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野坂昭如 戦争童話集1『小さな潜水艦に恋をした でかずぎるクジラの話』

2014-02-06 11:09:00 | ノンジャンル
 3編の童話からなる本です。
 『小さな潜水艦に恋をした でかずぎるクジラの話』 昭和二十年、八月十五日。伊豆七島の、小さな島の沖合いに、一頭のクジラがいました。イワシが好きだから、イワシクジラと呼ばれていますが、仲間の身長平均十六メートルくらいなのに、このクジラの体は、なみはずれて大きく、身の丈二十メートル重さ三十トン、さらにわるいことには、このクジラ雄なのです。人間とちがって、クジラは雌の方が、体が大きければ大きいほど素敵ということになっている。したがって、雌たちから気味わるがられていました。やがて船が現れ、クジラは母に教わった通り、海の中に潜りました。するとがけの下の海の中に、仲間の、しかも雌が、ひっそりいるではありませんか。クジラは雌が目覚めるのを待切れず、ドシンと体をぶつけました。クジラが、仲間だと思い込んでいたのは、実は、日本海軍の敵艦への体当たりを目論む潜水艦でした。その日の正午、日本の無条件降伏をつげるラジオ放送があったのですが、乗組員全部の意見をまとめた結果、あくまでアメリカと戦うことに決め、遺書をクジラの尻尾にしばりつけました。しかし潜水艦は、島をはなれたとたん、潜水艦を専門に攻撃するアメリカの小型艇に包囲されてしまったのです。いつまでも浮上しない潜水艦の息が切れるのを心配したクジラは、潜水艦の方へ猛然と泳ぎだし、そのすぐ上に爆雷が爆発して、クジラは、体半分吹きとばされて、なお、潜水艦にしたい寄ろうとし、つづいて爆雷の爆発を受け、でかい体は細々にちぎれてしまいました。小型艇は帰って行き、浮上した潜水艦は、遺書を結ばれた肉片を回収しようとしましたが、艦長は、せっかく、クジラがたすけてくれたのに、これ以上、無駄な殺し合いをすることもないと、さっきまでの意気込みが、夢のように思えてきました。夕焼けが消えても、海は赤いままで、小さい潜水艦も、いつまでもそのまま浮かんでいました。
 『青いオウムと痩せた男の子の話』 昭和二十年、八月十五日。山のふもとの小さい防空壕の中に、ここ半月ばかり、オウムと男の子が住んでいました。半月前、この町がB29の目標とされ、焼夷弾や爆弾が沢山おとされたのです。男の子は船乗りのお父さんのみやげでもらったオウムを飼っていて、オウムの餌に困った男の子は、ヒマワリの種を、こっそり盗んでいました。そして空襲警報の中、家にオウムがいるのに気づき、お母さんを待たせて、オウムの籠をかかえ、折角貯えたヒマワリの実もついでにと、縁の下へもぐりこんだ、ちょうどその時です。目の前がピカッと光り、耳がガーンと鳴ったかと思うと、あとは何も見えず聞こえず、気がつくと、まるで見覚えのない街角にいました。男の子の住んでいたあたりに、250キロ爆弾が、集中的に落下し、家という家を吹きとばしてしまったのです。お母さんも。男の子は、お母さんが常々いっていたように、防空壕に入って、じっとお母さんの帰りを待ちました。そして男の子は、あんまり大きなショックをに見舞われたので、いっさいものをしゃべらなくなっていました。オウムは一所懸命に男の子に話しかけ、男の子はようやくまた話せるようになりました。八月十五日、日本とアメリカの戦争は終わりました。しゃべれるようになった男の子は、お腹がすき過ぎて、もう立つことができませんでした。また、口をきかなくなった男の子に、オウムは「ダイジョウブ?」「ダイジョウブ?」と叫びつづけ、かすかに「ダイジョウブ」と答えたのが、男の子の最後の言葉でした。そして、男の子の死んだ三日後、百年生きるはずのオウムも、餌がなくなり、とまり木からバサッと落ちて、動かなくなりました。
 『干からびた象と象使いの話』 昭和二十年、八月十五日。空襲が激しくなり、動物園の猛獣は睡眠薬入りの食べ物を食べさせられ、その後、首を吊られて殺されていきました。サーカスで芸を教えていた調教師と象は当時、動物園にいましたが、動物園を脱出し、人里離れた土地で暮らしました。しかしそこにも人が入ってくるようになり、八月十五日、自分の死期を感じた象は、紙のように軽い小父さんの死体を背中に乗せ、ひょろひょろと、どこかへ行ってしまいました。

 どれもラストがせつない戦争童話となっていたと思います。

 →「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto/