる場所を探しているうちに、自分のことを飼い犬のベルと錯覚した女の子と出会ったのです。女の子はハシカにかかり、家族に置いていかれていたのです。狼は女の子を家族の元へ戻すため、彼女を運んでいましたが、自分が女の子を襲っていると勘違いされ、射殺されました。かけつけた人は、もう冷たくなっている女の子の体に、噛み傷一つないのを不思議がり、女の子をそこに埋葬しましたが、狼は、さらされたままで、でも骨になっても、女の子を守るように、お墓のそばからはなれませんでした。
『焼跡の、お菓子の木』 昭和二十年、八月十五日。焼跡で食べ物を探していた子供たちは、食べるとおいしい木を見つけます。それは粗悪な食べ物を食べることができない、体の弱い男の子のために、ドイツ人のお上さんが作ってくれたバームクーヘンを種に育った木で、それ以後、いつも子供が鈴なりになって、葉っぱや枝をむしゃむしゃと美味しそうに食べ、しかも大人たちは、すぐそばを通りながら、まったくこの木には気がつきませんでした。
戦争童話集1・2の中で唯一ハッピーエンドなのが、最後の『焼跡の、お菓子の木』でした。野坂さんの戦争童話集には“沖縄篇”として『ウミガメと少年』という一話完結の本もあることを記しておきたいと思います。
→「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/)